【桜色の日々・中学入学編】(1)

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小学6年生の3学期が始まってすぐ、昼休みにカオリ・令子とおしゃべりしていた時
「ねえ、中学の制服の採寸、いつ行く?」
とカオリが聞いた。
 
「あれ?もうしないといけないんだっけ?」と令子。
「みんな一斉に頼むから、少し時間がかかるみたいよ。小学校の卒業式に中学の制服着て出るから、2月中に入手しておきたいし、そうなると、今月中旬くらいまでには頼んでおきたいのよね」
「じゃ、今度の日曜にでも一緒に行こうか」
 
カオリも令子も、中学の女子制服に関しては既に夏くらいに予約を済ませている。ただ、採寸は直前にすることになっていた。それをそろそろしようという話である。
 
「中学の制服か・・・・いいなあ」と私が言うと
「ハルも一緒に行こうよ」とカオリから言われる。
「えー?だって、私中学では学生服着ないといけないし」
「女子制服着ればいいのに」
「それが認めてもらえたらいいんだけどね」
「取り敢えず、私たちの採寸に付き合わない?」と令子。
「そうだねー。じゃ、取り敢えず一緒に行こうかな」
 
そういう訳で私は令子たちと一緒に、中学指定の洋服屋さん、といっても地元の唯一のショッピングセンターを訪れたのであった。
 
名前を言って予約を確認してもらい、採寸する。メジャーで身体の部位を測定されている令子、カオリを、私は「いいなあ」と憧れの目で見ていた。
 
「はい、終わり。次は君かな?」とお店の人。
「あ、済みません。私は付き添いで。私は制服作らないので」
「あら、そうなんだ? お姉さんのお下がりとか着る予定なのかな?」
 
その時令子が言った。
「ハル、女子制服を作らないにしても寸法だけは測ってもらったら?」
「ええ、それでもいいですよ」とお店の人。
 
そんなことを言われると、測ってもらいたくなってしまう。
「そうですね。じゃ、測ってもらおうかな」
 
ということで、私も取り敢えずBWHに肩幅・袖丈・スカート丈などを採ってもらった。
 
「あなた、ウェストが56って、細いわねえ」
「そうですね」
「でも成長期だし、59か61くらいで作ったほうがいいよ。3年着るんだから」
「ああ、じゃ61くらいにしようかな」
 
「ブラは今何付けてるの?」
「A70です」
「まだまだこれから発達してくる所ね。あなた身長があるから結構発達するんじゃないかなあ。B75くらいでもいいと思うよ」
「じゃ、バストはそれで」
 
などということで、かなり余裕をもったサイズを記入してもらった。サイズ表は複写になっていて、1枚目をこちらがもらい、2枚目はお店で管理する。
 
「今すぐ作らないにしても、一応その採寸表の番号でデータベースには入れておくからね。作りたいと思ったら言ってくれれば、2〜3週間で作れるから」
「はい、ありがとうございます」
 
私はその控えを大事にバッグの内ポケットにしまった。
 

2月になってバレンタインの季節になった。クラスの男子から「吉岡〜、義理チョコくれ〜」なんて、随分言われたので、私は一口チョコのパックを買ってきて、それにハートのシールを付けて、クラスの男子全員に配った。カオリもかなり熱く男子たちから求められていたので、ミニチョコのファミリーパックを買ってきて、それを1個ずつ配っていた。
 
私とカオリ以外では、潤子も義理チョコ配りをしていた。潤子は中学は私立に進学するので、この3月でみんなとはお別れである。それで何人かの男子から「名残惜しいよ〜」などと言われていた。
 
私はこの頃、けっこう同学年の男子たちからラブレターをもらっていた。基本的には返事は(変に期待されないように)出さない主義だったのだが、その子たちのために、私はブラックサンダーを用意して、向こうが1人になっている時を狙って「ラブレターくれた御礼」などと言って渡した。
 
「ありがとう。ね。メール交換とかでもいいからしない?」
などと言う男の子もけっこういたのだが
「ごめんね。私にはまだ恋愛って早いかなあって思って」
などといって、やんわりと断っていた。
 
しかし、そんな男の子たちの中でひとり、隣のクラスの子で、梅野君という子が改めて私にラブレターを渡してきた。あまりに熱烈な文章が書かれていたので、放課後に校舎裏手の石炭倉庫のそばで会って話した。
 
私はあらためてお断りをしたのだが、1度でいいからデートしない?と言われ、私も熱心さに負けて、2月14日がちょうど土曜日だったので、町で一緒に少し「お散歩」することにした。
 
私は黄色いトレーナーにお気に入りの桜色のプリーツスカートを穿いて出かけていった。
 
「わあ、可愛い。やっぱり、晴音ちゃんって、凄く可愛いね」
と彼は言ってくれた。
「でも学校にはこういう格好では出てこないよね」
「うん。私、スカートで学校に出て行ったことないのよね」
「出てくればいいのに。最近、学校でスカート穿いてる女の子少ないけどさ」
「そうなんだよね。私、女の子じゃないからスカート好きなのかも」
「なるほど!」
 
湖沿いの道を一緒に歩きながらいろいろ話をし、駅の待合室でジュースを買って一緒に飲んだ。
 
「でもデートってふつう、どんなことするんだろう。私、女の子ともデートしたことないから、よく分からなくて」
「晴音ちゃんは女の子とデートしなくていいんじゃない?男の子とデートしなよ」
「やっぱり、私はそっちなのかなあ」
「誰も、晴音ちゃんを男の子とは思わないから女の子とはデート不成立だよ。ただのお出かけになっちゃう」
「そっかー」
 
「大人の人のデートなら、ドライブして、食事して、ホテルに行くんじゃない?」
「ホテル? ホテルって一緒に泊まるの?」
「そうだよ」
「泊まって、朝までお話とかするの?」
 
「晴音ちゃん、ホントに分からないの?」
「え?何が?」
「晴音ちゃん、純情なんだね。そういうところが、また可愛いけど」
 
ほんとにこの頃は私はそういうことが分かっていなかった。この件は、あとで令子に聞いたら「あんたね・・・小学6年にもなって、無知すぎる」と言われた。
 
私と梅野君は、そのあと「ドライブ代わり」などと言って、電車に乗って隣の駅まで往復してきた。そして「食事」と言って、近くのお好み焼き屋さんに入り、ひとつのお好み焼きを分け合って食べた。
 
「じゃ、次はホテルね」
「何するんだろう?」
「ちょっと、そこの陰に行かない?」
「うん」
 
「お金あったら、ホントにホテルに誘いたい所だけど、僕には今これが精一杯」
「え?」
「晴音ちゃん」
彼はすごく真剣なまなざしで、私を見つめた。私はドキっとして、彼を見つめ返す。
 
彼の顔が近づいてくる。え?ちょっと待って。これ何??
 
やがて彼の唇が私の唇に接触した。
 
ちょっとー。これってもしかして・・・・・・KISS?
 
頭の中が混乱しているうちに、彼の唇は離れた。
 
「こんなことしちゃ、いけなかった?」と彼は聞いた。
ううん、という感じで私は首を振った。
 
「また、デートできる? それとも今日だけにしておく?」
私は少し迷ったが、こう言った。
「ごめんね。今日だけにしておく。でも、凄く楽しかった。梅野君のこと、好きになっちゃいそうだから、やめとく。これ以上好きになったら、自分が女の子でないことが悲しくなっちゃうから」
 
「分かった。でも晴音ちゃんのこと好きだよ」
「私も好き」
 
私たちはもう一度唇を接触させた。
 
そしてしばらく見つめ合ってから微笑んだ。
 
「じゃ、行こうか」
「そうだね」
 
「また気が向いたらデートして。そのうち」
「うん、気が向いたらね」
 
その日はそんなことを言って別れた。
 

少し楽しい気分で、家のほうに行くバスに乗り、やがて最寄りのバス停で降りる。そして、バス停のそばのスーパーに寄り、雑誌コーナーで少し立ち読みをした。ちょっと気持ちを静めてから帰りたい。ただ、スカート穿いて来たし、お父ちゃんが帰る前には帰りたいけど。。。
 
なんてことを考えていた時、「吉岡さん」と男の子から声を掛けられた。
「荻野君!」
 
「吉岡さんだよね? あんまり可愛い格好してるから、見違えちゃった」
「えへへ。ちょっとお出かけしてきたから。荻野君もどこかお出かけ?」
 
「あ、うん。実は急にチョコが食べたくなっちゃって」
「ああ、バレンタインってんで、さんざんチョコの広告とかも出てるしね。荻野君、わりと甘いもの好きだったもんね」
「だけど、何だかこの時期、男の子としてはチョコが買いにくいんだよ」
「ああ、そうかもね」
 
「買いに来てはみたものの、何だか恥ずかしくなっちゃって」
「気にすることないのに。何なら、私が代わりに買ってあげようか?」
「え?ほんと?助かるかも」
「何買うの?」
「ガーナチョコを・・・2個」
「OK」
 
彼が200円渡してくれたので、私は食料品売場でガーナチョコ78円を2枚買い、レジを通って、彼にチョコとお釣りを渡した。
 
「ありがとう。助かる」
「うん。じゃ、私、そろそろ帰るね」
「うん。。あ、そうだ」
「ん?」
「このチョコ、吉岡さんに買ってもらったのに何か変だけど、1つあげる」
「え?なんで?」
 
「うーん。バレンタインかな」
「バレンタインって、女の子が男の子にチョコあげるんだよ」
「それは本命チョコだから、これは友チョコかな」
「そっか。じゃ、もらっておくね。ありがとう」
「うん。じゃ、また」
 
私は手を振って彼と別れ、自宅へと向かった。
 

3月3日の雛祭り。クラスの女子の内12人が集まってカオリの家で雛祭りをした。
 
カオリの家には大きな段飾りの雛人形があった。おばあちゃんが生まれた時に買ったというもので、もう60年ほど前のものであるが、人形はきれいにしていた。カオリから人形の由緒を聞きながら人形を見ていた時、三人官女の真ん中の人がこちらを見て、ニコっと笑ったような気がした。
 
え?
 
と思い、その官女を見つめる。その時、その官女が
 
「制服、買っちゃいなよ」
 
と言ったような気がした。
 
その直後、私はみんなとおしゃべりしていて、話の流れでカオリが私に中学の制服を、今日だけ貸してくれるということになった。
 
カオリの部屋に行き、彼女の制服を借りて身につけてみると「わあ、いいな」
と思う。本気でこの制服を着たくなった。その日、雛祭りの席で、私は1時間ほど、カオリの女子制服を着ていた。
 
その制服を着た私を見て、三人官女の真ん中の人がニコニコしている気がした。
 

翌週、小学校の卒業式があった。
 
ほとんどの子が中学の制服を着て出席していたが、私はふつうの服で出席した。学生服は買ったものの、まだそれを着る気になれなかった。
 
みんなは、学生服なんてコスプレでもするつもりで着るといいよ、と言ってくれた。ほんとに、そうでも思わなければ耐えられない気分だった。それに今は長く伸ばしている髪も、入学式までには切らなければならない。
 
なんでこんなことに耐えないといけないのかなあ。。。制服なんてないどこか外国の学校にでも行きたい気分。
 
そんなことを思いながら、卒業式が終わり、教室で卒業証書をもらって解散したあと、私は学校の中庭で、何となく池のそばで、小さな魚が泳いでいるのを見ていた。その時、荻野君に声を掛けられた。彼も、制服はあまり気にするなと言ってくれた。
 
「学生服なんて着てたって、みんな吉岡さんのこと、ちゃんと女の子だと思ってくれるよ。辛い気持ちになったら、友だちとかに素直に自分の気持ちを言うといい。吉岡さん、友だちに恵まれてるし。もし女の子に言いにくいことだったら僕でよければいつでも相談に乗るし」
「うん・・・ありがとう」
ホントに友だちってありがたいな・・・・・私はそんなことを思い、少しだけ頑張ろうかなという気持ちになることができた。
 
「あ、そうだ。これ受け取ってくれないかな?」
と言って、私はホワイトチョコレートの包みを荻野君に渡した。
「ホワイトデー?」
「そう。ホワイトデーの前に卒業式があるってひどいよね」
「せっかくだし、もらっておこうかな。。。。でもホワイトデーって、男の子から女の子にチョコあげるんじゃなかったっけ?」
 
「だってバレンタインに荻野君、私にチョコくれたんだもん。逆チョコのお返しの逆ホワイト」
「なるほど、そうなるのか!」
 
私たちは笑って、そのあと、自宅近くまで一緒に歩いて帰った。
 
「だけどさ、こないだ中学の入学説明会でもらった、校則の紙見てたんだけどさ」
「うん」
「制服は、学生服とセーラー服とする、と書かれていて、学校指定の所で買うことなんて、書いてあったけど、別に男子が学生服、女子がセーラー服、とは書かれていないな、って思ったんだよね」
「うん・・・実は私もそれ思った」
 
「まあ、ふつう、女子で学生服着ようと思う子、男子でセーラー服着ようと思う子なんて、いないからね」
「ふつうはね」
「僕もセーラー服を着る勇気はないから学生服着てるけど」
「令子は学生服着てみたいなんて、言ってたけどね」と私。
 
「あ、女子には時々そういう子いるかもね」
「でも変だよね。学生服を着てみたいなんて女子が発言しても、そう変に思われないのに、セーラー服を着たいって男子が発言したら、変態か?って思われちゃう」
「男女差別だね」と荻野君。
「ほんと」
「でもさ」
「うん」
「吉岡さんは女の子だから、セーラー服着たいって発言しても、誰も変には思わないよ」
 
「そっかー」
 
ふと空を見上げると、雨も降ってないのに、薄い虹が見えた。
 
「あれ?虹だね」
「きれいだね」
 
私たちはしばし、その天空の芸術を鑑賞していた。
 

入学式を翌日に控えた4月8日、私は行きつけの美容室に行って、中学の男子の基準の長さまで髪を切って下さい、と言った。
 
「そっかー。ハルちゃんも、中学か」
「はい」
「ちょっと悲しいね。そんなに切るのって」
「私自身がとっても悲しいから、ことさらそんなに言わないで下さい」
と私が笑って言うと、美容師さんは
「あ、ごめんね。じゃ切っちゃうよ」と言う。
「はい、もうスパッと切って下さい」と私は答えた。
「了解」
 
そういって美容師さんは髪を切り始めた。私の長い髪が床に落ちて、花のように開いて行く。それを見ていて、涙が出て来た。だめ、こんな所で泣いちゃって思うのに、涙腺が締まらない。
 
「ね、切るのやめる?」と美容師さん。
「ううん。全部切って」と私。
「うん」
 
「でもさ、ハルちゃん」
「はい」
「どうせスパッと切っちゃうなら、おちんちん切っちゃえば良かったのに」
「切りたいです!」
 

翌日、かなり鬱な気分で私は学生服を着た。私は個室というものを持っていないので、仏間の隣にある2畳の小部屋にタンスを置いていて、そこに服は全部入れている。このタンスは母と共用で、上半分を母、下半分を私が使っていた。なんとなくタンスをあけてみる。可愛いブラウスやスカートが入っている。私がこういうものを着るのは、母とふたりだけの秘密だ。あと風史兄は薄々察しているみたいだけど。
 
でもこんなに髪切っちゃったら、こういう服もしばらく着れないのかなぁ、などと思うと、益々気が滅入る感じだった。
 
あ、ダメ・・・・かなり精神的に落ち込んでいるな、という気がする。この状態になると、そもそも気力を上げなきゃ、という気持ち自体が起きず思考停止のようになって、何もできなくなる。
 
実際私はそこでかなり長時間ぼーっとしていたようで
「晴音(はると)、そろそろ出ないと遅刻するよ」
という母の声にハッとして、私はその小部屋を出た。
 
沈んだ気持ちのまま、中学校への道を歩いていく。なんとなくとぼとぼとした歩みになったので、ほんとに中学に着いたのは、けっこうギリギリに近い時間であった。
 
「ハル、来ないのかと思ったよ」と令子から言われる。
その令子が着ているセーラー服がまぶしい。わあ、私も着たいな、とまた思う。でも、だめなんだろうな・・・・
 
「ごめん。なんか気分がすぐれなくて」
「まあ、高校出るまで6年間の我慢だよ。それに学校にいる時だけ男の子してればいいんだから。学校出たら、女の子に戻って、一緒に遊ぼう」
「うん。ありがとう」
 
令子に言われて、ほんと自分も頑張らなくちゃと思い直し、学生服姿で入学式に臨んだ。校長先生のお話、来賓のことぱ、在校生代表の歓迎の言葉、などを聞き、校歌を斉唱する。ああ、なんかここの校歌モダンで変わってるな、などと思った。後で聞いたら、10年ほど前、この学校出身のロック歌手の人が作った曲なのだそうである。
 
その後、各々の教室に行く。中学では令子・カオリと別のクラスになってしまった。小学4年から6年まで、そのふたりとはずっと同じクラスで、最も親しくしていただけに、彼女たちと離れるのもまた寂しい気持ちがした。
 
私のクラス5組で一緒になったのは荻野君や環・好美などである。好美は令子・カオリの次くらいに親しい友人で、私がなんか落ち込んでる風なのを見てハグしてくれた。環も「なんだい、元気出しなよ」と言って、背中を叩いてくれた。荻野君も笑顔でこちらに視線を送ってきた。
 
ほんと頑張らなきゃ、と思うものの、気力が出ない。
 
「だけど、ハルが学生服を着ていると、男装している女学生に見えちゃうな」
と好美は言った。
「なんか違和感があるよね、学生服姿って」と環も言う。
 
彼女たちも元気づけてくれようとしているのだろうけど、私の心は憂鬱だった。
 

担任の先生が入ってきた。男の先生で「館茂(たて・しげる)」と名乗った。最初の出席を取る。
 
私は鬱な気分だったので、ぼーっとしてそれを聞いていた。ふと気付くと、点呼はいつの間にか男子が終わって女子のほうに進んでいた。あれ?私呼ばれたっけ? この時は私も上の空だったので、あまり深く考えなかった。女子も最後のほうにさしかかり「雪下さん」と私の前の席に座っている好美が呼ばれて「はい」と返事をする。そしてその次に「吉岡さん」と私の名前が呼ばれた。
 
「はい」と私がいつも使っている女の子っぽい声で返事をすると先生はこちらを見て言った。
 
「なぜ君は学生服なんか着てるの?ふざけないで、ちゃんと女子の制服着なさい。それ、お兄さんから借りたの?」
 
へ?と思うが、鬱な気分でかなり回転速度の遅くなっていた私の脳が、その先生のことばを聞いて頑張って回転して、ある結論を引き出した。私はそれまでの鬱な気分が吹き飛び、ちょっと楽しい気分になった。
 
「済みません。ちゃんと着換えて来ます」
と言ってスポーツバックを持って席を立つ。
 
私は学生服姿のまま近くの《女子トイレ》に飛び込むと、個室に入り、スポーツバッグを開ける、まず、内ポケットに入れている錠剤のシートから1個取り出して飲んだ。『へへへ。ドーピングしちゃおう』
 
実は数日前から鬱な気分だったので、ドーピングした方がいいと思っていたのにそれさえも実行できないほど、精神が落ち込んでいたのである。薬を飲んで効き出すのは本来1〜2時間後なのだろうけど、このお薬は飲むと速効で精神に作用するような気が以前からしていた。お薬を飲んだことで、私はかなり元気になった。よし。着ちゃえ。
 
私は学生服の上下を脱ぎ、更に着ていた男物の下着の上下も脱ぐ。そしてスポーツバッグの中に入れていた、ブラジャーとショーツを身につけると、更にきちんと畳んで収納していたセーラー服の上下を取り出し、身につけた。男物の下着と学生服の上下をスポーツバッグの中に入れる。
 
個室から出て手洗い所の所の鏡に、姿を映してみる。うん。髪が短すぎるのが難だけど、充分女子中学生に見えるよね、と思うとますます気分が昂揚した。
 
教室に戻る。私の女子制服姿を見たクラスメイトの一部(たぶん同じ小学校から来た子たち)がどよめく。
 
「済みませんでした。着換えて来ました」と私は先生に言った。先生は満足そうにこちらを見て頷いて、更にこう言った。
「君、髪を少し切りすぎてるね。まるで男の子みたいな長さだよ」
 
「そうですね。ちょっと切りすぎました。でも切りすぎたのは仕方ないから伸びるのを待ちます」と答えた。
「それがいいね」
と言うと、先生は、中学生活を始めるにあたっての注意を色々話し始めた。
 

最初の授業では、学級委員をはじめ、図書委員、生活委員、美化委員、保健委員、などを決めた。最初だから分からないでしょうなどと言われ、先生からの指名であった。2学期から生徒同士の選挙で決めましょうと言われる。委員はそれぞれ男女1名ずつの指名であったが、私は小4の時に同じクラスだった森田君と一緒に、図書委員に指名された。小4,小5で私は図書委員をしていたので、その経歴を見ての指名かな?と思った。
 
委員決めが終わると、先生は中学校の生活でよく起きがちなできごとなどの話をした。やがてチャイムが鳴って、先生は話を終えると出て行った。
 
先生が出て行くのと同時に私のまわりにたくさん生徒が集まってきた。女生徒が多い。
 
「どうしたの、その服?」
「えへへ。買っちゃった」
「すごい」
「入学お祝い、親戚とかからたくさんもらっちゃったから、これで制服買えるじゃん、と思ったら作りたくなっちゃって。先月下旬に頼んだから、実は昨日できてきた。ギリギリ」
 
「それで通学するの?」
「通学したいけど、そういう訳にもいかないだろうなあ。でも、今、先生からセーラー服着なさいって、言われたし、取り敢えず着ておく。ま、すぐ気付かれちゃうだろうけどね」
「でも去年は3ヶ月くらい気付かれなかったよ」
「あれはさすがに森平先生がのんびり屋さんだからだよ」
「確かに!」
 
「でも私、学生服着ていた間は、すごく気持ちが沈んでたのに、これに着換えたら、突然元気になっちゃった」
「ほんと、朝とは全然表情が違うよ、ハル」と好美。
「さっきは、この子、自殺したりしないよな? って表情だったよ」
「自殺さ・・・・」
「うん」
「私、マジで考えてた」
「死にたくなったら、私に電話しなよ」と環が言った。
「うん、もしそんな気になった時は電話する」
 
「ね、ね、話が見えないんだけど、もしかして吉岡さんって、男の子なの?」
と別の小学校から来ていた麻紀。
「うん、そうだよ。戸籍上はね」と好美。
「でも実態は、ほとんど女の子だよ」と環。
「性転換手術とかもしてるの?」
「したいけど、私の年齢じゃ、してくれるお医者さん、いないのよね」
 
「だけど、教室の机の配置、これ男女交互に列が作られているじゃん」
とやはり別の小学校から来ていて、学級委員に指名された菜月。
 
「あ、そうだよね」
「それで、私、女子の並びのはずの所に1人男子が並んでいるの見て、あれ?と思ったんだよね。最後だから調整されたのかなとも思ったけど、男子の方はふつうに余ってるし」
「うん。うちのクラス、男子22人、女子18人だもんね」
「そうそう。その女子18人には吉岡さんも入っているわけで」
 
「女子19人のクラスと18人のクラスがあるみたいね。もし吉岡さんを男子の方に移動したら、うちのクラス女子が17人になってバランス悪いよね」
「やはり、吉岡さんって、女子のままでいてもらった方が良さそう」
 
「でも、吉岡さん、更衣室とかトイレとかどうすんの?」と麻紀。
「女子制服着てたら、トイレは女子トイレでいいんじゃない?」と菜月。「体育の時の着替えは、ハルは小学校の時は女子と一緒にしてたよ」と好美。「じゃ、それも女子更衣室でいいかもね」と菜月。
「ハルは修学旅行では女湯に入ったしね」と環。
「へー、女湯に入れる身体なんだ!」と麻紀は感心したように言った。
 

実際、その日の4時間目に体育があったのだが
「たぶん、ハルの名前、女子のほうに入ってるよ」
と言われ、女子の方に集合した。
 
着替えはもちろん女子更衣室でしたが、けっこう半ば好奇の視線に晒された。でもそういう視線にはある意味慣れっこである。ちなみに体操服はこの学校は男女共通のデザインである。サイズは男子用と女子用で違うのだが、私はそもそも男子用は合わないので、母にも言った上で、女子用のMサイズを購入していた。
 
「ハルちゃん、少し胸あるんだね」
私がセーラー服の上下を脱いで下着姿になると近くに居た菜月が言った。
 
「うん。ちょっとだけね。Aカップのブラがこんなに余ってるけど」
「そのおっぱいって、どうやって作ったの?」と麻紀。
「色々。腕立て伏せしたり、マッサージしたり、ツボ押ししたりとかも結構頑張ってるよ。あと、大豆製品もたくさん食べてる」
「へー。マッサージとか効果あるのね。私も頑張ってみよう」
 
「でも、下も付いてないみたいに見えるね」
「それは隠してるだけ」
「ねー、それ本当に隠してるの? 既に取っちゃってたりしない?」と環。
「環、私のを見てるじゃん」
「見たのは去年の9月だもん。あの頃から後で、ハルって急に女らしくなった気がしてさ。実は取っちゃったんじゃないかって、疑ってるんだけどね」
「ふふふ。じゃ、もしこっそり取っちゃったら、環には教えるよ」
「よし」
 
「でもホントにこれなら女子と一緒に着換えても問題なさそう」と菜月。
「へへ。言われるまでこっちに居ようっと」
 
一緒に着換えた女子の友人たちと一緒に女子の集合場所に行く。5組の子たちより一足先に着換えて既に集まっていた6組の子たちの中にいたカオリが寄ってきて「ハル〜、こっちに来たの?」と聞くので
「また、私の名前、女子のほうに入ってるみたいなのよね。先生が気付くまでちゃっかり、こちらに来ようかと」と答えた。
「ずっとバレないといいね」などと同じ小学校から来ている子に言われる。
 
やがて先生が来て、点呼されるが、やはり、私の名前はこちらに入っていた。私の名前が呼ばれて「はい」と返事した時、何人かの子がこちらを見て手を振ってくれたので、手を振り返した。
 
その日はバスケットボールをした。小学校ではポートボールはやっていても、バスケットボールは経験したことのない子も多かったので、ルールの説明などをした上で、5組vs6組で試合をした。5組の女子が18人、6組の女子が19人なので、けっこうな大人数であるが、ボールの回りが早く、多くの子がボールに触れていた。
 
ゴール下はどうしても乱戦になる。身体のぶつかり合いも結構発生し、私もボールを持ったまま、ランニングシュートを決めようと相手ゴール前に走り込むと、ガードしようとする相手の生徒と接触した。また、向こうが攻めて来た時も、ドリブルしている生徒からボールをスティールしようと近づいていって、結果的には相手にかわされてしまったものの、脇をすり抜けられる時に身体の接触が発生した。
 
15分ほどやった所で少し休憩になる。
 
両方のクラス入り乱れて休みながらおしゃべりしていたが、何人かの子(特に違う小学から来た子)から
「ハルちゃん、身体に接触した感じも女の子だよね」
と言われた。6組で運動神経が良さそうで、ここまでに5回シュートを決めていた詩絵(うたえ)などは、私の身体にあらためて触りながら
「お肉の付き方が女の子だよね。少なくとも男の子の感触じゃないよ、これ」
などと言っていた。
 
後半コートを入れ替えて、試合を続ける。私はあまり運動神経は良い方ではないので、結局点数を入れることはできなかったが、161cmの背丈を活かしてブロックを何度か決められたし、リバウンドも3回取れて、自分としても割と充実感を得ることができた。
 

その日の授業が終わったあと、体育館に集合して、クラブ活動の紹介があった。いろいろ楽しそうなクラブもあったが、私は足が遅いし腕力もないから運動部は無理だよなと思う。それに染色体の問題もあるから「女子選手として活躍」
することは許されない。まあ、そこまで活躍するほどの運動神経も無いけどね。
 
文化部ではコーラス部に少し興味があったが、声変わりの問題がある。今はソプラノを歌えるけど、もし声変わりしてしまったら、テノールに回されるだろう。男声パートを歌うというのは絶対にしたくない。この頃は私は多分声変わりは来ないだろうとは思っていたけど、僅かな懸念も残っていた。
 
そういう訳で、私はクラブ活動は特にしないことにした。
 

クラブ活動紹介のあとで、入部する子はそれぞれの部に行ったが、入らない子は、そのまま帰宅する。私もその帰宅する子たちの集団に入り、校門を出た。もちろんセーラー服のままである。
 
「ハル、その格好で家に帰るの?」
「うん。台所から入るとさ、そのまま私のタンスが置いてある部屋に行けるのよね。うちって、男上位の家だから、台所に入るのは私とお母ちゃんだけなんだよね。お父ちゃんはコップひとつ取るのも、お母ちゃんか私にさせる」
「今時珍しいよ。それって」
「だから台所は、お父ちゃんに見られる可能性がないから、安心して着換える部屋まで行けるんだ」
「なるほど、それを利用して、ハルってスカートで外出したりしてたのね?」
「えへへ」
「バレないといいね」
「うん」
 

翌日は1時間目から体重測定があった。私はもちろん女子のクラスメイトたちと一緒に、保健室に行った。昨日の体育の時間の着替えで、私が下着姿になっても女の子に見えるというのがクラスメイトたちには知れているので、みんな特に気にせず、一緒におしゃべりしながら、保健室に入り、列に並んだ。
 
例によって私はいちばん最後である。着衣のまま身長と座高を測られ、カーテンの向こうに入ってから制服を脱いで下着姿になる。そこで体重と胸囲を測られたあと、1学期の最初なので、校医の先生の検診を受けた。
 
ブラも外すように言われたので外して、聴診器を胸に当てられる。「うん。背中向けて」と言われてクルっと180度椅子を回転させ、背中の検診もされる。
「問題無いね。生理は乱れたりしない?」
と聞かれたので
「ええ、乱れたりはしません」
と答えた。嘘は付いてないよね。そもそも生理が来てないから乱れてもいない。
 
「じゃ、いいですね」
と校医の先生が言ったので、私は「ありがとうございました」と言ってお辞儀をして席を立ち、ブラを付けて、着替えのカゴのところに戻った。6組の先頭の子がもう下着姿になっていたのでハイタッチする。彼女が校医さんの方へ行ったのを見送り、制服を着た。続けてカーテンの内側に入ってきた6組の2番目の子に手を振って外に出た。
 
保健室の外で待ってくれていた好美ともハイタッチ。
 
「お医者さんに何か言われた?」
「何も言われなかったよ。問題無いねって」
「大いに問題ありそうだけどなあ」と好美は笑っていた。
 

その日の昼休みは、各委員の集合があり、私は一緒に図書委員になった森田君とふたりで図書室に向かった。
 
図書委員の仕事の説明があるが、主なものは貸出し・返却の受付の仕事、それから延滞している人の督促状を印刷して、各学級ごとの連絡用ポストに入れる仕事である。また図書館報の編集をしたい人いない?と言われたので、面白そうなので志願した。編集は毎月第三週の放課後にやるということだった。
 
貸出し・返却は、生徒手帳のバーコードと、本の裏表紙に貼り付けてある管理用のバーコードをハンドスキャナで読ませればいいので、基本的には楽なのだが、ハンドスキャナを扱ったことのない子もいたので、1年生の図書委員や、2〜3年でも初めて図書委員になった子は、全員その場でひととおり読ませる練習をした。私も森田君も問題無くスキャンすることができた。
 
生徒手帳を読ませた時、氏名・クラス名・性別が表示される。私は自分の手帳を読ませた時「吉岡晴音/よしおか・はるね/1年5組/女」と表示されるのを見た。あらら、これって、担任の先生が単純に間違えたんじゃなくて、もしかして小学校から回ってきた書類上でも、私って「よしおか・はるね・女」になっているのかな? と思い至った。そういえば、6年生の時は、最後まで女子の方に名前が入ったままだったもんね。私の名前の読み方も6年の時の担任の森平先生は「はると」ではなく「はるね」と思い込んでいたみたいだしね。
 
これって申告すべきなのかしら?とも思ったが、都合良く間違えてくれているんだし、取り敢えず放置しておこうかな、と私は思った。
 

その日の放課後、私と森田君は早速、貸出しの係になり、図書館の受付に一緒に座った。彼とは小4の時に同じクラスになって以来2年ぶりの同じクラスである。
 
「今日の身体測定、吉岡、どうするんだろう?と思ったけど、ふつうに女子のほうで受けてたよね」と森田君。
 
「うん、まあね。小6の時もそうだったし」
「でも小6の時は着衣での測定だったじゃん。ここでは下着姿になるよね?それとも女子は下着にまではならないんだっけ?」
「体重・胸囲の測定は下着姿だし、校医の先生の検診はブラも外して受けたよ」
 
「下着姿になって、ブラジャー外しても、問題無いんだ!?」
「うん」
「いつの間にそんな身体になっちゃったの?4年生の時に一緒に身体測定受けた頃はふつうに男の子だったよね?」
 
「そのあたりは企業秘密。でも、おっぱいは、腕立て伏せしたりマッサージしたり、ツボ押ししたりしてる効果も大きいと思うよ。あと、納豆とか豆乳とかイソフラボンを含んだ食べ物をたくさん取るようにしているしね」
「へー。僕も納豆は好きだけど、おっぱい膨らんだりはしないよ」
「まあ、ふつうはそうだよね」
 
「それと不思議に思ってたんだけど、吉岡って、声変わりしてないよね?」
「そうだね。私がこんなことしてられるのも、声変わりが来るまでかなあ。ずっと来なければいいのに」
「ごく稀に、ずっと来ない子もいるらしいよ」
「私もそうだったらいいなあ」
 
「ヒゲとかは生えるの?」
「生える。でも抜いてる」
「足のスネ毛とかは?」
「それも抜いてる」
「痛くない?」
「痛いけど、ヒゲとかスネ毛とかが存在するのが許せない」
「だろうね」
 
この時期は実は私が男性化といちばん激しく戦っていた時期であった。
 

翌日のホームルームで、中体連地区予選のために応援団を組織するので、男子の応援団員2名と、女子のチアリーダー2名を選んでくださいと言われた。
 
男子の方はさんざん押し付け合いがあった末、クラブも委員もやっていない男子の中から、原君と中島君が選ばれた。
 
「くそー、こういうことになるんだったら、何かクラブ入っておけば良かった」
などと中島君などは言っていた。
 
女子の方では真奈が「私やりたいです」と立候補して確定したあと、あと1人ということになる。お互いに顔を見合わせていた時、環が「吉岡さんを推薦します」
と言った。同じ小学校から来ていた子たちの間で「あぁ!」とい声が上がる。
「吉岡さん、ダンスもうまいし、身長のわりに体重は軽いし、180度開脚もできますし。バトンの扱いもうまいですよ」などと推薦理由を言う。
 
「吉岡さん、どうですか?」と司会をしている菜月。
「うーん。まあ、やってもいいですよ」と私は答えた。
「図書委員と兼任になるけど大丈夫かな?」
「たぷん調整はつくと思います」
 

その日の昼休みにチアリーダーに選ばれた子が体育館に集合した。男子の応援団員のほうは屋上に集合らしかった。何かむこうの様子が想像できて、クワバラ、クワバラ、という感じである。女の子になってて良かった、と私は思った。
 
チアの方は、2年,3年の子たちは去年もやった子が多いようであったし、1年の子も小学校の時経験している子が大半のようであった。それで、さっそく衣装を付けてあわせてみようということになる。
 
私は背は高いもののウェストが細いのでSサイズの衣装で充分行けた(Sでもウェストにけっこうゆとりがあった)。着替えは衣装を置いている用具室でしたのだが、私の下着姿を見た、3組から出て来ている典代が
「あ、ハルったら女の子下着をつけてる」
などと言う。
「ハルはもう男の子は卒業したんだよ」
と6組で選ばれて出て来ているカオリが私の首に抱きついて言った。カオリはこういうことをするのが好きである。
 
「へー。どの程度卒業したの?」
「体育の時間に女子更衣室で着換えて、身体測定を女子と一緒に受けられる程度」
「それって、もしかしてもう100%女の子なのでは?」と1組から選ばれてきた由紗。「ハルはちゃんとお医者さんの検診も女子として受けたよ」とカオリが言うと「何〜!?」と典代も由紗も言う。
「どうやって誤魔化したのさ?」
「何も誤魔化してないよ。開き直っただけ」
「うーん。。。」
 
「でも、こういう系統の衣装を着けると、本当にハルは美人度が上がるね」と典代。「私もびっくりした」と同じ組の真奈。
「なんで、こんなに可愛くなるのよ?」
 
「この子、可愛い系の衣装が異様に似合うのよ」とカオリ。
「しかし6年3組の選出率が高いな」と私。
「全くだよね、どういう偶然なんだか」と4組から選ばれてきていた朱絵。1年生12人の内、6年3組出身者が、由紗・典代・私・カオリ・朱絵と5人もいる。
 
2,3年生が最初に模範演技を見せて、それを見て1年生も踊るが、経験のある子ばかりなので、すぐに合わせることができた。
 
「今年の1年生は優秀だ」と3年生のキャプテン篠原さんが言う。
「去年の1年生は大半が未経験者だったもん」と2年生の人。
 

私の性別問題は一週間経ってもバレないままであった。私は平穏に女子中学生としての生活を送り、毎日放課後にはチアリーダーの練習をしていた。その間、体育の時間にはふつうに女子更衣室で着換えて、女子と一緒にバスケットやダンスをし、トイレはもちろん女子トイレを使っていた。
 
2週間目に家庭訪問があると聞いた時、ああ、ここでさすがにバレるかなと思った。
 
担任の先生は2週間目の金曜日に私の家にやってきた。最近の家庭訪問はプライバシーがどうのとかいうので、玄関先で済ませることになっているらしい。
 
「吉岡さんはちょっとお茶目ですが、授業中の態度も真面目ですし、委員会とチアリーダーにも積極的に取り組んでいて、頑張ってますね」と先生。「あら、この子、チアリーダーもやってるんですか?」と母。
「ええ。みんなから推薦されて張り切ってますね。小学校の時もしていたんでしょう?」
「あ、はい。そういえばやってましたね」
 
「ご家族構成は?お兄さんかお姉さんか、おられます?」
「ええ。この子の上に兄が2人います。大学生と高校生ですが、大学生の兄は広島に住んでいます。この子はいちばん下で、男ばかりの兄弟だから自然とこの子がうちの中のことは手伝ってくれましてね。とても助かってます」
 
ここで母は「男ばかり3人兄弟」のつもりで言ったようであるが、先生の方は「私以外男ばかり2人の兄弟」の意味に取ったようであった。
 
「吉岡さんのお勉強の環境はどうなってますか?」
「それなんですよねぇ。奥の部屋を途中に衝立を置いて、上の兄2人が使っているのですが、この子には個室が無いんですよ。小さい頃から申し訳ないと思っていたのですが、なにしろ家が狭いもので」
「住宅事情は仕方ありませんよね」
 
「この春にいちばん上の兄が独立したので、その後を使うかい?なんて話もしたのですが、兄さんが戻ってきた時に場所が無かったら嫌がるだろうし、自分の場所がない家には戻ってこなくなるよ、とこの子がいうものですから、そのままにしています」
「ああ、それは良いことでしょう」
 
「そういう訳でこの子はいつも居間とか台所で勉強しているんですよ。人がいない時は居間で、人がいてテレビとかついている時は、台所の方が集中できるといって、そちらで勉強しています」
「ああ、それは集中できる環境であれば問題無いと思いますよ」
 
「でも、こういう言い方すると、最近はセクハラだとか言われるんですが、吉岡さん、可愛いから、お母さんとしても将来が楽しみでしょう」
「そうですね。この子、たくましさとかは欠けてるけど、その分ちょっと可愛いところはありますね。性格も素直だし、私はけっこうこの子、頼りにしてます」
 
このあたりの会話も先生は私のことを美人という意味で「可愛い」と言ったのに母は性格的な意味での可愛さととったようであった。母と先生の会話はそんな感じで、微妙にすれ違いながら、そのすれ違いにどちらも気付かないまま、過ぎていった。
 
そういう訳で、この日はまだ私の性別の件はバレなかったのであった。
 

私の性別問題に担任の先生が気付いたのは、ゴールデンウィークの連休明け、正確には連休中であったようだ。
 
連休が明けてまた学校が始まるという日の少し前、先生は休日出勤してきて、連休前におこなった家庭訪問の結果をまとめていたらしい。その時、家庭訪問の際に付けていた議事録と、中学に入る時に提出していた家庭調査票を見ながら記録を整理していた。
 
その時、先生は気付いてしまったのである。
 
私の家庭調査票で、私の所の続柄に「三男」と書かれているのを。
 
へ?
 
先生は最初「三男」というのが誤記だと思ったようであった。
 
私は連休明けの昼休みに、面談室に呼び出された。
 
「ね、吉岡さん、君の家庭調査票を見ていたのだけど、君の続柄に三男って書いてあるんだけど、これって第三子ってのの書き間違いだよね?」と先生。
 
「その記述は正しいです。私は確かに三男です」と私。
「え?でも、君、女の子だよね」
「それが困ったことに、私、戸籍の上で男になってるみたいなんです」
「えー!?」
 
先生は、小学校からまわってきた書類でもちゃんと性別が女になっていたのにと言うが、私はそれは6年の時の担任がのんびり屋さんで、最初間違って女となっていたのを、私の実態がこんな感じなので「まあ、いいか」という感じでそのまま女子の方に入れっぱなしにしていたためであると説明した。
 
「じゃ、君、男の子なんだ!」
「私本人としては、あんまり男の子のつもり無いんですけどねー」
 
「それで君、最初学生服を着ていたんだね」
「はい。こっち着なきゃいけないかなと思って。でも先生に女子制服を着なさいって言ってもらったから、これ幸いと、こちらに着換えました」
 
「済まなかった。学生服を着ていてもいいから」
「うーんと。セーラー服は着ちゃだめですか?」
 
「君、セーラー服着てるほうが自然だもんね。学生服着ていた時は、男装している女の子にしか見えなかったよ」
「それ、友だちみんなから言われました!」
 
「君、でも声が女の子だよね。って、声変わりがまだなのか」
「たぶん・・・・声変わりはしないんじゃないかな、と思ってます。けっこう本人としては、万一声変わりが来たらショックだろうなとは思ってますが。一応こんな感じで男の子っぽい声を出す練習はしました」
 
と言って、私は小学6年生頃から少し練習していた「男声」に途中から切り替えて話してみた。
 
「確かにちょっと男の子っぽい声だけど、聞きようによっては女の子の声に聞こえるね。だけど、君、身体測定を女子と一緒に受けてなかった?」
 
「そうですね。私の身体をお医者さんがふつうに見ても女の子としか思わないと思いますよ。私、小学校の修学旅行では女湯に入ったし」
 
「そこまで女の子になっているならセーラー服を着てもいいような気がするなあ。お母さんかお父さんかと一緒に話し合える?」
 
「むしろ私自身が親と話すほうがよほど大事(おおごと)になります。そんなにきちんとした形でなくてもいいですけど。私みたいな傾向の子には、しばしば、女子制服で通学できなかったら自殺を考えちゃうような、深刻に悩んでる子もけっこういると思うのですが、私って、あんまりそういうので悩まないたちなんです。さすがにいつも学生服で居ろって言われると、参っちゃうと思うんですけど『学生服着ておいて欲しいけどセーラー服着てもいいよ』くらいの感じなら、まあ何とかやっていけると思うんですよね」
 
「なるほどね。じゃ、君の名前はいったん男子の方に戻していい?」
「仕方ないですね」
「体育はどうだろう・・・・君、身体はかなり女の子になってるみたいだしな。取り敢えず、今のまま女子のほうで授業受ける? そもそも体育は選択科目だからね」
「そうですね。体育は女子と一緒に受けさせてもらえると嬉しいです。私、男子と一緒には着換えられないし」
「あぁ、そうだろうね!」
 
「身体測定も女子と一緒に受けてもらったほうが良さそうだなあ・・・あれ?そしたら、そもそも名前は女子の方に入れたままにしておいた方が面倒がないか?」
「小学6年生の時の担任の先生も、そんな感じで、私の名前、ずっと女子の方に入れてたんじゃないかと思います」
「そういうことか! なんか僕もそうしたくなってきたよ」
 

女性の先生に確認してもらった方がいいことも多いのではないかと言われ、保健室の先生と少し話をすることになった。
 
「あなた、全然男の子のようには見えないけど!」と言われる。
 
身体を再度チェックさせて欲しいと言われたので制服を脱いで下着姿になった。
 
「なで肩だよね。身体のお肉の付き方が女の子の付き方だし。ウェストくびれてるし。そもそも、おっぱいあるよね。どうやって、これ作ったの?」
 
「腕立て伏せしたり、バストマッサージしたり、ツボ押ししたり、それから納豆や豆乳とかのイソフラボンの多い食品をよく食べたりして育てました。というか今でも成長過程です」
と私は言う。
 
「それだけでそんなに大きくなるとは思えないなあ。ねえ、ホルモン異常とかがあったりしないかな。一度病院で診てもらう必要無い?」
「先生秘密守れますか?」
「生徒のことについて私は守秘義務があるよ」
 
「ごめんなさい。本当は女性ホルモン飲んでいます。それから毎月○○医院で血液検査その他してもらっています。血糖値とかのコントロールきちんとしないといけないので。逆に毎月検査されると思うと、きちんとカロリーコントロールもできるんですよね」
 
「なるほど、ちゃんと病院で管理してもらっているのなら問題無いね。ホルモン使っていることは君が内緒にしたいのなら、私も誰にも言わないよ。でも、そしたら、男の子機能の方は?」
 
「私、実は今まで一度も射精というもの自体、経験が無いんです。自慰での射精もないし、夢精の経験もありません。そもそも私の陰茎って、小学5年生の夏以降一度も勃起していません」
「その時期から女性ホルモン飲み始めたの?」
「飲み始めたのは小学6年生になってからです。飲み始める前に病院で検査されたんですが、その時点で既に睾丸の機能は停止していると言われました」
 
「機能停止が先なのね」
「たぶん小学3年生の12月に停止したんだと思います。それを象徴するような夢を見たので」
「そっか。それで声変わりもしてないのね」
「はい、そうだと思います。でもお医者さんからは、ひょっとしたら声変わりは起きるかも知れないから、そうなった場合の心の準備だけはしておきなさいと言われています。睾丸が停止している筈なのに、私、足の毛やヒゲは生えるし」
「うん。人間の身体は複雑だからね」
 

保健室の先生は、私の身体はほとんど女の子なので、体育などは女子と一緒に受けさせたほうがいいし、水泳の授業では女子用水着を着せる必要があること、着替えも男子とは絶対に一緒にさせないことという意見を述べてくれた。
 
結局、担任の先生、学年主任、校長、教頭、生活指導の先生、体育の主任、女子の体育の先生、そして保健室の先生、といったメンツで会議をしたようであった。
 
その結果、私は体育は女子と一緒にさせるのが妥当ということと、女子更衣室や女子トイレを使ってもいいということ、そして制服については一応学生服を原則とするものの、実際には私自身の自主性に任せるということになった。私の髪の長さについても女子の基準を準用してくれることになった。
 
私の名前は名簿上男子のほうに移動すると言われた。しかし図書室の端末で生徒手帳をスキャンして表示される生徒情報での性別は女のままであった。そのあたりはどうも曖昧な状態になっているようであった。
 

翌日、私は学生服で登校してきた。
 
「ハル、どうしたの?」
「うん。先生にバレちゃった」
「あらあ、残念だったね!」
 
などという話を朝したのであるが、私は昼休みにセーラー服に着替えてしまい、午後からの授業はそちらで受けた。
 
「あれ?そっちの服を着たの?」
「うん。こっち着てもいいって言われたし」
「ちょっと待って。それじゃ、どうして午前中は学生服だったのよ?」
「あ、それは気分の問題」
 
「男の子の気分だったの?」
「まさか!コスプレしてみたかっただけ」
「ハルの学生服ってコスプレなのか!?」
「もちろん。私は女の子だし。まあ、原則学生服って言われたこともあるしね」
「ああ、なるほど」
 
そういう訳で私は「一応」学生服に戻ったが、けっこうセーラー服も着ていた。
 
また出席簿は結局訂正されなかったので、私は授業で点呼される時は、やはり女子の最後で呼ばれたし、体育の時間にはふつうに女子更衣室でみんなと一緒に着替え、女子のほうで体育に参加した。
 
トイレもふつうに女子トイレを使っていた。最初学生服で女子トイレに入って行った時は
「わ、男子が入ってきたかと思った」
などと言われたが、
「なーんだ、ハルちゃんだったのか」
で済んで、そのまま待ち行列に並んで、みんなとおしゃべりをしていた。また、そもそも休み時間などには女子の友人と一緒に連れ立ってトイレに行くことも多かった。
 
「ハルちゃんって、いつ頃から女子トイレ使うようになったの?」と麻紀。「6年生の途中からだよね」と好美。
「うん。なんか友だちと一緒にトイレに入ったりすると、そのまま自然に女子トイレに入ることになったし。男子から『お前向こう行けよ』って追い出されたりもしていたし。実は4年生頃から男子トイレ使う時も個室を使うようになってたのよね」と私。
 
「ああ、立ってはしなくなったんだ」
「私の、縮んじゃったから。今はもう立ってできないよ。小さすぎてズボンの窓から出せないんだよね」
「へー」
「小さすぎてじゃなくて、付いてないから、じゃないの?」
「私も気になってるんだよねー。だって着換える時に見ていても、付いてるようには見えないんだもん」
「こないだショーツの上から縦筋が付いてるの、私見たよ。だから、私ハルには割れ目ちゃんがあると確信してるんだけど」
「今度、ハルをまた解剖してみようよ」
「あはは、怖いなあ」
 
トイレだけでなく、体育の時間に着換える時も、私はしばしば男子制服のまま、女子更衣室に入って着換えていたし、放課後にはふつうにミニスカの衣装を着て、チアリーダーの練習をしていた。
 
「ねえ、先生に性別がバレたってのに、あまり実態が変わってないじゃん」
と環から指摘される。
 
「そうだねー。学生服を着るようになっただけかな」
「でも、けっこうセーラー服ででも授業受けてない?」
「私の調査によると、ハルが校内で学生服を着ている時間は全体の16%にすぎない」
「調査したのか!」
「1日中セーラー服着ている日もあるよね」
「ずっとセーラー服のままでいればいいのに」
「まあ、家を出るとき学生服のほうがスムーズに出て来れる問題はあるんだけどね」
「いや、そもそもこの状態で家族にカムアウトしてないってのが信じられん」
 
「でも、ハルの学生服姿って、男装している女学生にしか見えないね」
と菜月にも言われる。
 
「そうかな?」
「そうそう。むしろ女の色気が強調される感じだよ」
「あ、そんな気がする!」
 
そんなことを友人たちに言われると、また学生服もいいよね、などと考えたりする私であった。
 
なお、髪の毛は女子の基準で中学生らしい髪にしてと言われたので、私は6月まで髪を切らずに伸ばし続け、夏前にはふつうの女子の髪の長さに復帰した。行きつけの美容室の人からそれなら女子中学生っぽい可愛い髪型にしてあげるね、といわれて調整してもらった。
 
「あ、ハルが凄く可愛いくなってる」
「ますます、男装女学生になったね」
「こういう髪型なら、もう学生服を着ていても誰も男の子とは思わないね」
 
などと友人たちからは言われた。また、私の生徒手帳の写真は、最初わざと私服で写った写真を貼っていたのだが、先生から制服の写真にしなさいと言われ「どちらの制服でもいいですか?」と聞いたら「いいよ」と言われたので、髪の長さが女の子的な長さまで戻った頃に、セーラー服を着ているところを友だちにデジカメで撮影してもらい、自分で印画紙にプリントして学校に提出し、あらためて割り印をしてもらった。
 
生徒手帳の性別欄は女と印刷されたままだったので、私は取り敢えず1年生の間は生徒手帳の上ではパーフェクトな女子中学生になった。そしてそうなってしまうとセーラー服を着ていないと本人確認に支障が出るので、定期券を買いに行く時などはいつもセーラー服を着るか、私服の女の子の服を着て行っていた。定期券にも私は13歳・女と印刷されていた。
 
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【桜色の日々・中学入学編】(1)