【桃で生まれた桃】(1)

目次

 
ある所におじいさんとおばあさんがいました。ふたりには子供がなく、ずっと欲しいと思っていつも村の鎮守様でお祈りしていました。
 
ある日、おじいさんは山へ柴刈り(しばかり)に、おばあさんは川へ洗濯に行きました。
 
柴刈りというのは山林に入って、下草や灌木を刈って林の成長を助ける仕事で、林を管理している親方から手間賃をもらって日々の生活の糧にするのです。親方のもとでは、若い人は枝を払ったりする仕事もしていました。おじいさんも若い頃はそういう仕事をしていたのですが、年を取るとそういうこともできなくなり、今では筋力が無くても何とかなる仕事をしているのです。
 
一方おばあさんは、おじいさんがお仕事に行っている間に川で洗濯をしていたのですが、昔の洗濯は洗濯機があるわけでもなく、洗剤があるわけでもなく、洗濯板さえもありませんから(*1)、水流の中で手でモミモミして洗うしかなく、時間も掛かれば手も冷たくなり、特に年老いた女性には結構な重労働でした。しかしそれでもおばあさんは近所の子供の多くて洗濯まで手が回らない家などから洗濯を請け負い、荷車に積んで川へ行くと、頑張って洗って、それで日銭を稼いでいたのです。
 
(*1)洗濯板は1797年にヨーロッパで発明され、日本には明治時代に入ってきた。桃太郎の時代にはまだ存在しない。
 

それでおばあんが大量の洗濯物を頑張って洗っていたら、川の上流から桃が2つ流れて来ました。おばあさんは
 
「甘い桃はこっちに来い、不味い桃はあっちに行け」
と唱えていましたが、その内1個の桃がこちらに流れて来ます。それでおばあさんはその桃を拾い上げ、洗濯の仕事が終わった後、自分の家に持ち帰りました。
 
おじいさんが帰って来てから一緒に食べるつもりだったのですが、桃を見ているうちに我慢できなくなってしまいます。
 
「おじいさんには半分残しておけばいいよね」
 
と言って、桃を半分に切ると、片方を食べてしまいました。
 

その日、おじいさんが柴刈りの仕事を終えて帰宅すると、若い男がいるので、びっくりします。
 
「誰だお前?」
「おじいさん、私の顔を忘れた?私だよ」
 
「お前、シンの・・・孫?」
 
その若者は自分の妻の若い頃にそっくりだったのです。
 
「私シンだよ。この桃を食べたら若くなっちゃったんだよ」
と言って、半分切った桃を見せます。
 
「クマちゃんも食べてごらんよ」
と妻の若い頃そっくりの若者が言うので、おじいさんは半信半疑でその半分残った桃を食べてみました。
 
すると突然身体に変化が生じます。
 
「これはどうなるんだ!?」
と声をあげている内に、身体が若くなっていき、やがて20歳くらいの娘になってしまいました。
 
「クマちゃんも若くなったね」
とシンが嬉しそうに言います。
 

「若くなったのはいいけど女になってしまった!チンコが無くなった!!」
 
「私も男になっちゃった。でもこんなに若くなったのなら、いいんじゃない?」
 
「お前、まさかチンコあるの?」
「うん。なんかこれあると楽しいね。いじったら大きくなるんだよ。面白ーい」
「俺はチンコが無くなって死にたい気分だ」
 
「ねえねえ、せっかく若くなったんだからさ、この際、性別が変わっちゃったことは気にせず、楽しいことしようよ」
と若者になってしまったおばあさんが言います。
 
「まさか・・・俺がお前の女房になるの?」
「夫婦なんだから、どちらが男でどちらが女かなんて、別に大きな問題じゃないじゃん」
 
「俺にとっては大きな問題だ!」
と若い娘になってしまったおじいさんは言います。
 
「気にしない気にしない。私、一度自分が相手に入れてみたいと思っていたのよね〜」
というと、若者になったおばあさんは、娘になったおじいさんを押し倒してしまいました。
 

今まで住んでいたおじいさん・おばあさんの姿が無くなり、代わりに若い男と女がその家に居るので、近所の人は不審に思いました。
 
その男女が老夫婦を殺して居座っているのではと疑う人もあり、庄屋さんが調べに来ました。
 
するとふたりは、自分たちは、ここに住んでいたクマとシンの本人であるということ。川の上流から流れてきた不思議な桃を食べたら若返ってしまい、ついでに性別も逆になってしまったと主張します。
 
にわかに信じられない話でしたが、庄屋や近所の人たちがふたりに色々質問すると、ふたりはクマとシンでなければ知らないことを知っていました。それにふたりの若い頃の容貌を覚えている人たちが、確かに若い頃のシンとクマにそっくりであると言ったので、それで「殺人」の疑いは晴れ、ふたりは村人として受け入れられたのです。
 
「しかしシンちゃんが男になって。クマちゃんが女になってしまったのか」
と庄屋はまだ半分信じられないような気持ちで言います。
 
「男っていいね〜。おちんちん付いてるの楽しい〜」
とシンが言うのに対して、クマは
「俺チンコが無くなって泣きたい気分だよ。小便するのにも、いちいち座ってしなきゃいけないんだぜ」
などと言っています。
 
「あんたたち、身体の性別は変わっても、中身は元の男と女、そのままみたいだな」
と庄屋さんは呆れて言いました。
 

ふたりはお仕事を交換することにしました。
 
おばあさんだったのが若者になったシンは、クマに代わって山林の保守作業に出て行きますが、身体が若いので木に登って、枝を払ったりする仕事もしました。
 
「あんたこないだまで婆さんだったとは思えん」
と親方も感心し、お給料も今までの倍くれました。
 
おじいさんだったのが娘になってしまったクマは、シンに代わってお洗濯の仕事に出て行きます。
 
「あんた本当に女になったの?」
とみんなから訊かれます。
 
「こんなにおっぱいも大きくなってしまって」
と言うので
「どれどれ」
と言って触られます。
 
「私よりおっぱい大きいじゃん!」
「おちんちんも無くなったの?」
「立っておしっこしようとして、空振りするからああ、無くなってしまったんだと悲しくなる」
 
「ちょっと見せてよ」
「いいけど」
 
それでまだ着慣れていない女物の服の裾をちょっと広げてみます(昔は上流の女以外は、下着などつけていない)。すると確かに女の形になっているので
 
「ほんとに女になっちゃったんだね」
と言って感心されます。
 
ひとりの女が
「穴もあるの?」
と小さな声で訊きます。
 
クマが力なくこくりと頷くと
「凄いねー!」
とまたまた感心されました。
 
クマは女にはなってしまったものの、何と言っても若くなっているのでこれまでのシンよりずっと力がありました。それで洗濯物も今までより速くこなすことができるようになり、手間賃も多く稼げるようになりました。
 

そういう訳でふたりは日々の仕事の収入が増えて暮らし向きも少しずつ良くなってきました。また若返って性別も変わったというふたりをわざわざ見に来る人まであり、その人達は「見学料」を置いていってくれました。
 
それでふたりは借り物の土地に建てた粗末な小屋に住んでいたのですが、やがてその土地を買い取り、贅沢なものではないものの、こじんまりとした家を建てることもできました。
 
「雨がしのげるのはいいねえ」
「そうだね。これまでの家は雨が降ると家の中で傘を差さないといけなかったから」
 
また元おばあさんのシンが若返りの桃を拾った川には自分も桃を見つけようとする人がたくさん来るようになります。
 
「でも若返るのはいいけど、女になってしまってもいいわけ?」
「この際、若くなれたら男は辞めてもいい」
「チンコ無いと、座って小便しないといけないし、女と楽しいこともできんぞ」
「若い娘になったら、どこかの金持ちの旦那の後添えにでもなる」
 
押し寄せているのは奥さんに先立たれた年寄りの男が多いのですが、一部年老いた女も居ました。
 
「若返るのもだけど、男になるほうに興味がある」
などと彼女たちは言っていました。
 

シンとクマが桃を食べて若返ってから10ヶ月後、若い娘になってしまったクマが可愛い赤ちゃんを産みました。
 
クマは自分が子供を産むなんてことになるとは、生まれてこの方、考えたことも無かったので
 
「苦しい。死ぬ〜。もう殺して!」
などと叫びながら、村の年老いた産婆に
 
「あんた、女になった以上、この苦しみに耐えなきゃだめ」
とたしなめられ、産気づいてから半日ほどの苦しみに耐えて、やっと産み落としたのでした。
 
「何とかなったろ?」
「もう死んだ方がマシだと何度も思った」
「でもあんたもこれで本当に一人前の女だね」
と産婆から言われて
「俺、男に戻りたいよぉ」
などとクマは泣き言を言っていました。
 
赤ちゃんは男の子でした。それで桃を食べて若返った夫婦から生まれたというので「桃太郎」と名付けられます(*2)。
 

(*2)桃太郎の生まれ方については、明治時代に小学校の教科書に収録された際、桃から生まれたことにされてしまったものの、それ以前は、川から流れてきた桃を食べた老夫婦が若返り、それで子供が産まれたというのが一般的であった(ただし性別は逆転しない)。むろん、桃から生まれたというバージョンも無かった訳では無い。
 
また川上から流れて来たのが桃ではなく箱であったというバージョンも多い。また桃あるいは箱から出てきたのが女の子であったという話もある。このタイプの話には、その子があまりにも美人だったので、さらわれたりしないように、桃太郎という男名前を付けて育てたというバージョンと、その川で拾われた娘とおじいさんとの間に子供が産まれ、その子供が桃太郎になるというバージョンがある。
 

桃太郎は幼い頃から病弱で、何度も病気にかかり、今にも死ぬのではないかと思わされることがあり、シンとクマを心配させました。
 
ある時、桃太郎の病気を診てくれた大きな町の医者が言いました。
 
「このような病弱な子は女の子の服を着せて育てると丈夫に育つとも昔から言われている」
 
そこでシンとクマは桃太郎に女の子の服を着せ、名前もあらためて「桃」と呼ぶようにしました。
 
すると不思議なことに、その後は桃はあまり病気をしなくなり、無事に三歳の「髪置き」も済ませることができました。
 

「ああ、桃ちゃんも髪置きをしたんだ?」
と近所の人が言います。
 
「なんか女の子の格好をさせるようになってから、病気をしなくなったから。寺の和尚さんに相談したら、十三歳になるまではこのままでいいんじゃないかって。だから普通の女の子と同じように髪置きをしたんだよ」
とシンは説明しました。
 
「でも桃ちゃん、身体も細いし、可愛い顔しているから、そういう女の子の服が似合っているね」
 
「ほんとほんと。このまま女の子にしてあげてもいい感じだよ」
とシンは言いました。
 

実際、桃は病気はしなくなったとはいっても、そんなに身体が丈夫な方ではなく村の子供たちの遊びでも、男の子たちに混じって棒でチャンバラしたり、竹馬で遊んだりするより、女の子に混じってあやとりをしたり人形遊びをしたりする方を好みました。
 
なお、当時は男も女もあまり下着をつけるのは一般的ではなかったのですが、桃の場合は、着物がはだけた時に、男の子の印が見えてしまうと、みんなが引いてしまうだろうということで、いつも湯文字を着けていました。桃が下着を着けている理由を知らない子はお金持ちの娘さんなのかなと思っている場合もあったようです。それで
 
「桃ちゃん、ひな人形とかは買わないの?」
と言う人もありました。
 
桃がそれをお母さんのクマに言うと
 
「あまり高いものでも無かったら買ってもいいかもね」
と言い、シンが用事で町に出た時に、買ってきてくれました。それで翌年の雛祭りには、ひな人形を飾り、近所の友だちの女の子たちも呼んでお祝いをしたりもしていました。
 

桃は、特異な生まれ方をしただけあって、小さい頃から不思議な面も見せていました。
 
桃が生まれた翌年、クマが桃をおんぶして、庄屋さんの所に行っていた時、軒先で庄屋さんと話していたら、桃が突然大きな声で泣き出しました。クマがどんなにあやしても泣き止みません。
 
それで困っていたら、奥から庄屋の奥さんが出てきます。
 
「あんた、にわか女だから、なかなかうまく対処できないよね。ちょっとかしてごらん」
と言って桃を受け取り、高い高いとか、いないいないばあ、とかしてあげると笑い始めました。
 
「やはり元々女の人にはかなわない!」
などとクマが言っていた時のことです。
 
突然ドーン!!という大きな音がするので見てみると、裏の崖から大きな岩が落ちてきて、庄屋さんの屋敷の奥を潰していました。
 
「私、今まであそこに居たのに」
と言って、庄屋の奥さんは腰を抜かしてしまいました。
 
「桃ちゃんが泣いていなかったら、お前、潰されていたな」
と庄屋さんも半分青ざめながら言いました。
 

桃は他にもよく、無くしたものを見つけてくれることがありました。しばしば村人から頼まれて、シンやクマが桃を連れてあちこちの家にお邪魔しては失せ物を発見していました。
 
桃が4歳の時、村は深刻な旱(ひでり)で水不足から作物が育たず、また厳しい天候のため、暑さにやられて死ぬ者もありました。村は海に面しているものの、海の水を畑に蒔いたらそれこそ作物は全滅してしまいます。しかしこのままにしておいても、作物は全滅しそうな状況でした。村の水源の溜め池もほとんど干上がってしまっています。
 
そんな時、桃を連れてシンが村の集まりに出ていた時、桃が唐突に
 
「おじぞうさまのした」
 
と言ったのです。
 
出席した村人たちは顔を見合わせたものの、いつも失せ物を見つけてくれている桃のことばです。そこに何かあるかもと言い、村の端のお地蔵様の下を掘ってみたら、なにやら随分と土が湿っています。これはひょっとしてというので頑張って掘ると、3mほど掘った所で、真水(まみず)が湧いているのを発見しました。結局5mほど掘ると、そこから豊かな水が出てきたのです。
 
この水によって村は救われ、この年の干魃を何とか乗り切ることができたのでした。収穫も例年よりはずいぶん少ないものの、何とかなる範囲でした。畑の面積が少なく、今年の収穫量だけではやっていけない家には、村全体で助け合って、食糧なども確保してあげました。
 

年貢に関しては、厳しい状況を訴え、軽減してもらおうというので、庄屋をはじめ何人かで殿様に陳情に行くことにしました。
 
幸いにも家老さんが話を聞いてくれて、殿様に取り次いでくれました。殿様はそこまで厳しい状況であれば干魃の被害があった村は全部、年貢を例年の2割減にしてやろうと言ってくれました。また桃たちの村は塩が特産物で、年貢の2割は塩で納めていたのですが、今年は塩の比率を高めてよいというお許しも出ました。
 
殿様はその作物が全滅しそうになった時に、村の女の子の託宣?から湧き水が見つかったという話に興味を持ちました。
 
「その娘に会いたい。連れて参れ」
などと言います。
 
村人たちは困惑したものの、まさか4歳の娘を側室にするなどと言い出したりはすまいと考え、シン・クマの夫婦と庄屋夫婦に連れられ、桃は殿様の城に行くことになりました。
 

「そちはよく失せ物を見つけるそうだな」
と殿様が言います。
 
「はい、よく村の人に頼まれて探し出してくれます」
と庄屋が言います。
 
「それどころか、崖崩れで私が死ぬ所だったのを助けてくれたこともあったんですよ」
と庄屋の妻は言いました。
 
「それはなかなか凄い」
と言ってから殿様は言いました。
 
「桃とやら。余(よ)は実は、将軍様拝領の正宗の銘刀をどこに置いてしまったのか分からなくなり、数日前から探しているのだ。そなた、どこにあるか分からないか?」
 
庄屋やシンはびっくりします。そんな大事なもののありかを尋ねられて、もし桃が見つけきれなかったら、手討ちにされるかもしれません。
 
ところが桃は難無く言いました。
 
「とらのびょうぶのうら」
 
殿様は驚いた顔をすると、その部屋に置かれた虎の屏風の裏を見ます。確かにそこには正宗の銘刀を収めた桐の箱がありました。
 
取り出して中身も確認しました。
 
「桃、そなたは本当に凄い。褒美を取らせよう」
と言い、たくさんの小判を賜りました。
 

桃は5歳になりましたが、ふつうの男の子ならする、袴着(はかまぎ)は、させませんでした。実は男の子用の袴を穿かせてみたのですが、全然似合わないので、やはりやめておこうということにしたのです。
 
その代わり、この年、桃は巫女さんの装束を着けて春祭で舞を舞いました。この舞があまりにも美しく、また神々しく、みんなが見とれていましたし、《神様の反応》がとても良かったのを、宮司をはじめ何人か霊感のある人が感じました。
 
それでこの年は、昨年の不作を補ってあまりあるような豊作になったのです。
 
一方、桃は殿様に完璧に興味を持たれてしまい、度々城に呼び出されました。殿様は桃に失せ物を探させたり、射覆(せきふ*3)をさせたりしましたが、桃は失せ物はすぐ見つけてくれますし、射覆ではピタリと中のものを言い当て、度々褒美をもらいました。しかし桃は殿様からもらった褒美は、一切自分の物にせず、村に寄付して、何かの場合のための蓄えとしました。
 

(*3)射覆(せきふ)とは、箱の中に何か物を入れ、その中身を見ないまま言い当てるゲーム。平安時代に宮中で盛んに行われた。安倍晴明の師でもある賀茂忠行はその名人であった。現代でも占い師の腕試しに行われたりする。
 

桃は七歳になると、他の女の子と同様に「帯解き」をしました。それまでは着物に縫い付けてある細い紐で服をしばっていたのを、その紐を取り外し、大人と同じように、幅の広い帯で締めるようにするものです。桃は可愛い子供サイズの着物を着て帯を締め、お化粧までしてもらって、お祝いの会をしました。
 
桃がいつもその託宣的な力で村人を助けているので、たくさん人が寄ってきてお祝いをしてくれました。
 
殿様まで桃にお祝いを贈ってきたのですが、これについては庄屋やシンは少し心配しました。そして案の定、数日たってからお城からあらためてお使いが来て言ったのです。
 
「七歳になったのなら、城に登らないか? 取り敢えず母君付きの女童になるとよい」
 
これは当然適当な年齢になれば側室に・・・という話でしょう。
 

シンとクマは困りましたし、庄屋さんも困りました。
 
もし桃が実は男の子だなんて言ったら、殿様は怒って何を言い出すか分かりません。
 
それで庄屋さんは殿様に申し上げました。
 
「桃は田舎者で何も教養がないので、今お城にあげましたら、失笑を買うと思います。とりあえず文字を習わせようと思います。それで少し教養ができてからにさせて頂けませんでしょうか?」
 
すると殿様も
「確かに教養が無いと居並ぶ女中たちに馬鹿にされるかも知れんなあ。だったら勉強代をやろう」
 
と言って、桃がたくさんお勉強できるように字を書く手本とか、竹取物語、御伽草子などの子供向けの優しい本までくれました。
 
それで桃は字の勉強をすることになりますが、桃自身、そしてシンも提案して村の子供みんなで字の勉強をするようにしました。
 

1年経った8歳の春、殿様はまた桃にそろそろ城にあがらないか?と言ってきました。そこで庄屋は申し上げました。
 
「桃は何とか字は読み書きできるようになりましたが、管弦などができません。とりあえずお琴など習わせようかと思います。それまで待って頂けませんでしょうか?」
 
すると殿様も
「確かに琴や笛ができぬと、女中達からあれこれ陰で言われるかも知れんなあ。だったら勉強代をやろう」
 
と言って、桃に練習用の箏、高麗笛、胡弓、を下さり、また歌や踊りの師範まで村に派遣しました。
 

1年経った9歳の春、殿様はまた桃にそろそろ城にあがらないか?と言ってきました。そこで庄屋は申し上げました。
 
「桃は何とか字の読み書きや管弦なども覚えてはきましたが、字の勉強もまだまだですし、管弦も一応弾けるという程度で、まだ人にお聴かせできるほどのものではありません。また算術も全然できません。もう少し上達するまでお待ちいただけませんでしょうか?(*4)」
 
「確かに管弦はある程度の腕が無いと、馬鹿にされたりするかも知れんなあ。算術もある程度できた方が良い。ではそれを少し待とう」
 
そう言って、殿様は少し難しい本なども桃に送り、引き続き、琴や笛の師範を派遣し、また算術の師範、ソロバンの師範も派遣して勉強させました。
 

(*4)明治以前の桃太郎の話では、桃太郎が怠け者として描かれている。
 
ある地方の物語では、友人が、薪取りに行こうと誘いに来たら「草履が無いから行かない」と言い、草履を持って来てあげると「しょいこが無いから行かない」と言い、それを持って来てあげると「鎌が無いから行かない」と言い、それも持って来てあげると、仕方なく出かけた、ということになっている。
 
別の地方の物語では1度目は「今日は草鞋を作っているから」2日目は「今日は草鞋の引きそを引くから」3日目は「今日は草鞋の緒を立てるから」と言ってなかなか動こうとしない。
 
今回の殿様からの勧誘を引き延ばすエピソードはこの怠ける桃太郎の話の代わりに入れたものである。
 

更に1年経った10歳の春、殿様は桃にいいかげん城にあがらないか?と言ってきました。そこで庄屋は申し上げました。
 
「桃はかなり本も読むようになりましたし、管弦も何とか人に聞かせられる程度にはなりました。しかし田舎育ちですので、行儀作法が全く分かっておりません。それを学ばせるのにもう少しお時間を頂けませんか?」
 
しかし既に3年も待っている殿様は不機嫌になります。
 
「いったいいつまで桃に勉強をさせているのか?」
「ですからもう少し」
 
かなり押し問答をしている内に殿様はこんなことを言い出しました。
 
「桃に言え。美坂山(みさかやま)に生えている木の数を数えてみよ。それを数えることができたら、1年待ってやると」
 
山に生えている木の数なんて、ひとつひとつ数えて行こうとしても、すぐにどの木を数えたか、まだ数えてないか分からなくなるに決まっています。
 
難題を与えられて困ったなと思いながら庄屋さんは村に戻りました。
 
それで相談するのですが、桃は言いました。
 
「数えられるよ」
「ほんとに?」
「庄屋さん、お金が掛かってもいいから、掌(てのひら)くらいの大きさの布と糊をたくさん用意してください」
 
それで庄屋は村の者たちに言って、たくさん布を出してもらい、それを掌くらいの大きさに切っていきます。それだけでは足りないので、城下の商店などにも頼んで、たくさん用意しました。一方で麦の粉を使ってたくさん糊を作りました。
 

桃が山の中にある木の数を数えると言うので、その日は殿様も見物に来ました。
 
朝から一斉に村人が山に入り、山中の木の幹に糊で布を貼っていきます。作業はけっこうな時間を要し、午後3時頃にやっと終わりました。ここで殿様の配下の侍たちにも協力してもらい貼り付けそこねている木が無いか確認しました。何本か漏れがあったので、新たに貼り付けました。
 
そして翌日はまた村人たちが朝から山に入り、昨日貼り付けた布を回収しました。この作業がまた午後3時くらいまでかかります。そして一通り終わった後、また侍たちにも協力してもらって、外し忘れがないか確認しました。何本か残っているのを発見し、きちんと回収しました。
 
そして3日目、この布を数えたのです。数える時、桃は布を10枚単位でまとめて糸で縛り、それを10組集めて赤い紐でくくり、それを更に10組集めて1000枚単位にしたものを青い紐でくくらせました。それを更に10個単位で集積して10000枚単位にして、そこに札を立てていきました。
 
その結果、布は38万4721枚あることが分かりました。
 
「殿様、申し上げます。美坂山の木は全部で38万4721本です」
 
殿様は本気で感心しました。
 
「美事である。余はますますそなたが欲しくなったぞ」
と嬉しそうに言うと、桃に1年間の猶予をくれました。むろん村人には使用した布の代金に加えて、充分な褒美を取らせました。
 
また庄屋が行儀作法のことを言っていたので、行儀作法の先生も村に派遣して桃に指導させました。またついでに剣術も学ばせようといって、女子の剣術指導に慣れている人を村に寄越してくれました。それで桃は行儀作法に加えて剣術も学ぶことになります。
 
桃はチャンバラみたいなの、嫌だなあと思ったものの、師範が非力な女性の筋力に合わせた指導をしてくれるので、意外に無理なく覚えられました。それで桃はどんどん剣術の腕を上げていきます。村の若者たちも練習相手になってくれましたが、桃がどんどんうまくなるので、その内誰も桃には勝てなくなりました。
 

「ところで殿様、最近沖合の島々を根城にした鬼のような者たちが随分荒らし回っておりまして、村でも食べ物や作物を盗られたり、塩田の土手を壊されたりして困っておりまして。もしよかったら警護のお侍様など出しては頂けませんでしょうか?」
 
と庄屋さんは殿様に言いました。
 
「ああ、その話は聞いていた。塩田を壊されるのは困る。家老に話しておくから、細かいことはそちらと話し合え」
 
「ありがとうございます!」
 
それで家老様と話した所、お侍さんを交代で常時2人くらいずつ、塩田の警備に派遣してもらえることになりました。
 

そしてまた1年経った11歳の春、殿様は桃に今年こそ城にあがらないか?と言ってきました。そこで庄屋は申し上げました。
 
「桃はかなり様々な教養を身につけました。しかし歌や詩を詠んだり(歌は和歌のこと、詩は漢詩のこと)することもできません。そのあたりを勉強させたいので、まだ少し待って頂けませんでしょうか」
 
殿様は不愉快そうに言いました。
 
「だったら桃に言え。黍津池(きびついけ)の水は何斗あるか。数えてみよ。ちゃんと数えたら1年待ってやる」
 
この時、殿様としては山の木の数を数えられたのだから、池の水も数えられるかも知れないと思ったのです。
 
しかし庄屋はそんなの無理だぁと思い、暗い気持ちで村に帰り報告しました。桃は笑顔で言いました。
 
「数えられるよ」
 
それで桃は庄屋夫妻と、村の若者で桃の剣術の練習相手をいつも務めてくれている、猿太郎・鳥助と一緒に城下に出て行きました。
 
昨年は村人総出で来たのに対して今年は少数なので、殿様もおや?と思いましたが、桃は殿様に船を一艘貸して欲しいと頼みました。
 
それで貸し与えると、桃は2人の若者と一緒に船に乗り、船頭をしている猿太郎が船を操って、黍津池のあちこちで錘(おもり)を付けた紐を垂らします。そしてその度に紐に刻んでおいた目盛を見て記録していきます。この作業は1日掛かりましたが、作業が終わった時には予め殿様に用意してもらっていた黍津池の図面の上に沢山の数字が書き込まれていました。
 
翌日、左官をしている鳥助が粘土を練ってなにやら模型のようなものを作りました。桃はその模型のあちこちを物差しで測り、「ここはもっと削って」とか「ここは少し粘土を盛って」とか指示しています。この模型が結局その日の夕方近くまで掛けてできあがりました。
 
そして桃はこの模型の上に水を入れました。そして模型を傾けて水を樽に移します。すると1斗樽1つと7割くらいありました。7割ほどになった樽の水の量を枡できちんと計りました。
 
「殿様、この模型は池の水深を池の中100ヶ所で測って、同じ形に作りました。但し、長さは1000分の1、深さは100分の1にしています。ですから元の池は広さが600間×550間(1090m x 1000m)、深さが10尺(約3m)ほどなのですが、この模型は0.6間×0.55間つまり3.6尺×3.3尺(1.09m x 1.0m) 、深さは1寸(3cm)ほどになっています」
 
「それでこの模型に水を満たし、それを樽に移してから枡で計りましたら、1斗と6升7合2勺つまり16.72升(30.096L)ありました。これを元のサイズに直すのに1億倍すると16億7200万升つまり1672万石ということになります。ですからお殿様、黍津池の水の量は1672万石にございます(*5)」
 
と桃は殿様に言いました。
 
「その1億倍という所がよく分からないのだが」
と殿様は本当に悩むように言います。
 
「たとえば同じ大きさの箱を縦に10個、横に10個、更に上向きに10個積むと10×10×10で1000個になりますでしょう?」
と桃は言う。
 
殿様はしばらく考えていた。
 
「そうか!だから縦1000分の1、横1000分の1、深さ100分の1の模型で計ったら、1000 x 1000 x 100 で 1,0000,0000倍にしなければならないわけか」
 
「はい、そういうことでございます」
と言って桃は微笑んだ。
 

(*5) 長さの単位は10寸で1尺(約30.30cm)、6尺で1間(けん 1.818m)、60間で1町(109m)である。体積の単位は10合で1升(1800cc)、10升で1斗(18L)、10斗で1石(こく 180L=0.18KL)である。1立方m=1KLであることに注意。なお日本の面積の単位は1間×1間が1坪であるものの(1.818m x 1.818m = 3.3m2)、体積の単位は長さの単位との直接的関係が存在しない。1辺1尺の立方体の体積は27.8Lで1斗半ほど(1.546斗)になる。なお琵琶湖の水は27.5km3=1428億石、東京ドームは124万KL=689万石。
 

殿様は考えました。この子は、できたら妻にしたいが、妻でなくても、この子を部下に欲しいと。
 
「そなた、もし他に好きな男がいるとかで、余の妻になるのが気が進まないのであれば、妻にならなくてもよいから、余の部下にならんか?女侍に取り立てて用人(ようにん)にするぞ。取り敢えず、そちに黍津の苗字を授ける」
 
「苗字ありがたく拝領致します。でもすみません。ご奉公はもうしばらくご猶予をください」
「だったら1年後にまたお前を呼ぶぞ」
 
殿様はそう言うと、歌や詩を習いたいと言っていたなと思い、和歌や漢詩の先生を村に派遣しました。
 

そして1年後。桃が12歳の春、殿様は突然村に自らお成りになると、庄屋の家に上がり込み、桃を連れてこいとおっしゃったのでした。
 
庄屋は驚き、急ぎ桃の家に行きます。そしてどうしたらよいものか、シン・クマと相談しました。
 
「もう男の子だというのを言ってしまう?」
とクマは言いますが
 
「それやったら、桃や私たちが手討ちになるのはいいとしても、村にもきっと災禍が降りかかる」
とシンが言います。
 
すると桃は
 
「私が行って、お断りしてくる」
と言い、白い着物を用意してくれるように言います。
 
「白い服って婚礼衣装かい?」
「死に装束よ」
「え〜〜!?」
 
ともかくも桃の言うとおり、シンと庄屋は桃に白い着物を着せると、庄屋の妻が先導して庄屋の屋敷に行きました。
 
桃は殿様の前に出ると平伏して言いました。
 
「殿様、度々のお召しの話を延ばし延ばしにして大変申し訳ありません。しかし私は殿様のご寵愛を受けることはできないのでございます」
 
「やはり言い交わした男がいるのか?」
と殿様が訊きます。
 
「その点に関してはどうか追及しないでください。お気に召さないというのであればこの場で腹を切る覚悟で参りました」
 
「それで白装束か・・・」
と言って殿様は考えます。
 
「だったら、桃、そちに命じる。近年この付近の海岸を荒らし回っている鬼どもを捕らえよ」
 
「はい?」
 
「聞く所によると、そいつらは人間とは思えぬ身の丈で、赤い顔をしていて、人間ではなく鬼ではないかという噂じゃ。言葉も鬼の言葉を話すという。そいつらが沿岸の作物や、網に掛かった魚などを盗ったり、あるいは塩田を壊したりして、甚だ困っている。その鬼どもを捕らえたら、お前の好きな男と結婚してよいぞ。余の所に死ぬ気で来たのであれば、鬼を倒すのも怖くあるまい?」
 
そんなことを言いながら、きっと桃なら何とかすると殿様は考えたのです。
 
「分かりました。鬼を屈服させてきます」
と言って、桃は殿様に頭を下げました。
 
殿様もいったんこの日はお城にお帰りになりました。
 

殿様が帰った後、桃はその《鬼》たちのことを庄屋さんに聞きました。
 
「4−5年前から現れ始めた。最初は普通の海賊だと思ったのだよ。でもどうも見た感じが違っていて」
 
と庄屋さんは言います。
 
「身の丈は7尺近く、赤ら顔だが、仲間には黒い顔の者もあるという。私たちには分からない言葉を話す。とにかく乱暴で網を切ったり、罠を壊したり、塩田の土手を壊したりするのが困る。うちの村の塩田は、警備の侍を派遣してもらってからは、あまり荒されなくなったが、他の村ではまだ荒らされているところがある。本拠地は音古村の沖合にある女護島(おなごしま)だと思う。島の周囲に岩礁が多くて近寄りにくいんだよ。何度か討伐隊を作ったこともあるんだが、その岩礁に阻まれて上陸できなかった。1艘だけ接岸に成功したんだけど、見張りの者に海に放り込まれて退散してきた。最近では鬼が居るというので、女護島(おなごしま)ではなく鬼ヶ島(おにがしま)と呼んでいる者もあるよ」
 
桃はその話を聞き、鬼ヶ島こと女護島の場所を示した地図なども見せてもらいました。そしてしばらく考えていましたが、言いました。
 
「庄屋様の叔父さんに長崎で蘭学を学んだ方がおられましたね?(*6)」
「ああ。犬蔵という奴だけど」
「今どこにおられましたっけ?」
「浪速で医者の弟子をしている」
「その方をちょっと呼んで頂けませんか?」
「医者が必要なのかね?」
 
「ちょっと考えたことがあるんです」
と桃は言った。
 

(*6)この付近は若干のごまかしがある。この物語はだいたい17世紀半ば頃を想定して書いているが、蘭学が起きたのは18世紀末頃である。しかし瀬戸内海地方で入浜式塩田が作られるようになったのは17世紀半ばである。
 

犬蔵は一週間ほどでこちらに来てくれました。彼は桃に同行することに同意してくれます。それで桃と、前回も桃に同行してくれた猿太郎・鳥助を加えた4人で鬼ヶ島に行くことにしました。
 
犬蔵が言いました。
 
「しばらく長崎とか、浪速とかに住んでいたらさ、うちの村の黍団子(きびだんご)が恋しくなってしまって。あれ作ってくれない?」
 
「私が作りますよ」
と桃は微笑んで言い、たくさん黍団子を作ると、同行してくれる3人に配りました。お弁当にも持って行くことにしました。
 
「でもこのメンツは割と強いかも知れんという気がするよ」
と鳥助が言います。
 
「猿は船を操れて、腕っ節が強い。俺は身軽だし工作ごとが得意。犬蔵さんは誰か怪我したら頼れる」
 
「そして実はこの中で桃ちゃんがいちばん剣術が強い」
「ふふふ」
「やはりしっかりした師範に教えられたからだろうなあ。適当にチャンバラで遊んでいた俺や鳥では、桃ちゃんに全くかなわない」
 
「まあ私は腕力では猿ちゃんや鳥ちゃんに全然かなわないけどね」
と桃は言った。
 
「でも桃ちゃんが本当は男だなんてのは、忘れてしまいそうだよ」
と猿太郎が言います。
 
「え!?桃ちゃんって女の子じゃないの?」
と犬蔵が驚いて言います。
 
「それは内緒」
 
「桃ちゃん、実は南蛮渡来の薬で女の子の身体になったのではという噂があるんだけど」
と鳥助。
 
「そんな薬あるのかしら?」
と桃は犬蔵に投げます。
 
「聞いたことない。しかし男を女に変えたり、女を男に変えたりする方法は存在するらしい」
 
「へー!」
 
「私も詳しいことは聞いてない」
 
「それちょっと興味あるなあ」
と桃は言います。
 
「だったら次に長崎に行った時に、和蘭陀(おらんだ)人の医者に尋ねてみるよ」
と犬蔵も言いました。
 

4人は組頭さんも付き添って音古村まで行き、そこの庄屋さんと会って、色々話を聞きました。そして用意してもらった小舟を夜中の3時頃、ちょうど満潮の時刻に漕ぎだして密かに鬼ヶ島へ向かいます。この日は新月で真っ暗闇の上に大潮で暗礁にぶつかりにくい夜でした。つまり鬼ヶ島への侵入を試みるには絶好の夜だったのです。
 
猿太郎は星明かりだけを頼りに、事前に音古村の漁師に教えてもらった岩礁の位置を頭の中に入れて船を漕ぎます。そして4人はこの日は全員真っ黒の服を着ていて、見張りの鬼に見つかりにくいようにしていました。更に猿太郎は村の海岸からまっすぐ鬼ヶ島を目指すのでは無く、より見つかりにくいように鬼ヶ島の横から近づくルートを取りました。
 

30分ほどで猿太郎はうまく鬼ヶ島に船を着けることができました。
 
4人は物音を立てないように密かに船を下ります。島の様子は以前一度討伐隊に参加して、上陸に成功した人が書いてくれた図面で、とにかく門までは分かります。見張りの鬼がひとり居ましたが、桃は後ろからそっと忍び寄り武術師範から習った急所を鋭く突いて気絶させ、力のある猿太郎が用意していたロープで縛り上げ、猿ぐつわも噛ませました。
 
身軽な鳥助が門によじのぼって向こう側に侵入。閂(かんぬき)を開けます。そっと門を開き、他の3人も侵入しました。
 
門の中には小屋のような家が多数建っていましたが、4人はおそらく大将はいちばん奥の小屋に居るのではないかと考え、そちらに向かって進みました。
 
ところがその小屋の入口に手を掛けようとした時
 
「フー?」
みたいな声が聞こえます。見ると1人の鬼がこちらに気付いたようで、剣を抜いて向かってくる所でした。桃は自分も剣を抜くと、相手に峰打ちを当て、倒しました。
 
しかし声をあげられたことから、あちこちで物音がし、多数の鬼たちが出てきました。
 
桃は掛かってくる鬼たちをひとりずつ峰打ちで倒していきます。また桃の背後から襲おうとした鬼を、猿太郎と鳥助が1人ずつ木刀で倒しました。
 

その内「ウェ!」のような声がして、一番奥の小屋から特に大きな体格の鬼が出てきました。
 
「アズ」
みたいな言葉を発して刀を抜きます。
 
その鬼と桃が睨み合います。
 
勝負は一瞬で付きました。
 
鬼が鋭く剣を突いてきたのに対して、桃はさっと身をかわすとカウンターで相手の腹をやはり峰打ちしました。
 
「アルー!」
みたいな声をその鬼はあげました。どうも自分の負けを認めているようです。
 

やっと灯りが灯されます。桃に倒された“鬼”たちがあちこちで倒れて肩や腹あるいは腕などを押さえていました。
 
「あれ?」
と鳥助が声をあげます。
 
「あんたたち、もしかして鬼じゃなくて南蛮人さん?」
 
そこで犬蔵が声を掛けます。
「スプレーク・エー・ネーデルランド?(オランダ語が話せますか?)」
 
すると鬼たちのひとりが手を上げて
「イク・スプレーク(話せるよ)」
と言いました。
 
それで桃と“鬼の大将”は、日本語(犬蔵)オランダ語(ジャック)英語、というリレー通訳で会話することになったのです。
 

犬蔵が鬼の大将ほか、倒された鬼たちの様子を診ましたが、大きな怪我をしているものは居ないようです。打ち身の部分に湿布薬を貼ってあげました。門の外側で気絶させられていた鬼も、解放して気付けしてあげました。
 
「乱暴なことをして申し訳ありませんでした。でも私たちはあなたたちと話し合いたいと思って来たのです。あなたたちは、もしかして船が難破したのですか?」
と桃は言います。
 
「実はそうです。5年ほど前にこの付近を航行している内、暗礁にぶつかってしまって、凄い速度で沈みました。船には50人ほど乗っていたのですが、この島に泳ぎ着いたのは22人だけです」
と“鬼の大将”マイケルは言いました。
 
「こちらの殿様を通じて、将軍様に連絡を取りましょうか?そうしたらきっとオランダ船に同乗して、ジャガタラあたりまで送ってもらえると思いますよ」
 
「おお、それは嬉しい!ぜひお願いしたい。もう故郷には帰られないのだろうか、と嘆いている仲間も多いのです」
 
「ただ、帰る前にここ数年、この付近の村を荒らしたつぐないはしてほしいです。村ではこちらの島に財宝とかを溜め込んでいるという噂もありましたが」
 
「そんなものありませんよ。武器とかは村で拾ったりした物を使っていますが。それに私たちは生きて行くために日々の食糧が欲しかっただけです」
 
「それを取られた人たちも、日々生きて行くための貴重な食糧を取られたんですよ」
 
「・・・すまなかった」
 

桃とマイケルとの話し合いは、3時間以上におよび、船員たちの大半を幕府に救済を訴え、オランダ船でジャガタラまで送ってもらえるように努力すること、そしてその前提条件を作るために、荒らした村に対する補償を労働力で返すという方向で話がまとまります。
 
「でもあれが塩田だとは思わなかった。浜からあんな遠く離れた所にあるから。私たちは塩が欲しかった。土手を壊してしまったことは謝る」
 
「あなたたちの国の塩田は違うの?」
「私たちはもっと海のそばに塩田を作る」
 
桃は犬蔵と顔を見合わせます。
 
「あなたたちの国の塩田の作り方を教えてくれない?」
「いいですよ!」
 

夜が明けた所でマイケルがややアクセントのおかしな“日本語で”言いました。
 
「モモ、あなたオナノヒト(女の人)だったですか?」
 
今まで暗くて相手の性別もよく分からなかったのでしょう。
 
どうも彼は仲間達に会話をちゃんと聞かせるために通訳してもらっていただけで、彼本人は実は日本語がある程度できたようです。
 
桃は額に手をやると、犬蔵とジャックにこれは翻訳しないで欲しいと言った上で、マイケルに言いました。
 
「私は実は男なんですが、魔除けのために女の姿で暮らしているのです。来年13歳になるまではこのままです」
 
「あなた12歳!?嘘!??」
 
どうも彼は桃を18-19歳と思っていたようです。
 
この後、しばらく桃とマイケルはふたりだけで小声で日本語で話しました。
 
「モモ、君はすごくビジ(美人)だ。このままオナ(女)になったら?」
「私は他の男の子に比べて、男としての発達が遅いみたいで、声変わりもまだ来ていない。でもその内、声変わりもして、ヒゲも生えて来たら、もう女としては暮らしていくことはできない」
 
と桃は少し悲しそうに言いました。
 

「それを停めればいい」
「どうやって?」
 
マイケルは更に小さな声で桃に聞きました。
「モモ、あなた玉は付いてる?」
「・・・あるけど」
「それを取っちゃえば男にはならない」
「え!?そうなの?」
「知らなかったのか・・・」
「知らなかった!」
「私が切り落としてやろうか?」
「え〜〜!?」
 
そこに犬蔵が割って入りました。
 
「それを切り落としていいのだったら、私が切ってあげるよ。私は医者だ」
 
「おお、だったら、あなたが切り落としてあげるといい」
とマイケルが嬉しそうに言います。
 

犬蔵は桃に言います。
 
「桃ちゃん、確かに今睾丸を取ってしまえば、君は声変わりもしないし、ヒゲとかスネ毛も生えてこない。でも、男に戻ることもできなくなる。もしそれでもいいなら、取ってしまうけど」
 
桃は少し考えましたが、言いました。
「じゃ、犬蔵さん、それ取って」
「マイケルさん、ちょっと部屋を貸してくれ」
「いいよ」
 
それでマイケルは全員にいったん各々の小屋に戻って待機するように言うと、桃と犬蔵の3人だけで奥の小屋に入りました。
 
着物の裾をめくり、湯文字を解きます。そこには紛う事なき男の印がありました。
 
「しじられない。こな美少女にこなものが付いているなって」
とマイケルが言っています。
 
犬蔵は、マイケルから少しお酒をもらってその付近に吹きかけます。そしてメスで陰嚢を少し切り裂くと、中の玉を取り出して血管を結索した上で玉を切り離しました。もうひとつの玉も取り出して切り離します。そして切開した所を糸で縫い合わせました。
 
「声をあげなかったね。痛かったろうに」
「我慢しました」
「我慢できる所が凄い」
 
「モモ、君は凄い女性だ」
とマイケルが言いました。
 
「こんなものを見ても、私を女と思ってくれるの?」
「君は心がオナの子だ。だから君はオナの子だ」
「そうなのかな・・・」
 
「モモ、私とケッコ(結婚)して欲しいくらいだ」
「え〜〜〜!?」
「いや、本当にそうしたくなった。ぜひ私とケッコして欲しい」
「うっそー!?」
「私がきらい?」
 
そう問われて桃は答えました。
 
「だったら、その塩田の作り方を教えてくれて、被害に遭った村に全部補償したら、結婚してもいい」
「私はニホ(日本)に残るよ。他の仲間たちはみなジャガタラに帰す。でも私はニホに残ってモモと一緒に暮らしながら償いをする」
 
ふたりは見つめ合い、やがて微笑みました。
 

日が高くなってから“鬼たち”は一斉に船に乗って、音古村の岸に着けました。大勢の鬼がやってきたので村はパニックになります。しかし桃は
 
「みなさん、逃げなくてもいいです。鬼さんたちが謝りに来たのです」
と言いました。
 
それで最初に音古村の庄屋さんと、桃たちに付き添ってきていた桃たちの村の組頭さんが前に出ます。マイケルは言いました。
 
「これまで、みなさの村から物を盗だりしてごめなさい。船がナッパ(難破)して食べる物が無くなり、困ったあげく盗ってしまったのです。お詫びにみなさに新しいエデ(塩田)の作り方教えします」
 
庄屋さんたちは顔を見合わせますが、桃たちの口添えもあり、その新しい塩田の作り方というのを見てみることにしました。
 

その頃まで日本で行われていた塩田は《揚浜式塩田》と言い、ひしゃくなどで掬った海水を塩田に振りかけ、天日で水分が蒸発し、濃度の高い海水(鹹水)を作り、最終的にそれを煮詰めて塩を得るものでした。
 
ところがマイケルたちが作ってみせたのは、浜辺近くに堤防付きの塩田を作り、潮の満ち引きを利用して堤防の下に通したパイプから自動的に海水を導入して毛細管現象で海水を塩田に吸い上げるという画期的なものだったのです。揚浜式塩田で海水を撒く作業は重労働だったのですが、この新しい方法《入浜式塩田》ではその労力が無くなり、遙かに楽に塩田を運用することができたのでした。
 
「このやり方で塩田を作ったら、多分今までの5倍の塩が生産できる」
と音古村の庄屋の息子が言いました。
 
「マイケルさん、桃さん、あなたたちは村に財宝を持って来てくれた」
と庄屋さんが言いました。
 

マイケルほか3名が桃たちと一緒に城下まで行くことになりました。その間、難破船員たちはジャックが統率して、決して乱暴を働かないようにさせることにします。その代わり、音古村の村人たちが彼らに食糧を分けてあげることにしました。船員たちは農作業や塩田の作業を手伝いました。
 
桃がマイケルたちと一緒に城下に行き、殿様に面会を願うと、殿様たちはびっくりしました。
 
「殿様、鬼たちを屈服させました。鬼の大将が、殿様に謝りたいと申しましたので連れて参りました(*7)」
と桃は言いました。
 

(*7)桃太郎のバリエーションの中には桃太郎たちが鬼の大将を捕虜にして連れて帰るというものがある。
 

「殿様ですか?私、マイケルと申します。実は船がナッパ(難破)してそのあと食べ物に困って村々から盗でいました。お詫びに、たくさ塩作れる塩田の造り方教えします」
とマイケルが言いました。
 
「鬼というのは南蛮人であったのか!」
と殿様は驚きました。
 
実際にマイケルたちが音古村に作った入浜式塩田を殿様たちにも見てもらいます。桃がマイケルたちから聞いた新しい塩田の仕組みを説明すると殿様も
 
「これは凄い」
と言ってくれました。
 
「これぞ鬼の財宝ですな」
と家老様も言います。
 
「これをこの海岸沿いで塩田を作っている全ての村に作らせましょう。それはこの国に大きな富をもたらします」
と桃は言いましたた。
 
「うむ。さっそくやろう」
 
それで殿様はマイケルたちに他にも新方式の塩田を作らせるとともに、その様子を全ての海岸沿いの村の者に見学させました。
 
藩内の塩田全ての改造には3年以上の時間を要しましたが、新方式の塩田は少ない人手で運用できるため、これまでの3倍から5倍の塩田を作ることができ、塩の生産量が飛躍的に上がって、この藩の名産となっていくのでした。
 
またマイケルは村々がしばしば水不足に悩んでいると聞くと
「目の前に海があるのに!」
 
と言って、海水を真水に変える仕掛けも作ってみせました。まずガラスの板を多数製造します。実はガラスの材料というのは、割とその付近にたくさんあるのです。主材料の珪砂は砂浜から取り放題でした。マイケルはその板ガラスを絶妙な傾斜で塩田の上に並べました。そして傾斜の下端になる数ヶ所にジョウゴを置き、そこから管で大きな樽に蒸留水が溜まるように導きました。
 
この工夫をした塩田は、製造コストは掛かるものの、雨が降っても鹹水が薄まらず、塩の生産能力も上がりました。
 

新しい塩田作りが進む中、マイケルは殿様に言いました。
 
「この塩田作りが落ち着いたら、将軍様にお願いして、船員たちをジャガタラあたりに帰して頂けないでしょうか?」
 
殿様は考えてから言いました。
 
「そなたたちは充分盗みの償いをしてくれた。だから単純な遭難者として処遇すれば、上様もきっとそなたたちを帰すのは許してくれるだろう。次に江戸に参る時に、余に同行せよ」
 
「ありがとうございます」
 
「全員帰るのか?」
「私は日本に残りたいと思います。殿様、私にあなたの国の民としての人別を頂けませんか?」
「よい。余の国の民としよう。武士に取り立てるから塩作りの指導をしてくれ」
「ありがとうございます。それともうひとつお願いがあるのですが」
 
「何じゃ?」
「桃殿を、私に下さいませんでしょうか?」
「何だと?」
 
殿様が明らかに怒ったような顔をしたので、桃はこれはまずかったかなと思ったのですが、やがて殿様は言いました。
 
「桃殿を女侍として、余の用人にする。それでもよければ、そなたの妻にせよ」
「ありがとうございます」
とマイケルが言い、桃もしずかに殿様に頭を下げました。
 
「ところで桃よ、お前この南蛮人ともう寝たのか?」
「殿様、男女のことは詮索無しですよ」
「しかし気になるではないか。お前は一度は余の妻にしたいと思った女だ」
「恥ずかしい所は見せてしまいましたよ」
 
「そうか。それは残念だ」
と殿様は本当に残念そうに言いました。マイケルも桃もそれを見て微笑みました。
 
マイケルはその年の参勤交代で殿様と一緒に江戸に赴き、将軍様直々に船員を送還する許可を得ました。それでマイケル以外の船員たちは翌年長崎に移動し、そこからジャガタラに送り届けられました。
 
そして・・・マイケルが国→江戸→国→長崎→国と移動している間に、桃は本当の女の身体に変わっていました。
 
実は13年前にシンとクマが若返るとともに性別が逆転した時の桃の《種》をシンは取っていたのですが、お殿様から度々桃にお輿入れの要求がなされるようになり、ふと思いついて桃が8歳の時にあの種を庭に植えてみたのでした。桃は2本無いと受粉できないので、もう1本は普通の桃の種を植えました。普通の桃は3年も経つと立派な木になりましたが、例の桃は昨年やっと普通のサイズまで成長し、今年初めて実を付けました。その実を15歳になった桃に食べさせた所、女の身体に変わってしまったのです。
 
「うっそー。おちんちんが無くなって、女みたいな形になっちゃった」
「女みたいな形じゃなくて、お前、本当に女になったんだよ」
「おっぱいも大きくなったし」
「女だから」
 
この桃のことをシンはクマにも秘密にしました。それにこの桃の木には実が年に1つしか実らないようでした。シンは毎年その木に実がなると、誰かが誤って食べないように、すぐに廃棄するようにしました。
 

全てが一段落した所で、マイケルは黍津真池の名前で日本国籍を与えられ、塩担当の侍頭となりました。そして既に女侍に取り立てられ殿様の傍に仕える用人として務めていた桃と結婚式をあげ、一緒に殿様に仕えたのです。ふたりがいつも仲良くしているので、殿様は嫉妬を感じながらも、桃の知恵と霊感を藩政に役立てていったのでした。
 
桃は結婚して1年後、17歳の年に可愛い男の子を産みました。桃はその子に自分の元々の名前であった桃太郎という名前を付けました。桃はこの子を産んだ時、産む前日まで仕事をしていて、産んだ1週間後には仕事に復帰して、周囲を驚かせました。
 
桃の両親が桃太郎の顔を見るために村から城下に出てきた時、桃は言いました。
 
「まあ私は女だてらに侍になってしまったけど、男の侍並みに頑張るつもり。だからお産の前後もほとんど休まなかった」
 
「男並みにって、お前元々は男だったのに」
「そういえばそうだったかな」
と言って桃はさも可笑しそうに笑っていました。
 
 
目次

【桃で生まれた桃】(1)