【続・夏の日の想い出】(1)

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私は高校を卒業して大学に入るのと同時に、アパートを借りてひとり暮らしを始め、同時にフルタイム女装生活を始めた。高校2年の時に同じクラブの政子と組んでやっていた「ローズ+リリー」という『女子高生歌手デュオ』の時に覚えた女装の味がもう忘れられないものとなっていた。ローズ+リリーの活動は2年生の12月で終わってしまったが、それ以降の1年ちょっとを男子高校生として過ごしてしまった反動が、私を完全女装生活に走らせてしまったのだった。
 
髪の毛に関しては実は高2の3学期から伸ばし始めていた。男子の基準ではそんなに長い髪は校則違反になるのだが、ローズ+リリーの騒動のおかげで、私はGIDのようだということを学校側が認識してくれて、女子の髪の毛の基準を準用してくれて「伸ばすのならちゃんとまとめておけ」とだけ言われていた。そこで大学に入る頃には、私は胸くらいまでの長さの髪を維持していた。この長い髪は私が日常生活で女としてパスするのに大いに役立った。
 
ローズ+リリーの活動で得たお金はかなりのもので、所得税を払い、今年払うべき住民税を除外しても相当のものであった。私はその中から大学の入学金・前期授業料、アパートの敷金とか引越費用とかを払ったが、その他に春休みの内にやっちゃえと思い、ヒゲと足のレーザー脱毛をした。ローズ+リリーをしていた頃から、私はヒゲは剃らずに抜くようにしていたのだけど、その処理には毎朝30分くらい掛かっていた。この時間がもったいないし、やはり抜くだけでは(剃るのよりはマシだけど)完全にきれいにはならないので、脱毛することにしたのだった。
 
3月の内に美容外科で脱毛をして、直後に必要な「引きこもり期間」は自宅でエレクトーンの練習三昧をしていた。
 
私はピアノとかエレクトーンとかを習ったことはそれまで無かったのだけど、姉がエレクトーン教室に通っていて、家に1台エレクトーンがあったので、小さい頃からしばしば自己流で弾いていた。「ローズ+リリー」の活動では私は基本的に歌だけ歌っていたのだけど、時にキーボードを弾くこともあったので、一度きちんと習っておこうと思い、高3の4月からエレクトーン教室に通っていた。夏に8級グレードを取って(9級は受ける必要無いと言われた)現在は6級程度の力はあるつもりだったが大学受験があったので7級グレードの受験は少し先延ばししていた。春休みの間は大学受験で少し練習不足になっていた分を弾き込んで勘を取り戻したのであった。(7級は結局5月,6級は9月に取得)
 
なおエレクトーン本体は教室に通い始めた頃は姉が使っていた古いHS-8を弾いていたのだが、高3の夏に最新のSTAGEAを自分専用に購入していた。
 
政子とはむろんずっと仲良くしていたし、高校卒業後も毎日電話で話していたのだが、春休みに脱毛の引き籠もり期間が終わってから会った時、こんなことを言われた。
 
「久しぶりに冬のそういう女っぽい格好見たな」
「学生服で通学していた1年ちょっとの反動かな。女でありたい自分を学生服というもので押さえつけてた感じがして」
「だから女子制服で通学すれば?って、いつも言ってたじゃん」
「うん、まあ」
 
「お化粧しないの?」
「うーん。してこようかと思ったんだけど、していいのかなって迷っちゃって」
「迷うことないでしょ?」
「いや、実はあまり自信が無い」
「教えてあげようか?」
「そだねー」
 
「ところで脱毛をした感じはどう?」
「毎日処理をしなくて済むのはとっても楽」
「へー。痛くなかった?」
「レーザー打たれる時は殴られるような感じ。でもその時だけだし」
「ふーん。私も足の脱毛しちゃおうかなあ」
 
「やっちゃえ、やっちゃえ。ただやっとあと1週間くらいはスカート穿けないよ」
「それはいいや。でも顔の脱毛だと1週間引きこもらざるをえないわけか」
「うん。あれはとても人前に出られない。大きなマスクして買物だけ行ってたけどね」
「ほんとに怪しい人みたいだ」
 
ローズ+リリーの騒動でタイから帰国してしばらく政子と一緒に暮らしていた政子の母は、政子が大学に合格すると、大学生になったら自己責任だけど、あまり羽目を外しすぎないようにね、と言って夫が長期出張中のタイに戻っていった。まだあと2〜3年は向こうでの仕事が続くらしい。私達は大学に入ってからも頻繁に会って、いろいろな話をしていた。政子の家にお泊まりして夜通し話していることもあった。(むろんお泊まりしても『女の子同士』だから男女の仲になることはない)
 
「私受験勉強中、なんか詩ばかり書いていた。たくさん勉強しなきゃいけないような時に限って詩が浮かぶんだよね。冬に即FAXしたもの以外にもかなり出来ちゃって」
「見せて。それに曲を付けてみたい」
政子が詩のノートを取り出し渡してくれた。
 
「ほんとにたくさん書いてるね」
「曲付けてくれたら、一緒に歌おうか。公開しちゃったりして?」
「また歌って録音しようよ。でも公開しようって気になってきたんだ?」
「実はまだちょっと自信無い」
「まあ無理せず少しずつやっていこう」
「うん」
 
「でも、あれやはり楽しかったなあ、とは最近思うんだよね。自分が歌っている所を見られてるのって快感じゃん」
「ふふふ。ハマるよね」
「消耗も激しかったけどね」
「まあ、あれはハードスケジュールすぎたね」
「しかし、私たち大学に入ったし、須藤さん、そろそろ接触してくるかな?」
 
ローズ+リリーの音源制作からプロモーションまでの全てを担当していた須藤さんはあの騒動の直後、責任を取る形で事務所を辞めていた。しかし1年を経過した今年の2月に自分の事務所を設立していた。そのことを私たちは須藤さんのプログを見て知っていた。
 
「たぶん、あと少ししたら」
 
須藤さんの私たちへの接触は6月以降になることをボクは複数の筋からの情報で知っていたのだが、それを政子に言ってしまうと、秘密を守るという概念の無い政子はまだ諦めずに私たちを勧誘している事務所の人に言ってしまう危険があるので、そういう話はできない。
 
須藤さんが事務所を設立するまでの1年間は(辞める時に退職金はもらったのでそれを元手にして)全国を旅しながら過ごし、各地のライブハウスをのぞいたり、スナックでカラオケの上手い人を探したりしていたらしい。有望な人には音源制作の手伝いをしてあげたりもして、プロモーションなどが必要な場合には前の事務所に紹介したりしていたとブログで読んだ。ただ、そうそう売れるアーティストはなかなかいないようであった。前の事務所との資本的な関係は無いようであるが、結果的にむこうの友好会社のような形になっているみたいだ。
 
「でもミニスカート随分穿いたなあ」
と政子は当時の写真のアルパムをめくりながら言った。
「あはは。私も当時の反動で膝丈のスカートばかり」
「でも、このミニスカート姿の冬って、凄く可愛いよね」
「マーサだって可愛いじゃん」
「ふふ・・・ね?冬、高校卒業するまでは手術しないってお父さんとの約束だったんでしょ? そしたら、この後、少しずつ身体改造していくの?女の子になるのに」
「喉仏は声に影響出したくないし、もともと私のってそんなに目立たないし、いじらないつもり。下のほうはまだいじる勇気ない。今迷ってるのがおっぱいなんだよね」
 
「やっちゃったら?シリコンいったん入れても後から抜くことできるし」
「ははは。そういう気はするのよね。ただ単純にシリコン入れても乳首はそのままだから。乳首大きくするにはホルモン飲むしかない。でもホルモン飲めばもう男は辞めることになる」
「男として仕事したり、結婚したりする気あるの?」
「全然。あり得ないと思う。ただ女として就職するのとか厳しいだろうなとは思うけどね。といって男装して仕事というのもあまりしたくないけど」
 
「戸籍が男だからって男として就職しようとする方が無理。冬、身体は未改造であっても、中身として女の子であったら、女としてしか就職できないと思う。冬の場合、男として就職するほうが性別詐称だよ」
「そう思う?」
「ってか、冬が背広着て就活なんてしようとしたら、速攻で射殺するからね」
「ああ、それみんなから言われる」
 
「当然。まだ自分の性別で迷ってるの?」
「迷ってはいないつもりだけど、まだ微妙な部分もあって」
 
「だから、この1年間、学生服なんか着てたんでしょ?」
「そうだね」
 
「もうそろそろ思い切らなくちゃ。中途半端な状態では仕事先なんてないよ。日本ってわりと性別については寛容だけど、男か女かどちらかには決めないといけない。中間というのは許容してくれないんだ。私も申し訳ないけど冬のことは女の子だと思って、ここ3年間付き合ってきたよ。今更男の子かもとか言われたら困る」
「私も自分が男の子かもとは思ったりしない。自分は女の子というのは確信してる」
「じゃ。迷う必要ないね」
「そうか・・・・」
 

こうやって政子に少し煽られるような感じで、女としての道を歩んでいく決断をした私は女性ホルモンを飲み始め、5月には豊胸手術を、6月には去勢手術をしてしまった。去勢まですることにしたことにはさすがの政子も驚いていた。
 
「おっぱい大きくしたらさ、女としての自覚ができちゃって、もう自分に男性機能が付いていることが許せない気分になっちゃったのよ」と私は政子に言った。政子は手術に付き添いをしてくれた。
 
私は豊胸手術も去勢も一応母には事前に言った。豊胸についてはかなり理解を示してくれた母も、去勢については何度も考え直さない?と言われたけど、自分はもう男には戻れないといって説得した。ただこういったことを勝手になしくずしにやってしまうのではなく、事前に相談してくれたのは嬉しいと母は言っていた。
 
須藤さんから接触があったのは、私が去勢手術をした翌週だった。私は政子と一緒に、都内の小料理屋さんの個室で、須藤さんに会った。
「高校生だとファミレスとかがいいのかも知れないけど、もうふたりとも大学生だからね。こういう場所もいいかなと思って」
もちろん須藤さんは未成年の私達にお酒は勧めたりしない。須藤さん自身もウーロン茶を飲んでいる。
 
「ふたりが同じ大学に合格したことは佐々木さんから聞いてたんだけどさ」
と須藤さんは切り出した。佐々木さんは同じ学校の1年後輩で、あの事務所のバイトでイベントの設営をしているのである。
「合格後にすぐ接触したかったんだけど、あちらとの約束で、ローズ+リリーが終わってから1年間はふたりやその家族には接触できないことになってたの」
「ああ」
 
ローズ+リリーの実際の活動は高2の12月で終わったが、シングルが1月に、そしてレコード会社が編集したベスト盤が6月に出たのであった。
「昨日がベスト盤が出てちょうど1年の日だったから今日、政子ちゃんちに電話したのよ」
「なるほど」
 
「須藤さんのことは私達もよく話してましたよ。ご自身の事務所を設立なさったのはブログ見て知っていたので。頑張っておられるみたいですね。関わっているアーティストも全国で30組くらいですよね」
 
「あそこに名前出てない人で、音源制作の手伝いだけした人とかもけっこういるんだけどね。ただ今の所、全くお金にはなってないけどね。責任持って売れる状態じゃないから、専属契約にもしてない。みんな委託契約。スタッフもいないしね」
 
「人を雇ったら固定費で出て行きますからね」
「うん。そうなの。でさ」
「はい」
 
「単刀直入に。またやる気ない?」
「私はまだパスだけど、冬子はやる気あるみたい」
「私、やりたいです」
「よし、やろう」
 
私の再デビューは、そういう単純な会話で決まったのだった。
 
私は政子がここしばらく書きためた詩があり、それに私が曲を付けて、ふたりで歌い録音したものがあることを言った。須藤さんが興味を示したのでMP3化したデータを入れたUSBメモリーを渡した。
 
「聴いてみるね。政子ちゃんのほうはやらないにしても、どうにかした形で使いたいなあ。以前書いてもらって編曲もしてもらったまま録音してなかった『あの街角で』もあるしね」
「ええ。それも歌って、そのデータの中に入れてますから」
 
「ありがとう。結局さ」
「はい」
「昔はCDという形でプレスしないといけなかったから50曲発表したい曲があっても10曲くらいに絞ってアルバムという形で発売してたのだけど、今はダウンロードだからね。売れる売れない関係無く50曲全部登録できるんだよね。最低限の品質があるものであれば」
 
「なるほど」
「だから、この曲もどこかのタイミングで発売しよう。その時はスタジオで録り直したいけど、それには政子ちゃんも参加してくれる?」
「ええ、そのくらいは構いません」
 
「でも私がやらずに冬子だけやるとしたら、ソロ歌手で売る形になるんでしょうか」
「政子ちゃんだけやると言われた場合はその形にするつもりだった。アイドルに近い形だよね」
「あはは。またミニスカ−トとか穿くことになったのか」
「ふふふ。冬子ちゃんだけやると言われた場合は、バンドにするつもりでいた」
「バンド?」
 
「目を付けてるバンドがあるんだよね。ボーカルが他のメンバーと喧嘩して脱退しちゃって。とりあえずリーダーの人が歌っているのだけど、演奏はプロ級でも歌はプロ級には遠くてね。向こうからもボーカルのいい人がいたら紹介してほしいと言われてたんだ」
「へー」
「数人の候補は考えていたんだけど、冬子ちゃんが使えるなら、今度向こうに打診してみて同意してもらえたら引き合わせる」
「いろいろシミュレーションしてたんですね」
「うん」
 
「ところで冬子ちゃんのその胸はもしかしてホンモノ?」
「はい。先月豊胸手術しました。いきなりDカップになって少し戸惑ったけどだいぶ慣れてきました」
「そうなんですよ。私より大きくしちゃって。ちょっと嫉妬してます」
「私よりも大きいかもね。女性ホルモンもやってるよね」
「はい。分かりました?」
「男の子の体臭がしないから。もしかして性転換手術とかもしちゃってる?」
「いえ、それはまだです。でも去勢は先週しちゃった」
「おお。そしたらもう男の子ではなくなったんだ」
「はい」
 
「冬子はもう女の子ですよ。割れ目ちゃんもありますから」
「え?」
「去勢するのと同時に女の子の股間を形成してもらったんです。大陰唇・小陰唇作ってもらいました。棒状の器官はまだ付いているけど、中に隠せるんですよね」
「私、見て確認しました。きれいに収まっちゃうから、しっかり閉じている限り女の子にしか見えない」
 
「手術の傷跡が生々しいから見せたくなかったんだけど、政子がそれでも見たいというから見せました」
と私は苦笑いしながら言った。
「ということは女湯に入るような仕事もできるな」
などと須藤さんが言う。
「温泉レポートみたいなのですか?」
「ふふふ。もしかしたらやってもらうかも」
「あはは」
 
私たちはその場で芸能活動に関する契約書を渡された。
 
「ああ、委託契約なんですね?」
「うん。私自身が事務所設立してから、ここまで関わってきたアーティストとみんな委託契約でやってきているので、それもいいかなと思ったのと、実は先日から、君たちに接触するつもりですというのを△△社の津田社長に言ってたら、委託契約の形でないと、マリちゃんとの契約は難しいよと言われてね」
と須藤さんは言う。
 
「政子のお父さんが、高2の時みたいなハードスケジュールでの活動というのに難色を示しているんです。のんびりと自分たちのペースでやるのは構わない感じに軟化してきているので。ですから、ローズ+リリーというのは私と政子のふたりのクラブ活動みたいな感じで捉えてもらえるたらと思ってます」
と私は説明した。
 
「うん。津田さんからもそう言われて。そうそう。ふたりで会社作ったのね?」
「節税で。昨年恐ろしい金額の所得税払ったから」
「税金で半分持って行かれたでしょ?」
 
「ひどいですよね〜、あの税額は。一応、それで私たちの著作権とかもそこの会社の管理にしているので、実際には、その枠組みを使って、そこと須藤さんのUTP(宇都宮プロジェクト)の間の委託契約にしてもらえるとスッキリすると思います。実際に私たちのCD作る時も、そこからお金を出した方がいいかな、と」
 
「ああ、それはこちらも助かるな。ローズ+リリーのCD出すのに、セミプロのCDみたいに200万くらいでチョチョイと作る訳には行かないから」
「2000万くらいまではすぐ出せますよ」
「あんたたち、そんなに稼いだんだっけ!?」
 

高2の時に、保護者の同意無しで活動していたことから、突然の活動停止に追い込まれたことから、今回はちゃんと双方の親の同意を取ってからしようということになる。
 
「承認取れると思う?」
「たぶん大丈夫だと思います。母に頼んでみます」
 
母は私がまた相談したいことがあると連絡すると
「今度はどこいじるの?」
と言ったが、芸能活動を再開したいので、契約書にハンコが欲しいというと、
「それならいいよ」
と快諾してくれた。
「女の子の格好で歌うの?」
「男の子の格好で歌うわけない」
「そうだよね。なんかその方が想像できないよ、私も」
 
母は、わざわざこちらに出てきてくれて、同意書を書いてくれた。
 
「いつもこういう格好なの?」
母がアパートを訪ねてきた時、私はフリルのついたTシャツに膝丈のスカートを穿いていた。
「うん。だいたいこんな感じ」
「大学にもそれで行ってるの?」
「うん。男の子の服とか持ってないし」
「今更だけど、後悔しないよね、こういう生き方をすることにして」
「うん」
「それなら私も娘を授かったんだと思うことにする」
「ありがとう」
 
「再デビューしたいから、あちこち身体をいじったの?」
「ううん。それとは無関係。自分はやはり女なんだなって確信したから中途半端はやめて、ちゃんと女の子になろうと思ったの。須藤さんからはこないだの手術の後で初めて連絡があったんだ。1年前にローズ+リリーのベストアルバムが出たのが、ローズ+リリーの活動の最後だったから、それから1年間、須藤さんは私達と接触できない約束だったらしい」
 
「へー。須藤さんには悪いことしたしね。毎日テレビとかで叩かれてたし、結局あれで会社辞めたんだから」
「うん。少しお返ししないと」
「また中田さんとやるの?」
「もちろん。でもそちらは以前みたいに派手に売ったりせずに、マイペースで。私と政子とのクラブ活動みたいな感じで。私の方はもっと活動したいから、別途バンドと組まないかって言われてる」
 
「誰かと組むんだったら、相手はいい人だといいね」
「うん」
 

翌週の土曜のお昼過ぎ、私は久しぶりに私が実際に歌っているところが聴きたいといわれて、都内のカラオケ屋さんで須藤さんと会った。27〜28歳くらいの感じの男性を連れている。背広を着ていたので、どういう関係の人だろう?と思った。この業界で背広を着ている男性というのは珍しい。
 
「初めまして。唐本冬子と申します。芸名はケイです」
と名乗ったが、男性は「うん、聞いてる」とだけ言った。うーん。ふつうこっちが名乗ったら、そっちも名乗らないか?まあいいけど。
 
最初にカラオケにも入っているしといわれてローズ+リリーの最後の曲である「甘い蜜」を歌った。それから高音が聞きたいと言われてユーリズミックスの「There must be an Angel」を歌った。曲の最初にある高音のスキャットを私が無難に歌うと背広の男性が「ヒューッ」と声を上げて笑顔になった。
 
歌い終わったらその男性が楽譜を取り出し
「初見でこれ歌える?」
という。
「1分ください」と言って私は譜面を急いで最後まで読んだ。
「Love Faraway」というタイトルが付いている。歌詞まで読まなかったけど失恋の歌かな?
 
あまり難しいコード進行は無かった。歌えそう。
「行きます。ちょっと音取ります」
 
私は携帯のピアノアプリを起動して最初の音を取ると、歌い始める。途中1ヶ所引っかかったものの、すぐやり直してなんとか最後まで歌いきることができた。
 
パチパチパチと須藤さんも背広の男性も拍手している。
「初見でここまで歌えるってすげー」
「どう気に入った?」
「まあ。でも、ふつうに女の子ですね。この子」
「でしょ。ふつうの女の子と思って接すればいいよ。ちなみに既に男性としての機能は存在しないから」
「ああ、そうなんですか」
「最終的な手術はまだだけどね」
「あの、すみません、こちらの方は?」
「ごめんね。紹介が後になっちゃって。こちらはね。都内で活動しているクォーツというバンドのリーダーで槇村博司さん」
「マキでいいわ。俺オカマは嫌いだけど、あんたは女の子にしか見えないから女の子だと思うことにする」
 
「それはどうも」と私は営業用スマイルで応じる。「あ。もしかして?」
「うん。この人たちのバンドと組んでもらえないかなと思ってね。取り敢えずリーダーに引き合わせたの。リーダーには気に入ってもらえたみたいだから、あとで他のメンバーとも合流して一度セッションしてみましょう」
 
「まあ、気に入ったとまでは言わないにしても、俺よりは歌うまいな」
「ありがとうございます」
あはは、この人個性強そう。変人っぽいな、と私はその時思った。
 

私はその場であと何曲かカラオケで歌を歌ったあと、ルノアールで3人一緒にコーヒーと軽食を取り、夕方貸しスタジオに入った。
マキさんが待機していた2人の男性と「おっす」と言って挨拶を交わしている。ああ、こういう感じの男の子同士の付き合いって、私苦手だったなあ、などと思った。やはり私は女の子になっちゃって正解だったんだろうな。
 
「さて、と紹介」と須藤さん。
「こちらはローズ+リリーのリードボーカルのケイさん」
「よろしくお願いします。ケイです」
「こちらは、クォーツのメンバーで、リーダーでベースのマキさん」
マキさんは声は出さずに手だけ挙げる。
「ギターのタカさん」「よろしく〜実は俺ローズ+リリーのCD全部持ってる」
「わあ、ありがとうございます」
「そしてキーボードあるいはドラムスのサトさん」
「よろしく。写真とかで見たのより可愛いな」
「ありがとうございます」
 
「じゃ、とりあえず合わせてみましょうか。昼間初見で歌ってもらった曲、Love faraway やってみよう」
「はい」
まず音合わせをし、マキさんの「ワン、ツー、スリー、フォー」という声から前奏が始まる。私は2度目なので、歌の表情などにも気を配りながら歌うことができた。3番まで歌って終了となった。須藤さんが拍手をする。クォーツのメンバーも、私も、お互いに拍手をする。マキさんも少し面倒くさそうにではあるが拍手をしていた。
 
「カズのボーカルで演奏したのとは別の歌みたいだ」
とサトさんが言った。
「うん。男性ボーカルと女性ボーカルで、歌詞の意味から変わるね、この曲」
と須藤さん。
「こっちのほうがこの曲に合ってるよ」
とタカさん。
「うん。俺もそれに同意だ。こんな良い雰囲気の曲になるとは思わなかった」
とマキさん。
 
こういう感じで、「ローズクォーツ」の最初の演奏はとても和やかな雰囲気で行われたのであった。(この時点ではまだ新しいユニットの名前は決まっていなかった)
 

週明けの月曜日、私は須藤さんと一緒に、前の事務所を訪れ、社長の津田さんに面会した。
 
「ごぶさたしておりました」
「うん。久しぶり。元気そうだね。でも大学に入ったらかなり色っぽくなった感じだね。以前は爽やかな女子高生という感じだったけど」
などと言われる。
 
「ありがとうございます。愛人契約なら月500万くらいで考えます」
「あはは。でもあの時、君には毎月そのくらい稼いでもらったからなあ。それに君たちのおかげで、うちに売り込んで来る人もたくさん出て、今メジャーで売っているのが3組。特にピューリーズは今好調でね」
 
「ええ。私もピューリーズの音源、毎回ダウンロードしてます。kazu-manaも、ヤヨイもよく聴いてますよ。あとまだインディーズだけど、市ノ瀬遥香さんにも注目しています」
「ありがとう。市ノ瀬君に目を付けるとはさすがだね。彼女は年末くらいにメジャーデビューさせようと思ってる」
「わあ、すごい」
「まだオフレコだよ。でまあ、そういうわけで、須藤君から君と契約したいと聞いてこちらは異存無いということで了承したから」
「ありがとうございます」
 
「名称の使用について許可を取ろうとしたら、それはケイちゃんに聞けと言われた」
と須藤さん。
 
「えっと、それは先日も言ったと思うのですが」
とボクは困ったような顔で説明する。須藤さん、全然話を聞いてないじゃん!
 
「ローズ+リリー、ケイ、マリ、マリ&ケイ、に関する一切の権利は、現在、私と政子の会社、サマーガールズ出版に属しています」
 
そうなった経緯を説明しようとすると、かなりの時間が掛かるので私は結論だけを言った。
 
「なんか1年半仕事離れていた間に状況がいろいろ変わってるなあ」
などと須藤さんは言っている。
 
「あ、それでローズ+リリーがうちのアーティストとして活動していた時に歌っていた歌をそちらで歌うのも全然構わないから」
と津田さんは親切にも追加して言う。
 
「ありがとうございます」
「社長、『あの街角で』のアレンジを下川先生にお願いしてスコア譜まで頂いていたのを、結局収録していないのですが、あの編曲の使用権は買い取らせてもらえますか?」
と須藤さん。
 
「あ。いいよ。じゃ3億円くらいで」
「了解です。明日にも振り込んでおきます」
なかなか景気の良い話である!
 
昔の八百屋さんで「はい、500万円」「じゃお釣り23万円」みたいなやりとりをしていたようなノリだ。ボクは時々津田さんの年齢疑惑を感じることがあった。50歳くらいの筈だが、70代の人みたいな発言がしばしばある。
 
「ところで、性転換手術はしたの?」
などと社長から聞かれる。
「いえ、まだです」
と私は焦りながら答える。
 
「手術したくなって手術代なかったら出してあげるから。病院も紹介してあげるよ」
「あ、ありがとうございます」
私は困ったような顔で答える。
 
「でもフルタイムになりました」
「フルタイム?」
「1日24時間・週7日、女の子の格好で過ごしてます」
「なるほど、少なくとも『趣味の女装』ではなくなったわけだ」
「はい」
と私はにこやかに答えた。
 
「身体も少し改造しました」
「あ、その胸はやはりホンモノ?」
「はい。バスト92のDカップです」
「おお、写真集でも出したい感じだね」
「そのあたりは来年くらいにやりたいんですよ。写真自体は実力派の写真家に撮ってもらっておきます。でも当面は中身重視で売っていきたいなと思ってて。セールスとしては低くなっちゃうかも知れないけど」
「うん、そのあたりは須藤君に任せる」
 

翌日はレコード会社も訪問して、ローズ+リリー担当の南さんや、その上司の加藤課長・町添部長にも挨拶をしてきた。ローズ+リリーと★★レコードの契約は一応昨年12月で切れていたのだが、新しいユニットの演奏や、ローズ+リリーの新音源などについてもそちらでまた扱ってもらえることになり、近いうちに契約書を交わそうということになる。
 
その翌日はローズ+リリーに楽曲を提供してくれていた作曲家の上島先生と、編曲をしてくれていた下川先生の所にも挨拶に行く予定だったのだが、なんとその前夜、上島先生から直接私の携帯に電話が掛かってきた。
 
「いやちょうど今日の夕方★★レコードに所用で寄ったら町添さんから君の再デビューの話を聞いてね。君の携帯の番号を教えてもらって電話した。再デビューおめでとう」
「ありがとうございます。先生にはたくさんお世話になったのに、後味の悪い辞め方をして申し訳なく思っておりました。明日ご挨拶にお伺いする予定だったのですが」
 
「いや、それは全然構わない。ただ君にはもっともっと曲を提供したかったなと思ってたからそれが残念だったけどね。それでさ、君の再デビューの祝電代わりに1曲書いてみたから。良かったら使ってよ」
「わあ、ありがとうございます」
 
翌日お伺いした時にでもいいと言ったのだが、上島先生はすぐにも私にその曲を見せたいらしく、メールアドレスをお教えしたら、すぐにメールで楽譜のPDFとMIDIを送ってきてくださった。『萌える想い』というちょっとテクノ調の曲であった。とりあえずそのMIDIを再生しながら歌い、MP3にして送り返したら「うーん、やはり君の歌はいいね!」などというお返事を頂いた。
 
翌日実際に上島先生のお宅を訪問すると、先生はたくさん話したかったようで何時間もしゃべり続けた。そのあと下川先生のところに行く予定だったので須藤さんは冷や汗を掻いていたが、お話を停めるわけにも行かない。トイレに中座して下川先生のところに連絡を入れたら、向こうは笑って、じゃ僕がそちらに行く、といわれたということで、ほどなく下川先生が上島先生のところにやってきた。結局、その日は明け方まで、話が続いたのであった。「萌える想い」
の編曲はまた下川先生がしてくださることになった。
 

週末は飛行機に乗って与論島に行き、水着写真も含めて大量の写真と動画を撮られた。水着姿はせっかく作ったバストを誰かに見せたい感じだったので少し照れながらも撮られるのが少し嬉しかった。
 
「ウェスト、かなりくびれているね」
「高3の時にダイエット頑張りましたから」
と私は答える。男子高校生として過ごしたあの期間、髪を伸ばすことと体型を女性的にしていくことで私は自分のアイデンティティを維持していた。
「この写真集は来年になってから発売するから。来年はまた来年で写真を撮るけど、18歳の写真は撮っておきたかったのよね」
と須藤さんは言っていた。
「でもここ、凄いきれいですね。最初見た時、もう天国かと思っちゃった」
「まだ天国に行っちゃうのは早いよ。でもきれいでしょう。みんなハワイとかグアムとか行くけど、ここは充分誇れる場所だよ」
 

与論島から戻った翌日の昼休み、須藤さんから授業が終わるのは何時かと聞かれた。
「今日は4時限目が休講だから14:30で終わります」
「じゃ15:32東京発の新潟行き新幹線には乗れる?」
「乗れますが新潟行きなら東京じゃなくて大宮で乗った方がいいです」
「そうか。じゃ・・・大宮発だと15:58になるね」
「大丈夫だと思います」
「じゃ、それに乗って。入場券で入ってくれる?車内でチケット渡すから」
「はい」
「座席番号はあとでメールするね。あと毎日の授業終了時刻を後でいいから教えて」
 
授業が終わってから大宮駅まで行き、入場券で新幹線改札を通って15:58のとき331号に乗り込む。メールされていた座席まで行くと、須藤さんとマキさんがいた。
「こんにちは」
「やあ」
 
「何かの打ち合わせですか?」
「ちょっとふたりに民謡教室に通ってもらおうかと思ってね」
「は?」
「新ユニットのデビューシングルに『佐渡おけさ』を入れたいのよ」
「えー!?」
「それで新潟なんだって」
とマキさんも苦笑している。
 
「これから毎日通ってもらうから。とりあえず1ヶ月間」
「東京近辺の民謡教室でってわけには?」
「民謡はそれぞれの地域のものだからね。東京ででも佐渡おけさは習えるけど本場で習うのとは別物だと思うのよ。だから新潟まで行ってもらおうと。土曜は向こうで泊まりね」
「はい」
そういうわけで、それから1ヶ月間、私は新潟の民謡教室に通うことになったのであった。民謡教室の先生はまだ50代の若い先生で、民謡の「み」の字も知らない私たちを優しく受け入れてくれて、本当に基本的な所から教えてくれた。
「民謡のお囃子の発声って・・・・私の女声の出し方と似てる」
「あなたのその声を最初に聞いた時、あれ?これはと思いましたよ」
 
私は民謡の唄を、マキさんは太鼓を習うのだが、その日は基本的なことを勉強しましょうということで、ふたりいっしょに基本的な発声とか、楽器の種類、音程などについて習った。民謡の音程が西洋音楽の音程と全然違うということもその時はじめて知った。
 
「佐渡おけさをね、西洋音程で歌うと『ああ〜佐渡へ〜佐渡へ〜と』となるの。これを民謡音程で歌うと『ああ〜佐渡へ〜佐渡へ〜と』となる。違い分かった?」
市内の女声合唱グループにも入っているという先生が歌い分けてくれた。
 
私は真似て歌ってみた「ああ〜佐渡へ〜佐渡へ〜と」
「すごい。ピタリと合ってる。あなた物凄く耳がいいわね。コブシの回し方まで私が唄ったのをそのままコピーしてるし。これできるのにふつう2年掛かるよ」
「私、耳コピーは得意です」
「へー!凄いね」
 
「これ面白いな。こういう微妙な音程にチューニングできるシンセがあったな」
とマキさんが言っている。
「それ高いの?」と須藤さんが訊く。
「そんなに高くないですよ。確か15万くらい」
「予算出すから買ってサトさんに少し弾き込んでもらって」
「はい」
 
そういうわけで私とマキさんの新潟通いがしばらく続いたのであった。私は3時限目で終わる日は結局15:38の新幹線に間に合うことが分かったのでそれに乗って、17:12に新潟駅に着き18時からのお稽古、4時限目まである時は17:38の新幹線に乗り、19:21に新潟駅に着いて20時から短めのお稽古、と受けた。マキさんは昼間の仕事をしているので、平日は新潟まで来ることができない。そこでこの先生のお友達の先生が前橋で教室を開いているので、そこで平日は習い、土日だけ新潟に来ることになった。私は金曜日はお稽古がお休みなので土日の往復をマキさんと一緒にすることになった。
 
最初マキさんといっしょに新潟行きの新幹線に乗った時は、お互いに何を話していいのか分からない感じだったが、ふたりともクイーンが好きだという所から話が絡み始めて、音楽の話題で盛り上がった。マキさんが結構コード進行や和声など技術的な話をしたが、私もそういう話は好きなので、あの曲のこのコードは・・・・などという話題でけっこう熱くなった。
 
「いやあ、こういう話で盛り上がれる相手はなかなかいないのよ」
「私もです」
 
土曜日のホテルは同じ所ではあるが、一応男女なので別室である(フロアも別)。またお互いの部屋への入室は、万一写真週刊誌などに盗撮されたりすると面倒ということで、絶対に禁止と申し渡されたので(写真週刊誌といえば、私は1年前に『男の子に戻ったケイ』なんてタイトルで学生服姿で登校している所の写真を撮られて掲載されたことがあった)私達はホテルのラウンジとか、近くのスタバとかで夜遅くまで話をしていた。結果的にはこの新潟行きで、私とマキさんは打ち解けることができたし、連帯感も出来てきたのであった。
 

私達の新潟通いは私の『佐渡おけさ』の上達が思ったよりも早かったことから7月の中旬でいったん休止となり、7月の下旬はバンドのメンバーで集まってレコーディングに入った。「ローズ+リリー」の時は、1枚目のシングルが3時間,2枚目のシングルは1日,3枚目のシングルでも4日(土日×2週)で制作したのだが、今回は二週間ほど掛けて制作することになった。ただ、バンドのメンバーが全員昼間の仕事を持っているので、収録作業は夜8時以降に限定されたし、時には残業で出てこられないメンバーも出てきた。しかし須藤さんはパート別にばらばらに録るのではなく、どうしても多重録音せざるを得ない部分以外はできるだけちゃんと全員一緒に演奏している状態で録りたいというのにこだわった。
 
そのため全員そろわない日は練習と曲想の検討などの作業をした。
デビューシングルに収録されることになった曲は、上島先生作詞作曲下川先生編曲の『萌える想い』、ローズ+リリーでも好評だった『ふたりの愛ランド』、クォーツの持ち歌(マキさんの作詞作曲)『Love Faraway』,私と政子が書いて本来なら昨年の春に発売されるはずだった曲『あの街角で』(下川先生の編曲)、クォーツがしばしばライブのオープニングで演奏していた美空ひばりのヒット曲『川の流れのように』、そして『佐渡おけさ』の6曲といわれた。
 
『佐渡おけさ』の録音は新潟で、民謡教室の生徒さんたちにも尺八や三味線で参加してもらって、マキさんの太鼓と私の唄で演奏して収録した。
 
『Love Faraway』と『川の流れのように』はクォーツが演奏に慣れていることからほとんど1発録りに近い状態で収録された。
 
『あの街角で』の譜面と歌詞を見たタカさんは「おお、これはローズ+リリーの世界だ!」と喜んで?いた。「こういうセンスって男の俺たちには無いよな」
「女子高生でないと、これは書けないね」
「私も1年前の気分に戻って歌います」
「ちょうど1年前はひょっとして学生服着てなかった?」
「そこ、茶々入れない!」
 
『萌える想い』はタイトル曲だけあって、編曲にかなり力が入っていた。下川先生のアレンジだが、私もスコア譜を見て「きゃー」と思った。
 
打ち込みなら行けるけど・・・と思うような超絶技巧が必要な所が何ヶ所もあり1日目では須藤さんがOKを出すレベルの演奏をすることができなかった。この曲でドラムスを叩くサトさんも、ギターで16分音符の超連続を指定されて最初「えー?」と声を上げたタカさんも2日目の最後のほうでやっとOKをもらえるようになり、最終的な収録は3日目に持ち越された。
「俺、この曲で5%演奏能力が上がった」などとタカさんは言っていた。
 
最後に『ふたりの愛ランド』を収録したが、収録直前まで私はてっきりマキさんとのデュエットと思っていたので、「ひとりでデュエットして」と言われて、「はあ?」と思った。
ローズ+リリーで、私が中性ボイスで歌っていた所はそのままで、政子が歌っていたパートを私の女声で歌い、多重録音で仕上げた。
 
「多重録音できちんとハモるんですね」
と今更ながらにタカさんが言ったが
「冬子ちゃんが譜面通り正確に歌っているからずれないのよ」
と須藤さんは言った。
「ま、ずれちゃった場合は編集で調整できるけど、冬子ちゃんの場合は調整の必要がないね」
 
これで6曲演奏したのでレコーディング終了、かと思ったら須藤さんは
「さて、もう1曲やってみようか」
などと言い出す。
「何の曲ですか?曲によっては練習時間が必要だから、場合によっては明日もスタジオを借りないと」
とマキさんが言う。スタジオは今日の24時まで借りることになっていた。既に23時すぎである。
「だいじょうぶ。すぐできるから。これは1発録りで行くね」
「何を歌うんですか?」と私も訊く。
 
「譜面は今やった『ふたりの愛ランド』ね。その裏バージョン」
「裏?」
「この曲は『萌える想い』と両A面にするけど、ケイちゃんの中性ボイスと女声とで歌っている。裏バージョンは、女声と男声でのデュエット」
私はとても嫌な予感がした。
 
「あのぉ、つかぬことをお伺いしますが、その男声って誰が歌うんですか?」
「冬子ちゃんに決まってるじゃん。ローズクォーツのボーカルは冬子ちゃんなんだから」
「あはは・・・やはり」
私は笑って答えた。
ちなみに「ローズクォーツ」というユニット名はこの日告げられたばかりだった。
 
「女性パートを中心にして。男性パートを冬子ちゃんの男の子の声使って歌って。男性・女性でいっしょに歌う部分は、女の子の声で歌って。その部分、他の3人はコーラスを入れて。これは敢えて多重録音はしないから」
「分かりました」
コピーを撮り直した譜面で、私の女声パート、男声パート、そしてコーラスを入れる部分をマーカーで色分けした。
 
仕事だし、ということで私は素直に従ったが、心の中では泣きたい気分だった。人前で男の子の声をさらすのは嫌だ。特にクォーツのメンバーには何となく女の子として受け入れてもらっているのに、その人達の前で自分の男性的な部分は見せたくない。それで歌い方が少し投げやりな感じになってしまった。
 
録音したものをその場で再生してみる。
「どう思う?」と須藤さん。
「演奏中も思ったけど、かなり適当に歌ってるよね」とサトさん。
「うん。でもそれがいい味になってない?」とタカさん。
「うん。これはこれで面白いよ」とマキさん。
「私もこれ面白いと思う。偶然の産物だけど、これはこのまま収録しちゃおう」
と須藤さんが言って、『ふたりの愛ランド・裏バージョン』は出来たのであった。私は乾いた笑いをしていた。
 

時刻はもう23:50だった。私達は急いで機材を片付けてスタジオを出て、そのまま深夜のファミレスに行って、打ち上げをしたのであった。
 
他のメンバーはビール、私と須藤さんはオレンジジュースで乾杯し、各自好きなメニューを注文する。全部自分が払うから好きなだけ注文していいよと言われてタカさんなどサーロインステーキを300gなんて注文している。私はシーフードスパゲティを頼んだ。なんか突然AKB48の話題などで盛り上がっていた。途中トイレに行き、出てきた所で、隣の男子トイレに入ろうとしていたマキさんとバッタリ逢った。
「あ、お疲れ様」などと声を掛ける。
 
「あのさ、ケイちゃん」
「はい?」
「男の子の声、俺たちに聞かせるの嫌だったんだろ」
「・・・・はい」
「そういう声を聞いても少なくとも俺はケイちゃんが女の子だという認識は変わらないよ。女性の声優さんで声色で男の子の声だしてアニメで当てている人とかいるじゃん。それと同じだよ」
ああ、なるほど・・・そういう認識をすれば良かったのか。
 
「今回のはあくまでおふざけの裏バージョン。今後はケイちゃんの男の子の声は使わないようにしましょうよと、俺からも須藤さんに言っとくから」
「ありがとうございます」
「じゃ」
と言ってマキさんはトイレの中に消えた。
私はちょっと涙が出た。私はトイレの中に逆もどりして、涙をきちんと拭いてから席に戻った。
 

私は4月から実家から独立し、安アパートで暮らしていたのだが、再デビューを前に最低でもセキュリティロックのあるマンションに引っ越して欲しいと言われ、7月末に急遽引っ越した。マンションは唐本冬子の名義で契約した。マンションの管理会社さんが性同一性障害に理解を示してくれて、身元が確かであれば、書類上は通称で構いませんよと言ってもらえた。
「でもほんと、あなたは女性にしか見えませんね」と担当者は付け加えた。 そして「ローズクォーツ」のファースト・シングル「萌える想い/ふたりの愛ランド」は8月3日にダウンロード開始となった。須藤さんが足とコネで宣伝してまわっただけで広告などは打ったりしなかったが、初日に3000ダウンロードとまずまずの滑り出し。1ヶ月で3万ダウンロードに達した。関東近辺のコミュニティFMにたくさん足を運んで宣伝したのもそれなりの効果があったようだ。最初に訪れたコミュニティFMは、あのローズ+リリーが初めて出演したFM局であった。同じ番組の同じコーナーで、あの時と同じDJさんに、今度はローズクォーツを紹介してもらった。仕事の都合で全員は出られなかったので私とマキさんの2人だけであったが。
 
「ご無沙汰しておりました」と私はDJさんに挨拶した。
「久しぶりですね。でもなんか色っぽくなった感じ」
「2年たちましたから」
などといった会話を交わした。
 
ちなみに8月3日は、私が「リリーフラワーズ」の突然の失踪で、政子とふたりで、代役でデパートのイベントをこなした日からちょうど2年目に当たる日だった。政子から発売のお祝いのメールが来てたので、挨拶回りや宣伝活動の合間に政子に電話した。
 
「あれから2年たつのね」
「2年経っちゃったね」
「思えばあの時私が言ったひとことが冬を今の道に進ませちゃったのね」
「うん。でも私たち、あのきっかけがなくてもデュオとして活動し始めていたと思うよ」
「詩津紅ちゃんとじゃなくて私とのデュオで良かったの?」
 
「ん?嫉妬してるの?」
「しないよ。私、冬の愛を信じてるから」
「私もマーサの愛を信じてるよ。で、そろそろ歌う気になってきた?」
「少しずつかな」
「じゃ、来月くらいにアルバム作ろうね」
「うん。作るだけなら頑張る。まだ人前では歌えない」
「いいよ。ゆっくりやっていこうね」
 

2chでは「ふたりの愛ランド・裏バージョン」が話題になっていた。私の男声と女声の切り替えはおおむね「面白い」という意見が多かったが、曲全体の感想として、脱力感があっていい、投げやりな歌い方でうまく味が出ている、などという書き込みが多かった。私はそれを見て苦笑するくらいの心の余裕はできていた。あの打ち上げの日の夜にマキさんから言葉を掛けてもらったのが大きな救いになっていた。
 
「萌える想い」がとりあえず1ヶ月で3万ダウンロードされたことから須藤さんはクォーツのメンバーに仕事をやめてこちらの専業にならないかと打診した。年末までは月30万の給料を保証すると須藤さんは言ったのだが、マキさんは20万でいいから1年間保証して欲しいと言った。須藤さんは30分待ってと言って会議室に籠もり、どこかに電話して話をしていたようであったが、やがて出てくると
 
「マキさんの条件飲んだ。10月から来年9月まで1年間20万の給料を保証する。ただし印税は0.5%で我慢して。そして10月からはフルタイムこの仕事ができるようにして欲しい」
 
と言いマキさんは了承した。印税の率を下げられても800円のシングルが10万枚売れた場合の印税は 0.5%なら 1人9万円だから、それより固定給を選びたい気分だったろう。なお、私の方の契約は従来通りで、単純に売上げに対するマージンであり、給料という形も無しであった。
 
マキさんが事務所を出て行くのを見送ってから私は須藤さんに
「男の人はやはり色々と大変なんですよね」
などと言った。
「まあ、女は多少気楽な面はあるよね」と須藤さんも笑って言う。
「でも今回のローズクォーツのデビューにはかなり先行投資してるでしょ?だいじょうぶなんですか?」
 
「冬子ちゃんが心配しなくてもいいよ。お金のことは何とかするからさ」
「私、頑張りますね。色物の仕事でも何でもしますから。AVとかだけは勘弁してほしいけど」
「あはは。うちはそういう事務所じゃないよ。バラエティの仕事は確かに1件引き合いがあったんだけどさ。私が断った」
「あら」
「あくまでも音楽で売りたいんだ。ケイもローズクォーツも」
須藤さんはとても楽しそうな表情をしていた。
 
このシングルは当初ダウンロードのみでの販売予定だったが、思った以上の売り上げがあったことから、9月にはCDとしてもプレスされることになった。
 

9月にはローズクォーツの活動と並行して、政子と私のふたりで「ローズ+リリー」
の新曲録音もおこなった。
 
政子が書きためた詩に私が曲を付けたものについて須藤さんは細かいダメだしを入れていた。それにあわせて私達は詩や曲を修正し、そういう作業を半月ほどやってからOKが出たので、私達はふたりの歌をスタジオであらためて録音した。政子が書いた詩は20曲あったが、録音することになったのはその内の13曲だった。その他にローズクォーツでも出した『あの街角で』、また上島先生が2曲提供してくれたのがあり合計16曲のアルバムとなる。
 
演奏はクォーツのメンバーにやってもらいたかったのだが、どうしても時間が合わなかったので、スタジオミュージシャンの方達にお願いした。その中でギターを弾いてくれた近藤さんは「甘い蜜」の制作にも参加してくれた人だった。
 
「ローズ+リリー復活ですか?」と訊かれたが、私も政子も須藤さんも「いえ、復活はしません」と異口同音に答えた。
「むしろメモリアル・アルバム、追悼版ですね」と私は笑って言った。
 
なお政子はこの録音に先立ち1ヶ月ほどに渡って歌のレッスン(自費)を受けたので、「うまくなりましたね」と近藤さんからも言われていた。
 
この録音については来年の春くらいの適当な時期に発売するということだった。また、それが売れる売れないに関わらず、この第二弾も制作したいから詩を書きためておいてと須藤さんは政子に言った。また発売時のジャケットに「使うかも知れない」と言われて、私達はミニスカートの衣装を身につけて写真を撮られた。
 
「こんな服着ると、あの頃を思い出すね。女子高生に戻った気分」
「やっぱ楽しかったよね」
「そろそろやる気になってきた?」
「まだまだ」
 
9月に私はエレクトーンの6級の試験も受けた。7級までは「唐本冬彦」の名前で受験していたのだが、担任の先生に「唐本冬子」名で受けることは可能か?と尋ねた。先生はあちこちに問い合わせていたようだったが、最終的にそれを通常使用しているのであれば構わないと言われ、冬子名義で受験。合格証をもらった。女名前で印刷された合格証を眺めて、私は自分がまた1歩女の世界に入り込んできたことを実感した。
 
9月の下旬、私は須藤さんからお正月のことで尋ねられた。
「お正月?かなり先ですね」
「でも今から準備が必要なこともあってね。お正月にはあちこち挨拶回りすると思うんだけど、その時、振袖を着て欲しいんだよね」
「わあ、振袖は着たことないから楽しみ」
「で、その振袖なんだけど、レンタルで済ませる?それとも買う?
レンタルなら費用出すけど、買うなら自費でお願いしたいんだけど」
「買います」
 
「安物では困るんだけど、いい?」
「振袖っていくらくらいするの?」
「安いものは3万くらいから高いものは何千万、更にはプライスレス」
「さすがに何千万は買えないよ」
「最低100万くらいのは買って欲しい。でお仕立てに時間が掛かるから今の時期に買わないといけないんだ」
「なるほど、それで。でもそのくらいはいいですよ。どこで買えばいいのかな?」
「連れてく」
 
ということで私は須藤さんに連れられて呉服屋さんに行ったのであった。私は身長が167cmあるのだが、こういう背の高い女性向けの「モデルサイズ」
と呼ばれる製品があることをその時、初めて知った。
 
私には派手な柄が合いそうだということで加賀友禅の振袖を買うことにした。考えていた予算よりかなり高めではあったが、柄が気に入ったので買っちゃうことにした。お仕立てあがりは12月初めになるということであった。須藤さんは私が和服を全然着たことがないというと「和服自体に少し慣れたほうがいいね」という。呉服屋さんが、友禅をお買い頂きましたし付下げの既製品を1枚サービスしましょうか?というので、お店の人と一緒に倉庫まで行って、在庫しているものの中で、好みの柄のものを選ばせてもらった。
 
その場で着付けしてもらう。
「なんか、これ新鮮な感覚・・・」
「そういう格好すると、大和撫子って感じだね」といって美智子は
その場で私の付下げ姿を撮影する。
 
私は自分でもなんだかとても嬉しくて
「女の喜びを感じちゃう。でもこれ、自分で着れるようになりたいなあ」
などと言った。ローズ+リリーの時に、浴衣は着る機会があり、その時に着方を覚えたのだが、ふつうの和服は着たことがなかった。
「着付けの講座行ってみる?短期間の集中講座とかもあるし」
 
呉服屋さんが出入りの着付け士さんが開いている講座を紹介してくれたので(受講料もサービスしてもらった)、私は9月下旬、そこに通って着付けの練習をした。
 
クォーツのメンバーは9月中に全員勤めを辞め、バンドのほうの専業となった。私のほうが朝9時から午後4時まで大学の講義があるので、ローズクォーツの平日の「勤務時間」は夕方5時から夜1時までで途中休憩1時間。週2日は休みの日にする(原則として月曜・火曜)という形に定められた。私は2学期の講義は月火は5時間目まで入れて、他の日はできるだけ3時限までで終われるように調整した。特に金曜日は午前中で終わるようにして週末行動しやすいようにした。
 
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【続・夏の日の想い出】(1)