【夏の日の想い出・女になりましょう】(1)

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「あの人、本当に性転換するつもりみたいなんです。私どうしたらいいんでしょうか?」
 
そう言って突然さめざめと泣き始めた彼女を見て、私の方こそどうしたらいいんだと悩んでしまった。
 
政子が
「女の子同士になっちゃうのもいいですよー。恋人と一緒にトイレにも並べるし、温泉に行っても一緒に入ることができて便利ですよ」
 
などと言うと、彼女は戸惑っているようである。
 
「でも女の人になってしまったあの人を私は愛することができるんでしょうか?」
と彼女。
 
「大丈夫。最初は戸惑うかも知れないけど、女同士なら、どうすれば気持ちよくなれるかがお互いに分かるから、男女よりもずっと満足できますよ」
などと政子は言う。
 
「でも女の人になってしまったあの人の前で、私、愛を語る自信無いです。私、男の人としか恋愛経験無いし」
「そんなの慣れですよー」
 

「政子、少し黙っててくれる?」
 
何だか話が勝手に進行しているので私は歯止めを掛けた。
 
「麗(うらら)さん、ちょっと待って下さいね。隆明さんが性転換するつもりだって、それ本人から聞いたんですか?」
と私はタカの婚約者・麗さんに尋ねた。
 
「いえ。でもこんなものが郵便受けに入ってたんです」
 
と言って彼女は1通の封筒を取り出した。
 
「差出人が何とかコスメティックと書いてあって、私、てっきり化粧品か何かのDMと思っちゃったんです。それでうっかり開封してしまったんですが中に入っているものを見て仰天しました」
 
「ああ。その会社は、性別を変えたいと思っている人の間では超有名会社なんですけど一般の人にはほとんど知られてないでしょうね」
と私は答える。
 
「冬もそこのアテンダントさん使ったんだっけ?」
「ううん。私は別の所」
 
それで私は彼女が封筒から取りだした中の書類を点検する。
 
「これは単なるこの会社の案内です。資料請求した人に送っているものであって具体的な話が進んでいる人には、もっと突っ込んだ資料とか、申込書とか、あるいは診断書を取れる病院のリストとかを送って来ますよ」
と私は言う。
 
「私が想像するに、これ誰かが勝手に隆明さんの名前でここに資料請求したんじゃないでしょうか? 悪質な悪戯ですよ、きっと。あるいは先日の記者会見を受けて男になったりしないで〜と思った暴走気味のファンの仕業か。隆明さんの住所は、非公開ではありますけど、芸能人の住所なんて、その気になったらいくらでも調べる方法があります。実際うちにでもたくさん心当たりの無い所からの郵便が届きますから、全部事務所に渡して内容をチェックしてもらっていますよ」
 
「カミソリの刃とか白い粉が入っているのは日常茶飯事だもんね」
「うん。カミソリの刃程度は常備している金属探知機でチェックして、そのままポイです」
「金属探知機をお持ちなんですか?」
「簡単なのですけどね」
 
「それにですね。もし私が隆明さんで、もし本当に女の子になる手術を受けたいと思っているのなら、こんな資料を麗さんが見る可能性のある自宅には取り寄せたりしませんよ。局留めにして自分で取りに行きますよ」
 
「あ・・・そうかも」
 
「冬は実家で暮らしていて、そういう資料を局留めで受け取ってたのね?」
と政子。
「その話はいいから」
と政子には言っておき、麗さんとの話を続ける。
 
「隆明さんは立派な男性です。女の子になる気なんて無いですし、麗さんのことを愛してますよ。しばしば彼、のろけ話とかもしてますからね。よしんば女の子になりたいと、チラっと思うようなことがあったとしても、麗さんがいるのに、具体的に手術とかを考える訳がありませんよ」
 
「そうですよね!」
 
私と政子は麗さんと2時間以上話した。最近ローズクォーツのお仕事が増えて、なかなかデートも思うようにできずにいる不満もちょっと背景にあったようだが、それでも長時間私たちと話して、かなり落ち着いたようであった。
 

「やはり性転換だよ!」
 
その言葉に、私たちは顔を見合わせた。
 
麗さんと話した数日後。その日は、私のマンションに、ローズクォーツのタカとサトが来訪していた。そこにちょうど七星さんも来て、雑談していた所に、雨宮先生が突然来訪したのである。そして私の入れたコーヒーを1口飲むと、いきなり「性転換だよ!」と言ったのである。
 
「雨宮先生、いよいよ性転換手術を受けられるんですか?」
とサトが尋ねた。
 
「あら、私は別に性転換とかするつもりはないわよ。私、普通の男性だし」
と雨宮先生。
 
「あまり普通の男性には見えませんが」
と七星さん。
 
「そうだ。ナナちゃん、性転換して男の子になる気無い?」
「ああ。私、男になっても生きていけると思うなあ。誰かおちんちん取る予定の人がいたら、その人からもらってもいいかも」
 
「七星さんが男になったら、近藤さんが困りますよ」
「別に大丈夫だと思うけどなあ。男同士のセックスを覚えてもらえばいいだけよ」
 
「そうだ、タカちゃん、あんたこそ性転換しちゃいなよ」
と雨宮先生。
 
「その件でこないだ麗に泣かれたばかりです。誰か悪戯して性転換アテンダント会社の案内をうちに送って来たんですよね〜。それで僕が性転換するつもりかって訊かれて」
 
「あら、だったら彼女にも男になってもらうなんてのはどうかしら?」
「向こうのお父さんにぶん殴られます」
 

「で、結局、誰が性転換するんですか?」
と私は訊いた。
 
「今度のローズクォーツのアルバムよ」
 
それを聞いてサトが凄く嫌そうな顔をする。何だか先が見えている展開だ。
 
「性転換とアルバムがどう関わるんでしょうか?」
 
「Rose Quarts Plays Sex Change ってアルバムにするのよ」
 
サトとタカが顔和見合わせて溜息を付く。政子がワクワクテカテカという目をしていた。
 

「でも性転換に関わるような曲ってあるんですか?」
 
と私は冷静に訊いた。
 
「ドレスデン・ドールズの Sex Changesとかは?」
「それは性別を変えるのではなく、セックスで世界が変わるという意味です」
「オー・チンチンとかは? あのチンポコよ、どこ行った?と言ってるくらいだから、無くなっちゃったんだよね?」
「あの歌詞は謎ですね」
 
「麻生夏子のMoonlight Romance。女の子になりたいと歌ってるよ」
「あなただけの女の子になりたい、ですね」
 
「野口五郎の女になって出直せよ。性転換して女の身体になってきてよって意味では?」
「もっと女らしくしろという意味だと思いますが」
 
「奥田民生の女になりたい」
「ビンゴ! それはマジです! モロッコで性転換ですね」
「よし。ひとつ見っけ」
 
タカとサトは私と雨宮先生のやりとりを呆気にとられて眺めていた。七星さんは笑っていた。
 

結局、私と雨宮先生が選定した曲はこんな感じである。
 
間嶋里美『涙のSweet heart』(ストップ!!ひばりくん!の中の曲)』
美女♂men Vlossom『CRYSTAL SNOW』
Dana International『Diva』
SHAZNA『Melty Love』
ハニー・ナイツ『オー・チン・チン』
野口五郎『女になって出直せよ』
ローズ+リリー『女子力向上委員会』
ローズ+リリー『ペティコート・パニッシュメント』
ローズ+リリー『お化粧しようね』
ローズ+リリー『去勢しちゃうぞ』
ローズ+リリー『胸を膨らませる君』
ローズ+リリー『美少女製造計画』
 
「性転換の歌というより、女装とか性転換した歌手の歌か・・・・」
「ちょっと違う。間嶋里美は女装キャラを演じた声優、美女♂menは女装バンド、ダナ・インターナショナルは性転換歌手、SHAZNAのIZAMはヴィジュアル系」
 
「違いが良く分かりません」
「まあ、素人さんにはそうかもね」
「玄人というとどういう人ですか?」
「私とかケイちゃんとかタカちゃんだよ」
 
「私もですか〜!?」
とタカは言うが
「世間一般はそう思っている」
と雨宮先生。
 
「でも最初の4つは美しい曲ですよ」
と私。
 
「途中の2つがオチって感じかな」
「後半はマジで性転換推奨ソング」
「ってかマリ&ケイの未発表曲だ」
 
「『去勢しちゃうぞ』は『虚勢しちゃうぞ』のタイトルで発表済みです。あの歌を聴いて決断できて去勢手術を受けましたなんてお便りを数通頂きました」
 
「おお、だったら今度のアルバムは性転換する人続出ね」
 
タカもサトも嫌そうな顔をしている。
 

「じゃケイとマリの空いてる日を6日くらいリザーブしてもらって」
とサト。
 
「ケイのスケジュールを管理しているデータベース、僕たちは閲覧もできないので。雨宮先生から予約を入れてもらえませんか?」
とタカが言う。
 
「あら。別にケイちゃん・マリちゃんは必要無いわよ」
「だったらOzma Dreamに歌わせますか?」
 
「あら、このアルバムの主役はタカ子ちゃんに決まってるじゃない。今回のボーカルはタカ子ちゃんよ」
と雨宮先生は言う。
 
「えーーーー!?」
とタカは言ったが、サトも七星さんも薄々雨宮先生の意図を想像していたようで、やれやれという感じの顔をしている。
 
「性転換の歌を女の子が歌っても仕方無いじゃん。ケイも既に性転換済みだからダメ。これから性転換する子が歌わなきゃ。タカ子ちゃんは、あれだけ女装キャラとして、世間に名を売ってるんだから、女装したら次は性転換ね」
 
「あのぉ・・・・ほんとに手術受けろとかは言いませんよね?」
「手術受けるのは個人の自由よ。手術したいなら病院紹介しようか?」
「遠慮します!」
 
「遠慮することないよ。そうだ。性転換手術を受ける時のお世話をしてくれる会社の案内も送ってあげたから」
 
「あれ、雨宮先生だったんですか!? こちらはあやうく破局の危機だったんですけど!」
 
私は頭を抱えた。犯人は雨宮先生か!!
 
「もう届いた? 申し込んだのは昨日なのに」
「え? じゃこないだのは別口か?」
「やはり暴走したファンの仕業かも」
 
「でもさ。やはりこないだの熱愛騒動で、タカ子ちゃんって実はノーマルな男性なのではと思っちゃったファンが結構いるから、その人たちに、タカ子ちゃんは期待通りのキャラだということを示すのには、こういう歌を歌うの最適ね」
 
「ちょっと待ってください。それ誤解されるのは個人的に困るんですけど」
「誤解を解くにはCDが売れた所で実際に性転換することかなあ」
「嫌です!!」
 
「まあ、それはファンに期待させとくだけでいいや。ちなみに他の3人も当然女装で演奏ね」
 
サトはもう悟りきったような顔をしていた。
 
「アルバムのタイトルは『Rose Quarts Plays Sex Change - 性転換ノススメ』だな」
と雨宮先生は楽しそうである。
 

そんな話をしていた時に、インターホンが鳴る。出てみると、和実・淳と千里・桃香がマンション入口の所にいる。
 
「冬、例の荷物を取りに来たんだけど」
と和実が言う。
 
「あ、ごめーん。今ちょっと立て込んでるけど、入って来て勝手に持っていってくれる?」
「了解、了解」
 
ということでドアロックを解除する。
 
「お友だち?」
「ええ。ちょっと内輪のサークル活動なんです」
「ふーん」
 
ほどなく、4人が玄関の前まで来るのでドアを開けて中に入れる。
 
「奥の部屋に置いてるんだよ。4人では一度には運べないかも」
と私。
 
「うん。何度かに分けて車に積み込めばいいかな」
と和実。
 
「淳さん、今日休み?」
「ここしばらく休みが取れてなかったので、サブシステムのテストが完了したところで休み取りました」
「大変ですね」
 
そんな会話を交わしながら4人が部屋の中に入ってきたのだが、その時、雨宮先生が
「あら、千里ちゃんじゃん」
と声を掛けた。
 
千里はびっくりした顔をして口に手を当てていたが、すぐに
「お早うございます、雨宮先生。ご無沙汰しておりまして」
 
お早うございます? 芸能界的挨拶?? ご無沙汰???
 
「そうだ。千里ちゃん、あんた身体は直したんだったよね?」
と雨宮先生。
 
「はい。2年近く前に手術して女になりました」
と千里。
 
「だったら、あんた今度出すアルバムのキャンペーンに参加しない?」
「は?」
 
千里が状況把握できずに困っている感じの中、雨宮先生は隣に居る和実にも声を掛ける。
 
「ね、ね、あなた少しそれっぽい雰囲気ある。あなたもしかして男の娘?」
「えっと。元男の子でしたが、2年前に手術して女になりました。戸籍も既に変更済みです」
と和実が答える。
 
「あなたさ、どこかで見たことある。もしかして、メイドカフェに勤めてなかった?」
「お目に留めてくださいましてありがとうございます。エヴォンというメイド喫茶の銀座店店長兼チーフメイドをしております。以前は神田店のチーフをしていました」
 
と言って、和実は自分の営業用名刺を雨宮先生に出した。
 
「おお。私の記憶も大したもんね。私のことは知ってる?」
「はい。ワンティスの雨宮三森さんでいらっしゃいますね?」
 
「うん。でもあんたも性転換済みなら、あんたもこのキャンペーンに参加しよう」
「えっと。何でしょうか?」
 
「あ、はるかちゃんの隣に居る少しとうのたったおばちゃん」
「私ですか?」
と淳が苦笑しながら答える。
 
「あなたも性転換してるの?」
「そのうち手術したいとは思ってますが、まだしてません」
「あら、だったら。今すぐ性転換しちゃわない? そしたらあなたもキャンペーンに参加できるのに」
 
「今、中断できない仕事を担当しているので何ヶ月も療養とかできないんですよ」
「あら、残念ね。あ、千里ちゃんの隣のお姉ちゃんは? あなたも性転換美女?」
 
「残念ながら私は元々女です。男になりたいと思ったことはあるけど」
と桃香は答える。
 
「なーんだ。ナナちゃんとかゆまの同類か」
と雨宮先生はほんとにつまらなさそうに言う。
 
「やはり性転換美女を5人くらい揃えたいのよねー。ケイを入れたいけどスケジュール的に絶対無理だから、千里ちゃんに、はるかちゃんに、・・・・」
 
本人達が同意しないままもう勝手に頭数に入れている。
 
「雨宮先生、キャンペーンって何ですか?」
と千里が尋ねる。
 
千里は雨宮「先生」と呼んでいる。何か雨宮先生に指導などを受けたことがあるのだろうか??
 
「そうだ。ひとりは花村唯香にしよう」
と言ってその場で花村唯香のマネージャー高泉さんに電話して、何だか強引に予定を入れさせていた。
 
「あ、1人思いついた」
と言ってまた別の人に電話して、強引に押しつけている。この時先生が呼び出したのは実は、当時は新田安芸那の芸名であった後の桜クララである。実は数年前に雨宮先生とは恋愛関係にあった時期があり、この頃は彼女は雨宮先生の子供(桜幸司)を育てていたのだが、それを知ったのは随分後のことである。
 
「あと1人欲しいな。スリファーズの春奈は絶対空いてないだろうしな。モニカは性転換者であることを公表してはいけないことになってるし。鈴鹿もやはりどちらが性転換者かを公表できないし」
と言って先生は悩んでいる。
 
「先生。鈴鹿はまだ性転換してません」
「あ、そうだったっけ?じゃ、すぐに手術受けさせて」
「町添さんに叱られます」
 
「町添さんはやばいな。誰か強引に性転換させられそうな人いないかしら?」
と言ってチラっとタカを見るので、タカがぶるぶるっと首を振る。
 
「ねぇ、あんたたちの知り合いで性転換済みの美女っていない? 素人じゃない子がいいんだけど」
と和実たちの方に訊く。
 
「私自身、素人ですけど」と和実が言うが
「却下」と雨宮先生。
「私も素人ですー」と千里が言うが
「全くもって却下」と雨宮先生。
「あんたの妹、富山から呼び寄せようかしら?」
と雨宮先生は千里に言ったが
「あの子、忙しいから勘弁してやってください。それに話が見えないですけど未成年は参加できないような内容では?」
と千里は言う。
 
あ、雨宮先生は青葉の姉として千里を知っているのだろうか?と私は思った。青葉は雨宮先生の弟子の鮎川ゆまの生徒なので私が引き合わせた以外にも何度か会っていたのかも知れない。
 
「まあ確かに未成年はやばいわ。あ、思い出した! でもスケジュール取れるかな?」
と言って雨宮先生は最初どこかの事務所に電話しているようだった。
 
「ああ、やはり引退したのね。連絡先分かる?」
と言って電話番号をメモしている。
 
「さて、この番号でつながるか?」
と言いながら掛けるとつながったようである。
 
「おっひさー、近藤ちゃん」
と雨宮先生が言うと、七星さんがビクッとする。彼女も昨年12月に結婚して苗字が近藤になっている。
 
「うんうん。だったら、ちょっと顔出してよー。え?ギャラ? 1日2万円で拘束10日間くらい。他にもしかしたらビデオ撮影あるかも知れないけど、そちらはまあ適当に。事務所との契約切れてるんならどちらも直接そのお金払うよ。やる?よし。じゃ顔合わせするから、今から新宿の**スタジオに出て来て」
と言って電話を切る。
 
「よし。私たちも行こう」
と雨宮先生。
 
「あのぉ、私たちって?」
「私と、はるかちゃんと千里ちゃんと、ケイとタカ子だね」
 
「私も行くんですか?」
と私もタカも言った。
 
「ケイちゃん、車出してね」
 

それで結局、荷物の方は淳と桃香の2人で頑張って運んでもらうことにして、結局サトと七星さんも荷運びの方を手伝ってくれて、私の車には先生と和実、千里、タカ、と乗って新宿に向かった。
 
「でも千里、雨宮先生とどういう知り合い?」
と私が訊いたら
 
「高校時代以降度々お会いしまして。色々指導して頂いています」
と千里は言う。
 
「この子は龍笛とフルートの名手でピアノもかなりうまい。そこら辺のバンドでならキーボーディストになれるレベル。ヴァイオリンは最近聞いてないな。昔は下手だったけど・・・」
と言って、雨宮先生は千里に投げる。
 
「今でも下手です」
「進歩ないわねー」
「済みません」
「ついでに、チンポもないのね」
「無いです」
 
雨宮先生がこういうオヤジギャグに走るのは調子のいい時だ。
 
「タカ子ちゃんもチンポ無い状態になりたくない?」
「いやです。これ無くなると困ります」
「あら、無くても平気よねー」
 
「雨宮先生も無くなると困るのでは?」
と千里が言う。
 
「そうなのよねー。使えない状態になってたから、もういっそ取っちゃおうかしらと思ってたら、こないだあんたの妹にヒーリングしてもらって、また使えるようになったのよ。もう女の子3人とやったけど、快調、快調」
と雨宮先生。
 
「青葉もよけいなことを」
と千里が言うが、私も同感だ!
 

距離が近いので新宿のスタジオに着いたのは私たちが最初だったようだ。ほどなく花村唯香がマネージャーと一緒にやってくる。
 
「唯香ちゃん、今度のキャンペーンではあんたが唯一世間に顔が売れてるからあんたがリーダーで」
「はい。でも、何のお仕事なんですか?」
 
などと言っている内に、先に★★レコードから梶原さん、氷川さん、加藤課長がやってくる。
 
この時期のローズクォーツの担当は、正担当者・氷川さん、副担当者梶原さんということになっていて、普段は梶原さんが色々お世話をしてくれているのだが、企画などの話になると、正担当者である氷川さんも出てくる。
 
★★レコードの3人は雨宮先生から『Rose Quarts Plays Sex Change - 性転換ノススメ』という企画を聞くと、最初絶句していた。
 
「先生、それはさすがに無茶です。そんなの出したら非難囂々ですよ」
と梶原さんが言う。
 
「でも売れるわよ」
と雨宮先生。
 
氷川さんが
「曲目を見せて下さい」
と言った。
 
それでさきほど私と雨宮先生でリストアップした曲目を見せる。
 
氷川さんは考えていたが
「少し曲目を変えていいですか?」
と言う。
 
「何か入れたい曲がある?」
「Malice Mizer『月下の夜想曲』、Culture Club『Karma Chameleon』とかはどうでしょう?」
と氷川さん。
 
「ああ、それを『オーチンチン』と『女になって出直せよ』の代わりに入れるんだね?」
と加藤さんも言う。
 
「このラインナップにオチは要らないと思うんです。きれいな曲で雰囲気を酔わせておいて、さあさ女になりましょう、と歌うわけです」
と氷川さん。
 
「あんた、『逢魔ヶホラーショー』読んでるね?」と雨宮先生。
「千之ナイフさん好きですよ」
「あんたの趣味が分からん」
 
「あるいはですね。マリ&ケイの曲で埋めてもいいと思います」
と言って、氷川さんは曲名を挙げる。
 
「『男子絶滅計画』『女の子にしてあげる』はこのままのタイトルでもいいです。『邪魔な物は取っチャオ』は単に『取っチャオ』、『もうおちんちんは要らない』
ですが単に『もう要らない』、『お股は軽やかに』は『軽やかに』でいいと思います。『ハサミでチョキン☆』は『改造貯金計画』とか」
 
「よく覚えてますね!」
と私はマジで驚いて言う。
 
「一度聴かせて頂きましたから」
と氷川さん。このあたりがこの人の凄い所だ。
 
「ああ。全部マリ&ケイにしちゃうのもひとつの手ね」
と雨宮先生も言う。
 
「でもこういう曲、既に性転換が終わっているケイちゃんが歌ってもダメなんです。ましてやOzma Dreamなど女性歌手に歌わせるのは言語道断。最適は鈴鹿美里の鈴鹿ちゃんみたいにいづれ性転換するつもりであっても、まだ手術を受けてない子がいいんですが、18歳未満の彼女にこういう歌を歌わせるのは倫理上の問題が出ます。となると、女装キャラとして周知されているタカさんが歌ってくださるのがいちばんいいんですが」
と氷川さん。
 
「私と同じ意見ね。だから今回はタカ子ちゃんに歌って欲しいのよ」
と雨宮先生。
 
「やっぱり僕なんですかー!?」
 
「売れたら印税で性転換手術、受けられるわよ」
「結構です!」
 
「このマリ&ケイの女性化ソングって、タイトルも内容も刺激的だけど、女性のマリさんが書いただけあって、下ネタとかもないし、性器の名前がほとんど出てきてないんです。何ヶ所か出ている所ありますが、あそこちょっと修正していただけません?」
と氷川さんは政子を見て言う。
 
「いいですよー」
と政子。
 
「そしたら行けると思います」
と氷川さん。
 
「ほんとに出すんですか?」
と梶原さん。
 
「性転換者であるケイちゃんが入っているユニットであり、また女装キャラであるタカさんが中心人物であるバンドだから、許容されると思うんです。普通のバンドがやったら、しらけるか、GIDの人を馬鹿にしてるとか批判が起きる可能性がありますが、ローズクォーツの場合は大丈夫です」
と氷川さんは言う。
 
確かに当事者の言動は許容されやすい。
 
加藤さんは少し考えていたが、やがてこう言った。
 
「これ、16歳のローズ+リリーが歌うと言ったら僕も反対していたけど、32歳のタカ君が歌うんなら問題無いよ」
 
「よし」
と雨宮先生は、やる気満々である。
 

そんな打ち合わせをしている間に雨宮先生が呼び出した新田安芸那と近藤うさぎも到着していた。
 
「それで加藤さんさ、ここにいる美女5人でキャンペーンやろうと思うのよ」
「美人さんたちではありますが・・・」
と加藤さんは戸惑うような表情。
 
「この5人全員、性転換美女だから」
と雨宮先生が言うと、
 
「えーーー!?」
と加藤さんも梶原さんも、いつも冷静な氷川さんまで思わず声を出した。
 
「全然男っぽさが無い」と梶原さん。
「完璧すぎる」と加藤さん。
「さすが雨宮先生が選んだラインナップですね」と氷川さん。
 
「あんたもお世辞言うことあるのね。まあいいや。これは近藤うさぎ。マリンシスタのバックダンサーに居たのよ」
「それは知らなかった」
 
「新田安芸那。5年くらい前に★★レコードから1枚だけCD出したんだけど」
「ごめんなさい。覚えてない」
と加藤さんは言ったが、氷川さんが
「知ってます。『男と女のあいだには』ですね」
と言う。
「すごーい。私の曲を知っている人なんて初めて会いました」
と本人は感動している。
「お名前だけは。お顔は知りませんでした」
と氷川さんは言う。
 
「こちらは花村唯香」
「まあ、みんな知ってるね」
 
「こちらは銀座のエヴォンというメイドカフェでチーフしてる、はるかちゃんって子」
「エヴォン? それライブ喫茶じゃなかったっけ?」
と加藤さん。
 
「はい。最近はもうメイドカフェということが忘れられています。銀座店に関しては『お帰りなさいませ』の挨拶を廃止しましたし。ライブ目当てにいらっしゃるお客さんが多くて『ここのコスチューム、アンナミラーズみたいに可愛いね』とかおっしゃる方もいます」
 
「あそこでライブしててデビューした人たちいるよね?」
「招き猫さんとか、父母(ちちかか)さんとか、銀色の熱い道さんとか」
「おお」
 
「それから、こちらは私の弟子のひとりで、仮名(かめい)C子」
「仮名なんですか!?」
「この子は一応一般人という建前になっているから、仮名で」
 
「建前って・・・」
「昔、インディーズのバンドをやってたんだよ」
と雨宮先生。
「へー!!」
「いろいろご指導頂きました」
と千里。
 
私は何か頭の中にもやもやとしたものができている気分だった。ジグソーパズルを組み立てたいのに、ピースが大幅に足りずにどうにもならないような感覚であった。
 

「一応、現役歌手の花村唯香がリーダーで、他の子は一般人と主張している子や一般人という建前の子や、引退した子や事実上引退状態の子とかだから、PVには顔出し無しで。ヌードになってもらうと女体の美しさが分かるけど、そんなのテレビに流せないからビキニの水着姿で」
 
「ヌードはさすがに勘弁して欲しいですけど、水着ならいいですよ」
と千里。
 
「ビキニって、私、お腹が!」
と新田安芸那。
 
「来月くらいまでにダイエット、厳命」
「きゃー」
 

遅れてスタジオ入りしたサト・政子・七星さんにUTPから駆けつけて来た花枝も入れてその場で企画会議をした。私がパソコンに入れているそれらの曲の音源を流す。高校生の時に録音しておいたものと説明すると「貴重な音源だけど、さすがにこれは発売できんな」と加藤さんが言っていた。
 
「Ozma Dreamにも演奏に参加してもらいましょう」
と花枝。
「それがいい。彼女たちもこの1年はローズクォーツの正式メンバーだから」
「彼女たち楽器できたっけ?」
「ジュリアはギター、ミキはベースです。ライブでは結構弾いてたんですよ」
と私は説明する。
 
「だったらタカ君に歌に専念してもらってジュリア君にギターを弾いてもらうのはどうだろう?」
と加藤さん。
 
「あ、それは良いかもです。私は弾き語りは苦手なんですよ」
とタカ。
 
「ミキちゃんは?」
「あの子、子供の頃、お祭りの篠笛吹いてたって言ってましたよ」
「だったらフルート練習してもらおう。似たようなものだよね?」
と加藤さん。
 
「似てないけど、篠笛吹いてたら音はすぐ出ると思います」
と七星さんが言う。
 
「ジャケ写は、表がセーラー服姿のタカ子ちゃん、裏は学生服姿で後ろを向いたタカちゃん」
と雨宮先生。
 
「僕が振られたら責任取ってくださいよ」
などとタカは言っていたが、ほんとに心配だ!
 

「ところで私たちは何をすればいいんですか?」
と花村唯香が訊く。
 
「きれい所は立っていればよいよ」
「ダンスしてもいいけど」
 
「ダンスなんて出来ません」
と和実が言う。
 
「練習してもらえばいいね」
 

ところで4月に就職するはずだった会社が倒産してしまい行き先がなくなり困っていた風花であるが、KARIONのツアーに参加してもらったので、就活をする時間が無い。そこで健康保険の問題と、無職期間があると次の就職に不利というのに配慮して、取り敢えず4月から6月までサマーガールズ出版の職員として雇用することにした(この時点でサマーガールズ出版の社員は夢乃と風花の2人だけ。なお取締役は、私と政子と真央の3人である)。
 
風花には私が概略(手書きで)書いていたローズ+リリーおよびKARIONの次のシングルとアルバムの、アレンジ譜整備とProtoolsへの入力もお願いしたので、4月・5月の平日は、だいたい自宅で、あるいは作業の進行状況次第では私のマンションに出て来て、その作業をしてくれていた。政子とも旧知の仲なので私が★★レコードやどこかのプロダクションなどに出て不在の時は、しばしば政子の話し相手兼ごはん係もしてくれていたようである。
 
「冬ちゃん、でもよくこんなに膨大な譜面を書いてるよね。忙しいはずなのに」
と風花は言っていた。
 
「他のアーティストに渡す分はもうメロディーだけ書いて下川工房に投げてしまうけど、やはり自分たちで演奏する分は自分でまとめたいから。でも手書きで多重に修正ペン入れてるから読みにくいでしょう?」
 
「修正ペンは、青→赤→緑→紫→茶の順だよね」
「よく分かるね!」
 

風花にまとめてもらったスコアをもとに、私は5月下旬から、まずはローズ+リリーの次のシングルの制作作業を開始した。
 
ツアーの真っ最中ではあるが、ツアーは土日なので、そのあと月曜日をお休みにして、火曜から金曜までの4日間にスターキッズに青山の★★スタジオに出て来てもらい、音源製作を進めた。サウンド技術者としては有咲にこちらのスタジオに出張してきてもらって★★スタジオの技術者さんと一緒に作業をしてもらった。
 
今回のシングルの曲目は、上島先生から頂いた『時を戻せるなら』、昨年KARIONの『歌う花たち』の録音をしていた時に政子が書いた詩に曲を付けた『ずっとふたり』、私が夢の中で見たモチーフから着想した『Heart of Orpheus』、昨年秋の英国旅行の飛行機の中で書いた『恋人たちの海(原題はBlack Seaだが氷川さんの発案により改題)』、そして東堂千一夜先生から頂いた『苗場行進曲』である。(この曲の編曲は東堂先生のお弟子さん・瀬川みつる先生)
 

『苗場行進曲』は今回最初に製作して、私の中学の先輩・絵里香がアナウンサーを勤めている静岡のラジオ局で先行公開したが、ローカル放送だったのに物凄い反響があった。
 
この曲は一応スターキッズをバックに私とマリが歌った曲ではあるが、実に様々な人の声が入っている。
 
スカイヤーズのYamYam, スイート・ヴァニラズのElise, 元クリッパーズのnaka, サウザンズの樟南、タブラ・ラーサの後藤さん、元マリシンスタの辰巳さん、保坂早穂、松原珠妃、立川ピアノ、横芝光、そして上島先生に、蔵田さんなど実に24人もの人がこの曲の音源に参加してくれた。実は東堂千一夜先生が直接電話して1本釣りして参加させたものである。
 
みな苗場ロックフェスティバルの経験者ばかりだが、放送を録音したものから「これは誰の声だ?」というのをネットの住人達が推測してリストを作成していたようである。
 
また、この曲を先行公開したことで、ローズ+リリーは今年の苗場ロックに出るのか?という問合せが主宰者にもレコード会社や事務所にも殺到したので本当はその件は6月下旬に発表する予定だったのだが、関係者と相談の上、前倒しして6月上旬に出演者として発表した。
 
私はKARIONでは苗場は2011年に『夏の日の想い出』のキャンペーンで欠席した以外は2009年以来毎年出ているが、ローズ+リリーで出るのは初めてになる。
 
この時発表したラインナップの中にはKARION, XANFUS, AYAやスリファーズ・槇原愛・貝瀬日南・鈴鹿美里に、デビューしたばかりの南藤由梨奈・篠崎マイ・遠上笑美子なども入っていた。
 

『Heart of Orpheus』の間奏部分にはオッフェンバックの『地獄のオルフェウス(通称:天国と地獄)』のモチーフを使用している。運動会の入退場の音楽として愛用されている部分だ。
 
この曲は全体的にも管弦楽っぽいアレンジをして、ヴァイオリンを私と政子と松村さんに真知子ちゃん、フルートを七星さんと風花、クラリネットを詩津紅と中学時代の友人の貴理子、トランペットを香月さんと酒向さん、トロンボーンを昨年『花園の君』でも吹いてくれた中学時代の友人の藤香、で演奏し、これに近藤さんのギター、鷹野さんのベース、月丘さんのピアノと合わせて一気に演奏して収録した。今回の全体的な方針として過度の多重録音はせずに生演奏でもできるようなアレンジで収録するというのを基本にした。
 
この曲の収録は、学校や会社に行っているメンバーがいるので夕方から行った。夕方7時に集まり、その日の夜までに一気に練習→収録と進めた。
 

『時を戻せるなら』にはオルガンの音がフィーチャーしてある。これは山森さんに入ってもらい、都内の結婚式場が持っているパイプオルガンを営業時間外に借りて演奏して収録した。上島先生は最近、他のアーティストに渡した曲でも生オルガンの音を入れさせていたし、どうもオルガンの音にハマっているようである。
 
『ずっとふたり』は私と政子だけで演奏した。私のピアノと政子のヴァイオリンで伴奏を作り、それに、ふたりの歌を重ねている。ピアノ・ヴァイオリン・フルートをそれぞれ2人で演奏して多重録音するのも考えたのだが、「楽器の音も2つだけの方が美しい」と七星さんも氷川さんも言うのでシンプルな音作りにした。
 
なお、この曲は元々『あなたに縛られたい』というタイトルだったのだが、私が付けた曲を聴いて政子が「改訂する」と言って、最初とは全く違った歌詞を付けてしまったものである。
 
『恋人たちの海』は元々黒海の上を飛行中に政子が思いついたもので民族っぽい音を入れたいねという話から、ホムス(口琴)を入れようということになる。以前ELFILIESの『祭りの夜』、ローズ+リリーの『涙のピアス』にホムスの音を入れているのだが、あれはFM音源のパラメータをいじって、それっぽく作った音である。
 
今回は政子が生のホルスを入れたいというのにこだわった。氷川さんに誰か《上手に》弾ける人がいないか探してもらった所、サハ共和国の口琴の名手でAさんという人が予定している日本ツアーの打合せのため近い内に来日するという情報を入手。接触してもらった所、打合せのついでに音源制作に協力してもらえることになり、彼女の演奏をフィーチャーして仕上げることができた。この口琴の収録が今回の音源制作の最後になった。
 

Aさんとのセッションが終わった所で、お食事に誘った。私と政子と七星さん、氷川さんと女性5人でお寿司屋さんに入った。小部屋に案内してもらう。
 
私たちの会話はロシア語で行った。氷川さんも七星さんもロシア語ができるし、政子はロシア語がぺらぺらだが、私はあまり得意ではないので、話の流れを追うのがたいへんだった。難しい内容は政子に通訳してもらったが、七星さんが笑っていたので、どういう翻訳をしているのか怪しい。
 
「今回話をお受けしたのは実はローズ+リリーさんの『Flower Garden』を聴いていて凄いと思っていたからなんですよ。あのアルバムは実に色々な音が使用されてますよね。それも大半が電子音じゃなくて生楽器だと聞いて、もしかしたら自分たちと感性の近い方かもと思っていました。そして今回、セッションしてみて、やはり心に響くものを感じました」
とAさんは言う。
 
「ありがたいです。私は4年ほど前にそちらのユニットの演奏を偶然テレビで見て、この楽器何?と思って調べたらホムスという楽器だと聞いて、それで当時、音源製作で1度ホムスの音を使ったことがあったんですよ。ただその時はホムスの演奏者が見当たらなかったのと予算も無かったので電子音でホムスっぽい音にしたのですが」
 
「この楽器は地域によって色々な呼び方をされてますね」
「ええ、構造も結構違いますが。日本にも北海道にムックリと呼ばれる口琴があるんですが」
「ええ。昨日、ムックリの奏者の方にお会いしまして、お互いに演奏しあって交歓したんですよ」
 
「そういう色々な地域の楽器の音に触れるのはいいですよね」
「『Flower Garden』の中の『Room you are absent』(あなたがいない部屋)ですが、ヴァイオリンではない擦弦楽器が使用されていますね」
「胡弓とよばれる楽器です。実は私が弾いたのですが」
 
「わあ、それはぜひ聴きたいです」
「では明日、良かったら今日と同じスタジオで。楽器を持ってきますよ」
 
「日本にも色々独自の楽器があるみたいですね」
「そうですね。撥弦楽器の三味線や箏、擦弦楽器の胡弓、木管楽器の尺八、篠笛、龍笛、篳篥、笙、....」
 
「冬、それ全部吹けるよね?」
 
「尺八と龍笛と篳篥が吹けない。笙は吹いたことはあるけど吹ける内に入らない。箏もあまり自信は無い」
 
「そのあたり吹ける人を探して引き合わせますよ」
と氷川さんが言う。
 

そんなことを話していた時、部屋の障子が開く。お店の人かと思ったら派手なドレスを着た女性だ。
 
「あ、ごめん。間違い」
と言って障子を閉めようとしたのだが・・・・
 
「あら、ケイちゃん、マリちゃんに、ナナちゃんに、マユちゃんじゃない」
とこちらに声を掛けてくるのは雨宮先生だ。
 
「雨宮先生、すみません。接待中なので」
と氷川さんは言ったのだが
 
「あら、そんなに邪険にしなくてもいいじゃん。私にもこのエキゾチックな美人を紹介してよ。あなた外人さんね?」
 
とAさんにいきなり話しかける。Aさんは最後の言葉が分かったようで
 
「はい。サハから来ました」
と日本語で答える。
 
「サハというとヤクーチア?」と雨宮先生は突然ロシア語に切り替えて尋ねる。「はい」とAさんもロシア語で答える。
 
「日本とは極東同士。お仲間じゃん」
「そうですね。同じアジア民族です」
「よし。お仲間同士、今夜は飲み明かそう!」
「雨宮先生、ちょっと待って下さい」
と氷川さんが停める。
 

「雨宮先生、そもそもどなたかと一緒にいらしてたのでは?」
と政子が(わざわざロシア語で)訊く。
 
「ああ、◎◎レコードの若い男の子と飲んでたけど、たいがい酔いつぶれてたから放置でいいや」
「あらあら」
 
「男同士で飲むより女の子たちと飲んだ方が楽しいし」
などと雨宮先生。
 
するとAさんが難しい顔をして訊く。
 
「あのぉ、あなた女の人ではないんですか?」
「あら、私、男よ」
「えーー!?」
と言ってから
 
「日本では男の人がこういう服装をすることもあるのでしょうか?」
などとこちらに訊く。
 
「ああ。この先生は、女の人の服を着るのが好きだから着ているだけ。あまり普通じゃないけど、まあ、どんな服を着るのも自由ですからね」
 
「自由か・・・・素敵なことばですね」
 
「ある意味、日本って世界でいちばん自由で何しても許容される国だよね?」
と政子。
 
「自由の国と言われるアメリカより個人的なことでは自由度が高いかもね」
と七星さん。
 
「宗教的なものもあるんだろうけどね。日本人って他人に迷惑を掛けないことについては基本的におおらかだから」
と私。
 
「いいなあ」
とAさん。
 
そんな感じで、雨宮先生は完璧にこちらの部屋に根を生やしてしまった。
 

氷川さんがちょっと楽器を弾ける人を手配しなくてはと言っていたら、どんな人を手配するの?と訊く。
 
「箏、尺八、篳篥、笙、龍笛です」
「あ、それ全部私が手配できる。いつ欲しいの?」
「明日の午前中なのですが」
「それは急ね。でもいいわ。来なかったら、おちんちんちょん切ると言えば来るわよ」
「先生、無茶しないでください」
 
Aさんは「へ?」という顔をしている。
 
「女の子だったらおっぱい揉むぞと言えば」
「それは痴漢です」
 
それで雨宮先生が電話をする。
「おっはよー。**ちゃん。あんた尺八吹けるよね? うん。明日朝、えっとどこだっけ?」
「青山の★★スタジオ、青龍です」
「お、それは凄い」
 
「で、青山の★★スタジオ、最上階の特別ルーム青龍に来て。うん。この部屋は超VIP級のアーティストしか使えない部屋だからさ。めったに入れないよ。え?試験がある?そんなのパスパス。来なかったらあんたが**ちゃんの録音サボった理由ばらしちゃうから。お、来るね。よしよし」
 
何だか脅迫じゃん!
 
「あんたの相棒の**ちゃんは箏が弾けたよね。うん。一緒に連れてきて。じゃねー」
 
そんな感じで、篳篥と笙を吹く人、そして龍笛を吹く人も無理矢理呼び出した。
 
「来なかったら例の件バラすよ。まだ会社やめたくないよね?」
とか
「来なかったらあんたの最初のCD、ラジオで流すぞ」
などと言っていた。
 
この強引さ、蔵田さんとどちらが凄いだろうと私は思いながら雨宮先生の電話を聞いていた。
 

それで翌日の朝、私は篠笛と三味線に胡弓を持ち、振袖を着てスタジオに出かけた。(政子は寝ている)氷川さんとAさんは来ていた。
 
私が振袖を着ているのを見て、Aさんが「美しい!」といって、あちこち触っていた。その内雨宮先生が、尺八を吹く男性と箏を弾く女性、篳篥を吹く女性と笙を吹く男性、そして龍笛を吹く人を連れて来たのだが、その龍笛吹きを見て呆気にとられる。
 
「千里!?」
「あ、冬子さん」
 
そういえば先日も雨宮先生は千里のことを龍笛の名手だと言っていた。それで呼び出したのか。雨宮先生が「名手」と褒めるほどの演奏はぜひ聴いてみたいと私は思った。
 
「仮名C子さんだったね」
と氷川さんも声を掛ける。
 
「あ、済みません。村山千里と申します」
と千里は普通に挨拶している。
 
しかし昨夜先生は龍笛吹きを呼び出す時に「あんたの最初のCD、ラジオで流すぞ」とか言っていた。先日は千里がインディーズのバンドをしていたと言っていたし、つまり先生は千里がインディーズのバンドをしていた時に作ったCDを持っているのだろう。私はそれも聴いてみたい気がした。
 

最初に尺八の人と箏の人がセッションをしたが、尺八の人は更に三味線を持っている私に「いっしょにしません?」と声を掛けて来たので、尺八と三味線のセッションもした。
 
尺八と箏のセッションに「美しいですね」と言っていたAさんは、尺八と三味線のセッションには「格好いい!」と言っていた。
 
その後、私が胡弓と篠笛を吹いた。
 
「胡弓の演奏法、面白い」
「楽器を回転させるというのはヴァイオリン弾きには発想できない演奏法ですね」
 
なお今回の演奏はスタジオの技術者さんの手で録音・録画している。Aさんのユニットの人とスタッフに聴かせるだけで、他の利用はしない条件でAさんに渡すことにしている。
 
この日私が持って来たのは「祭り囃子」用と「日本音階」のものである。最初に祭り囃子用で、小学生の頃に参加したお祭りの囃子の節を吹いた上で、日本音階(唄用と言う)のもので『こきりこ』を吹いた。(篠笛にはこの他に西洋音階のものも最近広く出回っている)
 
私の後で、篳篥の人と笙の人がセッションで演奏した。
 

そして千里の龍笛の番になる。
 
千里が持っている龍笛は何だかふるぼけた雰囲気の笛だ。
 
「これは古い民家で囲炉裏の煙を何十年も浴びた竹で作ってあるんです」
と千里が説明すると、それを通訳してもらってAさんはいたく感心した様子であった。
 
千里が龍笛を構えて吹き始める。
 
途端に周囲の空気が変わった。
 
今までのやや雑然とした空間が突然澄み切った空間に変わってしまった。私は何、この音?と思って千里を見る。他の演奏者も真剣な表情で彼女を見詰めていた。Aさんは鋭い視線で千里を見詰めている。雨宮先生は頷きながら聴いている。
 
しかし千里はそういったみんなの視線は何も感じないかのように、むしろその場の空気と一体化したような感じで、無心に龍笛を吹いている。
 
でも何なのだろう。この空間を支配しているかのような音の響きは? これは楽器が音を出しているのではない。この空間自体が鳴っているのだ。笛が管楽器になっているのではなく、このスタジオ自体が大きな管楽器になったかのようである。
 
そして千里が演奏し始めてから7-8分経った時、突然雷鳴がした。
 
え!? だって来る時は晴れてたのに!??
 

やがて演奏が終了する。私も含めてみんな凄い拍手をする。
 
最初に氷川さんが言った。
「村山さんでした? CD出しません?」
 
「私よりもっとうまい人がたくさん居ますよ。私、うちの妹にも全くかないませんから」
と千里は笑顔で答えた。
 
そういえば青葉も龍笛を吹くと言っていたが、彼女の龍笛も聴いたことがなかったと私は思った。
 
私は言った。
「千里。私の音源制作に参加しない?」
 
「あ、やめといた方がいいよ。私が龍笛吹くと、さっきみたいにしばしば雷が落ちるんだよ。それが音源に入っちゃうから」
と千里。
 
「それって・・・ほんとに龍を呼んでない?」
「ああ、2〜3体来てたかもねー」
 
この会話を通訳してもらったのを聞いて、Aさんは大きく頷いていた。そして言った。
 
「日本って不思議がたくさん残っている国なんですね!」
 
確かに青葉の周辺とか、政子や美空の胃袋には不思議があるなと私は思った。
 
 
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【夏の日の想い出・女になりましょう】(1)