【夏の日の想い出・浴衣の君は】(2)

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後半は伴奏陣はコスプレをやめて、普通の衣装である。普通と言っても、水兵さんのイメージのセーラー服を着ている。
 
セーラー服と聞いた時、最初MINOさんが
「えー!?女装なんですか?」
と言ったが、水兵さんの服と分かって、ホッとしたような顔をしていた。
 
「いや、MINOだけ可愛い女子中生のセーラー服姿でもよいが」とTAKAO。「勘弁してよぉ」とMINO。
「あ、今度全員女装で伴奏しない?」とSHIN。
「それお客さん逃げてくから」とHARU。
 

それでこの後半では、私は実は舞台セットのロケットの中に隠れて電子キーボード(Yamaha MOTIF XS8)を弾いたのである。舞台上では夢美のお姉さんの響美(おとみ)さんがステージ上のキーボード(私のと同型のXS8)の所に居て、さも弾いているかのようにしているが、実はそもそもキーボードの電源を入れていない! それで音を実際に出しているのは私という仕組みである。
 
後半は泉月の作品をひたすら並べる。
 
出たばかりのシングルの曲『愛の悪魔』に始まって、まずピアノの超絶パートを含む『遠くに居る君に』『優視線』を弾くが、その難しいフレーズの後で客席から拍手が来る。それに対して弾いてる振りをしている響美さんがVサインを出して、それにまた拍手が来ていた。なかなかの役者だ!
 
その後、『恋愛貴族』『空を飛びたい』『水色のラブレター』『Diamond Dust』
『Snow Squall in Summer』と歌ってから、活動休止中のローズ+リリーへのエールと称して、ローズ+リリーの《未発表曲》『坂道』を歌ったのには大きなざわめきが起きていた。
 
「この曲はローズ+リリーがデビュー前にレコード会社に売り込むべく作っていたデモ曲だそうで、11月に発売されるとケイちゃんから聞きました」
と和泉が説明すると、更にどよめきが起きていた。
 
そして最後は華やかに多彩な楽器の音の入ったアルバム内の曲『コスモデート』、そして『恋のクッキーハート』で締めて後半のステージを終えた。この『コスモデート』だけは、響美さんもキーボードのスイッチを入れて演奏を手伝ってくれた。これの音源制作の際には、私と和泉、夢美に穂津美さん(エルシー)まで入れた4人でキーボードを弾いている。
 

アンコールで呼び戻される。私はロケットの中に入ったままである。
 
デビュー曲『幸せな鐘の調べ』を、いつものようにTAKAO, HARU, DAI, SHIN, MINO の5人だけの演奏で歌唱する。ここでは私もキーボードを休み、歌だけで参加した。
 
そしてセカンドアンコールはいつものように『Crystal Tunes』である。グロッケン奏者と響美さんが入って来て、響美さんがキーボードの所に就くが、キーボードのスイッチは切ってある。そして実際にはロケットの中にいる私がキーボードを弾きながら和泉たちと一緒に歌った。
 
そのようにして、2009年夏休みのツアー、初日札幌公演は終了した。
 

翌日は新千歳9:15のエアドゥ便(チケットはANAのコードシェアで取っているのでマイルは貯まる)で新潟空港に移動する。そこから上越新幹線でフェスの会場最寄り駅・越後湯沢に入り、そこから手配していたバスで会場に向かう。
 
和泉・美空・小風に私、トラベリングベルズの5人、コーラスの3人、夢美と響美、サポートのグロッケン奏者、フルート奏者、畠山さん、望月さんの他、事務所の男性スタッフ2人を入れて総勢20名に楽器まであるので充分大型バス1台を占有する。
 
青島リンナは三島さんが付き添って直接東京に帰っている。次は28日金沢での共演になる。
 
越後湯沢に着いたのが12:01で、会場に入ったのは12:30くらいであった。
 
「天気悪いですね」
とTAKAOさんが空模様を見て言う。
 
「母が前夜祭から入っているんですが、今年は雨が凄くて大変だそうです。一部の行事が取りやめになったりしたようですね」
と私。
 
「あ、私のお母ちゃんも来てる」
と小風。
「KARION見るからねと言われたけど、見ないでーと言った」
 
「なぜ?」
「恥ずかしいじゃん」
「何を今更?」
 

ロックフェスティバルなるものに来たのはこれが初体験だ。初体験で日本で最高のフェスを経験し、しかも先に演奏する側になるとは思いも寄らなかった。
 
母は木曜日の前夜祭から参加しているが、金曜日にお目当てのクレマスが今度こそはちゃんと出てきてまともに演奏したというので、大喜びだった様子が、母からのメールの文面から読み取れた。なお、クレマスはこのフェスの直後に正式に解散したので、これが結局日本で見ることのできた最後のステージになってしまった。
 

演奏は15:00からなので14:20に再集合することにし、少しだけ自由時間となった。TAKAOさんたちは雨なので室内で待機していると言ったが、私や和泉たちは雨合羽を着て、とりあえず会場の中を歩き回り「フェスの空気」を満喫した。最初は4人で歩いていたのだが、途中で別れる。
 
それで少し歩き回ってから、ぼんやりと売店を眺めていたら
「あれ〜?冬」
と声を掛けられた。
 
政子であった。雨合羽の上に傘も差している。
 
「マーサ、苗場ロック見に来たんだ!」
「うん。今日1日だけの券を伯母ちゃんからもらったんだよ」
「へー! じゃ、例のデモ音源制作はまた今度にする?」
「ううん。夕方東京に戻れる新幹線で帰ろうと思ってた」
 
「・・・じゃさ、東京に戻らずに長岡に行かない? ボク機材は持って来てる」
 
色々チェックをするためにエフェクターは持って来ていたのである。
 
「あ、それイイネ! じゃ何時にしよう?」
「ちょっと待って」
 
長岡市内で以前使ったことのあるスタジオに電話してみた。いろんなアーティストの伴奏で全国あちこち行っているので、この手のリストが携帯の中に眠っている。電話で聞いてみたら18時以降なら部屋が確保できるということだった。新幹線の時刻表を見ると東京に戻れる最終新幹線は22:23発だ。それで私は19時から22時まで予約した。このスタジオは長岡駅の近くにあるので5分で駅に移動できる。
 
「19時から予約したよ」
「じゃここを何時に出ればいいの?」
「えっと17:30のシャトルバスに乗ろうか」
「OK」
 
「バナナマフィン作りはまた今度にしようか」
「明日の朝」
「いいよ」
「よし」
 
「マーサは今日は特にお目当てのアーティスト居るの?」
「あ、→Pia-no-jaC←(ピアノジャック)は見たいなと思ってた」
 
私はタイムテーブルを見て、一瞬悩む。
 
「マーサ。→Pia-no-jaC←は今演奏中だけど」
「えーーー!?」
 
「あと15分ほどで終わりそう」
「うっそー!」
「すぐ走って行ったら、少しは見られるかも」
 
「うん。じゃ17:20くらいにバス乗り場で」
「うん。楽しんでね!」
 
私は微笑んで雨の中、政子の走って行く姿を見送った。
 

集合時刻に美空が来ていなくて、ちょっと焦ったものの、電話で呼び出したら慌てて飛んできた。簡単に打ち合わせした後、出演するステージの裏手に行ってスタンバイする。ここは1200人ほど入る野外ステージである。昼間だが厚い雨雲が出ていて暗いので照明が点いている。ちょっと夜の公園にでもいるような雰囲気だ。
 
雨が少し小降りになってきたので、このままあがるといいけど、などと言い合う。今日のイベントでは基本的にはキーボードは響美さんに弾いてもらう。でも蘭子も何かしろと言われたので、機材設置の手伝いをすることにしていた。髪をまとめて、スタッフ用の帽子をかぶる。スタッフ用の青い雨合羽に着替える。
 
なお今回は雨に濡れる可能性もあるということでヴァイオリンはプラスチック製の電気ヴァイオリン(英国製)を使用することにした。フルートの人も「今日は濡れても平気な安いフルート使います」と言っていた。
 
やがて前の演奏者が終わり、機材の入れ替えをする。私はドラムスセットの一部を持ってステージに上がる。ケーブルのつながり具合を確認する。PAさんと連絡を取りながら音の確認をする。
 
設置OK。KARIONと伴奏者がステージに登る。私は望月さんと共に天候急変に対応するため、ステージの端、後方で待機した。
 
元気よく3人が「こんにちは! KARIONです」と挨拶し、演奏が始まる。最初は『水色のラブレター』だ。私は「ああ、演奏に参加したい!」という気持ちを抑えながらステージの端でみんなの演奏と歌を見ていた。特に自分が札幌で弾いたキーボードまでは自分が立っている所から3mも離れていない。その3mがその時は、物凄く遠い距離に思えた。
 
2曲目『渚の恋人たち』を演奏する。頭の中で指が動く。声が出る。でも今自分は何もできない。物凄い無力感。
 
そして『渚の恋人たち』の2コーラス目を歌い終えた時だった。
 
突然落雷。
 
そして電源が全部落ちた。
 
次の瞬間、和泉が大きな声で叫んだ。
「皆さん。落ち着いて下さい!」
 
このサイズの会場なら和泉の声なら、充分肉声で通るはずだ。
 
「勝手に移動したら危険です! 係員の指示に従ってください。念のため金属製のものは身体から外しましょう。ヘアピン、イヤリングやピアス、ベルト、メガネ、腕時計、携帯電話、などは身体から外して荷物の中へ」
 

この和泉の適切な指示で、観客のパニックは防げた感じであった。
 
ステージの下で畠山さんが運営スタッフの人と何か話している感じだ。が暗くてよく分からない。昼間だというのに雨雲で真っ暗である。
 
5分ほど経ったところで突然楽器の電源だけ回復した。しかし照明は回復しない。畠山さんがステージに登ってきた。全員そこに集まる。私も行く。
 
「照明の系統の電気施設に落雷して、照明の回復はすぐには無理っぽい」
「わあ」
「それで真っ暗な中で申し訳無いけど、演奏可能ならしてということなんだけど」
 
「やりましょう」
「よし」
 
それで各自自分の場所に戻ろうとしたのだが、響美さんが言った。
 
「冬ちゃん、この後は冬ちゃんがキーボード弾きなよ」
「え?」
「照明が落ちて、真っ暗で誰が誰だか分からないもん」
「ああ、それは絶好の機会だね。ステージ始まる時、キーボードの位置には響美姉ちゃんが就いたのをお客さんは見てる。この後、冬が弾いても、弾いてるのは響美姉ちゃんだと思う」
と夢美が言う。
 
「うん。それで行こう!」
と和泉が言い、私も了承する。
 
ステージの後ろの方に行き、暗いのをいいことに、ドラムスセットの後ろで私がスタッフ用の青い雨合羽を脱ぎ、それを響美さんが着る。私がかぶっていた帽子を響美さんが髪をまとめてかぶる。
 
私は長い髪を垂らして、キーボードの所に就いた。するとそこに望月さんが駆け上がってきて、私にヘッドセットマイクを渡した。私は微笑んで受け取った。
 

「みなさん、照明の方の故障が直るのに時間が掛かるそうです。でも楽器の方は電気が来ているので、これで演奏します。暗くて少し肌寒い中ですが、私たちの演奏で少しでも心が明るくホットになりますように」
 
そう和泉は観客に向かって言い、演奏を再開した。
 
最初は最新シングルの中から『三段畑でつかまえて』だ。暗くて譜面は見えないが、全部頭の中に入っているので問題無い。キーボードを弾きながら歌唱にも参加する。
 
さっきまでステージの端に立ってみんなの演奏を見ていたのとは全然気分が違う。やはりこれ良い! やはり音楽って、演(や)るのが楽しいよね。見てるだけじゃ詰まらない!
 
指が鍵盤の上で踊る。声が喉から出ていく。なんて素晴らしいんだろう!!
 
更に『愛の悪魔』『恋愛貴族』と演奏していき、やがて『優視線』になる。ピアノの超絶プレイを難なく弾きこなす。観客から拍手が来る。快感!!!
 
次の『遠くに居る君に』も難しいピアノパートが組み込まれている。ここもいとも簡単に弾く。また拍手が来る。嬉しい!
 
そうだ、音楽ってこんなに快感なんだもん。絶対これを政子にも体験させたい。私はそう思いながら、演奏し、そして歌っていた。
 
最後『コスモデート』を演奏して、40分間(中断を入れると48分)のステージを終えた。
 
「ありがとう!」と言って和泉たちは降りる。伴奏陣はスタッフと一緒に楽器をステージから降ろした。
 

「楽器結構濡れた?」
「後で状況を確認する。場合によっては金沢では別の楽器を手配する」
 
一応演奏している場所には屋根があるのだが、雨風がかなり吹き込んで来ていた。
 
「フルート大丈夫ですか?」
「平気です。この子はこれまでも何度も雨に当ててますが問題起きてませんから。安物の強さです」
 
「高価な楽器は使えませんよね」
「もし調子がおかしくなったりしてメンテが必要になったら連絡してください。費用は出しますので」
「分かりました」
 
全員服はかなり濡れているのですぐ着替える。
 
この後の予定を確認する。TAKAOさんたち5人はこのまま次の演奏地金沢に移動するということだった。21:30越後湯沢発の《はくたか》に乗るとのことで、それまでフェスを見学しているということだった。ホテルには0時過ぎに到着することを連絡しておく。
 
和泉たち3人とコーラスの子たち、サポートのグロッケンとフルートの人はいったん東京に戻るということで望月さんが和泉たちに、三島さんがコーラスの子たちに付きそうことにする。夢美と響美は明後日までに金沢に着くように適当に移動するという話だった。畠山さんと男性スタッフは楽器の配送を手配した後いったん東京に戻る。
 
私はみんなと別れて1時間ほどフェスの会場を見学した後、17:10頃シャトルバスの所に行った。5分ほどで政子も来た。
 
「楽しめた?」
「うん。結構面白かった」
「その内ステージの方に立とうよ」
「それもいいなあ」
「フェスのステージに立ったら超絶快感だから」
「まるで経験があるみたい」
「実は今歌ってきたんだよ」
「冬は嘘つきだからなあ」
「うふふ」
 

バスで越後湯沢駅まで行き、上越新幹線の下りに乗って長岡まで行く。そしてそこのスタジオで私と政子は「声を変形するエフェクター」を使い、私たちが歌っているとは分からないようにして歌った音源を作成した。
 
その日最終の新幹線で東京に戻る。そして翌日、朝から政子の家を訪問してバナナマフィン作りをした。
 
その夜私は町添さんの自宅を訪問し、昨夜政子と2人で作った音源を聴いてもらった。最初町添さんは私たちが歌っているとは気付かず
 
「お友だちのユニットか何か?」
などと訊いた。
 
実は私と政子の声であることを明かすと本当に驚き、★★レコードの技術陣に誰が歌っているのか当てさせてみると言った。結果は技術陣は当てることができず、それでローズ+リリーの「変声ユニット」ロリータ・スプラウトのプロジェクトが始動することになる。
 

さて、町添さんの自宅を訪問した翌朝、私は羽田空港に行き、和泉たちと合流して、小松まで普通のエアバスA320に乗り移動した。昨年11月にはF15でこの空港に降り立ったことを思い出すとちょっと懐かしい思いさえする。
 
あれはもう勘弁して欲しいものだ!
 
お昼前に会場に入るが、TAKAOさんたちは既に来ていた。夢美たちやサポートミュージシャンの人、コーラス隊はまだだったが簡単に打ち合わせ、それからお昼にした。
 
お昼は美空の希望で富山の鱒寿司にする。私と和泉・小風の3人で1つを分けあって食べ、美空はひとりで2つ食べて満足そうにしていた。
 
苗場で雨に濡れた楽器だが、どれもトラブルは起きていなかった。ギターなども大丈夫だったし、ドラムスの皮なども演奏後すぐに丁寧に拭いたのもあるのだろうが、問題無かった。
 

金沢のライブは基本的に札幌と同じ方式で進行する。前半ではダークベイダーのコスプレをしてキーボードを弾き、後半は響美さんをダミーの演奏者にして私はロケットのセットの中で演奏した。もちろん歌にも参加した。
 
その日は金沢で泊まり、翌日はサンダーバードで移動して神戸で公演する。新幹線で東京に戻り、30日はオフである。オフの日は私や和泉は自動車学校に通い、小風は塾に出て行っていた。
 
31日は飛行機で福岡に移動してライブ。終了後福岡空港から那覇に飛んで那覇市内で泊。8月1日は那覇公演である。その日はそのまま那覇で連泊。翌日朝の便で大阪に移動し、大阪ライブをして8月3日からはシングルの音源制作に入る。
 
この音源制作にも夢美は参加してくれた。今回も私がキーボード、夢美がヴァイオリンである。
 
11月に出す予定のシングル『愛の夢想』(c/w『奈良橋川』『スノーファンタジー』)、2月に出す予定のシングル『愛の経験』(c/w『涙のランチボックス』『桜咲く日』)を一気に制作する。
 
『スノーファンタジー』には超絶キーボードプレイに加えて、超絶ヴァイオリン・プレイがあり、譜面を見た時夢美が「何これ〜!?」と叫んだ。
 
「冬さぁ、自分で自分の首を絞めてるでしょ。こんな譜面を書けば結果的に冬は演奏スタッフから離れることができない」
と夢美は言うが
 
「ふふふ。それが目的さ」
と私を乗せてこういうスコアを作らせた和泉が言う。
 
「だけどこれは夢美ちゃんが居ないと実演できないな」
「冬、キーボード弾きながらヴァイオリン弾けないだろうしね」
「それはさすがに無茶」
 

実際、音源制作は3日間でほぼ終わり、6日木曜日の午前中に少し追加で録音をしただけでその日の午後と7日はお休みとなった。
 
「1日おいてはまたライブか」
「でも8日は30分だけだから」
「14:00からのステージだから、13:00集合で」
「僕は11:00に新宿のオフィスを出てワゴン車で会場に向かうから、5人くらいはそれに同乗できる」
と畠山さんが言うと
 
「あ、乗せて下さい」
とSHINが言っている。
 
「蘭子はどうやって行く?」
と小風から訊かれるが
 
「それがさ・・・、実はマリが横須賀ロックフェスティバルのチケットをもらってきて、成り行き上、一緒に行くことになってしまって」
 
「なーんだ。同じ場所に行くんなら問題無い」
と小風は言ったが
 
「ちょっと待って。横須賀ロックフェスティバルなの?」
と畠山さん。
 
「ん?私たちが出るのは?」
「横須賀歌謡フェスティバル」
 
「違うイベントなの〜〜?」
 
「横須賀音楽振興会が主催するのが横須賀歌謡フェスティバルで、横須賀ミュージック振興会が主催するのが横須賀ロックフェスティバル」
 
「紛らわしい!」
 
「3年くらい前から始まったんだけど、始める時にそもそも主催者内で対立があって分裂したんだよ。それで毎年両者で同じ日にイベントをやっている」
 
「意地っ張りだなあ」
「お客さんもしばしば間違って反対側に行っちゃう」
「お客さんもだろうけど、出演者も間違えません?」
「まあ、そういう事故もあったことがある」
 
「でもなぜそんなチケットをもらう?誰からもらったの?」
「えっと、△△社さんなんですけど・・・」
「ちょっとさすがに津田さんに文句言っておこう」
などと畠山さんは言う。
 
(この件、後で聞いたのでは実は私たちに歌謡フェスティバルのチケットを渡すはずが、どこかで間違ってロックフェスティバルの方を渡してしまったらしい。津田さんが平謝りしていたらしい。なお翌年から両フェスは統合され「サマー・ロック・フェスティバル」の名前になる)
 
「でも横須賀市内なら移動できるでしょ」
「そちらの会場から、私たちが演奏する時だけ抜け出して来てよ」
「あはは」
 
「いや実際両方の伴奏を掛け持ちする人もあるんで、短時間で移動できる優先ルートが確保されている。それを利用できるようにしてあげるよ」
「お手数お掛けします」
 

2009年8月8日。朝から政子・礼美・仁恵と落ち合って電車で横須賀に向かう。琴絵も誘ったのだが「私は音楽を聴いたら眠る」と言うのでこの4人での行動になった。
 
横須賀ロックフェスティバルの会場に入る。午前中は一緒に出演者の演奏を聴く。お昼休みにお弁当を買ってきて斜面に座って食べていたら、甲斐さんと会い、チケットの御礼を言っておいた。
 
午後の演奏が始まってすぐに私は政子に
「ちょっと気分が優れないから隅の方で休んでる」
と言った。
「どうしたの?生理痛?」
「うん。それもあるけどね」
と私が答えると礼美がポカーンとしていた。
 
取り敢えず手を振って政子たちのそばを離れる。甲斐さんが良い席を用意してくれていて、前の方のブロックで見ていたので、運営本部に近いブロックである。私は伴奏出演者を表す黄色のバックステージパスを見せると、スタッフ専用の入口まで行った。
 
ここに「歌謡フェスティバル」と「ロックフェスティバル」の会場間を結ぶシャトルバスが停まっている。13:15発で、歌謡フェスの会場には5分で着いた。両会場間を結ぶことができる林道を、この日イベントスタッフ専用にしてくれているのである。普通の車で普通の道で移動しようとすると倍以上掛かる。
 
私はシャトルバスを降りるとすぐにステージ裏に駆け付ける。
 
「遅いぞ」
「ごめーん」
「遅刻した罰で今日は逆立ちしてキーボード弾いてもらおう」
「無理だよぉ。逆立ちするのに手を使うもん」
「だから足で弾く」
「無茶な!」
 

最初からパフォーマンスに徹している「エアーバンド」は別としても、バンドの一部の演奏者がダミーであるというのはよくあることである。特にアイドル系のバンドや一部のガールズバンドには、しばしば陰の演奏者がいることもある。また年齢が高くなって技術力の衰えた往年の名演奏者に実は吹き替え演奏者がいることもある。
 
このフェスでは2012年以降、その手の陰の演奏、音源使用、マウスシンクなどの類が原則禁止されたのだが、この時期はまだその手の行為は行われていた。それで、陰の演奏者のための隠しステージまで用意されていたのである。
 
それでこの年のKARIONの演奏では、舞台上に響美さんが上がり、私は隠しステージに設置したグランドピアノと電子キーボードを使って演奏することにしていた。
 
私たちの前の演奏者はひどかった。女の子6人のユニットで、ギター3人とショルダーキーボード1人にボーカル2人という構成だったのだが、実際には誰も演奏せず誰も歌っていない。隠しステージにギター・ベース・キーボード・ドラムスというふつうのバンド(全員男性)と2人の女の子のボーカルが居て、そこで演奏し歌っていたようである。
 
まあよくあることなので、誰もそれを噂に立てたりはしない。もっともデリケートな部分もあるのでお互いに顔を合わせないようにコントロールはしてくれている。私は帽子をかぶって雰囲気を変えた上で、前の隠し演奏者(というより実際問題として演奏の本体)が引き上げた後スタッフの指示で中に入り、スタンバイする。モニターに注視する。
 
和泉たちがステージに上がる。「こんにちは! KARIONです」という挨拶は私も一緒にヘッドセットマイクでする。
 
最初いきなり『優視線』を演奏する。ピアノの難しいソロを私はグランドピアノできれいに弾きこなす。歓声があがる。気持ちいい!
 
その後『遠くに居る君に』でもまたピアノの難しいパートがある。また歓声をもらう。その後、『水色のラブレター』『愛の悪魔』『渚の恋人たち』と演奏。初披露となった『スノーファンタジー』では、私の超絶プレイと、夢美が弾いてくれたヴァイオリンの超絶プレイにも拍手が来る。そして最後は響美さんも実際に弾き私とツインキーボードで『コスモデート』を演奏してステージを終えた。
 
隠しステージから降りて帽子をかぶり、本ステージの方から降りてきた和泉たちを迎える。和泉・小風・美空、そして夢美ともハグした上で私は会場を後にした。
 
またスタッフ用のシャトルバスでロックフェスの会場に戻る。そして政子たちの所に戻ったのが、15:00であった。2時間近く政子たちから離れていたことになる。
 
「冬、随分長時間休んでいたね。大丈夫?」
「うん。寝てたら体力回復した」
 
「受験勉強のしすぎ?」
と礼美から訊かれる。
 
「そうだね。ここのところ毎晩夜遅くまでやってたから」
 
「生理の方は3日目くらい?」
と政子。
「まだ2日目」
と私が答えると、礼美はマジで悩んでいた。仁恵は呆れたような顔をしていた。
 
しかしこの時期は実際 KARION, ローズ+リリーだけでなく、いろんな音源制作が同時進行していたので、たくさんスコアを書いたり音源をまとめたりして、ほんとに忙しかったのである。それまで使っていたCubaseだけでは間に合わないので、最新のパソコンと大型LCDを買い、とうとうProtoolsも入れて作業していた。
 
母が
「あんたの部屋、何か落として壊しそうでうかつに入れん」
とよく言っていた。
「そう簡単に壊れないから大丈夫だよ。停止しているハードディスクは落としても平気」
 
「でもあんた受験勉強してるの?」
とマジで訊かれた。
 

この日ロックフェスを見に行った日は熱気あるステージを見て興奮した政子が、気持ちが鎮まらないというので、横浜でプールに行き泳いだ。それでもまだ収まらないなどと言っていた時、横浜駅でバッタリと丸花さんに出会う。
 
丸花さんが私たちを誘うので、私と政子は仁恵・礼美と別れて丸花さんのカムリに乗った。丸花さんは私たちを終了して誰もいなくなった、ロックフェスのステージの上まで連れて行ってくれた。
 
「見てごらん」
と丸花さんが言う。
 
私たちは今は誰もいない観客席を見渡す。そこに何万人もの観衆がいるのを想像する。
 
「君たち、ちょっとここで歌ってみない?」
と丸花さん。
 
「えへへ。やはり私歌ってみようかな」
と政子が言う。ちょっと言われただけでその気になったのは凄い進歩だなと思った。
「一緒に歌おう」
 
そして私たちはここで、丸花さん(と警備の人)だけが見ている中で、束の間のローズ+リリー・ライブをしたのであった。
 

遅くなってしまったので、東京に戻るのは大変だしということで、丸花さんは横須賀市内のホテルを取ってくれた。そこで政子はまた夜通し、たくさん素敵な詩を書いた。
 
そして政子はそれまで「250年経ったら復帰する」と言っていたのが「200年で復帰できるかも」と言い出した。
 
朝御飯を食べた後、私たちは丸花社長の車に乗せてもらって東京に向かう。
 
が、横浜まで来た時に丸花さんは
 
「あ、そうだ。ケイちゃん、ちょっと用事を頼まれてくれない」
と言って、私にメモ(実は白紙)を渡す。
 
「はい、いいですよ」
 
それで丸花さんは私をみなとみらいで降ろしてくれた。その後、政子を自宅まで送り届けてくれた。
 

それで私は朝10時に今日KARIONのライブをする、ナショナルホールに入ることができた。
 
「お、いつもギリギリに来る蘭子が一番乗りって珍しい」
と10時半頃に来た和泉に言われる。
 
「まあ、サブリーダーがいつもギリギリというのも悪いし」
などと言ったら、
「おお、自覚が出てきたのは良い」
 
昨夜政子は歌詞をフランス語で書いたが、私はそのフランス語の歌詞を見ながら曲を付けていた。その日のお昼前までに政子は自分が昨夜書いたフランス語の歌詞を日本語に訳した。するとその日本語訳は私が書いた曲にピタリと合った。
 
「すごーい。ぴったり収まったよ」
と政子は譜面を私の自宅にFAXしてから私の携帯に電話してきた。
 
「これって冬があの詩を自分で訳しながら音符を入れたの?」
「違うよ。マーサの詩を書いた心を感じながら曲を付けただけだよ」
 
「そっかあ。私たちって、心が響き合ってるもんね」
「そうだよ。だって、ボクたち愛し合ってるもん」
 
なんて会話をしたら、そばで聴いていた小風がニヤニヤしていた。
 
電話を切ってから
「どんな歌を書いたの?」
と和泉に尋ねられたので、自宅に居た母に頼んで、会場のFAXに転送してもらった。見せると、和泉は
 
「私負けないから」
と厳しい顔で言った。
 
そしてその場で『FUTAMATA大作戦』という詩を書く。
 
その詩を眺めた小風が「これ冬のことじゃん」と言って笑った。この曲はKARIONの春の活動再開後に発表され、KARIONの初ダブル・プラチナ曲となる。
 

翌日10日は休みだったので、自動車学校に出て行った。母から
「あんた、1日も休まずに毎日どこか出て行っているけど、勉強は大丈夫?」
などと言われる。
 
「成績は落ちてないよ」
と言っておく。
 
毎週1回自己採点方式の模試を解いていて、その成績が極端に落ちたら自動車学校への出席を保留する約束を母とはしているが、一応成績は良好な状態でキープしている。
 
「まあ自分の体力のことも考えてね」
と母は少し心配するように言った。
 

11日は朝から新幹線で仙台に移動して仙台ライブ。その日は東京に戻って帰宅する。(仙台から高松への直行便が無いのでどっちみち東京に戻る必要がある)12日は朝から羽田に集合し、9:45のANAで高松に入り、高松ライブである。その日は瀬戸大橋を渡って岡山に泊まり、翌日13日は新幹線で名古屋に入り、名古屋ライブをした。そしてその日は新幹線で三島まで移動した後、スタッフ一同バスに乗って西伊豆の結構良い雰囲気のホテルに泊まった。
 
SHINさんが
「いづみちゃんたちだけでなく、俺たちもこんな良いホテルに泊まっていいの?」
などと遠慮がちに言っていた。
 

まだ日が高い内に現地に入ったので、浴衣を着せてもらい散歩に出る。
 
「近くに恋人岬なんてあるけど行ってみる?」
などと言われて車で送ってもらう。
 
「今和泉も冬も運転の練習してるんでしょ? 車に乗ってたら運転してみたくならない?」
「いや、まだ恐る恐るだよ。今月中には仮免取れると思うけど」
と和泉。
「冬は?」
「私は誕生日10月だから仮免取るのは10月になってからだけど、その前までは夏休みまでに終わらせる」
と私。
 
「ふたりとも凄いな。私は大学に入ってから免許取ろう」と小風。
「それまでは余裕ないよね、さすがに」
 
「私は誰かに乗せてもらおう」と美空。
「ああ、確かにみーちゃんは運転には向かない性格っぽい」
「なんかボーっとしていること多いもん」
「うん。私、ボーっとしているの好き」
 
政子もサイン頼んだのに無視されたという話が多いが美空も多い。どちらも心ここにあらずという状態になっていることが多いので声を掛けられても気付かないのである。政子と美空は食欲だけでなく、そのあたりの雰囲気も似てるなと私は思った。
 

「昔、この付近に住んでいた漁師の男と、村娘が鐘を鳴らして合図していたらしいよ。船の上から鐘を3つ鳴らすと、娘も浜で鐘を3つ鳴らしていたんだって」
 
「鐘を使ったチャットだな」
「その内モールス信号で話し始めていたりして」
 
「モールス信号まではしなかったかも知れないけど、結構バリエーションの鳴らし方を考えたりしていたかもね」
 
「でもこの手の名前が付いている場所って悲恋伝説の所が多いけど、ここは幸せな恋なんだね」
 
「恋はやはりハッピーなのがいいなあ」
 
そういえば私が小学生の時に『黒潮』のイメージビデオを撮影した久米島にもあの後『ナノの鐘』などというものが設置されて、新婚旅行客などに人気らしい。そのことを思い出して、私はふと楽しくなった。
 
売店に鐘が売ってあったので鐘を1人1個ずつ買って、小風と美空が鳴らしあっていた。
 
「小風と美空で結婚する?」
「いや、私たちはストレートだ。和泉たちと一緒にしないでくれ」
 

しばらく散歩して少し疲れたので、ちょうど空いていたベンチに座る。
 
「喉が渇いたね」
「あ、あそこに自販機がある」
「私が買ってくるよ」
と言って、私は3人を置いて自販機の所に行った。それでマンゴージュース(美空用)を買い、次にコーラ(小風用)を買おうとした時、
 
「私はピーチティーの方がいいな」
という声を聞く。
 
振り返ったら政子だった。可愛い浴衣を着ている。
 
「マーサ! どうしたの!?」
「静岡のおばちゃんとこに行く途中。ちょっと寄った」
 
取り敢えず政子のリクエストに応えてピーチティーを買う。目の端で和泉が《行くね》という感じのサインをしているのを見た。
 

「静岡の伯母ちゃんって言ったら、お父さんのお姉さんだったっけ?」
 
「そうそう。いつも来ている伯母ちゃんはお母ちゃんのお姉さん。昨日うちに遊びに来てて、帰るのに『気晴らしにドライブする?』と誘われたんで乗って来たんだよね。帰りは新幹線。それでこの付近まで来て、私が恋人岬見たこと無いって言ったら、寄ってくれたんだよ」
 
「浴衣は自前?」
「ううん。観光案内所のサービスで借りてきた。冬の浴衣は?」
「同じく。でも可愛い柄だね」
「冬のもね」
 
それでしばらく話していたが、
 
「そういえば冬は何でここに来たんだっけ?」
と訊かれる。
 
「明日近くでポップ・フェスティバルがあるんだよ。それに出場する」
「伴奏か何か?」
「歌うよ」
「へー」
「マーサも歌うんだよ」
「うそ」
 
「だってローズ+リリーは出演することになってるよ」
「そんなの私聞いてない」
「こないだ言ったじゃん」
「あぁ。でも私出ないって言ったのに」
「焼肉でもおごってあげるから出ない?」
 
「焼肉じゃ不可だな。ステーキ食べ放題」
「いいよ」
 
「ほんとに?」
「うん。そのくらい、おごってあげる」
 
「・・・・・出ようかな」
「うふふ」
 
「でもやはり歌う自信が無いよぉ」
「マーサ充分上手いじゃん。先月軽音フェスティバルでも4000人の前で歌ったし、こないだは千葉のフェスでも数千人の前で歌ったし、ロックフェスの会場で歌った。あの時はお客さんは丸花さんと警備の人だけだったけどさ」
 
「まだローズ+リリーとして歌えない」
「じゃ、名も無き歌い手としてなら歌える?」
「・・・ステーキ食べ放題?」
「いいよ」
 
「じゃ1曲だけなら」
「いいよ」
 

それで私は紅川社長に電話する。紅川さんは驚いていたが、私たちのわがままを聞いてくれて、§§プロの秋風コスモスと川崎ゆりこのステージの間に、私たちのための時間を5分作ってくれるということだった。
 
「司会者には何もコールさせない。だから名も無き歌い手として歌っていい」
「ありがとうございます」
と言って電話を切る。
 
「じゃ。どこか泊まる所確保しなきゃ!」
 
伯母さんに電話していたが、結局西伊豆はどこも埋まっているだろうということで、三島市内に宿を確保。政子は今日はそちらで泊まってまた明日出てくることにし、30分くらい散歩してから別れることにした。
 
そのままゴールドベル(幸せの鐘)の所まで行く。
 

「鐘は3回鳴らすんだって」
と言って政子は私の手を取り、一緒に鳴らした。
 
「ね・・・ボクと鳴らして良かったんだっけ?」
「だって幸せになれるよ」
「そうだね」
 
それで次に並んでいるカップルに譲って振り返った時、私たちは思わぬ顔を見た。
 
「松山君!?」
「木原君!?」
 
ちなみに「松山君!?」と言ったのは私で「木原君!?」と言ったのは政子だ。
 
「なんか不思議な組合せね?恋人になったの?」
「まさか!」
 
「僕たちはそれぞれの彼女待ちだよ」
と松山君が説明する。
 
「びっくりした。でも松山君、ちょっと女の子っぽい雰囲気もあるし、女装したら、木原君とデートできるかも」
などと政子は楽しそうに言う。政子はそんなストーリーを想像しただけで、楽しくなる子だ。
 
「うーん。僕は確かに小さい頃よく女の子みたいと言われてたけど」
と松山君。
「だったら女装してみようよ」
「いや遠慮しとく」
 
「木原君は松山君が女装したらデートしてみたくない?」
と政子が訊くと
「そうだなあ、可愛くなるなら構わないけど」
などと木原君は言う。
 
「おお、だったら松山君ぜひやってみよう。女の子の服を貸そうか?」
「いや、パス」
 
「だけど、僕唐本さんの女の子姿、実物は初めて見た」
と木原君。
 
「ああ、あまり校内では女の子の格好しないもんね。校外だとむしろ男の子の格好をほとんどしてないのに」
 
「じゃ、唐本さんって、校内では男の子で、校外では女の子なんだ」
「だったら、唐本さんって実は男装女子?」
「ああ、そういう意見は多い」
 
しばし話している内に、同じ学年の女の子が2人、浴衣姿でやって来る。私たちはその子たちと手を振り挨拶する。
 
「わあ、私冬ちゃんの女の子姿の実物初めて見た」
などとその子たちからも言われた。
 
結局近くに居た大学生くらいの男の子に頼んで6人で並んだ記念写真を撮ってもらった。
 
それで4人と別れて私たちは道を戻った。
 

伯母さんが待っているレストランの前で政子と別れてからホテルに戻ったら、ちょうど和泉たちがエレベータから降りてくる所だった。
 
「冬、御飯に行くよ」
「わあ、ちょうど良かった」
 
ということで一緒にレストランの個室に入る。今日の夕食は4人だけである。
 
「マリちゃんとのデートどうだった?」
「明日歌うことになった」
「何!?」
 
というので、言葉の流れで誘ってみたら歌うことに同意したことを話す。
 
「このフェスの運営委員さんと知り合いなんで連絡したら5分間だけ時間をもらえることになった」
「それは見なければ!」
 
「でもマリちゃんが歌ったら大騒動だろうね」
「そうでもないと思うな。マリは先月、高校のバンドで出演した軽音フェスティバルでも歌ってるよ。盗撮写真がネットに出回ってたね。速攻で全部クレーム入れて削除させたけどね」
「それ知らなかった」
 
「今回、司会者は何も言わない。秋風コスモスちゃんが歌った後、次の川崎ゆりこちゃんが出てくる前に5分間だけ時間をもらうから、そこで唐突に出て行って何も名乗らずに1曲だけ歌って下がる。何が起きたのか理解できない観客も多いかもね」
 
「フェスは撮影禁止だから、写真も出回らないだろうね」
「うん。撮影している所見つけたらスタッフが飛んで行って即消去させるから」
 
「秋風コスモスちゃんなら、Bステージ朝11:00か」
と和泉がタイムテーブルを見ながら言う。
 
「そうそう。Bステの午前中は、満月さやか、浦和ミドリ、秋風コスモス、川崎ゆりこと§§プロのアイドルが4人連続で歌う。そこにちょっと割り込むんだよ。だから私とマリが歌うのは11:27くらいになると思う」
 
「私たちKARIONは午後1番だったね」
「Aステージのね」
「じゃ午前中Bステージ偵察」
 

翌朝、9時すぎに政子はやってきた。紅川社長たち§§プロのグループが泊まっているホテルの前で落ち合い、連絡して、社長のもとを訪れる。
 
「社長、例の移籍問題は何とか決着が付いて良かったですね」
「いや、面目ない。あれは大変だったよ。まあ、あの子が今後もちゃんと活動していけるような形で決着できて良かった」
「ええ、あの子が歌謡界から去るのはやはり損失ですよ」
 
などと話をするが
「こちらも落ち着いたし、僕も君たちの獲得競争に名乗りを上げようかな」
などとも言われる。
 
「済みません。もうだいたい気持ち的には決まっているので。具体的な交渉は大学に入った後になりますが」
と私は言う。
 
「まあ、そうだろうね。そちらは諦めて、裏の話に僕も一口乗ることにしたから」
「はい、多分そうだろうと想像していました」
 

「で、コスモスとゆりこは同じ伴奏者が続けて演奏するから、君たちの伴奏もついでにしてあげられるけど」
 
「それではこのスコアでお願いします」
と言って私はプリントしておいた譜面を渡す。
 
「OK」
 
「でも秋風コスモスちゃん、可愛いですよね。あの雰囲気が好きだなあ」
などと、ここまで発言していなかった政子が言う。
 
普段はコスモスの歌をかなり馬鹿にしているが、さすがに発言のTPOは分かっているようだ。
 
「そうそう。うちはとにかくアイドルは可愛くというのが方針。冬ちゃんもかなり誘っていたんだけどなあ。一時は行けるかなと思った時期もあったんだけど」
 
「心が揺れた時期があったのは確かです。申し訳ありません」
 
「ケイがもし、こちらからデビューしていたら、何か芸名の候補とかあったんですか?」
 
「川崎ゆりこ」
と私と紅川社長が言う。
 
「えーーーー!?」
「私が断ったんで、彼女にその芸名が行っちゃったんだよ」
 
「そういうこともあるのか」
「この世界では良くある話」
 
「でも女の子歌手だったんだ!」
「当然」
 
「ぐふふふふ」
と政子は可笑しくてたまらないような笑い方をする。
 
「アイドルはそんな笑い方したらダメだよ」
と紅川さんが注意した。
 

いったん紅川さんとは別れて、10:40頃にBステの控室に入る。出番直前の秋風コスモスに会い、政子は
「コスモスちゃん、大好きです。お会いできて嬉しいです」
などと言っている。
 
それでコスモスがステージに行くのを見送る。政子は出番が終わって戻ってきた浦和ミドリちゃんとも色々おしゃべりしている。こんなことができるようになったのも、政子の成長かなと私は思った。政子は元々あまり人と話すのが好きではない。
 
政子がじっとコスモスのステージを見ていた。自分がそこに立つ姿に重ね合せているのだろうか。
 
やがてコスモスの最後の歌になる。私たちはミドリや次の出番の川崎ゆりこに一礼してから控室を出る。ステージのすぐそばでスタンバイする。やがてコスモスが歌い終わり、歓声に手を振って応えて上手に退場する。
 

私たちは下手から登場する。司会者の案内も無かったし、多くの観客はスタッフでも出てきたのだろうと思ったであろう。そもそも私たちってテレビに出たのは12月の記者会見くらいだし、雑誌とかにも写真は出してないから、私たちの顔を認識できる人はひじょうに少ないはずである。
 
バンドの人たちが『夜宴』の伴奏を演奏してくれる。それで私たちは一緒に歌い出した。
 
突然見たことのない女の子が2人歌い出したので、観客は大いに戸惑ったようだが、すぐに手拍子をしてくれる。何ともありがたいことである。ほんの6日前に書いた曲だ。ロックフェスの会場で歌った感動を歌にしたものだが、あの時は無人のフェス会場で歌った。今日は400人くらいの観客を前に歌う。
 
歌いながら政子の顔を見るが、緊張した様子は無い。伸び伸びと歌っている。やはりこの子は元々スターなんだ。私はあらためてそう思った。
 
観客の中に私たちの素性に気付いた人がいたかどうかは定かではない。それでも私たちは、しっかりと約4分30秒ほどの歌を歌い、拍手をしてくれる観客にお辞儀をし、伴奏してくれたバンドの人たちにもお辞儀をして上手に下がる。すると司会者が「次は川崎ゆりこちゃんです」と案内し、下手から、ゆりこが登場する。彼女が「こんにちは! 川崎ゆりこです」と挨拶をして歌い始めたのを見て、私たちは控室に戻った。秋風コスモスが握手を求めてきたので、ふたりで握手する。
 
「マリちゃん、物凄く上手くなってる」
とコスモスに言われる。
 
「いや正直、マリちゃんって私やミドリとかのお仲間と思ってたのに、ずるいよお、こんなに上手くなって」
とコスモス。
 
「えへへ、毎日カラオケ2時間くらい歌ってる」
と政子。
 
「うーん。私は努力するのは苦手だな」
などとコスモスは言う。それでこそコスモスだ!
 

紅川社長はその付近に居ない感じであったので、後日また御礼にお伺いしますと告げてBステージを後にした。政子の伯母さんと落ち合い、軽くお茶を飲んでから別れた。
 
時刻は12:30である。そのままAステの控室に入った。
 
「遅い」
「ごめーん」
 
「マリちゃんの歌、見たよ」
と言ったのは小風であった。何だか顔がマジだ。
 
「ありがとう」
「マリちゃん、サウンドカフェ入れて受験勉強しながら歌っていると言ってたね?」
「うん」
 
「私もそれ入れる。何を用意すればいいか教えて」
と小風は言った。
「うん。必要なものメールするね」
 
その会話だけで、小風がマリの歌をどう感じたのか、良く分かった。
 

このフェスでは、横須賀のフェスほど大規模なものではないので隠しステージのような設備まではないが、いちばん後ろの幕の後ろに結構なスペースがあり、楽器などを置けるようになっている。そこで私は今回演奏することになっていた。
 
前の演奏者が下がり、機材の入れ替えをする。私は自分が弾く MOTIF XS8 を自分で持って、幕裏のキーボード台に乗せケーブルをつなぐ。スタッフの指示で音の確認をする。
 
照明の関係で表側からこの幕裏は見えないが、こちらから表側は結構見える。
 
それでTAKAOさんの合図を見て、一斉に演奏を始める。
 
最初は華やかに『コスモデート』から始める。2日前に発売したばかりのアルバムのラストを飾る曲である。その後、『銀河ブラブラ』を演奏したら客席が異様な盛り上がりを見せた。これは今日の観客の中からKARIONファンがかなり生まれたなと私は思った。
 
その後、『優視線』と『遠くに居る君に』、更に『スノーファンタジー』と、私の超絶プレイの入る曲を3曲連続で演奏する。これでまた別の方面のファンが生まれたであろう。そして最後は夏らしく『渚の恋人たち』を演奏してステージを終えた。
 

ステージが終わると、私と和泉・美空・小風の4人は望月さんの車で三島駅まで行った。14:22の《こだま》に乗り東京に戻る。(車は駅に置き去りにして後で事務所の他の人が回収する)
 
東京駅までレンタカー屋さんが持って来てくれていた車に乗り、16:00頃、会場に入った。伴奏陣やコーラス隊の子はワゴン車やマイクロバスで移動するので1時間後くらいに到着するはずである。夢美と響美は別途タクシーと新幹線で移動中である。
 
「あ、そうそう。和泉、誕生日おめでとう」
と言って私は小さな箱を渡した。
 
「あ、忘れてた」
などと小風が言う。
「私、みんなの誕生日覚えてなーい」
と美空。
 
「みーちゃん、自分の誕生日も覚えてない気がする」
「え? 私の誕生日は9月20日だけど」
「10日!」
と私・和泉・小風は声を揃えて言った。
 

その日。今回のツアーの打ち上げとなる東京公演では、最初に和泉・美空・小風の3人が浴衣姿でステージに登場した。後ろの幕に花火の動画が投影され、花火の音も効果音で鳴り響く。そして
 
「こんばんは! KARIONです」
と挨拶すると、客席から
「いづみちゃん、誕生日おめでとう」
という声が多数掛かり、和泉はそれに応えていた。
 
『渚の恋人たち』を歌った後、浴衣を脱ぐと、宇宙軍の将校の服を着ている。それで『スターボウ』を歌い、その後は今回のツアーの他での演奏と同じパターンで進行した。
 
東京公演の後、いったん事務所に行き、休養中の過ごし方について少し注意がある。それで
 
「お互い受験勉強頑張ろう」
「みんな良い報せを持って春にまた集まろう」
 
「小風はひとりだけ他の大学にならないよう頑張ってね」
「和泉は安全運転で」
「美空は食べ過ぎで体重増えすぎないように」
「蘭子は春までに性転換済ませておいてね」
 
などといって、解散して打ち上げに行った。私たちは望月さんにだけ付き添ってもらい4人で焼肉屋さんに行き思いっきり食べた(特に美空が)。
 

模試も終わって8月26日。私は政子を花火大会見に行こうと言って誘い出した。
 
私が浴衣姿で政子の家を訪問したので
 
「おお、女の子浴衣姿の冬、可愛い!」
と喜び、政子も浴衣を着せてもらって一緒に出かける。
 
「でも花火大会は18時からだよ。それまで何するの?」
「歌を歌おうよ」
「どこで?」
「今日はスタジオ」
「おっ」
 

いつもの山鹿さんが勤めているスタジオに行く。ここ2日ほど掛けて作っておいた伴奏音源を聴かせる。
 
「『雪の恋人たち』と『坂道』か」
「そそ」
「この伴奏音源は打ち込み?」
「ううん。ボクが全部演奏した」
 
「ギターもドラムスも?」
「そそ。ベースもキーボードも胡弓もね」
「すごーい」
「マーサにフルート吹かない?って訊いたらパスって言うし」
「ああ、これの伴奏だったのか」
 
「歌おう」
「うん」
 
それで2時間ほど練習した上で、技術者さんに入ってもらい、数テイク録音した。
 
私たちはこの音源を11月に大手ダウンロードストア1社限定で「0円で発売」
することになる。0円にしたのは他の理由もあるが政子がまだ「ローズ+リリーの名前でお金を取って歌う」ことに心理的な抵抗を持っていたことが大きい。
 
それで当時は「昨年作ったデモ音源の公開」という名目にしていた。ジャケ写は、この曲を書いた山形の白湯温泉と、富山市八尾に、★★レコードのスタッフが行って写真を撮ってくれた。
 

録音が終わった後、政子はとても昂揚した顔をしていた。思いっきり歌って気持ち良かったのであろう。
 
ふたりで花火大会の会場へ移動する。
 
会場の近くまで来ると花火が打ち上がり始めた。
 
「きれいだね」
 
空には上弦に近い月が掛かっている。
 
「今日は七夕だよ」
と私は言った。
 
「あれ?そうなんだっけ」
「旧の7月7日。恋人の日だね」
「そっかー。七夕に花火ってロマンティックだね」
と政子は私を見詰める。
 
「恋人と一緒に眺めたりすると素敵だろうね」
と私は言って、浴衣姿の政子を優しく見詰め返した。
 
 
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【夏の日の想い出・浴衣の君は】(2)