【夏の日の想い出・空を飛びたい】(1)

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私は高校2年の夏、唐突に「女装」させられて、友人の政子と一緒に歌唱デュオとしてステージに立ち、1日だけかと思ったら月末までやってくれと言われて「ローズ+リリー」という名前も付き、更に来月以降もやってくれないかと言われて、9月1日から有効の「暫定契約書」にサインしてしまった。
 
ただこの時点ではそちらのプロジェクトでは、あくまでデパートの屋上とか、遊園地とかで歌うような雰囲気で、大々的に売り出すような話では無かった筈であった。政子も「バイト」の延長のような感じで、その度に私を「女装」
させることで
 
「冬って、ほんとに女の子の姿が似合うなあ」
などと、私を愛でる方に力点があった雰囲気もあった。
 
私はこの件に関しては逐次∴∴ミュージックの畠山社長に報告していた。
 
最初唐突にステージに立つことになったことについては「冬ちゃんは代役の天才だねえ」などと笑っていた畠山さんも、月末までやってくれという話になったことを聞くと難しい顔をし
 
「それ本当に月末で終わるかな」
と懸念を示した。更に△△社の担当者(須藤さん)に乗せられて「暫定契約書」
にサインしたことを言うとマジ叱られた。
 
「唐本君。君とは確かにまだ契約書は交わしていない。でも僕としては君は既にうちの支配下ミュージシャンのつもりでいたし、君もそのつもりで居てくれたと思ったんだけど。ずっと競合していた○○プロさんに取られたんなら僕も文句言えないけど、他の所と唐突に契約って無いじゃん」
 
ところが、その契約書を畠山さんにFAXしてみた所、畠山さんは、この契約書には大いに問題があると指摘した。
 
「ローズ+リリーの名前では勝手に演奏したり音源を作ったりしてはいけないとしか書かれていないから、その名前を使わなければ何をしてもよい」
 
「歌唱についてしか書かれていないから、楽器を演奏するのは構わない」
 
「専属歌手としての活動としか書かれていないから、作詞や作曲は自由」
 
「そもそも保護者の署名捺印が無いから、この契約書自体が無効」
 
更に畠山さんは、この契約書が9月1日からということになっているから8月中は全く拘束されない、と言って、次のシングル(『秋風のサイクリング』)について、私の演奏部分と歌唱部分を8月中に全部録音してしまったのである。
 

ところでKARIONの歌声というのは純正律的に響くようになっている。その為には、メインボーカルの和泉の声の周波数と、きれいに整数比になる周波数で、私や小風・美空は歌わなければならず、譜面に書いてある音符のピッチのまま歌ってはいけない。
 
それで歌唱部分は響きを耳で確認しながら歌うため、4人で同時に歌って収録する必要がある。音程だけの問題であれば、例えばメロディーラインを何かの楽器に演奏させて、それと響き合う音で歌うという形で収録する手もあるのだが、その方法では拍を完全に合わせるのが難しい。特にシンコペーションやフェルマータなどのタイミングまで揃えるのは至難の業である。結局は私が歌う前に最低でも和泉のパートは収録済みでなければならない。
 
ということで、私の歌唱を収録するためには結局ボーカル部分を4人まとめて収録するのが良いということになり、私たちは急いで新譜の譜面を確定させ、4人で歌唱部分のみ先録りしたのである。つまりこのCD『秋風のサイクリング』
に含まれる3曲は、ボーカルを先に録音し、後から伴奏部分を収録するという方法で行うことにした。
 

私がローズ+リリーのプロジェクトに関わり、△△社と「暫定契約」を結んだという件を聞くと、案の定小風が難しい顔をした。
 
それに対して、畠山さんは
「契約問題に関しては、僕に一任してもらえない? 今その問題に関してある人と相談している所で。とにかく蘭子がKARIONの活動に関わっても問題無い形に持って行くから。ただ、その問題が決着するまでは、蘭子をお客さんのいるステージに上げるのは控えておこうか」
と言った。
 
それで小風も社長がそう言うのであれば今は自分は何も言わないと言って、普段通りに、私と一緒に歌ってくれた。
 
もっともステージに上げるのを控えるといっても、実際にはこの時期はKARIONもそんなに売れている訳でも無かったし、アルバムの発売は9月だし、この8月下旬の時期は実質何も活動していなかった。KARIONも最初の年は、普段はレッスンなどに出て行く程度で、時々音源製作やキャンペーンライブをしているという感じの「暇なB級アイドル」に近かった。活動内容に関しては貝瀬日南や谷崎潤子、秋風コスモスなどと似たようなレベルである。
 

一方、私はこういう状況を○○プロの丸花さんの方にも随時報告していた。(双方に報告していることは、畠山さんも丸花さんも承知である)
 
すると8月29日になって、○○プロから△△社に、ローズ+リリーの主として営業に関する件を○○プロが担当したいという申し入れがあり、津田社長も須藤さんも驚愕した。そもそもローズ+リリーなどという、CD1枚作っただけの臨時編成ユニットのことを○○プロが知っていたこと自体に驚いた感じであった。
 
私は丸花さんが元々の○○プロとしての「私の帰属」に関する権利を主張してきたのかなと思い、津田さんたちとは別の戸惑いを持ったのであったが、この件に関して、畠山さんに急遽連絡すると
 
「うん。特に問題無いから、そのまま○○プロの話に乗っていいよ。むしろ、こちらにとって好都合だから」
と言った。
 
私は首をひねったのだが、畠山さんがそう言うならと思い、津田さんと須藤さんに連れられて○○プロを訪問し、浦中部長と前田課長に挨拶をしてきた。
 
「冬ちゃん、政子ちゃん、このままメジャーデビューに持って行こうよ」
と前田さんはにこにこした顔で言っていた。
 
「前田さん、この子たちのこと知ってたの?」
と津田社長が不思議そうに訊く。
 
「ふたりとも何年も前から○○プロに出入りしてたんだよ。各々別口でだけどね」
「えー!?そうだったのか!」
と言って津田さんは本当に驚いていた。
 
それでローズ+リリーは、○○プロとの共同プロデュースということで、△△社との話はまとまってしまったようであった。
 

○○プロの申し入れというのは、私もそのことをかなり後になってから知ったのだが、実は「四社密約」によるものであった。それは○○プロ、∴∴ミュージック、$$アーツ、ζζプロの各社トップ(丸花社長・畠山社長・前橋社長・兼岩会長)の間で、口頭で交わされた密約で、私も須藤さんも、△△社の津田社長や○○プロの浦中部長でさえ知らない中、私と政子のアイドル歌手へのレールが密かに敷かれていたのである。
 
ただ、当時、私は丸花さんから直接
「君がKARIONに関わること自体は構わないから」
とは言われていた。それで丸花さんと畠山さんとの間で何らかの話はあったのだろうなというのだけは思っていた。
 
「ただこの問題に関してはもう少し調整が必要だから、KARIONのステージなどに伴奏やコーラスででも参加するような話があった時は、念のため僕にも事前相談して」
と丸花さんは言っていた。
 
当時、丸花さんや畠山さんは、ローズ+リリーは年内くらいインディーズで活動して、年明けくらいにメジャーデビューという線になるだろうと考えていた節があり、それまでにその付近の調整もすればいいと思っていた感じであった。私もそのくらいのことを考えていたのだが、事態は急展開してしまう。
 
その背景には、6月の時点で既に、★★レコードの加藤課長が私が雨宮先生と作った音源、政子と2人で作った音源の双方を聴いていて、それで私と政子をデビューさせるべく★★レコード社内でのプロジェクトが動き出していたためだったのだが、私はそのことを翌年の春まで知らなかったし、丸花さんや畠山さんもこの時点ではレコード会社の動きまでは察知していなかったようである。
 
あの時期は本当に色々な人が勝手にそれぞれの立場で動いており、それがやがて町添さんを中心にひとつの流れにまとまっていくのだが、実際問題として完全にまとまったのは翌年の夏に「ファレノプシス・プロジェクト」が稼働してからである。
 

9月13日。私と政子は△△社の設営作業+前座で荒間温泉に行っていたのだが、そこに上島先生がローズ+リリーに曲を書いてくださったので、即CDを作って★★レコードから2週間後に発売する、などという話がもたらされ、私は驚愕する。このあたりは後から考えてみると、多分に須藤さんの暴走という気もしてならない。こんな急な発売になったのは「上島フォン」のせいだろうと私は思っていたのだが、上島先生も自分の曲でCDを出してあげてとは言ったが今月発売というのを聞いた時はびっくりしたなどと後から言っていた。
 
9月27日の発売日に私たちは埼玉県のレジャープールでイベントをしたのだが、翌日の横浜のデパートでは、観客が押し寄せてきて怪我人が出る騒ぎになる。メジャーデビューCDの『その時』も初期プレス分が発売日当日に売り切れ、レコード会社では慌てて追加プレスをした。
 
その状況の中で私たちは10月1日に★★レコードで町添部長・加藤課長・担当の秋月さんに会い、10月中に全国キャンペーン(札幌から福岡まで)、11月には全国ツアーなどというスケジュールを提示されて驚く。
 
「私たち、放課後と土日限定で活動しているのですが・・・・」
「うん、だから土日限定で全国を回る」
 
と言われて、私と政子は思わず顔を見合わせた。
 

10月4日(土)は関東周辺、5日(日)は新幹線で大阪に行き、関西周辺でそれぞれ大量にイベントをこなす。後で秋月さんに当時の記録を見てもらったら4日は16ヶ所、5日も12ヶ所でイベントをこなしている。物理的に有り得ないような数字だが、分刻みのスケジュールを作るのが好きな須藤さんらしいやり方である。
 
10月11日(土)は高松・岡山・広島と新幹線と車で移動している。むろん東京に戻る。
10月12日(日)は新潟まで新幹線で行き、富山・金沢と移動して小松から帰還。
10月13日(祝)は福島・仙台・盛岡・八戸・青森と移動して空路帰還。
10月18日(土)は札幌・福岡と飛行機で移動して神戸泊。やはりこの日の移動が凄いが、この日福岡で 4日にデビューしたばかりの XANFUSの2人と遭遇して仲良くなった。
 
10月19日(日)は神戸・大阪・京都・名古屋とキャンペーンして、最後は東京のCDショップで歌って、怒濤のキャンペーンツアーを終了した。この日大阪ではXANFUSに再会したし、お昼を食べた時に「ひとりデュエット」をする芸人さんを見て、政子から「冬なら男声と女声でひとり男女デュエットできるね」と言われた。
 

私は自分のことは棚に上げて、政子に
「この活動について何も親に言わないのはまずい」
と言い、最低でもお母さんには言いなよ、と強く言った。
 
それで10月の初旬、政子はお母さんに電話した。
「あ、お母ちゃん、あのね。私今度CD作っちゃったの」
「CD? 何のCD?」
「えっと、歌を歌ったCD。冬と一緒に歌ったんだけどね」
「ああ、唐本さんと? でもあんた歌下手なのに、よくそんなもの作る気になったね」
「冬と一緒に作った『遙かな夢』という曲と、ワンティスの上島雷太さんの『その時』という曲なんだけどね」
 
「ああ、そういえば2人で曲を作ったりしてたね」
「そちらに1枚送ろうか?」
「ああ、いいよ。お正月に1度帰国しようかとも言ってたから、その時見せてもらってもいいかな」
「うん。それでもいいかな」
 
などと言って政子は電話を切った。
 
「マーサ、今のではカラオケ屋さんのCD作成サービスとかで自分で吹き込んだCDか何かだと思われていると思う」
「だって、歌手になっちゃったと言う勇気無かったんだもん。だいたい冬はどうなのよ?お父さんに言ってないんでしょ?」
 
「うん、まあね。どうしよう? これヤバイよね」
 

さて、私が「契約期間前」の時間を使って歌唱に参加し、制作にはどっぷりと浸かって作ったKARION 4枚目のCD『秋風のサイクリング』が10月22日(水)に発売される。これまでにない凄い初動が来たが、今回は前作からソングライター陣を一新していたので、その路線変更が当たったのだろうということで、★★レコードの幹部が新しいソングライト陣に会いたいという話が来る。
 
『秋風のサイクリング』は福島在住の櫛紀香さんの作詞・相沢さんの作曲。『嘘くらべ』はシンガーソングライターの福留彰の詞にやはり相沢さんが曲を付けたもの。そして『水色のラブレター』は森之和泉作詞・水沢歌月作曲とクレジットされていた。これはこのクレジットで公表された最初の曲である。
 
櫛紀香さん、福留彰さん、相沢さんは、各々松前社長や町添部長と会食したのだが、水沢歌月については、情報を知る人をできるだけ少なくしたいと畠山さんから★★レコード側に申し入れがあり、都内の料亭で森之和泉と一緒に会うことにした。
 
森之和泉がKARIONのいづみのペンネームであることは公開しているのだが、水沢歌月は非公開ということになっていた。そしてその場に私が
 
「おはようございます。水沢歌月です」
と言って現れたので、町添さんは驚く。
 
「君、ケイちゃんだよね?」
「はい、そうです」
「まさか、二重契約??」
 
「いえ。私は∴∴ミュージックさんとは契約していません」
「それにしても△△社との専属契約があるでしょ?」
 
「それが3つの理由で可能だったんです」
 
と言って、私は今回の音源で私が歌や演奏に関わる部分は、△△社の契約書の有効期間が始まる前に収録したこと、△△社との契約は歌手としての契約なので、伴奏や作曲に関しては拘束されないこと、そして一番大きな問題として、この契約書は保護者の署名捺印が無いので法的には無効であることを説明した。
 
「実は私もマリも現時点では各々の事情で保護者の承諾が得られない状態なんです」
 
「それは重大問題じゃないの。今回は話が急展開したから、レコード会社と君たちとの契約もまだ済ませてなかったけど、そちらが保護者の同意が得られない状態なら、レコード会社との契約も厳しいよね?」
「済みません」
 

レコード会社としてはローズ+リリーのプロジェクトに億単位のお金を掛けているから、それが中止ということになれば、町添さんの首が飛びかねないほどの事態である。
 
「でもこの後、ケイちゃんは、どういう形でKARIONと関わっていきたいの?」
と町添さんは訊いた。
 
それで私は、今後もKARIONには、契約的に難しければ、最低作曲だけででも参加していきたいという正直な気持ちを語った。町添さんは頷きながら聞いていた。
 
畠山さんは言う。
「最近の多人数のアイドルグループの中には、メンバーの所属事務所が幾つかに別れているものもありますよね。だから、私は話し合い次第では、彼女が無事親御さんとの話し合いを持てて、正式に△△社と契約した上ででも、こちらとの話し合いで、KARIONの活動との掛け持ちは可能じゃないかと思っているんですよね」
 
「確かにそういう事例はあるよね」
と言って町添さんも頷く。
 
「町添部長、彼女は元々小学生の頃からいくつかの芸能事務所に関わってましてね。過去にイメージビデオとか写真集に出演したこともあるし、伴奏やコーラスではこれまで複数の事務所の30か40くらいのCDの制作に関わっているんですよ」
 
「そうだったの!?」
 
「これ、彼女が出ている写真集です」
と言って畠山さんは『黒潮』の写真集を町添さんに見せる。
 
「おぉ!!! この女の子がケイちゃんだ!」
と町添さんは写真を見て驚いていた。
 
「社長、その写真集、あとで私にも見せてください」
と和泉も言っている。
 
当時は10万部くらい売れた写真集であるが、今では事実上絶版状態で古本屋さんでも見かけないが(この手の本は古本屋さんも嫌がって買い取ってくれない)、あちこちの家庭に結構死蔵されている本でもある。畠山さんは友人20人くらいに電話で問い合わせて、持っている人を見つけ出して譲ってもらったらしい。
 
「可愛いビキニ着て。小学生?にしては胸があるね」
「上げ底です」
と言って私は面はゆい気持ちになる。
 
「当時はその本にもクレジットされているようにピコという芸名だったんですよ。この名前を覚えている関係者はさすがに少ないようですが。これを機会に色々な仕事に誘われたみたいで。それでこの歌唱力だから彼女はこれまで関わりのできた色々な事務所から、うちからデビューしない?と声を掛けられていたんです。でもそれを渋っていた。それが△△社さんの担当者が強引に親御さんとの話し合いもせずに勝手に契約書にサインさせたみたいで」
 
「それは問題だなあ」
 
「でもせっかく彼女がメジャーデビューしちゃったんで、私はこれはとても良い機会だと思うんです。こういうことが無かったら、きっとこの子、まだ3年経っても、渋ってましたよ」
と畠山さんは言った。
 
「それは逆にもったいないね」
と町添さん。
 
「ローズ+リリーの『その時』は既に10万枚以上売れていますし、こちらのKARIONの『秋風のサイクリング』もCDの売上とダウンロードは合計でまだ3万枚ですが各楽曲の単独ダウンロードが凄まじくて、特に森之和泉+水沢歌月の『水色のラブレター』は昨日までに8万件ダウンロードされています。それで今どちらも、次のCDの企画が動き出しているようですが、私は冬子ちゃんがローズ+リリーの制作に関わるのは異存無いですし、実は○○プロの丸花社長から、取り敢えずKARIONの次のCDの作曲に関わるのは構わないからという口頭での了解を頂いているんですよ」
と畠山さんは言った。
 
その件は私も初耳だったので驚いたのだが、町添さんは
「丸花さんか!」
と笑顔で言った上で、
 
「○○プロって、丸花さんのチャンネルと浦中さんのチャンネルがしばしば勝手に別の動きをしているからなあ」
などと言う。
 
「他にTさんのチャンネルもありますよ。あそこは3つの派閥の寄り合い所帯なんです。でもトップの3人は仲良しだから、競合したりしても適当に解決されてしまう。私としては丸花さんがこちらを認識してくれている限り、KARIONの水沢歌月は進めていいと判断しているんです」
と畠山さん。
 
(実際この時点で○○プロ内でも私たちのプロモーションの件で津田さん系・丸花さん系・浦中さん系の人脈が各々バラバラに動いていた節がある。前田さん(浦中系)・中沢さん(丸花系)・中家さん(津田系)からほぼ同時に両立できないスケジュールの仕事を打診されて困惑したりしていた。津田さんは6月に自主制作音源を聴いて動き出し、丸花さんはそれに先行して雨宮先生の音源を聴いて動き出し、浦中さんは『明るい水』初版が1日で売り切れたと聞いて動き出している)
 
「ではその調整はそちらに任せるか。しかし正式の契約書を交わしてない問題は何とかしないといけないね」
 
といった線でその日の会談は終わったのであった。
 
それで結局町添さんはなぜ私と政子の契約が進んでいないかの理由を訊く所に到達しなかったので、私の性別問題も話す所まで到達しなかった。
 

この時期、私と政子の契約が保護者の承認を得ていないことを知っていた人と知らなかった人、私の性別問題を知っていた人と知らなかった人が入り乱れている。浦中部長や前田課長は私の性別問題も保護者承認問題も知らなかったし、丸花社長や津田社長は性別問題は知っていても、保護者の承認問題を知らなかった。やはりローズ+リリーが急速に売れてしまったので、色々な物が置き去りにされていたのである。
 
逆に言えばそういうのを無視して強引に物事を進めてしまう須藤さんという人がいなければ、ローズ+リリーというのは世に出ていなかったユニットなのかも知れない。
 

ところでKARIONは、7月2日に出したシングル『夏の砂浜』、9月3日発売のアルバム『加利音』、およびその先行シングルとして7月18日に出した『サダメ』
の合計売上げが2億円程度行ったら、11月に全国ツアーをしようと言われていた。
 
実際には9月末の段階で、『夏の砂浜』は4.9万枚で4900万円、『サダメ』は4.2万枚で4200万円、『加利音』は2.6万枚で7280万円。その合計は1.6億円に留まったものの、充分健闘したということで、11月に1ヶ月掛けて、メンバーの学校に響かないよう土日で全国12箇所のツアーが決まった。会場は見込みで早くから押さえていたようで、10月頭に発表され、10月4日に発売。主要都市の分は数日で売り切れ、最後まで残っていた鹿児島公演も21日にはソールドアウトした。
 
「冬は当然参加するよね?」
「ごめんなさいです。11月の土日はローズ+リリーも全国ツアー」
「じゃ両方掛け持ちで」
「無理だよぉ」
「女なら頑張ろう」
「私、男だもん」
「それは絶対嘘だ」
 
などという会話を10月中旬の平日、∴∴ミュージックに寄った時、和泉・小風とした。
 
(美空は食べ過ぎでお腹を壊して休んでいるという話だった。私は美空にも食べ過ぎというものがあるのか?と思わぬ発見をした思いだった)
 
「蘭子のクローンでも作っちゃおうか」
「クローン作る場合は性別は天然女性で」
「クローンして性別変えられるもの?」
「Y染色体を破壊すれば」
「蘭子自身、実は既にY染色体が消滅してたりして」
「そうかも」
 
などとふたりは勝手なことを言っている。
 
「Y染色体を破壊したらXOになっちゃうよ」
と私が念のため言ってみると
 
「ああ、足りなければ私の卵子の染色体を1個上げようか?」
と小風。
 
「それなら、蘭子と小風で普通に受精卵作った方が手っ取り早い」
と和泉。
 
「蘭子は既に睾丸が無いみたいだから無理」
と小風。
 
「そうだっけ?」
「まだあるよ。でも機能停止してて精子が無いことは認める」
「そりゃ女性ホルモン飲んでたら機能停止するでしょ」
「飲んでないけどなあ」
「話が面倒になるから、そういうことで嘘つかないで」
 
「でもクローンにしても受精卵にしても、赤ちゃんから育てるから、使えるようになるのに10年以上掛かる」
 
「面倒くさいなあ。人間をまるごとコピーできたらいいのに」
「そんなことできたら、大変」
「五輪選手を大量コピーして軍隊作る国が出そう」
「それ既にクローンで計画してる国あったりして」
 

料亭で水沢歌月として町添さんと会った翌々日、今度はローズ+リリーのケイとして都内のしゃぶしゃぶ屋さんでまた町添さんと会うことになる。政子と一緒に、上島先生・下川先生・雨宮先生と会ったものである。
 
この席で政子は
「ケイって、こうしていると、まるで17歳の可愛い女子高生みたいなのに、本当は男ですからね」
と言っちゃったのだが、この時、その場に居た人は何かの冗談だと思ったような雰囲気もあった。
 
しかし町添さんは後にこの件を私たちのカムアウトと再解釈してくれた。
 
またこの日、最初は上島先生と下川先生だけが出席していて、雨宮先生は遅くなってきてからやってきた。それで結果的には時間が延長になってしまったのであるが、その時、私が帰宅が遅くなると家に電話した時、町添さんが途中で代わってくれて
 
「終わったら、確実にお嬢さんも、政子さんの方も、責任もって御自宅まで送り届けますから」
などと言ってくれたので、母も父も安心したようであったし、町添さんにも信頼感を持ったようであった。
 
もっとも私は町添さんに私のことを「お嬢さん」と呼ばれて、うっと思ったのであったが。
 
私は初めて会う上島先生をクリエイターとして観察させてもらった。短い髪をきれいに櫛で整えて、身体はスポーツでもしそうな引き締まった体格(実際、スカッシュをするらしい)。品の良い英国製高級スーツを着こなしているのが、亡くなった高岡さんと雰囲気少し似ているなと思った。きりりとしまった口で淡々と語る口調の中に熱意が籠もっている。たぶんたくさんの挫折を知っている人。船が沈みそうになったら、どうやって沈まないようにするかを最後まで考えるタイプ。
 
一方私がここ5年関わってきた蔵田さんは、長い髪にほとんど櫛を入れず手で適当に整えるだけ。太ってはいないがあまりスポーツはしない雰囲気。服装もいつもジーンズ。それもユニクロやセシールなど安物しか着ない。いつも笑顔で話はマシンガンのように淀みなく話し、どこに真意があるのか分からない話も多い。負ける戦いは絶対にしない人。船が沈みそうになったら、真っ先に逃げ出して確実に生き残るタイプ。
 
このふたりは本当に対照的だぞと私は思った。上島先生は都会型、蔵田さんは野生型。アイシールド21的性格分類で言えば、上島先生は攻撃型でランニングバック、蔵田さんは守備型でラインバッカーだ。
 
上島先生からデビュー曲を頂いたことについては蔵田さんから無茶苦茶叱られた。罰と言われて男装写真を撮られたが、後で樹梨菜さんに見つかって消去されたらしい。かくして私が男の子の格好をした写真は残らない。それで結局、先日(10月26日)丸一日、蔵田さんの創作に付き合ったら、許してもらえた。蔵田さんは、
 
「洋子が俺の創作に付き合う件は、裏で話が付いてるらしいから」
と言っていた。
 
それでどうも私も、そして恐らく須藤さんも知らない所で、何らかの話し合いが進んでいるっぽいことを私は感じていた。
 

その日帰宅したら、母は寝ていたが、父が何か急ぎの書類を作っているようで起きていた。
 
「お父ちゃん、今日は忙しいみたいだからやめとくけど、近い内にちょっと真剣に相談したいことがあるんだけど」
 
「そういえばそんなこと、こないだから何度か言ってたな。分かった。俺も何とか時間取るよ。ただ今年は、国土交通省関連の仕事で無茶苦茶忙しくてさ」
 
「今年何度も徹夜してるよね。何日も帰られない日が続いたり」
「お前や萌依ともちゃんと話ができなくて済まないとは思っているんだが、何人か同僚が過労からか体調不良で倒れたり、鬱病を発症して休職した奴もいてさ、残ってる元気な奴で頑張らないといかん」
 
「お姉ちゃんも就職先がまだ決まらないからね」
「不況だからなあ」
 
「お父ちゃんも身体に気をつけて」
「うん。お前もな。お前最近、バイトの方かなり忙しいみたいだな」
 
「そうなんだよね−。こないだの週は泊まりになったけど、来月もまた泊まりが発生しそう」
「だけど母ちゃんから聞いたけど、学校の成績は落ちてないな」
「中間テストは1学期の期末テストより成績上げたよ」
「うん。学生の本分は勉強だから、それを忘れなければよい。バイトも社会勉強だろうしな」
「ありがとう」
 
「ところでさ」
「うん」
「さっきレコード会社の社長さんだかと話したけど」
「取締役さんだけどね」
 
「そうだっけ。あの人が、お嬢さんはちゃんと責任もって送り届けますとか言うから、俺は一瞬考えたぞ」
 
あはは、それ何と説明しようかな・・・。
 
「でもお嬢さんって、政子さんの方のことだよな。後で考えて納得した」
 
うーん、無理のある解釈だけど、今日はまあいいか。
 
「母ちゃんから聞いたけど、政子さん、ひとり暮らしなんだって?」
 
「うん。御両親はタイに赴任してるんだよ。でも政子は日本の大学に進学したいからといって日本に残ったんだ。で、彼女料理が得意じゃないけど、ホカ弁やインスタント食品ばかり食べてたらタイに召喚するぞと親から言われてるんで、ボクが時々行って、シチューとかハンバーグとかカレーとかの冷凍ストックを作ってあげてるんだけどね」
 
「お前、まるで政子さんの彼女だな」
「あはは、それ他の友だちからも言われた」
 
「お前、女の子に恋愛感情は持たないの?」
「お父ちゃんごめん。ボクたぶん女の子とは結婚できない」
「そっかー」
 
当時父は私の性的な傾向を同性愛と誤認していた雰囲気もある。以前バレンタインのチョコを手作りしている所も見られているし(実際は友人から下請けしたもの)。
 
「でも女の子の家に行ってふたりきりになってたら、ハプニング的にセックスしてしまう事態もあり得るぞ」
 
「それお母ちゃんからも言われたから、ちゃんと避妊具は常備してるよ。使うようなことするつもりはないけど、万一セックスしようという流れになっちゃったら、それを必ず使う」
 
「うん。高校生の女の子を妊娠させたら大騒動だから」
「だよねー」
 

ところで町添さんは、プロダクション側の契約とは別にレコード会社としても契約問題を前進させたいとして、私と政子に
「近い内に君たちの御両親と話し合いの場を持ちたい」
と言って各々の父に電話してくれた。
 
「★★レコードの町添と申しますが」
と町添さんは私の父に電話で話す。
 
「ああ、先日もお電話頂きましたね」
「それで、一度冬子さんのことで、少しお話させて頂けないかと思っているのですが、どこかでお父様のお時間取れる時期がありますでしょうか?」
 
「そうですね。今ちょっと動かせない納期の仕事をずっと詰めてやっていましてその納期が1月初旬なので、可能でしたらその後で」
「分かりました。それではまた年明け頃にまた1度ご連絡させて頂いてよろしいでしょうか?」
「はい。あ、でも年明けは恐らく心の余裕がないと思うので、年末くらいに一度予定を問合せて頂けたら」
「分かりました。それでは年末頃に1度ご連絡致します」
「はい、よろしくお願いします」
 
政子の父にも掛ける。これは私が政子のお父さんに掛けて、それから代わることにした。
「ご無沙汰しております。政子さんの友人の唐本と申しますが」
「ああ、冬彦君でしたね? いつも仲良くして頂いているようで」
 
この時期はお父さんは私を政子の新しい恋人と思っている節があった。
 
「私と政子さんが今ちょっと関わっているレコード会社があって、その取締役さんが少しお話したいと言っているのですが」
「へー。レコード会社ね」
 
それで代わって話してもらったが、政子のお父さんは、お正月に1度帰国できそうだから、その時にお話ししましょうかと言い、町添さんも了承した。
 
この時の双方の父との約束は、結果的には12月中旬の週刊誌報道で吹き飛んでしまうことになる。しかし一度町添さんが双方の父に働きかけようとして連絡を取っていたことが、あの騒動の後で、双方の父が町添さんを信頼してくれる元になったのである。
 

しゃぶしゃぶ屋さんで上島先生たちと会った翌日、10月30日(木)、私は学校が終わってから、★★レコードにひとりで出かけて行った。来月の土日を使って敢行するローズ+リリーの全国ツアーの打ち合わせのためである。本当はもっと早く話し合っておくべきものだったのだが、当時は全ての物事が泥縄式に進行していた。しかもその日、須藤さんは他のアーティストのトラブルのため長野まで行っており、この日の打ち合わせには甲斐さんが出ることになった。しかし甲斐さんが不安そうな声で私に昼休み電話してきて色々聞いていたので「私も行きますよ」と言って出てきたのであった。
 
この日はそもそもこのコンサートをどういう演出でやるかとか、伴奏陣はどうするかとか、何の曲を演奏するかとか、わずか9日後にライブをやるとは信じられないようなレベルの話から打ち合わせた。ちなみにチケットは10月頭に発売され、既にソールドアウトし、急遽仙台公演が追加されてそれも売切れている。
 
「じゃ、伴奏陣としてはギター、ベース、ドラムス、キーボード、にサックス、ヴァイオリン、フルートという線ですか?」
 
と加藤課長が言う。時間が迫っているので、強い権限を持つ人がさっさと決断する必要があり、加藤さんが直接この打ち合わせには参加してくれたのである。ちなみに、私たちはその日会議室が埋まっていたので、★★レコード制作部の一般フロアの加藤課長の机の所で打ち合わせしていた。
 
「販促用に配布したポスターに、そういう陣容のバンドの写真が出ているんですよね。できたらそれを踏襲したいのですが」
と秋月さんが遠慮がちに言う。
 
「そのポスターって誰が作ったんだっけ?」
「済みません。うちの須藤です。実は数年前に活動していたバンドのポスターを流用したみたいで」
と甲斐さんが申し訳なさそうに言う。
 
「それ、権利は大丈夫だったの?」
「怪しいです。クレーム来たらやばいかも」
「適当な仕事する人だなあ」
と加藤さんが呆れた風に言う。
 
「でも、そういうアレンジにしちゃいましょう。楽曲リストはこれでいいですかね?」
「うん。それで確定しよう。秋月君、すぐこれの編曲を仕事の速いアレンジャーに依頼してくれない?」
と加藤さんが言うので、秋月さんがリストを持って自分の机の方に行く。
 
「演奏者を確保しないといけないですね」
「ギター、ベース、ドラムス、キーボードは、何とでもなると思うんですよね。スタジオミュージシャンで、そういうのできる人はあふれるくらい居るから」
 
「問題はサックス、フルートにヴァイオリンか」
 

そんな話をしていた時、ちょうど制作部に松原珠妃が入って来た。私は手を振る。向こうもこちらを見つけて寄ってくる。
 
「おはようございます、松原珠妃さん」
と私は挨拶した。
「おはよう、洋子。おはようございます、加藤課長」
 
「珠妃ちゃん、お早う。今日はアルバムの打ち合わせだっけ?」
と加藤さん。
 
「ええ。ちょっと早く来ちゃったかなとは思ったんですけどね。で、洋子は何でこちらに来たの?」
と珠妃。
 
「ツアーの打ち合わせです」
「誰の?」
「私の」
 
「洋子、あんたデビューしたの?」
「ご挨拶が遅くなって申し訳ありません。9月27日に友人の女の子とペアでローズ+リリーの名前でデビューしました」
 
「おお!だったら、私の所にCDくらい献納においでよ」
 
「先日事務所にお伺いして、珠妃さんが留守でしたので、観世副社長に一応CDとサイン色紙をお渡ししてきたのですが・・・」
 
「ごめーん。私、ここ1ヶ月くらい事務所に顔出してなかった」
 
「この子たちのデビューCDならここにもあるよ。1枚あげるよ」
と言って加藤さんはCDを出してきて、珠妃に渡した。
 

「でも珠妃ちゃん、この子の知り合い?」
と加藤さんは訊くが
 
「小学生の時以来の友だちだよ」
と言った上で、
「加藤ちゃんとも、既に4年近い付き合いだよ」
と悪戯っぽい笑みで言う。
 
「へ?」
「この子はヨーコージの一部」と珠妃。
「ドリームボーイズの蔵田君の?」と加藤さん。
 
「だって、ヨーコージというのは、この子の名前『洋子』と蔵田先生の名前『孝治』の合成なんだから」
とそのことを明かしちゃう。
 
「えーーー!?」
と加藤さんは驚く。
 
「じゃ、君、楽曲制作者なの?」
「私は試唱をさせて頂いているだけです。楽譜をまとめたりもしますけど」
 
「その楽譜をまとめる時に、この子が結構な補作をしてるんだよ。蔵田先生の作曲って、アバウトだから、そのままでは演奏できる譜面にならない。足りない音符を補ったり、間奏やコーダを付けたり、要するに枝葉の部分はこの子がやってるんだよね。伴奏ピアノ譜とギターコードまではこの子が書いてから、アレンジャーに渡している」
 
「なんと」
 
「そうですね。小節の先頭にミが書いてあって最後にドが書いてあって、途中は斜線だけっなんてのがあるから、途中の音符を補ってミソラドにしたりとか、Aメロの次のA′の部分を『上と同様。最後だけ少し変える』とか書かれているのを適当にそれっぽくまとめたり程度はしてますが」
 
「結構な補作じゃん! でも多忙な有名作曲家がしばしばお弟子さんにそういう作業をさせてるケースはあるよ」
「まあ、それが蔵田先生とこの子の関係だね」
 
「へー!」
「だから、この子自身も作曲センスを無茶苦茶鍛えられているはず」
「ほぉ、それは楽しみだ」
と加藤課長は笑顔になったが、ふと
 
「蔵田君とそういう関係があるんだったら、上島君に楽曲をもらって良かったんだっけ?」
と心配そうに訊く。
 
「叱られましたけど、面白いからそのまま上島先生の楽曲と、私の楽曲のカップリングでやっていくといいと言われました。私は代理戦争の駒なのかも」
 
「ああ、蔵田君がそう言っているなら構わないだろうね。多分上島君も気にしない」
と加藤さんは少し楽しそうに言っている。
 

甲斐さんは想定を大きく外れた会話にポカーンとしている。
 
珠妃は会話しながらローズ+リリーのデビューCD『その時』を聴いていたが
 
「このCDは、ラストに入っている『遙かな夢』と先頭の『その時』だけでいいね。間の3つは邪魔」
などと言う。
 
「ああ、そういう意見は他でも聞きました」
と加藤さん。
 
「この『遙かな夢』のクレジット、マリ作詞・ケイ作曲と書いてあるけど、このケイってのが洋子のこと?」
 
「はい。マリが私の友人です」
「うふふ。友人だなんて。恋人と言いなさいよ。この曲を聴いたらふたりの関係が分かるよ」
「珠妃さん・・・」
 
「ケイちゃん、マリちゃんとそういう関係なの? いや確かにおふたりはレスビアンですか?という問合せが多くてさ」
 
「その問題はマリと話し合いましたが、友だちの関係でいようと言ってます」
と私は少し困ったように言った。
 
「まあ、いいや。でもあんたもやっとデビューか。あんたは2〜3年前にデビューしておかなきゃいけなかったよ」
と珠妃。
 
「済みません」
 

「で、ツアーやるの? いつ?」
「来月8日から1ヶ月かけて土日に全国9ヶ所です」
 
「ああ、それでその事前打ち合わせなのね。伴奏陣はどんな人たち?」
「いや。それを今誰に頼もうかと話していたところで」
 
「へ?だってもう10日前くらいじゃないの?」
「それで焦っています。実はバンドの編成をついさっき決めたばかりで」
 
「呆れた! まあ、私もデビューの年にはそんな泥縄な全国ツアーやったけど」
「あれは凄かったですね〜」
 
「ケイちゃんも、そのツアーに関わったの?」
「そうそう。中学生を1ヶ月連れ回す訳にはいかないから土日だけ演奏頼んだんだけどね」
「バンドメンバーだったんだ!」
「はい」
 
「で、どういう編成になったの?」
と珠妃が訊く。
 
「ギター、ベース、ドラムス、キーボード、にサックス、ヴァイオリン、フルートです」
 
「標準的なロックバンドにヴァイオリンと木管を加えた構成か」
「ただ、サックスとフルートは可能なら持ち替えでもいいと思っています」
 
「サックスとフルートの名手を知ってるよ」
と珠妃は言った。
 
「いい人いますか?」
と加藤さん。
 
「私のバックバンドにこの3月までいた人でね。結婚のために辞任したんだけど、速攻で離婚しちゃって。今、取り敢えずフリーのはず」
 
「女性ですか?」
「女性だけど、凄いパワフルな演奏するよ」
「ほほぉ」
 
そういう訳で珠妃が紹介してくれたのが、宝珠七星さんだったのである。
 

結局、バンドメンバーに関しては、珠妃が他にも「この人を推薦する」などと言って、ギター、ベース、ドラムス、キーボード、ヴァイオリンの奏者を決めてしまった。珠妃が直接電話して確保してしまう。それで最初は伴奏者は日替わりになるかも知れないなどと話していたのが、珠妃のおかげで、ツアー全部に全員通して付き合ってくれることになった。
 
珠妃は更にセットリスト(演奏曲目の一覧)を見て「この曲は合わない。これをやった方がいい」などと言って、曲目を結構入れ替えた。
 
結果的にはこの2008年秋のローズ+リリーのツアーは、実質的に松原珠妃がプロデュースしたのに近い形になったのである。正直この日、ここに珠妃が来ていなかったら、このツアーは酷いものになっていた危険がある。
 
「だけどさ、洋子。デュオを組むにしても、なんでこんな下手くそな子と組むのよ?」
などと珠妃は言った。
 
「まあ、浦和ミドリとか貝瀬日南とかよりは、ずっと上手いけどね」
 
と付け加えると、それまで呆気にとられた感じで話を聞いていた風の甲斐さんが吹き出した。
 
「この子ですね。この子と組んだのは今年の3月頃からなんですけど、その時からすると格段に歌が上達しましたよ」
と私は答える。
 
「ふーん。磨かれてない原石ということか」
「ふふふ」
 

加藤さんがへーという顔をしながら頷いていたが、ひとことその件についてコメントする。
 
「珠妃ちゃん、ケイちゃんがマリちゃんをパートナーに選んだ理由は、マリちゃん本人を見れば分かる」
 
「ははぁ、何となく分かった。じゃ、私も見に行きたいからチケット融通してくれない?」
 
と珠妃が言うと
「じゃ、珠妃ちゃんの事務所に確認して、珠妃ちゃんのスケジュールが空いている日のチケットを準備するよ」
 
と加藤さんは言った。
 

その日は珠妃は自分の方のアルバムの打ち合わせを「明日にしよう」などと担当者さんに言って、ローズ+リリーのツアーの打ち合わせに参加して色々提案やアドバイスをしてくれた。それで21時頃まで打ち合わせて、帰ろうとしていたら、メールが着信していたことに気付く。
 
何だろうと思って見ると○○プロの丸花社長からで「誰もいない所で僕に電話して。このメールはすぐ捨てて」と書かれていたので、速攻で削除した。
 
それで★★レコードを出てから、隣の★★スタジオに入り、顔パスで2階の花梨の部屋に通してもらった。ここの2〜3階は★★レコードの契約アーティストであれば、いつでも無料で利用できる。私はこの時期はまだ正式な契約アーティストではなかったが、蔵田さんといつもここに来ているので、受付の人に覚えられていて、顔パスが効いてしまうのである。
 
それでそのスタジオ内から丸花さんに電話したのだが、思わぬことを言われる。
 
「来月いっぱい全国ツアーでしょ?」
「はい。今日その詳細がやっと決まりました。バンドの人も何とか確保できました」
 
「ん・・・あ、そうか。ローズ+リリーも全国ツアーだもんね」
「はい。あ、KARIONのですか?」
 
「ね、ローズ+リリーのツアーの日程、僕の所に送ってくれない?」
 
それで速攻でメールで送った。折り返し電話が掛かってくる。
 
「ローズ+リリーが、8日横浜 9日札幌 15日金沢 16日大阪 22日岡山 23日福岡 24日仙台 29日名古屋 30日東京」
 
「KARIONが1日札幌 2日仙台 3日金沢 8日大阪 9日神戸 15日名古屋 16日那覇 22日鹿児島 23日福岡 24日高松 29日横浜 30日東京」
 
「このスケジュールを見比べていたんだけど、1日札幌、8日大阪、15日名古屋、23日福岡、29日横浜、30日東京のKARION公演に、冬ちゃん出て欲しいんだけど」
 
「は!?」
 
「1日はオフだよね。これ津田君に確認した」
「ええ」
「だから札幌に行って来れるよね。君、北海道や沖縄の日帰りは何度もやってる」
「えっと・・・」
 
「23日の福岡と30日の東京は同じ日に同じ町。詳細を確認したら23日は14時から16時くらいまで天神のアクオスでKARIONの公演、18時から築港のムーンパレスでローズ+リリーの公演。このふたつの会場は車なら5分くらいで移動できる。東京は13時から新宿の文化ホールでKARION、18時から中野のスターホールでローズ+リリー。新宿から中野も電車ですぐ」
 
私は両方のスケジュール表を見比べながら話を聞いていた。確かにどちらも土日に集中して公演をするのだが、KARIONの公演は主として日中に、ローズ+リリーの公演は主として夕方に設定されている。これは各々のファン層の違いが背景にある。KARIONはファミリー層が多いので日中の方がファンが動きやすい。それに対してローズ+リリーは若い人が多いので夕方の方が仕事が終わってから来てくれる人を期待できる。
 
「でも8日はKARIONが大阪でローズ+リリーは横浜、15日はKARIONが名古屋でローズ+リリーは金沢ですが」
 
「大阪のKARIONの公演をやるローズホールは新大阪駅に近いから、公演が終わったら即新幹線に飛び乗ってもらう。公演が終わるのが15時くらいだから場合によってはアンコールをパスして15時半の新幹線に飛び乗ってもらうと17:45に新横浜に着く。すると菊名駅乗り換えで30分でみなとみらいに到達できる。18:30には入れるから19時の開演に間に合う。29日は横浜と名古屋だからもっと楽に行ける」
 
しかし凄い綱渡りだ・・・・。
 
「でも15日の名古屋と金沢は?」
 
「自衛隊に話を付けた」
「へ?」
「小牧基地から小松基地までF15で運んでくれる」
「えーーー!?」
「KARIONの名古屋公演は15時に終わるから、そのまま小牧基地にタクシーで入ってもらう。そこから小松までF15なら5分で着く」
「うっそー!!!」
 
「小松基地のF15は有事の際には東京に5分、ソウルにも15分で駆け付けられるからね」
などと丸花さんは言っている。
「その日はちょうど訓練で小牧に来るんだよ。その帰りに同乗させてもらう」
 
確かに丸花さんは元警察庁のキャリアで、警察や自衛隊に物凄く広い人脈を持っている。しかし、これって公私混同じゃないのか!?バレたら国会で叩かれるぞ!
 
「名古屋のKARIONの会場Zホールから小牧基地までは高速を通れば20分。F15で小松に5分で移動。小松基地から金沢駅までは高速を通って30分。乗り換え時間を入れても2時間以内で移動できる」
 
ひぇー!!
 
しかしF15で移動なんて、漫画じゃあるまいし!!
 
「ということで若いんだし、頑張ってね」
「あははは・・・・」
 
「1日は朝6:45くらいに羽田第2ターミナルのANAのカウンター前まで来て。畠山さんたちと合流できるはず」
「分かりました」
 
まあ私としては現在、営業窓口は○○プロになっているのだから、その社長の丸花さんから言われたことについては従っておけばよい(半ば責任放棄)という気分であった。
 

11月1日朝、高校の女子制服を着てロングヘアのウィッグを付け、身の回りのものと《Flora》のヴァイオリン(7月に沖縄で壊れたがもう修理が終わって戻って来ていた。ネック全交換である)を持ち、羽田に行く。第2ターミナルに着いたのは6:35くらいであった。畠山さんと事務所スタッフの望月さんに、和泉が来ていた。
 
「ほんとに来たんだ。偉い」
と和泉が言う。
「仔細は丸花さんから聞いてるね?」
と畠山さん。
 
「私のスケジュールはどうも○○プロの管理下にあるみたいですから、もうそれに従うのみです」
「あはは、頑張ってね」
 
「でも望月さん、背が高いですもんね」
「けっこうコンプレックスだったんですけどね。今回はそれでお役に立てるみたいだから」
「面倒なこと頼んで済みません」
「いえ。私こういう仕事、大好き」
と望月さんは楽しそうである。
 
私が身長167cm, 和泉が165cmであるが、望月さんは私より高い169cmくらいある。今回は望月さんに私のボディダブルを務めてもらう作戦である。(政子も164cmくらいである。小風と美空はふたりとも150cm台だ)
 
「バレーとかに誘われませんでした?」
「中学でも高校でも誘われて、半ば強引に連れて行かれたけど1日でクビになった」
「あぁ」
 
やがて小風が来たが、小風は来るなり、唐突に私を拳で殴った。
 
「なんで〜!?」
「殴ってみたかっただけ」
と言って、小風はニコニコしている。
 
やがて7:00になるが美空はまだ来ない。
 
「美空遅いな」
「あの子、遅刻魔だからなあ」
 
「望月ちゃん、もし美空が7:10までに来なかったら彼女の航空券を持ってここで待っててもらえる。他の子を連れて僕はセキュリティ通る」
 
「はい」
と望月さんが答える。
 

結局、美空の件を望月さんに託して私たちは手荷物検査を通り、搭乗口へ行った。
 
「まあ、美空が来なかったら、蘭子に美空の代わりに並んで歌ってもらおう」
「ああ。蘭子は声域が広いから美空のパートも歌えるはず」
「3人並んでりゃ、分からないよね」
「無茶な!」
 
そんな冗談?も言っていたのだが、結局美空は搭乗案内がそろそろ始まるという時刻になっても来なかった。携帯は電源を切っているようで、つながらなかったが自宅に掛けたら、お母さんが5:30頃飛び出して行きました。申し訳ありませんと謝っていた。
 
「じゃ次の便には間に合うかな?」
 
ということで、望月さんに1時間後の便に取り直して(正規の航空券なので、出発前であれば無料で後続の便に振り替え可能)美空が来たら一緒に新千歳に飛んでくれるよう伝言して私たちは機内に入った。
 
「美空はゴールデンウィークにも1度新幹線に乗り遅れたね」
「あの子、学校にもよく遅刻してるみたい」
「どうかした事務所ならクビになってるね」
「僕が甘いのかなあ」
「いえ、自主性に任せてもらえて、私たちは気持ちよく仕事させてもらっています」
と和泉。
 
「まあ美空は罰金100万円だな」
と小風。
 
「給料無くなっちゃうね」
「ステージに穴を空けたらそんなものじゃ済まないから、そのくらい課していいよ」
 

新千歳に到着すると、望月さんから美空が来たので一緒に9時の便に乗りますというメール、美空自身から遅刻を謝罪するメールが入っていた。リハーサルの開始には間に合わないが、公演には充分間に合うので、私たちは安堵した。
 
「リハーサルでは美空のパートを蘭子が歌って」
「いいよ」
 
会場には先行してトラベリングベルズの5人と、今回のツアーで依頼したヴァイオリン奏者、グロッケン奏者が入っている。
 
美空が遅れているので、私が代わりに前面で歌ってリハをすると告げ、その構成で本番と同じ進行でリハーサルを行った。リハーサルであっても最前面で歌うのは快感!と思った。リハーサルの前半まで済んだところで美空が到着したのでタッチして交替。私は後ろに下がって後半ではキーボードを弾いた。
 
お昼御飯を兼ねて休憩する。蟹が食べたいという要望はあったが、本番前に生鮮的食事をして万一の場合があってはならないので、札幌ラーメンを出前してもらっての昼食となった。
 
「でも前半で最前面で歌ったの気持ち良かった」
と私はうっかり正直に言ってしまったが
 
「だったら本番でも最前面で歌おう」
と言われてしまう。
 
完璧な藪蛇だった。
 
「ごめーん。その内、きっとそこに行くから」
「1年以内にそれやらなかったら、蘭子の恥ずかしい所を盗撮した写真をバラまくということで」
「何それ〜!?」
「男装写真公開の方が効果あるかも」
「それはやめて」
 
「そうそう、美空、今日の遅刻の罰金100万円だから」
と小風が言うと
 
「えーー!?」
と美空は叫んでいる。
 
「私、給料手取り14万なのに〜」
「だって万一ステージに穴を空けたら、損害賠償額が1桁高いぞ」
「うむむ」
 
「前から何度か言ってるけど1時間早く起きられるように1時間早く寝ようよ」
と畠山さんから言われて
「済みませんでした」
と素直に謝っていた。
 
結局美空は今回は罰金5万円と言われていた。その金額を自主的に岩手・宮城内陸地震(2008.6.14)の被災地に寄付するようにと言われて、了承した。私と和泉・小風も罰金とは関係無く1万円ずつ寄付することにした。
 
 
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1  2 
【夏の日の想い出・空を飛びたい】(1)