【夏の日の想い出・星の伝説】(1)

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2005年4月。私は中学2年になった。この時期、私は一応学生服で中学校に通学していた(つもりである)のだが、放課後はしばしば校内でセーラー服に着替えて当時通っていた○○ミュージックスクールに行ってボイトレやダンス、ヴァイオリンやピアノのレッスンを受けたり、従姉のアスカの家に行きヴァイオリンの練習をしたり、あるいは津田アキさんの民謡教室に顔を出して唄や三味線のお稽古をしたりしていた。
 
私が当時校内でセーラー服に着替えて下校していたのを知っていたのは倫代や若葉、貴理子など少数の友人だったようである。若葉は「冬がセーラー服を着ているのを見ても、ふつうに女の子がセーラー服を着ているようにしか見えないから誰も気付かない」のだと言っていた。
 
むしろ私は学生服を着ていた時に、その年新たに他の学校から転任してきた先生に
「君、何ふざけて男子制服とか着てるの? ちゃんと女子制服を着なさい」
などと注意されたことがある。
 
その時はそばに倫代が居たので
「あ、すみません。すぐ着替えさせます」
などと言って、近くの教室に私を連れ込み、私を促してセーラー服に着替えさせ(私はいつもスポーツバッグに自分のセーラー服を入れていた)、先生の前に連れて行って
「ちゃんと着替えさせました」
などと言って見せていた。
 
「うん。女の子はちゃんと女子制服を着てないと。男子制服は同級生か誰かの借り物? あまり悪ふざけしないようにね」
などと先生は言っていた。
 

「冬、去年も似たような注意受けてたよね」
「うん。あの先生は私が男の子だということに6月頃まで気付かなかった」
「今年は何ヶ月気付かれないかな」
「うーん・・・」
 
「だいたい冬は自分が女の子だということをカムアウトして堂々と女子制服で通学して授業も受ければいいんだよ」
「そうだなあ」
「去年の11月12月頃はずっと女子制服だったのに誰も気付かなかったしね」
「うーん。あれは不思議だった」
 

この時期、私が関わっていたアーティストは、$$アーツのドリームボーイズ(バックダンサー)、ζζプロの谷崎潤子(伴奏:主としてヴァイオリン)、○○プロの篠田その歌(伴奏:ピアノまたはヴァイオリン)である。但し谷崎と篠田は基本的に音源制作中心の関わりで、ライブにはそう多くは関わっていない。
 
他に○○プロの原野妃登美の2枚目と3枚目のCD音源制作でも私はヴァイオリンを弾いているのだが、こちらはスポット的な性質が強い。
 
この時期「08年組」の中で他に当時既に芸能活動をしていたのは、ゆみ(AYA)と小風(KARION)・光帆(XANFUS)、それにティリーとエルシー(スリーピーマイス)である。
 
ティリーとエルシーはマリンシスタのバックダンサーをしていた。小風と光帆は★★レコード系の芸能スクール★★アカデミーに通って歌のレッスンをしつつ、時々声を掛けられて様々な歌手・バンドのバックコーラスをしていた。またゆみはモデルとして様々な雑誌に写真が載っていた。この年の春にマリンシスタのバックダンサーの追加オーディションが行われた時、ゆみと光帆も応募しているが、ふたりとも落選している。光帆がダンスも頑張って練習するようになるのは、その後である。
 
この時期小風と光帆はふたりとも★★アカデミーに通っていたのだが、お互いに当時会った記憶は無いという。私も★★アカデミーには小学生の頃に一時期通っていて、当時既に小風も通っていたはずだが、その頃小風と会った記憶は無い。私は中学以降は○○ミュージックスクールの方に通っている。
 

篠田その歌のデビュー曲は2005年2月上旬に発売され、同月末までに3万枚という、まずまずのヒットとなった。それですぐ次のCD制作の話が出て6月に発売という線で動き出した。曲はデビュー曲同様にコンペで募集され《ユーカヒ》という筆名の人が書いた『ポーラー』という曲が採用されることが決まった。それで、私は前田係長から、春休みに北陸で泊まりがけでPVを撮影するので、それに参加できないかと打診され、私は母に確認した上で陸上部の駅伝がある20日より後であれば参加できると返事した。
 
『ポーラー』(Polar)というのは北極という意味で、実際には北極星(Polar Star)を表しており、星空が刻々と変わっていっても北極星はその位置を変えないようにあなたを恋する気持ちも変わらないというのを歌った純情乙女の歌である。その歌と私は「ちょっと重たいよねー」などと言い合ったが、男の子たちには結構受けが良い感じだった。
 
歌詞の中にユーカラ織という言葉が出てくるので《ユーカヒ》というのもそれに引っかけたペンネームで北海道の人だろうか?などとも私は、その歌たちとも話していた。
 
それでPVの撮影だが、北極星・北斗七星をバックにその歌が歌う所を撮影しようということで、3月下旬(結局29日になった)の夜8時頃、まだ月が出ていない北の空に北斗七星が輝いているので、そのタイミングで撮影しようということだった。最初北海道での撮影を計画したものの寒すぎて危険!?という話で北陸に変更になったようだ。
 
バックバンド(ギター・ベース・キーボード・ドラムス・ヴァイオリン・フルート・サックス)もその場で生で参加である。北の空が開いていて、町の明かりがほとんど無い所として、いくつかの候補の中から結局、能登半島の珠洲市の日本海側の地が選定されていた。四方数qに全く人家が無いという凄い場所らしい。
 
篠田その歌本人はマネージャーの谷津さんと一緒に3月29日午後の羽田発能登空港行きのANA便で能登半島に移動したのだが、私も含めてスタッフ一同は朝から新幹線と《はくたか》を乗り継いで金沢まで行き、そこからJR七尾線・のと鉄道を乗り継いで珠洲市の中心部・飯田まで行く。ここでその歌と合流。早めの夕食を取った。
 
夕食では、その歌、私、女子高生のフルート奏者中山さん、女子大生のサックス奏者神原さんの4人でしゃべりまくり、推定27-28歳のマネージャー谷津さんが(話題に付いていけなくて)私たちの会話の輪に入れず、ギターの杉山さんから「まあ、飲もう」などと言われてサイダーのグラスを合わせていた(仕事前なのでアルコール無しである)。
 

夕食後、お腹が少し落ち着くのを待ってから撮影地に出発する。食後すぐに移動したら戻してしまうかも、などと言われた。ちょっと覚悟を決めてマイクロバスに乗り込む。しかし最初は割とまともな道であった。やがて山を登り始めるが、最近作られた道っぽくきれいだし結構快適。しかしそれでも少しカーブが多いかなと思う内に長いトンネルに入る。
 
そして!そのトンネルを出た先がジェットコースターばりの凄い道であった!その急カーブが連続する下り坂を地元調達のドライバーさんが飛ばす飛ばす。私は結構覚悟していたので何とか持ちこたえたものの、サックス奏者の神原さんは気分が悪くなり、坂道を降りた所で休憩することになった。
 
「ゴジラ岩」と書かれている場所で20分ほど休憩してから、何となくこの場を仕切る感じになった杉山さんから「時速40km程度以下で走ってもらえませんか?」
という要望を出して出発。その先も海岸沿いのなかなかカーブに富んだ道で最後は恐ろしいS字カープがあったものの、何とか全員耐えきって、30分ほどで撮影地近くに到達した。
 
マイクロバスを駐車場に駐めた後、別途集まってくれていた地元調達スタッフさんたちと一緒に、楽器や撮影器具などを持ち細い道を歩いて海岸に到達する。春先の能登半島はまだ寒い。雪がちらつき、風も冷たい中を歩いたが、結果的には道路で酔った分を冷ますことができた感じだった。神原さんも海岸に到着する頃には充分元気になっておしゃべりも出るようになっていた。
 
撮影地に着いたのが19時半すぎであったが、ちょうど天文薄明が終わり、夜空になった所であった。この日の月出は21:57らしい。撮影はそれまでの2時間ほどの間に終えなければならない。
 
ギターとベースのアンプを電源ボックスにつなぎドラムスもちゃんと組み立てて音を出してみる。結構な音量であるが近くに人家は無いので遠慮も要らない。軽く練習した後で、演奏してみる。野外、しかも波の音が聞こえる海岸での演奏というのは、みんな普段と勝手が違い戸惑いもあったようであるが、すぐに慣れて、普通に演奏できるようになる。
 
そしてこの様子をカメラで高感度撮影する(灯りは最低限にしている)。別のカメラで夜空や海なども撮影している。
 

撮影は実際月が出てきてから少し経った頃まで続けられた。その後いったん撤収しマイクロバスにまた各自の楽器や機材を持って戻り、狼煙(のろし)という所の旅館に入り、宿泊した。
 
本当は入浴の時間帯は終わっていたのだが、特別にボイラーを焚いてもらい、短時間で入浴を済ませた。私は、その歌・中山さん・神原さんと一緒に浴場に行き、凍えた身体をあまり広くない浴槽で暖めながら、またおしゃべりしていた。
 
この時
「冬子ちゃん、足のムダ毛が見えるよ」
などと中山さんから指摘されてしまった。
「夜間の撮影じゃ、この程度は写らないけどね」
と付け加えてくれる。
 
「わ、やっばー。明日の朝少し早く起きて処理しとこう」
と私は答えたが、その時、その歌がハッとしたように私を見た。
 
この時までその歌は私の性別のことはきれいさっぱり忘れていたらしい。ははは。
 
ちなみに谷津さんはお風呂にも入らず部屋で疲れ果てて寝ていたようである。私は一応その谷津さんと同室になっていた。(中山さんと神原さんが同室で、その歌は個室)。
 

お風呂の後、自分の部屋に戻って寝るつもりだったのだが、その歌からひとりじゃ寂しいから、ちょっと来てと言われて彼女の部屋に寄った。
 
「冬子ちゃん、オーディションの時に見たから、おっぱいあるのは知ってたけど、下ももう無いのね?」
「えっと、それは誤魔化してるだけです。ごめんなさい」
「え?じゃ、まだ付いてるの?」
 
「えっと、その辺りは曖昧に。でも、私実は少なくとも小学校に上がって以来、温泉や銭湯の男湯には一度も入ったことないです。一貫して女湯に入ってます」
「それって、やはり付いてないということでは?」
「あはは、それは曖昧に。でも私、男湯に入ろうとしたら『こっち違う』と言われて追い出されちゃうんです」
 
「そりゃそうだろうね。冬子ちゃん見たら、女の子にしか見えないもん!」
 
彼女もその件は深く追求しなかったので、その後は今日の撮影のことに始まって日々の芸能活動のことやレッスンなどの話、また彼女自身の将来の夢などの話をした。デビューしてから1ヶ月ちょっと、精神的に疲れることも多いであろうが、彼女の口からはグチの類いや他人の批判などのネガティブな話は出ず、明るい話題が多かったので、この人はきっとこの世界で成功するなと私は思いながら、一緒におしゃべりをしていた。
 
「ところでさ、冬子ちゃん聞いてない?今回の『ポーラー』の作曲家ユーカヒさんのこと」
「なにか?」
「実は名前を聞いたらびっくりする有名人らしいよ」
「へー」
「もちろん有名人だから起用したんじゃなくて、コンペで1位になってから本人と会ってみてびっくりだったらしい」
「それは逆に凄いですよ」
 
「でも今回は試作品ってことで名前を伏せたんだって」
「ふーん。誰なんだろうね?」
「売れたら私たちだけには名前を明かすらしい」
「なるほどー。有名人だから失敗したら恥ずかしいからかな」
「そうそう」
 
私たちは夜遅くまでおしゃべりを続け、私は結局そのまま彼女の部屋に泊まることになった。
 

翌日は朝食を取った後、昨夜の撮影現場に再度行き、今度は午前中の光の中で昨夜と同様の撮影を行った。これと昨夜の映像をあわせて編集してPVを作り上げるのである。
 
私は早朝の内に三枚刃のカミソリで足の毛をきれいに剃っておいた。しかしこれ面倒だし、自分の行動を制限しているよなあと思い、何か手は無いかと考えた。
 

私は当時ソイエを使っていたのだが、ソイエの最大の問題点は痛い!ことである。更にどうしても処理漏れが発生するし(それを指摘された)、ソイエした直後はかなり肌が傷んでいる。触っても痛い。夏になって水着絡みの撮影などが出てきたら雑菌が処理した小さな傷口から入ったりして化膿して跡が残ったりしかねないと私は思った。
 
それで私は脱毛することにした。
 
とはいっても中学生では病院では脱毛の処理はしてくれない。
 
そこで中2の4月、私は何人かに尋ねて効果のありそうな家庭用の小型レーザー脱毛器を選び、それを買ってきて少しずつ処理を始めた。とっても時間が掛かるので、足全体の毛を処理するのに1ヶ月くらいかかったし、完全にムダ毛処理から解放された訳ではないものの、かなり薄くすることができたし、毛が生えてくる領域自体を減らすことにも成功した(例えば右足太腿の後ろ・左足脛の内側には全くムダ毛が生えなくなった)。
 
私が完全にムダ毛処理から解放されるのは高校を卒業してから美容外科で本格的なレーザー脱毛をしてもらってからではあるが、この家庭用脱毛器でもかなり軽減することができたのである。
 

珠洲市での撮影が終わった後、来た時と同様に私たちは飯田まで戻り、その歌は車で能登空港に直行する予定だったのだが、のと鉄道の、蛸島−穴水間が今月いっぱい(つまり明日)で廃止されるという話を聞き「私も乗りたい!」
とその歌が言ったので、結局私とその歌、ついでに中山さんと神原さんの4人が蛸島(たこじま)駅の所で降ろしてもらい、それから穴水(あなみず)駅まで廃止寸前のローカル線の沿線風景を楽しんだ。廃線直前ということで「葬式鉄」
の人たちがたくさん居て、列車は満員に近かった。
 
その後、その歌は穴水駅で降りて能登空港に行き、私たちはそのまま和倉温泉まで乗ってJRに乗り継ぎ、《はくたか》と新幹線(越後湯沢乗り換え)で東京に帰還した。《はくたか》のSnow Rabbit Express の車体(今月初めに投入されたばかりだったらしい)が格好良いなと思い、私は『雪うさぎたち』という曲を車内で書いた。
 
これは後にKARIONの和泉が新たな詩を書き、それに合わせて楽曲も再構成して、KARION初のミリオンヒットになった曲である。
 

珠洲での撮影から戻って来たら、母が
「夢美ちゃんから電話があったよ」
と言った。
 
愛知に居た頃のエレクトーン教室の友人である。
 
「電話番号が変わったんだって」
と言って渡された番号は03で始まっている。東京に引っ越した?と思い、電話してみた。最初中年の女性が出て「はい」と言われたが、夢美のお母さんではない感じだったので、
 
「お世話になります。私、唐本冬子と申しますが、川原夢美さん、いらっしゃいますでしょうか?」
と言うと、
 
「あ、少しお待ちくださいね」
と上品な感じで向こうは答える。
 
すぐに夢美は出た。
「やっほー、久しぶり〜!」
「久しぶり〜、もしかして東京に引っ越してきたの?」
「そうそう。私、新学期から東京の中学に通うことにしたんだよ」
 
「それって、まさか夢美だけ?」
「うん。東京の伯母ちゃんちに下宿」
「へー! もしかして音楽で?」
「うん。MM中学という所の音楽コースに通うことになった。そこの先生に見初められちゃって。ぜひうちに来ないかって誘われたんだ」
 
「すっごーい」
 
それで結局、その下宿しているという伯母さんちに私は行くことにした。
 

翌日31日は谷崎潤子ちゃんの音源製作が入っていたので、朝から《Flora》のヴァイオリンを持って(セーラー服を着て)出かけ、スタジオで15時までその作業をやっていた。その後、連絡して夢美の伯母さんの家に行った。
 
「エレクトーンはこちらに転送したの?」
「愛知の方でもお姉ちゃんが弾くからというので、1台買っちゃった」
「わあ、凄い」
「愛知から東京まで運ぶと30万と言われたし。特に今引越シーズンだから」
「こういうのお金掛かるよね」
「海外にピアノとか運ぶと100万超えるみたいね」
「恐ろしい。それも向こうで買った方がいいって感じだね」
「そうそう」
 
エレクトーンを置いている部屋は夢美がこちらに来ることになってから防音工事をしてもらったらしい。エレクトーンを新たに1台買って、防音工事をしてという費用は夢美のお父さんが出したようだが、無茶苦茶お金が掛かってる!才能のある娘を持つと、お父さんも大変である。
 
挨拶代わりにエレクトーンを弾く。
 
夢美は松居慶子の『Sail South』を弾いた。軽快なフュージョンナンバーだ。物凄く上手い夢美の演奏はこの曲をまるで4〜5人のバンドで演奏しているかのように聞こえる。私は全身で音を受け止めるように聴いた。
 
「凄い。物凄く上手くなってる。もう私の手の届かない所に行っちゃった」
と私は言った。
 
「まだまだだよ〜。超絶上手い人たちがたくさんいるから」
「夢ちゃん、世界を目指しなよ」
「うん、そのつもり」
「頑張ってね」
 
私は松原珠妃の『鯛焼きガール』を弾いた。夢美のあの演奏を聴かせられては私は技術では全く太刀打ちできない。だから、ポップスを弾く。自分の得意な分野でこちらの全力を見せる。
 
「冬ちゃん、あまりSTAGEAの操作に慣れてない」
「まだこの機種、あまり触ってないんだよ」
 
STAGEAは昨年春に出たばかりの機種だ。夢美は愛知の自宅でもSTAGEAを弾いていたのだが、この東京の伯母の家にももう1台STAGEAを買ったのである。
 
「エレクトーン教室行ってないの?」
「うん。行ってない」
「でも、キーボードを弾く技術自体は凄く進歩してる」
「夢ちゃんの足の小指の爪の先にも到達できないけどね」
「ピアノ練習してる?」
「うん。ピアノは今週1回レッスン受けてる。でも家には楽器が無いから。お姉ちゃんのHS8を弾いてるだけだし」
「HS8をまだ使ってるんだ! 物持ちが良すぎる」
「あはは」
 
姉のHS8は姉のお友だちのお姉さんが1990年に買って弾いていたものである。姉が小2の年1994年に、お友だちの家で新型のEL-90に買い換えるというので古いHS8を安価に譲ってもらった。だから前の持ち主から通算で15年ほど使用していることになる。電子楽器をこれだけ長期間使えているというのも確かに凄いといえば凄い。
 
「でも、凄く楽しい演奏だった。そういう楽しく演奏するという面では私は冬ちゃんにはかなわないよ」
「その前提の技術の面でまったく勝負にならないけどね」
 

その後、1回交替で伴奏しながら最近のヒット曲などを一緒に歌った。教室での練習では、夢美はクラシックやフュージョンを主として弾いているらしいがポップスもしっかりフォローしていて、何でも弾いてしまう感じだ。
 
「冬ちゃん、時間ある? 時々うちに来てよ。冬ちゃんからポップスの弾き方を盗みたい」
「いいよ。私も夢ちゃんの演奏聴いてたら、ものすごく刺激になる」
 
私は夕食前に帰るつもりだったのだが、伯母さんに引き留められて結局夕食をごちそうになってしまった。
 
「東京の味付けはこの子の口に合わないんじゃないかと心配したんですけどね」
と伯母さんは言うが
 
「私、味に対する受容性が高いみたい。東京の味は東京の味で美味しく感じるよ。でも冬ちゃんは、愛知から東京に引っ越してきて、味に違和感無かった?」
 
「ああ。うちのお母ちゃんの料理は、愛知に居ようと東京に居ようと高山流だから全然問題無い」
「なるほど!」
 
「冬ちゃんのおうちは、ネギは白ネギ?青ネギ?」
「うちは白ネギです。東京じゃ入手が容易だからいいですね。でも高山出身の友人の中には青ネギの人とか、青ネギと白ネギの中間のネギを使う人とかもいるんですよね。元々岐阜県って、東西の境界線で、両方の文化が混じってる感じですね」
 
「ああ、愛知もそうだけどね」
 
結局8時頃に夢美の家を出て帰宅したが、帰りの電車の中でふと私は、夢美には自分の性別をカムアウトしていない気がした。
 
小学5年生頃から高校2年のあの時まで、私の性別を知っていた人と知らない人がかなり入り乱れていて、自分でもこの人には話してたっけ?と考えても分からない人が結構居た。また、私が性別をカムアウトしていない人の中には、私を女の子と思い込んでいる人(夢美や前田係長など)と、私を男の子と思い込んでいる人(学校の担任や自分の父など)の両方が居たのである!
 

翌日、4月1日は、小学校の時の友人グループ、奈緒・有咲・若葉と4人でディズニーランドに行った。若葉が「株主優待パスポートが6月で有効期限切れるから一緒に行かない?」と誘ったのである。
 
ちなみに若葉は
「冬は女の子の格好で来てよね。男の子が1人混じってると色々行動に不便なこと出てくるから」
 
と言ったので、私も一緒になるのが奈緒や有咲なら、遠慮しなくていいなと思い、ポロシャツにフレア付きショートパンツという姿で出て行った。
 
でも奈緒から
「なんでスカートじゃないの?」
と突っ込まれる。
 
「だって乗り物とか色々乗るのにスカートは不便かなと思って。というか、奈緒も有咲もショートパンツじゃん」
 
「私たちはいいけど、冬にはスカート穿いてもらいたいなあ」
「スカート、プレゼントしちゃう?」
「ちょっと、ちょっと」
 
ということで、結局、不思議の国のアリスのスカートを園内のショップで買って穿くことになってしまった! お金は結局私と若葉が半分ずつ出した!?
 
「うん。冬はスカートの方が可愛い」
「というか、そのスカート可愛い」
「じゃ、園を出たら奈緒が持って帰ればいいよ」
と私は笑って言う。
 
「ああ、それでもいいんじゃない?」
などと若葉も言うので、結局、奈緒がお持ち帰りすることにした。
 

株主優待パスポートは、入園制限が掛かっている時は入場できないこともありますと書かれていたものの、その日はスムーズに入ることができた。やはり最初はどうしても列が出来やすい、ジェットコースター系を攻める。
 
まずはビッグサンダーマウンテンのファストパスを取ってから、スペースマウンテンに行き、予約時刻にまだ時間があったので、スプラッシュマウンテンに並んで乗ってから、ビッグサンダーマウンテンに行った。
 
しかしジェットコースターで風を受けると、このスカートめくれそう!
 
ホーンテッドマンションのファストパスを取ってからシンデレラ城に並ぶ。ここで30分並んで中に入ったが、有咲が勇者に選ばれて、メダルをもらったので、私たちは大いに沸いた。
 
そういう感じで、お昼すぎくらいまで、私たちは人気アトラクション優先で遊びまくった。アリス・イン・ラビリンスのファストパスを取ってから、お昼をだいぶ過ぎていたものの、ピザ屋さんに入って、少し遅めのお昼御飯を食べる。
 
「私、小学3年生くらいの時以来だよ」
「私は初めて来た」
「私も〜」
「若葉は?」
「うん。2年ぶりかな」
「おお」
 
「でもここ何度来ても楽しい気がする。前回来た時もスペースマウンテン3回乗ったけど、今日もまた楽しかったし」
 
「夕方くらいには空くだろうから、帰り際を再度狙おう」
 
「アリス・イン・ラビリンスのファストパスが17時になってるから、それを見てから行ってみて、あまり並ばなくて済みそうだったら乗って帰ろうか」
 

昼食後は園内を適当に散歩しつつ、あちこちで座り込んでおしゃべりしつつ、たまたま並ばなくてもいいアトラクションがあったら入ってみる、という感じで楽しんだ。
 
カヌーにも乗ったが、私がパドルで水を漕いでいるのを見た奈緒から言われた。
 
「冬、腕力が結構ある」
「うん。少しは身体を鍛えたかな。ボクも男の子だし」
「それはダウトだな」
 
「冬は先月の駅伝で区間新記録出して5人抜きしたんだよ」
と若葉が言う。
 
「すっごーい。それ女子として出たの?」
「ううん。男子。女子として出なよと言ったんだけど、自分は男子だと本人が主張するから」
「嘘ついてはいけないなあ」
 
「女子が男子の方に出たら違反じゃないの?」
「それは大丈夫。人数の少ない学校が男女混成チームで参加できるように、男子のチームには女子が入ってもいいことになってる」
「ほほぉ」
 
「でも走るのに腕の筋肉も関係あるんだっけ?」
「大いにあるよ。腕を振る勢いを足を運ぶ動力に変換するから」
「へー」
 
「腕を全く振らずに走ることはできないでしょ?」
「ああ、確かにそれは転びそうだ」
 

17時少し前にアリス・イン・ラビリンスに行った。入場口の所でアリスのスカートを穿いてここに入るのを撮っちゃおうなどと言われて、写真を撮られた。ほんっとに私って、女の子の格好した写真ばかり友だちから撮られている気がする。
 
普通のアトラクションは、ライドに乗って進行していくか、ガイドさんに連れられて歩いて行くのだが、このアトラクションだけは自分たちで歩き回ることになっている。しかもその道が分からない! ということで迷うのがデフォルトである。一応入場してから15分以内に脱出できなかったら、ガイドさんが来て誘導してくれることになっているのだが、私たちも迷いまくって
 
「あれ〜、ここさっき来たよね」
「違う違う。さっきの所は壁の所にチェシャ猫がいたけど、ここはハンプティ・ダンプティだもん」
 
などという会話をしながら歩き回っていた。実際場内にはわざと似た風景の場所がいくつか作られていて、勘違いしやすいようにできているようだ。時々白ウサギや帽子屋、トランプ達が素早く通り過ぎていく。
 
結局私たちは15分以内には脱出できず、三月うさぎさんに導かれて外に出た。
 
その後スペースマウンテンに行ったら列が短かったので、それに並び10分ほどの待ち合わせで乗ってから、ディズニーランドを後にした。
 

翌4月2日土曜日は予定が入っていなかったので、津田先生の民謡教室に顔を出して少し三味線を弾いてこようかなと思っていたら、朝、ドリームボーイズの蔵田さんから電話が掛かってきた。
 
「洋子、ちょっと出てきて」
「はい。どちらに?」
「西武新宿駅。正面側の改札の前に10時で」
「分かりました」
「今日はさ、男の子っぽい服で出てきてよ。但し女物の服も持って」
「はい?」
 
その日は、普段は日曜だろうと連休だろうと仕事に出ている父が、珍しく家に居たので私も男の子の服で出かけるのは好都合だった。リュックに女の子の服を入れて出かけたが、母が
 
「そんな格好で出かけるの?」
などと訊く。
「何か変?」
と私は男声で答えたが
「うん、まあいいけどね」
と母は言った。
 
JRで新宿駅まで出てから、西武新宿駅まで歩いて行った。
 
しかし・・・西武新宿駅って歌舞伎町に近いよね。変な人がいなきゃいいけどなぁ・・・と思ったら、ほんとに変な人に声を掛けられた!
 
私が男の子の服で改札前で待っていたら、27-28歳くらいの男の人が
「ね、君」
と声を掛けてきた。
 
私は返事をせずに無視していたのだが、
「君、もしかして神待ち?」
などと言う。
 
この頃私は「神待ち」という単語は知らなかった。
 
その男の人は
「ね、御飯食べに行かない?」
とか
「お風呂には入ってる? お風呂入れる所に行こうか?」
などと私に声を掛ける。
 
その内、私の手を掴もうとしたので、私はとうとう逃げ出した。
 
でも追ってくる!
 
えーん。怖いよー、と思いながら階段を駈け降りて、道路の所まで来たら、うまい具合に向こうから蔵田さんが来た!
 
私は
「孝治さーん!」
と中性ボイスで呼び掛け、駆け寄る。私が蔵田さんに駆け寄って、蔵田さんが私を保護してくれたのを見て、私を追いかけてきた男の人も、やっと諦めてくれたようだった。
 
でも、ちょっと怖かった!!
 

結局近くのルノアールに入ってコーヒーを頼んだ。
 
「さっきはどうしたの?」
と蔵田さん。
 
「男の人に声を掛けられて、手を掴まれそうだったんで逃げ出しました」
「あはは、確かにこういう場所では可愛い男の子が居たら、声を掛けてくる奴がいるかもな」
 
可愛い女の子じゃないのか!?
 
「まだ五反田の方がいいです。ここはラブホテル群は無いかも知れないけど」
「あれ?知らなかった。この界隈にもラブホテルは多いよ」
「えーーー!?」
 
「まあ、多分ホテルに行く前にタイムアウトになりそうだけどね」
 

「でもどうして今日は男の子の服指定なんですか?」
 
「あ、いや。俺が洋子と最近よく会っているようだというのが、一部の雑誌社に知られてしまったみたいで。もしかして俺ってバイなのでは? それでダンスチームの女の子に手を付けているのでは? と邪推してるみたいなんで、面倒だから、男装してきてもらった」
 
「あはは。怖いなあ。写真撮られちゃったりしたら、うちの父が仰天しそう」
 
その日はリリックスの話を始めたので、へー、蔵田さんでも女の子バンドに興味あるのかな?と思いながらその話を聞いていたら、唐突に
 
「そういえば、洋子、昨日はどこ行ってたの?」
と訊く。
 
「あ、友だちと一緒にディズニーランドに行ってました」
と答える。
 
「それでか。昼間電話したけど、出かけてるということだったから」
「すみませーん」
 
「俺も最近、あそこ行ってないや。何か新しいアトラクションとか出来てた?」
 
「私、初めて行ったんで、何が新しいか分からないですけど、スペースマウンテンは楽しかったです」
 
「ああ。あれは俺が小学生の頃からあるな」
「へー」
 
「あと、ホーンテッドマンションも楽しかったです」
「それも同じくらい古い」
「へー!」
 
「あ、最後に行ったアリス・イン・ラビリンスも楽しかったです」
「それ知らない。最近出来たのかな」
 
「よく分かりませんけど。あ、これ記念写真です」
 
と言って、奈緒が昨日自分の携帯で撮影し、昨夜わざわざプリントを1枚持ってきてくれた写真を見せる。
 
「へー。なんだか可愛いスカート穿いてるじゃん」
「偶然なんですけど、そのスカートもアリスの柄だったんですよ。それでアリスのスカートを穿いて、アリスのアトラクションに入るのは面白いとかいって、この写真撮られたんです」
 
「なるほどねー」
 
と言ってから、蔵田さんは、ふと思いついたように
「ラビリンスって、迷路か何かなの?」
「ええ」
 
と言って、私はそのアトラクションの趣旨を説明した。
 
すると蔵田さんはしばらく腕を組んで何か考えているようだった。
 
「洋子、スタジオに付き合って」
「はい」
 

それで結局私はここのトイレで女の子の服に着替えてから、蔵田さんと一緒に青山の★★スタジオに行った。蔵田さんも、私が女の子の服を着ていないと、フルパワーが出ないことを知っている。
 
以前ここに来た時は玄武に入ったのだが、今日は7階・8階のスタジオが全部ふさがっているということで、6階の鳳凰という部屋に入った。
 
「可愛い!」
と私は思わず声をあげる。そのスタジオの壁に書かれた鳳凰の絵が物凄く可愛いのである。
 
「これ女の子に受けがいいみたいだね」
と蔵田さんは言っている。
 
「まあ、そういう訳で松原珠妃に渡す次の曲を作ろうという訳」
「わぁ!また書いてくださるんですか?」
 
「『鯛焼きガール』が凄く売れてるからね。既に50万枚を越えてるし。それで、また書いてくれないかという話が来たんだよ」
「わぁ!」
 
「この件に関しては、洋子のせいで俺も関わることになってしまったから責任取ってもらうぞ」
「はい、頑張ります!」
 
とは言ったものの、この時期まだ私は「責任」の意味を理解していなかった。
 
スタジオの楽器でギター、ピアノ、ヴァイオリンを出してもらったが、この日は蔵田さんは実際にはギターをほとんど弾かなかった。私が蔵田さんの指示に従ってピアノを弾いたりヴァイオリンを弾いたりしながら、それで蔵田さんは五線紙に音符を書き綴っていった。私がギターも弾いたが
「洋子ってギターは下手だ」
と言われた。
「すみませーん」
 
昨日私がディズニーランドで入ったアトラクション、アリス・イン・ラビリンスというのが発想の元になっている。
 
「これ物凄く変則的なコード進行ですね」
と私は言った。
 
「そそ。まるで迷ってしまったかのような音の流れになる。サビなんて最後が終わってない」
 
そこは私自身試唱して歌いにくかったのだが、サビがまるで尻切れトンボなのである。
 
「なるほど!」
 

今回は蔵田さんが書いた歌詞に、私の思うままに添削しろと言われたので遠慮なく書き直して行ったら
 
「洋子、ほんとに遠慮が無いな」
と言われた。
 
「すみませーん」
「いや、だから俺は洋子と一緒にこの作業をしたいよ。他の奴なら、萎縮して俺が書いた流れを変えようとしないから」
 
それで私が書き直した歌詞に、更に蔵田さんが加筆修正をする。その後は2人で話し合って、言葉を洗練させて行った。
 
「洋子、凄く発想がいい」
「昔ある人から指導されたんです。歌詞は地面から積み上げるように言葉を選んではいけない。空中にヘリコプターで資材を運べって」
 
「なるほど、それは良い言葉だと思う」
と蔵田さんは頷くように言っていた。
 

鳳凰の部屋で、お昼の休憩をはさんで、夕方近くまで作業して私たちは曲をまとめた。何か『鯛焼きガール』の時よりかなり熱が込もっている感じだった。
 
最終的にまとまったのは、珠妃の声域をめいっぱい駆使した難曲である。試唱していた私も完全には歌えなかった。歌うのは大変だが、とても耳に馴染む歌だ。不協和音も使用されているが、すぐに安定した和音に解決する。趣味に陥りすぎないバランスの取れた曲に仕上がった。
 
「タイトルは『うまい棒の迷宮』かな」
と蔵田さん。
 
「せめて『お菓子の迷宮』で」
と私は提案した。
 
でも後から静花本人から聞いたのでは、最初渡された譜面は『明太子の迷宮』
になっていたらしい! しかし結局観世専務の要望で『硝子の迷宮』になったということだった。
 
「でも蔵田さん、こないだの曲とは全然傾向が違うんですね」
「そそ。ドリームボーイズの曲でもそうだけど、毎回必ず新しい発想で作る。売れなかった曲の次は売れるように路線を変えるし、売れた曲の後は絶対、路線を変える。2匹目のドジョウは居ないからね」
「ああ」
 
つまり『黒潮』が売れて次に似たようなストーリーの『哀しい峠』を作ったのは最悪のパターンだよな、と私は思った。
 
なお、『哀しい峠』の次の作品として木ノ下先生が用意してくださった曲は珠妃の先輩の歌手が歌ったのだが、この時点で5万枚売れていた。彼女はそれまで1万枚を越えるヒットが無かったので、物凄く喜んでいたらしい。
 
普通は5万枚でも充分ヒットだ。『哀しい峠』も一応3万枚売れている。普通の歌手なら評価される。しかし、それはクアドラプル・ミリオン歌手の松原珠妃には許されない数字なのである。『鯛焼きガール』はこの時点で既に50万枚売れてダブルプラチナを達成していた。
 
ずっと後に蔵田さんと言ってたのでは、この時私たちが作った曲というのは松原珠妃のプロジェクトが蔵田さんを今後も使うのか、あるいはまた別の作曲家を模索するのかの試金石だったのではないかということだった。それで蔵田さんはこの曲に物凄くリキが入っていたのである。
 
木ノ下先生で『黒潮』は売れたが『哀しい峠』は売れなかった。蔵田さんの曲も『鯛焼きガール』は売れたが、次の曲は分からない。この世界は水物だから。
 

中学1年の時は同じクラスには私の実態を良く知っている友人としては貴理子がいたのだが、2年では貴理子とも、また若葉や倫代、貞子や美枝たちとも別のクラスであったが、吹奏楽部の友人のヤヨイが同じクラスになった。
 
ヤヨイは貴理子より良く人の噂話をするタイプなので、彼女を通じて私の実態はクラス内に広まっていく。
 
「唐本君、というより冬ちゃんと呼んだ方が良さそう」
「ああ、ボクもそう呼ばれた方が気楽〜」
「冬子ちゃんでもいいけど」
「取り敢えず冬ちゃんあたりで」
 
「冬ちゃん、セーラー服あるんだって? 着てくればいいのに」
「いや、それやるとお父ちゃんに仰天されるから」
「カムアウトしちゃえばいいじゃん」
「いや、冬はセーラー服を今持ってるはず」
「あはは」
「持って来てるんなら着ればいいのに〜」
「あはは」
 
でもしっかり、その日の放課後はセーラー服に着替えさせられた!
 
「おお、可愛い、可愛い」
「セーラー服似合ってる〜」
「この姿を1度見てしまうと、むしろ学生服姿に違和感がある」
「うん。だから冬はセーラー服で通学してくればいいんだよね〜」
 
その姿を男子生徒にもしっかり見られて「唐本、明日からそれで出てきたら」
などとも言われる。その中で1年の時も同級だった高橋君が何だか熱い視線で私の方を見ている気がした。
 

さて、うちの中学の体操服は青いジャージの上下である。これは男女共通である。夏の間は下は長ズボンを脱いで、ショートパンツになるのだが、これが正確には男子は濃紺のハーフパンツ、女子は黒のショートパンツ(昔風のブルマよりは丈が長い)である。
 
この体操服のデザインは姉が通学していた時代と変わっていない。それで私はこの中学に入学する時、電話で問い合わせた。
 
「姉が3年前にこちらに通っていて、その時の体操服をまだ持っているのですがそれを使ってもよいでしょうか?」
「ああ、構いませんよ」
と電話に出てくれた教頭先生は答えた。
 
「ショートパンツもそのままでいいですか?」
「ええ。サイズが合うなら問題無いです」
 
それで私は体育の時間、姉のお下がりの体操服を3年間着ていた。
 
1年生の6月に、夏服仕様になり半ズボンになった時、私が黒のショートパンツを穿いていたので、体育の先生が
 
「唐本、なんでお前、女子のショートパンツ穿いてるの?」
と訊いたが
「これ姉のお下がりなんです。入学前に学校に問い合わせたら教頭先生が姉のお下がりなら、そのままでいいと言われたのですが」
と私が答えると
「ああ。なるほど。まあ教頭がそう言ったんならそれでいいか」
 
ということで体育の先生は不問にしてくれた。でもクラスメイト(特に同じ小学校出身の子)たちは、むしろ私が女子仕様の半ズボンを穿いていることを自然なことと受け止めてくれていた感じもあった。
 
もっとも・・・私は学校に問い合わせた時、女声で電話しているので、教頭先生は「姉妹」なら、そのままでいいと思ったのではないかという気もするが!
 

2年生になっても私は体育の時間はやはり女子仕様のショートパンツで押し通した。1年生の時以上に私の実態はクラスメイトにバレているので、友人たちは何も言わないし、2年の時の体育の先生はサッカー部の顧問で、陸上部とは隣り合って練習していたこともあり、私の実態をかなり理解?している感じであった。
 
で、2年生の体育の時間、初日はいきなり持久走をやらされた。普通持久走って授業でやる時は1500m程度だと思うのだが(陸上選手にとっては事実上短距離)、この日は4000mなどという、とんでもない指示だった。
 
私も含めて運動部に所属している子はみんな快調に走って20分か25分くらいまでに走り終えて、後は休んでいたのだが、走り慣れてない子はもう歩くのより遅いペースになってる。
 
「先生!棄権!」
などと言っていた子も
「歩いてもいいから」
などと言われて、続行させられていた。
 
男子の体育なんて、だいたいこんなものである。
 
体育の時間が残り5分になっても、まだ走り終えていない子が5人いた。走り終わって余裕の私たちは
「頑張れ、頑張れ」
と声を掛けていたのだが、その内、高橋君が座り込んでしまった。
 
「こら、高橋、しっかりしろ」と先生。
「もう駄目です。死にそう」と高橋君。
 
「あと少しで時間も終わるから。歩いてもいいから」
「もう立ち上がれません」
 
「男だろ? しっかりしろ」
と先生は言った。
 

彼はそれまでも色々なことに耐えていたのだと思う。それがこの時のこの言葉で、ぶち切れてしまったのだろう。
 
「男だったら、無理しないといけないんですか?」
 
その言い方に先生が一瞬たじろいだ。
 
「いや、男だろ?というのは言葉のアヤで、男でも女でも頑張る時は頑張るべきだろ?」
「こんな長い距離を走ることに意味があるとは思えません。意味の無いことで身体を酷使するのはおかしいと思います」
 
「しかし意味の無いことでもやらなければならないのが世の中だよ」
 
先生は一瞬ムカっときた感じだったが、生徒の前で感情的になってはいけないと思い直して、冷静に対処する姿勢になっている。私は、さすがと思ってこの先生を見直した。
 
終業のベルは鳴ったが先生は会話を止めない。ここはちゃんと決着を付けておく必要があるという判断だ。
 
「僕が女でも先生は無理させますか?」
「まあ、女子には少しは加減をするな。今年の女子の持久走は2500mだよ」
 
わぁ、大変そう!2500mだって走り慣れてない子には、とんでもない長距離だ。
 
「僕、いや、私、自分は女だと思っています」
 
と突然高橋君は言った。
 
「そうか」
「だから、私、男だろ?とか、男なら頑張れとか、男の癖にふざけるなとか、そういう言われかたはしたくないです」
 
先生は少し考えている風だった。
 

「それは俺の言い方が悪かったかも知れん。お前が女だというのを俺は知らなかったから。お前が女だったら、俺は『女だろ?しっかりしろ』と言ってたぞ」
 
その先生の言葉に、初めて高橋君は微笑んだ。
 
「授業時間終わってしまったが、このままじゃスッキリしないだろ? 高橋、お前が女だったら、女の意地で、もう1周、歩いてでいいから回ってこい」
 
「はい。分かりました! 女の意地でもう1周走ってきます」
 
そう言って、高橋君は立ち上がり、弱々しい感じではあったが1周しっかり走ってきた。
 
もう次の授業時間の開始のベルが鳴っていたが、私たちはみな拍手で迎えてあげた。
 
そして、この日以来、高橋君は学校ではいつも女言葉で話すようになり、また級友は女子に準じて扱うようになったし、特に女子の級友は名前で「吟ちゃん」
と呼ぶようになった。
 
そういう訳で、性別傾向を隠していた(つもりの)私より、堂々と自分の傾向を主張する吟ちゃんの方が、女性傾向があることは広く知られるようになったのであった。だから「2年1組にオカマがいる」という話は、元は私の話ででも多くの人が吟ちゃんのことだと思っていたようである。
 
ただ吟ちゃんは、私も含めてクラスの女子がおしゃべりの輪に誘ったりしても何だか場慣れしてない感じで、少し緊張して話をしていたし、ちょっとぎこちない感じであった。また吟ちゃんは他の女の子を名前呼びする勇気が無いみたいで「苗字+さん」で呼んでいた。
 

ある日、夕方から放送局に行くのに、私がセーラー服に着替えて下校しようとしていたら、吟ちゃんに声を掛けられた。
 
「唐本さん、凄いね。こないだもそれ着てたね」
「ああ、これ、お姉ちゃんのお下がりなんだよ。昔の制服だから今のとデザインが違うけど、まあ支障はないからね。一応、この制服を着てもいいというのは許可は取ってるんだよ」
 
「えー!? すごーい」
 
「吟ちゃん、学校の外では女の子の服着てるんでしょ?」
「全然。私、女の子の服持ってないの」
「えー? お小遣い貯めて買えば良いのに」
「買ったことあるけど、お父さんに見つかって殴られて捨てられた」
「うーん。困ったねぇ」
 

4月中は平日は陸上部の練習をして、土日には伴奏などの仕事をしていたし、また蔵田さんから呼び出されて、今度は某アイドル歌手の歌を頼まれたというので、女子中学生の感覚に近くなるように歌詞を直してくれと言われて手伝った。スタジオで試唱したが
「これだけは洋子はうますぎて参考にならん」
などと言われた。
 
「凄まじい音痴の友人なら心当たりいますが」
「うーん。音痴すぎても参考にならんしなあ」
 
伴奏などの仕事の無い日は夢美の家に行ってエレクトーンを弾いたり、アスカの家に行ってヴァイオリンを弾いたり、津田アキさんの民謡教室に行き、三味線や唄の練習をしていた。4月は結局名古屋の風帆伯母の所には1度も行かなかった。
 
やがてゴールデンウィークがやってくる。今年は4月29日-5月1日、5月3-5日、5月7-8日と3つに分かれてしまっている。2日と6日が平日だ。
 

4月29日は例の学生オーケストラの演奏会があるということで、前日になってエツコから呼び出されて演奏してきた。またまたSさんが指揮で私がコンマスをすることになった。4月からSさんが正式に新しいリーダーになったと聞いて私は驚いた。元のリーダーNさんはヴァイオリン担当になったということだった。
 
「だったらNさんがコンマスをすれば良いのでは?」
「いや、僕は下手だから」
 
「うん。Nさんはあまり上手くない」
と他の楽団員からも言われていた。それで結局私と常トラのKさんが最前面で弾き、その後ろでNさんと楽団員だがヴァイオリン初心者のWさんが弾く形になった。
 

翌日4月30日は予定が入ってなかったので、津田アキさんの民謡教室に行ってこようと思っていたら、名古屋の風帆伯母から電話が掛かってきた。
 
「冬ちゃーん。今日の演奏会の伴奏のメンツが足りないのよ。ちょっと来て〜」
「名古屋近辺ですか?」
「まぁ近くだけど岡山」
「全然近くない気がするんですけど!」
 
「里美も純奈・明奈も博多どんたくの準備で忙しいらしくて」
「あぁ」
 
「聖見はお腹大きいから使えず」
「予定日いつ頃でしたっけ?」
「7月くらいらしいよ」
「へー」
 
「友美はお友だちの演奏会に担ぎ出されているらしい」
「それは聞きました。私も出ない?と言われたんですけど、逃げました」
 
「空いてるなら来てよ〜。可愛い振袖着せてあげるし、交通費はもちろん出すし、豪華なお弁当もあるよ」
 
「うーん。。。。友美さんの方に行っておくべきだったか」
 
ということで、その日は新幹線で岡山まで往復し、演奏会の三味線伴奏をしてきた。
 
出がけに、今日は父が家に居たので中性的な格好で出かけて、駅でセーラー服に着替えたのだが、私がそんな格好で三味線を持って出かけようとしていたら母が変な顔で私を見ていた。
 

その翌日5月1日は今日こそ津田先生の所に行こうと思っていたら、吹奏楽部の貴理子から電話が掛かってきた。
 
「冬、今日は暇?」
「用事があるけど」
「それでね。今日商店街のステージでうちの吹奏楽部演奏するんだけどさ」
「いや、用事があるって」
「今日は知花先輩が親戚の法事が入って欠席なのよ。クラリネット、私だけだから手伝ってくれない?」
 
「1年生は入ってないの?」
「一応2人クラリネット組にしたけど、ふたりともまだ音が出せない」
「うーん」
 
「冬、来てよ〜。私ひとりじゃ足りないよ」
「しょうがないな。何時?」
「演奏は11時からだけど、学校に10時に来てくれない?ユニフォームも渡すから」
「ユニフォームなんてあるんだ!?」
 
「こういうイベントとかの時に使うんだよ。冬はサイズはL?」
「私はSだよ」
「それって男の子のS?」
「女の子のS。私細いから」
「ああ、そうか。背丈はあるんだけどねー。じゃS確保しとくから」
 
そういう訳で、その日も父が休んで家に居たので、私はまたまた中性的な格好で出かけた。母がまたまた変な顔をして私を見ていた。
 

学校に出て行くと
「なんでセーラー服じゃないのよ?」
と突っ込まれるが、
「ユニフォームに着替えるなら、いいじゃん」
と答えて、一緒に着替えに行く。
 
ユニフォームは蛍光グリーンのTシャツに白の膝丈箱ヒダ・スカートである。(男子は白い長ズボンの模様)Tシャツの背中には白字で Wind Band、胸の所には●▲ JHS (JHS=Junior High School)と黒い英字で入っている。格好いい!と思ってしまった。
 
男子は音楽練習室の隣の地学講義室、女子はその隣の生物講義室に行き着替える。私も貴理子と一緒に生物講義室に行った。生物講義室には既に何人か女子が居て着替えている最中だったが、私が入って行くと、ギョッとされる。
 
「なんだ、冬ちゃんか」
「てっきり男の子が入って来たかと思ってびっくりした」
 
「えっと、ボク男の子だけど」
「その件に関して貴理子の見解は?」
「ふだん吹奏楽部にはセーラー服で来ていること多いしね。昼休みにはいつも合唱部の倫代といっしょに女の子の声で歌ってるし」
 
「あれ?倫代ちゃんと一緒に昼休み歌ってるのって、冬ちゃんなの?」
「そうだよ。女の子の声だから、聴いてるだけでは気付かないよね」
 
「ちょっと待って。冬ちゃんって、じゃ女の子の声が出るの?」
「あ、そうか。私はいつも両方聞いてるから何も思わなかった。冬、女の子の声で話しなよ」
「うん、じゃそうする」
と言って、私は女声に切り替える。
 
「おお。女の子の声が出るなら、それで話せばいいのに」
「その方が私たちも自然に接しやすいよ」
「男の子の声で話されるとちょっと距離置きたくなるよね」
 

「あれ?でも私、倫代ちゃんが昼休みの発声練習してるのを一度覗いたことあるけど、セーラー服を着ている子と一緒だったよ」
 
「それが、冬はしばしばセーラー服を着て発声練習してるんだよねー。そうしないとフル声域出ないらしくて」
 
「そしたら冬ちゃんって、時々セーラー服を学校に持って来てるんだ?」
「むしろ学校から帰る時は大抵セーラー服を着ている」
 
「えー!?知らなかった」
「冬がセーラー服を着ているのを見ても誰か女の子がセーラー服を着ているようにしか見えないから、誰も気付かないよね」
 
「いっそ授業もセーラー服で受けたらいいのに」
「私もよくそう言うんだけどねー」
 
私は頭をポリポリと掻く。
 
「身体も女の子なの?」
「ほら、胸を触ってごらんよ」
と貴理子が言うので、何人かが私の胸に触る。
 
「あ、けっこうおっぱいある」
「これ生胸?」
「うん、まあ」
 
「という訳で冬は女の子でよいと思います」
と貴理子。
 
「問題無いね」
 
ということで、ここで着替えることを認められてしまった!
 

私が着て来たポロシャツとズボンを脱ぐと
 
「ふつうに女の子の下着姿にしか見えん」
と言われる。
 
「そりゃ冬は女の子だもん」
 
「それ、下は付いてるようには見えないけど、取っちゃったの?」
「ごめーん。それは曖昧にさせといて」
 
「まあ付いてないようには見えるけど、実は付いているのだったら痴漢として通報してよいレベルだろうからね」
 
「ああ、それで通報されないように曖昧にしておくの?」
 
「それが友だちの間でも時々議論になるんだけどねー。大半の意見は実は既に密かに手術してしまっているのではないかと」
 
「あはは」
「この年齢ではほんとうは手術してもらえないのをこっそり手術したから公開できないのではなかろうかという意見が多い」
「ほほお」
 
「少なくともうちの中学の男子にも女子にも、冬ちゃんのおちんちんあるいはパンツの盛り上がりを見たことのある子は存在しない」
 
「じゃ、やはりこっそり取っちゃったんだ?」
「ごめん。それについては不明ということにしといて」
 
と私は笑いながら言った。
 

ユニフォームを身につける。
 
「こういう服を着ても普通の女子中学生にしか見えないよねー」
「普通の男の子にこういう服を着せても女装している男にしか見えないもんね」
「冬ちゃんはむしろ学生服とか着ている時が男装少女に見えない?」
「ああ、それ思ってた」
 
「あ、そうだ。ところで何を演奏するんだっけ?」
 
「あ。言うの忘れてた。ブラームスの『ハンガリー舞曲第五番』と、ロッシーニの『ウィリアムテル序曲』、モーツァルトの『トルコ行進曲』、エルガーの『威風堂々』。そしてヴィヴァルディの『四季』より『春』」
 
「譜面ある?」
「うん。これ」
 
と言って見せてもらう。急いで読む。
 
「『ハンガリアン・ダンス』はいきなりメロディーか!」
「そそ。だから私1人じゃ足りないのよ」
 
「『トルコ行進曲』でもメロディー吹く所あるんだね」
「見せ場だよね」
「この『四季』の『春』楽しい〜! こんな楽しいアレンジ初めて見た」
 
「最後に演奏するのにふさわしいでしょ?」
「うんうん」
 
「譜面は私と一緒に見ればいいよね」と貴理子。
「OKOK。じゃ私が譜面めくる係で」と私。
「うん。お願い」
 
 
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【夏の日の想い出・星の伝説】(1)