【夏の日の想い出・4年生の夏】(1)

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2013年5月1日、ローズクォーツの新譜『魔法の靴/空中都市』が発売されたが、私はこの曲の新曲発表記者会見は、ちょうど5日の仙台ライブ準備で多忙であったので、それが終わった5月6日に開かせてもらった。
 
私と花枝・氷川さんの3人での会見であったが、この席で私はローズクォーツを取り敢えず7月から来年3月までの半年間、お休みすることを明らかにした。
 
「大学の卒論をまとめるのに、どうしても時間が足りないので、大変申し訳ないのですが、お休みさせて頂きます」
 
「ケイさんがお休みするという場合、ローズクォーツ自体の活動はどうなるのでしょうか?」
 
「伴奏系のお仕事は元々私抜きで行っておりましたので、今まで通りです。私抜きの状態、いわゆるローズクォーツ−−(マイナスマイナス)で、今仕事の話が出ているのですが、これは来月発表になるかと思います」
 
「ボーカルが入る形式のお仕事は?」
「ボーカルも入る形式のものについては、基本的には断りますが、どなたかにピンチヒッターをお願いする場合もあります」
 
「ローズクォーツの新譜もそれまで休みですか?」
「通常のシングル、アルバム、またRose Quarts Plays シリーズ全てお休みになります。特に Plays シリーズはマリも参加しますが、マリも私同様に卒論で忙しいので」
 
「その間、マリ&ケイの作曲活動の方はどうなるのでしょうか?」
「そちらもできる限り休ませて頂きますが、どうしても必要な分は未発表の既存曲の手直しなどで対応させて頂く場合もあります。実は未発表の既存曲は100曲以上あるので」
 
と私が言うと、記者席は結構ざわめく。
 
「鈴蘭杏梨さんもお休みですか?」
と質問が飛ぶ。大胆な質問だ。
 
「それは鈴蘭杏梨先生に訊いてください」
と私が笑顔で答えると、記者席から忍び笑いが漏れる。
 
「でも鈴蘭杏梨先生が楽曲を提供している kazu-mana はみどりさんが妊娠のためしばらく休養ですし、槇原愛ちゃんも大学受験のため休養ということなので、きっと鈴蘭杏梨先生もお休みなのではないでしょうか?」
 
結構な数の記者が頷いている。
 
「ローズ+リリーの活動もお休みですよね?」
「はい、そうなります。ふたりとも卒論で手が空かないので。ただ卒論の提出が12月になりますので、それ以降は時間が取れたら何かする可能性もあります」
 
「ローズ+リリーのライブツアーが7月から9月に掛けて予定されていたと思うのですが、そちらはどうなりますか?」
「そちらは元々予定が入っていたものなので実施します」
 
「ローズ+リリーの来月のベストアルバム、7月のオリジナルアルバムは発売されますか?」
 
「ベストアルバムの方は既存音源を使用し、若干のリミックス行うだけですので、こちらの作業はほとんど発生しません。オリジナル・アルバムについては6月までに作業を完了しますので、ちゃんと発売します。その他にこれも6月中に作業を終える予定ですが、8月にシングルを発売するかも知れません。但しアルバムの作業がずれ込んだ場合は春に延期する可能性もあります」
 
「気が早いとは思うのですが、サマーロックフェスティバルに関してはどうでしょう?」
 
「ローズクォーツ、ローズ+リリーとも、サマーロックフェスティバルの話はまだ頂いておりませんし、そもそもアーティストが決定するのは来月ではないかと思うのですが、仮の話として、こう考えています」
 
と言って、私は予定を公表する。
 
「どちらにもお声が掛からなかったら、そもそも出ません」
記者席から笑い声がする。
 
「ローズクォーツだけにお声が掛かった場合は、そのステージだけ歌わせて頂きます。これは私ひとりの参加になると思いますし、音源使用が禁止でマリのボーカルを録音から流すことができないので、デュエット曲は歌えないことになります」
 
実際問題としてそういうことになると、選曲が非常に難しくなる。ローズクォーツの曲で売れている曲のほとんどが、私とマリで歌っているか、多重録音で私自身のデュエットにしているかである。しかしこの件に関しては記者さんたちは聞き流している雰囲気だ。このケースは有り得ないと思っているのだろう。
 
「ローズ+リリーだけにお声が掛かった場合は、初めての正式出演ということにもなりますし、これまで何度もお声を掛けて頂いたのを断っていたのが申し訳ないので、マリとふたりで参加させて頂きます。この件についてはマリ及びマリのお父様の了承済みです」
 
これは結構記者席がざわめく。
 
「ローズクォーツ、ローズ+リリーの双方にお声が掛かった場合は、両方出るとなると、私もさすがに練習も含めた負荷が大きすぎるので、ローズ+リリーのみに出演させて頂き、ローズクォーツには代替ボーカルをどなたかにお願いすることを考えています」
 
「代替ボーカルはどなたになりますでしょうか?」
「サマフェスのお話を頂いた後でそれは検討します」
「やはりデュオの歌手でしょうか?」
「さあ、それはその時になってから考えます」
「女性歌手ですよね?」
「それは当然そうなります。男性であっても女性の声が出る人なら問題ないですけど」
 
と言うと記者席は沸く。
 
実は鈴鹿美里のふたりに歌ってもらうことが一昨日決まったのだが、これは今はまだ発表できない。
 

5月は慌ただしく駆け抜けていった。
 
ローズ・クォーツ・グランド・オーケストラの作業、およびアルバム作成、ローズ+リリーの『Flower Garden』の制作、KARIONの2つのシングル(7月と11月に発売予定)と5周年記念アルバム『三角錐』の制作、槇原愛の休養前ラストシングルに関する作業、ワンティスに関する作業、田中鈴厨子さんのリハビリに関する作業、などが並行して進む中、それらの合間のわずかな時間を使って、卒論のプロット作りに励んでいた。
 
『Flower Garden』の制作は5月23-24日に『あなたがいない部屋』『夜宴』を私と政子の2人だけで演奏して収録し、残りはタイトル曲の『花園の君』のみとなる。『あなたがいない部屋』は高校の時に雨宮先生に編曲して頂きデモ音源としてレコード会社などに売り込みしたものであるが、今回雨宮先生は新たなアレンジをしてくれていて、当時は入っていなかったウィンドシンセとかリコーダー(又はファイフという指定)などという楽器が加わっている。幸いにもウィンドシンセは私が吹けるし、リコーダーは政子も吹けるので、無難に収録を終えることができた。『夜宴』で政子はグロッケンを弾いた。
 
どちらもそう難しくない曲なので、収録したその日の内に、私はこの2曲の仮ミクシングをしておいた。
 
翌25日、私は夕方密かに和泉と会い、以前から言われていた『Flower Garden』
を少し聴かせてという話に応じて、ここまでの仮ミクシング状態の曲を聴かせた。
 
「何これ?アルバム作ってたんじゃなかったの?」
と和泉は言った。
 
「そうだけど」
「これ、シングルを10枚くらい作ったんじゃない?」
「そのくらいの手間暇は掛けたね」
 
和泉は何だか悩んでいるような雰囲気であった。
 
「これコピーもらってもいい?」
「和泉ならいいよ。小風と美空まではいいけど、まだ他の人には聴かせないでね。この段階で聴かせるのって、スッピンを晒すようなものだからさ」
 
「TAKAOさんと福留さん、畠山さんには聴かせていい?」
「そうだなあ。そこまではいいことにするか。でもそれ以上は勘弁して」
「分かった」
 
それで私はmp3をUSBメモリーにコピーしてあげた。
 

5月27日。政子は卒論のプロットを完成させ、すぐに川原教授に見せる。教授は政子の「特殊事情」に配慮してすぐにそのプロットを審査してくれて翌日朝、直接政子に電話して「OK」の返事をしてくれた。それで政子はお父さんにそれを報告し、政子の08年組ジョイントライブへの出場が承認された。
 
実際に政子がライブに出ることは29日に発表されたのだが、とにかく出場確定した28日の夜(正確には29日の0時〜8時)、私と和泉・光帆、EliseとLonda、及び★★レコード関係者が集まってジョイントライブの進行に関する打合わせを行った。途中でダウンして寝てしまう人も出る中、私・和泉・光帆・Londaは完徹で計画をまとめあげた。
 
Eliseが途中で寝てしまって朝爽快に目覚めたので、そのEliseが運転する車でLondaは帰宅すると言っていたが、私と和泉・光帆の3人は仮眠室でいったん仮眠させてもらうことにした。光帆は11時半にはテレビ局に行かなければならないので起こしてもらうよう頼んでいた。和泉は9時からラジオ局の仕事があったのだが、さすがに無理なので、代わりに小風に行ってもらうことにして電話連絡していた。
 
仮眠室はひとつの部屋にベッドが4つあるので、私と和泉と光帆の3人で使わせてもらい、氷川さんたちは別の部屋で仮眠するということだった。
 
「疲れたけど、何とかまとまったねー」
「みんなお疲れ様−」
 
「そうだ、冬、私決めたよ」と和泉。
「ん?何?」
「KARIONの制作中のアルバムだけどさ、作り直す」
「へ!? それかなり制作進んでたんじゃないの?」
「録音はコーラスとパーカッションを除いて全部終わってた。でもローズクォーツのあのアルバムを聴いたら、恥ずかしくて出せないよ。だから発売も延期」
 
「何、何?冬たち、そんな凄いの作ったの? 私にも聴かせてよ」
と言うので、光帆にも1個コピーしてあげた。光帆はそれを聴きながらすぐに眠ってしまった!
 
私と和泉は小声で会話を続けた。
 
「編曲をやり直す。というか、実際問題としてあまり編曲という感じのことはしてなかったからさ。ボーカルはパート別の音をちゃんと指定していたけど、楽器はスコア譜も書かずにギターコードだけで演奏は各自に任せてたもん。それをまともに編曲してアレンジ譜を作る。歌月にちょっと頑張ってもらう」
 
「ああ、水沢歌月さん、たいへんそう」
 
光帆は寝ている感じではあるが念のため、私たちは「水沢歌月さん」みたいな言い方をしていた。
 
「それから、曲目も検討しなおしてたんだけど、『月虹』『愛のトッカータ』
2曲は残すけど、他の4曲は外す。代わりに新たに4曲書く。TAKAOさんたちにも話したんだけど、向こうも『君の背中』『最後の微笑み』は残すけど、他の曲は外して、新たに数曲書くと言ってる。これを6月中にやる」
 
「和泉も歌月さんも、今卒論のプロットまとめてる最中じゃないの?4曲も書けるの? それすごく上質な曲を4曲作るってことでしょ?」
 
「そう。シングルで出しても最低ダブルミリオンを狙えるような曲をね」
「きゃー。大丈夫?」
 
「私ちょっと旅行に行ってくる。社長にわがまま言って、6月5日から11日までの予定を全部キャンセルした。一部は小風や美空に代行してもらうけどね」
 
「どこ行くの?」
「分からない。風の吹くまま気の向くまま」
 
「それで詩を書いてくるのね?」
「うん。少なくともマンションに籠もっていい詩が書けるとは思えないから」
 

私の多忙状態は6月の前半も続き、仕事が深夜に及ぶことも幾度もあった、というかジョイントライブの件に関する事前準備は、メンバーのスケジュールが深夜しか空いていないので、わざわざ深夜に会議や代理リハーサル等が設定されていた。(和泉は1回目の代理リハーサル(6/04)と2回目の代理リハーサル(6/14)の間の 6.05-11 に旅行に行ってきた)
 
そんな中、6月9日にはローズ+リリーのベストアルバムの収録曲をテレビの1時間枠で一挙放送などという企画があった。そして6月12日には『Rose Quarts Plays Easy Listening』の発売記者会見を行った。私とタカ、及び指揮者の渡部さんが会見に出席した。
 
「ポール・モーリア・グランド・オーケストラを思わせるサウンドですね」
 
一部の曲を流したので記者から声があがる。
 
「ポール・モーリアのヒット曲を4曲『エーゲ海の真珠』『恋はみずいろ』
『オリーブの首飾り』『恋人たちのバラード』とカバーしています。そもそも私の楽曲アレンジの原点はポール・モーリアにあるんです。中学1年の時に伯母から大量にポピュラー音楽のLP/CDを頂きまして。その時ポール・モーリアのLP/CDが段ボール箱に2箱近くありまして。それを聴いて感動して、私各々の曲でどの楽器がどこを担当しているのか、スコアに書き出してみたんですよね。それが今、私が色々な楽曲を編曲をする時の基本になっているんです」
 
「伯母さんって、若山鶴音さんですか?」
「そうです。鶴音伯母は、若い頃は民謡だけじゃなくて、ロックから映画音楽やイージーリスニング、ラテン音楽から中国音楽・韓国音楽、ロシア民謡からアフリカ音楽・中東音楽まで実に様々な音楽を聴いていたそうです。で、その時聴いてたLPを大量に私の所に送ってきた訳でして。最近買った民謡のCDを収納する場所が無くて困ってたので助かったなんて言ってました」
 
記者席から少し笑いが漏れる。
 
「モーツァルトも原点だといつかおっしゃってましたね?」
 
「はい。それは親友の親戚の方が所有していた大量のクラシックCDを小学6年生の時に頂きまして、これをモーツァルトから聴き始めました。私は小学4年生頃から作曲を始めたのですが、この時期に大量にモーツァルトを聴いたことで、私の曲作りは随分進化したんですよね。モーツァルトの音楽の「空気の流れ」のようなものは私の現在の曲作りの中でも基礎にあると思います」
 
「ローズ・クォーツ・グランド・オーケストラの今後の活動はどうなってますか?」
 
「一応、今回楽団員を募集する際に、9月末までの期間限定ということで募集しておりますので、9月29日にラスト・ライブをして、それで解散ということを考えています。それまでの期間、ゆったりしたペースで演奏活動を続けます。一応、このオーケストラはアマチュア楽団という建前ですので」
 
この楽団はアマチュアという建前にすることで、学校の先生や会社員でセミプロ級の腕を持っている楽団員を集めることができたのである。そして基本的に土日祝日限定で活動している。実際には食事代・宿泊費などはサマーガールズ出版から出しているが、それ以外には「お車代」を渡しているだけである。但し指揮者の渡部さんやコンマスの桑村さん、ピアニストの美野里、ヴァイオリン・ソリストのアスカなどには別途報酬を払っている。
 
「ところで今回のローズクォーツのメンバーの役割は?」
「タカのギターソロは結構フィーチャーしています。サトには一貫してドラムスを打ってもらっています。マキも一貫してベースを弾いてもらっています。ヤスはとても器用なので、様々な楽器を担当してもらっています」
 
「『Rose Quarts Plays』シリーズの次の予定は?」
「私とマリの予定が立たないもので、当面は制作できません。来年の春以降に検討したいと思っています」
 

この記者会見を1階の会見室で終えた後、★★レコードの制作部門のフロアで氷川さんや加藤課長などと少し雑談的に話をしていたら、和泉から電話が掛かってきた。
 
「冬〜、旅行から戻ったよ〜」
「お疲れ様〜」
「『お土産』渡すから、うちに来ない〜?」
「なんか怖いなぁ」
「大丈夫。取って食ったりはしないから」
「あはは」
 
「じゃ、ちょっと行って来ます。そういうことで『魔法の靴』は来月中旬くらいからテレビスポットを流しますので、現在の在庫分はそのままキープしておいていただけませんか? 倉庫代をこちらに請求してもらってもいいですし」
「いや、それはこちらで負担するよ」
 
実はローズクォーツ『魔法の靴』に関して、前作『Night Attack』が10万枚売れていたので今回12万枚プレスしていたのに、5月末の時点で7万枚しか売れておらず、まだ出荷に回していない4.5万枚ほどを、このまま保持しておくかいったん廃棄するか、迷っていると言われたのである。それで私はあらためてプロモーションする予定なので、もう少し待って欲しい旨お願いしたのである。
 
「でもいづみちゃんとケイちゃんって、結構個人的な交流もあったのね」
と氷川さんから意外そうに言われる。
 
「元々私と和泉は高校1年の時のバイト仲間なんですよ。一緒に歌のお仕事をしたこともありますしね。まだKARION結成前に。実はその時の指揮者が渡部さんだった訳で」
「へー!」
 
「お互いのマンションにも行き来してるの?」
「和泉をうちのマンションに呼ぶとマリが嫉妬するのと、そもそも向こうの方が忙しいから、だいたい私が和泉のマンションに行きますね」
「なるほど!」
 
「いや、KARIONとローズ+リリーの活動を比べたらKARIONが忙しいだろうけど作曲活動まで考えると、どう考えてもケイちゃんの方がいづみちゃんより忙しい」
と加藤さん。
 
「あはは」
 

そういう訳で、私は神田の和泉のマンションに行った。和泉は高校時代は親と一緒に住んでいたものの、大学に入るのと同時にここにマンションを借りて引っ越した。高校時代は私と同様部屋が楽器であふれていて、自分の部屋で寝ることができずに、よく居間のソファで寝ていたらしい。
 
このマンションは3LDKだが、ひとつの部屋は簡易防音加工してピアノ(Yamaha C5L) とグロッケンシュピール、エレクトーン(Stagea)を置いている他、別の部屋にギター(アコギ3種類・エレキギター2種類)、エレキベース、フルート、アルトサックスなどが置かれているが、実際にはフルートやアルトサックスはレッスンは受けてみたものの、挫折したらしい。
 
「私は管楽器とは相性が悪いようだ」
と和泉は言っていた。
 
この楽器が置かれている部屋が和泉の創作部屋で、部屋に入るとローズウッドやサンダルウッド(白檀)、シダーウッドなど、主として樹木系のインセンスの香りがよく漂っている。
 
ヴァイオリンケースも置かれていたので尋ねたら、子供の頃に使ってた1/2のヴァイオリンで、そろそろ大人サイズ(4/4)に変えましょうかね、などと言っていた頃に挫折したらしい。
 
そういう訳で、和泉は私に「旅行土産」の詩をたくさん見せてくれた。
 
「どこ行ったの?」
 
「博多まで新幹線で行って降りたら目の前に地下鉄乗り場があったから何となく乗って。終点まで行ったら唐津って所で、とりあえずそこで1泊して。翌朝散歩してたら壱岐行きのフェリーがあったから、それに乗って。フェリーターミナルで観光地図もらってレンタカー借りて、猿岩とか、腹ほげ地蔵とか見て、その日は壱岐に泊まったんだけど。夕方散歩してこれを見たのよ」
 
と言って写真を見せてくれる。
 
「これは凄いね」
 
そこには神社の入口の所に立つ、人の背丈くらいはありそうな巨大な陽型の写真が写っていた。
 
「塞神社といって、アメノウズメ(天宇受売)という女神様を祭っている神社。私全然知らなかったけど、天岩戸伝説で、天照大神(あまてらすおおみかみ)を誘い出すために、岩戸の前で踊った神様なのね? 神社に置かれていた御由緒書きを読んで知った」
 
「うんうん。だから芸能の神様でもあるよ。私たち歌手はよくお参りしておくべきだよね」
 
「この情景がちょっと衝撃的でさ。それで書いたのがこの詩だよ」
 
私は詩を読んでみた。
 
「確かに凄い衝撃だったというのがよく分かる」
 
「これ今回のアルバムのタイトル曲で使えると思わない?」
「水沢歌月さんが頑張ればね」
「だから頑張って」
「あはは。これ数日待ってよ」
「うん」
 

「他に、これは長崎の平和祈念像前で書いた詩、これは吉野ヶ里遺跡で書いた詩、これは出雲大社で書いた詩、これは鳥取の白兎海岸で書いた詩、これは天橋立で書いた詩、これは『お水送り』というのが行われる鵜の瀬というところで書いた詩。冬、『お水送り』って知ってた?」
 
「うん。東大寺二月堂の『お水取り』の水を吸い上げる閼伽井(あかい:閼伽はAquaと同語源で水のこと)の水源でしょ?」
 
「よく知ってるな。私も初めて知ったよ」
「岡野玲子さんの『陰陽師』で出てきたよ」
「あの漫画、私途中で挫折した」
 
「あはは。でもそしたら、九州から福井まで、ずっと日本海沿いに旅してきたんだ?」
「たまたま来た列車に乗り継ぐという感じで旅してきたけど、結果的にはそういう感じになったね」
 
「一昨日は金沢に泊まって、《花嫁のれん》を見てこの詩を書いて、午後から富山県に入って高岡って所を散歩してたんだけどね。高岡が元々は富山県の中心だったのね?」
 
「そうそう。越中国の国府が置かれていたんだよ。当時は富山市は辺境の地で外山と呼ばれていたのが後に富山と書かれるようになった」
「なるほどー」
 
「それでさ、その高岡で不思議な女の子に出会って」
「ふーん」
 
「最初サイン求められたから、書いて渡したんだけどね」
「うん」
 
「私コーラス部なんですけど、先日『海を渡りて君の元へ』の使用許可を頂いたので、一所懸命練習してるんですよ、とか言うんだよね」
「あぁ。それ誰だか分かった」
 
「分かった?」
「川上青葉だね」
「そうそう! そんな名前! じゃ、よく知ってる子なんだ?」
「うん」
 
「で私もつい、じゃそれ聴かせてくれない?なんて言っちゃって」
「ほほぉ」
「でタクシーに乗って、一緒に彼女の高校に行って、コーラス部の練習を見学したんだよ」
「うんうん」
 
「あんなアレンジ初めて聴いたから尋ねたら水沢歌月さんから直接編曲の許可をもらって、そのアレンジ譜も水沢歌月さんがご自分で書いてくれたんです、ということで。携帯見せてもらったら、冬の個人携帯のアドレスが登録されててかなり頻繁にメールのやりとりもされてて。びっくりした」
 
「あはは」
「どういう子?」
 
「話せば長くなるんだけどね〜。まあ、『聖少女』の共同作曲者Leaf、先日槇原愛に渡した『遠すぎる一歩』の作曲者《絵斗》だよ」
「へー!」
 
「それより、あの子はまだ高校1年生だけど、日本で5本の指に入る霊能者でね」
「えー!?」
「だから、あの子は、KARIONの楽曲を聴いた瞬間、その曲に含まれる波動で、ケイと水沢歌月が同一人物であることが分かっちゃったのさ」
「なんと・・・」
 
「そんなのが分かるのは日本国内に10人もいないし、そのレベルの人は気付いても言いふらしたりすることはないから大丈夫だと言ってたよ」
 
「なるほどねー。それでその彼女たちの練習を聴いてて書いたのがこの詩なのよ」
 
と言って和泉は『歌う花たち』という詩を見せてくれた。
 
「すごい、きれいな詩だね」
「これ普通の曲の付け方はしたくない気がするんだよね」
 
「無伴奏曲にしようか」
「ああ、それいいかも知れない」
 
「穂津美さんにも参加してもらってさ。5人のKARIONで無伴奏で歌う。つまり私がギター代わり、穂津美さんにベース代わりになってもらうんだ」
「いいかも。じゃ、それも曲よろしくー」
 
「了解−」
 

「青葉、元気そうだった?」
「うん。というか、何か健康状態に問題でもあるの?」
 
「あの子も去年の夏に手術受けたばかりだからね。私とかの前では随分無理して元気な振りしてる気がするんだけど、実際は本人、まだ完全には体力を回復させてないんじゃないかという気がしてね」
 
「何の手術?」
「あ、えっと。まあいいか。性転換手術だよ」
 
「待て・・・・あの子、元男の子だったりする訳?」
「うん、実はね」
「全然そんな風には見えなかった。普通の女の子にしか見えなかった」
 
「あの子、物心付いた頃からずっと女の子として暮らしてきてるから」
「だいたい、あの子、高校1年というから、性転換手術を受けたのって中学3年? そんな年齢で手術してもらえるの?」
「特例中の特例中の超特例だと言ってた」
 
「すごーっ」
「青葉、和泉に何かしなかった?」
 
「あ、そうそう。学校に行くタクシーの中でさ。私がここ数日たくさん歩き回って足が痛いなんて行ったら、少しヒーリングしていいですか? と言うからよく分からないけどいいよと言ったら、私の右膝の所に手を当ててるんだよね。私、痛いのが右膝だなんて言わなかったのに」
 
「ふふふ。それが分かっちゃうのが青葉なのさ。痛み引いたでしょ?」
「そうなのよ!」
「あの子はそれが名人級なんだよ」
 
「練習を見た後も、私が富山空港から帰ると言うと、練習を見てもらった御礼にと言って、顧問の先生の車で空港まで送ってくれたんだけどね。その時彼女が後部座席に並んで座って、足以外にもかなり疲れがたまってるみたいですねと言われて」
「うんうん」
 
「何か疲れ取れる方法ある?と訊いたら、じゃ身体全体のヒーリングしましょうと言って、なんか私の身体と並行にずっと手を動かしてるんだよね」
「取れたでしょ?」
 
「うん。私の身体に接触してないのに、まるでエステでも受けてるみたいな気持ちよさでさ。何だか凄く楽になった気がして。私、飛行機の中でも、帰ってから昨夜マンションでもぐっすり寝てて、朝起きたら元気100%。長旅だったから数日は疲れが残るかと思ってたのに」
 
「私と政子の活力の元も青葉のヒーリングだよ」
「すごっ! だったら、また疲れてる時とかやってもらおうかな」
 
「一度直接ヒーリングしてるから、次からは電話掛けてリモートでもヒーリングしてもらえるよ」
「わあ、凄い。頼もう」
 

私はその日の内にまず、和泉が天橋立で書いた『天女の舞』という詩に曲を付け、翌13日は山鹿さんのスタジオに行き、部屋を借りて、明かりも消して、防音がされているスタジオという絶対無音空間の真っ暗闇の中で『歌う花たち』のメロディーを(手の感触だけでABC方式で)書き、その後、電池式ランタンの灯りのみで無伴奏スコアと、録音用のピアノ伴奏譜を書いた。
 
「でも山鹿さん、ごめんなさい。ずっと長い付き合いなのに、『Flower Garden』
は、麻布先生のところに頼んでしまって」
「ああ、それは気にしなくていいよ。僕と麻布は元々なあなあの関係だし。それにここは蘭子ちゃんの隠れ家みたいなもんだしね」
「うふふ」
 
KARIONの音源制作で、しばしば私のパートをここで録音させてもらっていたのである。
 
「もしかしたら、こちらに1つユニットを持って来れるかも」
「じゃ、期待せずに待ってるから」
「はい」
 

続けて『アメノウズメ』にも曲を付けようとしたのだが、マンション、スタジオ、喫茶店、マクドナルド、料亭、公園、高速のPA、など色々な環境で何度か書いてみたものの、どうにも満足いく出来ではなかった。良いメロディーは浮かぶのだが(結果的に後に他の曲のモチーフに転用した)、この『アメノウズメ』の曲では無いという気がしたのである。
 
その日の深夜(14日0時〜8時)には08年組ジョイントライブの2度目の代理リハーサルを行った。歌唱者もバンドも全員代理というリハーサルで、Londa, 私、和泉、光帆が立ち会った。
 
光帆が私と和泉だけに聞こえるように小声で言った。
「私たちもXANFUSの5周年アルバムの発売、少し延期するよ」
 
「おお」
「冬、ずるいよ。あれ、実質活動休止中のアーティストにしか作れない」
「うふふ。あれ作ってたら、他のこと何もできないよね」
「でもローズ+リリーの猿真似はしない。私たちのやり方を模索中」
「うん、頑張って」
 
私は和泉と光帆に、最後に収録した『花園の君』の仮ミックスした音源を入れたUSBメモリを渡した。取り敢えず手許にある音源をイヤホンでふたりに聴かせた。
 
「何これ?」
と和泉も光帆も言った。
 
「ん?」
「この1曲作るだけで、普通のアルバム1枚作るくらいの手間暇掛けてないか?」
「うふふ」
 
「それに何、このヴァイオリンの凄い演奏」と光帆。
「これアスカさん?」と和泉。
「そうそう」
「誰?」
 
「私の従姉で蘭若アスカさんって人がいてね。ヨーロッパのヴァイオリンコンクールに幾つも優勝・入賞している若手注目株。その人にヴァイオリン六重奏のパート1を弾いてもらっている」
 
「冬、個人的なコネが凄すぎる!」と光帆が言った。
 
「でもそれと掛け合いしてるパート2と3? その人たちも凄い人だよね?」
「パート2は私だよ。パート3は松村市花さんという人」
 
「冬、こんなにヴァイオリン弾けたの!?」
 

そして「08年組ライブ」を翌日に控えていた6月15日(土)、私は正望とドライブデートをした。私たちのデートは昨年の10月28日早朝からお昼頃までの時間限定デート以来、8ヶ月ぶりであった。私の心情としてはもう正望に見捨てられているかもという感じだったが、正望はずっと私を愛してくれていた。
 
この日はハードスケジュールで疲れ果てて寝ていた所を、朝から町添さんの電話で品川駅まで呼び出された。そして「ちょっと静岡県まで行って来て。ドライバーは用意しておいたから」と言われた。
 
さすがに「私疲れてますー」「明日ライブだから今日は休んでおきたいんですよ」
などと町添さんに文句を言いながら下に降りて行ったら、その用意されていたドライバーというのが正望だったのである。
 
「へ?」と思って、私は町添部長の顔を見た。
 
「いや、マリちゃんから頼まれたんだよ。僕としても、君がここで失恋でもして、精神的に不安定になられたりしたら、★★レコードの屋台骨に関わるから」
「あ、えっと・・・」
 
「マリちゃんが言ってたよ。『町添さん、お願いがあるんですけど。ケイって言われるとそれ全部やろうとする所あるんです。自分の限界超えて。でもそれケイを潰してしまう。だから無理させないように気をつけてやってくれませんか』
ってね。まあ、明日のお昼までに会場に戻ってきてくれたらいいから、今日はゆっくり休んでね」
 
などと町添さんは言って、笑顔で手を振って駅に消えて行った。
 
私はふっと息をつくと、正望の車の助手席に乗り込んだ。
 
「運転手さん、行き先はどこですか?」と私。
「僕が初めて女の子の姿のフーコを見た所」
と正望は言って、私にキスした。
 
「私、寝てていい?」
「うん。着いたら起こすから」
 
それで私は遠慮無く寝せてもらった。行き先は西伊豆の恋人岬である。
 

10時に町添さんから呼び出され品川駅で1時間ほど町添さんと話していた。それで正望の車に乗り込んだのがお昼前後だと思うのだが、恋人岬に着いて正望に起こされたのは夕方16時くらいであった。私は本当に熟睡していた。私が寝ている間ピクリとも動かないので正望は何度か車を停めて私が息をしているかどうか確認したらしい。
 
「ああ、でもけっこうよく寝たかな」
「無理しないでね」
「無理したくないけどねー。ああ、でも折角デートするのに、私ったら、こんな格好で」
「いいんだよ。イブニングドレス着てデートって訳にもいかないしね」
「うふふ」
 
予約していたホテルにチェックインし、とりあえずお部屋に入る。シャワーを浴びて、取り敢えず・・・・
 
愛し合った!
 
でも疲れが本当にたまっていたので、1回目のHの最中に私は眠ってしまった。
 
目が覚めたらもう18時過ぎだった。
 
「ごめーん。私途中で寝ちゃった」
「いいんだよ。フーコが休むのが今日のデートの主目的なんだから、たくさん休んで」
「うん」
 
「御飯食べに行こう」
 
それでホテルのレストランに食べに行ったが、食事は美味しかった。海が見えるレストランで、夕日が沈んでいくのを見ることができる。私はしばしばその風景に見とれて、会話が停まり、ボーっとしていて、ハッと気付き
 
「ごめーん。見とれてた」
と言った。
 
「ううん。見とれるくらい綺麗だもん」
 
「・・・・」
私がそんなことを言い合いながらも、また言葉が停まった時
 
「これかな?」
と言って正望が五線紙を渡してくれた。
 
「用意がいいね!」
と私は笑顔で、正望から五線紙と《金の情熱》を受け取った。政子が予め正望に渡していたのだろう。
 
浮かんで来たメロディーを愛用のボールペンで書き留めて行く。《金の情熱》は私と政子が愛用している創作用の4本のボールペンの中でも少し特殊な存在である。他の3本が偶然にもセーラー製なのだが、これはパイロット製である。
 
そして、他の3本がどちらかというと発想の泉からイマジネーションをダイレクトに引き出す強い吸引力を持っているのに対して、この子はフィルターが掛かる感じだ。その代わり、出てきたものは、ひじょうに洗練されたものとなる傾向がある。
 
他のボールペンに比べてこの子で詩や曲を書く場合、時間が掛かる傾向があるが、その代わり、リンクしているイマジネーションとのつながりが切れにくいので、時間が掛かっても、途中で停まってしまう確率が低いのも特徴である。
 
つまりこのボールペンは、一瞬見て感動したようなものの、その瞬間のイメージを書き留めるのに最適のボールペンであり、今私が見ている夕日の感動を書くのにも最高なのである。
 
「ごめんねー。折角のデートなのに、寝て、寝て、お仕事して」
「ううん。そういうフーコを好きになったんだもん。それでいいんだよ。たくさんお仕事していいんだよ」
「ありがとう」
 
私は音符を書いた後で、更に思いついた詩も書いていく。後で政子が大胆な加筆修正をするだろうけどね〜。
 
そして完全に夕日が落ちてもう暗くなり始めた頃、私はタイトルの所に『王女の黄昏』と書いた。
 

夕食の後、どんどん暗くなってくる遊歩道を一緒に散歩した。この遊歩道というのは・・・・
 
物凄い急坂である!
 
「うむむ。ここで運動させられるとは」
「これで運動した後、シャワー浴びてまた寝ればいいよ」
と正望は言うが、正望の方がよほどヘバっている雰囲気もある。
 
「うーん。そうするか」
 
途中で懐中電灯を付けての散策になり、ホテルに戻って来たのはもう21時頃であった。私も日頃の運動不足をちょっと感じてベッドの上に寝転がりヘバっていたのだが、正望が冷蔵庫の中からワインを取り出す。
 
「あれ?それは?」
「このホテルを取る時に、このワインも一緒に予約してたんだよ。フーコあまりお酒飲まないけど、たまにはいいでしょ?」
 
「うん」
 
コルク栓を開け、一緒に冷やしていたグラスに伊豆産の白ワインを注ぐ。
 
「美味しい!」
「うん、これ美味しいね」
 
私たちは微笑んでキスした。
 
「でも・・・・」
「ん?」
「これ酔っちゃう!」
「疲れてるからだろうね」
 
「酔ったら、私、乱れないかしら」
「僕の前ではむしろ乱れて欲しい」
 
「うふふ・・・私、自分の仕事が忙しすぎて、モッチーのことまで気が回ってなかったけど、そちらはお勉強は大丈夫?」
 
「法科大学院の入試に向けて勉強してるよ。卒論が無い分、僕たちは入試で頑張らないといけない」
「ああ、私の友だちで理学部の子とかも大学院の入試で今は大変みたい」
「理学部も卒論はないけど、それで大変だよね」
 

私たちはワインを飲みながら、また特に私は新陳代謝を促進して疲れを取るために大量のミネラルウォーター(正望に頼んで途中のコンビニで買っておいてもらった)も飲みながら、たくさんおしゃべりした。
 
毎日たくさんメールのやりとりはしているし、時間があったら電話で話していても、やはりこうやって同じ場所に居て話すのはまた違う。
 
ふとベストアルバムの投票第2位になった『100時間』のことも思い出す。あの歌はまさにこういう状況を歌った歌だった。
 
「どうかした?」
「あ、ごめん。ちょっと高校の頃のこと思い出しちゃって」
「へー」
「それ僕と会う前?」
「うん。会う前」
 
「だったらいいや。今のフーコの目、何だか好きな人の事考えてるみたいな目だったから」
「えへへ。ごめんね。モッチーと一緒にいる時はモッチーのことだけ考えるようにしてるんだけど」
 
「でも高3の頃のフーコも何だかいつも忙しそうにしてた。ローズ+リリーはお休みしてたのに」
「そうだねー。でもお休みと言いながら色々してたからなあ」
 
高3の時。
 
あの時期は確かにローズ+リリーは「表向き」休業していたが、ロリータ・スプラウトをしてたし、KARIONをしてたし、鈴蘭杏梨をしてたし。更に学校のコーラス部に参加しつつ、○○ミュージックスクールでギター・ベース・ドラムス・クラリネット・ピアノを習い、声楽の特別個人レッスンも受け、また一方で、休日にはアスカと頻繁に丸1日ぶっ通しのピアノとヴァイオリンの練習をしていた。
 
更に実は休業中という建前のローズ+リリーでも、アルバムを2個歌だけ吹き込み、かなり凝ったシングルも1枚作って公開している。更にファレノプシス・プロジェクト(後のサマーガールズ出版)の設立準備で、畠山さん・津田さん・浦中さん・雨宮先生・町添さんなどと頻繁に折衝をしていた。
 
「僕は結局夏服の女子制服を着たフーコを見てないんだよなあ」
「うふふ。でも浴衣姿を見られたからね」
「すごく可愛かった。ドキっとした。もしかしたらあの時、僕フーコに一目惚れしたのかも」
「ふーん」
「冬服のフーコも卒業式の日に見ただけ」
「えへへ」
 
「でもなんか、佐野とかの話聞くと、実はフーコって高校の時、学生服より女子制服着てた時の方が多かったとか」
「あはは。それは麻央情報だな」
 
と言って私は笑っておいた。
 
「ね、ね、高校の時の女子制服着たフーコの写真、僕にも少し頂戴よ」
「それは勘弁してー」
 

結局12時近くになって、シャワーを浴びてから、またふたりでベッドに入り愛し合った。
 
「さっきはフーコ途中で寝ちゃったからリベンジ」
「ごめんね。でも夕方出したばかりで行ける?」
「何とかする」
 
正望のが自分の身体の中に入ってくる。それを受け入れているというだけでとても幸せな気持ちになれる。あ、何か頑張ってるな。やはり夕方出してるから時間掛かるよな。男の子ってだいたいどのくらい時間があったら回復するんだろう・・・・・自分はまだ男の子だった頃、1日に2度以上しちゃったことって無かったし、そのあたりはよく分からないなあ。でも自分にもこういうのが付いてたというのが、今となっては自分で信じられない気もする。
 
そんなことを考えていた時、唐突に先日和泉に見せられた、壱岐塞神社の陽型の写真が脳裏にプレイバックされた。
 
「あ・・・・」
「ん?」
 
「ごめん。ちょっと中断していい?」
「えーー!?」
 
私は正望から身体を離すと、バッグの中から五線紙と《金の情熱》を取り出した。
 
そして今浮かんで来たメロディーを書き留めようとするのだが・・・・
 
停まっちゃった!
 
うーん。。。。。。
 
「ね、もっちー。ちょっと入れてくれない」
「はあ!?」
と言って正望は呆れてる。
 
「フーコ、もしかして僕とHしながら仕事する気?」
「じゃなくて、入れてくれたら発想の続きが湧いて来そうな気がする」
 
「僕もたまには怒るよ」
「ごめーん。でもすごくいいメロディーが浮かびそうなのよ」
 
正望はさすがに呆れている感じだ。あーん。このまま私捨てられたりして。
 
「いいよ。だったら、バックで入れようか? その方が書きやすくない?」
「あ、その方がいいかも」
 
ということで、正望は私に四つん這いになるよう要求し、バックで入れてくれた。確かにこの方が書きやすい。しかもワイルドな感じが古代のマグワイっぽくてイマジネーションが良い雰囲気。
 
「ね。出し入れしてくれる?」
「いいよ、いいよ。今日だけは許してあげる」
「ごめーん」
 
そして正望に出し入れされると・・・・本当にさっきのメロディーの続きが浮かんで来た!
 
うーん。これは新しいパターンだ。でもこれ何度もは使えない手だなあ。
 
正望自身この中断でちょっと冷めてしまったのもあったようだ。そしてバックは直接的な刺激としてはそう強くないので、なかなか逝けないようである。それで長時間掛かったので、こちらも好都合だった。
 
そもそもあまり大きくなっていないようなので、外れそうだ。でもこちらとしてはその外れそうでギリギリ外れない感じが結構面白かった。
 
何とか曲を書き上げた頃、やっと正望も逝った。
 
「そちらも終わった?」と正望。
「終わった−。ほんとに御免ね。お詫びにフェラしてあげる」と私。
 
「待って。僕もまだ逝ったばかりで、今されると敏感すぎて」
「じゃ、取り敢えず燃料チャージしてあげる」
 
私はそう言うと、残っていたワインをグラスに注ぎ、いったん自分の口に含むと、そのまま正望に口付けして、ワインを正望の口に中に口移しした。
 
「う・・・・」
 
そして「下の方にもチャージしてあげる」と言って、私はそのまま彼のものを咥える。
 
「待って。まだ敏感すぎて。それで舐められたら僕壊れそう」
「だから、壊れてもいいよ」
 
「ひぇー、アルコールがしみてひりひりする。僕が壊れる前におちんちんが壊れてしまうかも」
「おちんちん壊れたら女の子になればいいよ」
「いやだー!」
「良い病院紹介してあげるよ」
「フーコが言うと、それ冗談に聞こえないのが怖い」
 

明けて6月16日。起きたら7時だった。キスして、微笑んで、服を着て朝ご飯に行く。そしてシャワーを浴びた後、8時にチェックアウトして東京に向かって出発する。
 
「フーコ、まだ疲れが取れないでしょ。寝てるといいよ」
「ごめーん。そうさせてもらう」
 
それで私は帰り道もひたすら寝ていた。結局24時間近いデートをしていて、私はそのうち18時間くらい寝ていた感じである。
 
結局、11時頃、今日ジョイントライブのあるコンサートホールの裏口の所で降ろしてもらった。というか、着いた所で起こされた。
 
「ありがとう。本当に寝ててばかりで御免ね」
「ううん。フーコが休めたらそれでいいんだよ」
「あ・・・もっちー、今日のライブのチケット取れてたんだったっけ?」
「ああ、電話したけど取れなかった」
 
「じゃチケットは何とかするから見に来てよ」
「うん。じゃ車置いたら見に来ようかな」
「チケットは携帯に送信させるね」
「ありがとう。じゃ、頑張ってね」
 
私は正望とキスしてから車を降りた。車が去って行く方向に私は手を振った。
 

楽屋に入っていくと、和泉と小風だけが来ていた。
 
「おはようございまーす」
「おはようございまーす」
と挨拶を交わす。
 
「他の人はまだ?」
「うん」
 
「じゃ、これお土産」
と言って昨夜正望とセックスしながら書いた『アメノウズメ』の手書き譜面を見せる。
 
和泉は譜面を読んでいたが
「何これ〜!?」
 
と言う。
「どうかした?」
「凄すぎる!」
 
「今年の私の一番の出来の曲かも」と私。
「アルバムに使うのが惜しいくらいの凄い曲だよ」と和泉。
「ふふふ」
 
「どうやったら、こんな凄い曲ができるの?」
と小風も譜面を見て驚いているふう。
 
「おとなの秘密」
「ふーん」と言って和泉は微笑んでいる。
 
「なぜ塞神社に陽型が奉納されているか分かる?」と私は訊いてみる。「ううん」と和泉は返事する。
 
私は解説する。
「天宇受売(アメノウズメ)は猿田彦(サルタヒコ)とセットなんだよ。夫婦で祭られていることが多いし、片方しか御祭神として挙げられていなくても実質夫婦ともに祭られているとみなされていることが多い。塞神社というのは『賽の神(さいのかみ)』とか『道祖神(どうそしん)』とも言ってね、村の境界を守る、結界の神なんだ。なぜ夫婦神が結界の神になるかというとね。天宇受売と猿田彦はとっても仲がいい。いつもピッタリくっついている。そこに誰かが侵入して来ようとすると『邪魔するな』と言って追い出す。だから、仲の良い夫婦神は、結界の役割を果たすんだ」
 
「つまり」と和泉は言った。
「これって、男の子とセックスしながら書いたのね?」
 
「なぜ分かった?」
「今、そんな話をしたじゃん」
「まあね」
 
「いいけど、曲をどうやって書いたかライナーノートにとても書けん」
「あはは」
 
「うーん。おとなの世界だ」
と小風が感激?していた。
 

「でも冬って、政子ちゃんと結婚するつもりなんだと思ってた」
と小風は言う。
「結婚するつもりというより、二人は既に結婚している」
と和泉は私と政子の関係を明かす。
 
「え?そうだったんだ!?」
「ふたりが良く付けてるお揃いのブレスレットが実はマリッジリング代わり」
「そうだったのか」
 
「でもそれとは別に、冬にしても政子ちゃんにしても、各々ボーイフレンドがいるんだよ」
と和泉が言う。
 
「えー!? 二股なの?」
 
「つまりさ、冬も政子ちゃんもバイだけど、女の子の恋人と男の子の恋人の両方を同時に作れるらしいんだよね。女の子を好きになるのと男の子を好きになるのは別の回路だと言ってる」
 
「それ、ただの浮気の言い訳のような気がする」と小風。
「ね、そう思うよね?」と和泉。
 
私はタジタジとなった。
 

7月1日。サマーロックフェスティバルAステージの出場者が発表になった。この中にローズクォーツは入っていたが「スペシャル・メンバー」という注意書きが付いていた。
 
発表の席でそれについて質問を受けた実行委員会の立木委員長は答えた。
 
「本フェスティバルでは障碍を持つ演奏者が補助として使うような場合を除いて自動演奏や録音の再生の類を原則禁止しております。ローズクォーツは多くの曲がツインボーカルで作られていますが、その場合ボーカルを担当するケイとマリが事情により参加できないため、代わりのボーカルとして、鈴鹿美里のおふたりが歌うスペシャル・メンバーであるとアーティスト側からは説明されています。当委員会もその代替ボーカルでの演奏を承認致しました」
 
「ケイさん・マリさんが参加できないというのは、おふたりがローズ+リリーとしてBステージに出場するためですか?」
 
立木さんは同席していた★★レコードの加藤課長の顔を見て確認してから答える。
 
「はい、それは認めて良いです。Bステージの出場者は来週発表しますが、現在ローズ+リリーの出場は予定されています」
 
それで翌日のスポーツ紙のトップには『ローズ+リリー・サマフェス初正式出場』
の文字が躍っていた。
 
更に『ローズクォーツはSM』という文字を結構大きく書いている紙もあった。SMはSpecial Member の略らしい。
 

私と政子はその鈴鹿美里バージョンのローズクォーツの練習をスタジオに見学に行った。行くとみんなで熱心に演奏している所だったので、副調整室の隅で静かに聴いていた。
 
基本的にはソプラノの美里がケイのパート、アルトの鈴鹿がマリのパートを歌っているようである。しばらく歌った所で休憩になる。
 
ロビーに出てきたところで「お疲れ様ー」と声を掛ける。
 
「どう?感想は?」
 
「ケイ先生のパート、凄く難しいです」と美里。
「ああ、ケイは他の歌手に渡す歌は歌いやすいように調整するけど、自分が歌う歌はむしろ難しく調整するからね」と政子。
「そうなんですか!?」
 
「わざわざ難しくはしないけど、難しい所があっても放置しておくかな」
と私。
 
「私、そう簡単にはケイ先生に追いつけない感じ」
「ふふふ。まあそう簡単には追い抜かれないけどね。でも観客はケイみたいに歌う美里を見に来るんじゃない。美里が歌ったらどんな感じになるんだろう、というのを見に来るんだから、自分の歌い方で歌えばいいんだよ」
 
「そうですよね!」
と言って美里は少しホッとしたような表情をした。
 

「まあ、あそこでホッとするのが、さすがにまだ子供だね」
と後で政子は私に言った。
 
「まだ中学生だからね。自分の歌い方をするというのが、どんなに難しいことか、美里も鈴鹿もこれから学んで行かないといけないね」
と私も答えた。
 
「それ、冬は幼稚園の時にお祖母ちゃんから言われたって言ってたね」
「うん。幼稚園の時に民謡大会に出て入賞した時、言われた。私がこきりこをほとんどコピー状態で歌ったからね」
 
「その時の写真とかないの?」
「私も無いと思ってたんだよ。ところがさ。私も記憶に無かったんだけど、入賞者はその場で記念写真が撮られていたんだって。その写真を当時スキャナで取り込んでいたものが出てきたと言って、こないだ伯母(鶴音)がメールしてきてくれた。昔のスキャナだから300dpiだけどね」
 
と言って私はその写真を政子に見せる。
 
「おぉ!女の子浴衣を着ている!!」
「うふふ」
 
「冬も最近はこういうの、素直に見せるようになったねえ」
「うーん。何だか今更だし」
 
「ぶふふ。可愛い女の子だなあ、幼稚園生の冬」
 
私は楽しそうにしている政子を微笑ましく見つめていた。
 

7月から私と政子は「公式には」卒論書きのための休養期間に入ったので、政子は私のマンションでずっと卒論を書いていた。
 
「仕事も無いし、実家の方が落ち着いて書けない? お母さんがいるから御飯にも困らないだろうし」
と言ったのだが、
「いや、こちらの方が集中できる」
 
と言って、卒論のテーマであるシェイクスピアと同世代の作曲家ウィリアム・バードの曲など、ルネッサンス後期の音楽(バロック音楽の一世代前)のCDを主として掛けながら論文を書いていた。
 
「でも冬は書かなくていいの?」
「うん。夜書くよ」
 
と言って私は毎日菊水さんのスタジオに出かけて行ってはこの時期はKARIONのアルバム『三角錐』作り直しの作業を進めていた。この時期やっていたのは伴奏の収録だが、作業は概ね、仮演奏→スコアの再検討を6月下旬から7月上旬に掛けて、私と和泉、トラベリングベルズの面々で行い、7月中旬から、松村さんと七星さんにも加わってもらった「拡大トラベリングベルズ」で本収録を進めた。
 
その一方で7月半ばを過ぎると、ローズ+リリーのツアーの準備が始まる。今回の伴奏は、台湾のみ特別バージョンでローズクォーツとスターキッズの特別合体バンドだが、国内5箇所はスターキッズのみで行うことにしていた。
 
それで私と七星さんは、主として午前中にKARIONの伴奏作成の作業をして、午後からはツアーの練習に出て行っていた。私たちの卒論があるので練習は基本的に夕方で終わりであるが、練習したあと政子と一緒にマンションに帰り晩御飯を食べて、お風呂に入って愛し合ってから、政子が寝ている間に私は再度スタジオに行き、毎晩1時くらいまで和泉とTAKAOさんの3人で収録した曲のチェック、譜面の調整などの作業をしていた。
 

7月24日午後。台湾公演の後、構成が異なる国内ツアーに向けてスタジオで練習をしていた時、UTPの花枝から電話がある。
 
「ローズクォーツの件でちょっと打ち合わせしたいんだけど、出てこられない?」
「行きます」
 
ということで、その日は練習はそこまでということにして解散し、政子はマンションに帰して、私だけUTPに赴いた。タカが来ていた。
 
 
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【夏の日の想い出・4年生の夏】(1)