【夏の日の想い出・胎動の日】(1)

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高校1年の12月中旬。私は小学校の時の友人、有咲・奈緒・若葉と一緒にドーナツ屋さんでおしゃべりしていた時、私と政子との関係が恋愛関係ではないかと指摘された。若葉が「タロット引いてみて」と言うので、私が引くと「Lust(愛欲)」
というカードが出た。
 
12月25日。私は高校の図書館でバッタリ政子と会い「クリスマス会するから来て」
と言われた。てっきり友だち数人呼んでのクリスマス会かと思っていたら、私と政子(と政子のお母さん)だけであった。
 
「花見さんは?」と彼氏のことを尋ねると「日曜日にデートしたからいい」
などと言う。しかも健全に?キスもセックスもせずに夕方には別れて帰ってきたらしい。
 
お母さんが
「もしかして政子、あんた啓介さんから冬さんに乗り換えるの?」
と言うので、私はドキっとしたのだが、政子は
「冬は友だちだよ〜。私としては『女の子の友だち』感覚。クリスマスの夜を彼氏とは過ごしたくない。女の子同士で過ごしたい」
などと言うので、私は少しがっかりしたような、ホッとしたような気分だった。
 
中学3年の時に不本意に女の子の同級生と恋愛関係になってしまい、自分が男としては振る舞いきれなかったこともあって、悲しい結末になり、自分としてはもう女の子と恋はしたくない気分だった。
 
ただ、中学の時の友人たちは、それは私が「男として」女の子と恋愛するのが無理だということだけであって、私自身「女として」女の子同士のレスビアンになるのは可能な筈だと指摘していた。
 
しかし政子は啓介さん以外にも「校内で見つけた可愛い女の子」と愛を暖めているということをしばしば話していたので、当時私は政子とそういう関係になることもないだろうと思っていたのだが・・・・
 

さて政子が花見さんとデートしていた23日、私は中学の先輩の絵里花と一緒にクリスマスパーティーに行っていて、絵里花の先輩の歌手・晃子のステージを見るつもりだったのだが、その晃子がダウンしてしまい、急遽私が彼女の代役を務めてしまった。
 
その謝礼に3万5千円ももらってしまったので、絵里花は私に
「学校の女子制服を買っちゃったら?」
などと唆した。
 
実は高校の女子制服は、夏服は絵里花が「私の家族を装って」勝手に注文を入れてしまい、持っていたのだが、冬服については「その内その気分になったら注文する」と絵里花には言っていた。でも実は必要に迫られて密かに買っていて、奈緒・有咲・若葉、詩津紅、和泉や小風などKARION関係者、また従姉のアスカなどにも見せてはいたのだが、絵里花や貞子たち中学の時の友人や、またほとんどの高校の友人にはそれを見せていなかった。
 
そこで私は「擬装用」にこのお金でスクールブレザーにチェックのスカートという「女子高生制服風の服」を買って、絵里花に見せた。その後もこの服は政子をはじめとする高校の友人たちには、かなり晒していたので、みんな私が、女子制服を着たいけどそれを買って着てくる勇気が無いのだろうと思っていてくれたようで、私が実は高校の女子制服を夏服・冬服ともに持っていたことを知っていた同じ高校の友人は詩津紅と奈緒だけだったと思う。
 

年が明けて1月2日。私と政子は一緒に初詣に行ったが、その日は私も音源製作に関わったKARIONのデビュー日であった。実際のCDはKARIONの3人からサイン入りのものをもらっていたのだが、私は初詣の後、政子と別れてから町に出てCDショップで1枚買ってきた。そしてそれを自宅で掛けてみて、あらためて自分も、いづれは和泉たちと同じ道を歩みたいという気持ちを新たにした。
 
そんなことを考えていた時、政子から携帯に電話が入った。
 
「ね、冬、来月の連休、何か予定ある?」
「連休って、2月の9,10,11日?」
「そそ」
「ちょっと待って」
 
私は急いでダイアリーを確認する。1件予定は入っていたが、キャンセル可能だ。
 
「予定は入ってるけど空けられるよ」
と私は答えた。
「良かった。じゃ、スケジュール入れておいて」
「えっと、何日?」
「9日と10日。たぶん疲れて11日は寝てることになると思う」
「何するの?」
「後で説明する。じゃ、よろしくー」
 
と言って政子は電話を切った。
 
何なんだ!?と思いつつ、私は2月10日に入っていた予定を先方に連絡してキャンセルした。政子からの電話は1時間後に掛かってきた。
 
「えっとね。泊まりがけでスキーに行くから」
「へ?」
 
「書道部の1年の女子で突然話が出てさ。行き先は山形の白湯温泉スキー場」
「そこ知らないや」
「実は今から宿が取れるところを電話しまくった結果、そこになった。スキーはそこの観光協会から借りられる。新幹線を降りてからローカル線で20分くらい行ったところ」
 
「ふーん。ローカル線で20分なら、まあまあ不便でもないんじゃない?」
「結局参加するのは私と冬と理桜と圭子の4人になった。カオルも誘ったんだけどその日、従姉の結婚式で大阪に行くらしいのよ」
「へー。あれ? ちょっと待って。それ部屋はどう取るの?」
「温泉旅館だからね。和室1室だよ」
「えー? 男女混じっちゃまずいんじゃない?」
 
「今更何言ってる? 夏のキャンプでは女の子のバンガローで寝たじゃん。理桜も圭子も冬ならOKと言ってるよ。ただし、宿には宿泊者名、唐本冬子で伝えてあるから。女装で来てよね」
「あはは・・・」
 

ところが冬休み明けに、書道部でこの話をしていたら、それを聞きつけた花見さんが、
「何〜? 政子がスキーに行って、唐本も行くだと? だったら俺も行く」
と言い出した。
 
「女の子だけで楽しみたいんだけど」
「だって唐本は?」
「冬ちゃんは女の子だよ。夏にも女の子の格好してるところ見たでしょ?」
「いや、それでも俺は行く」
 
などというので、渋々政子は旅館に連絡を入れて、あと1部屋取れるか聞いてみた。政子は取れない方が助かるような雰囲気だったが、幸か不幸か1部屋取れてしまった。
 
「私たち女の子4人で遊んでるから、啓介はひとりで適当に遊んでてね」
などと政子は言っていた。
 
「部屋は本物女子3人で1つ、唐本は俺と一緒だ」
などと花見さんは言ったが、
 
「啓介、冬ちゃんと浮気でもする気?」
などと政子が言うと、花見さんは真っ赤になって
「そんな訳がないだろ!?」
と言った。
 
すると理桜が
「あ、なんだったら花見さんと政子で1部屋使って、私と圭子と冬ちゃんでもうひとつの部屋で寝ればいいよ」
などと言う。
 
しかし政子は
「私、結婚するまではセックスするつもりないから、その案は却下」
とあっさり言う。
 
花見さんは何か言いたげだったが、取り敢えず我慢したようであった。谷繁部長と静香さんが忍び笑いをしていた。
 

1月12-14日の連休はKARIONのデビュー記念イベントをするので、参加しない?という打診があった。バックミュージシャンとしてならいいですよ、というお返事をしたら、それではキーボード兼コーラスでということで言われた。
 
この時期はまだ後日KARIONのバックバンドとして定着するトラベリングベルズのメンバーは固まっていない。実際デビュー曲『幸せな鐘の調べ』の音源製作の時には、後のトラベリングベルズのメンバーは和泉と私以外ひとりも入っていないのだが、このデビューキャンペーンには後にトラベリングベルズのメンバーになる相沢さん(ギター)と黒木さん(サックス)が参加していた。なお、この時は私にしても相沢さんや黒木さんにしても、この3日間だけのお仕事である。(契約書も交わしていない)
 
バンドとしては、ギター、ベース、ドラムス、キーボード、ヴァイオリン、フルート、サックス、グロッケンシュピールという8ピース構成。私以外は手配屋さん経由で参加した人である。この他、同じ事務所に出入りしていて、まだデビュー前の女性歌手2人がコーラス隊として参加していた。従って、出演者は、KARIONの3人に、バックバンド8人(内私はコーラス兼)、コーラス隊2人の合計13人。これに畠山社長自身と、事務所の女性アーティスト全般のお世話係である三島さん、という15人の大所帯であった(最初は!)。
 
なお、バンドメンバーの内、ヴァイオリン・フルート・グロッケンの奏者が女性で、私も当然女性奏者としての参加なので、男性4人・女性4人のバックバンドということになる。宿泊はあまり予算が無いのでビジネスホテルのツインルームベースでお願いしますということになっていた。
 
イベントは12日に東京・名古屋(福岡泊)、13日は福岡・広島(大阪泊)、14日は大阪・金沢(はくたか・新幹線で帰京)という日程だった。
 
私は両親には、正直にアルバイトをしているスタジオの関連(嘘では無い)で楽器の伴奏の仕事ということを言って出かけた。スタジオの仕事はしばしば深夜になることもあったし、民謡の伴奏では結構休日に遠くまで出かけることもあったので、これまでどちら系統でも宿泊まで入ることは無かったものの、今回のも似たようなものと思ってもらえたようであった。携帯で定時連絡を入れることだけ約束させられた。
 

初日、東京都内のCDショップ控室で顔合わせする。
 
ここで演奏曲目の譜面を渡してそれを読んでもらいながらスケジュールについて説明していたのだが、ヴァイオリンの松村さんが突然言い出す。
 
「待って下さい。私は3日間というのは聞いてないのですが」
「え?」
「今日1日のみの仕事ということで手配屋さんから聞いて来ました」
と言って、松村さんは手配屋さんからの発注書を見せる。
 
「なぜこうなってる?」
と畠山さんが事務所に電話して書類を確認させると、こちらから手配屋さんへの発注書類が誤っていて、ヴァイオリンだけ1日のみのアサインになっていた。この時期、KARION関係ではこの種の手配ミスがひじょうによく起きていた。
 
畠山さんが頭を抱え込む。
「すみません。松村さん、ちなみに、明日・明後日のご予定は?」
「別件で演奏の仕事が入ってまして」
「分かりました」
 
仕方無いので、今日の東京・名古屋だけ参加してもらうことにする。手配屋さんに明日・明後日に、福岡・広島・大阪・金沢で、ヴァイオリンで入れる人で「初見に強い人」がいないか照会したが、そのスケジュールで動くとなると若い人しか無理だろうが、ポップス系に強いヴァイオリニスト自体がそう多くない上に、連休なので若くて上手い人はたいていアサインされているということで、念のため探してみるが期待しないでくれと言われた。
 
「蘭子ちゃん、ヴァイオリン弾けたよね?」
と唐突に和泉が言う。
 
「え、うん少しは」と私は答える。
 
「明日以降は、蘭子ちゃんがヴァイオリン弾きなよ」
「じゃ、キーボードは?」と私は訊く。
 
「三島さん、キーボード弾けますよね?」
「えっと、弾けるといっても趣味の範囲で。私、エレクトーン8級ですよ」
「じゃ8級で弾ける程度にアレンジを変更すればいいですよ」と和泉。
「うーん、この際それで乗り切るか」
 
ということで私は誰かに自宅に置いているヴァイオリンを持って来てもらうことにする。私が女の子の服を着て女声でしゃべっているのを見ても、あれこれ言わない人、それでいて突然私の家を訪問して、母が例のヴァイオリンを預けてもいいと考える人、ということで私は奈緒に電話をした。幸いにも奈緒は自宅に居た。
 
「了解、了解。場所はどこ?」
 
ということで奈緒にヴァイオリンを持って来てもらうことになった。午前中のイベントが終わった後、東京駅で落ち合うことにした。
 

さて最初のイベント開始である。KARIONのデビューCDは1月2日に発売されはしたものの、ここまでの一週間でまだ1000枚しか売れていない。テレビスポットなども流していたのだが空振りの雰囲気だった。そこでセールスを最低でも5000枚には乗せたいということで今回のイベントは∴∴ミュージック単独で企画したものである。CDショップなどはこれまでのお付き合いの流れで無料で場所を提供してもらえるものの、15人が3日間動けば交通費・宿泊費も含めて費用は100万以上掛かる。ほんとうはこれで1万枚以上のセールスにつながらないと赤字だが、最低でも5000枚は売っておかないと、次のCDを出す話をレコード会社とすることができない。畠山さんとしても、KARIONがちゃんと離陸できるかどうかの、瀬戸際のイベントという気持ちであったらしい。
 
その畠山さん自身が司会をして
「デビューしたて、ピッチピッチの女子高生ユニット、KARIONです!」
と紹介して3人が飛び出して行き
「こんにちは〜、KARIONの」
「いづみです」
「みそらです」
「こかぜです」
と各々自己紹介する。
 
私たちバックバンドやコーラスのメンバーもステージに駆け上がってスタンバイする。そしてデビュー曲『幸せな鐘の調べ』を演奏し始める。
 
ギター・ベース・ドラムスというロック系の基本楽器は入っているものの、キーボードはパイプオルガン系の音を出し、それにグロッケンの響きが入り、ヴァイオリンやフルートなどの音も入って、ポップクラシックに近い雰囲気の演奏である。
 
女子高生3人組ということで、アイドル路線を期待して来場してくれた観客が多かったようで、アイドル歌謡とは少し傾向の違うこの曲に多少の戸惑いはあったようだが、いづみ・みそら・こかぜの3人の可愛い容姿がとにかくも好意的に捉えられた感じであった。
 
なんだか「いずみーん」「みそっちー」「かぜぼう」などと、即席の愛称を勝手に付けてコールしてくれる男の子たちもいて、本人たちもびっくりしていた。
 
それでも演奏が終わった後のサイン会にはけっこうな人数(8割くらいが高校生か大学生くらいの男の子)が並んでくれて、サインを書いてもらい握手もしてもらって、ご機嫌な雰囲気だった。この世代の中には、まだ知られていないアイドルのファンに率先してなることを楽しみにする子たちもいて、そういう層にも支えられている雰囲気があった。
 
ファンクラブ無いんですか?という質問もかなりあったので、畠山さんは
「近いうちに作りますので、ご住所と名前を書いていただけたら案内を送ります」と言って、私と三島さんが急遽、その受付をした。
 
この東京のイベントでは取り敢えず手近にあった罫紙を適当なサイズにハサミでカットしたものに住所氏名を書いてもらったのだが、畠山さんは事務所に電話して、KARIONファンクラブ入会(仮)申込書というのを作らせ、取り敢えず100枚ほどプリントして、誰かが名古屋まで持参してくれるよう指示していた。
 

イベント終了後、名古屋に移動するのにいったん東京駅に出る。ここで私はひとり他の人たちと離れて奈緒との待ち合わせ場所に行く。
 
「ありがとう、助かった」
と言って私はアスカからもう3年半借りっぱなしのヴァイオリンを受け取る。
 
「あれ?今日は高校の女子制服じゃないの?」
「うん。今回は伴奏スタッフだから、逆に制服が使えないんだよね〜。主役の3人が女子高生だから、他に女子高生がいるとファンが目移りするから。私の他にコーラス隊の2人も女子高生だけど、彼女たちも私服だよ」
 
「へー。でも同世代の女の子がスポットライトを浴びていると、嫉妬しちゃったりしないのかな?」
「それはすると思うよ。私の方がうまいのにとか思ったりするよ、きっと。だからボクは今回のイベントでは、そのガス抜きのためのおしゃべりを裏方2人に仕掛けるのもシークレット・ミッション」
 
「へー。裏工作も大変だね。でも冬は嫉妬しない訳?」
「ボクは彼女たちと一緒にデビューしない?と散々誘われたのを断ったから」
「なんで断ったの?」
 
「だって、男だってバレたら、面倒じゃん」
「ああ」
と言ってから奈緒は言った。
 
「きっと冬はそう遠くない時期に、その男とバレて面倒なことになるって奴を体験することになると思うよ」
「そうかな」
「取り敢えず、女湯や女子更衣室で騒ぎにならないよう気をつけなよ」
「ああ、それは心配無い」
 
「冬・・・・ほんとにそれについては自信あるみたいね。もうアレ取ってたりしないよね?」
「付いてること確かめたくせに。機能チェックまでされたし」
と私。
「それは去年の春だもん。あれからもう9ヶ月経つよ」
と奈緒は言った。
「多分既にタマは取ってるよね?だってここ2〜3ヶ月、急速に女らしくなってきた感じだよ。夏休み中か秋くらいにタマを取ったから女性ホルモンの効きが良くなったんじゃないかと思って見てたんだけど」
 
この時期、私が女性ホルモンを使っていることを知っていたのは多分奈緒と若葉くらいである。他の人からも散々疑われてはいたものの私は使用を否定していた。ちなみに私の女らしさが増したのは、女性ホルモン自体を増量したせいだ。
 
「えっとタマは多分あると思うけど」
「自信の無さそうな言い方だなあ」
 

名古屋はショッピングセンターのイベント広場を使うことになっていた。控えのスペースで待機していた時、畠山さんが
 
「そういえば蘭子ちゃんのヴァイオリンって、僕は聴いたことがなかった。どのくらい弾くの?」
と言われるので、私はヴァイオリンをケースから取り出し、調弦してから、グレープの『精霊流し』を弾いてみせる。
 
「凄い!」と和泉。
「きれーい!」と小風。
「本職みたい」と美空。
近くにいた客からも拍手が来た。
 
「ねね、私より上手くない?」
とヴァイオリニストの松村さん。
 
「そんなことはありません。私はハッタリがあるから上手く弾いているように聞こえるだけで、注意して聴くと実は下手なのが分かります」
 
「そうかな? ハッタリや誤魔化しが上手いなとは思ったけど、それ以上に基礎的な力もしっかりしてると思ったけど。それに、そのヴァイオリン自体も凄い。どう見ても私が使ってるのより高そう。そんなの使っているということはやはり相当弾いてるんだよね?」
 
「いえ、これは借物なんですよ。音大のヴァイオリン科に通ってる従姉が昔使っていたのを長期間借りていて」
 
「このクラスのヴァイオリンは弾く人を選ぶよ。下手な人には弾きこなせない。蘭子ちゃんも、それだけ弾けたらヴァイオリン科を狙えそう」
などと松村さんは言う。
 
「それはさすがに無理です〜。ヴァイオリンを始めてまだ3年だし」
「うっそー! たった3年でここまで弾けるようになるなんて信じられない。今高1?だったらあと2年良い指導者について練習したら、ほんとにヴァイオリン科行けるよ」
「うーん。そこまでやるつもりは」
 
「ね、ね、そのヴァイオリンちょっと借りれる?」
「いいですよ」
と言って私はヴァイオリンと弓を松村さんに渡す。松村さんは『G線上のアリア』
を演奏した。
 
みんな大きな拍手をする。
「すごーい」
とみんな称讃の声を上げる。
「やはりプロの演奏は違いますね」
と私は拍手しながら言った。
 
松村さん本人も
「いや、この楽器も素晴らしい! やはりいい楽器使うと違うなあ。私も少し無理してもいいヴァイオリン買っちゃおうかなあ」
などと言っていた。
 
畠山さんは
「蘭子ちゃん、キーボードの技術は高いと思ってたけど、ヴァイオリンもこんなに弾きこなすとは知らなかった」
と本当に感心している風であった。
 
「じゃ、明日は蘭子はヴァイオリン弾きながらコーラスね」
と和泉は言うが
「ヴァイオリン弾きながら歌うのは無理」
と私は言う。
 
「え?なんで?」
「ヴァイオリンを顎で押さえてるから、口が動かせないんだよ」
「えー? じゃ明日のコーラスは?」
「残りの2人に頑張ってもらうかな」
 
「いや、それは1人追加するよ。今それに気付いてよかった」
と言って畠山さんはすぐに事務所に連絡していた。追加のコーラスメンバーは明日の朝の飛行機で福岡に来てもらうことになった。
 

名古屋でのイベントが終わってから、松村さんは新幹線で東京に戻り、残りの14人で福岡に移動する。セントレアから福岡空港に入る。セントレアまではスタッフまで含めて全員特急ミュースカイの特別車両席を使ったが、これが好評であった。心地良いので眠っているメンバーもいた。私はコーラスの1人珠里亜さんと隣の席になったので、ひたすら彼女とガールズトークをしていた。コーラスのもう1人美来子さんは寝ていた(ように見えた)。
 
また福岡行きの飛行機の中では今度はその美来子さんと隣り合わせの席になり、今度は彼女とたくさんしゃべりまくった。
 
そして私は気付いてしまった。
 
珠里亜さんと美来子さんは相性が悪い!!
 
そこで空港に着いてから三島さんを引っ張り出してそのことを言う。
 
「うーん。。。女の子同士ってこういうの面倒だよね」
「全く」
「ちょっと部屋を組み替えるか」
 
ということで、最初は珠里亜さんと美来子さんを同室にする予定でいたのだが、珠里亜さんはフルートのKさんと、美来子さんはグロッケンのCさんと同室にすることにした。実はKさんとCさんの相性もあまり良くないのに三島さんが気付いていたのである。新しい組合せの相性は未知数だが、年齢差があると、何とかなるのではと考えた。なお、私は性別問題があるのでそれに配慮して三島さんと同室ということになっていた。
 

福岡での夕食は天神の海鮮料理の店だった。
 
「このグレードの仕事で、このクラスの料理が食べられるとは思わなかった」
と相沢さんが嬉しそうに言ってから
「これ各自払うんじゃないですよね?」
と心配そうに三島さんに訊く。
 
「大丈夫。事務所持ちですよ。お酒も明日に響かない範囲でお好きなだけどうぞ」
と畠山さんが言うので、
「よし、飲もう」
と言って嬉しそうに、博多の地酒を注文していた。
 
私はこの夕食の席では今度はKさんとCさんの間に座って、ふたりと話していた。
 
「蘭子ちゃんって、雑用とかしてるみたいだけど、事務所のスタッフ?」
「いや、時々顔を出しているだけです。去年の夏から秋にかけて数ヶ月、この事務所を通してお仕事もらったりしてたんですけどね。あと、KARIONの今回のデビュー曲の音源製作にも参加してたんで、今回のイベントにも出ない?とお声が掛かって」
 
「ああ、そうだったんだ」
「なんか便利に使われてます」
「あ、確かに便利屋さんっぽい。コーラスしてるの聴いても歌が凄く上手いし」
「あ、私も思った。ソロデビューできるレベルだと思う」
 
「ええ。私、そう遠くない時期にデビューするつもりでいますから」
「おお、強気」
「こういう強気な子って好きだ〜」
 
「スターになれる性格だ」
「別の事務所の社長からも言われたことありますよ。自己主張できる子だけがスターの座に就くことができる。でも自己主張できるからといってスターになれるとは限らない」
「まあ、たしかになれるのはホントに一握りだ」
「性格もあるけど、運も強くないとダメだよね」
「でも確かに自己主張しない控えめな子は絶対にスターにはなれない」
「あ、でも他の事務所からも目を付けられてるんだ?」
 
三島さんも言っていたように確かにKさんとCさんの相性はあまり良くないと感じた。しかしバンドの女性メンバーの間に感情的な緊張があるとセッションに影響する。実際今日の演奏でも私はこのふたりちょっとやばいかもと思ったのだが、ヴァイオリンの松村さんが人当たりのソフトな性格だったので今日は何とかまとまったのだ。私のその時間の目的は私という存在を媒介にして、明日・明後日の演奏でふたりが少しでも融和してもらえるようにすることだったが、私の八方美人的な性格で、ある程度それはできたような雰囲気もあった。
 
「蘭子ちゃん、歌がうまくてピアノ弾けて、ヴァイオリンも弾けるんなら1人で多重録音で音源作ってCD出しちゃいなよ」
「あ、私フルートは吹いてもいいよ」
「私もマリンバ打っていいよ」(Cさんの本職はマリンバ)
 
という感じで、私を「ダシ」に使うことで、ふたりも割と良い雰囲気になった。(ふたりとも取り敢えずこの週末は仲良くしなければならないことは頭では分かっている)
 

そんな感じでその夜は更けていった。
 
この日のホテルでは一応、各個室にもバスが付いているものの、最上階に展望も効く大浴場があった。
 
「展望がきくということは、外からも見られるのでは?」
「やはりそこはタオルで隠して」
 
などと珠里亜さん、美来子さんと言い合い、結局3人で一緒にお風呂に入りに行こうという話になってしまった。
 
「和泉さんたちは?」
と珠里亜さんが声を掛けたが
 
「ごめーん。万一盗撮されたりしたら面倒だから大浴場は禁止と言われた」
と和泉。
「ああ、アイドルは大変ね」と私。
 
「君たち3人も今年中か来年くらいには、そういうことになるよ」
と和泉は言う。
「じゃ今のうちに大浴場を堪能しとかなくちゃ」
と美来子さん。
 
和泉は私の方を見てちょっと心配そうに
「冬、あれは大丈夫?」
と訊く。私は微笑んで
「うん。生理は昨日終わったから今日はもう大丈夫」
と答えた。
 
「ふーん」と和泉は少し楽しそうな顔をして言った。
 

私が大浴場に行ってくると言うと、同室の三島さんは「あ、行ってらっしゃい」
と言ってから
 
「ちょっと待って。蘭子ちゃん、お風呂はどちらに入るの?」
と訊く。
 
「どちらというと?」
「男湯?女湯?」
「私が男湯に入ろうとしたら、こっち違うといって摘まみ出されますよ〜」
「でも女湯に入れるんだっけ?」
「あ、全然平気です」
「もうそういう身体になってたんだっけ?」
「そのあたりは企業秘密で」
 
ホテルの最上階は半分がラウンジになっていて、半分が(冬の間は)大浴場になっている(夏はプールになるらしい)。私たちはラウンジ前で待ち合わせ、それからお風呂の方に行った。
 
お風呂の客とラウンジの客があまり混じらないようにするための緩衝領域となっているショップや展示スペースなどを横に見ながら私たちはお風呂の方に行く。3人でおしゃべりしながら「姫様 LADIES」と書かれた赤い暖簾を潜る。
 
服を脱ぐと珠里亜から
「蘭子ちゃん、おっぱい小さーい」
と指摘される。
「うん。私、胸の成長が遅いみたい」
と答える。
 
「まだ中学1〜2年の感じかな」
などと美来子にも言われた。
 
「ああ、私中1の時は小学4-5年生並みと言われたよ」
「なるほど−」
「蘭子ちゃんに歌では負けるなと思ってたけど、胸では負けないな」
「いや、ロリコンおたくには小さい胸の方がうけるかも」
「そのあたりの男性の趣味って何だかよく分からないね」
 

「でもいづみちゃんの歌唱力が凄いよね」
と珠里亜。
 
「うん。あの子は凄いよ。こかぜちゃんやみそらちゃんだって、かなりうまいと思うけど、いづみちゃんが音感もいいし、歌い方もうまくて、お手本にしたいくらい」
と美来子。
 
「私、みそらちゃんとこかぜちゃんのユニットだったら、私だって負けないと思ったと思うけど、いづみちゃんの歌聴くと、この人にはとてもかなわないという気分になる」
と珠里亜。
 
「まあそう言わずにレッスンに励もうよ」
と私は言う。
 
「そうだね」
「普通ならみそらちゃんのレベルでもソロデビューさせちゃうと思うけど、この3人を組ませるって凄い贅沢なユニットだよね」
「実際問題として、今回のデビュー曲、この3人には易しすぎる気がする」
 
鋭い指摘だと思った。実はそれは私も感じていたのである。もっと歌唱力を要求する歌を歌わせた方が、3人の魅力を引き出せる気はしていた。
 
「蘭子ちゃん、いづみちゃんとはお互い呼び捨てなんだね?」
「ああ。中学時代からの付き合いだからね。ふたりで一緒に歌の練習とかもかなりしたし、去年の夏から秋にかけては一緒にお仕事したし」
「へー」
 
「いづみちゃんは蘭子ちゃんのこと『冬』って言ってた」
「うん。本名は冬子だから」
「へー。冬に生まれたの?」
「冬に生まれる予定だったから、冬子という名前を準備してたのに、予定日より2ヶ月も早く生まれてきたということで」
「あらら」
「でも、名前はそれに決めてたからということで、そのまま付けられた」
「じゃ秋生まれなんだ?」
「そそ」
 
この3人での入浴で、それまでかなり緊張感のあった珠里亜と美来子の関係はかなりほぐれた感じがあった。
 

3人でお風呂をあがってから、談笑しながらエレベータの方に向かっていたら、「博多祇園山笠」の写真が展示してある所に和泉がいた。
 
「あ、冬、そろそろ上がる頃かと思った」
「何か?」
「うん。ちょっと」
 
というので、珠里亜と美来子は「じゃ、私たちは先に」と言って行ってしまう。
 
「ね、冬って作曲するよね?」
と和泉は言った。
 

翌朝、東京から飛行機で追加でコーラス隊に入ることになった短大生の穂津美さんが来て、本番前に簡単に合わせた。高校生の珠里亜・美来子からは少しだけ年が上であり、また歌唱技術も高かったことから、結果的に穂津美さんを中心に3人のまとまりが出来た。またバンドの方も、KさんとCさんが積極的に全体に融合してくるので、良い雰囲気になった。
 
それで福岡のイベントは結果的に東京や名古屋よりもうまく行ったような感じもあった。三島さんがステージで演奏するというのに慣れていなくてあがってしまい、最後の方でけっこうミスを連発したがPAさんがキーボードの出力を下げてくれたので、あまり目立たなくて済んだ。
 
それで新幹線で広島に移動する。
 
「あのお、もし良かったら私がキーボード弾きながらコーラス歌いましょうか?」
と今日コーラスに加わってくれた穂津美さんが言う。
 
「あ、穂津美さんキーボード弾ける?」
「エレクトーン6級ですから大したことないですけど」
「6級ならセミプロ・レベルじゃん! 私なんて初心者レベルの8級だもん。代わって代わって」
 
と三島さんが言うので、午後の広島のイベントでは穂津美さんがキーボードを弾きながらコーラスも入れるという形になり、昨日と同じ態勢での演奏となった。(松村さんの代わりに私が、私の代わりに穂津美さんが入った形)
 
広島での夕食は、牡蠣尽くしであった。
「今回はマジ、ホテルが安っぽい分、食事がいい!」
と相沢さんはご機嫌である。
 
「そのうち売れるようになったら、ホテルのランクも上げますから」
と社長も半ば照れながら言う。
 
「今の所売上はどうですか?」
「東京で200枚、名古屋で80枚、福岡で60枚ですね。枚数的には大したことなくても、今回のイベントに来てくれた人を中心に口コミが広がっていってくれたらと思うんですけどね」
 
「福岡はFM局にも出たのが効果出るといいですね」
「ええ。FM局はこういう音楽に好意的だから、機会があったらどんどん出してもらいたいですね」
 

その日は広島で夕食を取った後で新幹線で大阪に移動して泊まった。宿泊は昨日と同じ組合せであったが、穂津美さんだけシングルに泊めた。
 
そして3日目の朝が明けた時、畠山さんが頭を抱え込む事態が発生していた。
 
「じゃ、*君と*君は、繁華街に飲みに行ったの?」
「済みません。明日もあるんだからとか言って停めるべきでしたかね」
と相沢さんが恐縮する。
 
ベースの人とドラムスの人が朝になっても戻ってないのである。携帯に電話するも、電源を切っているか、あるいはバッテリー切れかでつながらない。
 
「10時までに現地に来てもらえれば何とかなりますが・・・」
と三島さんが言うが、
 
「いや。ここは2人が今日はもう参加できないという前提で考えるべきです」
と私は主張した。
 
「うん。そう考えるべきだろうね」
と畠山さんも厳しい顔で言う。
 
「とにかく金沢の方は現地でベース弾ける人とドラムス弾ける人を調達しましょうよ。社長、そちらのコネはありませんか?」
「ある。すぐ連絡する」
と言って、畠山さんは電話を掛けていた。
 
「古い知人に頼んだ。何とか使えそうな人を見つけてくれるということだ。三島君、ここに譜面をFAXして」
「はい」
と言って、三島さんは譜面を取りに行く。
 

「さて、午前中のライブまで1時間半しかない。これを何とか乗り切らないと」
と黒木さんが言う。
 
「Cさん、元々がマリンバなさるのでしたら、ドラムス打ったことありません?」
と私は訊いた。
 
「ある。でもあまり自信は無いよ」
「打てるようなドラムスで打ちましょう。難しいドラムスワークは無し」
「単純な8ビートなら何とかなるかな」
「それで行きましょう」
 
「Cさんにドラムスを打ってもらって、グロッケンは?」
と相沢さんが訊く。
「和泉が歌いながら叩く」と私。
「うーん。叩くだけならできるけどそれで同時に歌うのは・・・」
と和泉は言う。
 
「グロッケンの代わりに電子キーボードでなら弾き語りできない?」と私。「あ、それならできるかも」と和泉。
「ということで、社長、電子キーボードをもう1台調達しましょう」
「うん。分かった!」
 
と言って急いで電話をしている。
 
「ベースはどうする?」と相沢さん。
「穂津美さん、キーボードあれだけ弾けるなら、単純に根音だけでならベース弾けません? エレクトーンのペダル鍵盤を弾くのと同じ要領」と私。
 
「できるかも知れないけどやったことない。そもそも私、エレキベースなんて触ったことないよ」
「今、覚えましょう」
「俺が教えるよ」と相沢さんが言う。
 
「穂津美さんがベースを弾いたらキーボードは?」
「三島さん、頑張ってみましょう」
「うん」
 

そういう訳で急いで相沢さんが穂津美さんにベースの弾き方を教える。幸いにもすぐ音階が分かるようになったので、それで簡単に合わせてみるとさすがエレクトーン6級である。勘で根音が分かるので今日イベントで演奏する3曲だけなら、何とかなる感じであった。
 
それで泥縄状態で、私たちはイベントの行われるCDショップに出かけて行った。結局電子キーボードはこのショップが所有するものを好意で貸してもらえることになったが、和泉は結局ぶっつけ本番である。ただ音源製作の時にさんざん今日やる曲のグロッケンは弾いているので、弾くべき音は頭に焼き付いている。
 
場所はCDショップのフロア内にある小ホールで定員500人の所を少々オーバーしている雰囲気もあった。お店のスタッフの人が会場整理を手伝ってくれて、若い人2人がステージ前に客の方を向いて立ってくれた。
 
畠山さんが司会をしてKARIONを紹介し、3人が出てくる。観客の中に名古屋でも見た男の子がいる。もう熱心なファンになってくれている! 私たちも各々の位置について楽曲スタート!
 
ドラムスぶっつけ本番になったCさんは最初不安げに打っていたが、少し経つと調子が出てきたようで、格好良いフィルインを入れたりもしてくれた。和泉もグロッケンパートの弾き語りなどというのは初めてであったが、さすが和泉はスターである。いつもやっているかのような顔をして堂々と演奏し、堂々と間違う! しかし間違っても平気な顔をしているので、後ろでキーボードを弾いていた三島さんがあれ?あれ?という顔をしていた。このあたりの和泉の舞台度胸はさすがだなと思いながら、私はヴァイオリンを弾いていた。
 
穂津美さんの「にわかベース」も、1時間半前に初めてベースという楽器に触った人とは思えない、しっかりしたベースラインをキープしている。実は弦1本のみ使用して弾いているのだが、注意して見ていないと分からない。しかしベースパートを演奏すること自体はエレクトーンでさんざんやっているからこそできたことだろう。
 
その日は名古屋に来ていてこちらにも来ていた人が混じっていたこともあったろう。会場が物凄く盛り上がり、歓声も凄かった。予定の3曲を演奏したあと、アンコールの拍手が起きてしまった。
 
ステージ上の演奏者が急遽集まって協議する。
 
「AKB48の『会いたかった』なんてどう?」
「あ。それなら分かる」
「Cさん行ける?」
「ずっとハイハット打ってればいいよね?」
「うん、この曲はそれでいいと思う」
「エレクトーンで弾いたことあるからベース分かると思う」
 
ということでアンコール曲が急遽決まり、『会いたかった』を演奏した。
 
すると集まっている客層がだいたいAKB48を聴いている世代なのでこの曲もまた物凄く盛り上がり「いずみーん、会いたかったよお」などといった声までも掛かり、アドリブのグロッケンパートを弾きながら歌うという脳みそフル回転状態であった和泉も思わず笑みがこぼれた。
 
物凄い拍手の中、KARIONは客席に向かってお辞儀をして演奏を終えた。サイン会では列がショップ内に収まらず、階段にまで並んでもらう事態となる。私と三島さんがファンクラブ入会の受付をし、社長と相沢さん・黒木さんが列のチェックをした。相沢さん・黒木さんはこういう仕事までする必要は無いのだが行方不明になった2人を停めなかったのが申し訳無いなどといってボランティアしてくれた。
 
ファンクラブの受付をしていた時、ひとりの男の子から私は
「名古屋ではキーボードを弾いておられましたよね?」
などと言われた。
 
「ええ。でもヴァイオリンの人がお忙しくて今日は来られなかったので私が代わりにヴァイオリンを弾いたんですよ」
「名古屋でのキーボードも今日のヴァイオリンも上手いなあと思って聴いてました。お名前聞かせてください。事務所のスタッフの方ですか?」
 
などというので私は三島さんに目で確認を取ってから
「柊洋子です。事務所のバイトなんですよ」
と言った。彼から握手も求められたので握手してあげた。
 
(蘭子という名前は基本的に外には出さないことにしている。またこの日は大人っぽいメイクをしていたので、女子高生であることは気付かれなかったかもと思っている)
 
結局この大阪ではCDにサインした人だけでも500人、CDの売り上げはこの日だけで1000枚を越えたのであった。
 

サイン会が予定より長引いてしまったので、お昼は金沢への移動のサンダーバード内で駅弁で食べることになった。金沢に到着次第、KARIONの3人が出演することになっていたコミュニティFM局に三島さんと一緒に行き、他のメンバーは直接会場のショッピングモールに移動した。
 
朝からの連絡で、金沢在住の畠山さんの知人が、ベース奏者とドラムス奏者を手配してくれていたので、その人たちと現地で落ち合う。
 
「譜面は読んで一応自宅で音出してきましたが、一度合わせてみたい気分ですね」
とベースの人が言う。
 
「社長、リハとかしてもいいんですか?ここ」
「ここで演奏したのが店内に流れてしまうので、聞き苦しくないものであればOKと言われている。あと本番で歌う歌手は本番以外では歌わないでということ」
 
「あ、じゃ蘭子ちゃん、歌ってよ。KARIONの3人が放送局に行っているし、ちょうどいいや」
「はい」
 
ということで、現地のベースとドラムスの人、相沢さんのギター、黒木さんのサックス、Cさんのグロッケン、Kさんのフルート、穂津美さんのキーボード、そして私の歌と珠里亜・美来子・穂津美さんのコーラス、という形で演奏しようとしたのだが・・・
 
「珠里亜さんと美来子さんはどこ?」
「あれ?さっきまで、その辺にいたのに?」
「トイレかな?」
 
というので少し待つが来ない。本人たちの携帯に電話するが電源を切っているのか、つながらない。
 
「今日はどういう日なんだ?」と畠山さん。
「このショッピングモール広いから、迷子になってたりして」とCさん。
 
「仕方無い。取り敢えずコーラスは穂津美さんだけで演奏してみましょう」
と畠山さんが言い、リハーサルを始める。
 
まずは『幸せな鐘の調べ』を弾いてみる。上手い人ばかりなので一発で合った。
 
「蘭子ちゃん、物凄く歌がうまい」
と相沢さんから言われた。
 
「ここだけの話だけど、実は蘭子ちゃんもKARIONのメンバーとして私は考えてたんですよ。でも本人がまだ自分は実力が足りないなんて言って辞退するもんだから」
と畠山さん。
 
「実力が足りないなんて無いでしょ? 和泉ちゃんとふたりでツインメインボーカルでいい」と相沢さん。
「いやー、すみませーん」と私。
 
「KARIONって、元々4つの鐘という意味なんですよね。4人で企画していたのに蘭子ちゃんが辞退するから、仕方無く来年くらいに別のユニットでデビューさせることを考えていたラムちゃんって子をここに入れようかと思った時期もあったんですけどね」と相沢さん。
 
「お父さんの海外転勤でインドに行っちゃったんですよね〜。あの子、私より上手かったと思うんだけど」
「あら」
「で結局、名前は4つの鐘だけど、3人でデビューさせることになってしまって」
 
そんな話をしていたのだが、珠里亜と美来子は一向に戻ってくる気配が無い。
 

仕方無いのでコーラスはキーボードを弾きながら歌う穂津美さんだけの状態で、そのまま残り2曲を更に私のボーカルで演奏した。そしてお店のスタッフの人が
 
「ただいま流したのは15時から○○棟の○○広場で行われます、デビュー仕立ての新人ユニット、KARIONのリハーサル風景でした。KARIONは先ほどラジオ**にも出演して、現在こちらに向かっている最中です。ご期待下さい」
というアナウンスをした。
 
私と穂津美さん、Cさん、Kさんの4人で店内の女子トイレ、休憩室なども見て回り、声かけなどもしたが、珠里亜さんと美来子さんは見つからなかった。やがてKARIONの3人が放送局から戻ってきた。
 
「仕方無い。コーラスは穂津美さん、ひとりでお願いします」
「分かりました」
 
しかしまあ、たった3日間・6回のイベントで、最後まで伴奏に参加したのは結局、相沢さん・黒木さん・Cさん・Kさん・私の5人だけということになった。10人の内半数脱落というのは凄い。
 

車を運転しながらFMを聞いている人が多いので、近くの道を走っていて、放送を聞き、こちらに休憩を兼ねて立ち寄ってくれた人が結構いた感じであった。また買物に来ていた客、休日なので家族連れで来ていて、先ほどのリハの音を聞いた人たちが、結構来てくれた感じであった。
 
それで金沢の会場に集まってくれた人は圧倒的に30代が多かった。子供連れもいたが、お店では「もし泣いたりした場合は連れ出してください」という注意だけして、入場させた。男女比も半々くらいであった。午前中の大阪とは全く異なる客層である。
 
何となくバンドリーダー的な雰囲気になってしまった相沢さんの合図で現地調達のドラマーさんがチッチッチッとスティックを鳴らし、それから全員一斉に演奏を始める。前奏に引き続き、KARIONの3人が歌い出す。
 
客の年齢層が高いので歓声や手拍子などもないが、耳を傾けて聴いてくれている雰囲気が伝わってきた。演奏が終わると拍手をもらえる。
 
和泉が短いMCを入れたら、最前列にいた小さい女の子が「お姉ちゃん頑張って」
という声。母親が慌てていたが、和泉は微笑んで客席に寄り、その子と握手した。
 
ほのぼのとした雰囲気の中、2曲目に入る。
 
やはり集まった客の中にポップス系のコンサートを若い頃に経験していた人たちもいたのだろう。最初は遠慮がちにだが手拍子が入り出した。すると和泉たちも、バンドメンバーも乗ってきて、良い雰囲気で演奏を終えられた。
 
3曲目もとてもノリの良い雰囲気で演奏し、それで「最後まで聴いて下さってありがとうございました」と和泉が言って、下がろうとしたのだが・・・・
 
アンコールの拍手が来てしまった。
 
急いで集まり話し合う。
 
「なんか子供が多いから『大きな古時計』とかは?」
「ああ、行けそう、行けそう」
「よし、それで」
 
ということで短時間で曲目が決まる。
 
「これ、先頭に蘭子ちゃん、ヴァイオリンソロ入れてよ」
と相沢さん。
「了解。では適当なタイミングでドラムスをスタートしてください」
「OK」
 
それでそれぞれの位置に付いてから、私はヴァイオリンでAメロのモチーフを利用した、少し懐古的な雰囲気のソロを入れた。少しずつテンポを落としていき最後の音を伸ばした所で、勢いよくドラムスワークが入る。
 
そして全員の演奏が始まり、続いてKARIONの3人が歌い出す。
 
客席から手拍子が来る。気持ちいいー!
 
私たちは昂揚した気分で演奏を終えた。和泉が「みなさん並んで並んで」というので、KARIONの3人の後ろに、8人で並び、一緒にお辞儀をして演奏を終えた。
 
ファミリー層が多いので、ライブが盛り上がった割にはサイン会に並ぶ人はそう多くなかったが、それでも200人くらいの列ができた。ファンクラブの入会申込みの方もあまり列はできなかったので、そちらは三島さんに任せて私は社長とふたりでサインに並んでいる人の周囲で待機して、色々質問に答えたりしていた。
 
そんなことをしていた時、やっと珠里亜と美来子が戻って来た。畠山さんは怒鳴りたかったろうが、客の手前、そんなことはできない。
 
「ごめんなさーい」
「どこ行ってたの?」
と平静に訊く。
 
「済みません。道に迷ってしまって」
 
ふたりはリハをやることを知らなかったので、14時くらいまで本屋さんにでも行ってようと思ったらしい。
 
それでお店の人に本屋さんの場所を尋ねた所「道を渡った所にある」と聞き、それで道を渡ったのだが、どうも間違って反対側の道を渡ってしまったらしい。それで見つからないので「あれ?あれ?」と思いながら歩いていたら、その内ブックオフがあったので、ここを案内されたのかと思い、本当は新刊書店を探していたのだが、まあいいかと思い、古い漫画などを物色していたらしい。それで1時間前になったのでそろそろ帰らなきゃと思ったものの、どちらから来たのか分からなくなってしまった。
 
それで来たタクシーを停めて「ネオンの金沢店まで」と言ったら、全然違う所に着いてしまった。それで「ここじゃないみたい」という話に運転手さんはふたりの言う話を聞いてみて「ああ、それはネオンタウンの金沢店ですよ」と言い、改めてこちらに連れてきてくれた。しかし日曜の午後で道が渋滞していて、結局時間を大幅にオーバーしてしまったのだということであった。
 
温厚な畠山さんがかなり怒っている雰囲気はあったが、言葉は冷静だ。
 
「君たち携帯は?」
「すみません。午前中のライブの前に電源を切ったまま、再度電源を入れるのを忘れていました」
 
しかしこの日はサイン会の人数は少なかったもののCD自体は800枚ほど売れたので、畠山さんもその枚数を聞いて気を取り直していた。
 
なお、大阪で行方不明になったベースとドラムスの人は、泥酔して警察に保護されていたということで、畠山さんは2人に厳重注意をした。(ギャラは2日分だけ払うと言ったのだが、2人は恐縮して返上するといったので、結局新潟県中越沖地震の被災地に寄付したらしい)
 
 
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【夏の日の想い出・胎動の日】(1)