【夏の日の想い出・ゆうとぴあの】(1)

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私は幼稚園の時までは髪を伸ばしていたし、母の気まぐれで時々結構可愛い服なども着せてもらえることがあった。
 
しかし小学校に上がる時、髪を短く切られることになった。
 
父が「そんな女みたいな髪で小学校に行けるか。小学校は幼稚園みたいに緩くないんだぞ」と言い、それで私は嫌だといったものの、母が「ごめんね」と言いながら、私の髪の毛を切った。短くなってしまった髪を見て私は泣いてしまった。
 
小学校の入学式に行くと、幼稚園の時の友人たちから
「あれ〜、冬ちゃんが男の子みたいになってる」
などと言われる。
 
そんなこと言われると私はまた悲しくなって泣いてしまう。
 
「ああ、やはり髪切られたくなかったのね?」
と女の子たちは同情してくれたが、男の子たちは
「泣き虫だなあ」
「ちんこ付いてんだっけ?」
などと言った。
 
すると女の子たちから
「冬ちゃんは、おちんちんなんて付いてないよね〜」
と言われ、男の子たちからは
「そうか。やはり付いてないのか」
と言われた。
 
私はいつも男子トイレの個室を使っていたので、
「やはり、ちんこ付いてないから立ってしょんべんできないんだな」
などとも言われていた。
 

私は幼稚園の頃まで自分のことは「わたし」と言っていたのだが、担任の先生は
 
「ああ、お姉ちゃんのマネして『わたし』と言ってたんだね?君は男の子なんだから、『ぼく』と言わなくちゃ」
と言い、私の自称を変えさせようとした。
 
私は『ぼく』ということばを使うと、何だか自分のことじゃないみたいで凄く変な気分だったのだが、何度も何度も言われるので、仕方無く『ぼく』ということばを使い始める。しかし、それを使うのにずっと違和感があった。
 
また担任の先生は、私が女の子とばかり遊んでいるのも心配して、
「君は男の子なんだから、男の子とも遊びなよ」
と言い、何人か優しそうな男の子に声を掛けて、
「遊んであげて」
と言った。
 
それで色々な遊びに誘われた。
 
野球に誘われたが私は打っては三振、守ってはトンネルだった。内野では全然話にならないので外野を守ったのだが、私の所にボールが飛んでくると確実にランニングホームランになるので「何やってんだよぉ」と言われる。しかも腕力が無いので投げても全然距離が届かないし、飛んで行く方向も無茶苦茶ですぐに「いい。お前はボール拾うな」と言われる。
 
それでも一度だけフォアボールで塁に出たのだが、ベースから離れてはいけないことを知らなかったので、あっという間に牽制タッチアウトとなる。
 
そういう訳で野球には二度と誘われなかった。サッカーも似たようなもので、パスをもらっても受けとめきれないし、何度か自殺点を放り込んで、すぐに誘われなくなった。
 
ゲームに誘ってくれた子もいて、ゲーム端末を貸してくれるのだが、やってみて何が面白いのかさっぱり分からなかった。しかも操作をミスって彼のセーブデータを消してしまったので
「何てことするんだ!」
と言って殴られた。
 
でもその子はいい人で、
「まあ知らなかったんだからしょうがないよな」
と言って、また誘ってくれて、今度は丁寧にひとつひとつ操作の仕方を教えてくれたし、やってはいけない危険な操作も教えてくれた。
 
RPG系はどうも私の鬼門らしいと判断して、データセーブの必要性が無いテニスゲームとか、レーシングゲームとか、五目並べとかをして遊んだ。特にレーシングゲームでは
「ああ、そういうハンドル操作するとぶつかるんだよ」
と言って、かなり要領を教えてくれたので、このゲームだけは私も結構ハマる感じがした。
 
彼とはゲーム機上での将棋もしたが、
「将棋はふたりでやるならリアルでやった方が面白いよ」
と言って将棋盤を出してきて、本当に駒を使って将棋を指した。
 
ひとつひとつの駒の動きを教えてくれて、二歩や打ち歩詰めの禁じ手も教えてくれたし、角交換、振り飛車、棒銀などといった基本的なテクも教えてくれた。この時期はまだ矢倉とかは彼も知らなかったみたいで、「守りは金、攻めは銀」
などというだけのコンセプトで、結構アバウトな布陣で棒銀同士で戦っていた。また一緒に詰め将棋の問題を解いたりもした。私はこの詰め将棋が結構得意だった。
 
「冬って、ひとつひとつの差し方は定跡を知らないから適当だけどさ、全体の戦況をよく見てるよな。だからどのあたりで頑張らなきゃいけないかってのが、分かってる感じ。たくさん指してれば強くなるよ」
と言われた。
 
結局彼とはその内ゲームはせずに将棋ばかり指していることになる。愛知の小学校に居た頃に親しくなった数少ない男子の友人のひとりである。
 

でも大人になって再会してから彼に言われた。
 
「だけどさ、あの当時俺、親に言われたことあるんだよね。最近お前よくあの女の子と遊んでるね。ガールフレンドかいって」
「あはは」
「いや、実は俺も結構冬と遊んでて、ときめき感じちゃうことあって、俺って異常なのか?って少し悩んだよ」
「あははははは」
 

幼稚園の先生は私の性別に関して、かなり寛容的に対応してくれた感じだったのだが、小学校で、特に1年の時の担任の先生は、私に「男の子」という型を当てはめようとした。それで私をたくましくしようとしていた感じで、体育の時間にも、私には
「お前遅れたから、もう一周走ってこい」
などと指示したり、鉄棒で前回りとかできないのを、できるようになるまでやってろと言われたりしていた。
 
どうかした子なら、いじめと感じたのかも知れないが、私の場合、言われたことはそのまま受け入れてしまう性格なので、走れと言われたら走っていたし鉄棒とかもずっと6時過ぎまでやっていて、校長先生が気付いて
「もう君、帰りなさい」
と言われてやっと帰ったりしていた。
 
ただ、そんなことをされても私が「男の子」になれる訳が無かったのである。それでも自称に関しては、少しずつ「ぼく」という言葉も使えるようになっていった。
 
使う度に強いストレスを感じてはいたけど・・・
 

私は物心付くか付かない頃から姉の部屋に置いてあるエレクトーンを弾いていた。教室とかには通っていないものの、姉が基本的に指使い、指替えなどを教えてくれたし、16フィートとか8フィートとかいった言葉も説明自体は間違っていた!ものの、趣旨は理解してた。(8フィートは8つの足、つまり4人でパイプオルガンに風を送り込んだもの、16フィートは16本の足、つまり8人で風を送り込んだものなどと姉は説明したが、取り敢えず16フィートは8フィートよりオクターブ低いということは理解できた)
 
私も教室に通いたいと言ったのだが、父が「男がエレクトーンなんか習ってどうする?」などと言って、通わせてもらえなかった。
 
代わりに小学校に入ってすぐ「公文」の学習塾に行かされた。しかしあまりにも詰まらなかったので1度行っただけで、2度と行かなかった。それじゃというので、次に習字の塾に行かされてこれは結構先生から「あんた字がうまい」と褒められ、半年ほど通ったものの、秋になって先生が結婚を機会に塾をやめることになり、それで習字の塾通いは終了した。その後、今度は珠算の塾に行かされ、これを私は小学5年の時まで続けることになる。
 
さて、私がエレクトーンを習いに行きたいと思いながらも行かせてもらえず悶々とした気分であった1年生の春、私は音楽室のグランドピアノに興味を持った。
 
鍵盤が並んでいるから、エレクトーンと似たようなものだろうと思って弾こうとするのだが、鍵盤の重さが全然違うのでほとんど弾けない。私がたどたどしいタッチで弾いていたら
「下手だなあ。貸して貸して」
と言って、他の子が寄ってきて、華麗なタッチで両手弾きで『エリーゼのために』
を演奏した。
 
「すごーい。上手!」
「私、3歳の時からピアノ教室行ってるから。冬ちゃんはピアノ習ってないの?」
「私、エレクトーン習いに行きたいと言ったけど、ダメだって言われた」
「エレクトーンとピアノはまた違うんだよね。小さい内はむしろピアノ習っておいた方がいいんだよ。ピアノで基礎を作っていればエレクトーンは中学くらいからでもマスターできるから」
「へー」
 
しかしその後は、他にもピアノ教室に通っている子たちがやってきて、音楽室のグランドピアノを交替で弾く。それで結局、ほとんど弾けない私はここではただみんなの演奏を聴いているだけという感じになってしまった。
 

ピアノも弾けるようになりたいなあ・・・そんなことを思いながら過ごしていたある日、音楽の時間に使う教材を音楽準備室から取って来て、とその日当番だった私は先生から言われた。
 
音楽室は校舎3階の北端にあるのだが、その手前に階段があり、音楽準備室は階段の手前にある。つまり隣ではあるのだが、音楽室と音楽準備室は階段の分だけ少し離れているのである。
 
そこは初めて入ったが、ほとんど倉庫のような感じで、多数のCD、上級生が鼓笛隊で使う様々な楽器(大太鼓・小太鼓・ベルリラなど)、それに良く分からない棒や板が所狭しと乱雑に置かれている。
 
その日、私が言われたのはトライアングルやタンバリンの入っている箱を持ってきてということだったのだが、その時、この準備室の奥の窓際に古ぼけた感じのアップライトピアノが置かれていることに気付いた。あ、ここにもピアノあったのか。そう思った私はそのピアノがとても弾きたくなってしまった。
 
放課後、自分の教室を出て、音楽準備室に行ってみる。鍵はかかっていない。それで「しつれいしまーす」と声だけ出して中に入り、窓際のピアノのふたを開けてみる。ちょっとドキドキ。
 
鍵盤を押してみる。
ドゥワーン
という柔らかい感じの音が、少しずつ小さくなりつつ響く。家で弾いているエレクトーンでも、ピアノの音は入っているが、生で聞くと独特の空気の揺れのようなものも感じて、それが不思議な快感を呼ぶ。
 
わあ、この感じ好きだなあ。
 
私はそう思うと、取り敢えず『カードキャプターさくら』の主題歌を探り弾きで弾いてみた。うん。いい感じ!
 
音楽室のグランドピアノに触れた時は、指の力が足りなくてうまく鍵盤を押せなかったのだが、力が必要なのだというのを意識して押せば、それなりにピアノは音を出してくれる。私はその他にも、テレビのテーマ曲や幼稚園の頃に習った曲、また家でエレクトーンで姉に教えられながら弾いている曲を思いつくままに弾いていった。それで、どのくらいの力で押せばピアノはちゃんと音を出すのかというのが少しずつ感覚がつかめてきた。
 

私はそれから毎日放課後に音楽準備室に入ってはこのピアノを弾くようになった。エレクトーンでは両手弾きで左手和音を弾きながら右手メロディーを弾いているので、その要領で弾こうとすると、ピアノではその弾き方がうまく行かない。
 
エレクトーンだと下鍵盤はコンビネーション(フルー管系:いわゆるオルガン音)にして和音の持続音を鳴らしつつ、右手はトランペットとかの音でメロディーを弾くと様になるのだが、ピアノでは音が減衰してしまうのでエレクトーンのように左手押さえっぱなしにして和音を響かせるというのができない。
 
しかも、エレクトーンではそもそも上下鍵盤にボリューム差を設定しておくことで、和音を弱く響かせてメロディーを強く出すことができるが、ピアノは同じ強さで弾けば同じ音の大きさになるので、左手を指3本で弾くと、右手1本で弾くメロディーを和音が食ってしまうのである。
 
音量差の問題は左手を弱く弾けばいいのだということに思い至るのだが、持続音が出せない問題は私を悩ませた。ピアノ弾いてる子は、左手をどういう弾き方してたっけ? と考えてみるものの、どうも統一された弾き方というのが無かったような気がしてきた。
 
そして、もうひとつ私を悩ませた問題。
 
それはこのピアノのピッチが狂っていたことであった!
 
中央付近でドレミファソと弾いてみると、特にソの音が低い。1オクターブ上のソと弾き比べてみても、明らかに音が違う。他に、レの音も微妙に低く、ミの音は逆に少し高い気がした。
 
こういう音の高さというのはどこかで調整できるのではないかと思ったものの、特に調整用のボタンみたいなものも無いし、どうしたらいいのか、私は困ってしまった。音がくるったままのピアノで弾いていると、どうにも気持ちが悪い。
 

そういう悩みはあったものの、私はここで思いっきりピアノが弾けることに結構満足していた。音楽室のグランドピアノには、いつもピアノが弾ける子たちがたむろしていた感じだったが(みんな自宅はたいていアップライトなので、学校でグランドピアノを弾けるのが助かるという話だった)、準備室と音楽室は階段のある所を隔てているので、お互いに向こうの音は聞こえなかった。
 
そんな感じで、私が放課後の「ピアノのひととき」を満喫するようになって半月ほどした頃。、私がいつものようにピアノを弾いていた時、突然音楽準備室のドアが開き、ビクッとする。
 
「あら、1組の唐本さんだったっけ?」
「あ、はい」
 
それは1年2組の担任の深山先生だった。
 
「ごめんなさい。ここ勝手に入ったらいけませんでした?」
「ああ。全然構わないよ。ピアノも自由に弾いていいよ」
「ありがとうございます。良かった」
 
「最近、ここのピアノがよく鳴ってるなと思ってたけど、君が弾いてたの?」
「はい。いつも放課後、ここで弾いてます」
「音楽室のグランドピアノの方には行かないの?」
「あちらは上手な子ばっかりだから。私ピアノ習ってないし、家にもピアノ無いし」
「へー。でも家にピアノ無くて、習ってもいないにしては上手だよ」
「そうでしょうか」
 
「何か弾いてごらんよ」
「はい」
 
それで私は最近いちばんよく弾いていた曲、『カードキャプターさくら』の主題歌『Catch You Catch Me』を弾いてみせた。
 
「うん。うまいうまい」
「でも左手の弾き方で悩んでいるんです。家でエレクトーンで弾く時はこんな感じでもなんとかなるんですけど」
「ああ。エレクトーン習ってるの?」
「いえ。姉に少し教えてもらっただけで、それも教室には通ってません」
「ふーん。でも確かにエレクトーンは左手の和音を押さえっぱなしでもいいけどピアノはそういう訳にはいかないもんね。少し、ピアノ教えてあげようか」
 
「ほんとですか!?うれしい!」
「何かやってみたいテキストとかある?」
「そのあたりもさっぱり分からなくて」
「じゃ、うちの娘が使ってた古いのを持って来てあげるよ」
 
「わあ、ありがとうございます! あ、そうだ。それでちょっと気になっていたことがあって」
「うん?」
「このピアノ、音が少し変なんです。『きらきら星』なんか弾いてみるとよく分かるんですが」
と言って私は実際にドドソソララソと弾いてみる。
 
「このソの音が低すぎる気がするんです。ドが(弾いてみる)この音ならソは多分『ソー』(声に出してみる)という音になると思うのに、このピアノのソはこんな感じ(弾いてみる)で何か変なんですよね。だいたい上のソとも音が違う。ラの音もミの音も違うし、レの音は近いんだけど、やはり少しずれてる気がします」
 
「ああ、確かにこのソは、おかしいね。これは先生にも分かるよ」
 
「これって音の高さは調整できないんですか?」
「できるよ。ちょっと面倒だけどね。何なら唐本さん、やってみる?」
「わあ、いいんですか?」
 
「でもどうやって調整する?」と先生は訊く。
「まずドの音が分かればそれから他の音は正しく合わせられると思います」
「へー」
 
「ドの音とソの音って響き合うんですよね。これ音楽室のグランドピアノを弾いてみてもそうだし、家のエレクトーンで弾いてみてもそうです」
「ふんふん」
 
「家のエレクトーンで少し試してみていたんですけど、ドとソみたいに鍵盤の数で7個離れている所の音は響き合うんです」
「ほほお」
「それから、このドと上のド、このミと上のミ、みたいな感じで同じ名前の音は同じ音ですよね」
「うんうん」
 
「だからドから始めて、響き合う音を重ねていくと、ド→ソ→レ→ラ→ミ→シ→ファ#→ド#→ソ#→レ#→ラ#→ファ→ド で元の音に戻ってこれて、全ての音を合わせられるんじゃないかと思って」
 
「よく考えたね。じゃそれでこのピアノの音を合わせてみない?」
「やってみたいです。どうやってするんですか?」
「先生が今度道具持って来てあげるよ」
 

翌週、先生は音叉とかハンマーとかフェルトとかいった道具を持ってきてくれた。音叉を膝に当てて鳴らしてみる。
 
「この音、ラですか?」
「そうそう。ピアノはね、ラの音を基準に合わせるんだよ」
「えっと、そしたら・・・・分かった。ラの音から下がってラ→レ→ソ→ド→ファと決めて、逆にラから上がってラ→ミ→シとすればいいんだ」
「ふーん。じゃ、それでやってみようか」
 
私と先生は協力してピアノを解体した。
 
「あれ、ピアノの線って3本ずつなんですね?」
「そうそう。最初に真ん中の1本を合わせてしまえばいいよ。それで全部の音を合わせてから、他の2本は真ん中の1本に合わせればいい」
「はい」
 
この時の合わせ方を当時書いていたノートを頼りに再現すると、私は最初A4(49A)の音を音叉に合わせた後、それから、7鍵下がったD4(42D)をちゃんと響き合うように定めてから1オクターブ上同音のD5(54D)を定め、そこから
 
7鍵ずつ下がってG4(47G)→C4(40C)→F3(33F)、1オクターブ上のF4(45F)まで定めた上で、
 
最初のラの音(49A)から7鍵上がってE5(56E)、1オクターブ下のE4(44E)、7鍵上のB4(51B)と定めた。
 
その後は、更にB4(51B)→F#5(58F#)/F#4(46F#)→C#5(53C#)/C#4(41C#)→G#4(48G#)、
またF4(45F)→A#3(38A#)/A#4(50A#)→D#4(43D#)と定めていった。
 
これでC4(40C)からB4(51B)までの中央付近のオクターブ12鍵の音が決まった。
 

ところがここで私は困惑する。きれいに調和するように決めたはずなのに、ラ(A4/49A)から始めて7鍵(5度)の輪をつないでいって両端で決めたG#4(48G#)とD#4(43D#)が響き合わないのだ!
 
「これレ#を元にするとソ#が高すぎる。半音の4分の1くらい。私、どこかで響きを間違えたのかなあ」
と私は不安げに言ったが、先生は
「いや、これはどうしても合わないのよ」と言う。
 
「これ高校生くらいの数学になるから難しい話なんだけど、冬ちゃん、5度の音で合わせて行ったから音の周波数の比率が、2対3、1.5倍なんだよね。これを12回繰り返すと、1.5の12乗という計算になって 130倍くらいになる。本当はこれが2の冪乗(べきじょう)の128になってくれればいいんだけど、そうなってくれないんだよね。だから、どこかにしわ寄せが来て、音程を狭くせざるを得なくなる。今回はしわ寄せがレ#(D#)とソ#(G#)の間に来ちゃったけど、このあたりの鍵はあまり使わない鍵だから、これでいいことにしよう」
 
私にはその130とか128というのはよく分からなかったが、先生が「これでいいことにしよう」と言ったので、まあいっかと思った。(私は言われたことはそのまま受け入れるたちである)
 
(なおこの時49A=442Hzの音叉から合わせて行ったとすると、上記の方法で音を合わせて行くと43D#は310.4Hz, 48G#は419.6Hzになる。310.4Hzの43D#と響き合う48G#は413.9Hzなので、5.7Hz(23.5セント:半音の約4分の1)のしわ寄せが出来てしまったのであった)
 
この時私が調律した音律は、いわゆるピタゴラス音律である。上記ではしわ寄せ(ウルフと言う)をD#とG#の間に作っているが、G#をD#から5度で決めてウルフをC#とG#の間に持ってくる流儀もある。ピタゴラス音律ではドーシードとかファーミーファといったフレーズの終わりで使用される「導音」が90セントの音程差(平均律では100セント)になって、とても美しくなるのも特徴である。
 
C#とG#の間にウルフを置く方式ではラ−ソ#−ラは110セントになるが、私が作った音律ではここも90セントになっていて、短音階も弾きやすい。
 

実際の作業は初日はピアノのふたを開ける所からこの中心付近で12音を決めるまで。翌日この中央付近の鍵で、左右の弦を調律した真ん中の弦と同じ音になるように調整する。そしてこの付近で『きらきら星』や(シの音を使うために)『おもちゃのマーチ』などを弾いてみると、とてもきれいな音になるのを確認できた。先生が黒鍵まで使った曲も弾いてみて「うん、いい感じ」と言う。
 
(小学校の低学年で取り上げられる歌はほとんどがドレミファソラの6音で出来ていて、シの音を使う歌はとても少ない)
 
そして3日目にはこの中央付近の音からオクターブ上・オクターブ下の音を決めていき88鍵全ての音を定めた。『おもちゃのマーチ』を色々な高さで弾いてみて音が正しいことを確認する。4日目には先生が更に色々な曲を弾いてみて「大丈夫みたい」ということで、最後にきちんとふたを閉じて調律作業を終了した。
 

「さて、きれいに調律もできたことだし、ピアノのおけいこの方をしようか」
「はい!」
 
深山先生は「こどものバイエル」という本を持って来てくれていた。バイエルという名前は私も聞いていたので、わあ本当に基礎から教えてくれるんだなと思い、私は張り切った。
 
この時期、この放課後の深山先生との時間は私にとって天国のようであった。
 
ひとつはちょっと憧れの楽器であったピアノという楽器を思いっきり触れること。そして深山先生の教え方が優しくて、とても快適であったこと。そしてもうひとつ、「自称」の問題があった。
 
「唐本さんの『ぼく』って言い方、何だか変」
「幼稚園の時までは『わたし』って言ってたんですけど、剛田先生が『ぼく』
と言いなさいというので」
「ふーん。でも自分で『わたし』と言いたかったら、それでもいいんじゃない?この部屋で私とレッスンしてる時は『わたし』と言ってもいいよ」
「ほんとですか!」
 
ということで、1年生の時、この時間だけ、私は『わたし』という自称を使っていたのである。
 
だいたいこの時期、放課後1時間半くらい私はピアノを弾いていて、その途中30分くらい深山先生が来てレッスンをしてくれる感じであった。時々この部屋にはリナも来て、一緒に連弾してみたり、あるいはどちらかのピアノでもうひとりが歌を歌うなどということもしていた。リナは幼稚園の時はピアノを習っていたのだが、小学校に入るとやめてしまっていた。
 
「私の性に合わないみたいで」
と言っていたが、それ以上にピアノの先生と合わなかったようであった。それでリナも深山先生から少しずつ習って
「ああ、こんな感じで時々弾くのはいいなあ」
などと言っていた。
 

「冬、この部屋では『わたし』って言うのね。ふだんの『ぼく』と言ってるの何だか違和感があるよ」
 
「剛田先生に言われたから『ぼく』と言ってるけど、深山先生からここでは『わたし』と言っていいと言われたから」
 
「ああ、冬って言われたらその通りするタイプだよね。でもそれなら授業中以外に友だち同士で話す時も幼稚園の時と同じように『わたし』でいいんじゃない?」
 
「うーん。でも深山先生から言われたのはこの部屋でだけだから」
「いや、だから先生から言われたことを忠実に守りすぎなんだよ、冬は」
 
とリナは少し呆れている雰囲気であった。
 

1年生の時、私たちのクラスにひとりアメリカ人の男の子がいた。ノア君と言ったが、「ノア」という名前は日本では女の子の名前だし、彼が髪を長くしていたので、最初てっきり女の子と思い込んでいた子も多かった。
 
「ノアちゃんは、一瞬女の子かと思うけど、男の子なのね」
「冬は一瞬女の子かと思うけど、実はやはり女の子だよね」
 
などと言われた。とてもフランクな性格で、彼は女の子とも男の子ともよく話していた。男の子たちと野球やサッカーをしたりもしたし、女の子たちと縄跳びやしりとりなどしたりもしていた(しりとりは彼が日本語を覚えるのに良い練習になるらしかった)。でも彼が髪を長く伸ばしているのを見ると、ああ、自分もあのくらい長い髪にしたいなと、羨ましく思っていた。
 

そんな彼がある時、パーティーがあるからみんな来てよ、とクラスメイトを誘った。あれは独立記念日だったのかも知れないと思う。
 
結局男女十数名でノア君に付いて行き、学校から歩いて700〜800mほどの所にあるイベントホールに行った。外見がヨーロッパの貴族の邸宅かと思うようなゴージャスな建物で、パーティーや室内楽などのコンサートによく使用されていた。その日は市内のアメリカ人グループで貸し切りになっていたようであった。
 
入口の所でノア君のお母さんが係の人と何か英語でしゃべっている。
「ハウメニー・ボーイズ・アンド・ガールズ?」
とか(多分)言って、子供たちの人数をワン・ツー・スリーと数え始めた。
 
「エイト・ポーイズ・アンド・セブン・ガールズ」
とお母さんは言った。
 
私はリナと顔を見合わせた。このくらいの英語はさすがに小学1年生でも分かる。さて、ここには、私とノア君以外に、男の子が7人、女の子が6人いた。ボーイズはノア君を入れて8人。そしてガールズが7人ということは・・・・
 
「冬、女の子としてカウントされてるよ。訂正してもらう?」とリナ。
「うーん。いつものことだし、そのままでいいよ」
「確かに」
 
私が女の子と間違われるのは日常茶飯事である。
 
「でもノア君、変に思わなかったのかな」
「細かい人数まで気にしないんじゃない?」
 

ノア君のお母さんが、係の人から青と赤のリボンフラワーをどさっともらう。そして青い花の束を近くにいた男の子にまとめて渡し、赤い花の束は傍にいる女の子にまとめて渡す。そこからリレー方式で花は配られ、私はリナから赤い花をもらった。
 
「まあいいよね」
 
私がそのまま赤い花を胸の所に付けてると、それに気付いた子が何人かあれ?という顔をしたが、すぐにまあいいかという雰囲気の顔になった。
 
それでぞろぞろ入場する。
 
パーティーの内容はあまり覚えていないが、飲み物やプティケーキなどのおやつがたくさんあり、道化師のような人が竹馬をしていたし、片隅ではヴァイオリンやチェロを持った人が4人で何かの曲を演奏していた。しかし雰囲気がとても楽しげで、私たちもたっぷり楽しんだ。
 
けっこうジュースなど飲んでいたらトイレに行きたくなる。
 
「ちょっとトイレ行ってくるね」
とリナに告げて、トイレを探しながら会場の部屋の外に出た。日本人のボーイさんがいたのでトイレの場所を聞き、教えられた方角に行く。男女マークがあったので、男子トイレに入ろうとしたら、そこから出てきた外人さんに止められる。
 
「Wait! This is for mens. Girls, over there」
そんな感じのことを言われたのだと思う。女子トイレの方を指さされる。
 
うーん。まいっか。私、今日は女の子として赤いリボン付けてるし。と思い、
「サンキュー」
とその外人さんに言ってから、私は女子トイレに入った。
 

女子トイレ名物の待ち行列が出来ていたので最後尾に並ぶ。やれやれと思いながら待っていたら、そこに同級生の美佳が来て私の次に並んだが、私を見て「え?」と声を上げる。
 
「なぜここにいる?」
「向こうに入ろうとしたら、外人さんから女の子はそっちと言われた」
「あはは。それに英語では弁明できないよね」
「私、英語はワン・ツー・スリーくらいしか分からないよ」
「まあ、いいんじゃない? 冬ちゃんって、ここに居ても違和感無いよ」
 
やがて私が先頭になっていた時、個室が2つ同時に空いたので、私と美佳がそれぞれに入る。そして同時に入ったので、出るのも相前後してになった。
 
そのまま手を洗って会場の方に戻るが、美佳から言われる。
 
「冬ちゃん、女子トイレに居ても恥ずかしそうにとかしてなかったね」
「え? 何か恥ずかしいもん?」
「だって・・・あ、そうか、実はいつも女子トイレ使ってるのかな?」
「え? そんなことはないと思うけど・・・」
「ふふ。まあいいや」
と言って美佳は笑った。
 

パーティー中盤になって、ゲームをしますというアナウンスがある。ステージに大きな箱が置かれ、そこに司会者さんが手を入れて取った番号の付いているリボンフラワーを付けている人は前に出てきて何か芸をしてください、というのである(英語と日本語の両方で説明があった)。
 
最初に選ばれたのは、若いアメリカ人の男性で、出て行くとアメリカ国歌(『星条旗(The Star Spangled Banner)』)を歌った。大きな拍手があり、記念品をもらう。次に選ばれたのは日本人の初老の男性で、それでは私はこちらでと行って『君が代』を歌う。これも大きな拍手があり記念品をもらう。
 
しかし国歌を交換した後は、普通の歌謡曲などを歌う人、小話をする人、などもあり、中にはボールペンを指の間でくるくる回す芸を見せた人もあった。
 
「記念品の箱って、白い箱と赤い箱があるみたいね」
「ああ、男の人には白い箱、女の人には赤い箱を渡してるみたい」
 
そのうち「327番」というアナウンスがあるが、誰も反応しない。
 
「327番、おられませんか?」
と再度司会の人が英語と日本語で尋ねた時、美佳が
 
「あ、冬ちゃん、327番だ」
と私の胸の花を見て言う。
 
「あ、ほんとだ」
 
番号を意識していなかったので全然気付かなかった。
 
「冬ちゃん行って何かして記念品もらっておいでよ」
「うん」
 
と答えてステージに上がる。
 
「じゃピアノで『きらきら星』を弾きます。そこのピアノ貸して下さい」
と言った時、係の人が何だか困ったような顔をした。
 
私がピアノの前に座ると、その人が寄ってきて
「ごめん、このピアノ、ここのミの音が出ないのよ。今修理頼んでるんだけど」
と言う。
 
えー!? そこは中央ドのそばのミである。どうしよう?オクターブ上げて弾く?
 
と思ったがそれでは音が高すぎると思い直し、鍵盤をずらして弾くことを思いついた。
 
『きらきら星』という曲にはシの音が使われていない。だから、このミの音がシに相当するように、ファの音から弾き始めればいいんだと考える。つまり白鍵3個並んでいる所の左端から普通弾き始める所を、白鍵4個並んでいる所の左端から弾き始めればいい。その場合、本来のファに相当する音をシの鍵盤で弾くと音が合わないから、それは半音下げてラとシの間の黒鍵を使えばいい、と私は瞬間的に考えた。
 
つまりハ長調(C-Major)の曲をヘ長調(F-Major)に移調して弾く訳だが、この頃はまだ移調弾きの経験は無かったし(出だしの音を間違えて結果的に移調弾きになったことはあったが)、移調という概念そのものが頭の中に無かった。
 
和音もドミソの和音(C)の代わりにファラド(F)、ドファラ(F)の和音の代りにシ♭レファ(Bb)、ソシレファの和音(G7)の代わりにドミソシ♭(C7)を使う。
 
私は「このファの鍵盤がドなんだ」と自分に暗示を掛けながら弾いた。頭の中でドドソソララソと考えながら、実際にはファファドドレレドと弾く。右手も左手もそうずらして弾く必要があるから大変だったが、何とか弾ききった!
 
拍手をもらい、赤い箱の記念品をもらってリナたちの所に帰って来た。
 
「おつかれー」と美佳。
「何かあったの?」とリナが訊く。
 
「うん、あのピアノ、ミの音が出なかった」
「えー!?」
「それでミの音を使わないように弾いた」
「すごーい」
 
「ところで記念品は何?」
「何だろ?」
 
というので箱を開けてみると、リップクリームだった。
 
「おお。塗ってごらんよ」
「うん」
 
と言って、リナから手鏡を借りて塗ってみると、唇に油性の湿度があるのが未体験の不思議な感覚。
 
「あ、これ色付きなんだ」
「可愛いよ、冬」
「うん。何だかこれ好き」
 

パーティーも終盤になって、リナが
「終わってからは混むだろうしトイレに行っとこうよ」
と言う。
 
近くにいた帆華と美佳を誘うが、すると美佳が「あ、冬も一緒に行こう」と言う。
 
「ん?」
「冬はさっきも女子トイレ使ってたしね」
「へー」
「いや、あれはちょっと」
 
「じゃ、一緒に行こう行こう」
 
ということで、4人で一緒にトイレに行った。やはり列ができているので並ぶ。
 
「男子トイレもいつもこんなに列出来るのかなあ」
「冬、どう?」
「小便器はめったに列できないけど、私は個室だから、しばしば待つことになる」
「へー、立ってしないんだ?」
「そんなことしたことない」
「ふーん」
 
と言って、リナは美佳・帆華と顔を見合わせ頷くようにした。
 

パーティーの終わりにノア君は一緒に来てくれた友人たちに感謝の意を込めてと言って、男子とは握手し、女子には手の甲にキスすると言った。女子たちも外人さんの感覚だしいいか、という雰囲気。ひとりずつ握手あるいはキスをしては少し言葉を交わしていく。
 
リナの手の甲にキスして、リナが
「ケーキ美味しかった。5つも食べちゃった」
と言うと
「それは良かった。僕もステーキ5枚食べちゃった」
などとノア君は言う。
 
彼のどんな言葉も受けとめて反応を返すのは偉いなと思った。
 
そしてノア君は私の前に来ると、ひざまずいて私の手の甲にキスをした。
 
「冬ちゃん、ステージでピアノうまかったね。僕もピアノ習ってみたいなあ」
「ノア君、物覚え良いから、すぐうまくなるよ」
 
などといった会話を交わして、ノアは隣の美佳の前に行く。
 
会場を出て、ノア君たちと別れ、私とリナ、それにあと2人の女子と帰る方向が同じだったので、おしゃべりしながら帰る。
 
「ノア君、冬ちゃんには握手じゃなくてキスしたね」
「赤い花を付けていたから、女の子として扱ってくれたのかな?」
「いやいや、そもそもノア君は冬ちゃんを女の子と思い込んでいるのかも」
「あり得る」
「だって、冬ちゃんいつも女の子の集団にいるもんね」
「うむむ・・・」
 

深山先生とのピアノレッスンは、夏休みの間は自然休止となったが、2学期になって再開される。私が元々エレクトーンを結構弾いていたこともあり、バイエルはどんどん進んでいった。
 
やがてハ長調以外の曲を弾くようになってから、私は悩んでしまう。
 
「どうしたの?冬ちゃん」
「#の付いてない曲を弾く時は良かったんですけど、#がたくさん付いた曲を弾くと、音が変なんです。『猫ふんじゃった』とか悲惨」
「あぁ」
 
「#が付いてない時は、ドレミの間とファソラシの間はそれぞれ音の高さが等しいんですよね。そしてミとファの間、シとドの間は音が狭いです。#が1個付いてる時も、やはりドレミとファソラシは音の高さが同じで、ミファ・シドは狭い。#が3個付いてる時まではいいです。でも#が4個付くとうまく行かないんです。ミの音の所をドと読んで、こうやって上がっていくと」
 
と言って私は#が四個付いた状態(E-Major:ホ長調)の音階を弾いてみる。
 
「階名でラとシの間、鍵盤で言えばC#とD#の間が他の所より狭くて、シとドの間、鍵盤ではD#とEの間が広すぎるんです」
 
「うん。よく分かったね。この音律は#が4個付くとうまく行かないのよ。♭の方は3つでダメになるよ」
 
と言われたので私は♭3個(Eb-Major:変ホ長調)の音律を弾いてみる。
 
「あ、ほんとだ。ソの音(鍵盤上はB♭)が変」
 
「ね。♭も2個までは大丈夫なんだよ」
「どうしたらいいんでしょう?」
 
「ヴァイオリンなんかだとどんな音律も自由自在だけど、ピアノは音律合わせるのが大作業だからね」
「春に合わせた時は3日がかりでしたね」
 
「ひとつの手は引ける調でしか弾かない」
「そんなぁ」
「もうひとつの手は平均律にしてしまう」
 
「平均律?」
「冬ちゃん、ラの音から始めて音を合わせて行って、最後がつじつまが合わなくなったでしょ?」
「はい」
「その最後で出来てしまうずれを、各音程を合わせる時にすこしずつ我慢していって、要するにずれを全体に分散させてしまうのね」
「なるほど!」
 
「すると音はドとソの音でも完全には響かないんだけど、その代わり変化記号がどんなにたくさん付いていても、問題無く弾ける。音楽室のグランドピアノは、平均律に合わせてあるんだよ」
「そうだったんですか」
「冬ちゃんちのエレクトーンも平均律になっているはずよ」
 
「じゃ、先生、平均律に合わせましょう」
「そうしようか」
 
そういう訳で私と深山先生はまたピアノを分解して、音叉でラの音を合わせた後(春に合わせたはずが少しずれていた。ピアノは年に1〜2度調律する必要があるらしい)、各鍵の音を合わせて行った。ちゃんと響き合うようにすると最後が大きくずれるのだから、最初から少しずつずらしていくことになる。しかしずらし方の具合が悪いと最後のずれがうまく収まってくれない。この作業は何度も何度も試行錯誤を繰り返したが、2時間ほどの悪戦苦闘で何とか各音ごとに聞こえる音のうねりが同じくらいになるように調整することができた。
 
「先生、3度は平均律の方がきれいですね」
「うんうん。冬ちゃんが春に作った音律はピタゴラス音律というんだけど、ピタゴラス音律は5度がきれいに鳴る代わりに3度が響かないんだよ」
「そうだったのか」
 
「逆に3度は響くけど5度が響かないミーントーンという音律もある」
「へー」
「ピタゴラスとミーントーンの間を取って主要な和音で3度も5度も響くようにしたのを純正律と言って、これは19世紀頃はよく使われて、響きがきれいだから現代でもファンが多いんだけどね。移調できないし、主要な和音以外は響かないという重大な欠点があるんだよな」
「ああ」
 
「色々な調で弾こうと思ったらそれぞれの調用の楽器を用意しておかないといけない。ピアノが3台くらい必要」
「それは置き場所に困ります」
「転調する時はピアノからピアノへと走って移動する」
「大変です!」
 
「平均律は響きはピタゴラス音律や純正律に比べてきれいじゃないけど、その代わりどんな調でも弾きこなせる。ピアノみたいな楽器にとってはいちばん使いやすい音律だね」
「なるほど」
 
そういう訳で、半年間のピタゴラス音律でのピアノレッスンを経て、秋から私たちは普通に平均律で調律されたピアノでレッスンをするようになったのであった。
 

秋には学校の遠足があった。春の遠足はバスに乗って少し離れた町にある動物園まで行ったのだが、秋の遠足は近くの山の上まで徒歩であった。山の上まで行くということは、ずっと上り坂である!
 
私は女子のクラスメイトたちと一緒に歩いて行ったが、みんな
「疲れたー」
「足が痛い」
などと文句言いながら歩いていた。
 
途中の休憩ポイントまで来た時のことであった。
 
担任の剛田先生が人数の確認をしていて何だか「あれ?」などと言っている。その内、名簿を取り出してチェックし始めた。
 
「ね、ね、君たち、宮国さん(美佳)は見なかった?」
と女子たちに訊く。
 
「あれ?」
「そういえば居ないね」
「美佳、体格いいし元気だから、前の方にいたりしません?」
「あ、そういえば出発して間もない頃、どんどん前の方に進んで行ってたよ」
「冬は最初男子の方にいたけど、遅れてきて私たちと一緒になったけどね」
「そうそう。それが入れ替わりくらいになった感じだった」
「あ、確かに、ぼく美佳ちゃんに抜かれました」
 
「男子の方で誰か見てないかな」
 
というので先生は前の方にいる男子たちに訊いたりしていたが、どうも誰も知らないような雰囲気。
 
「美佳、道に迷ってたりして」
 
その内、隊列は取り敢えず出発することになるが、剛田先生と深山先生、それに教頭先生の3人が逆に下の方に向かって降りて行った。
 
「やはり美佳ちゃん迷子になっちゃったのかも」
「いや、意外に実はもう頂上の広場まで行ってたりして」
 
その時、私たちのグループより少し前の方にいた小山内さんがふと立ち止まる。
 
「どうしたの?小山内さん」
「宮国さん、ちょっとまずい状況にある気がする」
「ああ、小山内さんって、霊感あるよね」
 
彼女は少し風変わりな少女で、少し近寄りがたい壁のようなものがあり、それで、みんな彼女とは苗字で呼び合っていた。
 
「誰か、宮国さんの持ち物とか持ってないよね?」
と彼女が言った。するとリナが
 
「あ、このもんきちのストラップ使えないかな。美佳ちゃんが使ってたのを可愛い、可愛いと私が言ってたら、そんなに気に入ったらあげると言われてもらったんだよね」
 
「ちょっと貸して」
と言って小山内さんはそれを手に取り目を瞑って額の所に当てた。やがて向き直り、ある方向を指す。
 
「宮国さんはこの方角に居る」
「先生に言う?」
「いや、先生に言っても信じてくれない気がする」
 
「ねえ、私たちで探しに行こうか?」
「それやばくない?」
「だって友だちだもん。助けなきゃ」
 
それで、小山内さんとリナ、私の3人で、美佳が居ると小山内さんが言う方角に行くことにした。
「冬ちゃん半分は男の子だから少しは頼りになるでしょ」
などと言われる。私は結構、その時の都合で女の子とみなされたり男の子とみなされたりしていた。
 
「でも今から30分。それまでに彼女が見つからなかったら、そのまま下山して先生に電話して。いい?」
 
と学級委員でもある帆華から念を押されて、私たちは出発した。木の陰に隠れて、隊列のしんがりを歩いている2年生の先生をやり過ごしてから、私たちは坂を下っていった。
 
時々分かれ道に来ると、小山内さんはもんきちのストラップを額に当てて、「こっち」と言って道を選んで歩いて行く。私たちは次第に谷川の音が聞こえる所まで降りてきた。
 
「かなり近くだと思う」
「呼んでみようか?」
「うん」
 
「美佳ちゃーん!」「宮国さーん!」
と3人で叫ぶ。
 
すると
「助けて−!」
という声の反応があった。
 
私たちはその声のする方角に行った。
 
「あ、いたいた」
 
美佳はどうも崖から滑り落ちたようで、崖の途中の木の枝に引っかかっている。私たちはその崖の下から美佳を見上げる形になったのだが、美佳はどうも背中が引っかかっている感じで自分ではどうにもできないようだ。
 
「ボクが助けに行く」
と体育が大得意の小山内さんが言い、崖を登っていった。そして背中に引っかかっている木の枝を外し、彼女の身体を支えるようにして一緒に降りてきた。
 
「ありがとう!助かった」
「怪我してない?」
「どこも痛くないから大丈夫だと思う」
 
「ああ、でも服が完全に裂けてるね」
「うん。足を滑らせて落ちちゃって。服が引っかかったら一気に下まで落ちずに済んだけど、私の体重を支えていたから」
 
「着替えとか持ってないよね?」
などと言っていたら
 
「私、替えの服持ってるけど、私のじゃ入らないよね?」
とリナが言う。
 
「うーん。見ただけで無理って気がするよ」
「リナが来てる服はサイズいくつ?」
「私、まだ100を着てる」
「美佳の着ている服は?」
「120」
「まあ無理だね」
 
と言っていた時、小山内さんが「あ!」と声をあげる。
 
「ね、ね、唐本さんが着てる服、けっこう大きいよね」
「うん。これ男の子サイズの服だから。私には実際かなり大きいんだけど」
「ズボンはウェスト、ゴムだね」
「うん」
 
「宮国さん、唐本さんの服だったら着れない?」と小山内さん。
「あ、着れそうだけど、冬ちゃんは裸で歩くの?」と美佳。
「青井さんの着替えを唐本さんに着てもらえばいいのよ」と小山内さん。
 
「あ、確かに私の服、冬は着れるよ。うちに着た時、よく着せてるもん」とリナ。
 
ということで、私が着ていた服を美佳が着て、私がリナの着替えを着ることになった。でもリナの着替えのボトムはスカートみたいに見える裾の広がったショートパンツである。
 
「まあ、冬は多分スカート穿いても全然問題ないからね」
「このくらいの服装は大丈夫だね」
「あはは」
 

「さあ、戻ろう。私たちがいないことを先生たちに気付かれない内に戻りたい」
「よし、急いで追いつこう」
 
と言って歩き始めたのだが・・・
 
分かれ道で小山内さんが迷う。
 
「どっちだっけ?」
「小山内さん、美佳を見つけられたんだから、みんなのいる場所も分かるでしょ?」
「うーんと。誰かの持ち物とかでもあれば」
「えー!? だったら帆華の持ち物でも借りておくべきだったな」
 
などと言って困っていたのだが、私は
「こちらの道だと思う」
と言った。
 
「ほんとに?」
「なんかさっきから凄く勘が働くの。こちらを行けばみんなに追いつける」
 
「よし、そちらに行ってみよう」
 
そういう訳で、帰り道は私がリードする形で坂道を登っていった。
 
「こんな所通ったっけ?」
「うーん。近道かも」
「何だかこの道、凄く急だよぉ」
 
などということを言っていたが、それは本当に近道(旧道)だったようで、美佳を探しに降りてきた時の時間より随分早く、みんなに追いつくことができた。
 
「おお、戻って来た」
「美佳ちゃんも一緒だ!」
 
「せんせーい! 美佳ちゃん、追いついて来ました」
と帆華が少し離れた所にいた3組の先生に告げた。
 
それでその先生から美佳を探しに行った先生たちに連絡が行き、お昼近く、頂上に到着しようという頃に、剛田先生・深山先生・教頭先生も戻ってきた。
 
「宮国さん、どこに行ってたの?」と深山先生が訊く。
「ごめんなさい。道に迷ってしまって。でも何とか元の道に戻れました」
 
私たちが探しに行って見つけたことを言ってしまうと、私たちが叱られるのは確実なので、自力で戻って来たことにしたのである。
 
「気をつけてね。怪我とかしてない?」
「はい、大丈夫です」
 

お昼のお弁当は、私とリナ、美佳、帆華、小山内さん、の5人で食べた。
 
「ところで冬が女の子の服を着ていることに先生たち誰も突っ込まなかったね」
「クラスの子たちも誰も変に思ってないと思う」
「うーん・・・」
 
「ねえねえ、今日のことは私たちの秘密にしよう」
「うんうん。言ったら先生にもお母ちゃんとかにも叱られる」
「私、服は歩いている最中に木の枝にひっかけて破れたことにする」
 
「でもさ、これを機会に小山内さんも私たちと名前で呼び合わない?」
「うん。いいよ。というか、ボク、男の兄弟ばかりの中で育ったから、女の子とどんな話していいか分からなくてさ」
 
「あ、だったら平気だよ。ここには半分男の子かも知れない冬もいるし」
「じゃ、名前で呼んじゃうね」
と言ってひとりずつ名前を呼びながら握手する。
 
「リナ、よろしく」「麻央、よろしく」
「美佳、よろしく」「麻央、よろしく」
「帆華、よろしく」「麻央、よろしく」
「冬・・・冬彦って言っていいの?」
 
「ああ、みんな『冬』にしてるよ。冬彦って言ったら、まるで男の子の名前みたいなんだもん」
「冬は女の子だからね。時々冬子って呼んじゃうけど」
「じゃ、ボクも『冬』で。冬、よろしく」
「うん、よろしく、麻央」
 
ということで、この後、麻央は私たちともよく話すようになり、お互いに名前で呼び合うようになったのであった。また美佳も私やリナと親密度が上がり、親友という感じになっていく。
 
「だけど、帰り道は冬のおかげでショートカットできたみたい」
「冬って、あんなに勘が良かったっけ?」
「私、元々はどちらかというと方向音痴なんだけど、さっきのはなぜか道が分かった」
 
「もしかしたら、女の子の服を着たからかもね」
などと帆華が言い、その時はみんな『まさかー』と言った。
 

そしてそれは、祖母の一周忌の法要を連休を使って前倒しで行った直後だったことを覚えているので、1998年11月24日(火)と断定できる。
 
私はいつものように放課後、音楽準備室でピアノを弾いていて、いつものように途中で深山先生が来て、指導をしてくれていた。
 
その日はたまにはポップスも弾いてみようということで、ブラックビスケッツの『Timing』を弾いていた。深山先生が弾きやすくアレンジしてくれた譜面を立てて弾いていたのだが、この校舎は古いものですきま風などが吹いてくる。それで譜面が飛んで行ってしまった。
 
「あっ」と言って身体を半分曲げて取ろうとするが譜面は更に向こうに行ってしまう。仕方無いのでピアノの椅子から降りて、屈んで手を伸ばして取ろうとした時、近くにあった板を倒してしまった。
 
ガラガラと音を立ててその付近の物が崩れる。どうも微妙なバランスで積み重ねられていたようであった。そして、長い棒が古くなっている教室の天井を突き破る。
 
と、なんと天井から水が落ちてきた。古い校舎なので雨漏りして、その水が溜まっていたようであった。
 
「わ、たいへん。楽器を拭かなくちゃ」
と私は言ったが、
「いや、それより先に冬ちゃんを拭かなくちゃ」
と先生は言う。
 
ともかくも掃除道具を取って来て、私が濡れた所を拭いている間に、先生はバスタオルと、学校に在庫している着替えを持って来てくれた。小学生の特に低学年の子はあれこれ失敗して服を汚すことがあるので、着替えが用意してある。
 
「ありがとうございます、先生」
と言って、着ている服を脱ぎ、身体を拭いてからそれに着替えようとしたのだが・・・
 
「これ、女の子の服ですか?」
「うん。君、これが似合いそうな気がしたから」
 
私は一瞬考えたが
「じゃ、着ちゃいます」
 
と言い、先生に背中を向けてトランクスを脱ぐと、ズロースという感じのゆったりした感じの女の子パンティを穿く。それからレースの付いたシャツを着て、スカートを穿いて可愛いトレーナーを着た。
 
「うん、やっぱり可愛い!」
と深山先生は言う。
 
「そうですか?」
「あとでトイレかどこかで鏡に映してみてごらんよ。凄く可愛いから」
 
自分でも、こういう格好をするのは悪くないので、ちょっと嬉しい気分がした。
 
「この服を着ている時は女子トイレを使っていいよ」
「あ、はい」
「・・・冬ちゃん、もしかして普段も女子トイレ使ってたりする?」
「あ・・・えっと・・・」
「うん、まあいいよ。練習に戻ろう」
 
ということで練習を再開したのだが・・・
 
「あら、そこの所、引っかからなくなったね」
「ええ。何だか弾ける気がしたんです」
「へー」
 
この曲はとにかく同音連打の多い曲で、かなり指を鍛えられたのだが、特にBメロの最後の所、サビに行く直前の細かい音符の所がどうしてもちゃんとしたテンポで弾けず、そこを集中的に練習していたのである。
 
ところが、雨漏り騒動で中断した後、弾いてみると、そこがすんなり弾けたし、それ以外の同音連打の所も音符の長さが乱れずに正確に弾くことができた。
 
「ちょっと中断したので、気分転換になったのかもね〜」
とその日は言っていた。
 

ところが翌日。また音楽準備室で『Timing』を弾くと、昨日はスムーズに弾けた所が全然弾けないのである!
 
なお、昨日借りた女の子の服は家に帰ってからすぐ洗濯して、夜中の内に乾いたので、畳んで紙袋に入れて持って来ていた。この日はふつうに男の子の服を着ていた。
 
先生が悩む。
「変ねえ。昨日は何だか余裕で上手に弾けていたのに」
と言ってから、
 
「ねえ、冬ちゃん、ちょっとそこに持って来ている昨日着た服をもう一度着てみない?」
「え?」
 
「女の子の服を着るのは嫌?」
「いえ、むしろ着たいです」
「じゃ、着てみよう」
「はい」
 
ということで私はまた下着から全部女の子の服に交換した。
 
そしてその服を着て『Timing』を弾くと、きれいに弾けるのである。自分でもびっくりする。さっきまでとはまるで別人だ。
 
「やっぱりそうだ! 冬ちゃんって女の子の服を着ると、ピアノが上手になるんだ」
「えー? そんなことってあるんでしょうか」
 
「あるある。だからさ、これからは毎日ここでは女の子の服を着て練習しよう」
「えー!?」
「嫌?」
「いえ、とってもやりたいです」
「よし、決まった」
 
そういうことで、音楽準備室での深山先生の個人レッスンは、この後2年生の終わりに深山先生が他校に転任になってしまうまで、私が女の子の服を身につけた状態で続いていくことになるのである。
 
その音楽準備室でのひとときは、男の子としての生活を余儀なくされていた小学校生活の中で私が自分自身を解放できて、女の子の服も着られて、好きなピアノをたっぷり弾ける理想の時間、まさにユートピア、いや「ゆうとぴあの」であった。
 
 
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【夏の日の想い出・ゆうとぴあの】(1)