【夏の日の想い出・新入生の冬】(2)

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町添さんはヘッドホンをしたまま、お茶を1杯飲みながら言った。
 
「実は★★レコードの内部では、マリちゃんの復帰が遅れるなら、ケイちゃんはバンドなんかと一緒にやらせるより、ソロデビューさせるべきではないかという意見も根強くてね」
 
「すみません。私はソロで歌うつもりはありませんから」
「うん。僕もあくまでローズ+リリーの歌を聴きたいんだよね。ケイちゃんの歌は凄く上手いんだけど、ケイちゃんの歌だけなら、普通のイクラ丼、マリちゃんと一緒に歌うと鮭イクラ丼になって、美味しさに深みが出る」
 
「面白いたとえですね」
「それにケイちゃんをソロで売ってもかなりのセールスが上がるだろうけど、その結果、ローズ+リリーを復活させ辛くなってしまうと思うんだ」
 
「私もそう思います。ですからローズクォーツというのは良い企画だと思います」
 
「ところで。。。ケイちゃん、いつ性転換手術するの?」
「大学卒業するまでにすればいいかな、と一時は思っていたのですが」
「うん」
「マリから、20歳になるまでに手術しなかったら、私が切り落としちゃうからね、などと言われてます」
「あはは」
 
「この夏くらいに受けようかなというのを漠然と考えています」
「なるほど。夏ね・・・・」
「すると10月の誕生日が来たら戸籍の性別を変更できるので。実は手術自体はもう予約済みで代金も払い込んでいるんです」
「ああ、そうなんだ」
「ただ日程を決めてないんです」
「ああ」
「私がその気になったら1ヶ月以内の日程は取れる、と言ってもらっています」
 
「もういっそ、来月くらいに、やっちゃわない?」
と町添部長。
 
「たぶん・・・私の性別が曖昧なままより、ちゃんと女の子になってくれた方が売りやすいですよね」と私。
 
「まあ、CMとかのタイアップなんかは取って来やすいね。個人の問題だから、僕があれこれ言うことではないけどね」
 
「1月に手術しちゃうと、大学の後期試験を受けられなくなってしまうので」
「ああ!」
「どうしても学期と学期の間を狙って受けないといけないなと思っているんですよ」
「学生さんだもんね」
「ええ。たぶん手術して1ヶ月くらいは、ひたすら寝てるだろうと思うので」
「だろうね」
「でも来年中にはやりますよ」
 
町添部長は笑顔で頷いていた。
 

「須藤君のマネージメントについてはどう? 正直な所」
「面白いと思いますよ。時々『えー!?』なんてのはありますけどね」
 
やはりこれが今日の本題だよな、と私は思った。
 
「民謡をやったりとか?」
「元々、私の祖母が地元では有名な民謡の名人だったんですよ」
「へー」
 
「母も三味線の名取りですし。ですから小さい頃から民謡は唄っていたんです」
「そうだったのか」
「ただ、理論的なことは全然知らなかったし、民謡の音程と西洋音楽の音程が違うことも指摘されるまで気付かなかったですけどね。私は自然にそれぞれの曲の音程で唄っていただけだから」
 
「★★レコード内部では、須藤君のやり方に対しては賛成できないという意見の方が多くてね。ただ、僕はマネージメントというのは信頼関係が一番だからケイちゃんとマリちゃんの信頼できるマネージャーが付いているのが一番だとは思うんだよね」
「ええ。その点が、私とマリが須藤を選んだ理由です」
 
「ただ、管理面と制作面は必ずしも連動しなくてもいいという気はするよ」
「というと」
 
「ケイちゃんさ、ELFILIESにしても、ノエルにしても、事実上プロデュースしてるじゃん」
「そうですね。それに近いことをしました」
 
「だったらローズ+リリーは、ケイちゃんが自分でプロデュースするようにして行ってもいいんじゃない? 右も左も分からなかった高校生の時とは違うもん。ケイちゃんがAYAちゃんやSPSとかに提供した曲を見てると、ケイちゃんって聴き手を凄く意識した曲作り、そして売れるようなアレンジが出来ているしね。スリファーズはケイちゃんのアレンジ・プロデュースじゃなかったら、あの半分も行ってないと思う。ノエルにしても初動5万枚なんて初めて。多分初ゴールドディスク行くよ。ああいう感じで、ローズ+リリーのプロデュースをしていけばいいんだよ。ローズクォーツの方は須藤君に任せて」
 
「そうですね・・・・須藤自身、ローズ+リリーとローズクォーツの路線で少し混乱している気はするなという気はしていたので。ローズクォーツの方を須藤に任せて、ローズ+リリーに私の意見を強く出していくというのはひとつの道かも知れませんね」
 
「じゃ、年明け早々にローズ+リリーの新しいシングルを作ろうよ」
「でも発売が・・・」
「恋座流星群と同じ方式で」
「ああ、それなら行けますね」
「それ用の高品質の曲を準備しててよ。あのやり方ってプロモーションとかができないから、曲の品質だけで売る必要があるから」
「はい」
 
そうやってリリースしたのが『神様お願い/帰郷』(Spell On Youを含む)であった。
 

町添さんとの秘密会談を終えてから、私は単独タクシーで東急東横線の駅に行き、そこから渋谷に出て、ロシアフェアの会場に向かった。会場前で政子と落ち合う。政子はルパシカの上下を着てきていた。
「おお、ロシア向けに気合い充分だね」
「冬の分も持って来たよ」
「私も着るのか!」
 
まだ少し時間があったのでマクドナルドに入り、コーヒーを注文する。トイレで政子に渡されたルパシカに着替えてくる。しばしここ数日のお互いの報告をしてから、雑談をしていた時、ふと政子が言った。
 
「トゥィ・ズナーユ、クトー・ペーチ・シヴォードニャ?(今日誰が歌うか知ってる?)」
「ごめん。私あまりロシア語得意でないから日本語で説明するね」
「ハラッショー(OK)」
「今回はそもそも私たちにまた歌わない?って打診が来たんだよ。ローズ+リリーがまたプロとして再契約したらしいと聞きつけて」
「アー」
「でも、現在ライブ活動は休止中ですということでお断りして。それで窓口になってた○○プロから、誰か割り当てるということになったらしい。具体的に誰になったかまでは聞いてない」
「フーン」
「○○プロ、あるいは協力関係にある△△社とかのプロダクションのどこかから出すんじゃないかな」
「ヤー・ナデェユーシ・ハラッショエ・ペヴィーツァ・プリハジート(いい歌手が来るといいね」
「ダー(Yes)」と私は笑顔で答えた。
 

やがて開場30分前になったので会場に向かう。会場前で待っていたら、2年前に見知った大使館の人(ミハイル・ニコライヴィッチさん)が寄ってきて「こちらにいらしてください」と言われ、先に中に入った。
 
会場の中心にラーダ・グランタのセダンと、IMZウラルのサイドカー付きバイクがどーんと置いてある。物産展や食品市などはまだ準備の最中という所も多いが、美味しそうなピロシキが湯気を立てているのを見て政子が思わず
「ダイチェ・エータ(これ下さい)」と声を掛ける。
「スコーリカ(いくつ)?」
「チトゥィリ(4つ)」
などといってピロシキを4つ買うと、ひとつ私に渡してくれた。もちろん政子は3個食べるつもりである。
 
「ありがとう」と私が政子に言うと、売場の人が
「あ、日本の方ですか? 私日本語もできますよ」と流暢な日本語で言う。「あ、そうだったんだ!」と政子。
 
「フェアの売場にはだいたい日本語できる人が並んでますから」
とミハイルさんも言っていた。
 
会場をひととおり案内されて見てまわった頃、開場となり一般客が入ってくるが、私たちは奥の部屋に案内された。
 
「やはり、2年前のローズ+リリーのステージが物凄く盛り上がりましたからね。1回目のステージで凄く受けたので、2回目のステージはもう会場に人が入りきれないくらいになりましたから」
とミハイルさん。
 
「ええ、あれは何か寿司詰めでしたね」
「昨年はアイドル歌手の****を呼んだのですが、全然盛り上がらなくて」
「あぁ」
「今年はやはり実力派の歌手をということでね、おふたりが活動再開したと聞いたので○○プロの方に打診したら、ライブ活動は休止中ということで、それで花村唯香さんという人に来てもらうことになりました。まだ人気はそんなに無いものの、実力は高いということで」
「ああ!」
 
「ケイ、知ってるの?」
「えっと、こないだ彼女に曲を提供するから詩を書いてって頼んだんだけど」
「ああ。忘れてた!来週書くね」
「よろしく」
「うまい?」
 
「彼女うまいよ。魅惑のアルトボイスって感じで。声域自体は低いんだけど、すごく耳心地が良い声っていうかね。音程は正確だし、リズム感もいいし。デビューして1年くらいだと思うけど、まだ売れてないのが惜しい感じだね」
「へー」
 
などという話をしている内に当の花村唯香がマネージャーさんと一緒に到着した。
 
「あれ〜? ケイさん!」
「先日はどもー。こちらマリ」
「初めまして。花村唯香です」
「あ、初めまして。ローズ+リリーのマリです」
 
ということで握手を交わす。唯香と握手をした時、政子が一瞬不思議な表情をした。
 

やがて1回目のステージとなる。曲は有名なロシア歌曲『黒い瞳』から始まり、『ともしぴ』『モスクワ郊外の夕べ』と定番の曲を歌っていく。なじみのある曲ばかりなので、会場の視線が次第に唯香に集中して行った。
 
ロシアの人気歌手・バルバラのヒット曲『レターラ・ダ・ペラ(飛んで歌って)』
を歌うと、会場内のロシア人さんたちの反応が良い。(『黒い鷲』で知られるフランスの歌手バルバラとは別人)
 
その後自分の持ち歌(スイート・ヴァニラズ作『ベレスタ』)をロシア語歌詞に翻訳したものを歌うと、それまでの流れでこの曲にもある程度の手拍子が来る。そして最後に『カリンカ』を歌うと「カーリン・カカリン・カカリン・カマヤ」
と一緒に歌い出す人も会場の中にたくさん出て盛り上がった(本当の区切りはカリンカ・カリンカ・カリンカ・マヤだが、だいたい↑のように聞こえる)
 
大きな声援に笑顔で応えて唯香はステージを降りた。
 
政子も笑顔で大きな拍手をしている。
「この子、うまいね!」
「でしょ」
「よし。やる気がグッと出た」
「頑張ってね」
 

控え室に行くと、政子は唯香に
「うまいね!すごいね!」と言ってべた褒めする。
 
「なんか一緒にステージやりたくなっちゃった」
などと政子は言い出す。
「あ、ぜひ一緒にやりましょうよ。2回目のステージで」と唯香。
 
「いや、しかしここは唯香ちゃんのステージだから遠慮して」
と私は慌てて言う。
 
「うーんと。歌は唯香ちゃんが歌えばいいんだから、私たちは伴奏しない?」と政子。
「ああ、それはいいですね」
と唯香のマネージャーさん。
 
「私、人前では歌わない契約だけど、楽器演奏するのは契約に触れないよね?」
と政子。
「契約も何も、マリが良いといえば、誰も止めないよ」
と私は笑顔で答えた。
 
「でも何で伴奏するの?」
「私はヴァイオリンしか弾けないから、ヴァイオリンかな。ケイはフルート?」
「私のフルートは中学生レベルだよ。ピアノにしようかな」
「じゃ、ヴァイオリン取って来ます」
と政子が言ったのだが、ミハイルさんが
 
「もし良かったら大使館にあるヴァイオリンを持って来ましょうか?すぐ近くですから」と言う。
 
「あ、それでもいいかな」
というのでお願いした。ミハイルさんは大使館に電話して、向こうのスタッフさんにヴァイオリンを持って来てもらう。楽器は10分で到着した。
 
「私、チューナー無いと調弦できない」と政子。
「貸して。私がする」
と言って私はそのヴァイオリンを借りて音を合わせる。
 
「音叉とか笛とかなくてもできるんですね」と唯香が感心したふうに言う。「ええ。音を覚えてますから」と私は笑顔で答えた。
 
「でも、このヴァイオリン、凄くいい楽器ですね」と私は言った。
「どれどれ」と政子が持って少し弾いてみると、物凄く上品な響きがする。
「これいい! こんなの欲しいなあ」
「来年は少し頑張って稼いで、そのクラスの楽器を買えるようにしようよ」
と私は笑顔で言った。
 
「これ、そんなに高い?」
「うん。たぶん1000万円超えると思う。ですよね?ミハイル・ニコライヴィッチ」
「そうですね。たしか500万ルーブルくらいだったと思います」
「じゃ、日本円にして1400万円くらいですね」
 
「ひぇー。道理でいい音がする訳だ」
「値段で音が出る訳じゃないけどね」
 
私たちは演奏する曲の譜面を出して伴奏の入れ方を検討する。私はツアーの最中で五線紙を携帯していたので、いそいで政子が弾くヴァイオリンパートを書き始めたのだが・・・・
 
「書いてもらっても私、譜面が読めない」
などと言い出す。
 
「じゃ、私がキーボードで弾いてみるから、その通り弾いてみて」
「OK」
 
私は荷物からいつも持ち歩いている小型キーボードを出し、各々の歌を歌いながら、ヴァイオリンパートをキーボードで弾くと、政子もそれに合わせて弾く。
 
「覚えた?」
「だいたい分かった。行けると思う」
「じゃ、済みません。唯香さん、この曲合わせてみません?」
「はい」
 
ということで、私たちは『黒い瞳』を、私のキーボード演奏に合わせて唯香の歌、政子のヴァイオリンで合わせてみた。
 
「一発で合いましたね」と唯香のマネージャーさんが笑顔で拍手してくれた。
 
ミハイルさんも「素晴らしい」と言って拍手してくれる。調弦できないとか譜面が読めないなどという政子の発言で、少々不安気な様子であった彼も、今の演奏を聴いてホッとしたようである。
 
私たちはこのような感じで、6曲を全部合わせた。
 
「じゃ、これで2回目のステージは行きましょう」
 

やがてステージの時間となる。私はステージに出て行くと、会場の中を素早く見回した。居た!
 
会場の中、マトリョーシュカなどの民具を置いてある所のそばに町添部長が来ていた。政子が突然「一緒にステージやりたくなった」と言い出した時点でメールしておいたのである。町添さんは私がピアノの前に座ったのはいいとして、政子がヴァイオリンを持っているので、びっくりした顔をしている。
 
司会者の人は「花村唯香さんです」とだけ紹介する。お客さんも私たちは単に伴奏者と思っているだろう。
 
私が唯香とアイコンタクトで合図して、前奏を弾き始める。続けて政子のヴァイオリンが美しい音色を添え始める。そして唯香の魅力的なアルトボイスがその伴奏に乗って流れ出す。
 
基本的に私のピアノは和音を奏で、政子のヴァイオリンは前奏・間奏のメロディ部分と、歌唱部分ではオブリガートを演奏する。唯香の歌と政子のヴァイオリンがデュエットしているようなイメージである。政子はいつもローズ+リリーで私が歌うメインメロディーのオブリガートを歌っているので、だいたいの雰囲気が分かれば自然にどう演奏すればよいかが分かるようである。
 
1回目のステージが好評だったせいか、2回目は前の倍くらいの人数で、しかも最初からステージに注目している人たちがたくさんいる。
 
『黒い瞳』『ともしぴ』『モスクワ郊外の夕べ』と静かな曲が続くのでヴァイオリンの響きがとてもよく合っている。『レターラ・ダ・ペラ』は元気な曲だが政子のヴァイオリンは、まるで踊るかのようにこの曲を弾いていた。
 
その後、唯香の持ち歌『ベレスタ』はポップス調なので、政子にとってもふだん馴染んでいる世界の曲という感じで、歌とヴァイオリンがきれいに調和するように奏でていく。そして最後『カリンカ』では、ピチカートを多用して、元気に曲を盛り上げた。
 
ステージを降りると、ミハイルさんが私たち3人と喜んで握手した。
「ありがとう、素晴らしいステージでした」
「パジョースタ(どういたしまして)」と私と政子は応えた。
 
私の視界の端で町添部長が笑顔でこちらに手を振って会場を出て行くのが見えた。
 
そしてこのロシアフェアのステージをきっかけに唯香の曲『ベレスタ』のダウンロードが静かに増え始める。それまでの曲が1000枚行くかどうかだったのが、この曲は1万枚を超えるセールスを上げ、実は★★レコードとの契約を切られる可能性もあったのが、この曲で彼女は生き延びたのであった。
 

明日の博多ライブは午後からなので、その日は政子とふたりでマンションに帰った。そして政子は家に帰るなり、こう言った。
 
「唯香ちゃんって、ああしてると女の子にしか見えないね。声も女の子だし」
「は?」
と私が聞き返す。
 
「だって、あの子、男の子だよね?」
「なに〜〜〜〜!?」
 
私は突然頭から水を掛けられたような衝撃を受けた。
 

「握手をした時に分かったよ」と政子。
「そういえば、唯香ちゃんと握手した時に、マーサ微妙な表情したね」
「うん。え?と思っちゃったから」
 
「そういえば、こないだ唯香ちゃんとハグした時に、何か不思議な違和感を感じた」
「女の子じゃなかったからだろうね」
 
「でも胸Bカップくらいあるのに」
「ホルモンでも飲んでるんじゃない?」
「声もホルモンで声変わりを止めたんだろうか?」
「違うと思うな。冬と同じように声変わりは来たけど、発声法であの声を出してるんだと思う。歌ってる時の感じがね、春奈ちゃんより冬に似てるもん」
「はあ」
「だからあれはカウンターテナーの発声だと思う」
 
「そう言われてみると、そんな気もするな。だけどこないだ一緒にお風呂入ったのに」
「春奈ちゃんともお風呂入ってるでしょ?」
「うむむ・・・・」
 
「だけどさ」
「うん」
「私が冬と最初に握手した時」
「それって、高校入ってすぐの時?」
 
「そうそう。あの時ね、冬の手を握って、これって女の子の手だって思ったよ」
「あはは」
「だから、この子、実は女の子で男装してるんじゃないか。ひょっとしてFTM?とか思った」
「それで、お股に触ってみたわけね?」
「そうそう。そしたら、おちんちん付いてない感じだったんだもん」
 
「でもFTMならおちんちんを偽装してるよ」
「そうそう。だから男装趣味なのかなと思った」
 
「それで夏には胸も触ってみたわけだ」
「そういうこと。でもね」
 
「うん?」
「私さあ。啓介の胸を何度か触ってて、それと似た感触だったから、冬にはやはり胸は無いのかと思ったんだけどね、あの時」
「うん」
「よくよく考えたら、啓介ってかなり肥満だもんね。だけど冬は凄いスリム」
「・・・・・」
 
「だから、あんなにスリムな冬の胸の感触が、肥満な啓介の胸の感触と似てるというのは変だと気付くべきだったんだよ」
「えーっと」
 
「そのことに思い至ったのは、かなり後になってからだったんだけどね」
「・・・・・」
 
「ということで、正直に白状しろ」
「えっと、何を?」
 
「冬は、かなり以前からホルモン飲んでたんだろ? だから高1の時の胸って実はホルモンの影響で少し膨らんでいた胸だったんだ」
「そんなこと無いよ。ホルモン飲み始めたのは高校卒業してからだよ」
「それ、絶対嘘。冬ってこういうことに関しては凄い嘘つきだもん」
「嘘ついてないよ〜。それに私は中学の時も高校の時も身体検査とか受けてるよ」
「いや、身体検査くらいきっとうまく誤魔化してる」
「そんな馬鹿な」
 
「よし。今夜は拷問だ」
「ちょっとやめて。明日は朝から予定が入ってるんだから」
「素直に吐けばすぐ安眠できる」
「勘弁して〜!!」
 

「だけど、マーサのヴァイオリン、ここ2ヶ月ほど練習した人とは思えなかったよ。凄くうまかった」
 
私たちは3戦か4戦くらい交えてから、ふつうにダブルベッドの上で裸で並んで寝て夜中にふと目覚めたところで会話を交わした。
 
「どのくらいうまかった? プロの演奏家としてリサイタル開ける程度?」
「さすがにそこまでじゃないけど、子供コンサートくらいなら叱られないと思うよ」
「中学生のサークルレベル?」
「高校生くらいはある。今日みたいなポップスの演奏での伴奏なら充分OKなレベルだと思った」
 
「よし、そしたらもっと練習しよう」
「頑張るね」
「私、この2ヶ月、歌の練習と同じくらいの時間、ヴァイオリン弾いてた」
「ほほお」
「冬がいない日曜日とかは2時間歌ったら2時間ヴァイオリン弾いてって朝から晩までやってたよ」
「凄い凄い」
「博多のお土産は、《ふくや》の明太子ね」
「いいよ」
 

その後の私のスケジュールは慌ただしかった。
12日(日)は飛行機で博多まで行きローズクォーツの「ドサ回り」最後のライブを行った。博多で1泊した後、翌朝の便で羽田にトンボ帰りして、13(月)は学校に行った後、福岡から戻って来た美智子と一緒に、お正月用の振袖を受け取りに行く。私が振袖を着付けしてもらって嬉しそうにしているのを見て、美智子は振袖でロックを歌うというのを思いつき、その場で会社の費用でステージ用の振袖既製品を1つ買った。
 
14日(火)は、やはり学校が終わってから、明日発売日(今日から店頭に並ぶ)の坂井真紅の新曲と、ELFILIESの移籍第1弾の新曲との発売イベントに時間差で顔を出す。どちらもマリ&ケイの曲である。坂井真紅のイベントでは、私がピアノを弾きながら彼女が歌うという実演も見せた。
 
15日(水)からはローズクォーツの大都市ライブハウスツアーが始まる。この日は東京都内のライブハウスで演奏をした。翌日は横浜、その翌日金曜日は学校が終わった後新幹線で移動して名古屋、そのまま泊まって翌土曜日は大阪、その翌日曜日は金沢と来たところで、沖縄の難病と闘っている女の子・麻美さんが危篤状態になったという連絡を受けて、政子と一緒に沖縄に駆けつける。沖縄には21日まで滞在した。
 

麻美さんが無事回復してくれたので東京に戻ったら、そこに電話が掛かってきて、私は22日(水)の夕方から23日(木)のお昼頃まで唯香の新しいアルバムの編成会議に出ることになった。
 
スイート・ヴァニラズのElise, 上島先生, 水上先生の4人で★★レコードに集まり、唯香の所属プロダクションの前田課長、★★レコードの担当の北川さん、加藤課長、町添部長も入って会議をした。18時間くらいぶっ通しで会議は続いたが、各々が持ち寄った曲を流して、水上先生の曲1曲、上島先生の曲2曲、スイート・ヴァニラズの曲5曲、マリ&ケイの曲4曲を採用することになった。水上先生は4曲持って来ていたのだが、町添部長が3曲没にした。町添さんは品質に関して絶対に妥協しない。今回、先頭の曲はスイート・ヴァニラズの作品を使うことになった。
 
「まあ、また飲もうよ」などと上島先生が慰めて?いた。
 
私は前田課長に会うのが久しぶりだったので、挨拶し
「浦中部長にもよろしくお伝えください」と言っておいた。
 
前田さんは
「ローズ+リリーのライブしないの?」
などと訊く。すると上島先生まで
「ああ。僕もマリちゃん・ケイちゃんのデュエットが聴きたいね」
などと言う。
 
私はできるだけ曖昧なことばで逃げておく。するとEliseがまじめな顔で
 
「私は来年中にはマリは1度は一般の人の前で歌うと思うよ」
と言った。
 
しかしこの日の会議でみんなの話を聞いていても、唯香が男の子であるなどという話はひとことも出ない。プロダクションやレコード会社にも秘密にしているのかな?と私は思った。彼女のパス度はひじょうに高いので、充分女の子で通せるのだろう。
 
ただ今後人気が出てくると、彼女の周囲の人から情報が漏れたりしないだろうかというのを少し心配した。私の時も政子の元婚約者からバレた訳だし。
 

そして24日(金)は、★★レコード主催のクリスマス・イベントが都内のホテルで行われた。過去10年間に10万枚以上のヒット(ゴールドディスク)を出したアーティスト・作詞作曲家が招待されている。ローズクォーツのデビュー曲『萌える想い』は最終的には10万枚を少し超えたのだが、この時点ではギリギリ達しておらず対象外。しかしローズ+リリーの方は『その時/遙かな夢』が20万枚、『甘い蜜/涙の影』が(この時点で)85万枚ほど売れていたので、招待の対象となり、政子とふたりで出て行った。ステージで2〜3曲歌いませんか?とも言われたのだが、そちらは辞退しておいた。
 
この日クリスマスのコンサートやディナーショーなどをするアーティストも多いので、短時間来ては慌ただしく歌ってはまた出て行く人も多かった。AYAもそういうコースだったが、私たちはハグしあって
「そちらも頑張ってね〜」
と言った。
 
先月末デビュー曲を発売して、この時点で20万枚を超えていたスリファーズ、今月に入ってから出した曲があっという間に初めての10万枚超えになった富士宮ノエルも来ていて
「マリ先生とケイ先生のおかげです」
と言って嬉しそうにしていた。
 
「そっかー、私たち、先生なのか」と政子が言う。
「実際問題として今年は私たち、自分たちでは歌わずにたくさん曲の提供をしてきたからね」と私。
 
「私、このまま『先生』でもいいかなあ」などと政子は言う。
すると、そばに居た★★レコードの吾妻さんが
「でもマリちゃんの歌を生で聴きたがっている人たちがたくさんいるからね」
と言った。
「そうですねぇ」と政子は遠い所を見るような目で言った。
 

トイレに行ったら、中でちょうど△△社の甲斐さんと遭遇した。
「どもー。おはようございます」
「おはようございます」
 
「今日はスリファーズの付き添いですか?」と私。
「うん。歌ってすぐに出て行くけどね。美智子さん来てる?」と甲斐さん。
「今日は来てません。明日博多でローズクォーツのライブがあるので事前準備で博多に行ってます。今日は政子とふたりだけで来ました」
 
「ね、ね」
と甲斐さんが私の首に抱きつくようにして、小声で訊いた。
「冬ちゃんってさ、いつ頃から女子トイレ使ってたの?」
「え?ローズ+リリーを始めてからですけど。最初の頃はもう今にも男とバレて通報されないかとビクビクしてましたよ」
 
「そんなこと絶対無いと思うな。だってさ、ローズ+リリーには最初の頃から、私かなり帯同してたけど。冬ちゃんって、ごく普通の顔して女子トイレ使ってたし、女子トイレの中にいるのが全然不自然な感じしなかったから、私はああ、きっとこの子は今までも、ふだんから女装していて女子トイレにも普通に入ってたんだろうなと思ったよ」
 
「えー?そんなことないですけど」
「冬ちゃんの小学生や中学生頃の写真とか見てみたいなあ」
 

会場の方に戻り、また政子とおしゃべりしながら会場内に置かれている食べ物をつまんだりしていたら、上島先生と下川先生が一緒に近づいてきたので挨拶をする。
「今日はマリちゃん、たくさん食べられて満足じゃない?」と上島先生。
「えー。とっても満足です」
と政子は本当に満足そうな笑顔を見せる。
 
「ああ、若い子は食べるの好きだし、少々食べても太らないよね」と下川先生。
「そうですね。マリは食べても太らない典型例でしょうね」
と私が言うと、上島先生が笑っている。
 
ステージには XANFUS のふたりが上がり、彼女らのヒット曲を歌っていた。1曲歌ったところで
「ねえ、なんか面白いことしよう」と光帆が言い出す。
「そうだ。誰かとジャンケンしよう」と音羽。
その時、音羽と私は目が合ってしまった。
 
「あ、そこにローズ+リリーがいる。ジャンケンしようよ」
などと音羽。
 
私は政子の顔を見て「どうする?」と訊くが「うーん。ジャンケンならいいか」
と言うので、手をつないで一緒にステージに上がった。ステージ上でお互いにハグし合う。私たちとXANFUSの間で恒例となっている「友情の儀式」だが会場から「わー」とか「ひゃー」という声が上がる。
 
そして代表ということで、光帆と政子がジャンケンする。政子が負けた。
 
「ではデュエット・二人羽織で、エア歌唱がXANFUS, 後ろで歌うのがローズ+リリーと決まりました」と音羽。
 
「何何?どうするの?」と政子が訊くが、明らかに面白がっている。
 
光帆が音羽と私を前後に並んで立たせて説明する。
 
「えっとですね。音羽が前に立って、ケイちゃんが後ろに立ちますね。それでケイちゃんがマイクを持って音羽がそのマイクに向かって歌うように見せて、実際に歌っているのは、後ろにいるケイちゃん。音羽はマウスシンクです」
 
「ああ、なるほど。じゃ私は光帆ちゃんの後ろに立って、光帆ちゃんの口のところにマイクを持って行って、実際には私が歌えばいいのね?」
と政子。
 
「そうそう。でも私たち踊るから、ちゃんとそれに付いてきてね」
「おっけー」
「マリちゃん、私たちの『Dance don't Love』歌える?」
「あ、あれならどちらのパートも歌える。カラオケでたくさん歌った」
「じゃ、それで行こうか」
「私には訊かないの?」と私。
「ケイちゃんは歌えるに決まってる」
「そうそう」
 
ということで、XANFUSとローズ+リリーによる「二人羽織」版『Dance don't Love』
を演奏することになった。私が音羽のパート、政子が光帆のパートを歌う。
 
その時、中央付近のテーブルでクリッパーズのメンバーと話していた風の町添部長がニヤニヤしているのを見て「ああ、最初からの仕込みだな」と私は思った。政子がたいがい満腹したようなタイミングでXANFUSを登場させるようにスケジューリングしておいたのだろう。そしてこの企画。政子の、お腹が満ち足りていると積極的になる性格を知っての仕掛けだ。ジャンケンも多分、政子が勝った場合は、勝った人が後ろに隠れて歌うという話にして、とにかく政子をステージ上で歌わせるように仕向けたかったのだろう。
 
マイナスワン音源がスタートする。XANFUSのふたりは踊ってステージの上を結構移動するので、私も政子もマイクを持って付いて行くのが、なかなか大変である。ローズ+リリーは、多少の身振り・手振りはあるものの、だいたい歌唱に集中するタイプなので、こういう歌い方は、また勝手が違う。
 
やがて歌唱部分のスタート。私と政子が歌い始める。音羽と光帆はそれに合わせてマウスシンクする。ふたりの歌は踊りが激しいのでテレビなどではマウスシンクにすることが多いらしく、歌にきちんと唇を合わせるのはうまい。
 
政子も私も声量があるので、マイクをかなり口から離して歌うタイプである。それで音羽と光帆の後ろから歌っていても、マイクは充分私たちの声を拾っていたようであった。
 
やがて歌が終わるとひときわ大きな拍手。私たちは4人で並んで挨拶し、私と政子がステージを降りて、XANFUSがもう1曲歌う。
 
この日のイベントは★★レコードの「内輪のイベント」なので報道関係を入れていないし、肖像権・パブリシティ権が複雑なアーティストばかりだから場内は撮影禁止・録音禁止である。
 
それで「二人羽織」の画像や音源はどこにも出なかったものの、この時会場にいた何人かのアーティストのブログで『XANFUS/Rose+Lily 二人羽織』とか中には『マリちゃんが歌った』などというタイトルで、この「お遊び」のことが書かれて、マリの復活はそう遠くないのかも、という空気がファンの間で広がった。
 
そしてその場にいた、多くのアーティスト、★★レコード関係者の間で、マリの歌が、またうまくなっている、という認識が広がって、私を少々強引にでもソロデビューさせようという意見は、弱くなったらしい。
 

イベントが終わった後、私たちは都内のファミレスで待ち合わせて、私の小学校以来の親友である、奈緒と会った。私ひとりで会うつもりだったのだが、政子も奈緒とは高校時代の友人のひとりで、受験勉強の時は一緒に勉強会をした仲なので、付いて行くと言ったので一緒に行った。(嫉妬半分という気もしたのだが)
 
「最初に、これね」と言って、私は奈緒に封筒を渡す。
「ありがとう!ホントに恩に着るよ」と奈緒。
 
「勉強の進み具合はどう?」と私。
「今のところ調子良い。一応A判定」と奈緒。
「体調の管理に気をつけてね」
「ホント。去年は本試験の前日に風邪引いちゃったのがねー。今年はインフルエンザの予防接種も済ませてるし、外から帰ったら、うがい・手洗い励行。自分の部屋は加湿器入れてる」
 
「ところで、いつ親にはカムアウトするの?」
「合格したら」
「おぉおぉ」
「まあ、一戦交えるのは覚悟してる」
 
「私、約束してたように、入学金・授業料までは貸すからね」と私。
「うん。ホント助かる」
 
奈緒は昨年、事前の模試では確実と思っていた、**医科歯科大学を落としてしまった。本試験の前日に風邪を引いてしまい、無理して出て行ったものの、まともに解答できなかったのが敗因だった。親が浪人を許してくれる雰囲気ではなかったため、併願していたN大学の理工学部に進学した。家も出てひとりでN大学の近くのアパートで暮らしている。
 
がこれが実は仮面浪人で、本当は大学にも出て行かず、ひたすらこの1年間受験勉強をしていたのである。アパートも実はN大より**医科歯科大の方に近い。N大も実は後期はこっそり休学してしまっている。
 
親にはバイトしながら生活費と学費を稼いでいるみたいに言ってあるのだが、バイトする時間も惜しんで、ひたすら受験勉強をしていたので、予備校の授業料をはじめ模試を受けたり問題集などを買ったりするお金や、またそもそも今年のセンター試験、本試験を受ける受験料などを捻出できない。
 
それで、古くからの親友である私を頼ってきたのである。私はこの1年間奈緒の予備校の授業料+生活費+αを支援してきた。そしてセンター試験、本試験の受験料も出してあげることにしていたのである。親と和解できなかった場合は6年間の大学の授業料も出してよいと言ってある。返済は奈緒が医師の資格を取ってからの出世払いということにしている。
 
「生活費を抑えるには親元で暮らした方がいいけど、受験勉強してるってバレちゃうからね」
「もっとも、私たちくらいの年になったら、親も中高生の頃まで娘の生活実態をチェックしたりしないだろうけどね。彼氏作っても避妊くらいちゃんとするだろう、くらいには思ってもらってるだろうし」
 
「考えてみれば、私と冬が高校時代、歌手やってても親に気付かれなかったのは、私は親が海外に行ってて、冬のお母ちゃんはのんびり屋さんだったってのがあるよね」と政子。
 
「そうだね。それにうちのお母ちゃんは、私の女性化の方に気が行ってて、密かに去勢したり豊胸してたりしないだろうか、というのを心配してた感じだったから、歌手してたってのは、思いもよらない事態だったみたいね」と私。
 
「冬の話を聞いてると、バレちゃった時に、お父さんは冬が女装していたことに衝撃を受けたみたいで、お母さんやお姉さんは冬の歌手活動の方に驚いたって感じだよね」と奈緒。
 
「うん。女装してることはお姉ちゃんにはカムアウトしてたし、お母ちゃんには言ってはいなかったけど、察していたみたいだったし」と私。
 
「ってか、お母さんは制服代をお父さんには内緒で出してくれたんでしょ?」
と奈緒。
 
「うん。まあね。でもその制服を着て学校には通学してないからなあ・・・」
「通学すれば良かったのに」と政子。
「ほんとほんと」と奈緒。
 
「ねえ、奈緒。冬ってやはり小学生の頃から女の子だったの?」と政子。「ふふ。言っちゃおうかなあ」と奈緒。
「ちょっとちょっと」
「だってさあ。こないだ、冬は『小学生になってから男湯に入ったことない』
なんて言ってたよ」と政子。
「あぁ」
 
「私、冬とは3回、一緒にお風呂入ってるよ」と奈緒は言った。
「やはり。そのあたり詳しく」
「勘弁して〜」
 
「でも資金援助もしてもらってるし、これ以上は言わない」
と奈緒は笑顔で言った。
 

このあと、25日から27日までは、博多・札幌・仙台と移動してローズクォーツのライブをライブハウスで行った。「ドサ回り」でかなり公民館とか集会所とかで、じいちゃん・ばあちゃんたちを相手に演奏をしたが、やはりライブハウスでの演奏が、このバンドには似合ってるなというのを私は感じた。これはお客さんが乗ってくれることで、完成する音楽だ。
 
28日から30日までは、都内のスタジオに行き、花村唯香の音源製作に付き合った。今回のアルバムは、みんな忙しい時期でもあり、スタジオミュージシャンの人たちに伴奏はお願いしているのだが、制作全体の管理は★★レコードの北川さんが見るにしても、各楽曲ごとの細かい指示は、上島先生、EliseかLonda、そして私たちが各々の時間の取れる時にスタジオに寄って指示することにしていた。
 
実際のアルバム制作は唯香が冬休みの間を利用して行うことにしていて(彼女は大学には進学せず、高校を出たら歌手専業になる予定)、25日から始まっていたのだが、その間 EliseかLondaが頻繁にスタジオに来ては指示を出していて、この3日間は、私たちが提供した曲に関して細かい指導などをした。上島先生や水上先生は年明けに来る予定ということだった。
 
スタジオでの作業が終わって帰るという時、私はちょうどトイレが唯香と一緒になった。そこでトイレの中で彼女のそばに寄り、小声で言った。
 
「もしさ・・・色々個人的なことで相談したいことあったら遠慮無く連絡してね」
「あ・・・やっぱりケイさんには分かっちゃいますよね、他誰にも気付かれなかったのに」
 
唯香が男の子だとリードしたのは政子なのだが、そこまでは言わなかった。
 
「パス度完璧だよ」
「えへへ。何か相談したいこと、多分出てくると思います」
と言って、私と唯香は携帯の番号を交換した。
 
「メールすると事務所に同報されるので、連絡は通話でお願いできますか?」
「OK」
 

31日は都内のライブハウスで行われた「年越しライブ」に出演した。多数のプロ・セミプロのロックバンドが出演した熱気あふれるライブだった。政子にも「見に来ない?」と言ったのだが「夜遅く行くのしんどーい。私寝てる」ということだったので、筑前煮を重箱3個分ほど作って置いてひとりで出て行った。
 
という私もここ連日働きずくめだったので疲れが溜まっていて、出番が来るまで女性用楽屋の隅で壁にもたれて仮眠していた。
 
携帯のアラームで目を覚ます。メイクを整えて集合場所に行く。しばしメンバーと話していたら、そこに宝珠さん・近藤さんを含む5人のグループがやってきたので、ああこれが《スターキッズ》かと思い、私は会釈した。すると、近藤さんとマキが「よぉ」と挨拶を交わしている。
 
「あ、お知り合いでしたか?」
「ああ。高校の同級生」
「えー?そうだったんですか!?」
「その頃からふたりともバンドやってたけど、一度も一緒には演奏しなかったな」
などと言いながら、ふたりとも軽く殴り合ってる。何で殴るの〜?
 
「どうしたの?」と宝珠さんが私の表情を見て訊く。
「何で男の子って、こんな感じで殴り合うのかなあ。これがさっぱり理解できなくて」と私。「ああ。私もさっぱり理解できない」と宝珠さんも言う。
 
「え?ただの挨拶代わりだよ」と近藤さんは言う。
「私、こんな感じの男の子たちの付き合いに馴染めなかったのよね〜」と私。「ふふふ。それで女の子になっちゃったのね」と宝珠さん。
 
「女の子たちは挨拶代わりに何するの?」とマキ。
「うちの中学や高校ではハグして、しばしばそのままおっぱいの触り合いに」と宝珠さん。「ああ、私もよくやってました」と私が言うと
「女の子とハグしたり、おっぱいの触り合いしてたの!?」
と近藤さんとマキとタカが同時に訊く。
 
「ええ」と私が笑顔で答えると、宝珠さんとサトが笑っていた。
 

年越しライブは夜9時から始まり、朝4時まで続いたのだが、ローズクォーツは午前1時から30分を担当した(スターキッズは2時半から30分だった)。
 
演奏終了後、他のメンバーはラストまで見てるということだったが、私は疲れているのでひとり先に帰らせてもらった。本当はスターキッズのステージを見たかったのだが、体力優先である。
 
深夜帰宅してシャワーを浴びてから、ベッドルームに行き、政子の隣に潜り込んだら「おかえりー。キスキス」と言うので唇にキスする。しかし政子はそのまままた眠ってしまったので、私は微笑んで政子の手を握ったまま眠りに落ちた。
 
朝6時に起きて、一緒にお屠蘇を飲み、お雑煮を食べる。
 
今日は午後から大阪で「新年ライブ」のイベントがあり、ローズクォーツもそれに出演するので、他の3人は朝からそちらに向かうのだが、私は午前中は横浜に行き、市内のイベントスペースに向かった。今日、元旦にスイート・ヴァニラズの新曲が発売になり、その記念イベントがあるので「ちょっと来い」と言われたのである。
 
お正月の発売イベントだから振袖でも着るのかと思ったら「ビキニの水着」という指定であった。
 
「意外性があっていいだろ?」
「寒いですよ〜」
「暖房が入ってるから平気」
「11月にお風呂で見た限りでは、ケイはピキニになれる身体だ」
 
などと言われた。Eliseからは政子も一緒にと言われたのだが、政子は
「私、人前では歌わない契約だも〜ん」
などと言って拒否されたので、私だけ行くことになった。
 

イベントが始まり、スイート・ヴァニラズのメンバーがピンクのビキニ、私が赤いビキニで出てくると、会場から「えー!?」という声が上がった。まさか真冬の日本のお正月に、ビキニでの登場というのは、誰も予想しなかったろう。
 
そのまま今日発売のシングルの曲の内、マリ&ケイの作品『迷い庭』(メインボーカル:Londa)を演奏する。私はウィンドシンセ(AKAI EWI4000s)を吹いて演奏に参加した。政子とふたりで来るのならコーラス隊をしたかった所だが、ひとりではコーラスにならないので、じゃ何か楽器でも弾く?という話になった。
 

打ち合わせの時には来ていた政子が「ケイは最近フルートを練習してますよ」
などというので「じゃ、それ吹いて」と言われたものの、「とてもお客さんに聞かせられるレベルではありません」と言い、代わりにウィンドシンセにしてもらったのである。EWI4000sは、高3の時にコーラス部の友人に乗せられて買って、かなり吹き込んでいたので、その後、受験勉強で忙しくなって放置していたものの、ここ1ヶ月くらいの練習で完全に勘を取り戻すことができていた。キーボード弾きの私にとっては、フルートよりぐっと扱いやすい楽器である。ロールピアノかピアニカに近い感覚で吹くことができる。
 
「ああ、そういえばケイはリリコン吹いてたね」と政子が言うが
「あれはリリコンじゃなくてイーウィー(EWI)」と私が訂正する。
「ああいう楽器をリリコンと言うんじゃないの?」
「あの手の楽器の総称はウィンド・シンセサイザーと言うんだよ。リリコンはその中のひとつの商品名」
「へー」
「もう製造中止になって久しいけどね。ほら、長岡で会ったカナディアン・ボーイズの人がリリコン吹いてた」
「ああ、違う楽器だったんだ!」
 
「では、そういう所でこの写真を」と言って政子は自分の携帯の中に入っていた写真をEliseたちに見せた。
「おぉ!可愛い!女子高生してる!!」とEliseやSusanが喜んでいる。私はびっくりした。
 
「こんなところを写真に撮ってたんだ!」
「盗撮しといた」
「うむむ」
 
それは高校の夏服の女子制服を着て、EWIを演奏している私の写真であった。
 
ところで、同じウィンドシンセでも、宝珠さんはヤマハのWX5を使っている。サックスと感覚が似ているのよ、と彼女は言っていた。1度借りて吹かせてもらったこともあるが、やはりサックスなどとても吹けない私には、EWI4000sの方が吹きやすい感じであった。逆に宝珠さんは私のEWI4000sを吹いてみて「好きくない」
と言っていた。
 

スイート・ヴァニラズの新曲に続けて11月に発売したアルバムに入っていた曲3曲(『Swiss Roll Passion』(Vo:Minie)『ミスカブルー』(Vo:Carol)『東京高原の夜』
(Vo:Susan))を演奏した所で「ここでケイちゃんをメインにした曲『ペチカ』」と言われる。これもアルバム収録曲である。
 
私はウィンドシンセから手を離し(この楽器は首から掛けて使用している)、この曲のメインボーカルを歌った。本来政子が歌うサブボーカルはアルト声域でハーモニーを取るのもうまいMinieが歌ってくれた。
 
この発売イベントに集まっているのはむろん、ほとんどがスイート・ヴァニラズのファンなのだが、そのファンたちにも、この歌は何となく受け入れてもらった感じでホッとした。
 
そして新発売のシングルのタイトル曲『熱い林檎』(Vo:Elise)を歌う。私はまたウィンドシンセを吹いて、演奏を終えた。
 
この日の発売記念のサイン会では、《Sweet Vanilas with Rose + Lily》という特別版のサインをした。
 
そしてその日、あちこちのブログに私のビキニ姿の写真が掲載され、「ケイのおっぱいは、やはり大きかった」とか
「ケイは豊胸済みであることを確認」などというタイトルが付いていた。
 
中には「下も付いているようには見えなかった。性転換手術済みか?」
などという書き込みも多く見られた。
 
しかしこういう噂の広がりは、スイート・ヴァニラズのアルバムのセールス自体も少し後押ししたようであった。
 

2月。私はローズクォーツの「第二弾・ドサ回り」をしていた。2月は西日本を回り、3月に東日本を回る予定であった。(実際には3月は震災で吹き飛び代りに6月に避難所巡りをすることになった)
 
13日の日曜日は石川県のスキー場に来ていた。ゲレンデの中に作られた特設ステージで歌ったのだが「スキーで滑ってステージまで来て下さい」という指定に、まともにスキーができるのはサトだけだったので、マキもタカもステージの裏から歩いて登場となり(それでもマキは1回転んだ)、サトと私だけが上から滑って降りてきた。
 
サトは上級者なのでパラレルターンができるが、私は小学校の時にちょっとやっただけなので、ボーゲンで勘弁してもらったが、取り敢えず、私たち2人だけでも滑って降りてきたのは、結構好評であった。
 
いつものように「川の流れのように」から始めて、自分たちの曲を2曲演奏した(『パーチャル・クリスマス』『あの街角で』)あと、リクエストを受付けると、1曲氷川きよしの『玄海船歌』を歌った他は、何だかお子様のリクエストが多くて『はなかっぱ』のテーマ曲『カラフル』(マイラバ)、『ハートキャッチプリキュア!』のテーマ曲(池田彩)、『こばと。』の劇中曲『あした来る日〜桜咲くころ』(花澤香菜)、『ピタゴラスイッチ』の『アルゴリズム体操』(いつもここから)などと続く。
 
『アルゴリズム体操』は覚えてそうなサトを呼んで、ふたりで体操しながら歌ったら、大好評であった。(今日はヘッドセットマイクを使っていたので体操しながら歌えた)
 
最後は『Winter Contact』で締めた。
 

この日はここだけだったので、このイベントのスポンサーになっていた旅館に宿泊する。食事前にお風呂どうぞと言われたので大浴場に行き、湯船にのんびりと浸かっていたら、関西系っぽい?おばちゃん数人が寄ってきた。
 
「ね、ね、あなたさっき、獅子吼で歌ってなかった?」
「はい。歌いました」と私は笑顔で答える。
「あなた、凄く歌うまいのね。すっかり好きになっちゃった」
「ありがとうございます」
「なんて名前のグループだったっけ?」
「今日は《ローズクォーツ》という今年作ったユニットで来ましたが、もうひとつ《ローズ+リリー》というユニットの方は3年ほどやってます」
 
「あ、《ローズ+リリー》は聞いたことある。『ふたりの愛ランド』カバーしてたよね?」
「はい。あの曲は好評で。今でも個別ダウンロードが凄いんですよ」
 
「ね、ね、近くに居た人が、あの子あんな風にしてるけど男の子なんだよ、って言ってたけど、本当?」
私は吹き出しそうになった。
「そうですね。生まれた時は男の子でしたけど、今はごらんの通りです」
と笑顔で言う。
 
「へー。凄い。色々手術してこういう身体になったんだ?」
「ええ。手術もしてますが、バストなどは女性ホルモンを長年飲んで大きくなった分もありますね」
「ああ!」
 
「声も手術してそういう声になったの?」
「喉関係は全然手術してませんよ。これは発声法なんです。『もののけ姫』
の米良美一さんの発声法などと同類ですよ」
「ああ!あれも私、てっきり女の人が歌ってるんだと思った」
「ね、もののけ姫のテーマ曲歌える?」
 
「歌えますよ」と私は笑顔で言い、その曲を歌ってみせる。
 
「すごーい!」
といっておばちゃんたちが拍手してくれた。
 
このおばちゃんたちがサインを欲しいと言ったものの、お風呂の中なので後でロビーで落ち合って書いてあげますよ、ということにした。
 

食事は部屋まで持って来てくれた。
 
「あ、これ美味しい」
などと言って食べていたら、今日のイベントのスポンサーでもあった、この旅館の主が来て挨拶する。
 
「そうそう。これはうちの親戚の酒蔵で作っているもので、みなさんに1本ずつどうぞ」
と言って「萬歳楽」と書かれたお酒を1本ずつ配る。
 
「あ、すみません。私は未成年なので」
と私は言ったが、
「それではお姉さんかどなたかにでも」
と言うので、頂いた。
 
「あ、これも一緒に」
と言って渡されたのは、その萬歳楽のシールである。描かれているキャラクターが可愛い!
 
「可愛いですね!私、バッグに貼っちゃおうかな」
と言って、私は旅行用バッグに貼り付けた。
 
サトも面白がって楽譜入れに貼り付けていた。マキとタカは荷物の中にしまっていた。
 
「萬歳楽」という単語が、地震避けのおまじないとしても有名であることを私が知ったのは、この年の6月に青葉に会った時であった。
 
 
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【夏の日の想い出・新入生の冬】(2)