【夏の日の想い出・再稼働の日々】(1)

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ボクと政子は高2の8月から12月まで「ローズ+リリー」という女子高生歌手デュオとして活動したのだが、その活動はボクが実は男の子であるという週刊誌の報道により突然中断を余儀なくされた。
 
あまりの騒ぎにとても学校に出て行けなくなったボクたちは45日間の「引籠り」
期間を経て学校に復帰し、ボクもおとなしく男子高校生(?)としての生活を送り始めたのだが、騒ぎも落ち着き、ボク達も受検に向けて集中し始めていた4月の下旬、ボクたちのレコードを出していた★★レコードの町添部長から「ローズ+リリーのベスト盤を出したい」という話があり、ボクと政子は横浜市郊外のビストロで会って話をした。
 
12月にボクたちの活動が突然停止になってしまった時、ボクたちは年明けに全国ツアーをする予定だったし、他にも様々な予定があったのが、全部吹き飛んでしまったので、その金銭的な被害も凄まじかった。そこでボクたちは自分達がここ数ヶ月でもらった印税や報酬を返上するので、その被害の弁済に充てて欲しいと申し入れた。
 
実際には弁護士さんに交渉してもらった結果、ボクたちは8月から12月までに得た印税・報酬の総額(から必要経費や税金などで払わなければならない額を除いた額)の半分を、ボクらのマネージメントをしていた△△社、プロモーション活動をしていた○○プロ、CDを出していた★★レコードの3者に等分して払うことで合意した。
 
ところが★★レコードはこの「迷惑料」の受け取りを辞退した。そして代わりに12月末発売予定だった『甘い蜜』を今からでも良いから発売させて欲しいということと、既存音源を編集したCDをボクたちの活動が停止した12月19日から向こう半年間の間は自由に出させて欲しいということをこちらに申し入れてきた。うちの父も政子の父もそれを了承したが、★★レコードは実際には『甘い蜜』を1月末に発売した後、特に次のCDを出す動きを見せなかったので、それで終わりなのかな・・・・と思っていた時、この話があったのである。
 
(実際問題として★★レコードは『甘い蜜』を発売することができたおかげで、迷惑料として受け取るはずだった金額の数十倍の利益を得た。またボクはこの印税のおかげで私立の△△△大学への進学をすることができた)
 
横浜での会談には、★★レコードの町添部長とローズ+リリーの担当である秋月さん、こちらはボクと政子、各々の母が出席して6人での会談となった。
 
「ベスト盤を出すんですか?でもベスト盤というほどCD出してないですが」
とボクは困惑するように言った。この日、政子は制服を着ていたが、ボクは中性的な服装で出て来ていた。(会話は女声で話したし、トイレもちゃっかり女子トイレを使っていた)
 
「それが昨年11月に全国ツアーをした時の録音があるんですよ。ひょっとしたらライブ版を出すかもという話があってたので念のため全公演の本番とリハーサルを録音してるのですよね」
 
「ああ、じゃライブ演奏をまとめたものを出すんですね」
「ええ。最初そのつもりだったのですが、津田さんと話している内に、この録音のリハーサル版のほうを使えないかという話になりまして」
「え?」
 
「リハーサルも本番も、おふたりの歌を始め、各楽器の音なども個別のマイクで拾ったものをマルチトラックで収録しています。そこでですね。おふたりの歌部分だけを使って、楽器パートはあらためてスタジオでミュージシャンを集めて録音してミクシングしようかという企画なんです。その場合、拍手や歓声などの混じってないリハーサル版のほうが使いやすいのですよね」
「なるほど。面白いですね」
 
「これなら、おふたりには負荷を掛けませんし。私もリハーサルの音源を聴いてみたのですが、おふたりの歌がとてもしっかりしていて、これならそのまま使えるなと思っています。またCDで出ている曲に関しても、リミックスして収録することを考えています」
「分かりました。私はいいですけど・・・・」
と言って政子や母の顔を見る。
 
「私は全然問題無いです」と政子。
「娘がまた時間を取って歌を吹き込んでとかいうので無ければ問題無いです」
と政子の母。
「こちらも、うちの・・子にそう大きな負荷が掛からないなら問題ありません」
と、うちの母。『うちの息子』と言おうとしてためらって『うちの子』と言ったなと思った。『うちの娘』と言ってしまう勇気はないけど。。。という感じか。
 
「ありがとうございます。一応、こちらで音源の選択や収録曲目を考えて、そちらに提示して、編曲なども仮のものができた段階でそちらにいったんお渡しして確認してもらってから最終的な制作作業に入りたいと思っています」
「ええ、それでいいです」
「ではこの件は秋月に細かいやりとりはさせますので」
「じゃ、データは私に送って下さい。まとまったものならCDにでも焼いて。曲単位くらいならMIDIデータをメールしてくださってもいいですし」
とボクは言った。
 

ゴールデンウィークにボクは政子に誘われて一緒に遊園地に行った。ボクは父との約束でスカートこそ穿かなかったが、姉が「スカートを穿くというのと女装するというのが全く別の事だということが良く分かった」と言うような服装であった。父がムスっとしていたが、母は笑って送り出してくれた。
 
本当は仁恵、琴絵、理桜も誘ったのだが「デートの邪魔はしないよ」などと言われたので、ふたりだけでの遊園地行きとなった。
 
午前中はまだ人が少なかったので、コースターや迷宮系の人気アトラクションに行く。11時半くらいに少し早めのお昼にした。
 
「でも私さ」と政子は切り出した。
「12月のあの騒動はクレージーで、確かにその分で精神的なストレスは受けたんだけどね」
「うん」
「それ以前にやはり9月下旬からのハードスケジュールでの活動で精神的に削られていた気がするんだよね」
「まあ、ほんとにハードスケジュールだったね」
 
「冬は落ち着いたら、また歌手やりたい?」
「まだ迷ってるけど、けっこうやりたい。あれ疲れるけど快感だったもん」
「そっかー。私も迷ってるけど、あまりテンション上がらないんだよね」
「無理することないんじゃない?曲作りを一緒にしようよ」
「うん。詩を書くのは好きだから。でも歌うのはパスかなあ。私、冬みたいに歌うまくないしね」
「マーサはローズ+リリーを始めた頃と12月頃では天地の差があったよ。物凄く歌が上達した」
「そうかなあ・・・・」
 
そんな会話をしていた時、中学生くらいの女の子が3人ほど寄ってきた。
「あのぉ、すみません。もしかしてローズ+リリーさんですか?」
「はい、そうですよ」とボクは笑顔で答えた。
「わあ、握手させてください」
「いいよ」
と言って、ボクたちは3人のそれぞれと握手した。
 
「わあ、ありがとうございます。でも、ケイさんって、ふだんもやはりこういう格好なんですね。それに声もリアルで女の子の声だし」
 
「最近、男の子の声はほとんど使ってないよね」と政子。
「けっこう友だちの間で議論があったんです。あの声は電気的に加工してるのか、生の声なのかって」
 
「ボイスチェンジャーとかは使ったことないよ」
「声変わりしてないんですか?」
「声変わりはしてる。でも実はみんな気付いてないだけで、男性でも女性のような声は出せるし、女性でも男性みたいな声は出せるもんなんだよ。声帯の使い方と喉の筋肉の使い方次第。あと口の開け方や息の使い方でも声質はかなり変わる」とボクは解説する。
 
「へー」
「声ってけっこう習慣の部分が大きいよね」と政子も言う。
「あと鍛えてないと筋肉の衰えで年齢とともに声質が変わっていく。40代や50代でも若い声持ってる人って、あれかなり訓練してるよね」
 
「やっぱり歌い込むことが大事だよね」
と政子は自分で言った後、何かを考えているようだった。
 
しばらく彼女たちと会話していたが、そのうちひとりが
「何か歌ってくれませんか?」
などと言い出す。
 
ボクは「いいよ」と言って、ウェルナーの「野バラ」を歌い出した。
 
「Sah ein Knab' ein Roeslein stehn, Roeslein auf der Heiden,....」
するとボクの歌に合わせて政子がハーモニーになるように歌い出す。
 
「Roeslein, Roeslein, Roeslein rot, Roeslein auf der Heiden」
と歌いきると、3人は喜んでパチパチパチと拍手をしてくれた。
 
「あともし良かったらサインもらえます?」
 
ボクと政子は顔を見合わせる。
「いいよ。書いてあげるよ。レコード会社の人に個別に承認もらえば書いていいことになってるんだけど、あとで連絡しておく」
とボクは笑顔で言った。
「わあ、ありがとうございます」
 
女の子たちの1人がスケッチブックを持っていたので、そこにボクたちは3枚、サインを書いてあげた。
 

「さっき、野バラを歌ってみて、私、自分って結構歌えるじゃんと思った」
と政子はお茶を飲みながら言った。ボクたちは3時すぎに遊園地を出て、電車で東京まで戻り、地下街のイタリアントマトで軽食を取りながら話していた。
 
「うん。マーサはかなりうまくなってるよ。音程が安定してるし、声量も出るしね」
 
「私、もっと歌を練習しようかな。歌手に復帰するかどうかは置いといて」
「たくさん歌い込むといいよ」
「自宅にカラオケ買っちゃおうかな」
「いいんじゃない?今、パソコンで出来る通信カラオケがあるよ」
「あ、それいいな。新曲がどんどん歌えるよね」
「カラオケ屋さんで歌える曲ならたいてい歌えると思う」
 
「声量とか息の長さとかは、やはりジョギングとかすると鍛えられるかな」
「うん。体力も付くし、肺の機能も鍛えられるしね」
「よし。早朝ジョギングしよう」
「お、少しやる気出て来たね」
「うん。1%くらいね」
「ふふふ」
 

お店を出てから駅の方に戻ろうとしたら政子が通路の端の方にボクを引っ張って行き、こんなことを言い出した。
 
「ねえ、ホテル行かない?」
「は?」
「だって、デートで遊園地行って、食事して、次はホテルだよ」
「マーサ、そういうのが好きじゃなかったのでは?」
「彼氏とはしたくないけど、冬とならしたい」
「理解不能!」
「疲れたから休憩するだけだよ。私のこと嫌い?」
「好きだよ」
「じゃ行ってみようよ。そういう所、行ったことないでしょ?」
「うーん」
 
「それにさ。去年のゴールデンウィークに私、とんでもない目に遭ったから、良い思い出で塗り替えたいの」
政子は昨年のゴールデンウィーク、デート中に恋人からレイプされかかったのである。
 
「分かった。行こうか」
そういうことで結局ボクは政子と一緒にファッションホテルに行くことになってしまった。
 
「わーい。こういう所、一度入ってみたかったの」
と言って政子はベッドの上で飛び跳ねてる。
 
「ゲーム機も置いてあるよ。ゲームとかする?」とボクは言うが
「そんなの時間がもったいないよ。今できることをしなきゃ」と政子は答える。
「いいこと言うね」
「シャワー浴びようよ。スッキリするよ」
「そうだね。マーサ先にシャワーする?」
「ううん。冬先に浴びてきて」
「了解」
 
ボクが先にシャワーを浴びてきて、政子と交代する。ボクはバッグの中からコンちゃんを取り出すと枕元に置いた。こういうことをする時のいつものルールだ。基本的にボクたちはセックスはしないのだけど、万一したくなった場合は開封する約束である。ボクたちはこれを「御守り」と称していた。
 
裸になり布団に潜り込んで目を瞑って待つ。あれ?と思う。こういう時、よく考えるといつもボクが先にシャワーを浴びて、政子が後から来るよな。ボクが女役なのかな?などとチラッと思った。
 
浴室のドアが開き、政子の足跡がする。政子はベッドの下から毛布に潜り込んで入ってきて、いきなりボクのお股を舐め始めた。
「ちょっと・・・・」
「今日のタック、いつものと違うね」
「接着剤で留めてみた。最近時々練習してみてる」
「冬がテープで留めてたら剥がすつもりだったのに、これ剥がせないや」
「だって女の子同士でしょ?」
 
「私、今日は男女でもいい気分だったけど、冬が女の子なら今日は女の子同士」
「ボク、男の子としてマーサとHするつもりは無いもん」
「なんで?」
「だってボクたちは女友だちなんだから」
 
「でもこんな所に来たのはさすがに誰にも内緒だよ。内緒だからしちゃってもいいのに。私、ヴァージンは冬にもらって欲しい気分なんだよね」
「ヴァージンは彼氏作って、その彼氏にあげなよ」
「冬がヴァージンもらってくれたら彼氏作る」
「変なの。あ、交替交替。今度はボクが舐めてあげる」
「うん」
 

ボクたちは体を入れ替えて、今度はボクが政子のお股を舐めてあげた。政子の息づかいがゆっくりになっていく。気持ち良くなってるかな?
 
「ね・・・・あそこに指でいいから入れて」
「それはまずいよ」
「指の先ちょっと入れるだけでいいから。処女膜まで届かない程度」
「じゃ、ちょっとだけ」
ボクは恐る恐る指を少しだけ入れる。湿度のある感触にドキドキする。
 
「あ、たぶんその辺り。前の方に押しつける感じで」
「こんな感じ?」
「うん。そんな感じ。。。。ほんとはそれを、おちんちんでしてくれるといいんだけどね」
「ごめんね。ボクおちんちん無いから」
「無いんじゃ仕方ないね。指でして。これからもずっと」
「じゃ、マーサに彼氏ができるまで」
「彼氏ができてからも冬にして欲しい」
「それ、絶対変」
 
ヴァギナの入口のちょっと先を指で刺激しながら、ボクは政子のクリちゃんを舐め続けた。政子がかなり昂揚しているのは分かる。しばらくやっていたら、突然あふれるように液体が流れ出てきた。
「わっ・・・」
「・・・・へへへ。逝っちゃった。こんなの起きたの初めて」と政子。
「えっと、逝く前に気持ち良くなりすぎたら停めるルール」
「ごめん、ごめん、まだ逝かないと思ってたから。でもこれ普通の逝く感覚とは少し違ってたんだもん。あ、ごめん」
 
と言うと政子はベッドの中から手を伸ばして、自分のバッグの中から遊園地で買ったキャラクターのレターセットを取り出し、愛用のボールペンを取り出すと詩を書き始めた。ボクは優しく政子の肩を抱いて、詩作を見守った。
 
「ごめんねー、中断しちゃって」
「ううん。いいんだよ。こちらも結構楽しんだから」
「そう?」
「ボクは政子に奉仕することで気持ち良くなるから」
「冬って割とMだもんね」
「あ、SよりはMだと思う」
 
「でもHの最中に詩を書き始めたら、たいていの男は怒るだろうなあ」
「優しい人はいると思うよ」
「そうかな。そういう彼氏を作りたいな」
 
やがて詩を書き上げる。『エクスタシー』というタイトルが付いている。いいのかなあ?とボクは心の中で苦笑した。
 
「これに曲を付けられる?」
「うん。マーサが書くのを見ながら頭の中でイメージしてた」
 
政子がバッグの中から五線紙を取りだしてくれたので、ボールペンを受け取り音符を書き始める。時々音が分からなくなり、携帯のピアノアプリで確認した。完成して歌ってみせる。
「エロっぽい!いい!」
といって政子はボクにキスした。
 
「ね。本気で私、冬にヴァージンあげたくなった。受け取ってくれない?」
「ボク、おちんちん無いから無理だよ」
「・・・そうか。。。。。冬におちんちんがある時にすれば良かったなあ」
「ごめんね」
ボクは政子にキスをした。舌を入れあってディープキスになった。
 
「そろそろ帰る?」
「そうだね。あまり遅くなってもいけないし。。。。でも私、マジで冬のおちんちんって、しばらく見てない。金沢での一夜が最後だよね。まだ付いてるの?それとも、こっそり取っちゃってたりしない?」
「取っちゃったら、嬉しくて政子に言ってると思う」
「そうだよね! でも取る時はさ」
「うん」
「前もって言って欲しい」
「それは必ず言うよ」
 

ホテルを出て、今度こそ家に帰ろうと道を歩いていた時、ボクは急に気になる言葉を思い出した。
 
「さっきマーサが言ってた言葉が気になって」
「なに?」
「今できることをしなきゃ、って」
「ああ。何をするの?」
「うん。少し考える」
 
連休中、ボクはその後毎日政子の家を訪問し、一緒にまじめに勉強をした。
 
気分転換に一緒にお菓子作りをしたり、また通信カラオケの選定や設定などもしていた。ボクたちが一緒にクッキーやパウンドケーキなど作っていると、政子のお母さんは「ほんとに女の子同士って雰囲気ね」などと言って微笑ましい感じで見ていてくれた。
 

政子と遊園地に行った翌日、まだ連休中ではあったが、ボクは秋月さんに電話した。
 
「今回のアルバムの収録予定曲の中で、一部いろいろ気になっていた曲がありまして」
「はい」
「その編曲をこちらでしたいのですが、いいですか?」
「ええ。でもボーカルは録り直せないですが」
「それに影響が出ないように編曲します」
「ではお願いします」
「じゃ、今から言う曲の、使用予定音源を送ってくれませんか?そのボーカルを活かせる形で編曲しますので。『遙かな夢』『涙の影』『ふたりの愛ランド』
『長い道』『Sweet Memories』・・・」
と言って、ボクは曲名をいくつか挙げた。
 
ベストアルバムの発売日は★★レコードがボクたちのレコードを自由に出せる期限の6月19日より少しだけ前、6月10日(水)となることが決まった。水曜日が発売日の場合、ショップは前日の火曜日から商品を店頭に並べる。メーカーが月曜日に荷を発送すると火曜日にショップに商品が到着して丁度良い。売上の統計は月曜から日曜までが単位なので、このサイクルがランキングの上位を狙うにはいちばん有利である。(月曜日に荷が届くように送ることはできない)そこで、人気歌手のCDは水曜日を発売日に設定されることが多い。★★レコードがボクたちのベストアルバムを水曜に出すと言ったことで、ボクは町添さんが、かなり本気であることを感じた。(実際このアルバムの制作は町添さん自身が陣頭指揮を執り、「制作者」の名前は町添さんになっていた)
 
町添さんが本気っぽいし、政子も何だかやる気を出しているしで、ボクも結構音楽活動への復帰に向けて気合いが入ってきた。ボクは連休中に秋月さんに連絡したように、いくつかの曲で、こちらで編曲譜面を作り、MIDIデータごと秋月さんに送った。実際の制作では一部このボクが作った打ち込みデータの音をそのまま使用したケースもあった。(ボクが直接編曲をしなかった曲の編曲は、基本的にコンサートの時の編曲を流用することにした)
 
このベストアルパム『ローズ+リリーの長い道』は、発売後半月で15万枚を売るヒットとなった。
 
この時、発売日にはボクらのサイン色紙を全国4ヶ所で合計300枚限定で配布した。また、7月にはボクらのメッセージを録音でFMの全国ネット番組で流した。このメッセージの中でボクらは未公開曲『あの街角で』の一節を12秒間だけボクのピアノ演奏でふたりで歌って流した。
 
こうして「ローズ+リリー」の活動は、表面的には6月10日のベスト版発売でいったん終了したにも関わらず、実際には逆にこのアルバム制作の時期を起点にボクたちは再稼働を始めたのである。
 

この頃、ボクは密かに、ベスト版とは別の新たな音源の制作も行っていた。
 
ローズ+リリーを始める直前に、ボクと政子は貸しスタジオを3時間だけ借りて自分たちで作った曲を歌って録音するということをしていた。そのデータは直後にローズ+リリーで忙しくなってしまったため、放置していたのだが、ボクは7月にFM放送でボクたちのメッセージを流した直後から、このデータのミクシング作業に取りかかった。受検勉強と、夏休みに通った自動車学校の講習の合間に作業していたので時間はかかったが、8月末頃には一応の完成を見る。どこにも出しはしないが、ボクと政子の2人だけで聴いてみた。政子も「懐かしい」などと言って楽しそうに聴いていた。
 
このいわば「第1自主制作アルバム」は、高2の7月初旬までに書いた曲を収録したものであるが、ボクと政子はその後もしばしば曲を書いていて、この頃までにはそれがまた溜まってきつつあった。ボクも政子も「またそのうち録音しよう」などと言っていたのだが、受検勉強はどんどん忙しくなってくるし、なかなかその機会が訪れなかった。
 

夏休みの間は、自動車学校通いで明け暮れた感じではあったが、受検勉強のほうもしっかりやっていた。この時期、ボクが自動車学校通いで、なかなか日中家にいないので、政子は「塾でも行ってみようかな」などと言って、週3日のペースで塾に通い始めた。しかし夜中には、昔からやっていたように、携帯をつなぎっぱなしにして、時々会話したりしながら一緒に勉強した。
 
以前はこの時間帯はボクが勉強しながらずっと歌っていたが、この時期は政子がカラオケを掛けて歌っていることが多かった。時々歌い方についてアドバイスを求められたりもした。政子が歌も勉強も腕を上げてきているのを肌に感じて、またボクの方もエンジンをしっかり掛けていった。
 
たまに政子は突然沈黙する。その時は、ああたぶん詩を書いてるなと思ったがたいていそういう時はFAXで詩が送られてくるので、ボクはそれに曲を付けて歌ってあげた。そうやって、受検勉強をしながらも曲がまた出来ていった。
 
2学期に入ると、礼美・仁恵・琴絵なども一緒に毎週土曜日、勉強会をするようになった。ボクたちは着実に成績を上げて行っていた。
 

11月に入ってすぐ、秋月さんから連絡があり、ローズ+リリーがBH音楽賞を受賞することになったと言われた。『甘い蜜/涙の影』が80万枚ほど売れていることを受けたものであった。
 
久しぶりにおそろいのミニスカの衣装(秋月さんがこの授賞式用にわざわざ見繕ってくれていたらしい)を着て、賞状と盾を受け取り、笑顔で写真に収まる。
 
「政子、こういう場に出るの平気になってきたみたい」
と控室に戻ってからボクは言った。
「うん。結構快感だよね」
 
などと言っていたら、一緒に音楽賞を受賞したAYAから声を掛けられた。
「受賞おめでとう」
「そちらも受賞おめでとう」
 
「去年何度か会った時は忙しくてなかなか話せなかったもんね。一度ゆっくり話したいね」
などとAYAがいう。
「ゆみちゃん凄く忙しそう。今日はこれからまた仕事?」とボクは尋ねる。
 
「そうなのよ。5時からFM局に出て、そのあとCDショップ数ヶ所でイベント」
「たいへんそう・・・・そちらは大学には行かないの?」
「うん。行かない。でも私も受検しますって言えば良かったな。少しは休ませてもらえたろうに」
「この仕事って体力使うよね」
「ほんと。でも久しぶりにふたりを見たけど、元気そうで安心したよ」
「ありがとう」
 
「ね?15分くらいだけお茶飲まない?」
とAYAが言うので、ボクたちは手早く着換えて、ふつうの服装に戻ってから、高校の制服?に戻ったAYAと一緒に近くのカフェに入った。
 
「夏にさ、凄く短い秒数だったけど、FMでふたりの生歌を流したじゃん」とAYA。
「うん」
「私、ショックを覚えたのよね」
「ショック?」
「だって、ふたりとも凄くうまくなってるんだもん。ケイちゃんも上達してたけど、マリちゃんの上達が特に凄いと思った」
 
「マリはね。この春からずっとカラオケを自宅に入れて勉強しながらひたすら歌ってるし、体力と肺活量付けるのに毎朝ジョギングしてるんだよ」
政子がそのカラオケを最近あまりやってない風なのは知っていたが、ボクは敢えてその点には触れなかった。
 
「凄い!」とAYAは本当に感激している様子。
「私さあ、音楽活動を休養しているふたりがこれだけ実力を付けてきているなら、こちらも負けられないなと思って、最近あらためて歌のレッスンに通ってるのよね」
 
「7月に出た『束の間の恋』と先週出た『赤い時間』との間に明らかな歌唱力の差があるとボクも思ってた。ゆみちゃんも頑張ってるから、ボクも頑張らなきゃと思ったよ」
「わあ、聴いてくれてるんだ」
「AYAのCDは全部持ってる。**堂の限定版も★★レコードの人に頼んで1枚ゲットした」
「すごーい。って私もローズ+リリーのCDは全部持ってるけどね」
「ありがとう」
 
「私たちっていいライバルなのかもね。でもふたりの歌をもう少し長い秒数聴きたいなあ。最近の音源とか無いよね?」
「うん。さすがに受検勉強が忙しくて」
「ああ、今日時間があったらカラオケにでも誘いたい所なのに」
 
AYAはとても残念がっていた。
 

AYAが放送局に行かなきゃと言って出て行った後、ボクと政子はまだしばらく話し込んでいた。
 
「AYAちゃんからは、私の歌うまくなったと言われたけど、私まだまだ下手だと思うなあ」と政子。
「最近、どちらかというと前よりずっと下手になっちゃった気がしてさ。それで少しカラオケ休んでるのよね」
 
「それはね・・・多分、マーサの耳が肥えて来たんだよ」
「へ?」
「以前は自分の歌が下手であることに気付いてなかった」
「やっぱり下手なのか!」
「それは以前の話だよ。でもマーサはたくさん歌の練習して、どういうのがうまい歌かというのが分かってきた。だから自分の歌がその理想値に比べて低いから自信を失っちゃったんだよ」
 
「あぁ・・・・」
「こういうので、人はけっこうスランプに陥るんだよね。これ歌だけじゃなくて学校の勉強でもそうだけどさ」
「確かに」
 
「だから、自信喪失したというのは、実はマーサが実力を付けてきた証拠なの」
「ちょっと待って。私、言いくるめられないからね」
「ふふふ」
 
「ああ、でもちょっとカラオケ屋さんにでも行ってみようかな」
「うん。行こうよ。1時間くらいならいいよね」
 

そういう流れで、ボクと政子は近所のシダックスに行き、1時間部屋を借りた。
 
「最初はやはりこれから行こう」
などと言ってボクは『ふたりの愛ランド』をセットする。
 
「ああ・・・この曲は体が覚えてる」
などと言って政子は歌い始めた。ボクたちはこの曲はほんとに何百回歌ったか分からない。
 
その後、ローズ+リリーで歌った曲がほとんどカラオケに登録されているので、そういう曲をひたすら歌いまくった。歌っている内に明らかに政子の表情が良くなっていくのを感じた。
 
かなり歌いまくっていた時、ドアをトントンとする音。あれ?時間かな?と思ってドアの所に行くと、ひじょうに懐かしい顔があった。
 
「吉住先生!どうぞ、お入り下さい」
 
それはローズ+リリーが生まれるきっかけを作ったリリーフラワーズの後見人、吉住尚人さんであった。若い頃はフォーク歌手として人気のあった人であるが、もう20年ほどステージから遠ざかり、今はもっぱら作曲家として活動している。その日は中学生くらいの女の子2人を連れている。
 
「いや、この子たち今僕が指導しててね。いづれデビューさせるつもりなんだけど。仮のユニット名は『ベビーブレス』というのだけど」
「かすみ草ですか?」
「よく知ってるね!」
「私たち英文科志望ですから」
「おお、そうなんだ」
 
リリーフラワーズの失踪で迷惑掛けたといって、吉住先生は△△社にも、私たちにも、当時はひどく恐縮して謝罪していた。そしてリリーフラワーズが歌っていた曲はローズ+リリーも自由に歌ってもらっていいですと言われ、私たちはコンサートでしばしば彼女たちの『七色テントウ虫』を歌っていた。
 
「レッスンの息抜きにカラオケでもと言って来たんだけど、チラッとマリちゃんの顔が見えたもんだから」
 
「歌のレッスンの息抜きで歌を歌いに来るって、凄いですね」と政子は言うが、
「囲碁の趙治勲とかは、タイトル戦の休憩時間にネット碁をやるらしいよ」
などと吉住先生は言っている。
 
先生が久しぶりにローズ+リリーの歌を聴きたいなどというので、ボクたちはカラオケで『涙の影』を呼び出し、それに合わせて歌った。
 
「凄いな。CDの歌に比べて遙かに進化したね」
「ありがとうございます」
 
「ふたりとも物凄くうまくなってる。ケイちゃんは昔から巧かったけど、表現力が身についてきたね。音程通り歌うだけじゃなくて、凄く情感が籠もっていて、聴いている側に歌の世界がダイレクトに伝わってくる感じ。マリちゃんも最初の頃に比べてこの曲のCDが出た頃は、かなりうまくなったと思ってたけど、その時点から更に巧くなった。とにかく音程とリズムが凄く正確になってる。昔は一応ケイちゃんとのハーモニーにはなってても、微妙に正しい音程とリズムからずれていることもあったんだけど、今はほとんどずれてない。だからふたりのハーモニーが凄くきれいになったね」
 
「そんなに褒められていいのかなあ・・・」
と政子はまだ少し戸惑っているようである。
 
「先生、私もマリの歌は褒めてるんですが、本人それを信じてないみたいで。逆に今のマリの歌をさらに良くしていくには何を頑張ればいいと思いますか?」
 
「そうだね。音の立ち上がりの精度かな」
「ああ、確かに」とボクは言った。
「どういうこと?」と政子。
 
「マリちゃんの歌のひとつひとつの音がね。音の本体は正確な音程なんだけど、音の立ち上がり部分で微妙に音程がぶれてるんだよね。それは多分、マリちゃんが自分でその音に自信を持ってないからだと思う。恐る恐る出してからそのあとケイちゃんの音を聴いてそれとハモるように調整している。たくさん歌い込んでもっと自信を付ければ、次第にそのぶれが無くなると思う」
「やっばり、私の歌ってまだ下手ですよね」
「うん。下手。だから、頑張って練習しよう」と吉住先生。
 
「分かりました!最近みんな私の歌を褒めるから、よけい不安だったんだけど下手と分かれば練習します」
「頑張れ頑張れ」と先生は政子を励ました。
 

音楽賞を受賞した翌週の連休、ボクたちは秋月さんと一緒に沖縄に向かった。
 
沖縄にいるローズ+リリーのファンで、難病と闘っている女子高生がいた。彼女が「一度でいいからローズ+リリーのふたりに会えないかなあ」などと言っていたのを聞いた友人が、ボクらに手紙を書いてきた。それがプロダクションの人の目に留まり連絡があったので、ボクたちは受検で忙しい時期ではあったが、彼女に会いに行くことにしたのである。ボクたちの営業窓口を代行している秋月さんが付き添ってくれた。
 
病室で握手してサインして、お話しして、『甘い蜜』を歌った。彼女は感動していたが、この触れ合いが逆にボクたちにも励みになった。マリは彼女の前で「また歌う」と言ってしまって、その自分のことばを契機としてやる気を出して来た感じであった。
 
病院を出たあと、一緒に付いてきてくれた秋月さんに連れられて沖縄の放送局を訪れ、ボクたちは放送を聴いてくれているファンへメッセージを出し、また生歌を披露した。それはまた政子のやる気を刺激した。
 

放送局を出たあと、ボクたち3人は晩御飯でも食べに行きましょうといってタクシーで移動していたのだが、途中で政子が
「あ、ここで停めて」
と言ったので3人でタクシーを降りた。政子が何かに導かれるようにして歩いて海岸に出て、やがて立ち止まった。
 
「ここ、何か気持ちいい」とボクは言った。
 
「ちょっとあそこの高速道路が邪魔だけどね」
と政子は言ったが、そのままじっと海を見つめている。
 
水鳥がバタバタッと羽音を立てて飛び立っていく。ボクは何気なくその行方を目で追った。
 
「なんだかまだ泳げそうな気がする」と政子。
「海の中にいる限りは大丈夫だろうけど、水から上がるとさすがに寒いだろうね」
とボクは答えた。
 
「私こないだまでは、このままフェイドアウトしちゃおうかなとも思ってたんだけど、私たちを待ってくれてるファンがいるんだね」と政子は言う。
「いっぱいいるよ」と秋月さん。
「全国に何万人ってファンが君たちの復帰を待ってる」
 
「いまだにファンレター来るもんね。活動休止からもうすぐ1年なのに」
とボクは言った。
「私、申し訳無い。読む時間がなくて積み上げてる」と政子。
「受検が終わってからゆっくり読ませてもらおうよ。ノータブルなものは今回みたいに秋月さんがチェックして教えてくれるだろうし」
「そうだね」
 
「ファンだけじゃないよ。先週ちょっと話したAYAみたいに、ボクたちを良きライバルと思っている歌手も、ボクたちがまた歌うのを待っている」
「うん。先週それは思った」と政子。
 
「ふたりは受験前でそもそも動けない時期だしね。それに契約問題もクリアしないといけないけどさ」と秋月さんは言う。
「多分、今の君たちにしかできないこともあるよ。1年後にはできないこと。今しておかなければならないことね」
 
「そうですね・・・・・」
 
ボクたちはそのまま海岸を歩きながら話していたが、やがて少し疲れてきたので海岸から離れ、大通りの方へ行く。途中あった大衆食堂に入り、ゴーヤチャンプルとジューシーを食べた。
 
私たちがゴーヤチャンプルを3人前と頼むと、お店のおばちゃんは「うちのは量が多いから女性1人で1人前は無理。1つを3人で分け合ったら?」と言ったが、私は「大丈夫です」と微笑んで答えた。
 
実際に来たゴーヤチャンプルの大皿を政子はぺろりと2人前食べ、更に私と秋月さんが分け合って食べていた皿の方からも「少しもらっていい?」などと言って取っていった。お店のおばちゃんが目を丸くしていた。
 

ホテルに戻ってラウンジでお茶を飲んでいたら政子は
「お腹空いてきたな。ケーキ食べない?」
などと言い出した。ボクと秋月さんが絶句していると
「あれ?ふたりともいらないのかな?」
などと言って、チーズケーキを注文して食べながらコーヒーを飲んでいる。
 
「私少し目眩がしてきた」と秋月さん。
「働きすぎじゃないですか?」と政子は言っていたが、ケーキを半分まで食べたところでフォークを置く。
「さすがにお腹いっぱいになった?」と秋月さんは訊いたが、それには答えずおもむろにパッグの中から5mm方眼のレポート用紙と愛用のボールペンを取り出すと、詩を書き始めた。
 
ボクも秋月さんもコーヒーを飲みながら無言でそれを見守った。
政子は10分ほどで「できた」と言ってペンを置いた。タイトルの所には『サーターアンダギー』と書いている。
 
「冬〜。サーターアンダギーが食べたい」
「マーサ、『腹も身のうち』って言葉知ってる?」
「うん。お夜食にする。ね。この詩を沖縄方言で書けないかなあ」
「ちょっとツテをたどってみるよ」と秋月さんは言い、ホテルのフロントでコピーを1枚取って来た。
 
「冬、これに曲付けて。沖縄方言版ができたら、それにも合わせ付けるということで」
「OK」
と言って、ボクは政子から五線紙を受け取ると、曲を書き始めた。政子はその間にチーズケーキの残りをぺろりと平らげた。
 

ホテルの近くの店でサーターアンダギーを買ってから部屋に入ると、ボクたちはまずキスをして抱き合い、たっぷり愛し合った。そんなにたっぷり愛し合ったのは、3月にした時以来だった。そのあと色々な話をして、その中で政子はまた少しずつやる気を回復してきたのだが、ふとこんなことを言い出した。
 
「ね、冬。私たちがこれまで作った歌の楽譜、そのパソコンの中に入ってる?」
「えっとね。いくつか譜面が行方不明で入力できなかったのがあるけど、だいたい8〜9割くらいは入ってると思う」
「私たち、去年の7月に一回、それまでに作った歌を歌って録音したじゃん」
「うん」
「その後で作った歌を、また歌って録音しない?」
「いいけど、受検終わってからにしようよ」
「でもさっき秋月さんから言われたじゃん。今しかできないことあるって」
「うん」
「受検が終わってと言ってたら半年くらい先になっちゃうもん。今の私たちの歌を録っておこうよ」
「たしかにそれは意味があるね」
 
「伴奏データ作るの大変?」
「譜面自体がMIDIデータで入ってるから、このパソコンの中に入ってるものはそのまま鳴らせるよ」
「じゃ、その音を聞きながら歌えば、あとでミキシングできるよね?」
「できるよ」
「じゃ東京に帰ったら1日くらいスタジオ借りて歌いまくろうよ。受検忙しいけど、1日くらいは何とかなるよね」
「そうだね。。。。。あ」
 
ボクはベッドから起き上がると、テープルの上に乗っているチラシ類を見ていった。たしかあったはずだ・・・・
 
「あった!」
「なぁに?」
「24時間営業のカラオケ屋さんのチラシ。今から行ってひととおり歌ってみない?」
「乗った!御飯も食べていいよね?」
「まだ入るんだ。。。。」
「だって、たっぷり運動したじゃん。冬お腹すかない?」
「じゃ政子が頼んだのを少し分けてもらおう」
 
そういってボクたちは服を着ると、深夜のカラオケ屋さんに行き、パソコンに入っているMIDIデータを鳴らしながら、自作の歌を歌いまくった。時々
「あ、ここは少し直したい」
などといって、MIDIの方を修正する。大幅な修正をしたくなったものについては修正の方針をノートに書いておいた。政子も歌詞を少し修正したいと言って、パソコンに文字を打ち込んでいた。
 

翌朝、ボクたちがのんびりと帰り支度をしていたら、秋月さんが昨日出演したFM局の番組のパーソナリティの人が、政子の書いた詩に興味があるといって、よかったら一緒にあれこれしゃべりながら、沖縄方言バージョンを作らないかと電話してきたので、良かったら会ってみません?というので、放送局に出かけた。
 
「これ、なんだか楽しい詩ですね」と女性のパーソナリティさんは言い、
「沖縄のことばで書くと、これはこんな感じになりますね」
と言って、政子の書いた詩のコピーの隣にどんどんことばを書き綴っくれた。政子は微妙なニュアンスを質問する。それで「ああ、それならこちらがいいかも」などという形で、調整をしていった。
 
「だけど昨日はオンエア中だから聞きませんでしたが、ケイさんは今女子高生として学校に通ってるんですか?」とパーソナリティさん。
「そうしろって、私も友だちも煽ってるんですけどね。いまだに学生服着て通ってるんですよ」と政子。
「でも家の中ではいつもスカート穿いてるみたいだし、友だちと会う時もほとんど女の子にしか見えないような服着てるんですよね。今回の旅でもごらんのようにスカート穿いてるし」と政子。
ボクはただ笑っていた。
 
「学校側が女子制服での通学を受け入れてくれないんですか?」
「いえ、学校の先生も女子制服でいいよって言ってるみたいですけどね」
「えっと。例の騒動の時に父と、高校は男子の制服で最後まで通うなんて約束しちゃったもんで」
「そんな約束、再度お父さんと交渉して解除してもらえばいいと思うんだけどなあ」
「ケイさんの心の問題ということなのかな」とパーソナリティさん。
 
「でも男子制服で通ってても、体育は女子と一緒だったね」
「うんまあ」
「トイレは女子トイレしか使ってないし」
「というか男子トイレに入ろうとすると追い出される」
「当然じゃん。春にはレオタード着て新体操やってたし」
「おお!」とパーソナリティさんが喜んでいる。
 
「いやあれは・・・」とボクはさすがに照れた。
 
「いづれ性転換なさるんですよね?」
「ええ、そのつもりです」
「20歳までに性転換しなかったら、私があそこ切り落としてあげます」と政子。
「昨夜は25歳までにとか言ってなかった?」
「日進月歩よ」
 
「おふたりって・・・・やっぱり恋人ですよね? 仲良さがハンパじゃない」
「はい。レスビアンですよ。一応オフレコで」と政子。
「ああ、そう明快に答えていただくと気持ちいいです」
とパーソナリティさんは言った。
 
ボクは取り敢えず笑っておいた。パーソナリティさんは、ボクたちに
『サーターアンダギー』沖縄方言版のイントネーション指導もしてくれた。ボクたちが歌ってみせると「わあ、沖縄っぽい音階」といって喜んでいた。
 

沖縄から戻った翌日の勤労感謝の日、ボクたちは勉強道具を持ってカラオケ屋さんに行き、一緒に歌いながら勉強の方もした。直したい所が出てくればその場で修正してまた歌う。一方で問題集も解きながら分からない所を教え合いしていた。
 
「一緒に『勉強』しない?」と言って誘った仁恵は、ボクたちが歌と勉強を同時進行させているので「あんたたち器用だね」などと言いながら(琴絵はカラオケと聞いてパスと言った)、カラオケ屋さんのフードを食べていたが、時々「その言い回しは変な気がする」などといって歌詞の表現のミスを指摘してくれたり、ここはこう歌いたい気がするなどと言って、ボクが持ち込んでいるポータブルキーボードを自分で弾いてみせたりしてくれた。
 
「仁恵に来てもらって良かった」と政子。
「コトだと寝てるか、変な方向に誘導するかだな」とボクもいう。
「私もまた少しエレクトーンしようかなあ」と仁恵は言っていた。
「指がなまらない程度には弾いてたほうがいいよ。勘を取り戻すのに時間かかるよ」
「なのよねー」
「ただしあくまで受検勉強優先」
「そうなのよね!」
 
ボクたちはその後その週の水曜日にも再度ふたりでカラオケ屋さんに行き、ひとつひとつの曲を歌いながら調整を掛けていった。そしてその週の土曜日都内の貸しスタジオに入って、伴奏音源を聴きながら歌を歌って録音した。ボクが単独で歌ったもの、政子が単独で歌ったもの、を最低2回ずつ録音した。その日3時間で6曲分を収録し、翌日また3時間借りて6曲収録した。ボクはその歌をMIDIのデータと仮ミクシングしてみたが、少し直したい所が出てきた。そこで翌週の土曜日にまた3時間借りて、直した分の録り直しをした。
 
取り敢えず仮ミクシングの状態で政子に聴かせると喜んでいた。これはいわば「第2自主制作アルバム」である。ただしこのアルバムの最終的なミクシングは大学に入った後、5月から7月に掛けての時期に行った。
 
ボクたちはその後も受検勉強の合間に創作を続けていたが、これより後に作った曲は大学1年の夏に須藤さんの制作で仕上げられ『Rose+Lily After 2 years』
として大学2年の夏に発売されることになる。
 

ボクが3度目のスタジオ録音を終えて帰宅し、晩御飯を作っていたら、母が郵便受けをチェックして、郵便物やチラシなどを持って来た。
 
「ああ、クリスマスケーキか。。。このケーキ屋さん、いつもチラシが入ってるところだね」と母。
「○○屋さんでしょ?」
「うん」
「そこ、ボクの中学の陸上部の、先輩のお父さんのお店なんだよ。どれか、お母ちゃんの好きなクリスマスケーキ選んで、注文票に○つけて24日希望でファックスしておいてくれない?お金はボクが出すから」
 
「へー、先輩のお店? それで時々買ってるのね」
「うん。以前は◇◇町にお店があったんだよね。今は◆◆駅前に移転しちゃったんだけど」
「あら、遠くなっちゃったわね」
 
「そうそう。それで以前買いに来てくれていた人がなかなか買いに来れなくなっちゃったからってんで、そのチラシ配り始めたんだよね」
「へー」
「電話かファックスで送れば配達してくれる。実は携帯からメールというのもできる。おそば屋さんとかピザ屋さんとかは出前が確立してるけど、ケーキの出前って珍しいでしょ」
「うんうん」
 
「このチラシはそういう訳で移転前のお客さんに配慮して始めたものだから以前のお店のあった場所から2km以内に配ってるんだよね。チラシはお店にも置いてるから、お店から持ってって注文してくれる人もあるんだけど。あと総額で1000円以上なら宅配の対象で、人数あればコーヒーとかだけでも注文できるから、意外にオフィス関係の需要もある」
「でも配達もたいへんだよね」
 
「配達はその陸上部の人脈でバイトしてる。ボクもやったことあるよ」
「へー。そうなんだ」
「元々この近くに住んでるからね。みんな」
「あ、そうだよね!」
 
「駅前の商店街は人通りも多いけど競争も激しいからね。商店街の中にこのケーキ屋さん以外にもケーキ屋さん2つ、和菓子屋さん2つあるし。更には大手チェーンのドーナツ屋さんとパン屋さんもあるからね。結果的にはこのチラシ宅配の分が、お店の売り上げの3割を占めていて、純粋にサービスで始めたのに、それがお店を支えてるんだよね」
「ニーズのあることをすれば商売になるものなのよ」
「うんうん」
 
「ところで、あんたその宅配のバイトした時って、男の子の格好でしたの?」
「まさか」
「じゃ、女の子の格好でしたの?」
「うん」
「まあ、あんたなら誰も女の子としか思わないでしょうね」
「ふふ」
 
「高校卒業したら、やっぱり歌手に復帰するの?」
「そのつもり」
「女の子の格好で歌うんだよね?」
「うん。高校卒業したら、もう完全に女の子の生活にしちゃうつもり」
 
「なんか既にもうほとんど女の子の生活になってる気もするけど。。。。。。ね、もしかして、あんた、大学の試験も女の子の格好で受けに行くつもり?」
「もちろん」
「でもさ、受験票が男の子で実物が女の子だったら、試験会場で面倒なことにならない?」
「うん。高校入試の時も『受験生のお姉さん?』なんて訊かれたからね」
「・・・・あんた、高校入試も女の子の格好で受けたの?」
「あ、えっと、まあ、いいじゃん」
「呆れた」
 
「ということは、受験票がそもそも『唐本冬子・女』になってればいいのかな?ひょっとして。どうせボク写真は女の子だし」
「えー!?」
 
そんなことができるのかどうか、ボクはあちこち調べたものの分からなかったので翌週直接受検する予定の大学に問い合わせてみた。すると3日後に会って話したいという返事が来たので、ボクは「女子高生風の服」を着て、学生部の人に会ってきた。その結果、ボクは本当に『唐本冬子・女』で受検できることになり、合格後はその名前・性別・写真で学生証も発行してもらったのである。
 

12月19日の土曜日の夕方、うちの地域の高校のコーラス部が集まってクリスマスコンサートをした。ボクはソプラノで歌うので、政子から女子制服を借りてこのコンサートに出演し、遅くなったので、その日はそのまま帰宅して、翌日政子のところに返しに行くことにした。
 
コンサートの日に帰宅した時、ちょうど玄関のところで会社から戻って来た父と遭遇。父は驚いたようであったが
「お前、女子制服が様になってるんだな」
などと言われた。
 
翌日はふつうの?服に着替えて朝から政子の家に出かけた。その日はセンター試験を目前にして最後の模試が行われるので、ボクは政子の家に寄ってから、一緒に模試会場に行くつもりだった。
 
「おはようございます」
と挨拶して政子の家に入る。
「おはよう。いらっしゃーい」
と言うお母さんともすっかり顔なじみである。
 
ボクは朝御飯を(家族分作って)食べてから出て来たのであるが、政子は今朝食を取ろうとしていたところであった。良かったら食べてなどと言われるので、少し頂いた。
 
「最近ご飯はお母さんが作られることが多いんですか?」
「ええそうなのよ。政子受検が忙しいからお母さん作ってなんて言うし」
「確かに勉強はしっかりやってますよね。もうこの2学期以降はだいたい合格圏内で安定しているし」
「まあ、この子もよく頑張ったとは思うわ。ひとり暮らししていた2年生の時だって、歌手やりながらでも成績上げてたんだから、偉いといえば偉い」
「私天才だもん」
などと政子は言う。
 
「冬は御飯、今の時期でも自分で作ってるの?」
「最近、姉ちゃんが帰り遅いこと多くて。実質ボクとお母ちゃんとの2人で交替で作ってる」
「受検も忙しいのに冬は凄いなあ。私、大学に入ったら晩御飯は冬の所に食べさせてもらいに行こう」
「大学は実家から通うの?」と政子の母。
 
「アパートか何か借りるつもりです。政子さんはもうやらないかも知れないけどその場合、ひとりででも歌手に復帰するつもりなので、どうしても不規則な生活になるから、実家では家族に迷惑掛けると思うし」
「だったら、冬がうちに下宿する? 私歌手はしないかも知れないけど、冬が作る曲の歌詞は私が書くからね」
「それは当然あてにしてる。それに、ここは中央線沿線だから、うちよりは都心に出やすいけどね」
 
「いつでも歓迎だよ。大学に入ったら、お母ちゃんタイに戻ると言ってるし。冬がいたら寂しくないから」
「寂しいとかいうことより、御飯の確保だね。それ」
「もちろん。それが目的に決まってるじゃん」
「あらあら」
 
「私、冬をお嫁さんに欲しいなあ」と政子が言うと
「冬ちゃんの方がお嫁さんなんだ!」とお母さんは目を丸くした。
「うん。冬に赤ちゃんができたら、私がきっと父親」などと政子は言っている。
「冬ちゃん、妊娠するの?」
「子宮無しでどうやって妊娠するのか、政子さんに訊きたいです」
「冬だったら何とかするよ」
 

やがて着換えて出かけることにする。政子はボクが返した制服を身につけた。ボクと政子は洗濯などしなくてもお互いが着た服をそのまま着るのは平気である。
 
政子が着換えたので、さあ出かけようと言ったら、政子が「冬も着替えなよ」
と言った。
「え?」
「昨日着て来た服があるじゃん」
「えっと・・・」
「その服で受けるより、こちらの服で受けた方が高い点数出るよ」
「うん」
 
実はボクは昨日クリスマスコンサートに出るのに、母からスカート外出の許可をもらったのをいいことに、自宅で「女子高生風の服」に着換えて政子の家まで行き、そこで政子から女子制服を借りて、それを着て会場に行った。そういう訳で「女子高生風の服」が、政子の家に置いたままだったのである。
 
「そうだねー。着換えちゃおう」
ボクは政子からその服を受け取ると、さっと着換えてしまった。
 
「あら、似合ってるわね」とお母さんが言う。昨日来た時はちょうどお買い物に行っていたので、政子のお母さんがボクのこの服を着た所を見るのは初めてである。
 
そういう訳で、ボクは女子高生風の服、政子は学校の制服、という状態で一緒に家を出て、模試の会場に向かった。
 
今回はボクは模試の申し込みをふつうに学校を通して出していたので、同じクラスの生徒と一緒である。ボクが受検する教室に政子と一緒に入ってくると、先に教室に入っていた仁恵が「わあ、冬が本気モードだ」などと言って喜んでいる。
 
「本気モードって?」と言って寄ってきた正望が仁恵に尋ねた。正望はボクのこういう姿を見るのはたぶん初めてだ。
 
「冬はさ、模試の成績で時々突発的にいい点数を取ることがあるでしょ。それって女の子の服を着て受検した時なんだよね」
と仁恵が解説した。
 
「だいたいこういう服で受検する時は、わざと申込書をみんなと別に出してひとりだけ別の教室で受けてたんだけどね、今日は最後の模試だし、みんなにお披露目」
と私が言うと正望が
「へー。でもやはり、こういう服を着ている方が、唐本さんは自然だよ」
などと言っていた。
 
「ふだんが男装状態だよね」
と近くの席にいた松山君も言った。
「男の唐本も女の唐本も、それぞれありだと思うけど、まあ女の唐本も可愛いな」
などと佐野君は言っている。
 
「でもさあ、そういう服を着て来れるんだったら、うちの女子制服買って学校にもそれで来たら?」と理桜。
「私もしょっちゅう言ってるんだけどね」と政子。
「うーん。。。。」
 
やがて試験が始まる。うん、感触が違う、とボクは思った。男子制服を着ている時に感じる変な圧迫のようなものがなく自然に頭が動く。やはり自分は基本的に女なんだろうなというのを感じるとともに、男としての自分に強いコンプレックスがあるんだろうなというのも感じた。10月の模試でも、ボクは中性的な服装で来たのだが、中性的な服装をしている時も微妙なわだかまりが残る。もっと女の子っぽい服を着たいという気持ちがあるのに、それを実行できない自分に対して不満がある。でも今日のような服装をしている時は自分が100%自分であるような気持ちになれた。
 
小学生の頃に揺れ出した自分の性別問題・・・それが自分にとってのゴールに辿り着きつつあることをボクは意識し始めていた。
 
そしてまた同時にボクは自分が目指している音楽家という仕事では、自分の性別が、会社勤めのような仕事に比べて、あまり障害にならないことに気付いていた。(発声ではホントに苦労したけど)
 
自分の性別問題について悩み始めた頃から、ボクは自分の将来像を描くことができなくなってしまった。しかし、音楽の世界では他の世界に比べると、性別はあまり問題にされない。あまりにもとんでもない人たちが多いから、ボクみたいなのも個性のひとつとされてしまっている気がする。音楽家というのは自分の天職なのかも知れないとボクは思い始めていた。
 
そして同時に、自分にとって政子というのがとても重要なパートナーであることも強く認識していた。
 
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【夏の日の想い出・再稼働の日々】(1)