【女装太閤記】(1)

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ヒロは物心付いた頃から女の着物を着るのが好きだった。そんなヒロを嫌った父・竹阿弥(ちくあみ)はヒロが女の服を着ているのを見ると殴った。それでヒロは自分はこの家にはいられないと思い、10歳の年に家を出た。
 
行き倒れし掛かっていた所を西方へいく行商人の夫婦に助けられる。夫婦はヒロを娘と思い「女の一人旅は危ないから自分たちと一緒に行かないか」と誘った。それでふたりに付き添い、京から浪速、更に備前まで行き、そこから山を越えて因幡に出て、更に出雲まで行った。
 
途中、ヒロは持ち前の笑顔で「看板娘」的な役割を果たした。商品はよく売れた。行商人夫婦はヒロに、更に博多・長崎まで行くつもりだと言ったが、ヒロはこの出雲の親戚の所にしばらく身を寄せると言ったので、たくさん御礼を渡して旅立って行った。
 
もっともヒロは別に出雲に親戚などいなかった。鍛冶に興味があったので、その弟子になりたいと思っていたのである。飛び込みで弟子にしてくれと言ったものの門前払いを食う。しかし何度も何度も頼み込むと、鍛冶屋の親方は折れて、「女なら食事の仕度くらいできるかな?」と言って、下働きに雇ってくれた。
 
しかしヒロがとても頭の良い子であることに気付いた親方は、少しずつ鍛冶場の仕事もやらせてみた。するとどんどん覚えていくので、お前もう少し大きくなったら、うちの息子の嫁にならんか、などとも言ったりするようになった。この時期、ヒロもそういうのもいいかも知れないなぁという気もしていた。
 

この時期、ヒロはよく川でドジョウを取ってきて、晩御飯の材料にしていた。
 
ある日、ヒロがドジョウ取りをしていたら、一人の若侍が通りかかった。
「娘子よ、お金は出すから、そのドジョウ1匹分けてはくれんか?」
 
しかしヒロはその侍が背にしょっている鉄の筒のようなものに興味を持った。
「お侍さん、その背中の筒みたいなものは何ですか?」
「これか? これは鉄砲というものだ。数年前に南蛮より渡来した凄い武器だぞ」
「それで、たくさん人を斬れるの?」
 
「ぶっそうなことを言う娘子だなあ。これは斬るんじゃない。撃つんだ」
「うつ??」
 
「やってみせようか?」
「やって、やって。ドジョウくらい御馳走するよ」
 
「よし」
と言うと、若侍は鉄砲に何やら詰め、川の向こうの方に向けると紐のようなものに火を点けた。その紐が燃えていくとやがて「ドン!」という大きな音がして、川向こうの石が砕けた。
 
ヒロは腰を抜かしてひっくり返った。
「大丈夫か?」
「はい。大丈夫です。それ凄い! そんなの持ってたら、戦は連戦連勝」
 
「そうなるといいんだけどねぇ。こいつにはとんでもない欠点があるんだよ」
「欠点?」
 
「これ一回撃つと、その後筒を掃除して、また弾を詰め直してから火を点けないといけない。それをやってる間に相手から斬られてしまう」
「うーん。それは大問題ですね。でも何か手がありそうな気もする」
 
「あ、そうそう。私は明智十兵衛と申す」
「私はヒロです」
「君、可愛いけど、ただ可愛いだけじゃない。何か強い意志のようなものを持ってるね。君が男だったら、天下を取ったかも知れないなあ」
と十兵衛は言った。
 
ヒロは十兵衛を鍛冶場に案内し、職人さんたちと一緒にドジョウ料理を勧めた。鍛冶場の親方も、十兵衛が持つ鉄砲に興味を持ち、見せてもらっていた。
 
「これは底をネジで留めてある」
「そのネジの切り方が普通と逆だと言ってました」
「ホントだ!」
「初期の頃は、ここを熔接していたのですが、それだと発射の衝撃に耐えられないのです」
「そんなにこの弾の威力は凄いのか!?」
 
十兵衛は職人たちの前でも鉄砲を1発発射して見せ、みんなその威力に驚いていた。
 
「お侍さん、この鉄砲は絶対に時代を変える」
「ですよね。私もそんな気はしているのです」
 
「ところでふと思ったのだが、十兵衛殿とヒロは顔立ちが似てないか?」
「あ、それは俺も思った」
「まるで父と娘みたいな感じ」
 
すると十兵衛は言った。
「せめて兄と妹ってことにしてくださいよぉ」
 

それから数年後。ヒロは出雲から旅立った。
 
鍛冶場が戦乱に巻き込まれて破壊されてしまい、跡取りの息子も流れ矢に当たって亡くなってしまった。親方は意気消沈して、鍛冶場の再建もしないと言った。
 
それでヒロは新しい世界を見つけようと、旅立つことにしたのである。この時、ヒロが考えていたのは、近い内に戦乱の天下を統一する大名が出るのではないかということだった。その候補として考えていたのが、越後の長尾景虎(後の上杉謙信)、甲斐の武田晴信(後の信玄)、そして駿河の今川義元であった。ヒロはその中の誰かの傍で仕えることができないかと思っていた。
 
女の一人旅は危ないからと言って、この機会に堺に出ようという、兄弟子夫婦と一緒に堺まで行った。この堺でヒロは鉄砲に関する情報を少し仕入れるとともに、各大名の情勢なども収集した。そして、越後・甲斐・駿河の内のどこに行こうかと思っていた時、駿河の国まで行商に行くという老商人夫婦がいたので、その人たちに付いて、ヒロは駿河に行った。
 
駿河でその老夫婦が松下加兵衛という人の所に行った時、加兵衛の奥方が、
「その娘さん、凄く聡明な顔をしている」
と言って、それがきっかけで、ヒロは松下加兵衛に召し抱えられることになった。
 
松下加兵衛は、今川義元の家臣・飯尾乗連の家臣で頭陀寺城主であった。
 

ヒロは加兵衛の奥方付きの腰元となった。奥方はヒロが聡明なことに気付き、論語や孫子などの学問を教えるとともに、当時は女でも最低限のたしなみとして教えられていた武術も習わせる。
 
「ヒロちゃん、強い!」
と女性の指南役の人が音を上げたので、ヒロは途中から男性の指南役に剣や槍を習うようになった。
 
「このくらい強かったら、お前戦(いくさ)にも行ける」
と指南役は言った。
 
「今度の戦に行かせてもらえませんか?」
「戦場は地獄だぞ。お前、人を斬れるか?」
「斬ります」
「だったら連れて行こう」
 

当時は結構女性の侍というのも居たのである。当時ヒロが憧れていたのは何と言っても「越後の龍」こと長尾景虎(後の上杉謙信)である。女性の身で居並ぶ男性親族たちを抑えて越後を統一。関東管領上杉憲政を保護下に置き、その縁で関東にも睨みを利かせているが、やがて京にも上って来て、北条政子以来の『女将軍』になるのではないかと見る人も多かった。佐渡の金山開発を積極的に進め、資金源も豊富だった。
 
やがて戦の時が来る。松下家中には他にも2人、刀を持って戦場に出る腰元がいたので、その2人ハル・ヤヤと一緒に、40代の男性足軽木下杢兵衛にガードされて戦場に出た。
 
鬨の声が上がり、戦闘が始まる。弓矢の応酬があり、近くで数人の味方も倒れる。「竹束の後ろから出るな」と杢兵衛がヒロたちに叫ぶ。自分が支えている防御用の竹束にも矢が刺さるのを音と衝撃で感じる。ヒロは武者震いをしていた。
 
ちょっとしたきっかけから白兵戦に移行した。松下の足軽はみな白いタスキをしている。目の前に赤いタスキをした足軽が来た。いきなり斬りかかってくる。ヒロはさっと身をかわし、そのかわし際に相手の腹を横に斬る。重い衝撃が刀に来る。
 
振り返るとその足軽が倒れている。今自分は人を殺したんだ、というのが我ながらちょっとショックだった。
 
「油断するな!」
という声が掛かる。目の前に大きく刀を振り上げた足軽がいたが、それを杢兵衛が倒した。
「済みません」
「絶対気を抜くな」
「はい」
 
近くでハルが苦戦していた。杢兵衛と共にそちらに行き、その相手の足軽を杢兵衛が後ろから斬る。するとその足軽は必死の形相でこちらに突進して来た。ヒロは冷静にその相手を斬り倒した。
「少しは度胸が付いたか?」と杢兵衛。
「はい」とヒロ。
「大丈夫か?」と杢兵衛はハルにも声を掛ける。
「ありがとうございます。大丈夫です」
 
ヤヤも含めて4人で出来るだけ離れないようにしながら白兵戦を戦い抜く。ハルが1人、ヤヤも2人、ヒロは4人、その後敵を斬った。
 
戦いは30分ほどで決着。こちらの勝利であった。
 

松下加兵衛の家に3年仕え、その間に4度の戦に参加。ヒロはたくさん人も斬った。お前は男並みだと言われ、苗字を名乗って良いと言われたので、ヒロはいつもお世話になっている木下杢兵衛の苗字を頂き、木下弘(きのしたひろし)と名乗ることにした。普段、腰元として暮らしている時はヒロで、戦場に出る時は木下弘となるのである。
 
ある時、加兵衛がヒロを呼んで告げた。
 
「ヒロよ。お前は非常に類い希な才能を持っている。その才能をもっと伸ばす道を選ぶつもりはないか?」
「と言いますと」
「今川は守護大名の家柄。こういう古い体制の所では女のお前の才能は活かされない。いっそもっと新興の物事にとらわれない家に行って仕えた方が良い」
 
「えっと・・・私、クビですか?」
「私もできたらお前をずっと召し抱えておきたいし、家老に取り立てたいくらいだが、今川の家中では厳しい。尾張に織田信長という若造がいる。かなりの問題児だが、こいつがなんと美濃の斎藤道三の娘を嫁にもらっている。つまり道三に見込まれた男だ。私は信長はきっと何かしでかすと思う。お前、織田の家臣になってみないか?」
 
「えっと・・・私、間者ですか?」
「そのつもりは無い。向こうの様子をこちらに漏らしたりする必要は無い。まあ、今川から織田家には既に数人間者が入っているがな。むしろお前は忠実な織田の家臣になれ。あの織田にお前のような優秀な頭脳が入ると、とんでもない奴になりそうな気がする」
 
「それでは私はいつか松下様と敵になるかも知れませんよ」
「それはこの戦国では仕方の無いことよ」
 

それでヒロは松下の元を辞して尾張に行った。松下から教えられたツテを頼り、信長の小人頭・一若という人に紹介してもらい、馬番として取り立てられた。松下家中では、松下自身が今川の直臣ではなく、今川の家臣の家臣という立場であっただけに、ヒロは一度も今川義元の顔を見ていない。しかし織田家では、馬番に取り立てられたその日に、信長に紹介された。
 
「ふん、猿みたいな奴だな」
と信長は言った。
 
ひっどーい! 猿〜!?
 
とヒロは思ったが、そのストレートな言い方で何となく信長という人を好きになった。
 
「名前は何と言った?」
「木下弘(きのしたひろし)で御座います」
「ん?きのしたひよしか? 日吉神社のお使いは猿だから、丁度いいな。よし、馬を出せ」
「はい」
 
ヒロが馬を出すと、その馬は何だか嬉しそうにヒヒーンと鳴いた。その様子を見て、信長は
「お前が扱うと馬の調子が良いようだな。励んで仕事しろ」
「はい、ありがとうございます」
 
それで信長は馬で駆け出して行った。
 
「殿様『ひよし』と聞き違ったみたい」
とヒロが言うと、一若は
「お前、殿様に気に入られたようだな。殿様がそう聞いたんだから、お前『ひよし』という名前にしろ」
と言う。
 
「それもいいですね〜」
ということで、ヒロは《木下日吉》と名乗ることにした。
 

日吉が馬番になってから数ヶ月経った時。それは真冬の深夜であった。
 
「殿がお立ちになるぞ」という声がした。日吉は急いで馬小屋に行き、信長の愛馬に鞍を付け、引いて来る。ところが草履取りが居ない。
 
慌てて起こしに行くと
「こんな夜中に殿がお立ちになる訳無い。お前聞き違いじゃないか?」
などと言って寝てしまう。
 
確かに自分の聞き違いかも知れないが、もし本当にお立ちになるのであれば草履取りが居なかったら信長は激怒するだろう。怒って草履取りを斬り捨てるかも知れない。
 
日吉は仕方無いので、自分で玄関に行き、信長の草履を準備した。
 
奥の方で何やら音がする。やはり殿はお立ちになるんだ。そう思って外に降る雪を見つめていた。こんな寒い日に殿は何をなさるのだろう。手も冷たいし、足も冷えるよなあ・・・・と思っていた時、突然日吉は冷たい草履を履いたら殿が可哀想、と思ってしまった。
 
それで信長の草履を自分の胸の中に入れて暖めた。
 
それから15分ほどして、信長が玄関に出てきた。日吉は服の中から草履を取りだし、きちんと揃えて置く。
 
本来なら馬を引いているはずの日吉が玄関にいるので、信長は
「猿、お前、いつ草履取りになったのだ?」
と訊く。
 
「恐れ入ります。草履取りの**から、ちょっと見習いしてみろと言われまして。あ、お馬はそこにつないでおります。ただいま連れて参ります」
「ふん、まあ良い」
 
と言って信長は草履に足を入れたが、突然その信長の顔が曇る。
 
「猿、お主、この草履の上に腰を降ろしていたであろう?草履が暖かいぞ」
 
日吉はぴっくりして弁解する。
 
「めっそうも御座いません。私はこんな寒い夜に冷たい草履のままでは殿のお御足が冷えると思い、私の胸の中に入れて暖めていたのでございます」
 
と言って、服の胸をはだけて見せた。そこには草履の泥が付着している。
 
「ほほぉ」
と信長は言ったまま、馬に乗ると駆け出して行った。
 
翌日、信長から日吉を草履取りに任命するというお達しがあった。
 

松下家中では腰元として仕えていたヒロであったが、織田家中では取り敢えず男の振りをしていた。それはこの時期、ヒロ自身も悲しかった出来事として、声変わりが来てしまったからである。何とか女のような声が出ないかと密かにかなりの練習はしていたものの、まだそれは不十分であったので、当時の声では女を装うことができなかったという問題があった。馬番にしても草履取りにしても、あまり性別を問われない仕事だったので、そのあたりを曖昧にしていた。
 
この時期、尾張国は名目上の守護は斯波義統であったが、実際には織田信友の支配下にあり、信長はその信友の奉行の一人に過ぎなかったものの、着実に尾張領内での勢力を伸ばしていた。その勢力拡大を恐れた信友は、信長の弟の信行を支持して、これに代えようとする。
 
その企みを斯波義統が聞いて信長に通報したため、信友が怒って義統を殺害する。すると、信長は「主君殺しの大罪人」として信友を倒した。そうして、まんまと信長は尾張の支配権を手中にする。戦いに名目というのは大事なのである。もっとも、これで尾張が収まった訳ではなく、改めて弟の信行を支持する勢力は手強く、両者の戦いは数年続いた後、信長は病気と称して信行を城に呼んだ所を謀殺するという手段に出た。更には元の斯波家を支持する勢力との戦いも続き、信長が尾張を完全に統一したのはヒロが織田家に仕えてから5年も経った頃であった。
 
その時期、戦いに戦いが続くので、足軽だけでなく、本来は非戦闘員であるはずのヒロたち小人も戦いに動員される。これはヒロにとってはむしろ好都合であった。ヒロは松下家中にいた頃に鍛えた剣術と実戦経験で活躍し、やがて正式に足軽に取り立ててもらった。
 

日吉がまだ足軽に取り立てられて間もない頃、寄合所でみんなで酒を飲んでいた時に、槍は長い方が有利か、短い方が有利かという議論になった。
 
かなり議論がされた所で、たまたま居合わせた槍の指南役が
「槍は短い方が良い。長い槍は取り回すのが大変だから」
と発言し、それで決着が付いたかと思った所で日吉が唐突に言う。
「槍は長い方が遠くから突けるから絶対有利」
 
指南役の意見に真っ向から対立する意見を言ったことで、指南役が真っ赤になって怒ったが日吉は平気である。
 
「だったら、おいらと**様とで、それぞれ20人ずつ足軽に長い槍と短い槍の特訓をさせて、一週間後に対決するというのではどうでしょう?」
「良かろう、試合しようではないか」
 
ということで、各々20人ずつのチームを組むことになった。
 

指南役のチームに入った足軽たちは、ほんとに猛特訓をさせられた。
 
「何か向こうは凄い特訓やってるぜ」
「ひぇー。こっちも凄いことになるかねぇ」
「んで、日吉の奴はまだ来ないのかい?」
 
そんなことを日吉のチームに入った足軽たちが言っていた頃、美しく装った若い女がひとりやってきた。
 
「皆様ご苦労様です。お茶とお菓子を用意して来ました」
「あんた、誰?」
「あ、えっと・・・日吉の妻で御座います」
「へー、日吉の奴に、こんな美人の女房がいたのか!」
 
「夫が、練習は適当にやっておけば良い。それよりゆっくり休んで体力を整えておいてくれと言っておりました」
 
そうなのだ。織田家中は連戦に次ぐ連戦をしていたので、足軽達はみな疲労が蓄積している。ここで一週間も休めたらかなり体力回復できる。
 
それで日吉のチームの足軽たちは一週間をのんびりと過ごし、夕方くらいになって、時々「少し練習もすっか?」などと言って自主的に槍を突く練習をしていた。だいたい午前中に日吉の妻がやってきて、おやつなどを振る舞い、夕方くらいに日吉本人が出てきて、みんなの練習を見ていた。
 
5日目くらいに信長が様子を見に来た。のんびりとおしゃべりなどしている足軽たちに驚く。
 
「これはどうしたことじゃ? てっきり練習しているかと」
「申し訳ありません。足軽たちが疲れているので、むしろこの一週間は休ませて、体力を回復させた方が、良い動きをするのではと、夫が」
と《日吉の妻》が信長に言った。
 
「誰、お前?」
「申し遅れました。日吉の妻で御座います」
「ほぉ、あの猿にしては、よく出来た女房のようだ。名前は?」
「えぇっと・・・」
「ええ?」
「いえ、ネネと申します」
 
「ふむ。覚えておこう」
と信長は楽しそうな顔で言った。
 
「あ、殿様も、よろしかったら、このお菓子、お召し上がりになりますか?」
「どれどれ・・・おお、旨いではないか!」
「ありがとうございます」
「まあ、好きなようにせよ」
「はい」
 
信長は笑いながら去って行った。
 

そして試合の日。信長も見に来た。
 
両チーム分かれて試合が始まる。指南役のチームが号令を掛けるが、たった一週間で詰め込み教育されているので、いろいろな技法の名前も混同して覚えている。指南役の言う「回し槍!」などという掛け声にも「どうすんだっけ?」
状態で、いろいろ声を掛ける度に足軽たちは混乱の極致となる。
 
一方の日吉チームは単純である。
「攻め!」とか「突け!」とか「引け!」とかしか言わないので、みんな一斉にその動きをする。
 
勝負はあっという間に決してしまった。信長は日吉とそのチームの足軽にたくさん褒美をやったが、負けたチームの足軽にも少しだけ褒美をやったし、責任をとって切腹するなどと言った指南役にも「その命を信長に預けろ」と言い、指南役は、ひれ伏してこの殿様に付き従って行こうという思いを新たにした。
 

日吉が信長に仕えてから1年ほどした時、信長は尾張の実質的支配者であった織田信友を倒して清洲城に本拠地を移したが、戦乱でかなり荒れていて城壁の修復が必要であった。普請奉行に命じて作業をさせるものの、一向にはかどらない。それで短気な信長の雷が落ちた。
 
「いったいいつまで修復に掛かるのだ?このまま信行が攻めてきたら簡単に城内に侵入されるぞ」
 
その時、隅の方に控えていた日吉が言う。
 
「おいらなら7日であの城壁、修復してみせるな」
 
すると信長は日吉の近くまでわざわざ来て言う。
 
「猿、7日で直すと申したか?」
「はい」
「やってみろ」
 
と信長は言って奥に下がった。
 
周囲の足軽たちが驚いて言う。
 
「おまえ、なんて大胆なこと言うんだ?」
「できなかったら、手討ちにされるぞ」
「今すぐ殿様のところに行って土下座して取り消せ」
 
「まあ、やれると思うんだよねぇ」
と日吉はのんびりとした口調で答えた。
 

日吉は職人たちを集めた。
 
「この城壁をこれから7日で修復する」
「7日で!?」
「無茶です」
「職人たちを10の隊に分ける。修復すべき城壁は100間(180m)だが、各隊の担当はその10分の1の10間(18m)とする。競争で修復しろ。いちばん早く修復を終えた隊には殿様からたくさんのご褒美が出る」
 
職人たちは100間ならとても一週間では終わらない気がしたものの、10間なら何とかなりそうな気がした。
 
それで職人たちは懸命に働いた。そして働いていると、《日吉の妻》と称する女性が現れて、頑張っている職人たちに、おにぎりとかお菓子とかの差し入れをした。お茶もたっぷり振る舞った。それで職人たちはまた元気が出て昼夜を問わず働いた。日吉自身も妻と入れ替わるように現れては、職人たちを励ました。
 

一週間後。信長はさて猿はどのくらいできただろう。できなくて逃げ出してはいまいかなどと思いながらも、猿のことだから、ひょっとしたら半分くらいは仕上げているかも知れんとも思いつつ、城壁を見に来た。
 
見事にすべて修復が終わっていた。
 
そして、そこかしこに職人たちが疲れ果てて地面に寝ていた。
 
にこやかな顔をして、日吉の妻が信長のところに寄ってきた。
 
「殿様、この通り、すべて修復が終わりました。この職人たちにたくさんご褒美をあげてください。特に**以下の職人たちは自分たちの担当の場所をいちばん早く仕上げましたので、ほかの職人の倍のご褒美を」
 
「ほお。大したものじゃ」
「あ、このお菓子いかがですか? 先日のものより少し工夫をしてみたのですが」
「おお、旨い。そなた、お菓子作りが上手だのぉ」
 
信長はとてもご機嫌であった。
 
そして信長は日吉を新たな普請奉行に取り立てた。奉行という立場になったので日吉は名前を変えることにした。「日吉」の「吉」の字は残し、木下藤吉郎という名前にした。
 

永禄3年(1560年)5月。今川義元が上洛の気配を見せ、尾張に侵攻してきた。
 
織田の支城が次々と落とされていく。どう対処するかで家臣団の意見が割れた。信長は結論を出さないまま、いったん会議を散会にした。
 
深夜。
 
今川軍の松平元康(後の徳川家康)の軍が織田側の丸根砦に攻撃を開始したという報せが入る。
 
信長が身支度を調えて広間に出てきた。それに気付いて出てきたのは森三左衛門(森蘭丸の父)など、ほんの一部の武将だった。藤吉郎も当然気付いて出てきたが隅の方で控えていた。
 
信長は敦盛を舞った。
 
「人間(じんかん)五十年、下天(*1)の内を比ぶれば夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか」
 
(*1)仏教の世界観で六欲天の最下層(第一天)のこと。下天の1日は人間の世界の50年に相当すると言われる。人間の長い一生50年も下天ではわずか1日。儚いものであるということ。なお「化天」とするテキストもあるが、化天の1日は人間の世界の800年なので、それではこの場での意味が通じなくなる。
 
「猿、具足を持て」
「はっ」
 
と答えて藤吉郎はすぐに信長の具足を持ってきた。
 
「何刻頃にお立ちになりますか?」
と森三左衛門が訊いたが、信長は
「今出る」
と言う。
 
「は?」
と三左衛門が驚いている。
 
しかし信長が本当に出かけるので、森三左衛門は慌てて
「藤吉郎殿、殿のお供を。私は他の者たちを呼んですぐ行く」
と言うので、藤吉郎は
 
「分かった」
と答えて、信長に続いて馬を繰り、夜道を走っていった。信長に従うのは自分を含めてわずか5騎である。
 
早朝、信長と5騎の従者は熱田神宮に到着。ここで戦勝祈願をした。そこへ信長出陣の報せを聞いて多数の武将が集結してきた。
 

今川勢は熱田神宮より南東の方に展開している。織田勢は鳴海潟に沿って南下し午前中に善照寺砦にいったん集結。ここで一部の部隊をまっすぐ南下させて、中嶋砦への援軍としたが、本体はそれより少し北の方の山道を抜け、今川の側面を狙うように軍勢を進めた。
 
雨が降り出す。視界が効かなくなる。織田本体が近くまで来ているという報せを聞いた中嶋砦の武将たちが、喜びすぎて砦から飛び出し、今川勢と衝突した。しかし多勢に無勢で、あっという間に粉砕されてしまう。しかしこれが結果的には陽動作戦のような役割を果たした。
 
今川方では、中嶋砦の戦勝に沸き、本体を桶狭間に置きながら、織田はやはりそちら方面から攻めてくるかと思い、本格的な戦闘準備をしていた。
 
ところが豪雨の中、14時頃。突如として数千の織田軍が、桶狭間の本体の中核近くに側面から現れた。今川軍は混乱する。激しい白兵戦が起きる。藤吉郎も信長の近くで多数の敵と剣を交えた。ごく短時間に10人くらい斬った。信長も馬を降りて敵と斬り合う。むろん藤吉郎も含めてそばにいる者ができるだけ排除するが、豪雨の中の白兵戦なので、どうしても信長自身も戦うことになる。もっとも信長は無茶苦茶強かった。ほとんど一撃で相手を倒していた。大したもんだと思って藤吉郎も見ていたが、その時、藤吉郎は何か不穏な空気を感じた。ふと見ると、少し離れたところでこちらを弓で狙っている者がいる。
 
「危ない!」
と言って藤吉郎は信長の前に立った。矢が飛んでくる。藤吉郎はそれを身体で受け止めた・・・・つもりが、矢は藤吉郎の股間に当たった。思わずその場に崩れるが、信長は構わず戦闘を続ける。矢を射た敵の侍はすぐ、こちらの守護兵に倒された。
 

戦いは短時間で決着した。敵の大将、今川義元が討ち取られてしまったことから、軍勢は総崩れになり、みな撤退していった。
 
尾張の小大名に過ぎなかった信長が「街道一の弓取り」と言われた今川義元を倒したことで、織田信長の名前が天下に轟くことになった事件であった。
 
藤吉郎は矢が当たった痛さに倒れてしまったものの、必死の思いで立ち上がり、織田勢の中に合流した。信長のそばからは遠く離れてしまったものの、前田又左衛門(利家)の部下に助けられる。
 
「又左どの? そなたは出仕停止になっていたのでは?」
「それはそうだが、この危急の事態に、何もしない訳にはいかないと思い、馳せ参じた」
と又左は言っていた。
 
利家の部下に南蛮人に習ったという医者がいて、藤吉郎はその者の治療を受けた。
 
「ふぐり(陰嚢)が酷く痛んで化膿している。これは本当は切ってしまった方がいいのだが」
「切らなかったら治るのにどのくらい掛かる?」
「1年は掛かる」
「切ったらどのくらいで治る?」
「1ヶ月もすれば動けるようになる」
「だったら切ってくれ」
 
「だが子供が作れなくなるぞ」
「構わん。1年も殿の元をご無沙汰する訳にはいかん」
「分かった。切るぞ」
 
それで、医者は藤吉郎の陰嚢を切断した。藤吉郎は思わず「うっ」と声をあげたが、痛みに耐えた。医者は消毒のため焼酎を掛け、更に糸で傷口を縫い合わせた。この縫うという技術は当時、南蛮の医師からもたらされた最新鋭の技術だった。
 

藤吉郎はそのまま前田利家の下で1ヶ月療養してから信長の元に帰還した。
 
「猿、お前生きていたのか?」
と信長は言った。
 
「怪我して寝ておりました。1月も出仕せず、大変申し訳ございませんでした」
「うむ。また励むように」
「はっ」
 
信長は何事も無かったかのように、向こうへ歩いて行ったが、後で藤吉郎の所に、ひょうたんを届けた。
 
「これ、何だろう?」
と、藤吉郎は同僚に相談したが、みんな首をひねる。
 
「このひょうたんいっぱいに酒でも持ってこいという意味とか?」
「うん・・・」
 
それで藤吉郎は、松下家中にいた時の同僚の腰元で今は尾張に来ているヤヤが実家で酒造りをしているというのを聞いていたので、使いを出して取り寄せた。「ヒロちゃん、元気してた?」というお便りにまた返事を出しておいた。ヤヤが住んでいる地域は、尾張の中でも織田家と友好関係は持つものの、配下という訳ではない、蜂須賀家の領地になっていた。蜂須賀家は木曽川水系の水運の仕事をしていた。
 
《藤吉郎の妻》が、その取り寄せた酒と、手作りのお菓子を信長に献上した。
「お菓子も美味しいし、酒も美味しい。この酒はどこの酒じゃ?」
「近隣の三宝村の酒です。友人がいるので」
「それは蜂須賀の所か」
「はい、そうです」
「ふーん」
と信長は少し考えているようであった。
 

翌年、織田は美濃の斎藤と対立していた。
 
斎藤義龍は一応名義の上では、織田信長の義父である斎藤道三の息子ということにはなっているものの、実際には斎藤道三が国主の地位を奪った土岐頼芸の子である。土岐頼芸が妊娠中の側室・深芳野(みよしの)を道三に下賜し、そのまま深芳野が出産したのが斎藤義龍である。
 
後に斎藤義龍は道三を殺して国主となるが、それは道三が追放した実父土岐頼芸の敵討ちの意味合いがあった。しかしそれは織田信長に美濃攻略の口実を作ることにもなった。斎藤義龍を父殺しの大罪人と糾弾し、美濃の正統な後継者は道三の娘婿である自分であるとして、美濃攻めを行うのである。
 
その美濃攻略の重要ポイントが墨俣であった。
 
信長は最初佐久間信盛、次に柴田勝家に命じて、ここに城を築こうとするが、いづれも美濃勢の攻撃により失敗していた。例によって物事がうまく行かないと、信長はいらいらして周囲に当たり散らす。ちょっとやばいなあ・・・という空気が流れていた時、藤吉郎は言った。
 
「私なら10日で城を築いてみせましょう」
「ほほぉ。では作ってみよ」
と信長は楽しそうに言った。
 
「はっ」
 

その夜、蜂須賀小六の館にひとりの女性が訪問する。
 
「織田信長の家臣、木下藤吉郎の妻、ネネと申します。信長様より、良いお酒と菓子が手に入ったので、届けて参れと仰せつかり持参致しました」
「ほお、それは上総介殿にしては、良いお心遣い」
 
ということで、早速その酒を開けて、酒盛りとなる。ネネは小六に酌をしては、各地の大名の噂話などもした。
 
宴が進み、酔いつぶれる侍も出る中、何となく雰囲気でネネと小六は奥の部屋に一緒にひっこんだ。
 
「そなた、上総介殿の家臣の妻と言ったが・・・」
「しっかり小六様にはお世話をしてあげなさいと夫からも言われました」
「そうか、そうか」
 
ネネは小六の服を脱がせていく。そして股間の太い竿をその口に含んだ。
「おぉ・・・」
小六が気持ちよさそうに声をあげる。ネネは優しくそれを舐める。いきなり逝かせるのではなく、少しじらすような舐め方に小六は「頼む〜、もう生殺しは勘弁してくれ、一気にやってくれ」と懇願する。しかしネネは散々じらしてから、最後は高速に舐めて逝かせた。
 
流出したものをすべて飲み込んでしまう。
 
小六は息も絶え絶えな感じで、横たわっていた。
 
「こんな気持ちいいのは初めてだ。褒美をやるぞ」
「では、墨俣を頂けませんか?」
 
小六はハッとしたようにして起き上がった。
 
「お前、何者だ?」
「織田上総介信長の家臣、木下藤吉郎の妻、ネネでございます。信長様が墨俣を手に入れるのに、小六様のご助力が頂けないかと存じまして」
 
「ふーん。話だけは聞こうか」
 
それでネネは、《夫・藤吉郎が立てた計画》を打ち明けた。
 
「おもしろい。龍興(斎藤義龍の子)に一泡吹かせられるし。しかし、そなたの夫は、俺に協力させるのに妻まで貸すのか?」
 
「これは私の一存でございます。私は夫のためなら何でもします」
「藤吉郎殿は、良い妻をもたれたようじゃ」
 
と小六は少し皮肉を込めて言ったが、楽しそうでもあった。
 

翌日、藤吉郎は信長から預かった職人や足軽、数十名を連れて墨俣に赴いた。川の向こうに美濃の守備隊がいるが、藤吉郎たちが、いかにものんびりーと木の根を掘り起こしたり、整地をしたりしているのを見て、
 
「これ、もう少し放っといて、何か建て始めたら弓矢でも射れば良いのでは」
という雰囲気になった。
 
それで藤吉郎たちの集団は美濃からの攻撃にさらされないまま、ほんとにゆっくりと基礎工事をしていた。
 
時折、藤吉郎の妻が現れては、みんなにお茶やおにぎり、甘いお菓子などまで配る。美濃側ではそれを見て
「なんだ。女まで連れてきているのか。またのんびりとした連中が来たものだ」
と笑いながら見ていた。
 
そして、藤吉郎が「10日」と約束した日の前日。その晩はうまい具合に雨であった。視界が効かない上に、川の流量も多い。その闇に乗じて蜂須賀小六の部隊が長良川の上流で組み立てていた「城の部品」が、筏に乗せられて次々と川を下ってきた。藤吉郎配下の足軽や職人が総出でそれを陸揚げし、大急ぎで組み立てていく。現代でいえば、ユニット工法である。
 
この作業のために特に職人たちは前日いっぱいゆっくりと休ませていた。
 
朝。小雨がまだ降る中、日が昇ると、美濃の守護兵たちの目前にきれいに城ができあがっていた。驚愕した美濃兵たちが矢を射るが、城ができあがっていると、そのくらい平気である。むしろ城側からもどんどん弓矢を射て、美濃兵を退散させた。
 
こうして信長は美濃攻略のための重要な拠点を確保することができた。
 
美濃兵たちが去った後、藤吉郎の妻ネネが笑顔で、頑張ってくれた織田の足軽や職人、そして蜂須賀の部下たちをねぎらい、お茶やおにぎりを配っていた。その中には旧知のヤヤの顔もあり、ネネ(ヒロ)はヤヤと抱き合って、久しぶりの再会を喜んでいた。
 
「へー、あんた信長の家臣の奥さんになったのか」
とヤヤは言っていた。
 
「うふふ」
「あんた自身が信長の家臣になっても良かったと思うけど」
「私は夫と二人三脚でやってるんだよ」
「ああ、そういうのもいいかもね」
「信長様は凄い人だよ。きっとその内天下を取る」
「そうかも知れないね。こんなとんでもない作戦を思いつくなんて」
とヤヤは本当に感心しているように言った。
 

墨俣築城を足がかりとして信長は6年掛けて美濃を攻略し、稲葉山城に本拠地を移し、ここを岐阜と改称した。斎藤氏の旧臣たちはちりぢりになったが、墨俣築城をきっかけに藤吉郎の盟友として、実質的に信長に仕えるようになっていた蜂須賀小六が、斎藤の旧臣の中で、竹中半兵衛は戦略家として非常に役に立つ人物なので、ぜひ織田家に仕えさせたいと上申した。
 
それで信長は、それほど言うのであれば、お主が勧誘して来いと言ったのだが、小六は、その手の工作は藤吉郎殿が上手などと言うので、信長はそれでは藤吉郎が竹中半兵衛を勧誘して来いと言った。藤吉郎はやれやれと思いながら、半兵衛の隠棲する岩手村(関ヶ原の近く)まで出かけて行った。
 
半兵衛は反骨の人である。斎藤龍興に仕えていた頃、龍興があまりに気が抜けた生活を送っていたため、友人16人で話し合い、稲葉山城を1日で攻略して龍興を追い出してしまったことがある。稲葉山城でクーデター!?が起きたという報せに尾張の信長から使者が来て、ぜひ仲良くしたいと言ったが、半兵衛たちはそれは黙殺して斎藤龍興に城を返還した。
 
信長が蜂須賀小六の上申に応じて半兵衛の勧誘をすることにしたのも、背景として「あの時の十六人衆の一人か」という思いがあったためでもあった。
 
藤吉郎が半兵衛の許を訪れ、土産の品なども渡した上で、信長公がぜひ半兵衛殿の力を借りたいと言っているということを言うと、半兵衛もあの事件の時に真っ先に自分たちに連絡してきた(斎藤龍興の使者より早かった)ことを思い出し、信長公は確かに凄い人だと言う。しかし自分は斎藤の家臣だった身だからと言って、辞退した。
 
しかし簡単に諦める藤吉郎ではない。翌日もまた半兵衛の許を訪れて信長公が考えている「新しい国家像」というのを説いた。今の戦乱の世にあって本気で天下を統一することを考えていること、更にはその先のことまで考えていることに半兵衛は感心したが、自分はもう気力を失ったからと言って辞退する。
 
「何だかねぇ、戦いから身を引いてしまったら、チンコも立たなくなってしまったよ」
「まだお若いのに。きっと美人を見たら立ちますよ」
「あはは、俺はもう女遊びする気力も無いから」
 
その日、遅くまで話し込んだので、藤吉郎は半兵衛に泊めてもらうことになった。
 

夜中、半兵衛は人の気配に目を覚ます。
「藤吉郎殿か?」
 
すっと襖が開く。女がひとり廊下に座っていた。
「誰じゃ?」
「木下藤吉郎の妻、ネネと申します。失礼」
 
と言うと、ネネは半兵衛の布団に近づき、中に潜り込むと、着物の裾を開いて褌を解いてしまう。
「何をする?」
「立たぬなら、立たせてみせよう、ホトに棒」
「何だそれは?」
「気持ち良くして差し上げます」
 
と言うと、ネネは半兵衛の股間にあるだらしくなく垂れ下がった突起物を口に咥えた。
「あ・・・・」
半兵衛はあまりの気持ち良さに言葉を失った。
 
ネネが半兵衛の突起物を舐めると、それは最初はほとんど無反応だったのが、次第に熱を浴びて熱く、そして少しだけ太くなった。ただ硬くはならない。
 
「そなた・・・夫から命じられてこんなことを?」
「私の勝手でございます。夫は知らぬこと」
「そうなのか・・・・」
 
かなり長時間ネネはそれを舐め続けた。そしてそれはついに硬くなってきた。
「こんな感覚は・・・久しぶりだ」
ネネは舐めながら、袋の中に入っている玉も優しく弄る。
 
「あ・・・ダメだ・・・これは・・・・」
やがて半兵衛の蛇口から大量の物凄く濃い液体が放出された。ネネはそれを全部飲んでしまう。そして竿から口を離すと、付着する液を更に舐めてきれいにする。
 
「半兵衛様。ちゃんと男の機能は活きているではありませんか? 信長様の所に行けば、きっと男としてもう一花咲かせられますよ」
 
「・・・・お主・・・」
「信長様は本当に凄いお方です」
「ネネ殿と言ったか? お主の方が信長殿より凄いかも知れん」
「私は戦国に生きるただの女です」
 
「決めた。私は木下藤吉郎殿に仕える。それでも織田家中だから良いであろう?」
「そうですね・・・」
 

そういう訳で、木下藤吉郎は竹中半兵衛を岐阜城へ連れて行った。半兵衛が織田信長より木下藤吉郎に仕えたいと言っていることを言うと、信長は笑って「それで構わん」と言ったので、半兵衛は藤吉郎の家臣となった。
 
この時期、藤吉郎にとって重要な部下が数人加わった。
 
ある年の夏、ネネは数人の部下の妻と一緒に領内の見回りをしていた。男たちが忙しいので、女たちが結構この手の仕事を引き受けていた。
 
その時、ひとりの同行者が急にうずくまる。
「どうしたの?」
「お腹が急に痛くなって」
「あらら、どこかで少し休めないかしら?」
「この先に寺がありますから、そこで休ませてもらいましょう」
 
女性5人で寺に入り、体調を崩した者がいるので休ませてほしいと言うと住職は快く受け入れてくれて、座敷で休ませてくれた。
「お茶でも持たせましょう」
と言い、近くに居た若い僧に命じる。
 
僧はすぐに一行にお茶を持ってきてくれた。
 
割とぬるめのお茶が湯飲みいっぱいに注がれている。ネネたちは喉が渇いていたので、一気にそのお茶を飲んでしまった。
「美味しかった!」
 
「お代わりをお持ちしましょうか?」
と若い僧が言うので
「お願いしまーす」
と頼む。
 
それで僧が持ってきてくれたお茶は、さっきより少し熱めのお茶で、量もさっきより少なめだった。他の女たちはまた「美味しい、美味しい」と言って飲み干していたが、ネネはこの僧にちょっと興味を持った。
 
それで言ってみた。
「お坊さん、申し訳ないけど、お代わり頂けます?」
「はい」
 
と言って、僧は茶碗を下げ、またお茶を持ってきてくれた。
 
今度は熱いお茶が湯飲みの半分ほどであった。女たちはみんな
「わあ、何だか少し熱いのが飲みたい気がしてたのよねぇ」
などと言って美味しそうに飲んでいる。ネネは微笑んだ。
 
翌日、木下藤吉郎が寺を訪れた。それで昨日、妻たちが世話になったと言って礼を言い、そしてお茶を出してくれた若い僧を自分の部下にくれまいかと申し入れた。
 
「木下藤吉郎様ですか! あの墨俣築城をした?」
「うむ」
「お仕えしたいです。お師匠様のお許しがあれば」
「わしは構わんぞ」
と住職。
 
「ではよろしくお願いします」
「そうだ。名前を聞いていなかった」
「はい。石田佐吉と申します」
 
これが後の石田三成である。
 

ところでヒロが松下加兵衛のもとで過ごしていた時の友人で、ヤヤは蜂須賀小六配下の武将の妻となっていたが、もうひとりの友人ハルは美濃に移り結婚していた。信長が美濃の支配者となったことで、藤吉郎も岐阜で過ごすようになり、ある時、ちょうどハルが若い娘を連れているのに遭遇した。
 
「ヒロちゃん!」
「ハルさん!」
ふたりは手を取り再会を喜んだ。
 
「こちらは娘さん?」
「うん。実はもう結婚してるんだけどね」
「わあ、凄い」
 
「初めまして、マツと申します」
とハルの娘は挨拶した。
 
「旦那さんはお侍さん?」
「はい。山内伊右衛門と申します」
「どちらにお仕え?」
「それが、あちこちに仕えたものの、今は浪人の身で。とりあえず私の実家に身を寄せているのですが」
「へー」
 
「ヒロちゃん、あんたは?」
「あ、私、信長様の配下の木下藤吉郎って人の女房」
 
「えーー!? 木下藤吉郎様の?」
「ね、ね、もし良かったら、この人の旦那、召し抱えてもらえるように言ってもらえない? 藤吉郎様はきっといづれ信長様の片腕になるお方だよ」
 
「いいよ。話付けてあげる」
 
それで藤吉郎は伊右衛門(山内一豊)を召し抱えた。
 
藤吉郎にとって、石田三成は「忠実な部下」、山内一豊は「信頼できる部下」
となった。
 

永禄11年(1568年)、織田信長は上洛を強行し、混乱する京都の室町幕府の将軍として足利義昭を擁立した。この時、藤吉郎は京都守護の役割を命じられるが、この時、一緒に京都守護に命じられたのが京都の公家方から推挙されて織田家臣として組み入れられた明智光秀であった。彼を見て藤吉郎はびっくりして、つい言ってしまった。
 
「十兵衛殿、お懐かしゅうございます」
「そなたとどこかでお会いしたろうか・・・・」
 
「あ、この格好じゃ分からないよなあ。ちょっと待って」
と言って藤吉郎は席を外す。15分ほどした所で、ひとりの女性がやってくる。
 
「あ、あなたは!」
「お久しゅうございます、《兄上様》」
「ヒロ殿! そなたも京都におられたか?」
「木下藤吉郎の妻、ネネにございます」
 
「おお、藤吉郎殿の奥方になっておられたのか!」
 
するとネネはいきなり明智光秀に抱きついた。
「ちょっと、ちょっと何をなさる?」
と光秀が驚いたように言う。
 
「今夜、お供してあげましょうか?」
「ネネ殿、冗談がきついですよ。夫のある身でそのようなことを言ってはなりません」
 
するとネネは《藤吉郎の声》で
「僕だよ。分かんない?」
と光秀の耳元でささやく。
 
「へ!?」
「藤吉郎とネネは同一人物。十兵衛お兄ちゃんだけに教える秘密ね」
 
光秀は口をパクパクさせて、何を言っていいか分からない感じ。
 
「だ・か・ら、今夜は楽しませてあげるから」
「ちょっと待て。そなた、男なのか?女なのか?」
「さあ、どちらかしら。今夜分かるといいね」
 
とネネは女の声に戻して、楽しそうに言った。
 
 
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【女装太閤記】(1)