【続・受験生に****は不要!!・夏】夏は振り分けの季節

前頁目次

 
斉藤はこの後もしばしば美夏と春紀に連絡しては、いろいろ情報を持ってきてくれたり、あれこれ便宜を図ってくれたりもした。斉藤の大学法学部時代の同輩、織田さんという人が都内の大手法律事務所に勤めているということで、その人を紹介してくれて、春紀は法律事務所の見学にも訪れた。
 
その時はちょうどその事務所の所長さん・磯島さんが手が空いているということで磯島さんともお話させてもらえた。所長さんは春紀を気に入ってくれたようで、時々顔を出してよと言われたので、春紀は遠慮なく訪問させてもらった。
 
破産の申請や、取り立ての訴訟などの書類をサンプルを見ながら書かせてもらったりもした。実際この手の簡単な事件では、裁判所に出す書類は弁護士ではなく事務員が書いているケースが多い。弁護士は内容をチェックしてサインするだけである。春紀はこの手の作業を「勉強になるので」と言ってやらせてもらったのだが、所長さんは書類1枚につき2000-3000円の報酬をくれた。これは「バイト」としてもずいぶん実入りのよいものとなった。
 
そこで春紀も秋以降はファミレスのバイトのシフトを最小限の週2回に減らす代わりにこの法律事務所での補助作業に当てるように変えていった。
 
斉藤との出会いは結果的に春紀の生活を大きく変えたのであった。
 

春紀が法律事務所に出ていると、しばしば顔を合わせる同年代の男の子がいた。柴田初海という子で、最初名前を聞いた時は女の子かと思ったのだが、実物を見たら男の子だった。でも向こうも
 
「春紀って名前見た時は男かと思ったら、どうも女みたいだし。とりあえず着衣で見た感じでは」
などと言っていた。
 
「まあ私の裸は恋人以外には見せないから」
と春紀。
 
「ああ、恋人がいるんだ?」
「実は結婚してるんだけどね。でも『主人』とかは言いたくないし、結婚のことでいちいち驚かれるのも面倒だから、だいたい恋人って言ってる」
 
「ああ。それでいいんじゃない? でも女性が自分の夫のことを人に言う時の適当な言葉が日本語にないのは不便だよね」
「そうそう。英語なら My husband、フランス語ならMon mari と言えるんだけど」
 
と言いつつ、実際には美夏は my wife, ma femme だけど、自分もwife, femmeだから話が面倒だよな、などと思っていた。
 
柴田君は慶応の法学部2年生ということで、今来年の司法試験を受けるため、かなりの勉強をしているということだった。彼と何となく話すようになったことで、春紀はまた新たな法律の勉強のチャンネルを得た感じもあった。
 

ところで、美夏は1年生の春に1ヶ月ほどの通学で運転免許を取ったのだが、春紀も免許は必要だと思っていた。しかしなかなかタイミングが難しかった。春紀は夏休みも年末年始も帰省せずにファミレスと法律事務所でバイトをしつつ法律の勉強をしていたし、ゼミで弁論も鍛えていた。
 
結局、1年生後期(2学期)の期末テストが終わった後、春休みになって春紀は合宿方式で運転免許を取りに行った。費用は分割払いである! 実は美夏が免許を取った時の分割払いが2月にやっと終わったので、次は春紀の番ということになったのもあった。ファミレスのバイトはこの機会に「2年生になると勉強が忙しくなるので」と言って退職させてもらったが、春紀は人あたりがソフトなので、重宝していたのにと言われ、もし勉強のほうに余裕がある時は短期間でもいいから声をかけてと言われた。1年間バイトしただけだったのに、退職金までもらった。
 

バイトでは履歴書の性別で女の方に○をつけ、大学では女学生として登録されている春紀ではあるが、免許は公的な書類なので、法的な性別を書かないとまずいだろうなと思い、自動車学校の入校書類では性別は男の方に○をつけておいた。
 
でも入校後、講義受講のための生徒票を渡されたら、しっかり性別は女にされていた! 春紀は訂正してもらうべきだろうかと思ったが、まあいいかと思いそのままにしておいた。
 
初日に実車教習を受けるため、実習待合室で待っていたら
「あれ?」
と声をかける男性がいる。見ると、法律事務所でいつも会っている柴田君だった。
 
「こんばんは。柴田君もここに通ってるんだ?」
「うん。もし順調に司法試験通っちゃったら免許取りに行く時間がなくなるからこの春休みが最後のチャンスと思ってね。まあ合宿なんだけど」
「へー。私も合宿」
「いつ入校したの?」
 
「先週。今日見極めをしてもらって、よければ明日仮免試験」
と柴田君。
 
「わあ、がんばってね」
「亀井さんは、いつ入ったの?」
「今日が初日〜」
「へー。落ち着いて運転してね」
「うん。ありがとう」
 
それで柴田君が春紀の持っている生徒票をのぞき込んでいる。
 
「何見てるの?」
「あ、いや確かに性別は女に○ついてるなと思って」
「そうだね。とりあえず自分では女だと思ってるけど」
「いや、ひょっとして亀井さん、女装っ子ってことはないよな、とチラっと思ったりしたんだけど、やはり本当に女の子だったんだ?」
「まあ女装している女かもね。柴田君のも見せてよ」
「まあいいか」
「ふーん。ちゃんと性別は男になってるじゃん。柴田君、もしかして男装してる女ってことはないよな、とチラっと考えたんだけどね」
「そうだなあ。男装してる男かも。とりあえず生理は無いみたいだし」
 
「男の人に軽々しく生理なんて言葉を使ってほしくないな」
「ふふふ。実は僕は本当は元女だから」
「へー。実は私は本当は元男なのよ」
 

合宿の宿舎は男女が別のところになっており、春紀はちゃんと?女子の宿舎になっていたので、宿舎付近で柴田君と顔を合わせることは無かったものの、朝晩の食事の場所では、結構顔を合わせたので、柴田君がわざわざ春紀の隣に座って一緒に話しながら食事を取ることもあった。
 
「別に口説いたりはしないから、いいよね?」
「口説かれてもなびかないから平気」
と最初に言っておいた。
 
ふたりが並んで食事をしていると、同期に入校して知り合いになった他の女子が遠慮して、離れた場所に行こうとすることもあったが、春紀は
 
「透子ちゃん、こっちこっち」
などと呼んで、一緒にご飯を食べたりしていた。
 
「お邪魔じゃない?」
「全然。私、この人とは何でもないから」
と春紀。
「単に同じところでバイトしているだけだよ」
と柴田君も言う。
 
「へー。そうなんだ?」
 
そんなことを言いながらも、最初やや遠慮がちにおしゃべりしていた透子や、同様に同日入校で意気投合した月子なども、すぐに、どうもふたりは本当にただの友達関係のようだと判断して、その後は遠慮せずに寄ってくるようになり、結果的には柴田君は透子や月子ともよく話していた。
 
「なんだ。透子ちゃんも、月子ちゃんも、彼氏いるのか」
「うん。ごめんねー」
「春紀も売約済だしなあ、誰かフリーの女の子はいないだろうか?」
「**ちゃんや、**ちゃんは彼氏居ないって言ってたけどね」
「お茶とかに誘ってみようかな」
「時間があったらね」
 
「そうそう。合宿コースって全然時間が無いよね」
「空いてる時間も自習室のパソコンで問題に答えたり、教科書読んだり」
「近くの白糸の滝を見学に行けます、なんて入校案内には書いてあったのに、とても3時間とか掛けて滝を見に行く余裕なんて無いよ」
 
柴田君は順調に一週間後に卒業して行ったが、第二段階の試験コースのルートを書いた資料などを春紀たちに渡してくれたので、春紀たちはそれを同期の女子の間にコピーして配っておいた。卒業試験のコースは建前上はその場で地図を渡されて目的地を告げられルートを自分で考えなければならないことになってはいるものの、実際にはこうして代々、合宿生の間で地図が受け渡されているようである。
 
そして春紀もその一週間後に無事卒業してグリーンの帯の運転免許を手にすることができた。春紀の生徒票が性別女になっていたので、運転免許証もおそらく性別女のまま登録されたかも知れないとは思ったが、免許証には性別の記載が無いので確かめるすべはない。
 
なお、透子は春紀と一緒に卒業したが、月子は仮免試験を1回落として1日遅れの卒業になったようであった。
 

6月上旬。東大では進振の志望先登録が行われる。むろん春紀は法学部、美夏は薬学部薬学科を登録した。
 
なお法学部は内部で更に第1類・私法コース(法曹志望)、第2類・公法コース(公務員志望)、第3類・政治コース(政治学の研究)に分かれるが、各々の定員が無く、途中でのコース変更もできるので、進振の段階では問われない。むろん、春紀は第1類に進学するつもりである。
 
なお薬学部は以前は薬学科・製薬化学科の別があったのだが、数年前に統合されて薬学科のみになっている。(ちなみに薬学科が6年制になったのは2006年である)
 

6月のある日、春紀が大学から戻ると、美夏が布団に入っている。
 
「美夏、どうしたの? 風邪でも引いた?」
「ううん。大丈夫だよ」
 
と言って美夏は布団から半身を起こしたが、上半身に何もまとっていない。
 
「今日は何の日か覚えてる?」
と美夏が訊く。
 
「忘れてた!ごめん。美夏の誕生日だ。誕生日おめでとう!」
「ありがとう。20歳になっちゃった」
「美夏、おとなだね」
 
「私をおとなにしてくれない?」
 
春紀は美夏を見つめた。
 
「いつも指入れてるじゃん」
と春紀は言う。
 
「おちんちん入れてよ。私、まだ誰のおちんちんも自分の中に受け入れたことがないの」
 
「ごめん。私、もうおちんちん戻さないかもしれない」
と春紀は正直な気持ちを言う。
 
自分でも最初の内はやがて男に戻るつもりだった。でももうとても戻れない気分なのだ。一応自分のおちんちんは桜木先生の病院でずっと冷凍保存されてはいる。その気になったら、いつでもくっつけてあげるよとも言われてはいる。しかし・・・。
 
「じゃ、春紀、女の子になっちゃうの?」
「女の子のままでいい気がしてきつつある」
「私たちの関係はこのまま?」
 
それを言われるとつらい。
 
「ごめん。美夏、どうしても男の子がいいんだったら、私を振って、他の男の子を探して」
 
美夏はふっとため息をついた。
 
「そうなんだろうなとは思ってたけどね」
「ごめんね。離婚した方がいい?」
「離婚するなら慰謝料1億円」
「そんなに払えないよ」
 
「いいの。体で払ってもらうから」
と言って美夏は布団から完全に出て立ってこちらを見た。
 
「えーーーー!?」
と春紀は声を上げた。
 

翌日の明け方、ふたりは中央道のサービスエリアで朝食を取っていた。美夏がレンタカーを借りていたので、それでドライブしてここまで来たのである。大半を美夏が運転したが、ひとつ前のPAからここまでは春紀が運転してきた。ただし駐車枠にきちんと駐めるのができなくて、美夏が修正してくれた。
 
「私たちって、どこに向かっているんだろう?」
と美夏が唐突に言った。
 
「わからないけど、私はずっと美夏と一緒に居たい」
と春紀は言う。
 
「そうだなあ。とりあえずあと5年くらいはつきあってもいいか」
「5年したら離婚する?」
 
「またその時考える。私もやっとバージンを卒業できたし」
 
そんなことを言う美夏の横顔を、春紀は愛おしい気持ちで見つめていた。
 

入口から男性2人組が入ってくる。何気なく目をやったら、片方は柴田君だ!
 
目が合ったら、こちらに寄ってきた。
 
「なんか最近よくあちこちで遭遇するね」
「おはよう、柴田君」
 
「可愛い女の子だね。紹介してよ」
「こちら、私のパートナーの美夏」
 
「もしかして結婚してるって、この子と?」
「うん」
 
と言って春紀は満面の笑顔で柴田君を見る。
 
「女の子同士だったのか!」
「そちらは?」
 
と春紀が訊くと、柴田(初海)君はちょっと照れたような顔をした。
 
「こちら僕のパートナーの令次。同じ慶応だけど、こいつは文学部。まあ実は僕たちも結婚してるんだよ」
「へー!」
 
なんだかその彼氏の方もちょっと照れている雰囲気。優しい雰囲気なので照れるとむしろ女の子っぽい感じになる。
 
「いいんじゃない?男同士でも」
と春紀は言ったが、結婚しているのに自動車学校では女の子ナンパしてたのか〜?と思ってあきれる。でも男の人ってそんなものなのかなあ。でも要するに彼ってバイなんだ!
 
「いや、なかなか理解してくれる人がいないから、ふだんはただの友達ということにしてるんだけど」
 
「見れば一目瞭然ですよ」
と美夏が言う。
「それは同類の人からは言われるな」
と令次君。
 
4人を包み込むように初夏の朝の暖かい風が吹き込んできた。
 

結局4人でおしゃべりしながら朝ご飯を食べた。向こうも令次君が主として運転してきて、免許取り立ての初海君は少しだけ練習で運転したらしい。
 
「そちら、籍入れてるの?」
「入れてるよ。だからふたりとも亀井。そちらは?」
「僕らも入れてる。だから僕たちもふたりとも柴田」
「へー。養子縁組か何かで?」
「そのあたりは企業秘密ということで。そちらは?」
「こちらも企業秘密で」
 
亀井同士、柴田同士なので、以後お互い名前で呼び合おうということで同意する。同性カップルならではの苦労話で結構盛り上がった。
 
「じゃ、初海君はとりあえず司法試験の一次試験に合格して次は二次なんだ?」
などと美夏が言うので、春紀が訂正する。
 
「一次じゃなくて二次試験の短答式だよ。大学2年までの課程を修了していれば一次試験は免除」
「あ、そうなんだ?」
「二次試験が、5月の短答式、7月の論文式、10月の口述試験と続く」
「大変だね!」
「短答式の合格率が20%くらい、論文式の合格率は15%くらい。両者合わせると筆記試験の合格率は3%で30人に1人」
「厳しいね。そんなに落ちるんだ?」
「いや、合格率だけで言うなら、司法書士の方がもっと合格率は低い」
「受験者のレベルが違うからね。合格率だけで難しい試験かどうかは語れない」
「なるほど、そうか。口述式は?」
「論文式に合格した人はほとんど口述試験にも合格する」
「へー!」
 
「まあ、あれは不適格者のふるい落としだよね」
と初海君も言う。
 
「早い話が面接だから、ジーパンとか茶髪で行った奴は当然落とされるし、高い年齢でやっと合格した人にありがちな、パッとしないタイプは不利。あと聞かれたことに即答できなかったりしたらアウト」
 
「会社の面接と同じだね」
「そうそう」
 
「一応論文式まで合格した人は翌年は口述試験だけを受ければいいけど、それで通るのは1年目によほど変な勘違いでもした人じゃないかなあ」
と春紀は言う。
 
ご飯を食べた後、そろそろ帰ろうかという話になり、まずはトイレに行く。当然、春紀と美夏は女子トイレ、令次君と初海君は男子トイレである。
 
「パートナーと一緒にトイレに行けるのって便利だよね」
「同感、同感」
などという話になる。
 
「女の子同士だと一緒に列に並べるから、待ちながらおしゃべりできるんですよ」
と春紀。
「ああ、女子トイレは行列が大変だもんね」
と初海。
 
「まあ今の時間帯ならすぐ入れますけど」
 
「男同士だと並んでしながら話せるんだよ」
と令次。
「わあ、連れションってやってみたーい」
と美夏。
 
「じゃふたりそろって性転換したら、やってみて」
「春紀、性転換しない?」
「私はいい。美夏、性転換するんなら、応援してあげるけど」
 

早朝なので女子トイレはいくらでも空室がある。美夏と手を振って各々個室に入る。ショーツを下げ、スカートを少しあげて便器に座る。おしっこをしながら春紀は、ここに昔は棒が付いてたんだよなあと思うと不思議な気持ちになった。こんな所に棒が付いてたら、おしっこするのに邪魔じゃなかろうかと思ってから、あれ?もしかして、おしっこって、あの棒の先から出てたっけ?と考えたが、自信が無かった。
 
個室の外に出ると美夏は手洗いの所にいる。春紀が手を洗った後エアータオルで手を乾かしていたら、美夏が後ろから抱きしめる。美夏の腕の中で身体を回転させてキスをした。
 
春紀たちがトイレから出てくると、令次君たちが待っていてくれた。
 
「コーヒーおごり〜」
と言って缶コーヒーを1本ずつ渡してくれるので、素直に
「ありがとう」
と言って受け取った。
 
駐車場の方に行く。
「君たちの車は?」
「そちらのスカイラインです」
「すげー!GT-Rじゃん。さすが東大生」
「レンタカーですけどね」
「なるほどー」
「令次君たちのは?」
「僕らのはこれ」
「かっこいいー。NS-Xか〜!さすが慶応ボーイ」
「先輩からの借り物だけどね」
「いや、こんな車を貸してくれるのが凄い」
 
お互いの目的地を確認すると、令次君たちはこのまま名古屋まで走って行くということで、安曇野に行く予定の美夏たちとは、途中まで一緒に行き岡谷JCTで別れることにした。
 
「じゃ、また」
 
NS-XとGT-Rで連続して走って行ったら、前方に制限速度より少し遅い速度で走っているポルシェが居た。先行している令次君の車がハザードを2回付けた。
 
「何かの合図?」
「たぶん。前の車は覆面パトカー」
「へー!」
 
それでNS-XとGT-Rはそのポルシェを制限速度+10km/hくらいの速度でゆっくりと追い越した後、走行車線でジャスト制限速度で走った。ポルシェはしばらく追随していたが、次のPAで中に入ってしまった。
 
「こちらが飛ばすのではと思ってしばらくついてきたみたいね」
「でもよく覆面って分かったね」
「無線のアンテナつけてたし、決定的なのは補助ミラーが付いてたよ。たぶん令次君たちもそれで気づいたんじゃないかな」
 

7月の下旬、春紀たちのアパートに突然の訪問者がある。
 
「桜木先生!」
「あんたたち全然帰省してこないからさ、私の方から出てきたよ」
「すみませーん。お金が無いし、バイトも忙しかったので」
「まあ、法学部も薬学部もめっちゃ忙しいだろうね。診察するよ」
 
と言って、春紀は裸にされてしまう。
 
桜木医師は最初に立ったままの春紀の様子を眺めて
 
「もう完璧に女の子のボディラインになったね。おっぱいも大きいし」
と言った。
 
「この子、今Dカップのブラつけてるんですよ。私はまだCなのに」
と美夏が言う。
 
「じゃ、ちょって寝てみて」
と桜木は言って、春紀を布団の上に寝せて、主として女性器のチェックをする。
 
「傷が痛んだりすることはない?」
「全くないです」
「完全に定着してるんだろうね。ドナーさんと凄く相性がよかったんだよ」
 
春紀の体の中に埋め込まれている女性器は一酸化炭素中毒で亡くなった少女から移植されたものである。
 
「クスコ入れるよ」
「はい」
桜木医師は鞄から(使い捨てタイプの)プラスチックの透明な膣鏡を取り出し、グリスを塗ってから春紀のヴァギナの中にゆっくりと挿入した。中を観察する。その挿入されている様子を見ていて美夏は、自分も入れられたい気分になってしまった。せっかく買ったのに、春紀ったら、あれ全然使わないんだもん!
 
「全然問題ないね」
と桜木医師は言う。
 
「なんかずっと前から自分のものだったような気がするんです、最近」
「うん、そういう気持ちを持つのが、実は移植を成功させるための基本なんだよ。移植には実は精神的な部分も大きいのさ」
「へー!」
 

桜木医師は他に血液と尿を検査するからと言い、カップを渡してトイレで尿を取ってこさせてから、注射器で採血をした。
 
「あとレントゲンと心電図がほしいから、これは地元の病院で取ってきて。これ書類を書いておいたから」
と言って渡されるので、春紀は素直に行ってきますと言った。
 
「春紀の性器ってふつうの女性と全く同じなんですか?」
と美夏が質問する。
「ほぼ同じだね。ただ前立腺が存在しているのと、膣が微妙に違う」
「違うんだ!?」
「膣って元々直腸がふたつに分かれてできたものだから、膣壁の向こう側は直腸なんだよ。でも春紀ちゃんの膣は後で埋め込んだものだから、直腸の壁とは別なんだよね」
「なるほど!」
「だから女性の場合、便秘の時に力みすぎると、中身が膣と腸の間の壁を押して膣側にまで広がってくる。でも春紀ちゃんの場合はそういう現象は起きないんだよ」
「それって女よりもできがいいのでは?」
「かもね〜」
 

「でも触った感じ、春紀ちゃんの骨格は完全に女性型に発達してるね」
と桜木医師。
 
「春紀って触った感じも女の子の感じしかしないのよね」
と美夏。
「これ、骨盤も女性型だと思う。正確にはレントゲン見ないと分からないけど」
「春紀、赤ちゃん産めますよね?」
「産めると思う」
 
「私が赤ちゃん産むの!?」
と春紀は驚いたように言う。
 
「女の子はいづれ母になるんだよ」
と桜木医師は優しく春紀に言った。
 

「春紀ちゃん、もう男の子に戻る気は無いよね。保存しているおちんちんとたまたまはもう廃棄しようか?」
 
「すみません。もしよかったら、冷蔵庫の片隅にでもまだ置いていてくださるとうれしいです」
「男の子に戻りたい?」
「今はそのつもりないですけど、もしかしたらその内戻りたくなるかもしれないし」
 
「男なんかになったら即離婚だな」
と美夏。
「美夏、こないだは、私が男に戻らないなら離婚だって言った」
「あの時はあの時よ」
 
「まあいいよ。とりあえずはまだ取っておいてあげるよ」
と桜木医師は笑顔で言った。
 

8月の上旬、春紀が弁護士事務所に出ていて、ちょっと隙間時間ができたので空いている面談室に入って、判例集を読んでいたら、初海君が来た。
 
「お、いたいた。春紀ちゃん、ちょっと相談事なんだけど」
「はい?」
「春紀ちゃん、キューブスとか興味ある?」
「好きです」
 
キューブスは最近特に若い人の間で注目されている音楽ユニットだ。長年作曲家として活躍してきていたアーク子門さんが自らキーボードを弾き、それにベース、女性ボーカル、男性ダンサーをフィーチャーした4人組である。
 
「来月さ、キューブスの限定ライブがあるんだよ。場所は中野サンプラザ」
「えーー!?知らなかった」
「昨日の夜9時のラジオ番組で発表されて、番組の終了した夜10時から発売。即売り切れたみたい」
「売り切れるでしょう!」
 
「それでさ、僕と令次がふたりで電話したら、ふたりとも取れちゃったんだよ」
「凄ーい!」
「ふたりとも取れたから、どちらかキャンセルしようかとも思ったんだけどね。ひとつ問題があって」
「ええ」
「このライブ、カップル限定なんだよね」
「へー!」
「僕たち、男同士のカップルですと主張して押し切ろうとも思ったんだけど、以前それやって言い負かされたこともあって」
「あはは」
「いっそ、僕が女装していこうかとも思ったんだけど」
「初海さん、女装しても男にしか見えないと思う」
「実はそうなんだよ。高校時代の同級生にもよくからかわれてたんだけどね」
「へー、女装とかしてたんだすか?」
「うん。学校の女子制服も持ってたから」
「凄い」
 
初海さんって男性同性愛みたいだけど、実は少しMTFも混ざっているのかなと春紀は思った。でも令次さんとの関係は、どちらかというと令次さんの方が女役っぽい気がするのに(直接訊いたことはない)。初海さんはがっちりした体格だが、令次さんは優男だし内向的な感じである。
 
「それで考えてたんだけど、僕たちと春紀ちゃんたちとでペアを組まない?」
 
春紀はへ?と思って一瞬考える。なるほど〜〜!
 
「つまり、初海さんと私がペアになって、令次さんと美夏がペアになって入場すればいいんですね?」
「そそ。せっかくペアチケット2つ取れたから。席では本来のペアに戻って座ればいい」
「美夏も行きたいと言うと思います」
「よし、話は決まった」
 

「だけど、今ペアリング考えた時に、僕と春紀ちゃん、令次と美夏ちゃんって言ったね」
「あれ?違うほうがいいですか?」
「いや、実は令次もそういう組み合わせかなあ、なんて言ったからさ」
 
春紀は少し考える。
「令次さんと私、初海さんと美夏だとなんか違和感があります」
「うん、そんな気がする。令次と春紀ちゃんだと、令次が女の男装ではと疑われて、僕と美夏ちゃんだと、美夏ちゃんが男の女装ではと言われたりして」
「ありそう、ありそう」
 
ああ、こんな会話聞いたら美夏怒るだろうなと春紀は思う。
 

「ところで、司法試験の感触はどうでした?」
「たぶん落ちてる」
「ありゃ〜」
「全然きちんと書けなかったもん。来年またチャレンジだな」
「来年は私も受けます。一緒にがんばりましょう」
「うん、がんばろう」
 

ところで、この夏、春紀と美夏はとうとう携帯電話を買うことにした。これまで、持っていなかったので、結構お互いの連絡に苦労していたのである。ふたりともずっとバイトをしていたので、少しだけ貯金ができていたこと、それに春紀や美夏の経済的な苦境を知って、卒業する先輩から結構なテキストや資料集などを譲ってもらって、書籍代が浮いたのもあった。
 
同じキャリアの方が、相互の通話が安くて済むということだったので、ふたりともセルラー(後のau)にすることにした。デジタルツーカー(後のJフォンでこの会社はその後ボーダフォンに買収され、更にソフトバンクに買収された)とどちらにするか迷ったのだが、ツーカーがなんだか地域ごとにばらばらで動いている感じなのに対して、セルラーは一応地域別の会社になっていても、全国的に違和感なく通用する感じだったので、そちらに決めたのである。
 
新しい携帯で母に連絡すると
「あら、いいわね」
などと言った。
 
「ごめんねー。お金無いのに、こういうのに使ったりして」
「いや、たぶん今からは携帯電話は必需品になってくると思うよ。今は家にある電話を単に電話と言って、携帯電話を長い言い方してるけど、その内、電話と言えば携帯電話になって、家にある電話は家庭電話とか言われるようになるかも」
 
ああ、そうかもしれないと春紀は思った。この母の予言は割と当たったが、その後携帯電話は「電話」と略されるのではなく「携帯」と略されるようになるわけだが、さすがの母もその後携帯電話に多様な機能が追加されていくことまでは予想できなかったろう。
 
携帯電話の番号を母に伝えると
「これ、こちらから掛ける時は頭の030を040に変えればいいんだっけ?」
などと言われる。
 
「え?何それ?」
「確か携帯電話って、近くにある時は030を頭につけて、遠くにある時は040に変えるようになってたはずだよ」
「え?知らなかった」
 
それで春紀は慌てて購入したショップに問い合わせてみたところ、1996年夏まではそういう方式だったが、現在は同じ番号で全国どこでも使えるということが判明し、その旨母に伝えたら「技術が日々進歩してるんだね!」と驚いていた。(実は技術上の問題というより距離別課金が廃止されたためなのだが、その背景には携帯電話に割り当てる番号が足りなくなってきたこともあった)
 

9月上旬。
 
2年生前期(教養部3学期)の成績にもとづいて、進振の第一段階内定者が発表になる。春紀も美夏も希望通り、法学部・薬学部に内定していた。
 
中旬。春紀と美夏はちょっとだけ良い服を着て、しっかりメイクをして中野のサンプラザまで出て行った。初海たちと合流する。結構な長い列に並んで入場するが、入場時には、初海と春紀、令次と美夏が並んで入場する。4人の少し前で、女性同士で入場しようとして係に止められて揉めている人たちがいた。
 
「だから私たち、恋人なんですよー」
「同棲もしてるんです」
などと彼女たちが言っているのを聞いて、春紀たち4人は顔を見合わせた。
 
無事入場できた後、場内で分かれて、実際には初海と令次、春紀と美夏が並んで座った。令次と初海はほぼ同時に電話がつながってチケットを予約したらしかったが、座席は遠く離れていて、令次たちの席は上手寄りの18列目、春紀たちは下手寄りの24列目であった。
 
ライブは盛り上がった。幕が開くと同時にみんに立ち上がり、2時間のダンスタイムである。美夏はキャーキャー声を上げながら激しく踊っていて、何度か興奮して、春紀に強烈なキスをしたが、カップルイベントだけあって、キスをしている人たちは結構居たようである。
 
「だけどボーカルのユーちゃん、いい声してるね」
「声の高さとしてはアルトだよね」
「ああ、なんかドスが効いてると思った。でも春紀もアルトだよね?」
「いったん声変わりしちゃってるから、さすがにソプラノは出ないよ」
 
美夏はふーんという顔をする。
 
「春紀、中学まではテノールっぽい声で話してたよね。あの声は出ないの?」
「もうずっと出してないから出ないと思う」
「へー」
「声って習慣で出しているから、長く出してない音域は出なくなるらしいよ」
「なるほどー」
 
と言ってから美夏はまた少し考えていた。
 
「春紀、もうずっと長くおちんちんを立てるってのやってないじゃん。いざおちんちんをくっつけても立たなかったりしてね」
「なぜ、そういう話になる?」
 
桜木先生はいったん切り離したおちんちんを再接合する手術もたくさんしているとは言ってたけど、再接合したおちんちんはちゃんと機能したのだろうかと美夏は疑問に思った。今度聞いてみよう。春紀が居ない時に。
 

ライブが終わった後、また令次たちと合流し、夜の居酒屋に行って軽く1杯やりながら、ライブの興奮を語り合った。そして終電で帰宅する。春紀たちは電車から降りても、まだライブの余韻が残ったままで楽しく会話しながら道を歩いていた。そしてアパートの所まで来たのだが・・・・。
 
唖然とする。
 
ふたりがあまりのことに声も出せないまま立ちすくんでいたら、大家さんが春紀たちを見つけて寄ってきた。
 
「ああ、あんたたち無事だったか。良かった、良かった」
と大家さんが言う。
「これ、どうしたんですか?」
「分からない。突然崩壊したんだよ。あんたたちと104号室の**さんが連絡がつかなくて焦っていた」
 
春紀たちが住んでいたアパートが完全に崩壊しているのである。消防署の人だろうか、数人入って「どなたかおられませんか?」などと声を掛けている。確かにこれはもし寝ていたりしたら、崩壊したアパートに潰されてしまったかも知れない。
 

結局、あと1人連絡の付かなかった人もパチンコに行っていたということで無事が確認され、無駄な捜索作業になってしまった消防の人たちも「良かったですね」と言って帰って行った。
 
しかしその晩、取り敢えず泊まるところがない!
 
というので春紀も美夏も数人、泊めてくれるかも知れなさそうな女友達に電話するものの、連絡がつかなかったり、あるいは「ごめーん。今日は彼氏が来てるから無理」と言われたりした。
 
「どうしよう?ホテルにでも泊まる?」
「そうだなあ」
と春紀は言ってから、ふと思いついて、ある番号に掛ける。
 
「こんばんは、斉藤さん。実はお願いがあるんですが」
「ん?何?」
「今晩泊めてくれません?」
「へ!?」
 

斉藤検事は話を聞くと、すぐ車でふたりを迎えに来てくれた。
 
「エロ本とか転がってるのは武士の情けで見ないことにして」
と言いながら、部屋にあげる。
 
「ああ、全然気にしません。むしろ読んじゃおうかな」
と美夏。
 
「うち2DKだから、奥の部屋を使ってもらえばいいよ。布団ないけど、毛布だけでもいい?」
「十分です。助かります!」
などと言いながら、部屋に入ったのだが、若い男性の姿がある。
 
「あれ?お客様があったんですか?」
「ああ、そいつは無害だから気にしないで。女の子には興味無いらしいから」
「もしかして、斉藤さんの恋人?」
「違う!俺はノーマルだ!」
と斉藤は言ったが
「僕は和ちゃんと一緒の布団に寝てもいいけど。めくるめく世界に招待してあげるのに」
などとその人物は笑って言っている。
 
お互いに自己紹介する。その人物は藤村真樹と名乗った。名前の読み方は本来は「まさき」だったのを「まき」に変えてしまったらしい。春紀たちも知らなかったが、名前の読みは裁判所などに行かなくても、区役所に届けを出すだけで変えられるらしい。
 
「それは知らなかった!」
「私の名前の読み《ごんべえ》とかに変えちゃおうかな」
と美夏は言うが
「それ無理がありすぎる」
と春紀は言っておいた。
 
藤村さんは何でも自分のマンションでバルサンを焚いたので、今夜友人の斉藤さんの家に泊めさせてもらうことにしていたらしい。
 
「和ちゃんとは、司法修習生の時の同期なのよ」
と藤村さんは言う。微妙に中性的な言葉遣いだ。
 
「検事さんですか?」
「ううん。弁護士」
「の資格を持っているだけだよな?」
「うん。一応弁護士会には登録してるけど、全然弁護士のお仕事はしてない」
「では何のお仕事を」
「プー太郎(無職のこと:最近では多分死語)」
「生活費は?」
「こいつの親父さんが外務省のお偉いさんでお金あるから、すねかじってるみたい」
「へー!」
「子供の頃は外国にも随分行ったよ。インドとか、イランとか、タジキスタンとか、エジプトとか」
「アジアが多かったんですね」
「そうそう。最初は中東局の方に居たんだけど、途中で南部アジア局に異動されたんだよ」
 
「でもこいつ、今、収入も無いくせに、お茶の水の広いマンションに住んでるんだ」
「まあ、たまたま浮いてた物件なんだけどね」
 

取り敢えず4人でお茶を飲んだのだが
 
「そんな突然アパートが崩壊するって何だろうね?」
と斉藤さんが言う。
 
「きっとシロアリか何かだよ」
と藤村さん。
 
「そうかも。戦後間もない頃に建てたアパートらしいんですよ」
「それは年季が入ってるな」
「戦後間もない頃なら、きっと使ってる材木も品質が悪いよ」
「きっとそうだと思います」
「結構床が傾いてたもんね」
「階段登る時に、絶対真ん中に足を置かないといけないステップがあった」
「ああ、俺が行った時、それ最初に注意されたね」
 

「でも君たちこの後、どうすんの?」
「それなんですよ。アパート探さないといけないけど、うまく1日で見つかるか。それに実は引っ越し費用のあてがなくて。実家のお母ちゃんに泣きつこうかなとか考えていたんですけど」
 
「だったら、良かったら、僕のマンションに住まない?」
と藤村さんが言った。
 
「え!?」
「君たち東大生なら、本郷キャンパスにはうちのマンションから歩いて行けると思う」
 
「ちょっと待て。一応男である、おまえのマンションに可愛い女の子2人を住まわせる訳にはいかん」
と斉藤さん。
 
「僕、女の子には興味無いのに。僕は純粋にゲイだよ」
「いや、それでも許せん」
「だったら、和ちゃんも一緒に住む? 監視役で」
「は!?」
 
「うちのマンション、4LDKなんだけど、LDKから各部屋に直接入れる構造なのよ。僕が4部屋のうち2つ使っているんだけど、あと2つは空いてるのよね。だから、そのひとつに美夏ちゃんたちが入って、ひとつに和ちゃんが入ればいいと思う」
 
「あのお、お家賃はいくら払えばいいですか?」
と美夏が訊く。
「タダでいいよ。美夏ちゃんたちも、和ちゃんも。僕も親に家賃払ってないし」
と藤村さんは言ったが
「いや、検事が供応を受ける訳にはいかん」
と斉藤さん。
 
「んー。じゃ、両方とも月3万で」
と藤村さん。
「入居させてください!」
と美夏は言った。
 
それで、春紀たちも、斉藤さんも、藤村さんのマンションに同居することになったのであった。
 

翌日は朝から、斉藤さん・藤村さん、それに友人の定子・安子、さらには普段あまり群れたがらない彰子まで出てきて、片付けを手伝ってくれた。
 
幸いにも崩れたアパートから、書籍やノートの類いはほとんど無傷で回収できた。斉藤さんの車に積み込んで、藤村さんのマンションに運ぶ。
 
「布団には割れたガラスがだいぶ刺さってる」
「これは買い直した方が無難だよ」
「そうしようか」
 
食器の類いは大半が割れていたのでこれも買い直しである。洋服は洗えば使えそうということで、定子が藤村さんのマンションの洗濯乾燥機を使用して頑張って洗濯してくれた。また斉藤さんからもらったパソコンは、モニターは壊れていたが、本体は無事で藤村さんのマンションに持ち込んで動かしてみるとちゃんと動作した。
 
「良かった。ここにデジカメで撮った写真のデータも入れてたから」
と美夏が言ったが
「写真はディスクに入れたままだとハード障害が起きた時に泣くことになるからMOかCD-Rにバックアップしておいた方がいいよ。安定のCD-Rがお勧め」
と藤村さんが言う。
「それ考えます」
と美夏も答える。
 
しかし友人たちの協力のおかげで、夕方までには回収作業を終えることができた。
 
「アダルトグッズがあったのだけど」
と彰子が言ったが
「要るならあげるけど。洗えば使えるはず」
と美夏。
「もらっちゃおうかな。こんなのとても自分では買えない」
「私も買うのに結構勇気が要った!」
 
ということで、せっかく買ったのに春紀が使ってくれない怪しいグッズは彰子のもとに引き取られていった。
 

司法試験の論文式の合格発表は10月に行われたが、初海君はやはり落ちていた。多くの法曹志願者は大学卒業後数年間にわたって司法試験にチャレンジし続けて、2年か3年くらい掛けてやっと合格している。大学に在学中に合格する者はほんのひとにぎりである。
 
春紀が参加している栗原さん主宰のゼミのメンツでは主宰者の栗原さん(修士2年を自主留年中)と吉塚さん(修士2年)、竹森さん(学部4年生を自主留年中で通称5年生)と本当に4年生の金崎さんが合格していたが、他の受験者は、短答式か論文式かのどちらかで落ちていた。3年生で春紀をこのゼミに招待してくれた片山さんは短答式で落ちていた。修士1年の根本さんは手応えあったと言っていたのだがダメだった。おそらくボーダーラインくらいだったのだろう。論文式に合格した4人は今月末に行われる口述試験に臨むことになる。
 

11月の上旬。春紀は母から信じがたい内容の電話を受けた。
 
「あのね、あのね、来年の6月にね、あんたの妹か弟ができるから」
「は?」
「私、妊娠しちゃったぁ」
「え!?」
 
春紀は頭の中が混乱した。妊娠するって、父がもしかして自分も知らない内に一時帰国して母とセックスしたのだろうか? それとも長年の恋人関係にある桜木医師との間の子供なのだろうか? いや待て。母と桜木先生の間でどうやって女同士で子供ができる? 生殖医療のスペシャリストである桜木先生のことだ。女同士で子供作るくらいは何とかする?
 
「それお母さんが産むの?」
「もちろん」
「父親は誰なの?」
「内緒」
「内緒って・・・・お父さんには言った?」
「言ったよ。産んでいいって言った」
「お父さん、帰国した訳じゃないよね?」
「うん。ずっとアルゼンチンにいるよ」
 
春紀の頭の中で民法の条文が駆け巡る。婚姻中に生まれた子は嫡出児だ。父と母の子供として戸籍に入ることになる。でも父はもう15年ほど海外に出たままである。
 

この件を美夏に言ったら、美夏は少し考えたようだったが
 
「まあ、いいんじゃない? 15年も離れ離れで、もし会う気があったら、お父さんが一時帰国するなり、お母さんが向こうに渡るなりしてるでしょ。それをしていないということは、春紀のお父さんとお母さんは実質もう離婚しているのだと思う。お母さんが誰か他の男の人と関係ができても悪くないよ」
 
「そうだよねぇ。じゃお母さん、お父さんと離婚してその人と結婚するのかな」
「そのやりとりの内容だと、それはしないんじゃないの?」
「じゃ、やはり法的にはお父さんとお母さんの間の子供ってことになるのか」
「まあ、そうだろうね」
 

母は春紀を18歳で産んでいる。しかし23歳の時から父は海外に出たまま一度も帰国していない。今母も38歳。子供を産める年齢としてはタイムリミットに近い。ずっと子供がほしかったのかもしれないなと春紀は思った。
 
「私、男性器を取り外したままだから、このままだときっと私に子供はできないだろうし、来年の6月に生まれる私の妹か弟がやがて普通に結婚したらお母さんにも孫ができるんだね」
と春紀は言った。
 
しかし美夏は言う。
「そんなことないよ。春紀、男性器は取り外しちゃったけど、今女性器を取り付けてるじゃん。だから、春紀もお母さんの孫を産めるよ」
 
「私が産むの?」
「こないだも言ったじゃん。ちゃんと産めるはずって」
 
「待って。でもこの女性器って元々は私のものじゃないから、この女性器で妊娠しても、それって遺伝子的には私の子供でもないし、お母さんの孫でもないよね?」
 
春紀がそんなことを言うと
 
「ふふふふふ」
と美夏は笑う。
 

「何?」
「それが君の子供、お母さんの孫を産む方法があるのだよ、春紀君」
「どうやって?」
 
「春紀の男性器も冷凍保存されているけど、精子も冷凍保存されてるでしょ?」
「あ、うん」
 
春紀はオナニーしようとしていたところを母に見つかり、病院につれていかれて男性器を切断されてしまった。その時、春紀の男性器には今射精する直前であった精液がたっぷり詰まっていた。春紀の男性器を切断した桜木医師はその精液をきちんと保存した他、更に手術直前に麻酔で眠っている春紀の前立腺を刺激して、いわゆるトコロテン射精までさせてその精液も保存している。これらの精液は6つの容器に分割して保存されているので、春紀は男性器を体に戻して男性として子供を作る以外に、実は人工授精を6回試みることができるのである。
 
「だからね。私の卵子に春紀の冷凍精液を人工授精させて、それを春紀の子宮に入れればいいのよ」
 
「えーーー!?」
 
春紀は美夏の言う言葉の意味がすぐには分からず、結局紙に絵を描いてみた。
 
「それって、私の子供でもあり、美夏の子供でもあるんだ!?」
「そうだよ」
「だからお母さんの孫なんだね!」
「うちのお母さんの孫でもある」
 
「でも私、妊娠維持できるだろうか?」
「まあ失敗した時は失敗した時で」
 

美夏が桜木医師に電話をすると、桜木医師は
 
「うん、確かにそういう妊娠は可能」
と言った。
 
「ふつうの代理母って、自分と遺伝子的に全く無関係の胎児を妊娠するから、けっこうそこでトラブりやすいんだけど、この場合は、春紀ちゃんは自分の子供を妊娠するから、むしろ問題が起きにくいよ」
 
「じゃ、試してみていいですか?」
「うん。いつでもおいで」
 
その会話を聞いて、春紀が慌てる。
 
「ちょっと待って、それ今やるの?」
「もちろん」
と美夏。
 
「今受精したら出産はいつですか?」
と美夏は電話の向こうの桜木医師に尋ねる。
 
「春紀ちゃん、美夏ちゃん、前回の生理はいつあった?」
「先月の26日です」
「ふたりとも同じ日?」
「なんか同じ日に来ちゃうんですよ」
「女の子同士が一緒に暮らしてたらそうなるのさ。だったら、ふたりとも明後日くらいに排卵があるね。だったら明日そちらに私行くから。それで美夏ちゃんから卵子を採取して春紀ちゃんの精子と受精させて、春紀ちゃんの子宮に投入する。そしたら出産予定日は来年の8月2日」
 
「卵子のすげ替えをするんですね?」
「そうそう。でも卵子の採取って、とっても痛いよ。かまわない?」
「平気です」
と美夏は明るく言った。
 
そして電話を切ってから美夏は言った。
「これで来年の8月には春紀もママになるね」
 
春紀は思いも寄らぬ展開に何を言ったら分からない感じであった。こんなに脳みそがパニックになったのは、唐突に男性器を切断されてしまったあの日、そして突然女性器を移植されてしまったあの日以来だ!
 

桜木医師は実際にはその夜、車を飛ばして東京に出てきたようである。翌朝早々にお茶の水駅前で落ち合って、ふたりを車に乗せて、都内の某産婦人科医院に連れて行った。まだ病院が開く前であるが、院長の春川先生という女性が3人を迎え入れてくれた。
 
「ここの施設を借りるのよ。ここの先生は私のジョンズ・ホプキンス大学時代の同期なんだ」
 
最初に春紀のエコーを取り、念のため唾液と子宮内粘膜まで取って排卵のタイミングが近いことを確認した。
 
次に美夏の卵巣から卵子の採取を行ったのだが、麻酔を掛けてやっているのにベッドの上の美夏は凄く痛そうで、春紀はずっと手を握ってあげていた。ひゃー、これ自分ではやりたくないなと春紀は思った。
 
その後、試験管の中で、解凍した春紀の精液(最初に取ったもの、ファースト・ブルー(first brew)だねと桜木医師は言った)を受精させた。
 
顕微鏡で受精を確認した上で、受精卵を2個、春紀の子宮に入れる。今度は春紀がベッドに寝て、そこに注射器を使って入れる。ちょっと変な気分だ。
 
「これでOK」
「これで妊娠します?」
「運だね」
「2個入れましたけど、双子になる可能性は?」
「一般に、体外受精の妊娠成功率は2割くらいと言われる。でもそれは元々不妊治療していて、卵子や精子にそもそも問題があるケースが多く含まれているんだ。君たちは卵子・精子自体はおそらく健康。だから成功率は50%くらいだと思う」
「それで計算すると、双子になる確率が25%、妊娠不成功の確率が25%、1個だけ着床する確率が50%になりますね」
「さすが理系女子。即答で暗算したね」
 
「でも私、今妊娠しちゃったら、勉強の方はどうすればいいの?」
と春紀は不安そうに言う。
 
「普通に学校に行っていればいいですよね」
と美夏。
 
「うん。まあ土方のバイトとかはしないでね」
「そんなのはしません」
「体育の授業くらいは出てもいいけど、トライアスロンやったりチョモランマ登山とかはしないこと」
「しません!」
 
「妊娠したら、12月くらいにつわりが来ると思うから」
「きゃー」
 
「これで母娘同年出産になりますね」
と美夏が言う。
 
「うん。本当は母と息子だけどね」
「まあ母の出産はいいとして息子が出産するというのは珍しい話ですね」
「うん。すごーく珍しい」
 
「ね、桜木先生」
と美夏が訊く。
「何?」
「春紀のお母さんの子供の父親って誰なんですか?」
「聞いてないの?」
「ええ」
「春紀のお父さんに決まってるじゃん」
「えーーー!?」
 

10月の26日に生理が来たので、次の生理は11月23日くらいの予定だったが、春紀も美夏も生理は来なかった。
 
「私が妊娠したんだったりして」
と美夏が言うので。春紀はまじめに悩んでいた。
 
12月に入ったところで桜木医師の指示に従い、人工授精を行った春川医院に行く。
 
「おめでとう、妊娠してますよ」
と言われる。
 
美夏は「やった!」と喜んでいたが、春紀はまだ戸惑いを隠せないでいた。
 
「子供は1人ですか?2人ですか?」
「あんたたち、2人だったら2人とも育てる?それとも減数する?」
「2人とも育てます」
「だったら、多分2月くらいになったら分かるから、教えてあげるよ」
「よろしくお願いします」
 

春紀と美夏は診断結果をすぐ桜木医師に報告した。
 
「やったね。レスビアンカップルはこうやって子供を作れるんだよねー」
「ゲイカップルは厳しいですね」
「子宮がないから難しいね」
 
「今回は私の卵子を使いましたけど、もし春紀の卵子を使ったらどうなるんでしょう?」
「妊娠は可能だと思うよ。春紀ちゃんの排卵タイミングで春紀ちゃんの精子を子宮内に投入すればいい。体外受精もしなくていいから簡単」
 
「それって父親も母親も春紀になるんですか?」
「遺伝子的には父親だけ。母親はその卵巣のドナーだよ。だって卵子って、女の子が生まれた時に既に全部卵巣の中にできていて、あとは1個ずつ成熟して出てくるだけだから」
「あ、そうか。卵巣移植って、卵子ごともらうんですね。精巣を移植した場合の精子はどうなります? 精子は日々生産されるものでしょ?」
 
「私も確かではないけど、やはりドナーの遺伝子を引き継ぐと思う。精子を生産するシステムがドナーの遺伝子を持つ細胞でできているから」
「なるほどですね」
 

春紀が妊娠のことを母に連絡すると母は
「すごーい。妊娠しちゃうなんて、春紀ほんとに女の子になったんだね。来年一緒にお母さんになろうね」
などと、うきうきした声で言っていた。
 
うーん。いいんだろうか?と春紀は悩む。うちのお母さんもホント適当だよなあ。でもお母さん、やはり私を女の子にしたかったんだろうな、などとも春紀は思った。
 
一方、美夏が春紀の妊娠のことを自分の母に報告すると
「あんたたち、ちゃんと避妊してなかったの?」
などと言われる。美夏の母は、てっきり美夏が避妊に失敗して妊娠したのだと思ったのである。
 
「違うよ。計画的な妊娠。だって司法修習生やったり、新人弁護士やってる時に妊娠なんてできないから、今のうちに子供作っちゃうのよ」
 
「司法修習生??」
「あ、妊娠したのは私じゃなくて春紀だよ」
「嘘。春紀ちゃん、妊娠できるの?」
「まあ、世の中にはいろいろ不思議なこともあるから」
「で父親は誰よ?」
「私だけど」
「あんた精子あるの〜?」
 

「でもさあ、これ受精卵を私の子宮に入れる必要性あったの? 美夏の子宮の方が安定して育たない?」
と春紀はやっと、そういうことに気づいて美夏に尋ねた。
 
「だって私勉強があるもん」
と美夏は言う。
 
「私だって勉強があるんだけど!?」
「まあ、できちゃったものは仕方ないから、春紀、ちゃんと産んでね」
 

春紀はいつも出ている弁護士事務所で、直接の上司にあたる戸川弁護士にも自分の妊娠のことを話した。
 
「在学中に妊娠しちゃうなんて大胆だね!」
「今の予定だと、8月上旬に出産なんです。ですから口述試験は出産後になりますから」
「ほほぉ、口述試験を受ける気満々なんだ?」
「はい。ですから、こちらでのバイトもできたら、そのまま続けさせてください」
「うん。体調的に支障がなければ、こちらは全然問題ないよ」
「ありがとうございます」
 

初海君と令次君も話を聞くと
「大胆だね」
と言った。
 
「精子は誰かからもらったの?それとも生でやった?」
「人工授精ですよ」
 
「いいなあ。僕たちは子供の産みようがないから」
と初海君は言う。
「初海に子宮を移植してそれで産んでもらうなんてどうだろ?」
と令次君が言うと
「産むなら令次だな」
と初海君は言った。
 

マンションに帰ってから斉藤さんにも話すと「えーー!?」と驚いていた。
 
「春紀ちゃん、実はバイだったの?」
「違いますよ。私は美夏ひとすじ。人工授精したんですよ」
「でも精子は?」
「友人に頼んだんです」
「どうせなら、僕に言ってくれたらよかったのに。精子なんて捨てるほどあるのに、というか毎日捨ててるのに」
 
2年くらい前の春紀なら、そんな言葉を聞いたら恥ずかしがっていたかもしれないが、さすがに20歳にもなると耐性ができている。
 
「うふふ。その精子さんが捨てられずに活用される日が来るといいですね」
と春紀は言っておいたが、お茶を入れてくれた藤村さんは
 
「和ちゃん、精子余ってるなら、僕にもちょうだいよ。人工授精じゃなくて直接注入してくれてもいいよ」
などと言う。
 
「真樹、おまえだって精子持ってるだろ?」
「だって和ちゃんの赤ちゃん産みたいもん」
「おまえ、産めるの?」
「和ちゃんのお嫁さんになりたいから夜這い掛けようとするのに、和ちゃんたら夜中は鍵をしめてるんだよね」
「だから俺はホモじゃねぇってのに!」
 
春紀たちの貞操が危ないからと言って斉藤さんはこのマンションに引っ越してきたのだが、これでは多分斉藤さんの貞操の方がよほど危ないなと春紀は思った。
 

大学の友人たちも一様に春紀の妊娠に驚いた。
 
「凄い。在学中に妊娠か」
「それ、うっかりじゃなくて、わざとなんだ!?」
「休学して出産するの?」
「ううん。うまい具合に出産予定日が8月なんだよ。だから夏休み中に産めるから全然問題ない。司法試験も論文式が終わった後だし」
「大きなお腹かかえて、司法試験受けるんだ」
「当然」
「偉い、がんばれ!」
 
「だけどあれだね」
と彰子が言うので
「何?」
と訊く。
 
「いや、実はさ、春紀って女の子にしか見えないけど、実は男の娘なんじゃという噂もあったけど、妊娠したってことで、それはガセだったことが証明されたね」
 
「そうだなあ、とりあえず今のところ、私は男の子じゃないよ」
と春紀は笑顔で言った。
 
 
前頁目次

【続・受験生に****は不要!!・夏】夏は振り分けの季節