【春牛】(1)

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その日青葉は久しぶりに赤いアクアを運転して高岡から金沢への通学組を乗せて8号線を金沢に向かって走っていた。
 
メンバーは青葉、美由紀、明日香、世梨奈の4人でこれに星衣良が加わる日もある。4年前の大学進学以来このメンツで高岡から金沢まで通学してきた。当初は毎日青葉が運転していたのだが、その内青葉が多忙になり、一昨年春以降は明日香が運転する日が多くなっている。昨年の夏休みには世梨奈と星衣良も就職を見据えて免許を取ったので、最近は世梨奈が若葉マークをつけて運転する場合もある。ちなみに美由紀はみんなから「あんた絶対事故起こすから免許は取らないほうがいい」と言われている。
 
(世梨奈は夏休みに免許を取りに行って30万使い、また夏休み中のバイトもできなかったので授業料が払えなくなり冬子から50万ギャラを前借りした)
 
それでおしゃべりしていた時、アメリカとイランの対立問題が話題になり、トランプは何やるか分からないから怖いよね、という話から、昨日もアメリカ大使館にロケット弾が撃ち込まれたんだって、と明日香が言った。
 
すると唐突に美由紀が
 
「え?ロケット団がどうしたって?」
と発言した。
 
青葉も一瞬訳が分からなかったのだが、世梨奈が
「ポケモンの話じゃないよ。戦争の話だよ」
と言ったので、青葉もようやく理解した。
 
「ムサシ・コジローの方じゃなくて、ロケット・ランチャーなのね」
 
「人は聞いた言葉を自分のよく知っている単語として把握する傾向があるのよ」
などと世梨奈は言っている。
 
「カチューシャ使ったらしいよ」
「ロシア軍の規律の緩い所から横流しされているのでは?」
「世界の平和を守るためだね」
「わざと横流ししているんだったりして」
「ありそうで怖いなあ」
「ところでロケット団といえばムサシとコジローでニャースは忘れられがちだよね」
 
どうもまだ話はかみ合ってないようである。
 
「でも勘違いといえばさ、こないだ友だちからノーパン・カフェに行こうと言われて気でも狂ったかと思ったよ」
と世梨奈が言う。
 
「ああ、ノーパンと言えば多くの人がパンツ穿かないという意味に取るよね」
「ノーパン喫茶なんて流行ったのはもう40年くらい前だけどね」
「最近では鍋の類い(パン)を使わない料理、レンチン(レンジでチン)の料理をノーパンと言うらしいね」
「ああ、ノーパン健康法なの?」
 
「レンジのみで調理するのがポリシーというカフェらしいのよ」
「ポリシーというのは微妙だな。手抜きとしてのレンチンはありだけど」
「でもレンジ使うと油が最小限で済むらしいよ」
「ダイヤモンドコートのフライパンとか使えば、鍋を使用した料理でも余分な油は使わずに料理できるけどね」
 
「そうだ!フードが全部レンチンという喫茶店作ってさ、ノーパン喫茶って看板出したらお客さんたくさん来ないかな」
「詐欺だと言われて袋だたきにあうという説に1票」
 
「でもダイヤモンドコートって本当にダイヤ使ってるの?」
「使っていなかったら、ダイヤモンドコートは名乗れない」
「ダイヤも安くなったもんだね」
「指輪に使うような巨大なのは高いけど、粉レベルのものは合成でどんどん作られているから安いよ」
 
もう既にイランの話はどこかに行ってしまった。
 

「え〜?桃姉、また切符切られたの?」
と青葉は呆れたように言った。
 
「お巡りの奴、ずっこいんだよ。脇道に隠れていて。そもそもあの道は直線で道幅も広いし、あんな所を40km/h制限にするっておかしいよ。あそこは60kmか、せめて50km/hにすべき」
と桃香は文句を言っている。
 
「でいくらオーバーしたのさ?」
と青葉が訊くと
「24kmオーバー、15000円、点数2点」
と言って、薄青色の切符と納付書を見せる。
 
「制限速度60キロとしてもオーバーしてるじゃん」
と朋子が指摘する。
 
「15000円も無いや。千里〜、貸してくんない?原稿料入ったら返すから」
「はいはい」
と言って、千里は財布から2万円出して
「払い込んだらお釣り返してね」
と言っている。
「うん。ありがとう」
と言って桃香は受けとるが、こういう場合、まずお釣りも本体も返って来ない。しかし千里自身がだいたいお金を貸したことを忘れてしまう。千里は忘れ物の天才である。
 
ちなみに反則金は1週間以内に納付する必要があり、納付しなかったら交通反則通告センターから再度納付書が送られてきて、それでも払わなかったら警察から出頭要請が来て、それも無視していたら、最悪逮捕・本裁判もあり得る。普通は7日以内に払い忘れたとしても、通告センターから納付書が送られてきた時点でビビッて払うが、繰り返し無視続ける悪質ドライバーは本当に本裁判まで行く可能性もある。また車の所有者に対して使用禁止が科せられる場合もある。
 
「桃香、免停は大丈夫だったの?」
「今回ので5点になるんだよ。あと1点で免停くらう」
「桃香、前歴はなかったんだっけ?」
「前回免停くらってから1年間あいたから消えた」
「よく1年も捕まらなかったね」
「私も、そうしょっちゅうは捕まってないよ」
 
「ちー姉はゴールドだよね?」
と青葉が訊く。千里は
「もちろん」
と言って、金色の帯の免許証を見せる。
 
「千里がゴールドって信じられない。結構スピード出す癖に」
「警察がいる所やオービスのある所では慎重に運転するからね」
 
「警察の居るところって結構法則があるよね」
と青葉も言っている。
 
「まっすぐの直線とか、下り坂の先とか、高速のICを出た後とかは危ない。そもそも金曜の夜から土日祝日は警察が頑張るから怖い」
と千里は言っている。
 
「あと変わり方の速い信号は信号無視車ホイホイだから、特に知らない道では歩行者信号に気をつけて点滅し始めたらスピードを落としてすぐ停まれるようにする」
 
「普通は赤になってから3秒間はそのまま通過しないか?」
などと桃香が言うと
「その3秒の根拠はどこから来るの?」
と朋子が呆れて言っている。
 
「だけど、この付近だと、今のちょっとやばかったかなと思いながら赤信号を通過すると、だいたいそのあと2台は後ろの車が通過するぞ」
 
「田舎ではそうだけど、それ都会でやると確実に捕まるから」
 
「あとスピード違反の場合、警察は車列の先頭しかたいてい捕まえないから、自分が先頭にならないように走っていれば、まず安全。2台目まで捕まったのは1度しか見たことない」
と千里は言っている。
 
「やはり2台目まで捕まることもあるんだ?」
と朋子が訊く。
「うん。珍しーと思った。ネズミ取りだったけどね」
 
「しかしちんたら走る車の後ろとかイライラするんだけどな」
「桃姉、それでハミ禁(はみ出し追越禁止:黄色い中央線がある)の所で切符切られたこともあったのでは?」
「あんまりノロノロ運転しているから追い越したらすぐ前からパトカーが来るんだよ。タイミング悪かった」
「ハミ禁の所は見通しの利かない場所が多いから、そもそも追い越しは危険なんだけどね」
と千里は言った。
 

竹田はその日、日中珠洲まで仕事で行ったのだが、打ち合わせが長引いてしまい終わったのはもう20時すぎだった。会社に連絡を入れた上で直接帰宅することにする。打ち合わせていた取引先の人から「お子さんにどうぞ」と言われてもらったケーキ(吉野屋のケーキだった)をお土産に、珠洲道路・のと里山海道を南下し、徳田大津JCTからは能越自動車道を走って高岡ICで降りた(高岡の次の福岡ICまでが無料区間。しかし福岡まで行くと遠回りになるので高岡で降りる)後、国道8号を走って富山市の自宅に向かった。
 
珠洲を出たのが20時過ぎで、途中のコンビニで休憩したり軽食を買ったりしていたのもあり、高岡まで来たのはもう0時すぎである。もっと早く戻りたかったのだが、珠洲道路で過積載のトラックがノロノロ運転していて追越も困難だったので、かなり余分な時間を取ってしまった。珠洲道路の一番の問題点は追い越せるような場所が少なく、それも対向車線を使わないと追い越せないので、向こうから車が来ていると追い越せないことである。
 
国道8号はだいたい制限速度60km/hの所が多いが、竹田は夜中だし警察もいないだろうと思い、75km/hくらい出していた。それでしばらく走っていた時、後ろから白いワゴン車が来て竹田の車を追い越して行った。竹田は自然にその車に追随した。速度は90km/hである。ちよっと出し過ぎじゃないかと思ったが、夜中の8号線は高速道路と間違っているのではと思うような車さえ居る。
 
しかし警察が捕まえるにしても、先頭の車を捕まえるだろうから自分は無事なはずだ。それで竹田は若干の罪悪感を覚えながらも90km/hで前の白いワゴン車を追随した。この車のお陰で早く帰宅できる。助かった、などと竹田は思っていた。ところがそれで10分近く走っていた時、後方に赤いランプがあるのに気づく。白バイだ!やばいやばい。竹田はブレーキを踏まずにエンジンブレーキで速度を落とした。前の白いワゴン車との距離がどんどん離れていく。
 
白バイが自分の車の所まで来る。
 
停止を命じられる!?
 
嘘だろ?俺より前のワゴン車を捕まえろよ!
 
と思うが白バイの指示には従わなければならない。
 
竹田はブレーキを踏むと同時にハザードを点け、車を左に寄せて停止させた。白バイから警官が降りてくる。窓を開ける。
 
「免許証を見せて」
「お巡りさん、俺より前のワゴン車を捕まえないんですか?」
「前のワゴン車?」
「俺はあのワゴン車に追随して走っていただけですよ」
「そんなワゴン車は見なかったけど」
「え?だって俺のすぐ前を走ってましたよ。今からでも追えば追いつくと思うけど」
「あなたが車列の先頭だと思いましたけどね」
と警官は言い
「そんな速い車がいたのなら念のため手配しよう」
と言って無線で連絡していた。
 
「でも先頭でなかったとしても、あなたも速度違反ですよ。何キロ出していたか分かりますか?」
「えっと・・・70くらいかなあ」
「車載の速度計で測ったのでは84km/hだったんですけどね。ここは60km/hの道ですよ。いつもこのくらい出しておられます?(誘導尋問)」
と警官は言った。
 

「幻のワゴン車?なんです?それ」
と青葉は幸花に尋ねた。
 
「今ネットで噂になっているのよ。だいたい出没しているのは白山市から魚津市まで付近の国道8号線や国道159号・160号・415号とか、富山県道32号,57号、石川県道1号,2号,59号」
 
「けっこう範囲が広いね」
「一応全部幹線か」
「そうそう。夜中の幹線に出没している」
と幸花は言う。
 
「ひとりの人が『納得いかない』と言ってツイッターに書き込んだら、『自分も同じ目に遭った』という書き込みが続出して、それで“幻のワゴン車”という名前がついた」
 
「どういうのなんですか?」
と、この日もテレビ局に遊びに来ている真珠が尋ねる。
 
「真珠ちゃんもバイク運転するから気をつけなよ」
と幸花は前置きをしてから説明した。
 
「だいたい夜中の0時すぎくらいから2時くらいに時間帯的には集中しているけどもっと早い時間帯の場合もある。白いワゴン車が後方から来て追い越して行くんだって。だいたい付いていける程度のスピードオーバー、70km/hから大きな道だと90km/hくらいで走るから、つい追随していく。付いて行く側としては、こんな時間に警察は居ないだろうし、もし捕まるにしても先頭のあのワゴン車だろうと思って追随する。ところが白バイとかパトカーが来て、その追随している人を捕まえる」
 
「もしかして白バイはそのワゴン車を見ていないというのですか?」
と明恵。
 
「そうなのよ。自分よりあの先頭のワゴン車を捕まえてくださいよと警官に抗議しても、警察はそんなの見てないと言うらしい」
 
「幽霊ワゴン車か」
と城山が言う。
 
「どうもそういうものみたい」
 
「それ警察の見解は?」
「石川県警に取材に行ってきた。確かにその噂は聞いているけど、警察は速度超過していたら捕まえるだけだし、車列の2台目以降は捕まえないということはないので、きちんと速度を守って走って欲しいということ」
と神谷内さん。
 
「まさに公式見解だなあ」
 
「でもこれある所からの裏情報だけど、石川県警・富山県警の交機と高速隊には夜間速度違反の車を捕まえる時はその更に前方にも車がいないか充分確認するようにという指令が出たという噂もある」
 
「それ警察への信頼の揺らぎにも繋がりかねませんね」
「だから警察も慎重になっているみたい」
 
「そのうち、短気な奴がその場で納得いかないと言って暴れて公務執行妨害で逮捕されるような事件も起こりかねないなあ」
と神谷内さんが言っているが、青葉もその恐れを感じた。
 
「でもこれ取材は難しいですよ。速度超過して走ってみる訳にもいかないもん」
「うん。テレビ局がそんなことする訳にはいかない」
 
「取り敢えず取材困難かなあ」
 
それでも番組ではツイッターへの書き込みを元に、取材に応じてくれる人がいないかネット上で尋ねてみたところ5人の“被害者”が取材に応じてくれたので、幸花と森下カメラマンで取材に行き、話を聞いてきた。
 
「その白いワゴン車の車種とかナンバーとかは分かりませんよね?」
という質問に対して取材した5人の内2人は分からないと言ったが、2人がアルファードだったと思うと答え、1人はヴェルファイヤかもと答えた。
 
「兄弟車だね」
と神谷内さんは言った。
 
「そうなんですか?」
「ボディ自体は共通でフロントグリルとかライトとかが違うだけなんだよ。だから相互に見間違える可能性があると思う」
 
「5人中3人が言っているということは、アルファード系の車ということですね」
「そう考えていいと思う」
 
「あと1人がですね。何とか代行と書かれていたような気がすると言ってたんです」
「それは大きなヒントだね」
「自信は無いということでした」
 
「代行なんて名前は運送会社かなあ」
「ああ、運送会社では時々ある名前かもね」
 
「つまり商業車ということかな?」
「でも5人中4人が白ナンバーだったと言っているんですよ」
「あと1人は?」
「ナンバープレートは泥で汚れていて見えなかったと言っている」
「ああ」
「そうなると個人経営の運送屋さん、あるいは便利屋さんとかかも知れませんね」
「多少の想像を許せばね」
 
「よし。ここ1〜2年で事故死した個人経営の運送屋さん・便利屋さんとかが居ないか新聞記事を検索してみよう」
と幸花は言った。
 
「それはやってみる価値があるね」
と神谷内さんも言い、この件は取り敢えず幸花の作業結果待ちということになる。
 

青葉が“つい”買ってしまったエグゼルシス・デ・ファイユ津幡(町長が勝手に火牛スポーツセンターと命名してしまう)の追加土地売却と開発許可については、議会で審議した結果、1つだけ問題点が出た。
 
それは周囲に作る幅4mの道路なのだが、消防車(車幅2.4m程度以下)が楽々通れるサイズということで設定したのだが、『消防車がすれ違えない』という意見が出たのである。消防車どころか、普通車で車幅の広いもの、例えばレクサスLXでも、ミラーを出したままでは、すれ違うことができない。レクサスLXの車幅は198cmあるので、“双方が”かなり上手な人でないとミラーを畳んでもすれ違うのは困難である。ちなみに国産普通車で最も車幅が広いのは、光岡自動車のオロチで2.035mである。しかし消防自動車には2.4m近いものもあるし、一般のトラックでも車幅の広いものはあるから、どっちみち最低でも6m、余裕を見たら7mは必要ということになった。
 
そこで道路の幅(=追加売却する土地の幅)は4mではなく7mにしましょうということになったのである。
 
その結果町が青葉に売却する土地の面積は
 
(元案) 288×328 - 270×270 - 8×14 = 21452
(新案) 294×334 - 270×270 - 8×17 = 25160
 
ということで、3708m2増えることとなった。それで価格についてはそのまま計算すれば3411.36万円増の2億147万2千円となるところを、色々貢献してもらっているしということで少し値引して1億9千万円ではどうかと打診された。
 
それで青葉も同意し、この土地は1億9千万円で売ってもらえることになった。最初に出した7億円と合わせて土地代は8億9千万円になる。
 
なお、これが商業地であれば固定資産税を建物の分まで含めて毎年1億円近く払わなければならないのだが、町自体も関わっている公園ということで非課税になるらしい(学校の土地や寺社なども非課税)。
 
なお、町が提案したテニスコートとグラウンド・ゴルフ場については町も参加した第三セクターで建築・運営するという案もあったのだが、青葉と千里は町長と会談し、
「第三セクターは概して責任が曖昧になり、多大な経費がかかります。民間に任せて下さい」
と申し出たので第三セクターではなく、千里のPhoenix Trineが建設・運用をすることになった。
 
青葉は千里に「建設費は分担しようか」と言ったのだが、千里は
「どうせ20-30億円でこの2棟は建つと思うから青葉はいいよ」
と言われたのでお任せすることにした。
 
「そもそも土地を買うのに結構無理してない?」
「少し」
「まあご自愛を」
「ありがとう」
 
このテニスコートとグラウンド・ゴルフ場についても固定資産税は非課税になる見通しである。デファイユ津幡の施設の中で課税されるのはアクアリゾートの地下プール以外の部分(レジャープール、スパ・仮眠室・個室宿泊ゾーン・2F商店エリア)のみということになるようである。
 
売却と開発の許可が下りたのが12月13日(金)で、青葉は即1億9千万円を津幡町の口座に振り込んだ。そして、翌日町の担当者と一緒に新たな境界標を打ったのだが、その夜の内に樹木の伐採が終わってしまったので、青葉も呆れた。しかし播磨工務店さんの施工能力が物凄いことだけは理解した。
 

貴司が勤めていたMM化学の履歴を歴代社長を中心に見るとこのようである。
 
1936 丸正正義(30)が創業。戦時物資の生産、戦後は家庭用プラスチックの生産で繁盛して会社の礎を築く。“MM”は丸正正義の頭文字であると同時に出身地の三重県松阪市にもちなむ。
1976 忠義(70)が息子の邦夫(42)に禅譲。この時代はあまり目立たない企業だった。正義は1995年に死去(89).
2006 邦夫が急死(72)して、双日で“修行”していた息子の義邦(42)が社長に。義邦の時代に業績が100倍に成長。関西を中心に全国20個の工場を保有。
2014 義邦社長が病気で倒れ意識不明に。昌二副社長(65)が経営の指揮を執るが売上半減。
2015 銀行から送り込まれた田中道宗(58)が新社長になり、義邦・昌二解任。資産を売却、リストラを進め、売上は縮小するも利益率は高まる。研究開発型の企業から輸入販売型の企業に変身。
2017 中堅塗料製造会社Wペイントを吸収合併。
2018.7 田中社長が逮捕され解任。Wペイント出身の鈴木亭徳(48)が社長に就任。生産研究所を復活させ、再度研究開発型の企業への変身を試みる。業績は倍に拡大。
2019.6 株主総会のクーデターで鈴木社長が解任され高縄が社長に。会社の機能が麻痺して倒産の危機。
2019.9 高縄が取締役会で解任され、平本が暫定社長に。
2019.9 臨時株主総会で丸正義邦の次男・丸正義月(27)が社長に。
 
その話はまだ田中が社長だった2018年春に持ち込まれた。電話して来たのは雨宮先生である。
 
「あんたちょっと買い物しない?」
「チョコレートかキャンディでも買いますか?」
「工場をひとつ買ってほしいのよ」
「何です?それ」
「あんたの旦那が勤めているMM化学だけどさ」
「はい?」
 
意外な所から意外な名前が出て来たので千里は驚く。
 
「今の社長(田中)の代になってから、次々と資産が売却されていてさ、実際問題として資産の売却額で食って行っているのではという気がするんだけど」
 
それは千里も若干感じていた。義邦社長の時代に全国に20あった工場が現在は確か7-8個まで減っている。
 
「それでさ、あんた草津工場を買わない?」
「なんでそういう話になるんですか?」
「草津工場は地理的に大津工場とだぶっていてさ、使用している生産機械も大津工場の方が新しいし、今草津工場が生産している製品が必ずしも売れ行きがよくなくてさ、それで売却を検討したけど買ってくれそうな所がないから、このままだと閉鎖になりそうなのよ。更地にして土地として売却」
 
「それをなぜ雨宮先生が買収話を持ってくるんです?」
「私の娘(後の女優・秋山怜梨)の母親がその工場に勤めているのよ。もし工場が閉鎖されたら失業して私が生活費を全部見ないといけなくなるじゃん」
 
なんて個人的な理由なんだ!
 
「だったら先生が買収したらいいじゃないですか?」
「私20億も無いもん」
「先生の資産は数百億あったと思いましたが」
「行来の奴が全部押さえていて私の自由にはならないのよ」
 
まあそれが安全だよなと千里も思う。雨宮先生の手にかかれば1年で400-500億パーッと使い切って(飲みきって)しまいそうだ。
 
「でもその工場って何を作っているんです?」
「ビニールシートが主力かな。あと、プラチナみたいに見えるプラスチックのアクセサリー、プラスチーナ」
 
千里はドキッとした。千里と貴司が半ばお遊びで所有していた“普段使い用の”マリッジリングがプラスチーナ製だ。(むろん本物の金のも持っている)。あれを作っていた工場が閉鎖される? それは寂しい気がした。
 
「同様に金(きん)みたいに見えるプラスチック、ゴールディー」
「ああ」
「同様に女の子みたいに見える男の子、偽娘(ウェイニャン)」
「はあ!?そんなのどうやって製造するんです?」
 
「まず男の子を仕入れてきてだね、ベッドに寝せて服を全部脱がす。着ていた男の服は全部暖炉に放り込んで燃やしてしまう。この燃やすのが大事。もう男の服は着られないのだということを認識させる」
 
「はあ」
「全身の毛を剃ってツルツルのお肌にする。だいたいこの時点で自分の手足の真っ白い様子を見て陶酔する」
 
「あそこはタックしてしまう。ほら、邪魔なおちんちんは無くなっちゃったよ、と言い聞かせる。ブレストフォームを貼り付けて、ほらおっぱいできちゃった。君はもう男の子じゃなくて女の子だよ、と言ってあげる」
 
「それでパンティーを穿かせるとタックしてるからぴったりフィットする。ブラジャーを着けるとブレストフォームのおっぱいがブラにきれいに納まる。そしてスカート穿かせて、ブラウス着せて、ついでにセーラー服着せて」
 
「スカート穿かせた上にセーラー服着せるんですか?」
 
「スカート・オン・スカートよ。それで、明日からはこの格好で学校に行くんだよと諭す。だいたい2時間くらいで男の子が男の娘に変身する。1日に4人くらいのペースで生産できるかな」
 
「雨宮先生の発想ってマリちゃんと似てますね」
 
「あの娘(こ)と一緒にしないで!」
 
向こうもそう言うかもね、と千里は思った。
 

「あとロックウール、スラグウール、グラスウール」
「なんでしたっけ?」
「岩石とかガラスでできた繊維。有害だということが分かったアスベストに代わって最近耐火建築の建材として使用されている」
「そんなのがあるんですか」
 
「アスベストは天然のものでカナダや南アフリカで産出されていたのを全量輸入していた。竹取物語に出てくる『火鼠の皮衣』というのは、実際にはアスベストで織った布だと言われている」
 
「へー!」
「だから5人の求婚者の中で唯一の実在の人物・阿倍御主人(あべのみうし)だけは実在するものを要求されたので、本当にかぐや姫の要求を実現して、姫を手に入れられる可能性があったってことさ」
 
「それは色々想像させられる話です」
 
「でもアスベストは輸入品だから高かった。国内で作れるロックウールは価格も安くて発癌性も無くて助かるんだよ」
「岩石を繊維化するんですか?」
 
「面白いよ。岩石とかガラスを高温で融かして、遠心力で吹き飛ばして繊維化するんだよ。綿飴の作り方に似ている」
 
「へー。見てみたいですね」
「一度見学に行くといいよ。ロックウールは岩石から作る。スラグウールはスラグ、日本語では鉱滓(こうさい)と言うけど、製鉄の際に出る屑みたいなものから作る。グラスウールは廃ガラスから作る」
 
「もしかして廃物再生ですか」
 
「そうそう。リサイクル素材なんだよ。製鉄所とか、あるいは解体業者や自治体が回収したスラグや廃ガラスを買い取って、それを新たな建築材料として再生している。だからここが閉鎖されると困る所も多いみたいね。建物解体やゴミ処理の費用を抑制するのに役立っていたのに」
 
「その工場が20億円なんですか?」
「建築した時は80億円掛かっているんだけど、なんせ1980年代に建てたものだから減価償却して残存価格かな」
 
「80億円の残存価格なら8億円なのでは?」
「値切ればそこまで落とせるかもね」
 
「プラスチーナに思い入れがあるんで買ってもいいですよ」
と千里は言った。
 
「でも私忙しいんです。交渉とか契約は先生の方で進めてもらえませんか?私が買収額を出しますので」
 
「分かった。助かる。毛利に作業はさせるよ」
 
毛利さんも結構忙しいのに可哀想にとは思ったが、彼なら大丈夫だろう。交渉もうまいから、ひょっとすると15億くらいまで値切ってくれるかも。
 
と千里は思ったのだが、実際には毛利さんは最初の提示価格の半値近い12億まで値切ってくれた。この内1億はブラスチーナとゴールディの権利料なので、実質11億円で買ったようなものである。
 
それで千里は2018年6月に化学工場のオーナーになった(この工場を運営するための会社フェニックス・ケミカル(Phoenix Chemical)を設立した)のだが、その直後に田中社長が不正土地取引事件で逮捕されて解任されたので、社長交代後ならこの買収はなかったかも知れない。
 
なお。実際の経営はここの工場長だった人を社長に任命して任せた。この人の要請により5億円かけて古い製造機器の更新もしたので、主力製品のビニールシート(主としてビニールハウス向け)や不燃シート・防炎シートなどはもちろん、ロックウールやグラスウールの生産能力も高まった。MM化学の手を離れたため販路を失ったが、営業部隊が頑張ってくれて(リーダー格の人が実はかつて貴司の同僚だった人で凄く頑張ってくれた)、大手ホームセンターとの契約を取ってくれたので、これまでの販売量をほとんど落とさずに済んだ。売れ残った分も倉庫に積んでおき、生産縮小はせず、生産物の比率を変えるだけで対応した。
 
しかし翌年、この工場の生産物の大きな販路が得られるのである。
 

草津工場を買収して少し経った頃、千里は秋田出身で旧知のバスケガールの横山春恵と会った。40 minutesの中折渚紗の元チームメイトである。彼女は以前、都内の宝飾店に勤めていたのだが、現在は大手スーパーの洋服売場に勤めている。彼女にゴールディーとプラスチーナの指輪を見せてこれが売り物にならないか相談してみたのである。
 
「これ面白ーい!こんなのがあったって知らなかった」
と彼女は面白がった。
 
「MM化学という関西の化学製造会社の製品なんだよ。もう6年くらい前に開発されたものなんだけど、お堅い会社だから、うまく販路に乗せられないみたいでさ。もう工場も閉鎖するという話になっていたところで私が権利を買ったんだよ」
 
工場まで買ったとは言わない。取り敢えず権利の話だけしておく。
 
「もったいない。これ宝飾店とかアクセサリー売ってる所と提携すれば、いい製品になると思うのに」
「やはり見込みあるよね?」
「あると思う」
 
「こういうののアクセサリーのデザインとかできる知り合い居ない?その人のデザインに基づいて工場で必要な形のものを作らせるよ」
「高校の同級生で仙台でアクセサリーデザインをしている、須崎って子がいるんですよ。話持ちかけていいですか?以前は東京のジュエリーマキの仕事してたんですよ」
「それはプロだね。お願い」
 
それでプラスチーナ(2012年開発)、ゴールディー(2014年開発)は2018年になり、千里が製造権と製造施設を獲得してから、やっと日の目を見ることになるのである。
 

2019年の春、“ひまわり女子高2年A組16番白雪ユメ子”さんがセーラー服姿で千里のグラナダの自宅を訪れた。
 
「その格好でここまで来たんですか?」
と思わず千里は言った。
 
「うん。これで国際線のファーストクラスに乗って来た」
などと言っている。よく途中で逮捕されなかったものだ。まあ女装は開き直りなのかもしれない。
 
「だけどヨーロッパはいいよ。このくらいの背丈の女子が目立たないから」
「それはありますね。バスケガールでも欧米は居心地がいいと言う子多いです」
 
「川崎に行っても会えそうな気もしたけど、ちょうどミュンヘンに用事があったから、ついでに寄ってみた」
「ミュンヘンとグラナダってかなり離れている気もしますけど」
 
(ミュンヘンからグラナダまでは直線距離で1400kmで、札幌−福岡間くらいの距離である)
 
「でもまあこの家は広いからこうやって応接室もありますしね。川崎のマンションは狭いし、生活空間しかないから」
と千里は言う。
 

「日本の住宅事情は年々悪化している気がしない?昔はうさぎ小屋と言われたけど、今はそのうさぎ小屋を更に小さく区切って数人でシェアしている状態。まあそれで用件なんだけど、一緒に吸音板の工場作らない?」
と“ひまわり女子高2年A組16番白雪ユメ子”(以下長いので“紫微”と略す?)は言った。
 
「なんで唐突に」
「千里ちゃん、今小浜で大規模な防音施設建築してて、防音板も大量に使ってるでしょ?」
「あそこは吸音板を10万枚くらい使う予定で、それだけで3億くらい掛かるみたいです」
「多分今後もまだどんどん使うよね?」
「特に予定はありませんが」
「僕が予言する。君は今年も来年も大量に防音板を使う」
「ユメ子さんがそうおっしゃるのなら、きっとそうなるんでしょうね。でも女の子が“僕”とか言わないほうがいいですよ」
 
「あ、すまんすまん。つい癖でね。それでさ、防音板、自社生産しちゃおうよ。そしたら安く使えるじゃん」
「でもそんなのユメ子さんの所だけで作れそうな気がしますけど」
 
「千里ちゃんがロックウールの工場を持っているからさ」
 

あっ、と思った。
 
「ロックウールって吸音板にも使えるんですか?耐火素材かと思った」
と千里は言う。
 
「耐熱性もあるけど、吸音材としても優秀。基本的に繊維は吸音性を持つ。自らが音で振動することにより、音のエネルギーを振動エネルギー、最終的には熱エネルギーに変える」
 
「へー」
 
「繊維の力は吸収するということなんだよ。水分を吸収する、暑さ寒さを吸収する。直射日光の刺激を吸収する、衝撃を吸収する、そして音を吸収する」
 
「なるほど」
 
「人間の衣服は吸音体だから、ホールの反響は無人の時と満員の時でかなり変わる。正確な計算をする時は中にいる人間の衣服を剥がして裸にして衣服の表面積を計測する必要がある」
 
「何も裸にしなくても外から観察できると思いますが」
「でも女子のスカートの中のパンティの表面積も測定しないと」
「ユメ子さん、そろそろ逮捕されて去勢刑をくらいますよ」
 

「まあそれは冗談だけど、繊維が吸音板のコアなんだよ。それを綿とかウールあるいはポリエステルとかで作ると火事とかあった時に問題だから、燃えない繊維で作る。そこでロックウールやグラスウールの出番になる」
 
「そうだったのか」
 
「千里ちゃんが持ってる工場で生産するロックウールやグラスウールを使って、吸音板を作ろうよ。千里ちゃんの製材所から出る木材チップの処理もできて一石二鳥だよ。僕が技術的な部分は指導するからさ」
 
「ユメ子さんが指導してくださるなら安心ですね。だったら草津工場の社長と会わせますよ」
「うん」
 
それで千里は紫微と共同で吸音板の製造工場を福井県若狭町に建てたのである。草津工場の副工場長にそちらの工場長になってもらい、紫微さんの会社の技術者で舞鶴出身の人に技術長として入ってもらった。フェニックス・ケミカル若狭工場と称するが、実際には草津工場とは別法人“フェニックスケミカル福井”の経営で、紫微が34%, 千里が66%の株を持つ会社にしている。工場が竣工したのは2019年10月で、ちょうど津幡アリーナの建築の話が浮上したので、やはり紫微さんの予言は当たったなと思い、この工場で製造した吸音板を使用した。おかげで建設費が1億円ほど安くすんだのであった。
 
でも工場建設に千里は個人的に30億出資しているからあまりお得感が無い!(昨年は草津工場の買収とリファインで17億円使っているし)
 
津幡アリーナでは、内部の壁や天井には安価なグラスウール、外壁や床には性能が高いロックウールを使用している。グラスウールは湿度に弱いので外壁には使用できない。
 
なお、吸音板の販路については紫微さんの企業グループがしっかり営業してくれて、お陰で千里は草津工場の生産物の販路まで確保できた。草津工場は買収後、従業員の自然減を放置していたのを新たに募集して増員し、元の従業員数まで回復したし、ふたつの工場から毎年数億円の利益を獲得できるようになったのである。
 

「青葉通りに支店を出す?」
 
胡桃は和実の言葉に耳を疑った。
 
「うん。若林区のお店は経常収支は黒字なんだけど、建設費の返済で苦労しているからさ、もっと売り上げの大きな場所に出店して、そこの売上でどんどん借金も返済していこうという魂胆なんだよ」
 
「開業資金は?」
「借りる、というか借りた。陸前銀行から6億円」
「そんなの私、保証人にならないからね」
「大丈夫だよ。保証協会に保証してもらったから」
「今借りているのの残高も大きいんじゃないの?」
「1億2千万円借りて、既に1300万円くらいは返してる。滞りなく返済しているから、それで銀行も貸してくれたみたいだよ」
 
「まだ残高1億残っているのに更に6億とか、それ絶対返せるわけない」
「盛岡ショコラ時代の先輩の悠子さんなんて凄いよ。銀行から30億50年ローンで借りてホテル建設したから。でも毎月利子も入れて600万しっかり返していってる」
「30億なんて恐ろしい。絶対に途中で放り出せないし、50年って死ぬまでってのに近い。ほとんど奴隷契約だね」
 
「こちらは30年ローンだし毎月200万くらいだから何とかなるんだよ。テナント入れてその家賃で半分くらいはまかなえるしね。私が死んだ時は保険で完済できるし、心配しないで」
 
「それあんたの保険の保険料も毎月すごいんじゃないの?」
 
「それでさ、建てるビルの中にまだ空きがあるんだよ。トワイライトの仙台店を作らない?」
 
「へ?」
 
「仙台駅から歩いて5分でさ、青葉通りから少し入っただけの場所だから、買物客も寄れるし、会社とかも多いからお客さん、来ると思うよ」
 
「その話は乗ってもいいかも知れない」
 

それで和実は、胡桃・トワイライトの出光オーナーと話し合ったが、オーナーは大いに興味を示した。そして話し合いの結果、“クレール青葉通りビル”2階の16.4坪(3間×10m)の区画を貸すことになり、《トワイライト仙台青葉通り店》が誕生することになった。トワイライト初の支店である。
 
家賃は和実と出光さんの話し合いで以下のように定めた。実は和実がテナントの賃貸料計算に無知だったので、出光さんの方から提案し、その後、他のテナントの賃貸料計算のモデルとなった。
 
毎月の売上に連動して賃貸料が変動する。
最低家賃 12万円
売上100-200万円→12万円+(売上-100万)×0.1 (200万円なら22万円)
売上200-300万円→22万円+(売上-200万円)×0.08 (300万円なら30万円)
売上300万円超→30万円+(売上-300万円)×0.06 (400万円なら35万円)
 
恐らくは美容室の売り上げは200万前後ではないかということで、その場合、30万円前後の家賃を払うことになるが、美容室側としては無理の無い家賃だと出光さんは言っていた。
 
彼によると大型のショッピングモールなどだと最低金額帯の率が15%程度で月間500-600万円くらいが最低売上額(つまり最低家賃70-90万円)として設定されている所が多いらしいが、ショッピングセンターでもないし、あまり家賃で儲ける気も無いしということで、“姉妹割引価格”ということにしてこの金額に設定することにした。これ以外に共益費(エレベータやトイレなど共用区域の費用、警備員・清掃員などの費用など)が必要だと言われ、相場は坪あたり3000-4000円だと言われたので、坪単価2000円で33000円にすることにした。
 
「ショッピングモールの中にはこの段階的家賃レートの境界が微妙で、例えば190万円の売上より200万円の売上の方が家賃が安くなるような設定の所もあるんですよ」
「それどうなるんですか?」
「微妙な売上のお店は月末にセールやって何とか上のステップに行こうとする。それを期待しているんですね」
「それテナント側は無理な値引きで利益率が悪化しそう」
「昔福岡市で行政主導の第三セクター方式で作られたスーパーブランドシティーというショッピングセンターは、最低家賃の制度が無くて、売上ゼロなら家賃ゼロで良かった。それでテナントが全然営業努力しなくて、いつ行っても客がほとんどおらず閑古鳥が鳴き続け3年で破綻した」
「さすが無責任の第三セクターですね」
 
「仙台って地下鉄もあるし、公共交通機関が充実してるように見えるけど、そういう交通機関に網羅されていない地区も多くて、実は結構な車社会だからね。車で乗り入れられる店は絶対的に有利だと思う」
とも出光さんは言っていた。営業時間は会社が終わって買物などした後で来る人のために22時(受付終了21時)までにする(石巻店は18時受付終了)。
 
また出光さんは、クレカや交通系カード、またスマホ決済が使えるようにした方が絶対いいと指摘。これについては若葉に頼むことにした。年商数十億?の企業が交渉してくれれば多分何とかなるだろう。
 
トワイライト青葉通店のスタッフは胡桃(株式会社トワイライトの常務!)が店長(ディレクター)、胡桃の東京時代の友人で、胡桃より巧い!水嶋さんがデザイナー、市街地なら絶対男性美容師の需要があると言われて広瀬さんがスタイリスト、胡桃と仲が良く、美容学校を出て2年目の森田さんがジュニア・スタイリストとなって、取り敢えず美容師4人のシフト制(在店2〜3人)。これ以外にアシスタントを2名くらい募集するが、状況によっては美容師自体あと1人募集するかもということだった(常時3人いるようにするには最低6人必要−もっとも店長の労働時間はわりと無視されがち)。
 
設備はセット面5面、シャンプー2台という中規模美容室の陣容である。美容師が3人在店している時間帯は、やはりセット面が5台欲しいので、このような規模になった。それにオーナーが「そんな町中で開業したらお客さんドンドン来るかも知れないから、セット面は5台くらい用意しておいた方がいいかも」ということになった。美容室の場合、理容院と違いセット面の増設はわりと容易である。なお、美容師の着替え場所はクレールの女子更衣室、広瀬さんは男子更衣室を使ってもらうことにした。
 
ちなみに広瀬さんには
「女装勤務するなら女子更衣室でもいいけど」
と言ってみたが(毎度のセクハラ)
 
「男子更衣室を使わせてください」
 
と言っていた。彼もさんざん誘惑?されて婦人服売場やアクセサリーショップ、ランジェリーショップ!?に付き合う程度は平気になっているし、気分次第ではスカートを穿いて勤務している日もある。男性美容師のスカート派は時々居るが、さすが着こなしている人が多く、彼の場合も“女装”には見えない。ごく普通の格好のように感じる。むろんブラジャーとかは着けない(多分)。広瀬さんはお化粧もうまいが、お客様にメイクをするために日々練習しているものである。
 

和実は東京の冬子のマンションを“朝9時”(つまり政子が確実に寝ている時間帯に)訪れ、クレール開業時に政子さんから借りた6000万円の未返済分4000万円を一括返却したいと言い、額面4000万円の###銀行振り出し小切手を持参した。冬子は驚く
 
「お金は大丈夫なの?」
「うん。内部留保が結構貯まっていたし。それに今度青葉通りにも支店を出すことにしたんだよ。イオン対策で支店を作るという構想は夏頃からあったんだけど、結構いけそうなので実行することにして、その資金を陸前銀行から借りることにした。結果的に運転資金に一時的に余裕が生まれるから、その機会にこちらは精算しておこうと思って」
 
「仙台の中心部に出店するんだ!でも土地代高いでしょ?」
 
「土地と建物は、クレールの株主になっている、私と千里と若葉の3人で共同出資した会社で保有することにした。それで若葉がムーランを出店して、あわせて仙台本部、お菓子ショップ、セントラルキッチンを置いて、千里は地下に体育館を作るほか、スポーツ用品店とアクセサリーショップも出すということで」
 
「若葉と千里と共同か!」
 
それで冬子は若葉の予想通り、資金は実質その2人から出ているのだろうと考えたようである。
 
「何なら冬もテナント出す? ローズ+リリーのグッズショップとか?」
「マリが喜びそうだけどね。アクアのグッズショップなら成り立つかも知れないけど、ローズ+リリーでは無理だよ」
「あ、アクアというか§§ミュージックのグッズショップを出さないかと、千里がコスモスちゃんに持ちかけると言っていた。多分今日明日にはその話がコスモスちゃんから冬の方にくるかも」
「それは面白いと思うよ。アクアなら成り立つ。ローズ+リリーも10年前なら成り立ったかも知れないけど、この年齢になったら無理」
 
「あと4階にTKRアーティストのための貸しスタジオを作るんだよ。音源制作もできる設備も揃えて。TKRのアーティストは東北とか北関東に多いんだよね」
 
「そうそう。それこないだ三田原さんとも話した。確かTKRアーティストの10%が宮城県、8%が福島県、6%が岩手県に住んでいて、東北・北関東9県で全体の43%くらいを占めているんだよ」
「TKRは東北・関東レコードの略という噂もあったね」
「うん。あったあった」
 
和実が現時点での図面・店舗配置の図を見せると
「4階は全面スタジオかぁ」
と言って感心していた。
 
「TKRから賃料を毎年2億円もらえるんだよ。それで土地建物の固定資産税も銀行ローンも払っていける」
「それは凄い。でも随分高くない?」
「スタジオの機器はこちらで準備するし、技術者もこちらで雇うからね」
「ああ、そういう仕組みか」
「コンパクトな経営をするのに社員をあまり増やしたくないみたい。アクアが20歳になって性転換手術を受けたら大規模なリストラは避けられないと覚悟しているとか言ってたよ。だから賃料の半分は機械とスタッフの費用で消える」
 
冬子は少し考えてから尋ねた。
「スタッフのアテはある?」
「それ、何とかしなきゃと思っていた」
 
「麻布先生のコネで聞いてみようか?」
「それ助かる」
「麻布先生や元同僚、その教え子とかはたくさんいるから、東北に関わりのある人も結構いると思うよ」
 
「何なら冬もこのスタジオ運営に参画する?」
と和実が言うと、冬子は少し考えていた。
 
「中古の録音機器・音響機器とかは結構あちこちのスタジオから出るから、そういうのを安く買い取れるように声を掛けておくよ」
「助かる」
 
「あと、スタジオ運営してたら、ギターの弦が切れたとか、五線紙が足りなくなったとか、エフェクターに使う9V電池が切れたとか、管楽器のクリーニング用品が切れたとか、その手のことが頻繁に起きると思うんだよ。データ入れるハードディスクとかもだけど。その手の音楽関係の雑貨・消耗品を扱うお店とかがあったらいいなと思うんだけど。そういうの考えない?」
と冬子は言う。
 
「それも、冬、どこか適当な楽器店を知らない?優遇家賃にするから、テナントとして入居してもらえたら助かると思う」
 

「それは割と心あたりがある」
と冬子は言い、翌日冬子自身が和実と一緒に仙台に行き、小さな楽器店を訪れた。“仙台楽器”という、名前は大きいが、サイズは15坪ほどの小さな楽器店である。実は郊外に倉庫も持っているらしいが、店舗は容易には広げられないらしい。
 
「実は再開発に引っかかって、ここを2〜3年以内に立ち退かないといけないことになっているんだよ」
「ああ、この付近は結構道が折れ曲がっていると思ってた」
「城下町の宿命だけどね」
 
それで冬子・和実が仙台楽器の社長で70代の伊達さん(別に仙台藩主とは無関係らしい)と話し合った結果、クレール青葉店に移転してもいいということになった。和実と冬子はこの機会に30坪程度(面積は調整により多少変わるかも)の広さにしませんかと勧める。家賃を心配していたが、売上の12%(以下)で、30坪なら売上300万までは36万円という線を提示すると、そのくらいなら払っていけると思うし、今払っている固定資産税が不要になるし、この広さなら借りている倉庫も不要になるからその借り賃の分も回せると言っていた。
 
ということで、この楽器店の移転・入店が決まった。スタジオ隣接の楽器店ということでギターやヴァイオリンなどの弦をできるだけ多種多数、ヘッドホン・ピック、五線紙、筆記具などの消耗品も多種多数、また最近の音源制作に合わせて、ハードディスク/SSD, CD-R/DVD-R, USBメモリー, SDカードなどの電子機器・消耗品の類いも置いて欲しいと言うと、そのあたりは息子に相談すると言っていた。(実際にはこの機会に40代の息子さんが経営の中心になることになり、品揃えもかなり刷新され、ノートパソコンやタブレットなども置いて半ばパソコンショップのようなったが、売上はかなり凄いことになり、家賃もかなりの額になって、和実も助かることになる)
 

なお、本題だった、スタジオの運営体制のほうだが、麻布先生の人脈で、スタジオ技術者で宮城県内に住んでいる人、およびこの機会に仙台に移住してもいいという人が取り敢えず5人見つかり全員採用することにした。その中でも麻布先生の信頼が高い国近さんという人に店長をお願いすることになった。
 
結局この運営会社は冬子も設立資金を出してくれることになり、和実と冬子が取り敢えず1000万円ずつ出資して"CSスタジオ"という会社を設立。そこがスタッフにお給料を払っていくことになった。スタジオ運営費はCMP側から提供する。つまりCMPはTKRから年間使用料をもらい、そこからCSスタジオに運営委託費を払うという構造である。スタジオ設備の2割程度はCMP側で自由に使えるが(4階練習室優先使用)、そこからあがる売上は半分をCSスタジオに還元することを若葉と冬子の話し合いで決めた。
 
実際には、エレクトーンやグランドピアノを常設した練習室の一般客利用率が高かった。ピアニストやオルガニストは練習場所に飢えているようである。それでこのスタジオは潤っていくことになり、冬子もここから毎年結構な利益を受け取ることになる(和実も同額を受け取る)。
 

ところで和実が冬子に返済”した4000万円であるが、一緒に仙台に行った翌日冬子から和実に電話があった。
 
「一昨日は他にも色々話があって、私もきちんと確認してなかったんだけど、和実、2018年末に500万返してくれているから残金は3500万円だよ」
「あれ?そうだったっけ?冬から、しばらく返済は保留しようよと言われたから全然払っていなかったと思ってた」
「たぶんあの話をしたのが2019年になってからだったかも」
「あれぇ、私認知症かな。500万を忘れるなんて」
「和実少し運動とかしたほうがいいかもよ。取り敢えず500万はそちらに振り込み戻すね」
「ごめーん。振込手数料は引いといて」
「了解」
 
(実はクレールの取締役でもある若葉が「和実大変そうだし」と思って勝手に500万、クレールの名前で振り込んでいたのだが、このことは冬子も和実も気づかないままになる。若葉的に500万円は普通の人の500円くらいの感覚)
 
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【春牛】(1)