【春宮】(1)

前頁次頁目次

1  2 

 
天月西湖(あまぎせいこ、芸名:今井葉月)は2018年4月、“天月聖子”の生徒名で、女子高であるS学園高校に入学した。普通の(?)男子であり、“女の子になりたい男の子”でもない西湖がなぜ女子高に入ることになったのか、そもそもなぜ受験できて、なぜ入学が許可されたのかについては、極めて複雑な事情があったのだが(第1主犯:二本松先生、第2主犯:勾陳)、その詳しい経緯については↓付近を参照して頂きたい。
 
http://femine.net/j.pl/memories13/35 
http://femine.net/j.pl/aoba7/65/_hr006
 
ともかくもそういう訳で、西湖はこの春から“女子高生”になり、左前合わせのブレザーにチェックのスカートという制服を着て通学することになってしまった。そして新学期早々あった身体測定、心電図検査なども、ごく普通に女子の中に溶け込んで受けてしまった。
 

しかし、ドラマや映画でこれまでたくさん女子中生・女子高生を演じてきた西湖も女子だけしか在籍していない女子校という世界は初めての体験だった。
 
そして西湖はその実態を知って“女子校”というものに対するイメージが崩壊する気分だった。
 
まずスキンシップが物凄い。
 
初日からブラパッチンをされた。
 
最初された時はびっくりしたものの、これは最も軽いスキンシップである。このくらいはこちらもすぐやり返す。
 
しかしこの手のスキンシップはどんどんエスカレートしていく。
 
後ろから抱きつかれて、おっぱいを揉まれるくらいは普通である。
 
西湖が通った中学校でも女子生徒同士が手をつないで歩いていたりするくらいは割と見たのだが、この学校に入ってから見ていると、腕を組んで歩いていたり、友人同士気軽るにハグしあっているし、並んで座っていて頭を隣の子の肩に乗せたり、休み時間などになると、他の子の膝の上に載ったりしている子もいる。
 
もうこれは「郷に入れては郷に従う」だと思い、西湖も田川元菜や酒井水希などとハグしあったし、元々西湖と仲が良かった立花紀子などは西湖の膝に載ってきたので、開き直ってそのまま抱きしめてあげた。
 
しかし西湖は女の子とこういうスキンシップをしても、自分の男性部分が全く反応しないのがちょっと不思議だった。むろんこういう時に何もHなことは考えていないので反応もしないのだが、ボクって将来女の子と恋愛をしてもHな気分にならないかもという気もしてきた。
 
(「葉月は既に女の子に対して不感症になっている」と川崎ゆりこが指摘するところか)
 

「女の子の香り」については3日で慣れてしまった。
 
女性の集団、特に10代後半から20代前半くらいの女性ばかりが集まっている部屋に入ると、独特の甘い香りがする。この香りは、女性自身はあまり感じないが、男性には強烈に感じられる。
 
西湖はこれまでもうまく乗せられて女性楽屋などに連れ込まれたりすると、その香りを感じてけっこう息苦しいような気分になっていたのだが、女子校は学園全体がこの香りに包まれている。
 
それで3日もすると、全然平気になってしまった。
 
そして半月もすると、そもそもその匂い自体を感じなくなってしまったのである。
 
むしろ仕事で男性の多い場所に行くと、独特の酸っぱい感じの「男の臭い」を感じることが多くなった。これは西湖が“男の子をしていた頃”(?)には感じたことのなかったものであった。
 

5月頃、西湖が事務所に居たら、西宮ネオン君が言った。
 
「葉月(ようげつ)君、最近なんか甘い香りがするね。コロンか何か付けてるの?」
「え?そう?特に付けてないけど、シャンプーの香りかなあ」
「ああ、なるほど」
 
西湖は自分自身からその「女の子の香り」が出ているとは、思いもよらなかったのである。
 
その会話を近くで聞いていた山村マネージャーは何だかニヤニヤしていた。
 
(なお、女性特有の甘い香りに似た成分を含むボディソープとしてロート製薬の《デオコ薬用ボディクレンズ》などがある)
 

さて、女子校の実態だが、雨の日などは朝通学してくる時に、ソックスが濡れてしまう。するとその濡れたソックスが窓の手すりの所に掛けて干してあったりする。春頃は問題無かったのだが、6月になって暑い日があると、まだエアコンが入っていないので、みんなスカートをパタパタさせて少しでも涼もうとしている。先生が居ない時はパンツが見えるのも構わず足を机の上に放り投げている子などもいたりする。
 
『男の子がこんなの見たら女性不信になるかも』
などと思ってから
『あれ?私も男の子だっけ??』
と考えるが、最近ちょっと自信が無い。
 
実は西湖は自分は3年間女子高生で通すのだと決意したので(丸山アイには「決意」なんて大袈裟と言われたが)、基本的に自分は女子高生であるという自己暗示を掛けている。これは本を読んだり映画を見ていたりして、その中の人物に没入するのと似た感覚である。この「入り込む」感覚は小さい頃から、役者をしている両親を見ながら自然に身につけたものだ。
 
それにブレストフォームをずっと貼り付けたままなので、それが作り物なのか自分の本当の胸なのか、自分で分からなくなりつつあるし、ちんちんなんて、お風呂に入って洗う時くらいしか触らない。タマタマはずっと体内に入ったままだし、西湖はオナニーもしないので、機能はかなり低下しているはずだ。しかし西湖は取り敢えず高校卒業するまではあまり男っぽい身体になるのは困るので(女子高生を演じるのに不都合なだけではなく、女の子みたいなボディラインを持つアクアのボディダブルをするのにも不都合)、睾丸の機能低下はむしろ好都合と思っていた。
 
(西湖が高校卒業後、果たして男の子に戻れるのかは神のみぞ知る?なお、西湖もアクアも精子の冷凍保存をしているので、万一睾丸が機能停止してしまっても、あるいは何かの間違いか誰かの余計な親切?で去勢してしまったとしても、子供は作ることができる)
 

生徒たちがあられもない状態になっている所に、男先生が授業で入ってくるとギョッとして慌てて教室の外に飛び出す。
 
しかし女先生が入って来ると
「あんたたち、乙女の恥を知りなさい」
と叱られたりする。
 
「だって暑いんですよー」
「エアコン、まだ入らないんですか?」
などという声。
 
「エアコンは7月になったら入れます」
「今年はなんか無茶苦茶暑いです。6月でも入れて下さい」
 
このエアコン問題については、実際問題として辛いという声、暑くて授業が頭に入らないという声も多く生徒会からも何とかして欲しいと要望があり、職員会議で検討して理事会に上げられ、結局、理事長の決裁で6月18日から入れてもらえることになり、生徒たちの歓声が上がった。
 

6月頃、自身はとっても暇なアイドル・立花紀子(Flower Lights)から言われた。
 
「ふと思ったんだけどさ、聖子ちゃんって、もしかしてアクアちゃんより忙しいということは?」
 
「そんなことは無いと思うけどなあ。ただ、アクアさんのリハーサルにはほぼ私が出るから、アクアさんのスケジュールが17時から始まる場合は私のスケジュールは1時間早い16時から始まることが多いんだよね。だから早引き率が高くなる。その代わり、アクアさんより1時間早く上がれることが多いよ」
 
「なるほどー!」
「もっともドラマの撮影の場合は、ボディダブルをするから、結局アクアさんと同じあがりになるけど」
「なるほど〜!」
 
「アクアさんの後見人になっている人が契約に厳しい人で、高校卒業までは学業絶対優先という契約になっているんだよ。だからアクアさんは絶対に授業を休まない」
「それは凄い」
「でも私はどんどん授業中でも呼び出される」
「あはは」
 

同じくわりと暇なアイドル・小泉伊代(BLC-Club研究生)から訊かれた。
 
「でもさ、アクアちゃんとずっと一緒に仕事していたら、アクアちゃんを好きになってしまったりしないの?」
 
「私はアクアさんを凄く尊敬しているから、恋愛というフレームでアクアさんを捉えることは無いなあ」
と西湖は答える。
 
「ほほお」
 
「だけど、アクアちゃんの仕草とかにドキっとすることとかは?」
「うーん。そもそも同性だし」
と言ってから、西湖はしまった!と思う。
 
「同性!?」
と言ってから伊代と紀子は顔を見合わせる。
 
「あ、そうか。アクアちゃんって、ほとんど女の子みたいな感じだもんね」
「だったら同性に似た感覚かもね」
 
それ当たらずしも遠からずのような気もする・・・と西湖は思う。
 

「実際問題として、アクアちゃんって去勢してるの?」
「してないよ。周囲には、アクアさんを拉致して強制的に去勢してしまいたいと思っている人たちが随分いるけど。某デュエット歌手の片割れさんとか、某トップ女性歌手さんとか」
 
「なるほど〜!」
「それ具体的に言わなくてもだいたい誰か見当が付く」
 
「基本的にアクアさんは小さい頃大病したから、それで発達が遅れているんだよ。お医者さんの見立てでは、性的な発達はまだ小学3〜4年生くらい相当らしいから」
と西湖は言う。
 
「確かにあの子、背も低いもんね〜」
「まあだから私がボディダブルを務められるんだけどね」
「というか、女子でないとボディダブルが務められないよね」
 
「でもそしたら、アクアちゃんが声変わりして、男らしくなってきたら、聖子ちゃん、失業しちゃうね」
 
「今、私はアクアさんや、他の俳優さんたちの演技を生で見てずっと勉強させてもらっている。だから、アクアさんのボディダブルができなくなったら、ゼロから女優として再出発するつもり」
 
「いや、聖子ちゃんは充分演技派だと思う。きっと大手劇団で欲しがる所がある」
 
と近くで聞いていた少女女優で演技力の評価も高い菊池由美奈(芸名:稲川奈那)が言った。西湖は彼女に一礼した。
 

ところで実際問題としてアクアさんって、去勢してるのかなあ・・・
 
などと西湖は時々考える。
 
公的には否定しておけと言われているので他人から訊かれたら否定するのだが、正直、一緒にお仕事していて、アクアが女の子としか思えない時がしばしばあるのである。それで西湖はアクアは女性ホルモンもかなり摂っていて、去勢どころか実は性転換しているのではという疑いを持っていた。
 
西湖はアクアが欺されたふりをして女性ホルモンを飲んじゃう所をかなり見ている。松浦紗雪さんもローズ+リリーのマリさんも定期的にアクアの所に女性ホルモン剤を送ってくるらしく、処理に困ったアクアから西湖まで女性ホルモン剤をもらってしまっている。プレマリンという薬(女性的な体質を作る)とプロベラという薬(プレマリンを飲んでいる前提で、おっぱいを大きくする)で、丁寧に毎日飲む分量まで書いてあったが、さすがに西湖はそれを飲もうとは思わないので、自宅の机の中に放り込まれたまま貯まっていっている。
 

ところでこの春、作曲家の上島雷太が逮捕され、結局起訴猶予で釈放されたものの、責任を取って無期限の音楽活動停止と謹慎(イベントやマスコミなどには登場せず、公演・執筆などの活動もしない)を表明した。それで上島のみでなく、奥さんの春風アルトさんも某所に籠もって、表だった所には出ないようにしていたのだが、彼女は元々§§プロに所属していた(現在は過去の楽曲などの使用料が発生したのを定期的に振り込むだけで契約も切れている)こともあり、実は§§プロで一時的に彼女を保護していた。
 
それで彼女との連絡係として西湖が頼まれていた。紅川会長やコスモスなどからアルトさんへの伝言は西湖に伝えれば西湖が電話やFAX、メールでアルトさんに伝え、アルトさんからのお願いは西湖のアパートにFAXするか緊急の場合はメールすれば、それを西湖が必要な人に伝えるようにしていた。
 
事務所から直接連絡するのではなく西湖を経由するのは、マスコミに動向を知られないようにするためである。事務所は多数の人間が出入りし、バイトさんやボランティア志望の若い子たちも多い。不特定多数の耳のある所では、あまりやりとりしたくないのである。それで事務所からの絶対的な信頼があり、かつ、マスコミの取材対象にはならない西湖がお使いを頼まれたのである。
 
そしてアルトの居場所はだいたい半月程度単位で移動しており、その正確な場所を常に知っているのは、実はコスモス・ゆりこ・西湖の3人だけである。
 

そのアルトが居る場所に、西湖が事務所からの書類を持参したりする場合もある。西湖は学校が終わった後(しばしば早退して!)桜木ワルツや河合友里の運転する車(水色のミラココア−これは西湖送迎専用として設定されている)で放送局やスタジオなどに行く時、そのワルツや友里から書類を渡されるので、仕事が終わった後、タクシーでその書類をアルトが居る場所に届けてから、またタクシーで帰宅するということをしていた。逆にアルトから色々物を言付かることもあった。
 
(西湖はアクアのリハーサル役なので、ドラマの撮影など以外ではアクアより早く上がれることが多く、あまり非常識な時間にはならないことが多い)
 
水色のミラココアで西湖がリハーサルに行き、1〜2時間遅れでその場所に白いアクアに乗ったアクアが入るというのが基本的なパターンである。アクアが入るのと入れ替わりに西湖を乗せたミラココアは次の番組のリハーサルが行われる放送局に移動する。ミラココアを運転する桜木ワルツや河合友里と、アクアを運転する緑川志穂や高村友香がハンドフリーの携帯で連絡を取り合う。つまりアクア1人のために毎日2台の車と西湖も含めて3人(総勢5人)のスタッフが動いているのである。むろんそれ以外に山村がかなり多忙に動き回っている。
 
ワルツは昨年春頃は主としてアクアのマネージャーだったのだが、最近はむしろ西湖のマネージャーと化している。実は自身のタレントとしての給料より西湖のサポート役としての報酬の方が遙かに高い。
 

西湖たち§§ミュージックのタレントは、スタジオや放送局などに出入りする時は、きちんとした服装をしておくように事務所からは厳命されており、基本的には学校の制服である。
 
それで仕事が終わった後、アルトの所に行く時も、S学園の制服、当然女子制服を着ている。それでアルトから言われた。
 
「葉月(ようげつ)ちゃん、最近いつも女子制服着てるね。お仕事で女子高生の役が多いんだっけ?」
 
「いえ、これ自分の高校の制服です」
「ああ、通っている学校の女子制服も作ったのね」
「というか、うちは女子高なので」
「え!?葉月ちゃん、女子高に入ったの?」
「そうなんですよ。参っちゃったんですけどね」
「じゃ女子高生になっちゃったの?」
「はい」
 
「葉月ちゃんって、女の子になりたい男の子だったんだっけ?」
「別になりたくないですけど、ここ以外全ての高校の入試に落ちたので、ここしか行くところが無くて」
「それにしてもよく、女子高生として入学を許してもらったね」
「父が特別面談に付いてきてくれて、たとえ女でなくても、女でないとは夢にも思われないようにして3年間過ごさせると言って、学校の先生たちも納得しちゃったので」
 
「何それ〜?」
「私もよく分かりません。父は女形(おやま)修行と言ってましたが」
「漫画にはある話だけど」
「私も漫画の中でしかあり得ない出来事と思ってました」
 
「でもそれ先生たちはあなたのこと、女の子になりたい男の子だと誤解していたりして」
「そんな気はしないこともないです」
 

アルトはしばらく考えていた。
 
「私も女子高を出てるけどさ、女子高のスキンシップって凄いよね」
「凄いですね。私も最初は驚きましたけど、だいぶ慣れましたよ」
「慣れたってことは・・・女の子に抱きつかれたりしても、あそこ大きくなったりしなくなった?」
「あ、それは最初から割と平気です。自分は女の子だと暗示を掛けてますから、同性に抱きつかれても何も感じません」
 
「葉月ちゃん、その学校を卒業しても男の子に戻れなかったりして」
「男の子に戻れる自信無いです」
「あぁ」
「第一、これだけスキンシップとかして、体育の着替えの時も身体測定の時も裸を見せ合っていたのに、実は男でしたとか言ったら、私、同級生たちから殺されると思います」
 
と葉月は言う。
 
「じゃ性転換して本当の女の子になってしまうしかないじゃん」
「それか性転換しなくても一生女で通すかですね。私どっちみち女優扱いだし」
「それ睾丸があったら絶対無理。どうしても男性化していく」
「父からは25歳までには去勢しろと言われました」
「え〜〜〜!?」
 

西湖の学校では5月中旬に2日間掛けて球技大会が行われた。各クラス(20〜50人程度)でいくつかの種目のチームを編成し、トーナメントで各々優勝を目指す。
 
クラスは中等部が6クラス×3学年で18クラス、高等部は8クラス×3学年で24クラス、合計42クラスだが、バレーボールは1クラスで複数チーム出した所もあり、50チームも参加したので、
 
1回戦→2回戦→3回戦→準々決勝→準決勝→決勝
 
と最大6試合を経て優勝クラスが決まることになった。卓球はダブルスだが、100チームくらい出たので4回戦までやって、準々決勝・準決勝・決勝となった。
 
種目としては、バレー、バスケット、ソフトボール(これは参加クラスが少ない)、卓球の4つ。バレーとバスケットは第1体育館、卓球は第2体育館で、ソフトは校庭で行われた。
 
西湖はバスケットに出たが、普段の芸能活動で仕事をこなすのに体力を使っていることもあり、最後まで走り回ることができて、パスやボール運びなどで結構貢献できた。もっともシュートはほとんど入らず、1回戦で2ゴール4点、2回戦で1ゴール2点、準々決勝でも1ゴールとフリースローで合計3点取っただけである。そこで負けてしまったが、西湖は準決勝の審判をすることになり、更に30分ほど走り回ることになった。
 
(基本的に負けオフィシャル方式である)
 

「聖子ちゃん、体力あるね〜。私は3試合やっただけでクタクタ」
と言っているのは聖子と一緒にバスケットに出た浅井童夢である。彼女は身長が164cmあり、比較的長身なのでジャンプボールもしていた。
 
「毎日ドラマとか歌とかの仕事してるからだと思う。童夢ちゃんこそ、身体が大きいから体力ありそうなのに」
と西湖は言う。西湖は158cmである。
 
「その身体が重たくて」
「ああ・・・」
「私体重が53kgもあるし」
「その身長で53kgはむしろ軽いと思う。童夢ちゃんの身長なら、多分標準体重は60kgくらいだと思うよ」
「標準体重ってそんなにあるんだっけ!?」
 
「日本のタレントさんとか、痩せすぎの人が多いからね。ヨーロッパだとBMIが18未満だとモデルができないんだよ。日本だと軒並みアウト」
 
「確かに異様に細い人いるよね」
と言ってから童夢は訊いた。
 
「アクアちゃんと聖子ちゃんのBMIは?」
「アクアさんは156cm 40kg BMI 16.4、私は158cm 46kg BMI 18.4。私はギリギリヨーロッパの規制に掛からないけど、アクアさんは完璧にアウト」
 
「似た体格かと思ったけど、体重差かなりあるね!」
「おっぱいとか、お尻のお肉の分かも」
「なるほどぉ!」
 
と言ってから童夢は小さい声で訊いた。
「でも男の子は、おっぱいが無い代わりに、おちんちんとタマタマがあるよ」
「あれ、どのくらいの重さなんだろう?」
「ただ本当にアクアちゃんに、おちんちんがあるのかは疑問がある」
「見たことはないけど、付いてると思うけどなあ」
「タマタマはもう無いよね?」
「それもあると思うけどなあ。見たことはないけど」
「見てたらやばいよね」
「普通他人には見せないからね」
「聖子ちゃん、アクアちゃんからもし求められたら応じなさいとか言われてたりは?」
 
それに対して西湖は答えた。
「無い無い。それにアクアさんは多分性欲が無いんだと思う。恋愛もよく分からないと言ってる」
 
「ああ、そうかもね」
と納得するように言ってから、童夢は更に訊いた。
 
「睾丸取っちゃったから、性欲も無くなったとかは?」
 
睾丸とかいう単語をよく発音するなあと思いながら西湖は答える。
 
「おそらくは生まれつきなんだと思う。アセクシュアルとか言うんだよ」
「へー!」
 

西湖が§§プロと契約したのは2015年5月である。(それ以前は契約しないままスポットでお仕事をしていた)
 
最初はただの事務取扱代行だったのだが、2016年春に本契約に移行し、§§プロのホームページにもタレントとして載るようになった。その当初の給料は月額20万円であるが、2016年中に何度も改訂され、2017年春には200万円になっていた(実はアクア・紅川・コスモス・ゆりこ・みちるに次ぐ高給取りである)。それでそれまで健康保険は父の会社(劇団黒部座は株式会社になっていて団員は社員である)の健康保険の被扶養者になっていたのが、西湖の年収では被扶養者にできないと指摘され、単独で国民健康保険に移行することになった。
 
西湖はこの手続きを2017年春にするが、本人は中学生なので実際の手続きは母が代行してくれた。
 

「新しい健康保険証、もらってきたよ」
と言って、母は西湖にカード型の保険証を渡した。
 
「ありがとう」
と言って西湖は受け取ったが、あまり病気をすることもないので、その保険証は全然使用しないまま、自分のポーチのポケットに入れておいた。
 

西湖は小さい頃から両親のロケハンに同行して、何度も海外に出ている。
 
幼稚園の頃から、韓国の慶州(キョンジュ)、中国の桂林(グイリン)、タイのチェンマイ、イギリスのエディンバラ、イタリアのフィレンツェやヴェネツィア、アメリカのブロードウェイなどと行っているが、実は「今度はお前が発生した場所の西湖にも行ってみよう」などと言っていた時期にタレントになってしまったので、自分の名前の由来となった地・中国の西湖は(生まれてからは)未踏である。
 
そういう訳で西湖は5歳の時、2007年11月2日に最初のパスポートを作り、2012年に更新したのだが、それは2017年11月2日に期限切れとなった。
 
2017年8月18-20日に映画『キャッツアイ』のロケで香港に行った時は、まだ有効期限が2ヶ月以上残っていたので、そのパスポートで渡航している(香港の入国には滞在日数+1ヶ月以上有効期限のあるパスポートがあればよい)。
 
しかし今回『八十日間世界一周』の撮影に同行するので、西湖はパスポートの期限が切れているのなら新しいのを取ってくれと言われた。
 
ここで失効してから6ヶ月以内のパスポートがあれば、それを本人確認書類にできるのだが、申請しようとしたのが6月だったので、既に半年以上経っていて使えなかった。それで西湖は健康保険証と生徒手帳を本人確認書類として使用した。
 
ここでパスポート申請の際に提出・提示した書類は下記である。
 
・一般旅券発給申請書(5年)
・戸籍謄本
・パスポート用写真
・健康保険証
・生徒手帳
 
未成年は5年のパスポートしか取れない。10年有効のものは20歳になってからである。
 
申請書には保護者の署名が必要なので、西湖は6月6日、劇団本部まで行き、母に署名を頼んだ。実際には母は《天月晴渡》と父の名前を書いた。その時、母は申請書を一通り見ていて、性別の所が、どちらにもチェックマークが付いていないことに気付いた。それで母は
 
「せいちゃん、性別のチェックが入ってない」
と言ってチェックを付けてあげた。
 
この時、西湖は
「あ、ごめん」
と言ったが、母がどちらにチェックを付けたのかをよく見ていなかった。
 
「これ写真が貼ってないけど?」
「パスポートの写真はサイズが厳密だから、写真屋さんに撮ってもらうよ」
「ああ、それがいいかもね」
 

それで西湖は劇団事務所を出ると、駅近くにあった写真館に入り
「パスポートに使う写真、撮って下さい」
と頼んだ。
 
ちなみに、西湖は学校が終わってからそのまま劇団事務所に来たので制服のままであった。西湖の通うS学園は女子校なので、西湖は当然女子制服を着ており、パスポート写真も女子制服姿になった。また西湖が持つ生徒手帳の身分証明欄も女子制服姿で写っている。生徒手帳の性別はむろん《女》と記載されている。そもそもS学園の生徒手帳で性別は最初から女と印刷されている。
 
それで西湖は書類を東京都のパスポートセンターに持って行き、窓口に提出したのだが、係員は書類をチェックする。
 
申請書には
 
天月西湖 アマギ・セイコ AMAGI SEIKO
性別女 生年月日 平成14年08月20日
 
と書かれている。
 
本人確認書類として提示してもらった生徒手帳には
 
天月西湖 S学園高等学校1年7組3番
性別女 生年月日2002年8月20日
 
と印刷されている。
 
(西湖は学籍簿に記載された「天月聖子」名義と、戸籍名の「天月西湖」名義の生徒手帳を持っており、提示したのは戸籍名の方だが、どちらも性別は女になっている!そもそも女子校のS学園で性別が男になっていたら偽造を疑われる)
 
国民健康保険証を見ると
 
氏名 天月西湖 アマギセイコ
生年月日 平成14年8月20日
性別 女
 
と印刷されている。
 
そして戸籍謄本(全部事項証明書)を見ると、両親の記載に続いて西湖の記載があり、このようになっていた。
 
西湖 平成14年8月20日 父:天月晴渡 母:天月湖斐 続柄:長男
 
係員はこれらの書類をひととおり見た上で
 
「問題無いですね」
と言った。
 
そして、旅券引換書を渡し、
「受け取りは6月14日以降になります。必ず御本人がこの引換書を持って、おいでください。その際、手数料として11,000円が必要です」
と言う。
 
「分かりました。ありがとうございます。よろしくお願いします」
と言って、西湖は窓口を離れた。
 
係の人は西湖の申請書類をクリアファイルにまとめて、入力担当者の机の上の棚に置く。この棚は上に置いて下から取る方式で、どんどん入力されていく。約5分後に、入力担当者は申請書をスキャナに掛け、パスポートの必要事項が自動的に入力された。担当者は目視でコンピュータが自動認識したデータと申請書が一致していることを確認。そのまま処理に掛けた。
 

6月16日、川崎ゆりこ(§§ミュージック副社長)は事務所に出てきた西湖に声を掛けた。
 
「葉月(はづき)ちゃん、パスポートは取った?」
「はい。一昨日受け取ってきました。こちらです」
と言って、西湖はパスポートを見せた。
 
川崎ゆりこは記載事項を確認する。
 
Surname AMAGI
Given name SEIKO
Nationality JAPAN Date of birth 20 AUG 2002
Sex F Registered Domicile SAITAMA
 
署名も「天月西湖」と入っている。
 
「OK。じゃこのパスポート預からせて。アクアのと一緒にビザ取って航空券も取ってもらうから」
「はい、よろしくお願いします」
 
アクアは2014年11月のデビュー前にハワイに写真集を撮影に行った際、パスポートを作成したので、2019年11月まで有効である。
 
「でも世界一周するといったら、航空券もたくさん必要になりますよね?」
「それが『世界一周航空券』、RTW (Round The World)というチケットがあるから、出演者もスタッフも全員これを使うんだよ」
 
「すごーい!そんなのがあるんですか!」
「エコノミーなら36万円、ビジネスでも70万円で世界一周できる。しかも繁忙期も閑散期も関係無い」
 
「なんか凄く安い気がします」
 
「でしょ? 一応、アクアと大林亮平さんに中村監督の3人はビジネス、スキ也さんと脚本さんはプレミアムエコノミー、西湖ちゃん含めて他の人はエコノミーで。申し訳無いけど」
 
「いや、その待遇差は当然ですよ。エコノミー症候群にならないように、適宜身体を動かしています」
「うん、頑張ってね」
 
ところが、山村マネージャーはプロデューサーと交渉して「質の良い絵を撮るためには必要」と言い、差額をアクア個人で持つからと言って、自身と西湖、更にスキ也さんまで、チケットをビジネスで取ってもらうようにした(事務所からほぼ放置されているスキ也が感謝していた)。おかげで西湖はとっても心地よい座席で世界一周の旅をすることができることになった。それを聞いて大林亮平も自身のマネージャー・雪原のチケットを、差額を亮平が負担して、ビジネスにしてもらった。
 

そういう訳で今回使用するRTWチケット(Star Aliance Group)は次のような行程になっているのである。
 
NRT→HNL ホノルル 3810 ANA
HNL→SFO サンフランシスコ 2390 United
SFO→PHX フェニックス 650 United (OJ)
PHX→EWR ニューヨーク 2130 United
EWR→LHR ロンドン 3460 United
LHR→FRA フランクフルト 410 Lufthansa (OJ)
FRA→FCO ローマ 590 Lufthansa (OJ)
FCO→CAI カイロ 1340 エジプト航空
CAI→BOM ムンバイ 2700 エジプト航空
BOM→CCU コルカタ 1030 Air_India
CCU→BKK バンコク 1020 タイ国際航空
BKK→HKG 香港 1050 タイ国際航空
HKG→NRT 成田 1840 ANA (OJ)
合計マイル 22420
 
物語はロンドンから出発してロンドンでゴールだが、撮影はこちらの都合で東京スタートの東京ゴールである。これを編集で組み直してロンドン発着に並べ替える。
 
(OJ)と書いた所はオープンジョー(Open Jaw)と言い、実際にはその区間の便には搭乗せず陸路などで移動するものの、ルート計算のマイルは積算されるのである。だから実はフランクフルトは実際には経由しない。スターアライアンスの航空会社のみでルートを構成しなければならないが、ロンドン・ヒースロー空港(LHA)からローマ・フィウミチーノ空港(FCO)へはスターアライアンスの航空会社の便が無いのでフランクフルト経由で計算しているだけである。
 
スターアライアンスのRTWの場合、この合計が29000マイル以内であれば Star 1 という一番安いクラスの料金になる。34000マイル以内でStar 2, 39000マイル以内でStar 3 になる。今回の世界一周は南半球に行っていないが、南米やアフリカにオーストラリアなどまで行くと39000マイルでもギリギリになってくる。
 
なお、EWRはユナイテッド航空のハブ空港であるニューアーク・リバティ空港である。同じニューヨークの有名なJFK-ジョン・F・ケネディ空港ではルートを組むことが出来ない。
 

ある日西湖が帰宅すると、知らない病院の名前で○○日17時にご来院下さいと書かれていた。その日はお仕事がオフ(アクアがオフなので)だったので、学校が終わってから行ってみた。病院は新宿のビル街の中にあった。
 
「天月西湖と申しますが」
と受付の所で言うと、
「はいはい。予約なさっていた件ですね。ではこれにおしっこを取ってきてください」
と言われたので、トイレ(当然女子トイレ)でおしっこを出し、提出した。
 
その後、採血もされる。何か健康診断だっけ??と思う。
 
それで30分くらいした後、診察室に入ってくださいと言われたので入る。
 
「ではお股を見せて下さい」
と言われるので、え〜〜!?と思ったものの、病院なので、ベッドに横たわり、スカートをめくり、パンティを下げた。
 
「ああ。タックしているんですね。外せますか?」
「はい」
 
それであまり使いたくないのだが、除光液とハサミを使って5分ほどで解除した。看護婦さんがウェットティッシュで拭いてきれいにしてくれる。さすがに恥ずかしいが、西湖のおちんちんは大きくなったりはしない。
 
その後、先生は西湖のタマタマの大きさを測ったり、おちんちんを触ったりしている。しかし先生に触られてもおちんちんは大きくならない。そういえばこれずっと大きくなってないよなあ。ボクのおちんちんって、もう大きくならなくなっていたりして、などと西湖は思った。まあいいけどねとも思う。ボクお婿さんにはなれない気もするし。とはいっても西湖はお嫁さんになりたい気持ちは無い。しかし実際、昨年精液の保存をした時も、おちんちんは大きくならず、大きくならないまま射精したのである。
 

「射精はできます?」
「去年、精子の冷凍保存をした時はできましたけど」
「ああ、精子は冷凍保存しているんですね?」
「はい。念のため4個保存しています」
「それだけ保存してあれば安心ですね。では剃毛してもらって30分後に手術しますから」
 
西湖はびっくりした。
 
「手術って何の手術するんですか?」
「え?あなた去勢手術をしにいらしたんですよね?」
「去勢!? そんなのしません」
「え?でも去勢手術するというので、予約なさったんでしょ?」
 
西湖はピーンと来た。
 
「その予約、誰の名前で入っています」
「えっと・・・」
と言って医師はパソコンでカルテを確認している。
 
「お母さんの天月湖斐さんから入っていますよ」
「すみません。キャンセルします。私は去勢するつもりはありません」
「でも女子高に入学したので、すみやかに去勢手術だけはしてくれと言われたからとお聞きしましたが」
 
「それ母のジョークです。女子高に入りはしましたけど、女の子の格好でいて下さいと言われているだけで、去勢なんて求められていません」
 
「ジョークなんですか!? 人騒がせですね。だったら、あなたは去勢するつもりは無いんですね?」
 
「もしかしたら後で去勢手術をお願いするかも知れませんが、今はその手術をする意志はありません」
 
西湖は正直、高校3年間男の子の身体を維持し続ける自信が無い気がした。去勢したい気持ちになってしまうか、あるいは去勢せざるをえなくなってしまうか。でも少なくとも今は去勢したくない。
 

「分かりました。ではあなたの去勢手術の予約は入れたまま日付をいったん開放しますので、手術を受けたくなったらご連絡ください。特に混んでいなければ、だいたい1週間程度以内に日程を入れられると思いますので」
 
「分かりました。お騒がせして申し訳ありません」
 
全く。きちんと確認しなかったら、危うく今日男の子を廃業することになっていたよと西湖は思う。
 
「手術の代金は頂いていますが、いったん返金しますか?それともそのままにしておきますか?」
と医師は訊いた。
 
代金まで払ってあったのか!
 
「じゃ取り敢えずそのままで」
「分かりました」
 

西湖はこの日はタックをやり直すことになるが、そのためには全部毛を剃る必要がある。毛を剃りながら、こういうのが付いているって、ボクやはり男の子なんだなあ、と思う。実は西湖はこれを見るのはかなり久しぶりだった。
 
しかし、それをきちんと接着剤でタックし終えるとほぼ女の子のお股が出現する。
 
あ、なんかこれで普通に戻れたと思うと西湖はホッとする思いだった。こちらの状態の方が落ち着く気がする。
 
といって、本当の女の子になりたい訳ではないけどね・・・・と思ってから自分でもその気持ちが少し、ぐらつく気はした。
 
やはりボク、卒業まで男の子で居続ける自信が無いよぉ。
 

西湖が住んでいるアパートは、用賀駅の近く、結果的には学校の近くにあり、3月までは醍醐春海(千里)が住んでいた所である。実は現在でもここの借り主は千里であり、家賃も千里が払っている。
 
それは玄関の所に貼られた梵字の紙と、押し入れの奥に置いた白銅製の鏡を置いていて欲しいからだということだった。何でもこの部屋は伏見稲荷と繋がっているらしい。
 
西湖がここに来て3日目くらいの晩のことである。西湖が夜遅く帰ってきて、近くのコンビニで買ってきたお弁当を食べながら、ついうとうととしていたら
 
「あのぉ」
と声を掛ける人(?)がある。
 
振り返ってみると、5〜6歳の女の子のようである。
 
「京平さんは、今日はまだ来てませんか?」
「え、えっと。誰もいないみたいですけど」
「分かりました。また来ますね」
 
と言って、その女の子は押し入れの方に歩いて行くと、スッと消えた。その女の子のお尻の所には、しっぽがあるような気がした。
 
えっと・・・・
 
西湖は首を傾げたが、あまり深く考えないことにして、トイレに行って服を脱ぎ、シャワーを浴びる。身体を拭いてボディコロンを掛ける。寝る前に肝油ドロップを1粒飲む。毎日仕事が大変だから滋養強壮にと母が置いていってくれたものである。それから可愛いジュニアブラを付け、イチゴ模様のコットンパンティを穿き、麻製の夏向きの可愛い女の子パジャマを着て寝た。
 
日常的にこういう可愛い服を着ていることで《女の子らしい心》が形成されていくのだと父は話していたが、それって、完全に女の子になってしまって、もう男の子には戻れなくなるのではないかという気もした。
 
ちなみにここに引っ越してくる時に、男物の服は父が全部捨ててしまった。もっともここ数年、学生服とドラマや映画の衣裳以外では、男物の服を着た覚えがないが。
 

この手の深夜の子供(狐?)の訪問はしばしばあったが、西湖は気にしないことにした。しかしその訪問者たちのことばから、ここが“京平”さんという、お狐様?の居場所らしいということを西湖は認識した。
 
時には狐ではなく、神社の狛犬のような感じの子がペアで訪ねてくることもあった。「コマさんとコマじろうみたい」などと思った。
 
でもまあ家賃タダだからいいよね?
 
訪問してくる子たちも害は及ぼさないみたいだし。
 

こういう子たちが、西湖に色々物をくれることもあった。おやつなどはよくもらう。北海道の白い恋人、青森の八戸煎餅、岩手のかもめの玉子、京都のおたべさん、伊勢の赤福、金沢の中田屋のきんつば、広島のもみじ饅頭、博多の通りもん、長崎のカステラ、鹿児島のかるかんなどなど。
 
稲荷寿司ももらう。それも様々な流儀の稲荷寿司があって、西湖は、稲荷寿司にもこんなに色々あるのかと思った。
 
洋服をもらったこともある。
 
「君可愛いからこれあげる」
と言ってワンピースをもらってしまったのだが、着てみたら凄く可愛いので、結構気に入ってしまった。
 
5月上旬には宝くじを1枚もらった。それで自分が持っていても仕方ないしと思ってワルツにあげたら、後から
 
「西湖ちゃん、あの宝くじ、2等の100万円当たってた!」
と言われてギョッとした。
 
西湖はそれはワルツにあげたのだから100万円はもらっておいてと言ったのだが、ワルツはそういう訳にはいかないと言い、結局50万円ずつ山分けした。西湖はそのお金の一部で稲荷寿司を50個とコーラの2Lサイズを2本買ってきて、白銅の鏡の前にお供えしていたら翌朝にはどちらもきれいに無くなっていた。
 

6月中旬、学校に提出する書類に保護者のハンコが必要だったので、事務所に言って時間を空けてもらい、西湖は劇団の事務局まで行った。
 
「なんか久しぶりだね」
などと母が言う。
「ほんとに会えないね!」
「あんたが家に居ないから、うっかり郵便物取りに行くの忘れてて、こないだ携帯代の請求書に気がつかなくて、停められちゃった」
「自動引落しかクレカ払いにしときなよぉ」
 
「あ、そうだ。少し洋服買ったからあげるね。こちらも忙しくてなかなかそちらに持って行けなくて」
「公演前は大変だよね〜」
 
黒部座は3月までの『リア王』が好評のうちに終了し、現在7月から公開する『夏の夜の夢』に向けて練習を重ねている所である。この期間、劇団若手の人気女優である山北リルカなどはその間隙を利用してテレビドラマにも出演していた。
 
なお、黒部座(くろぶざ)は元々シェイクスピアゆかりのグローブ座を漢字で表記したもので、シェイクスピアの演目を得意とする。座長(西湖の伯父)は、いづれ西湖に『お気に召すまま』のロザリンドをやらせたかったらしい。
 
ロザリンドは、劇中で男装した上で女役をするという複雑なキャラである。シェイクスピアの時代は女優が居ないので、男性の俳優が女性のキャラを演じ、そのキャラが男装して女役をするという三重性転換をしていた。現代では女優さんが演じることが多いが、座長は西湖にシェイクスピア時代のままの設定でやらせたかったらしい。しかしその実現はほぼ困難になりつつある。
 
西湖はこの劇団に小さい頃から何度も出演しているが、初舞台で演じた《いやじゃ姫》以来、女の子役が多い! それで劇団の多くのファンから少女女優と思われているふしがある。
 

母が買ってくれた服を見ていたが、むろん全部女の子用の服である。それも可愛い服が多くて西湖は苦笑するのだが、中にズボンが1着あった。
 
「あ、ズボンだ」
「まあ少しはあってもいいかなと思ってね」
「中学卒業した後はドラマの撮影とか以外では全然穿いてなかった」
「まあ制服で済むことが多いだろうしね」
 
「そうなんだよね〜。学校で話していても、私服があまり無いって言ってる子が多いよ。田川元菜ちゃんとかも、私服ってパジャマくらいしか無いって言ってた」
 
「ああ、あの子も忙しそうだもんね」
 
それで西湖は穿いてみたのだが、前の開きがダミーであることに気付く。
 
「これ布が重ねてあるだけで、実際には開きは無いんだね」
と西湖。
「まあ女の子は前の開きは使わないからね」
と母。
 
「ボクも、中学校に入った頃以来、全く使ってない」
「あんたの下着は中学に入った時点で全部女の子用にしてしまっても良かったかもね」
「ボクサーとか穿いてたのが遙かな記憶なんだよね〜」
 
「ちんちん使わないなら切っちゃう?」
「切らない、切らない」
「でもタマタマはもう取ったんでしょ?」
 
「お母ちゃん、あれ酷いよ。勝手に去勢手術の予約とかして」
「だって早くタマタマ取らなくちゃいけないと思ったし。取った感想は?」
「手術はキャンセルして帰ってきた」
「なんで〜?」
「ボク男の子やめたくないよぉ」
「どうせあんたは女の子として生きるしかないと思うけどね。それなら男性化を停めなきゃやばいもん」
と母は言っていた。
 

2018年4月、青葉(主人公である)は、大学3年生になった。今年の夏になるともう就職活動を始めなければならない。学業と、ほぼ断っているのにそれでも依頼が舞い込む霊的な仕事、それに上島先生の事件で今年は超ヘビーになってしまった作曲の仕事まであり、青葉は今年は大変な1年になるなと思っていた。
 
その中で「退部届けを出しているのに」受理されないので不本意に参加している水泳部の活動で、まずは4月3-8日に東京に出てきて辰巳水泳場で日本選手権水泳に参加した。これに出場するのはK大水泳部では、青葉だけである。ひとりだけなら、参加パスしてもいいんじゃないかとも思ったのだが、全国大会で会った他校の水泳選手の友人たちに会うのも楽しみだったので、青葉は出てきた。一応往復の交通費は部費からもらったのだが、宿泊費については「姉の所に泊まるからいいよ」と言って辞退した。
 
「お姉さんの所ではなくて、彼氏の所に泊まるのでは?」
「えっと・・・」
 
実際には大会中はずっと桃香のアパートに泊まっており(結果的に早月の世話まですることになる)、4月8日(日)に大会が終わってから彪志の所に1泊して月曜日に金沢に戻ることにした。
 
今回は女子800mで4位、1500mでは3位で銅メダルをもらっている。実は2位以内なら東京パンパシフィックまたはジャカルタアジアの日本代表に選出される所だったのだが、これを免れて助かった!と青葉は思った。
 
これだけ忙しいのに日本代表とかまでやっていたら死んじゃう!と青葉は思ったのである。
 

なお女子800m,1500mで優勝して金メダルをもらい、堂々の日本代表に選出されたのはジャネである。大会の終わった後、青葉はジャネと一緒に居酒屋で打上げをして、祝杯をあげた。
 
「ジャネさん、義足の調子はどうですか?」
「快調、快調。ほんとにいい義足を紹介してもらったと感謝してるよ」
「それなら良かったです」
「でもこれもう5代目なんだよ。半年で使い倒してしまうんだよね」
「ジャネさんの活動量なら仕方ないですよ」
 
「研究所でも耐久性について検討してみたらしいけど、耐久性をあげることで自然さが失われて不快になったり足の切断面の所に炎症とか起こしたら本末転倒というので、本体素材に関してはほとんど変更してない。足底の部分を少し丈夫な素材に変えたみたけど耐久性に大差無かったから結局元に戻したみたい。丈夫な素材はヒビが入ると物凄く不快になったし。柔らかい素材なら亀裂ができてもそんなに問題無い」
 
「そうでしょうね。やはり丈夫だけど心地よくないというのは問題だと思います」
 
「水着なんかもレース用の水着は数回でダメになるしね」
「あれ困りますよね。お金の無い人は良い水着を使えないですよ」
「全く全く。私はあの事件のおかげで水着代と遠征費用は心配無くなったけどね」
 
例の呪われた歌の事件で、うちのミュージシャンが作った歌が原因になって大きな事件になった罪滅ぼしにと、ΘΘプロのシアター春吉社長がジャネのスポンサーになってくれたのである。実際には支援金の半分はステラジオが出しているらしい。
 
もっともジャネ自身は被害者なのか加害者なのか微妙という気はする。
 

「あ、そうだ、忘れる所だった」
とジャネは言った。
 
「はい?」
 
「筒石がさ、家賃5千円のアパートに住んでるんだけど」
「5千円!?いったい広さはどれだけですか?」
「2DK」
「あり得ない。筒石さん、何市でしたっけ?」
「新宿区」
「都区内なんですかぁ〜〜〜?それで五千円?」
「笹台駅から歩いて20分」
「ちょっと待って下さい。あんなに駅と駅の間隔が無い所で歩いて20分って隣の駅に着いちゃいそうな気がするんですけど」
「それが複雑な路地を通り抜けた先にあるからさ。歩くと本当に20分掛かっちゃうんだよ」
「そんな場所があるんですか・・・」
 
「私はそんな駅から20分も歩きたくないから、こちらに出ておいでと言って新宿駅の近くで会ったりするんだけどね」
 
「結局、ジャネさん、筒石さんと付き合ってるんですか?」
「セックスしてるだけだよ。付き合っている訳では無い」
「セフレですか?」
「それに近いかもね。お互いにメリットあるし」
「まあ“マラさん”はセックス我慢できないでしょうね」
「だって楽しいじゃん」
と明らかに違う口調のジャネが答える。
 
「そうですね」
 

「まあそれでさ、本題だけど」
と元の口調のジャネが言う。
 
「はい」
「出るらしいんだよ」
 
青葉はため息を付いた。
 
「その値段なら出るでしょうね」
 
と青葉は投げ遣り気味に言う。正直、この手のものに一々関わっていてはとても身が持たない。
 
「ちょっと青葉ちゃん、見てあげられない?」
「私が見る必要もありません。引っ越した方がいいです」
「やはりね〜」
「私が請求する相談料でもっとまともなアパートの家賃が払えるよと言ってあげてください」
 
「そうするか」
「ジャネさんはそのアパート見られたんですか?」
「見てない。駅から20分も歩きたくないもん」
「あぁ」
 
「それに私が見るより、こういうのは《餅は餅屋》だと思ったし」
「ジャネさんも充分凄いと思いますけどね」
 

筒石はジャネから言われて引越には同意したものの、引越先選びを青葉に見てもらえないかとジャネを通して連絡してきた。筒石と青葉の関係なら直接電話してきてもいいと思うのだが、女子と電話するのが恥ずかしいらしい。意外にシャイな性格のようだ。依頼料はジャネが払ってくれるらしい。
 
筒石は基本的に豪快な人なので、性別など気にせず会話できるように思っていたのだが、水泳一筋のスポーツマンだから、女の子と話すのも実は苦手なのかもと青葉は思った。
 

それで青葉はゴールデンウィークに東京に出ていく予定があったので、その時、ジャネに連絡して、アパート選びに付き合おうと思った。
 
ところが、いつも青葉の後ろにいる《姫様》が
『千里にも付き合ってもらえ』
と言った。
 
『ちー姉に?』
『あの半幽霊女(ジャネ)が言ってたろ?ソバはソバ屋って』
『餅(もち)は餅屋ですか?』
『それそれ』
 
(幡山ジャネは2つの魂がひとつの身体を共有しており、青葉はその2人を《マラ》《マソ》と呼んでいる。“マラソン”由来の名前である。水泳大好きのマソの方は普通の?人間だが、歌が大好きで男も大好きというマラは2010年に死亡しており、現在は幽霊である)
 
『2番さんですよね?』
『3番でもできるが、2番の方が、青葉が楽だろ?』
『言っていいことと、いけないことを区別する必要がないですからね』
 

それで青葉は千里2に問い合わせてみた。
 
「WBCBLは5月5日に開幕するんだよ。アメリカの5月5日昼12時が、日本の5月6日夜中1時に相当する。だから7月までは、平日は夜22-25時、土日は午前2-11時が不可。それ以外ならいい」
と千里2は言っている。
 
「アメリカの祝日は?」
「5月28日Memorial Day, 7月4日独立記念日」
 
青葉は千里が言った時間帯を表にしてみた。
「アメリカ東部夏時間で4月30日月曜日の夜中12時から朝8時までと、少し間を挟んで昼13時から夕方17時まで、日本時間に直すと5月1日水曜日の昼13時から夕方21時までと、夜中の2時から朝6時までとかどう?」
 
「その間を挟むのは私のチーム練習の時間帯なのね?」
「そうそう」
「いいよ。日中に見て見当をつけておいて夜中に確認しよう。でも私が練習に出ている時間帯も青葉は眷属でもいいからその物件の所に置いておいて監視しておいてね」
「もちろんそうする」
 
開始をアメリカ時刻の夜12時にしたのは、千里は自分の時計で19時から24時くらいまで寝ていると言っていた気がしたからである。
 
 
前頁次頁目次

1  2 
【春宮】(1)