【春からの生活】(1)

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その日葉月はアクア主演のドラマ『少年探偵団』で少女団員・山口あゆか役を演じていたが、夜10時が近くなったので、高校生以下の役者さんはあがりです、という声で挨拶をしてスタジオを出ようとした。
 
ところがそこに思わぬ人物がいるので驚く。
 
「おじいちゃん!東京に来てたの?」
「新しい番組の企画で相談に乗ってくれと言われて出てきた。でもお前、可愛いじゃん」
と祖父・北村圭吾は微笑んで言った。
 
「恥ずかしい〜」
 
この日の葉月は怪人二十面相に狙われている少女歌手を守るのに、その子のバックダンサーに紛れ込む役で、黒いミニスカートのドレスを着ている。
 
「恥ずかしいも何も、お前全国にその姿を曝しているのに」
「そうなんだけどね〜。でもボクのクラスメイトはいまだにボクが女の子役でテレビや映画に出ていることに誰も気付いてないみたい」
 
「あはは、それも面白い」
と言ってから、圭吾は言った。
 
「そうだ。キャツアイの試写会見たぞ。お前、凄い格好してたな」
「もう見たの!?」
 
そして圭吾は小さい声で言った。
「あれって偽装だよな?それともお前、おっぱい大きくしてチンコ取った?チンコ付いてないように見えたけど」
 
「フェイクだよぉ。おちんちんは目立たないように隠すテクがあるんだよ。おっぱいもこれシリコンでできたブレストフォームを胸に接着剤で貼り付けているんだよ」
 
と言って祖父の手を取り胸に触らせる。
「まるで本物みたいだ」
「女の子役をする時はいつも貼り付けるんだよね〜」
 
「お前、女の子になりたい男の子とかじゃないよな?」
「別になりたくないよ。ボクは女の人と結婚したいし」
「女でも女の人と結婚する人はあるぞ」
「うーん。。。でもちんちんあった方がいい気がするし」
 
葉月の答え方が微妙なので祖父は思わず突っ込んだ。
 
「あった方がいいって、無くてもいいわけ?」
「無くなっても何とかなる気がするけど、ホント女の子になりたい気持ちは無いよ」
と葉月。
 
「だったら、結局女形(おやま)ということか」
と圭吾は微笑んで言う。
 
「まあおじいちゃんの遺伝かもね〜」
と葉月は答えた。
 

2017年11月10日(金).
 
青葉は夕食を取った後、仮眠してからNISMO Sで夜通し北陸道・上信越道・関越を走り、大宮の彪志のアパートまで行った。到着したのは翌11日の7時頃である。
 
「ああ、まだ居たね」
「うん。今日はお昼すぎに出社すればいいんだよ」
「たいへんね〜。だったら私を抱く時間はあるよね」
「当然」
 
「でもその前にこれ、早めの誕生日プレゼント」
「わっ、ありがとう」
「バッグはいくつもあっても構わないかなあと思って」
 
買ってきたのはポーラーの2wayバッグである。
 
「わ、これかなりいい奴じゃん。普段使ってるのなんて1000円なのに」
「それ1000円だったんだ!それも凄い」
 
「そうそう。これ私が居ない時に寂しくなったら使って」
 
と言って、別の袋も渡す。彪志は中身を見て、笑っていた。
 

今回青葉は東京辰巳国際水泳場で開かれる「日本選手権(25m)水泳競技大会」という大会に参加するために出てきている。これは「FINAスイミングワールドカップ2017東京大会」を兼ねているのだが、ワールドカップを主眼とするのは上位の人だけである。
 
11日の午後、朋子から連絡があり、冬子からFAXが来ているということだったのでこちらにそのままFAXしてもらった。冬子が書いた『ふるさと』という曲の手書き譜面であった。
 
青葉は彪志が帰ってくるまで、その曲を「青葉が冬子風に書いた曲」に見えるよう調整をしつつCubaseに入力した。
 
青葉は11日の夜と12日は1日中、彪志と甘い時間を過ごした。13日朝は彪志を送り出した後、水着その他を持って辰巳国際水泳場に向かった。会場前で、今回監督をしてくれることになった3年先輩で東京の企業に就職した圭織さんと合流する。
 
「すみません。わざわざ有休まで取ってもらって」
「水泳に関する活動に関してはわりと簡単に休みがもらえるんだよ。私もこんな大きな大会には出たことないから、ちょっとドキドキしている」
 
「ジャネさんは常連みたいですけどね」
「うん。昨日まで和歌山で合宿していたから、今日の練習は欠席して明日の本戦から参加みたいだけど」
 
「私、そのジャネさんと同じ種目ですよ」
「まあジャネさんは身体の問題で短距離ではさすがに健常者にかなわないから長距離専門だもんね」
 

この日は11時から18時まで公式練習となっている。その他、17時から監督者会議があるので、それに圭織さんには出てもらう。
 
会場ではジャネさんとも会ったが、競技前でもあるし、少し言葉を交わした程度であった。
 
今回青葉が出場する競技は女子800m自由形と、女子400m個人メドレーである。大会日程は14-15日と2日あるのだが、この2つの競技はどちらも14日に行われ、どちらもタイム決勝なので、1回ずつ泳ぐことになる。
 
圭織とも話していたように、どちらの競技にもジャネが参加しているが別の組での予選となった。
 
先に行われた800m自由形では、青葉が参加した組は日本人4人と外国人2人で、青葉は外国人選手(ドイツっぽかった)の隣のコースになった。それでその選手がかなり飛ばして、青葉は必死に付いていったので、その選手に続く2位になった。
 
また400m個人メドレーは日本人3人と外国人3人だったが、青葉は両側が外国人選手(アメリカとロシアかなと思った)で、やはりその2人が凄かったので、必死で追いかけて結局3位に入った。
 

タイム決勝のレースは予選最終組を、他の競技で決勝が行われる時間帯にすることになっている。
 
それで結局、青葉は400m個人メドレーでは参加者中16位だったものの、上位8名のワールドカップ決勝進出者を除いた中では日本人4位で、日本選手権4位として賞状をもらうことになった。そして800m自由形では、参加者中13位で、上位8名のワールドカップ決勝進出者を除いた中では5位であるものの、上位に外国人が2人いたので、青葉は日本人中3位ということになり、日本選手権3位と認定されて、銅メダルをもらうことになった。
 
青葉はこの成績でメダルとかもらっていいのか〜?と思ったものの、もらえるものはもらっておく主義である。表彰台の低いところに乗って、銅メダルを掛けてもらった。観客から拍手されると、やはりメダルっていいものだなあとあらためて思った。
 
ちなみに、ジャネさんは400m個人メドレーではワールドカップ6位だったものの、800m自由形ではワールドカップ2位で、銀メダルをもらっていた。
 
「それすごーい」
と青葉も圭織も言ったが
 
「まあたまたま取れたね」
などとジャネは淡々と言っていた。
 
ジャネと青葉と並んで記念写真も撮ってもらった。
 

15日は参加する競技は無いのだが、圭織と一緒に競技を見ていた。ジャネはこの日の女子400m自由形ではワールドカップ決勝を逃したものの、日本選手権決勝でトップでゴール。日本選手権の金メダルを獲得した。
 
日本選手権は19:40に終了した。その後、青葉は圭織・ジャネと一緒に会場を出ると、地下鉄で有楽町に移動。銀座コアのしゃぶしゃぶのお店でささやかな打ち上げをした。
 
青葉はこの日、冬子から「もし時間があったら寄って」と言われていたのだが、あまり時間が取れなさそうだったので風花さんに電話して、申し訳無いが時間は取れないようだと電話しておいた。
 
「でも金メダル、銀メダル、銅メダルが揃っているのは凄い」
と圭織が笑顔で言う。
 
「でもこの中で一番価値があるのはこの銀メダルなんですよね〜」
と青葉が言う。
 
「ワールドカップと日本選手権を兼用するという複雑なシステムだからね」
とジャネも苦笑いしながら言う。
 
「でもジャネさん、ユニバーシアードでは1人で金銀銅をコンプしましたよね」
「あれも本当は金を3つ集めたかったけどね」
 

3人は20時半頃から閉店時刻の22時頃まで楽しくおしゃべりしながらしゃぶしゃぶを味わい、その後別れた。
 
「じゃジャネさん、スペイン合宿頑張ってください」
と青葉たちが言うと
 
「青葉もだいぶ改善されたけど、タッチの練習頑張ろう。じゃまた春の全日本選手権で」
とジャネは言っていた。
 
青葉は大宮に戻り、彪志と2人だけの誕生日パーティーをした。昨日の内に作っておいたローストチキンを暖めて、ワインで乾杯した。
 
「お誕生日おめでとう」
「銅メダルおめでとう」
 
その後、ゆっくりと愛の確認をした。
 

15日に辰巳から銀座に移動して青葉が風花に「今回は行けない」という電話をした30分後、《青葉》は風花に電話をした。
 
「行けないと思っていたんですが、急に予定がキャンセルになったので行けるようになりました」
「そうですか!お疲れ様です。まだしばらく新宿のXスタジオに居ますので」
「じゃ、そちらに向かいますね」
 
そう連絡すると《青葉》はそのスタジオに向かった。青葉が大宮万葉名義で書いた『靴箱のラブレター』の音源がだいたい出来たので聴いてみて欲しいと言われた。2ヶ所、明らかに解釈の間違っている所があるのに気付いたので「ここはこういう意味なんですけど」と指摘する。
 
「なるほど。そこはその解釈の方がいいと思う」
と鷹野さんも言ったので再録することになる。
 
しかし普段の冬子ならこんな解釈間違いしないだろうに、やはりまだ完全には回復してないな、と《青葉》は思った。
 
冬子はそこを修正する前提で、間奏部分に龍笛を入れてくれないかと頼む。そこで《青葉》はバッグの中から、やや赤っぽい色合いで赤糸を巻いている花梨製の龍笛を取り出し、現在の音源を聴きながら自由な感じで間奏を入れた。
 
(本物の青葉の花梨製龍笛にはこの赤糸が無い)
 

その後、冬子からうちのマンションに来ない?と言われて《青葉》は恵比寿のマンションに行った。政子から
 
「彪志君を呼んでもいいよ」
と言われたが
「テンガを渡してきたから大丈夫」
と言っておいた。
 
冬子は青葉に、千里の回復状況を尋ねた。そこで《青葉》は、千里はまだ重症ではあるものの回復の目処は立って来たと言う。そして現状は元気なふりをしているだけであると伝えた。しかし《青葉》は言った。
 
「姉は必ず復活します。ですから冬子さんは4月までの姉が今もそのまま存在しているかのように思って、頑張ってください」
 
冬子も少し考えていたが言った。
 
「分かった。頑張るよ」
 

その後、《青葉》は琴沢幸穂もかなり強力なライバルになってくるだろうという注意を促す。その上で、琴沢の代理人・天野貴子のアドレスを渡し、琴沢に連絡したい時はこの人に連絡を取ればよいと教えた(教えてよいことは千里2からも言われていた)。
 
ここで《青葉》が冬子に見せた携帯はピンクのアクオス・セリエで、実は千里3が持っている携帯のクローンである。本物の青葉が持っている携帯は同じアクオス・セリエではあるもののブルーで色違いなのだが、そのことに冬子は気付かなかったようであった。冬子の注意力が落ちているから多分気付かないだろうと思ってここは何も工作しなかった。
 
ちなみに渡した天野貴子のアドレスは《きーちゃん》専用のArrows NX F-02G の電話番号とメールアドレスである。《きーちゃん》は様々な工作をするため千里2の持つT-008のクローン、千里3の持つSerie miniのクローン、双方を保持している。
 
なお、本物の青葉は天野貴子のことを知らない!
 
そしてこれは千里2から本当に頼まれたことであったのだが《青葉》は冬子に重要なメッセージを伝える。
 
「上島先生としばらく会わないようにしてください。何か頼まれたりしても適当な理由を作って断ってください」
 
「どういうこと?」
と冬子が戸惑うように言うので《青葉》は説明した。
 
「上島先生は近い内に大きなトラブルに巻き込まれます。冬子さんまで巻き込まれたら、日本の音楽業界が破綻します。気をつけて下さい」
 

《青葉》はその夜は冬子のマンションに泊まり、翌朝、佐良さんに送ってもらって館林まで行った。恵比寿のマンションを出たのが8時頃で、館林に着いたのは9時半頃である。《青葉》は帰りは適当に電車を乗り継いで大宮まで戻りますからと言ったのだが、帰りもちゃんと大宮まで送りますよと言う。
 
それでお寺の中で適当に時間を潰してから、再度佐良さんに送ってもらって大宮駅まで行った。矢鳴さんならこの《青葉》が本人でないことに気付いたかも知れないが、佐良さんはこの手のものに慣れていないから、多分気付かなかったろうなと《青葉》は踏んだ。
 
《青葉》が大宮駅で佐良さんにお礼を言って車を降りたのは11時頃である。
 

一方、本物の青葉は16日朝7時頃に彪志を
「あなた、いってらっしゃい」
 
とキスで送り出してから、晩御飯を作りながらお部屋の掃除をした。そしてできあがった料理を冷蔵庫に入れてから、9時半頃大宮のアパートを出た。
 
そしてNISMO Sを運転して館林に向かい、10時半頃に到着(佐良さんたちとちょうど入れ違いになった)。身代わり人形を受け取ってから、念のため低俗霊が入り込むのを防ぐためのちょっとした仕掛けをした。そして
北関東道/上信越道/北陸道と走って金沢まで走り、剣崎家を訪問して人形を矢恵に渡した。
 
17日、青葉は倶利伽羅峠の道の駅に寄って、そこでケイから11日に受け取っていた『ふるさと』の譜面を“自分好みに”!修正。自宅に戻ってから、千里1の住んでいる用賀のアパートにFAXした。
 
千里1はこの曲を《まるでケイが書いたみたいな曲》に調整して編曲。それを《きーちゃん》に渡した。
 

ところで青葉は千里2に電話して、11月25日に友人たちと成人式の振袖の撮影会をすることになったことを言い、可能だったら参加者の中で東京に住んでいるメンツを車で高岡まで運んでくれないかと言った。
 
「運ぶのは誰々?」
「奈々美、空帆、純美礼の3人」
 
「奈々美ちゃんと空帆ちゃんは、海香さんとこに住んでいるんだよね。純美礼ちゃんはどこに住んでいるんだっけ?」
 
「東白楽駅の近くなんだけど」
 
「かなり遠い所から通っているね!」
「1年生の時は日吉キャンパスだから近かったんだよね〜」
「なるほど〜」
「そしてこの場所はJRの東神奈川駅にも近いから、東急が止まっていたらJR経由ででも三田まで辿り着けるんだよ」
 
「ああ、東京の電車は頻繁に止まるからね」
「人身事故が多すぎだよね」
 

「それで“誰”か対応してくれる?」
と青葉は訊く。
 
「奈々美ちゃんが居なければ簡単なんだよ。千里1でもできる」
「やばかったっけ?」
と青葉は今更ながら訊く。
 
「この日程は私は日本時間で11月26日23:30から試合がある」
「わっ、ごめん」
「それはまあ何とかするんだけど、困ったことに千里3が26日13:00に平塚市で全日本バスケの3次ラウンドの試合に出る」
 
「うっ・・・」
「当然、奈々美は私がその試合に出るものと思っている。だからこれをどう誤魔化すのかが課題なんだよ」
 
「ごめーん」
「だから帰りは青葉が運転してよ」
「分かった!それならOK」
 
「24日金曜日の夕方に、奈々美ちゃん、空帆ちゃん、純美礼ちゃんを拾って、夜間に高岡まで私が走る。私か3でないと、奈々美ちゃんと話が合わせられないけど、3は大事な試合の前に高岡往復なんてさせられない。更に3だと高岡に来てからお母さんに結婚のことを訊かれたら困る」
 
「うん」
 
「だから私が行くしかないけど、25日の午前中からお昼に掛けてその振袖撮影会をするのなら、私はそれが終わったら新幹線で東京に戻ることにする」
 
「なるほどー!」
 
「そして帰りは青葉が車を運転して東京に戻ればいい」
 
「うん、そうしよう」
 

それでこの週末の“ミッション”は実行されたのである。
 
青葉はワゴン車をレンタルしてと言っていたのだが、実際は千里2は風花に電話して、冬子のエルグランドを借りることにした。
 
11月20日に千里2は『ふるさと』の譜面とデータを冬子に渡しがてら、エルグランド(とマンション)の鍵を受け取った。その時千里は冬子からカウントダウンライブでバヤンを弾いてくれないかと依頼され、実際の楽器を触ってみたら、以前触ったことのあるドイツ製アコーディオンとボタン配列が似ていたので
 
「これならちょっとやれば弾けると思う」
と言って、その楽器も借りて帰った。
 
そして千里2は24日の午前中に恵比寿のマンションに行ってエルグランドを出し、(冬子たちは23日勤労感謝の日から郷愁村に入っている)まずは経堂のアパートで桃香と早月を拾う。2人はベビーシートの関係があるので最後尾に乗せる。そして13時頃に東白楽駅前で純美礼を拾い、神田駅前まで戻って、14時頃に奈々美と空帆を拾った。案の定、奈々美は
 
「千里さん、全日本の3次ラウンドはいいんですか?」
と訊いた。それで千里は
 
「うん。それがあるから私は撮影会が終わったら新幹線で戻るよ。私は25日は試合が無いから」
と答えた。
 
「大変ですね!」
 
レッドインパルスは神奈川会場(トッケイセキュリティ平塚総合体育館)に出場するのだが、25日はアレンズと大阪HS大学の試合が行われ、その勝者が26日にレッドインパルスに挑戦するのである。
 
この時、奈々美は助手席、2列目に空帆と純美礼を乗せたので、この会話は3列目に乗っている桃香には聞こえていない。
 

実際の運転は、上里SAまでを千里、そこから米山SAまでを奈々美、その先をまた千里が運転して高岡には24日の22時頃到着した。奈々美に運転させるので夜間運転の難易度が高い上信越道を避けて関越経由にした。米山SAで夕食を取っている。なお空帆も運転はできるのだが、やや“運転品質”に難がある。また純美礼は運転免許を持っていない。むろん桃香には絶対に運転させられない!
 
高岡に着いたら、まず赤ちゃん連れの桃香と早月を最初に降ろした後、奈々美・空帆・純美礼を各々の自宅まで送り届けた。
 
しかし千里2は伏木の自宅では、朋子から結婚のことでかなり色々と訊かれるのに閉口した。くそ〜。ここは千里1にやらせたい!と千里2は思った。婚約指輪も忘れてきたことにしておいた(千里1は11月3日に信次の婚約指輪を受け取っている)。しかしこの時の会話で朋子は、千里が本当はこの結婚に乗り気でないのでは?という疑いを持った。
 

翌日25日は朝からホテルに集まり、参加者の着付けを、千里と朋子、それに明日香の母の3人で手分けしておこなう。
 
そして着付けが終わると、参加者のスマホ、明日香の母のデジカメ、桃香が持って来たLumixなどで撮影をする。撮影の間は、千里はずっと早月の相手をしていた。むろん千里には絶対に撮影させられない!
 
その後、振袖を脱いで、畳むが、畳むのは青葉と明日香もできるので20分ほどで全て元の和服バッグに収納することができた。その後、ホテルのレストランで食事会をした。
 
食事会の後は、千里は
「仕事があるので」
と言って、青葉に新高岡駅まで送ってもらった。青葉は千里を駅で降ろしてから帰っていったものの、ちゃっかり笹竹が駅に残って千里の様子を伺っている。
 
千里2はむろん笹竹には気付かないふりをして東京行きの切符を買い、そのまま新幹線に乗った。笹竹は千里がどこ行きの切符を買うかまでじっと見ていたが、千里がちゃんと東京までの切符を買い新幹線に乗ったのを見ると帰っていった。
 
全く青葉もよくやるよ!と千里2は思った。
 

千里2は実際には新幹線の中でぐっすりと眠って東京まで行き、そこからフランスに転送してもらった。
 
この日、千里3は明日の試合に向けていつもの川崎の体育館でレッドインパルスのチーム練習に参加していた。
 
千里1は「リハビリに」と雨宮先生から言われて大量の編曲依頼と《埋め曲》の作成を頼まれたのを、用賀のアパートで頑張ってこなしていた。
 
そして青葉は26日の夕方、奈々美・空帆・純美礼をエルグランドに乗せて東京に戻った。桃香は高岡に来たついでにしばらく実家に滞在するということだった。帰りの運転も青葉と奈々美の交代で運転した。
 
そして深夜東京に到着すると、青葉は全員を各々の自宅前で降ろしてから大宮まで行き、彪志のアパート近くの駐車場にエルグランドを駐めて、その日はアパートで寝た。
 
そして翌朝、彪志を送り出してからエルグランドをマンションに回送し返却した。冬子たちはまだ郷愁村から戻っていなかったので、鍵は次の機会に返すことにした。そして新幹線で高岡に帰還した。
 

青葉は12月4日、YS大賞の授賞式に出席するため、再び東京に出た。今回はアクアの曲が優秀賞に選ばれたので、作曲者としてアクアに同席するためであるが、新幹線での往復になった。千里や冬子たちも出席しているので手を振っておく。
 
12月27日にはアクアの11枚目のシングル『夕暮れ時間BDFight!』が発売されたが、今回は青葉は楽曲に関わっていないので、記者会見には出席しなかった。
 
青葉は世梨奈・美津穂とともに、12月31日から1月1日にまたがって行われるローズ+リリーのカウントダウンライブに参加することにしていた。それで12月30日にアクアで世梨奈・美津穂を拾い、小松空港まで走って、福岡行きの飛行機に乗った。その日は前泊用に確保してもらっていたヒルトン福岡・シーホークに泊まる。
 
「高そうなホテルだ!」
と世梨奈が喜んでいた。
 
夕食を食べに行ったら、鈴木真知子ちゃんと遭遇したので、一緒に食べた。
 
「今回は七美花ちゃんは参加してないのね」
「今年が大学受験だから、今必死で勉強しているらしい」
「そうか!受験の年か。どこに行くんだろう?」
「♪♪大学の邦楽科を受けるって」
「すごーい!」
 
「ほうがくかって、弁護士か何かになるの?」
と世梨奈が訊くので
「いや、そちらの法学ではなく、日本の音楽の方の邦楽」
「そっちの方か!」
と世梨奈が言うと
 
「今のダジャレ?」
と美津穂が言う。
 
世梨奈は一瞬考えてから、やっと気付いたようで
「あ!」
と言った。
 

「高崎ひろかちゃん、西宮ネオン君、品川ありさちゃんも高校3年だけど、進学はせずに、高校出たら歌手・タレントの専業になるらしい」
 
「その方がいいと思う。大学行きながら歌手活動というのは結構厳しいもん」
「実際問題として、中高生は学業優先にしてもらえるけど、大学生はあまり考慮してもらえないから、単位を落としやすいよね」
「うん、大学生の場合は、だいたいお仕事優先にされるから売れっ子の場合、大学を卒業するのは至難のわざ」
 
「ローズ+リリーの場合も、ずっと限定的な活動していたのは、やはり大学生をしながらというのもあったんじゃないのかなあ」
「実際大学を卒業してから活動が本格化しているよね」
 
「あれは色々な人の思惑が絡んでややこしくなっていたみたい」
と青葉は言う。
 
「ケイちゃんが性転換手術を終えて身体が落ち着いてから本格活動再開というのもあったんでしょう?」
 
「その説はあるけど、正直、ケイさんが本当はいつ性転換手術を受けたのかはいまいちよく分からない。本人は2011年4月に受けたと主張しているんだけど、マリさんは否定しているし」
などと鈴木真知子は言う。
 
「あれ実際問題として、ケイさん以外、誰もそれを信じてないよね」
「私がケイさんと初めて会ったのは、ケイさんが中学1年の時だったけど、女の子と信じて疑ってなかった」
と真知子。
 
「wikipediaのケイの項には、本人は2011年4月3日に手術を受けたと主張しているが、信頼すべき証拠は見当たらない、なんて書かれているよ」
と美津穂。
 
「ただケイさんに手術証明書見せてもらったことあるけど、手術証明書は確かに2011年4月の日付になっていたよ。あれはさすがに開示しないと思うけど」
と青葉は言う。
 
「じゃ本当に本人の主張通りなのかなあ」
 

「青葉も中学3年の時に性転換手術を受けたと主張しているけど、どう考えてもそれ嘘だし」
などと世梨奈が言う。
 
「そうそう。青葉が2011年4月に転校してきた時、女の子にしか見えないから、本当に男の子なのか確認するのに、みんなで温泉に行ったんだよね」
と美津穂。
 
「凄いことやってるな」
と鈴木真知子。
 
「裸になったのを見ても女の子にしか見えなかったから、普通に一緒に女湯に入ったよ」
「じゃ、その時に既にもう女の子の身体だったんだ?」
 
「いや、あれは偽装なんだけど」
「そんなきれいに偽装できるわけがない」
 
「うーん。。。どうしたら信じてもらえるんだろう?」
と青葉は困った。
 

31日の朝政子が風花と一緒に来る。お昼頃千里が来て、夕方前座が始まった頃、冬子も到着した。青葉は夜のためにお昼過ぎまでホテルで仮眠しておいた。(ホテルは会場のすぐ隣である)
 
カウントダウンライブは22時に始まり、0:20頃アンコールまで終了した。青葉は主として龍笛を吹いたのだが、幾つかの曲ではサックスを吹いた。
 
公演終了後は出演者の中で、ローズ+リリー、スターキッズ&フレンズ、冬子の個人的なツテで参加した追加演奏者(青葉や千里を含む)と、若干のスタッフでチャーターしたバスに乗り、大分県の耶馬溪(やばけい)まで移動して宿泊した。
 
この旅館に泊まったのは24名で次のような部屋割りだった。
 
■4階
桜 マリ、ケイ
橘 鈴木真知子、古城美野里
松 近藤夫妻
梓 村山千里、川上青葉、鮎川ゆま
■3階
鳳凰 鷹野繁樹、酒向芳知、月丘晃靖、宮本越雄、香月康宏、加藤銀河
朱雀 氷川真友子、秩父光恵、甲斐窓香、江口マル、鱒渕水帆
麒麟 秋乃風花、近藤詩津紅、田中世梨奈、上野美津穂
 
この部屋割りを作ったのは風花だと思うが、鮎川ゆまをどこに入れるかかなり悩んだのではないかという気がした。彼女はレスビアンで、特に酒に酔うと無差別に女の子を襲う困った癖がある。といって男性と同じ部屋にすると本人は問題無いが、同室にされた男性が困る。
 
ということで、千里・青葉姉妹の部屋になった。この3人のギャラが同額程度であることもあるし、また千里・青葉は性転換していることから、ゆまも天然女子に比べれば襲おうとする可能性が少し低いこと、そして千里も青葉も自分で身を守れる!というのがあった。
 

ところが実際には、ゆまは男子部屋に行って!朝まで飲んでいたようである。
 
千里と青葉は、旅館についてから30分くらい世梨奈や美津穂の入っている麒麟の間でおやつを食べながらおしゃべりしていたのだが、風花さんが
 
「ごめん。寝るー」
と言って寝てしまうし、他の子たちもあくびが出てきたので
 
「じゃ話し足りないけど寝ようか」
ということになり、千里と青葉はいったん自分たちの部屋に戻った。
 

千里と青葉は部屋に戻ってから
 
「寝る前にお風呂に入ろうか」
と言って、浴室に行くことにした。
 
それでタオルとシャンプーセットを持って離れにある浴場に行く。すると入口の所にこのような掲示があった。
 
「本日は男湯と女湯を入れ替えております。女性の方は男湯と書かれた方に、男性の方は女湯と書かれた方にお入り下さい」
 
「つまり私たちはどちらに入ればいいんだっけ?」
と千里が訊く。
「ちー姉が男の人だったら女湯へ、女の人だったら男湯へ」
と青葉。
 
「青葉はどっちなのさ?」
「不本意だけど男湯に入ろうかな」
「じゃ私も」
 
と言って、2人は男湯の暖簾をくぐり、脱衣場で籠(かご)を出して服を脱ぎ、浴室に入った。
 

「しかし男湯なんてものに入ったのは高校の時以来だ」
などと千里が言うので
「ダウト」
と青葉は言っておいた。
 
「父親と一緒に男湯に入ったよ」
「それは絶対にあり得ない」
 
「青葉は男湯って入ったことあった?」
「記憶が無い」
「まあそうだろうね」
と千里も言う。
 
「ちー姉、そういえば七星さんと話していたら、『靴箱のラブレター』の音源製作で、私が龍笛を吹いたことになっているみたいだったんだけど」
 
「あの日、青葉は彪志君のお誕生日で冬のマンションには行けないみたいだったから代理を行かせておいた」
と千里は平気で言う。
 
代理ね〜。まあいいけど!
 
つまり龍笛のうまい眷属なんだ!
 
「川島さんとの結婚はどうなりそう?」
「婚姻届けを2月16日午後に提出するつもりでいる。これを阻止したい」
「届けさせないの?」
「2月16日の6:05-11:32にボイドがあるから、その期間に出させる。特に11:26以降だと土星が結婚を司る7室にあるから、11:26-11:32が最悪の時間帯」
 
「ボイドにぶっつける訳か」
 
「千里はなまじ占星術の知識があるから、ボイドにぶつからないように提出しようとするはず。だから信次さんに届け出させるようにした上で、色々邪魔してボイド時間帯にぶつける」
 
「占星術戦争だ!」
 
「青葉協力してよ」
「まあ、いいけどね」
 

「ところで、戦争といえば、千里1に呪いを掛けようとしている女が居るね。どうも信次のことを好きみたいだけど」
と千里2は言った。
 
「ああ、そちらも気付いたね」
と青葉も言った。青葉も気付いてはいたが、千里姉の敵ではないだろうと思い、放置していたのである。このことを青葉は後で悔やむことになる。
 
「こないだは不妊魔法を掛けようとしたけど、千里の眷属が阻止して本人自身が呪いに掛かって閉経してしまった」
 
「呪い返し?」
「違う。そもそも呪いの呪具を千里1が触らないまま、本人が触ってしまった」
「ああ、それは気の毒に」
「千里は触ったように見えて触ってなかったんだよね。眷属が瞬間的に1番の指に防護膜を貼ったから」
 
「なるほどねー」
 
と言ってから青葉はふと気付いて訊いてみた。
 
「ひょっとしてちー姉の眷属って、全部1番の所に居るの?」
「そうだよ。眷属たちは千里の分裂に気付いてないから」
 
うーん。。。
 
「じゃ、2番・3番には誰もついてないの?」
「青葉はそれを調べようとしているみたいだから、頑張って調べるといいと思うよ」
と千里2は言っている。
 
どうも、こちらが眷属を使って色々調べようとしているのは全部バレてるみたいだなと青葉は思った。海坊主が笑っているのは黙殺する。
 

質問を変える。
 
「貴司さんとの仲はどうなってる訳?」
 
途端に千里は難しい顔をした。
 
「貴司は11月下旬に、奥さんではない女性とホテルに行って、多分セックスしたんだと思う。相手の女性は妊娠した」
 
「嘘!?」
 
「仲良くしている女の子がいるなとは思っていたんだよ。でもいきなりホテルに行ってセックスするとは思わなかった」
 
「妊娠は確定?」
「確定。予定日は8月くらい」
「どうするの?」
「相手の女性は最初は堕ろすつもりだった。でも気が変わって産むと言っている。それも自分と結婚してくれと言っている」
 
「うーん。。。」
「彼女は強い性格だから、いったん言い出したら絶対に引かない。貴司は彼女と結婚することになると思う」
「阿倍子さんは?」
「何とか謝って離婚してもらうしかないよね。慰謝料を払いきれないだろうから私に泣きついてくると思う。もちろん阿倍子さんが欲しいという金額出してあげるよ」
 
「でも急展開だね」
「だから、近い内に貴司と阿倍子さんは離婚して、貴司はその彼女と結婚し、千里も川島信次と結婚する」
 
「そういう展開になっても、2番さんとしては、貴司さんといつかは結婚できると思っているの?」
 
「当然。2−3年掛かるだろうけど、どっちみち私たちが1つに戻らないとどうにもならないから、しばらくは貴司にも夢を見させてあげるよ」
 
「ふーん。嫉妬しないの?」
「しない訳ないじゃん」
と千里は怒ったように言う。こういうちー姉も珍しいと青葉は思った。
 
「でもちー姉も1番さんが信次さんとセックスしてるんでしょ?」
とわざと言ってみた。
 
「してない」
 
「嘘!?」
「婚約前は1度したんだよ。でも、婚約した後は千里1は忙しいとか何とか理由を付けて信次とセックスするようなデートをしていない」
 
「なんで?」
「さすがに後ろめたいからだと思う。千里1は桃香ともセックスしてないし。まあ何度かレイプされたのは別として」
「ああ。でもそのレイプされたってのは言い訳でしょ?」
「今日の青葉は私を怒らせようとしている」
「ふふふ」
 
「信次も他の女性と会ってるよ」
「嘘〜!?」
「高岡に恋人が住んでいるんだよ。10月に2人で高岡に来たでしょ?その時、買物に行ってくると言って、その子に会ってたよ」
 
「今の1番のちー姉だとそういうのに気付かないだろうね。でもそもそも高岡って、凄く浮気がバレにくい場所かも」
 
などと言いながら青葉は、2番のちー姉はなぜそれを察知したんだ〜?と思う。やはり2番にも何人か眷属が付いているのだろう。ひょっとしたら1番に付いている眷属とは別の眷属かもと思った。
 
「だからこの結婚はやはり半年くらいで破綻するんだと思う」
「うーん。。。」
 
「あと貴司は特定の女性との関係を長続きさせることができない。妊娠してしまった女性もこれまで1年程度単位で恋人を変えてきているみたい」
 
「なんか、性癖の悪い人ばかりだ」
 

「そうだ。私が3人居ること、冬子にも言っておこうと思う」
「ああ、それは言った方がいいと思うよ。工作が大変だもん」
「うん。言うのは言わないと工作が大変な人と、千里と信次の結婚に賛成してくれない人だけ。前提としてこういう超常現象に驚かない人」
 
「私やちー姉の周辺では割と超常現象が起きやすいみたいだし慣れている人は多いと思うよ」
「明らかに時空が歪んでいるよね」
 
「結局何人知っているんだっけ?」
「京平、青葉、姫様、玲羅、貴司のお母さん、貴司の妹2人、今の所この7人だけ」
 
突然名前を呼ばれて、青葉の後ろで『異世界食堂』を読んでいた《ゆう姫》が驚いている。
 
千里は言ってないけど、佐藤玲央美、アクアと丸山アイの3人(5人?)は察しているみたいだな、と思っていた。
 
「美輪叔母ちゃんにも言うことになると思う。叔母ちゃんも千里の結婚に怒ってる」
「私だって怒ったもん。当然だよ。コスモスさんは知らないの?」
 
「彼女には事故にあってやはり不調で、作品の品質の出来不出来が酷いので、当面良質の作品を琴沢幸穂の名前で出すつもりだと説明した。埋め曲レベルのものは醍醐春海や東郷誠一で出す。実際元々醍醐春海は大半の曲が埋め曲レベル。KARIONに提供しているのだけが例外だったんだよ、歴史的な経緯で。だから調子が戻るまでの一時的な処置ということで納得してもらった」
 
「いやその説明が正しいのかも知れない」
 

その後、冬子が浴室に入って来たのでしばらく3人で話した。冬子は青葉たちに追及されて『郷愁協奏曲』が実は冬子自身で書いた作品であることを告白した。また千里はあの作品は直すところがないと言ったが、本当は修正したバージョンが存在することを明かし、冬子もそれを見てみたいと言っていた。千里はお風呂からあがった後、それを冬子に渡したようである。
 
冬子と千里は、風花・妃美貴と一緒に1月1日の午後、レンタカーで北九州空港まで行き、東京に帰還した。耶馬溪に残留した青葉たちは、一目八景と青洞門(あおのどうもん)を1日の午後に見学した。
 
その夜はマリが1人になってしまうので本当は最上級の部屋で1人で寝る予定だったのだが、1人では寂しいと言って、青葉・ゆまと同室にしてもらった。夜中「ゆまが」寝ぼけた政子に襲われそうになって
 
「マリちゃん待って!私はケイじゃない!」
と叫んでいるのを聞きながら、青葉は熟睡していた。
 
1月2日はチャーターしていたバスで福岡に戻り、青葉は世梨奈・美津穂と一緒に小松空港に帰還した。
 

この時期、千里1は12月31日の23:59に年内に頼むと言われていた最後の曲を完成させて送信し、そのまま倒れ込むようにして布団に潜り込み、ひたすら寝たので、起きたらもう1月2日の朝だった!
 
ともかくもそれから近くの神社に初詣に行って来て、その後帰り道に2日から営業再開したスーパーで、おせちの売れ残りとお餅、小豆缶を買う。それでお餅をオーブントースターで焼き、小豆缶の小豆を茹でて、お汁粉にして食べる。お雑煮の代わりである。
 
それでお茶でも入れておせちを摘まんでいたら電話が掛かってくる。朱音であった。
 
「千里?産まれる・・・」
「え〜?」
 
それで千里はミラに乗って朱音のアパートに駆けつけた。夫は正月早々出張で沖縄に行っているらしい。全くお疲れ様だが、よりによってそんな時にというところだ。
 
ともかくもかかりつけの産婦人科に連絡する。受け入れてもらえることを確認して、朱音をミラの後部座席に乗せ、病院まで運んだ。
 
ところが先生が診察すると
「これはまだ出てこないよ」
と言う。
 
「え〜?」
「切迫早産ですか?」
「いや、予定日直前だから、もう早産にはならない。でも何も異常は起きてない。たぶん明後日くらいに出てくるんじゃないかな」
と先生。
 
「わたし的には、今にも産まれそうな気がするんですけど。凄く辛いし」
と朱音は言う。
 
「今の痛みはまだ序ノ口だよ。本格的にお産が始まったらこんなものじゃないから」
「きゃー」
 

普通なら、いったん自宅に戻って、もう少し近くなってから病院においでと言われるような状況だったようだが、夫が出張中で誰も親族がいないという状態なので、入院させることにした。出張中の夫にも連絡は取ったものの、トラブル対応で行っているので、引き上げる訳にはいかないらしい。誰か代わりの人に来てもらえないか、上司に相談すると言っていた。
 
夫は全然頼りにならなさそうなので、本人はあまり気が進まないようだったが、長野に住むお母さんに連絡した。朱音は実のお母さんと仲が悪いのである。しかし、お母さんは、すぐに出てくると言った。その後、夫のお母さんにも連絡を取ったが、結果的にはこちらの方が先に到着した。義母は偶然にも善光寺まで初詣に来ていたので、すぐに北陸新幹線に飛び乗って東京に出てきてくれた。それで14時半には病院に到着した。実母の方は安曇野から出てくるので、松本からあずさに乗り新宿に出てきた後、都内の交通網の複雑さで迷子になってしまい、病院には19時すぎに到着した。
 
でもまだまだ産まれる兆候は起きていなかった。朱音は苦しいよぉと言ってはいたのだが!
 

朱音は3日もずっと苦しみ続け、日付が4日に変わった頃、やっと
 
「そろそろ赤ちゃんが出てくる準備を始めたみたいだね」
と言われる状況になる。
 
夜間は両方のお母さんには休んでいてもらい、体力のある千里がずっと朱音のお腹をさすっていた。そして朝5時過ぎ、
 
「そろそろ分娩室に入ろうか」
ということになり、8:27に赤ちゃんを出産した。
 
結局千里は分娩室の中にも入って手を握り、朱音を励まし続けた。ベテランっぽい助産師さんが赤ちゃんを上手に取り出し、近くにいた義母に抱かせた(実母はお産が長引いていたので、出産の瞬間はトイレに行っていた)。千里もついでに抱かせてもらった。
 
その後、朱音の実母が分娩室に入ってきた。
 
「産まれたんですか?どっちです?」
「ちんちんが付いているから男の子みたいですよ」
「わあ」
 
それでやっと実母は朱音の赤ちゃんを抱くことが出来た。
 
なお、朱音の夫は交代要員の手配に手間取り、更に沖縄から東京に戻るチケットが確保できず、那覇空港で待機中だった。
 

千里は結局徹夜したので、午前中は部屋の隅で仮眠させてもらい、お昼くらいから夕方まで朱音の傍にいてサポートしてあげた。おっぱいがなかなか出なかったのを千里がマッサージしてあげると出るようになった。
 
「あなた凄くうまい。経産婦ですか?」
「いえ、産んだことはないです」
と千里は答えたものの、元男で赤ちゃんなど産めるはずのない自分が実は赤ちゃんを産んだことがあるような気がするのはなぜだろうと悩んでいた。
 
千里は4日いっぱい朱音に付いていたが5日にはミラを運転して高岡に移動した。帰省Uターンラッシュの最中(さなか)ではあるが、混雑するのと逆方向なので、何とか半日で高岡に辿り着くことができた。
 
“千里が11月に高岡に来た”ことを千里が覚えていないようなので、桃香も朋子も少し戸惑うものの、たぶんまだ事故の後遺症が出ているのだろうと解釈したようである。千里は今回、婚約指輪を朋子たちに見せていた。
 

6日、青葉は美容室で髪をセットしてもらった。そして7日の朝から千里に振袖を着付けしてもらい、9時半頃、家を出た。会場の傍で
 
「青葉、成人式おめでとう」
と声を掛けられる。千里であるが、左手にアクオスの携帯を持っていたので、3番であると判断する。
 
近くに居た明日香が
「お姉さん、並んでください。記念写真撮りますよ」
というので、青葉と並んでいる所を青葉のアクオスと千里のアクオスで撮影してもらった。
 

受付開始前にけっこう会場前で友人たちと会う。
 
女子はほとんどの子が振袖だが、何人かレディススーツで来ている子がいた。紡希がレディススーツだが、紡希は振袖よりこういう服の方が似合っている気がした。京大に通う彼女はキャリアウーマン志向だろう。
 
先日の振袖撮影会には来ていなかったヒロミも上等で大柄の牡丹が描かれた振袖を着てきている。それが母から譲ってもらったという振袖だろう。明日香も母から譲られた振袖である。やはり昔の振袖はしっかりした作りだなと青葉は思った。
 
男子はスーツが多いが、羽織袴の子も数人居る。そして・・・
 
「誰かと思った!」
「嘘!?奥村君なの?」
 
奥村君も振袖を着てきていた。ピンク地に白いユリの花を浮かび上がらせた現代的な模様の振袖である。
 
「ハルちゃんは、学校にもよくスカート穿いて出てきてるよ」
と青葉が言う。
 
「ハルちゃんなんだ!」
「女の子になったの?」
「もうほとんど女の子だと思うよ」
「すごーい!」
 
「水泳部に入っていて、普段の練習では女子水着で練習しているよ。でも性転換手術とかはしてないから、大会では男子水着を着ないといけないんだよね。だからバスト曝して競技に出てるよ」
 
「おっぱいも大きくしたんだ!」
「いや、別に大きくした訳ではないけど」
「どれどれ」
 
と言って触ってみている子がいる。
 
「これ充分大きい」
「少なくとも**のおっぱいより大きい」
「なぜ私を引き合いに出す!?」
 
「でもこんなにおっぱい大きいのに、それを曝さないといけないって可哀相」
 
「それ性転換手術したら女子として出られるの?」
「女性ホルモン優位の状態が1年以上続いていれば女子選手扱い」
「女性ホルモンは飲んでいるんでしょ?」
「いや飲んでない」
「そういう嘘はつかないように」
「ホルモン飲まずにこんなに大きくなるわけない」
「それともシリコン入れた?」
「いや、手術はしてないよ」
 
そういう訳で、みんな奥村君のことで盛り上がっていたので、Re:ゼロから始める異世界生活のラムのコスプレをしている吉田君は黙殺である!
 
「おい、俺も女装だぞ」
などと本人は言っているが
 
「そんな違和感のある女装より、ごく自然な女の子のハルちゃんの方が優先」
などと由希菜から言われていた。
 

10時から受付が始まり、千里は友人たちと一緒に受付をして中に入る。記念品の袋をもらったが、重いなと思ったら金属製の文鎮だった。
 
「これ鉄?」
「いや銅だと思う」
「そうか。高岡銅器は有名だもんね」
 
「あれ?俺のと形が違う」
と平林君が言う。
 
それで何人か自分のを開けて見ている内、どうも男子は獅子で、女子は牛であるようだと分かる。
 
「俺、牛の方が良かったなあ」
と言っている男子がいる。
 
「何なら私のと替える?」
と紡希が言うので
「おお、交換しよう」
と言って交換していた。
 
「ヒロミはどっちもらった?」
「私は牛」
「まあ女にしか見えないし」
「実際女だし」
「もう戸籍上も女だし」
 
「戸籍変更したんだ!」
「うん。この秋に変えた」
「青葉も戸籍直したよね?」
「誕生日に即変更の申請したよ」
「通った?」
「もちろん」
 
「ハルちゃんはどっちもらった?」
「牛だった」
と言って見せている。
「やはり女の子に見えるもんね〜」
「戸籍上の性別でなくて、見た目の性別でもらえたみたいね」
「よかったよかった」
 
「吉田はどっちもらった?」
「俺のは獅子だ」
「まあ男に見えたってことだね」
 
「名前がハルちゃんの場合、女の子の名前にも見えたんじゃない?」
 
奥村君の下の名前は春貴(はるたか)なのだが、「はるき」と読めば女の子の名前に見える。
 
「ヒロミは名前変えたんだっけ?」
「変えた。性別変更と同時に大政(ひろまさ)からヒロミに変えてる」
「姓と名を交換すればよかったのに」
「そういう改名は認められないし」
 
呉羽大政をひっくりかえして大政呉羽にすると、女の子の名前に見えるというネタだが、実際彼女は小中学生の頃、姓名を逆転させて女子としてあちこちに登録していたのである。
 
「吉田の名前も女の子の名前に見えるけど」
 
吉田君の名前は邦生(ほうせい)だが「くにお」と読むと女の子の名前に見える。
 
「じゃやはり名前や登録されている性別より、見た目優先なんだね」
「俺、女装しているのに」
「女装している男に見えるから」
 
「でも実際、大学入所当初、吉田の学生証は女になっていたんだよ」
「それで男子寮に入れなかったり、健康診断で男子の時間の受診拒否されたりして苦労した」
 
「大変ね〜」
 

10時半になって成人式が始まる。最初にステージすぐ下の所に展開している◎◎中学吹奏楽部の演奏に合わせて『君が代』を斉唱する。その後、吹奏楽部の子はいったん下がってから、高岡市長の祝辞を代理の人が朗読。続けて高岡市議長の祝辞もやはり代理の人が代読。そして新成人の代表の決意表明がある。これをやったのは◎◎中学当時に、生徒会長を務めた子である。
 
「生徒会長とかやると、こういうのもやらされるんだ」
「まあ無難な人選だし」
 
それで式の本体は15分ほどで終わって、アトラクションになる。最初に新成人の代表が制作した映画が10分ほど上映された。その後、壇上に登った人物を見て、青葉は咳き込んだ。
 
「青葉どうしたの?」
と美由紀が訊くが、壇上の2人の挨拶に会場は騒然とする。
 

「玉梨乙子でーす」
「桜アキナでーす」
「2人合わせてオトナでーす」
と2人は各々の名前を大きく書いた紙を掲げて自己紹介した。
 
誰だ?こいつらを呼んだのは!?
 
「乙子(おとこ)ちゃん、あんたの性別は?」
「名前が“おとこ”だし、男だよ。アキナは?」
「声を聞けば分かる通り、男だよ」
「でもあんた女みたいな格好してるね」
「あんたも女みたいな格好してるね」
「私はこういう格好するのが好きなのよ」
と乙子。
「私は心が女だから」
とアキナ。
「あんた心は女じゃないの?」
「それ微妙。MTXって感じ。私女の人と結婚してるし。子供もいるし」
「だったら子供からはお父ちゃんと呼ばれてるの?」
「おたぁちゃんと呼ばれてる」
「おとうちゃんとおかあちゃんのカバン語か?」
 
《カバン語(portmanteau)》とはルイス・キャロルが『鏡の国のアリス』の中で提唱した言葉の分類で、ふたつの単語を一緒に鞄に入れるようにして合成した単語のことである。「やぶく(やぶる+さく)」とか「かっこかわいい(かっこいい+かわいい)」の類いを言う。
 
「そうみたい。英語でもMammyとDaddyをミックスしたMaddyという言葉があるんだよ」
「へー。やっぱりそういう人あるのね」
 
「自分の性別傾向と恋愛傾向は独立だからね」
「うん。女の子が好きな女の子、男の子が好きな男の子があってもいいし、男に生まれたけど女の子になりたい。でも女の子が好きとか、女に生まれたけど男の子になりたい。でも男の子が好きとか、そういうのもあっていいよ」
 
このあたりは“枕”として話しているのだが、そういう問題で悩んでいる人へのメッセージというのもあったようだ。
 

2人の話はそのあたりから“漫才”に突入する。おそらくこれは彼女たちのお店、オカマバー《スートラ》で普段やっているようなパフォーマンスではないかと思った。
 
下ネタ満載!の漫才で、かなりの笑い声が起きていた。
 
「アーサー王が十字軍に行くことになった。『我が忠実なる部下ランスロットよ。妻グィネヴィアの貞操帯の鍵をそなたに預ける』」
「『はい確かに』」
「ところが王が出発した翌日、そのランスロットが血相を変えて早馬で駆けつけて来るとアーサー王に言った」
「『王様、あの鍵は違いまする』」
 
これはランスロットとグィネヴィアの不倫の話を知らなければ意味が分かりにくいネタだなと思った。
 
「貞操帯というと、ギロチンになっていて無理矢理入れようとするとストンと刃が降りてきて切っちゃうのもあったらしいね」
「それでこういう話があるんだよね。やはり王様が十字軍に行くので妃にそのタイプの貞操帯を付けていった。帰ってきてから妃の側近たちのチンコを確認する。するとみんなチンコが無くなっている」
「あ、私もチンコが無い」
とアキナがわざわざ自分のお股を見て言うと
「お前死刑!」
とオトコは言っている。
 
「ということでチンコが無くなっている奴はみんな死刑にした。ところが1人ちゃんとチンコが無くなっていない奴が居た」
「偉い。お前は大臣にしてやる」
「ムガムガムガムガムガムガ」
 
要するに舌が無くなっていたということなのだが、これも意味が分からなかった人が結構いたのではないかと思った。多分オーラルセックスなんて知らない子もかなりいる。
 

「でも日本の成人式はこういう式典やるだけだけど、国によってはチンコを切る所もあるらしいね」
「なに。男の成人は全部チンコ切り落としてしまうわけ?」
「それじゃ男ではなくなってしまうじゃん」
「女だけの国になるんじゃない?」
「それだと子供作れないし。チンコの皮を一部切るだけだよ」
「女の成人はどうすんの?」
「いったんチンコを縫い付けてから皮を切る」
「それだと女がいなくなってしまわないか?」
 
切っちゃうネタ、切られちゃうネタは他にもやっていたが、この手の話で明らかに奥村君が凄くドキドキした顔をしているのを青葉は見て取った。彼に現在、女の子になる手術を受けたいという気持ちがあるようには見えないが、切っちゃう状況というのを結構想像したりしているんだろうな、という気がした。
 
彼は大学を卒業するまで去勢手術とかをしたくなるような気持ちを抑え続けることができるだろうか?彼は最近いつ見てもスカートを穿いている。
 
水着にしても初期の頃は男子水着を着ていたのに、最近はさっき青葉も言った通り、練習の時はほぼ女子水着なのである。「女子更衣室で着換える?」などと布恋から言われているが「それはさすがにまずい」と言って、男子更衣室で女子水着に着換えている。
 
アキナたちの漫才は最後の方で
 
「この後、ホテルに行く子も多いと思うけど、コンちゃんは忘れずにね」
「買うのが恥ずかしい人は、おやつなんとか混ぜて買うと何とかなるよ」
「女の子の振袖を脱がす前に、着付けの勉強してね」
 
などとも言っていた。
 
ふたりのパフォーマンスは20分ほど続いたが、
「楽しかった」
「いや、お腹が痛い」
という意見が多く、充分みんな楽しんだようである。
 
むろんこういうパフォーマンスに不快感を持つ人もあるだろうが、やや過激な性教育という感じもあって、それなりの意義のあるパフォーマンスだと青葉は思った。
 
 
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【春からの生活】(1)