【春順】(3)

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2月10日、K大学医学類・推薦入試の合格発表が行われたが、ヒロミは落ちていた。
 
「あまり質問されないなあと思ったんだよね」
と本人はさすがにガッカリした様子である。
 
「推薦入試って事実上、センター試験の成績の上位から定員まで取るだけだから。ボーダーラインの子は面接で上下することもあるけどね」
などと日香理が言う。
 
「まあ一般入試で再度頑張りなよ」
と青葉は言った。
 
「これって私の性別問題で落とされたんじゃないよね?」
と本人は不安そうである。
 
「ヒロミ、そんなことで不安がっていたら、この先まともに生きていけないよ。自分は女だということに確信を持とう。そして当たって砕けろだよ。とにかくも一般入試での個別学力検査頑張ろう。それでハイスコア出したら、少々お股の付近に問題があったとしても通してくれるよ」
と青葉は言った。
 
「うん。そうだね。気を取り直して頑張る」
とヒロミも本当に気持ちを切り替えていたようであった。
 
「でもヒロミって既にお股の所には問題無くなっているよね?」
と空帆が言う。
 
「うーん。そこは若干微妙なんだけど」
「ああ、ヴァギナはまだ作ってなかったんだっけ?」
「それが何と説明したらいいやら」
と本人も困っていた。
 

2月11日。K大学推薦入試の入学手続きの期間が始まったので、青葉は朝から銀行に行って入学金を指定口座に振り込むとともに、その振込票と大学の受験票、センター試験の受験票、それに学生証作成票を同封してK大学に郵送した。
 
学生証作成票を書いていたら、美由紀が覗き込んでいる。
 
「お、ちゃんと性別は女に丸付けてある」
「そりゃそうだよ」
 
「生年月日で平成と昭和しか選択肢が無いけど大正生まれの人はどうするんだろう?」
「大正生まれで大学入試に合格したら、それが凄いね!」
 
「美由紀はもうG大学の入学手続きした?」
「うーん。どうしようかと思って」
「してないの?いつまで?」
「一応19日までなんだけどね」
「それ、ちゃんとしておかないと、万一国立に落ちた時、入れないじゃん」
 
「でも初期納入金が83万円もあるんだよ」
「あぁ・・・」
 
「国立に通った場合は、金沢美大で90万、T大芸術学部で55万払わないといけない」
 
「それいったん納入しても入学辞退したら戻ってこないの?」
と日香理が訊く。
 
「入学金の20万円以外は返してくれるみたい」
「だったら20万円で保険を掛けるようなものだよ。払うべきだと思う」
と日香理は言う。
 
「でもタイミング的に返金があるのは、国立の入学手続きをするのより後になると思うんだよね。結果的には戻って来るにしても、美大の場合で合計170万のお金を用意する必要がある」
と美由紀は難しい顔で言う。
 
「お金の順序って難しいよね」
と青葉も言う。青葉も今回は資金のタイミングで悩んだが千里姉のおかげで何とか乗り越えることができた。
 
その時、傍で聞いていた明日香が言う。
 
「美由紀さあ、とりあえず美大の合格可能性は無いと考えた方がいい」
「ぶっ・・・・」
「そうしたら美大に90万円払うという事態は発生しない」
 
「ほほお」
と日香理が感心したように言う。
 
「そうなると可能性としてはT大に合格するケースとT大にも落ちるケース。T大に通ったら55万必要だけど、最初払うのは入学金の28万だけ。だからその場合はいったんG大に83万円払い、更にT大に入学金28万円を払っても、必要な資金は111万円で済む」
 
「なるほど」
と青葉も明日香の大胆な意見に感心している。
 
「前期授業料を払うのはたぶん5月だから、それまでにはG大からの返還金は入金しているよ。だからそれで前期授業料が払える」
と明日香。
 
「明日香の意見が正しい気がする」
と日香理は言う。
 
「私もそう思う。その線でお父さんと話し合ってごらんよ」
と青葉も言った。
 
「最終的な負担はT大に合格した場合で、G大入学金20万とT大の初期納付金55万円の合計75万円、T大に落ちた場合はG大に納付する83万円で済む」
と日香理は明日香の意見に基づき電卓を叩いて言った。
 
「何かそれならお父ちゃんに頼める気がしてきた」
「うん、美由紀頑張れ」
 
「いやむしろ、美由紀のお父ちゃん頑張れだね」
 
「ああ、スネが痛いよね」
 
それで結局美由紀は2月19日ギリギリにG大の入学手続きをした。これで美由紀はとりあえず「大学」というものには行くことができることが確定した。
 

2月12日(金)にはS大学の合格発表があり、須美や真梨奈は合格していた。彼女たちは金沢市内にアパートを借りると言っていた。
 
2月14日はバレンタインであるが、受験生にはバレンタインもホワイトデーも無い。青葉たちの教室でもさすがに今年はチョコ作りだの誰に渡すだのという話は・・・一部を除いて・・・出ていない。
 
「今年はトリュフ作ろうかなあ。ね、ね、彩矢はどんなの作るの?」
などと12日金曜日に美由紀が言っていると
 
「あんた、チョコ作る時間に勉強すべき」
と純美礼からまで言われている。
 
「純美礼はもう行き先決まってるから時間あるんじゃないの?」
 
純美礼は東京の□□大学に推薦で合格している。
 
「高校3年間の勉強をずっと復習してるよ。私、テニスの活動が評価されて合格したけど、勉強も頑張らないと付いていけないもん、あんなレベルの高い大学。だから、進研ゼミの1年の分からずっとやり直してる」
と純美礼は言う。
 
「私も受験でとてもチョコなんて作る時間無い。私はイオンで売ってた1000円のチョコを渡しておいた」
 
と彩矢は言っている。彼女も前期が金沢のK大学、後期が富山のT大学を狙っている。万一落ちた時は私立の遅い募集の所を受けるけど、私立に通っても浪人するかもと言っている。
 
「あ、もう渡したんだ?」
「向こうも時間の余裕無いみたいだったけど、受験勉強の夜食に食べさせてもらうと言っていた」
 
「勉強って脳味噌にカロリー必要だもんね〜」
 
「青葉はチョコはどうしたの?」
「14日くらいに着くように送っておいた。私も今年はコンビニで売ってたチョコ。愛のメッセージ付き」
 
実はそのチョコに同封して2月29日のチケットも送ったのである。
 
「あ、その愛のメッセージというのがいいな」
「テンガも1個同封しておいた」
「凄いもん同封するね!」
 

2月13日(土)、H大学に合格した明日香・世梨奈、S大学に合格した須美・真梨奈が「下見をしたい」と言い、青葉に
 
「車買ったんだって?乗せてよ」
と言うので、朝から4人を乗せて金沢まで走ることにした。車を受け取った2月8日に母を乗せてイオンまで行ったのに続く2度目の走行である。
 
学校の校門前で待ち合わせたのだが、青葉がチェリーパールクリスタルシャインのアクアで乗り付けると先に来ていた明日香と須美が
「すげー色!」
と言い、通りがかった小谷先生が
「これ誰の車? え?川上君が買ったの? およそ川上君のイメージと遠い色だね」
などと感心(?)していた。
 
やがて真梨奈が来て
「これなら広い駐車場で自分の車を見失うことないね」
 
などと言い、最後にやってきた世梨奈は
「この色で目が覚めて居眠り運転しなくて済むね」
などと言っていた。
 
5人で乗って出発する。世梨奈が助手席、後部座席に明日香・須美・真梨奈と並んだ。
 
「この車静か〜」
というのがみんなの感想である。
 
「ハイブリッド車ってほんとに静かだよね」
 

8号線・津幡北バイパス・津幡バイパス・山環と通り、高岡から40分ほどで金沢市内に入る。最初にS大学に行く。
 
「ここ何度も校門の前を通ってるなあ」
と明日香が言う。
「私、そこのコンビニでおにぎり買ったことある」
と世梨奈。
 
「まあメインストリートだもんね」
 
中に入り学食で1時間ほどおしゃべりし、売店でおやつを買って出る。これで本当に下見になったのかは怪しい。
 
それから山環に戻って15分ほどでH大学のキャンパスまで行った。
 
「前回来た時はこの坂が辛そうな気がしたんだけど、今日の感じではそんなでもないかも知れん」
などと明日香は言っている。
 
「青葉、あの坂の入口の所で降ろしてもらえたら、あとは歩いて行けそうだよ」
 
と世梨奈は言っているが、いつの間にここまで送るという話になっているんだ?と青葉は内心思う。まあいいけどね。その分早く出ればいいんだし。
 

キャンパスの中を適当に歩き回り、本当に下見だったのか怪しい下見を経て、青葉は山環に戻り「三つ眼」の近未来的景観をした涌波トンネルを通って、大桑地区のショッピングモールに入った。
 
スポーツ用品店を覗き、電機屋さんを覗いてから、スーパーのフードコートでタコ焼きなどをゲットしておしゃべりとなる。たいがいおやつを食べてから
 
「お腹空いたね」
などと言って、ココスに入り、ドリンクバーにピザとかイカフライ・唐揚げなどを適当に注文。それで結局ここで2時間ほどおしゃべりする。
 
「そうだ。青葉、28日に福島のライブに出るんでしょ?」
「ローズ+リリーの方にね」
「アクアのチケットとか青葉、コネで何とかならないよね?」
「さすがに無理。あれはレコード会社や§§プロの社員でも入手できないみたいよ」
「ひゃー」
「今、最高にチケットが入手困難な歌手だよね」
 
「会場の運営ボランティア募集するんでしょ? その枠には入れないよね?」
「ローズ+リリーの運営ボランティアはもう締め切った。翌週のボランティアはまだ若干枠があるみたい。但し過去に運営スタッフのバイトをした経験のある人に限るけどね。アクアの運営はイベンターさん推薦のごく信頼度の高い選抜チームと、警備会社のガードマンとでやる。一般のボランティアではとてもコントロールできない」
 
「なるほど」
 
「結局、あの子って男の娘なんだっけ?」
「まさか。可愛いから周囲が面白がって女装させているだけで本人はいたって普通の男の子だよ」
 
「でも去勢はしてるんでしょ?それか女性ホルモン?」
「してない、してない」
「でも中学2年生なのに声変わりしてないし」
「子供の頃大病した影響で性的な発達が遅れているだけだよ。たぶん高校卒業する頃には声変わりすると思う」
「そんな遅い子っているんだ?」
「昔の作曲家でハイドンとかも18歳くらいで声変わりしたらしいよ」
「へー」
 
「あ、それで去勢してカストラートになったんだっけ?」
「なってない。カストラートになれと言われて父親が飛んできて連れて帰ったから、睾丸は無事」
「なんだ、つまらん」
 
「でもアクアって女役が凄く上手いよね」
「あれは演技力なんだと思う」
「だとしたら天才なんだな」
「うん。あの子は天才だよ」
 
ココスを「お腹空いたから出ようか」と言って出た後、青葉たちは今度は石川県庁近くの3フロアある大型書店に行く。ここで各自本を物色して、16時頃になってから
 
「そろそろ疲れたし帰ろうか」
と言い、8号線を通って帰還した。途中マクドナルドに寄ってハンバーガーを仕入れ車内で食べながらの帰還となった。帰りは明日香が助手席に乗ってくれた。そして最後に高校最寄りの駅の所で須美・真梨奈と別れる時は
 
「お腹空いたね。帰って晩御飯食べなきゃ」
などと言いあっていた。
 
世梨奈と明日香は近所でもあるので各々の自宅まで送り届けてから、青葉は自分の家に帰還した。
 
この日は約120kmの走行であったが、アクアのガソリンメーターの針は満タンの所から全く動かなかった。
 

2月15日(月)、青葉が夕方自宅で勉強していると、確定申告の作業をお願いしていた税理士さんから電話が掛かってきた。
 
「あ、どうもお世話になります」
「川上さんの今年の確定申告の書類、一応作成はしたのですけど」
「何か問題がありました?」
 
「2月計上の490万円(黄金の琵琶)と11月計上の4078万円(アクアの曲)が大きくて他に槇原愛分もかなりありますし、経費を引いても所得額が4400万円ほどになりまして、これ税金の追納もかなり発生するのですが大丈夫ですか?」
 
「あらぁ、追納になります?どのくらいですか?」
「現在の計算では1060万円ほどなのですが」
 
「え〜〜〜〜!?」
と青葉は驚きの声をあげる。
 
「でもでも、印税って源泉徴収されてますよね?」
と青葉は焦って質問する。
 
「源泉徴収は100万円以下の支払いに対して10.21%、100万円を越える場合はその越えた部分に対して20.42%なのですが、川上さんの2015年の所得は4000万円を超えているので税率が45%の適用になるんです。もう少しうまく経費を発生させておけば良かったのですが。ですから差額を支払う必要が出てきます」
 
うっそー〜〜!!
 
昨年は必要経費を差し引き、青色申告控除を引くと所得はだいたい100万円以下だったので税率は5%だった。それで確定申告では印税の源泉徴収されていた分がほとんど還付されたのである。それで青葉は今年も数十万円、ひょっとしたら100万円くらい戻ってくると思い込んでいた。
 
「えっと、それいつまでに払わないといけないんでしたっけ?」
「3月15日です。一応半額以上納付すれば、残りは5月までは待ってもらえます」
「ちょっと姉に相談します」
「はい」
 

それで青葉は素直に千里に電話した。
 
「ごめーん、ちー姉。お金貸してくれない? 実は所得税が払えなくて」
 
「ああ。税金は発生した収入に対して掛かるけど、お金は後から入ってくるもんね〜。いくら?」
「3月15日までに1060万円、払わないといけないんだけど」
「んじゃ取り敢えず1200万円ほど明日青葉の口座に振り込んでおくよ。印税が入ってから返して。もし足りなかったらまた言って」
「ごめーん」
 
しかし千里は最後に青葉にトドメの言葉を言った。
 
「確定申告で納付するのは国税だけど、それ以外に住民税も払わないといけないからね。国税がそれ2000万くらいでしょ?もっと節税しておけば良かったのに。それなら住民税も600万くらいあるよ」
 
「ひぇーーー!!!」
 

青葉との電話を切った千里はチームメイトの乃愛から訊かれた。
 
「妹さん?」
「そうそう、女子高校生の妹。お金を貸してくれっていうから明日振り込んであげることにした」
 
「女子高校生の妹と言わなくても、男子高校生の妹とか女子高校生の弟はいない気がする」
 
「いや最近はいろんな人がいるし」
 
「でもいくら?」
「1100万円欲しいというから余裕見て1200万円振り込んであげる」
 
「景気のいい話だね」
「何か最近物価が高くて、鉛筆1本1万円とかするらしいし」
「なるほどー。すごいインフレだね」
と言って乃愛は笑っていた。
 

2月24日(水)、アクアの4枚目のシングルが発売されたが、予約だけで100万枚を越えてしまったようであった。
 
青葉はその売上のニュースを見て税金のことで頭が痛くなった。これって年度末に急に大きな収入が発生した場合(今回の自分だ!)や、昨年までは売れていたのに今年は全く売れなかった、あるいは引退したなどという「変動」があった時は、物凄く辛いぞ、と青葉は思う。
 
ちー姉も高校生の頃、こういうのでかなり苦労したのではという気もした。節税しろって言ってたけど、どんなことすればいいんだっけ? 今度ちー姉に会った時に聞いた方がいいなと青葉は思った。
 

さて、今回のシングルの楽曲は、2枚目のシングルと同様に、マリ&ケイと東郷誠一さんの作品(本当に書いたのは青葉)が1曲ずつである。発売日にはアクアがコスモス社長、三田原彬子課長と一緒に記者会見し、エレメントガードの生演奏に合わせてアクアが生歌を披露し、例によって記者会見場に入りきれないくらい押し寄せた記者たちから歓声があがっていた。
 
アクアの曲のこと、また今後の活動のことなどについて多数の質問が出た後でひとりの記者がこんなことを質問した。
 
「アクアさんは結局三田原さんがご担当なさるんでしょうか?」
 
実はアクアの発売記者会見で、レコード会社側からは1回目は氷川さん、2回目は北川さんが出て、3度目が富永さん、アルバムの発表の時は福本さんだったが、今回は三田原さんである。ただし三田原さんは1月に★★レコードから分離された、事実上アクアのためのレーベルでは?と巷では噂されたTKRに移籍し、課長の肩書きになっている(★★レコード時代は係長だった)。
 
「はい。実は昨年の秋から私を中心にした体制で動いておりました。私も他のアーティストも抱えていたので、記者会見などは他の人に出てもらったりしていたのですが、それを年末までに他の人に引き継ぎ、1月から私はアクア君の専任になっています」
と三田原さんは言う。
 
「三田原さんって、性別を変更なさっていますよね?」
「そうです。ラララグーンを担当していた頃は男だったのだすが、ちょっと海外旅行してきたら女になってしまいました」
と三田原さんは失礼な質問にも笑顔で答える。
 
「性別を変更した三田原さんが担当なさるというのは、アクアさんが性別変更したいと思った時も、立派な女性に成長できるように指導できるということは?」
 
「そうですね。私が指導していれば、変な道に迷い込んで彼が自分の性別を見失うこともなく、気の迷いで性転換しちゃうようなこともなく、その内立派な男性に成長すると思いますよ」
 
と三田原さんは顔色ひとつ変えずに笑顔で言った。しかしここで三田原さんは唐突に
 
「それともアクア君、おっぱいくらい作っちゃう?」
などとアクアに投げる。するとアクアは
 
「僕は男の子なので、別におっぱいは要りません」
と困ったような顔をして、おなじみのボーイソプラノで答えた。
 
「アクアさん、今週末のライブではミニスカを穿くのではという噂があるのですが」
という質問に対して、アクアは何か言おうとしたが、コスモスがそれを遮って代わりに回答する。
 
「アクアは別にミニスカくらい平気で穿きますけど、アクアのライブでの可愛い衣装は、当日来てくださった方だけがおがめるということで」
 
とコスモスは笑顔で言う。しかしアクアは
 
「社長、僕セーラー服や振袖は平気ですけど、さすがの僕でもミニスカ穿くのは恥ずかしいです」
と言って、記者会見場には苦笑が漏れていた。
 
このコスモスとアクアの曖昧なやりとりは、ネットでは「やはりミニスカ穿くのでは?」という噂となって拡散したし、アクア・ファンの女の子たちは「アクア様のミニスカ姿見たーい」と書き込んでいた。
 

2月25-26日、国立大学の前期の一般入試が行われた。
 
ヒロミは金沢のK大学医学類、美由紀は富山のT大学の芸術学部、美津穂は同じT大学の人文学部、日香理は東京外大、空帆は東京工大(ヒロミ同様に推薦は落ちて一般入試での再挑戦)、徳代は東大文一、紡希は京大文学部(立命館には既に合格している)、をそれぞれ受験した。
 
そして青葉は27日の夕方の新幹線で大宮乗り継ぎで福島に入ることにしていた。
 

25日の夜中から雪が降っていたが、26日の日中降り方はどんどん酷くなってきて青葉はこれ新幹線停まらないよな?とヒヤヒヤであった。26日の夕方、ニュース関係をチェックしていたら、道路はあちこちで不通箇所が出ているようである。石川・富山地域でもかなり通行止めになっている区間がある。
 
それで情報を集めていたら「KARION雪に閉じ込められる」というのが出ているので「へ?」と思う。検索してみると、奈良県のローカルニュースの映像が動画投稿サイトにあるので、再生してみる。
 
すると奈良県の奥八川温泉という所にKARIONの4人が来ていて、今この村の付近に通じる国道が通行止めになっているということらしい。
 
これ相沢さんの旅館があるとこじゃんと思う。きっと彼女たちはそれでそこに行っていたんだ。でも冬子さんライブの直前になぜそんな所に行く?
 
ただ国道の除雪作業は明日の朝にも行われるということであったので青葉はホッとした。しかし青葉はその動画の先頭部分に一瞬映っていた人影がどうも気になった。
 
それで再度再生してみる。
 
これ・・・・ちー姉じゃん!?
 
ちー姉も2月27日と28日に秋田で試合があるとか言ってなかった?こんな所に居ていいの?
 
そもそも何でちー姉がKARIONと一緒に奈良県の温泉に居るのさ?
 

それで青葉は千里に電話してみた。
 
「ちー姉、まさか今奈良なの?」
「あ、もしかしてテレビ見た?」
「うん。それでびっくりして」
 
「美空に捕まっちゃったんだよ。強引に連れてくるんだもん。まあ明日の試合は15時だから、それまでには何とかして秋田まで行くよ」
 
「ちー姉ならまあ何とかするだろうね」
 
「冬子も明日中には福島に辿り着けると思うから」
「それ辿り着けなかったらやばいよ!」
 
「非難囂々でローズ+リリーは終わってしまうかもね」
「でもちー姉が付いているのなら、ライブ中止の事態は無いだろうね」
「あまり買いかぶらないで。でも最悪、私の秋田行きを犠牲にしても冬子は何としても福島に送り届けるから」
 
「うん。頑張ってね」
 

しかし事態は青葉の心配していた方向に急速に傾いていく。27日の朝の報道で国道から八川方面に通じる村道が積雪と倒木のため通れなくなり、復旧には数日かかるとあった。
 
やばいじゃん!
 
青葉は千里に電話してみたのだが「電源を切っているか電波の届かない所に」という応答が返ってくる。基地局がダウンしたか、基地局につながる光ケーブルが断線したかなと思った。
 
しかしほどなく千里からメールが届く。
 
《私とケイはスノーモービルで脱出して福島・秋田に向かうから心配しないで。ただしこの事は営業政策が絡むので絶対に誰にも言わないこと。青葉は明日のライブにそなえて、しっかり体調を整えて》
 
とある。
 
すごーい! 奈良県でスノーモービルを使うというのは思いつかなかった!しかし中継のKARIONの4人の表情が妙に明るいと思ったら、そういう脱出手段が確保できたからだったんだなと青葉は思った。
 

お昼過ぎ《今から脱出する》という千里のメールを受け取り、青葉は安心して旅支度をする。今回のイベントでは千里からの「天候が悪いから傷んでも構わないような楽器を持って行った方がいい」というアドバイスも受け、普段使っている龍笛ではなく、最近新たに買っていた別の花梨製の龍笛を持って行くことにした。
 
実は普段使っている物も花梨製で、本来はかなり安価な物だったと思うのだが、龍笛の上手かった曾祖母がかなりの年月使い、そのあと震災の時に海に沈んでしまったのを数ヶ月後に引き上げられるという運命を経た結果、独特の何とも言えない風情(ふぜい)の音が出るようになっている「奇跡の一品」なのである。
 
夕方、母に車で送ってもらって新高岡駅に向かうが駅で新幹線を待っていた17:50頃、千里からメールが来るので、もしかしたらそろそろ五條市あたりに着いたのかなと思い開いてみると《今冬子を福島市内のホテルに送り届けた》とあるので、青葉は「はぁ〜?」と思った。
 
《なんでもう福島なのよ?》
《F-15 Eagleで飛んできた》
《それってマクダネル・ダグラス社製イーグルじゃなくて、イーグルという名前の龍神様にでも乗って飛んできたのでは?》
 
《そんなこと無いよ。ちゃんとプラドで走ってきたよ》
《だったら間違いなくスピード違反。あれ?プラドって?》
《貴司が年末に車を買い換えたんだよ。その新しい車を借りてきた》
《よく堂々と借りるね!?》
《夫婦だから平気》
 
ちー姉、開き直ってるな。
 
しかし青葉はケイがもう福島に着いたというので安心して新幹線に乗車することができた。
 
《でも秋田の試合は残念だったね。明日は出られるよね?》
《今日の試合もちゃんと出席して客席から応援したよ》
 
。。。。。
 
もういいや!と青葉は思った。
 

数日前。
 
千里は今月は2月20-22日の3日間、鹿児島市でレッドインパルスの試合があったので、それに同行した。今回はフラミンゴーズとの準々決勝3連戦であった。2勝1敗で準決勝(秋田)に進出。22日も鹿児島市内のホテルで泊まる。
 
23日(火)には鹿児島市内の中学校を訪問してバスケット教室を行った。このイベントには千里も33の真新しい番号を付けたレッドインパルスのユニフォームを付けて中学生たちを指導したが、模範演技で千里がスリーポイントサークルの外側からボールを正確に全く外さずに放り込むので、中学生たちから「プロって、わっぜぇ!」という声があがっていた。
 
(他に渡辺純子の美しいフォームでのランニング・シュートにも感嘆の声があがっていた)
 
「どうしてそんなに入るんですか?」
と中学生のバスケ部で補欠だという女の子から千里は訊かれた。
 
「ボールを離す直前までゴールの上辺付近をしっかり見て意識しておくことが大事だよ。シュートが入らない人って、途中まではゴール見てても、離す瞬間にそこを見てないんだよ」
と千里は語った。
 
夕方の便で帰るが、ここで千里は羽田行きに乗る他のメンバーと別れて、ひとり大阪行きの飛行機に乗った。
 
千里の「不倫」のことを知っている広川キャプテンが「あまりマスコミとかに知られない程度にしておけよ」とだけ言っていた。
 

千里は大阪空港に降り立つと、鹿児島遠征の荷物を、マンションで京平に付いてくれていた《すーちゃん》に持たせて新幹線で東京に帰ってもらった。桃香へのお土産もあったし、ユニフォームや下着を洗濯しておいてもらう。京平には代りに《てんちゃん》が付いた。
 
その後自分は地下鉄で移動して、大阪市内、いつものNホテルに入って2泊ということで泊まる。その日は千里も遠征の疲れを癒やすかのように、シャワーを浴びた後ふかふかのベッドでぐっすりと寝た。
 
翌24日、朝から貴司と会う。貴司はこの日は有休を取っている。朝はふつうに「行ってきます」と言ってマンションを出てきたものの、会社には行かずに市内某所で千里と落ち合った。
 
午前中、体育館で一緒にバスケ練習をして汗を流した。
 
そのあと一緒にNホテルに行き、まずはバスルームを使って交代で汗を流してから1階のレストランに降りて行き、いつものスペシャル・ランチを食べる。
 
「今日はシャンパンはよろしかったですか?」
と顔なじみのボーイに尋ねられるが
 
「ごめんなさい。今日はこの後運転するので、シャンパンはまた来月ね」
と答えた。
 
食事の後、近くの駐車場まで歩いて行く。貴司は今朝プラドで出てきてここに駐めていたのである。
 

「運転する?」
と貴司が訊くので
 
「運転する」
と答えて千里は運転席に座った。貴司が助手席に座る。
 
「どこ行こうか?」
「高速を走りたいね。青森あたりまで行く?」
「それはさすがに今日中に戻って来られない」
 
「じゃ近畿道方面に行くか」
「へー!」
 
それで千里は近くの阪神高速に乗った後、近畿道に入り南下する。松原JCTまで来た時
 
「偶数なら西名阪、奇数なら阪和」
と千里は言ってから車の時計を見る。13:31であった。
 
「奇数だから阪和に行くね」
と言って和歌山方面に進行する。
 
「面白い決め方だね」
と貴司が言う。
「2択の時はよくやるよ。概して積極的な選択は奇数、防衛的な選択は偶数」
「へー」
 
「性転換手術を受けることを決めた時も9が出た」
「ふーん」
「奇数で積極的選択だし、それにね」
「うん?」
「9は長陽で、陽は極まりて陰に変わるんだよ」
「あ、それ母ちゃんが言ってた」
「だからまさに男から女への性転換にふさわしい数字だったんだ」
 
「すごい。でもそれっていつのこと?」
「え?その数字を出したのは中学1年の時だけど」
「じゃ千里やはり中学1年の時に性転換したんだ?」
「想像に任せる」
「ふーん・・・」
 
千里はそのまま阪和道を南下し、和歌山ICで降りて加太の浜まで来た。
 
「きれいな所だね」
「左が沖の島、右が地の島。その向こうには淡路島がある。ここに沈む夕日、私大好きなのよ」
 
「へー。夕日まで見る?」
「今の時期はたぶん沖の島方面に落ちるんじゃないかな。日没は17:50だよ」
 
「じゃそれまでここに居よう」
「いいよ」
 

それでせっかくここまで来たならということで、千里が貴司を人形供養で有名な淡嶋神社に連れて行くと、大量に並んでいる人形に貴司は「ちょっとこれ怖い」と言っていた。
 
「別に動いたりしないから平気だよ」
「いや、これ夜中に来たら絶対動いてるよ」
「夜中に来なければいいんだよ」
 
ふたりは加太の浜に戻り、一軒の飲食店に入って、適当に飲み物や食べ物を注文しながらゆっくりと、おしゃべりで時を過ごした。むろんふたりの話題はバスケのことで、千里は楽しそうに試合の話や選手の評などをする貴司を微笑ましく感じていた。
 
やがて夕日が迫る。
 
ふたりは外に出てじっと太陽が沈むのを見ていた。
 
千里が言ったように太陽は沖の島方面に沈んでいった。
 
ふたりはそのままじっと西の空を見ていた。
 
そして自然にキスをした。
 
周囲に人目があるのでほんの3秒くらいで離れる。
 
「美しかった」
「きれいだよね」
 
それで帰りは貴司が運転する。コンビニで食料を仕入れた上で高速に乗り、車内で食べながら走行する。そして19時頃、豊中市内の貴司のチームの練習場のところに辿り着いた。
 
「じゃ車は私がマンションの駐車場に入れておくね」
「うん。じゃまた」
 
と言ってふたりはキスをして別れた。
 

千里は車をマンションに戻すと地下鉄でNホテルまで戻り、お部屋に入ってまたぐっすりと眠った。
 
翌朝、6時頃爽快に目が覚める。千里は身支度を調えてホテルをチェックアウト、新大阪駅に行って7:10の《のぞみ106号》に乗車した。
 
車内でも結構ぐっすりと寝て9:52頃、東京駅に到着する。本来の到着予定は9:43だったのだが、雪が降っていたので遅れたかなと千里は思った。
 
それで列車から降りたら、目の前にKARION御一行様が居る。
 
彼女たちは千里が乗ってきた列車が折り返し10:00発《のぞみ221号》になるのでそれに乗って京都まで行くらしい。
 
千里は「おはようございます」などと挨拶だけ交わして出札口方面に行くつもりだったのだが、美空が「まあまあまあ」などと言って引き留める。それで立ち話をしている内に美空や冬子たちの列車の発車時刻になってしまう。
 
千里は
「じゃ、私はこれで」
と言って立ち去ろうとしたのだが、美空が強引に千里を列車に乗せてしまった!
 
それで千里はせっかく東京に戻ってきたのに、また東海道を西進することになってしまった。
 

美空たちの目的地は奈良県の山の中にある温泉だという。相沢さんの実家が経営している所らしい。千里はそのあたりの話を聞いていて、これはどうも「介入」されているなと思った。
 
「誰か」が自分や冬子・美空たちの運命に介入して何かをさせようとしているのである。これはたいていは「親切」なことだと千里はこれまでの経験で感じとっていた。
 
結局、自分はどうもKARIONの4人と一緒にその温泉まで行かなければならないようである。それで千里は自分の専任ドライバーである矢鳴さんにメールを送った。
 
《関西方面で運転をお願いすることになりそうです。空振りになる可能性もあり悪いのですけど、明日朝から新幹線で大阪まで来て頂けませんか?》
 
すると矢鳴さんから
《雪が降っていて交通が遅れるかも知れないので、今日中に大阪に移動して、今日は大阪市内で1泊します》
という返事が返ってきた。
 
この人って結構先読み先読みしてくれるよなあと千里は思った。
 

この日25日は京都でお昼を食べた後、2台の車に分乗して奈良県のその温泉に向かう。そして雪がますます強くなってきていること、途中から雪道になってしまったことを見て、どうやら自分の勘は当たっているようだと思う。
 
26日(金)。千里は貴司が会社に出て行って朝の様々な書類の整理を済ませ少し時間が取れるかなと思われた10時頃、電話を掛けた。
 
「私急用で奈良に来ちゃったんだけど、明日までに秋田に行かないといけない用事があるのよ。プラド貸してもらえない?」
「秋田まで走るの?」
「うん。雪道になるけど、スタッドレス履いてたよね?」
「うん。ちゃんと履かせてる」
 
「貴司がまだ400kmくらいしか運転していないのにいきなり1600kmほど走っちゃうけど」
 
実際にはその400kmの内200kmが先日の和歌山市加太までの往復で、半分は千里が運転している。つまり本当に貴司が運転したのは300kmである。
 
「それは構わないよ。千里、プラドのキーもうちのマンションの合鍵も持ってたよね?」
 
「それが私が奈良に居るからお友達に取りに行かせたいのよ。矢鳴美里さんっていう30歳くらいの女性、貴司の会社に行かせていい?」
 
「うん。OKOK」
 
それで千里はホテルで待機していた矢鳴さんに電話し、貴司の会社に行ってマンションの鍵と車のキーを受け取り、プラドを運転して奥八川温泉まで来て欲しいと頼んだ。
 
「ちょっと目的があって車にはいつも毛布積んでいるから、美里さん休憩する時は、私たちが使っているものでも気にしなければ使って。一応先月一度洗濯したんだけど」
 
「はい。私はそういうの全く気にしませんので使わせてもらいます」
と彼女は答えた。
 
「あ、それとタコ焼きを4パックくらい買っておいてもらえません? お預けしている私の財布で」
 
千里は自分の財布のひとつを常に矢鳴さんに預けている。中身はだいたい数万円入っているようにして時々調整している。もっとも矢鳴さんはそれ以外にも会社から現地で急に現金が必要になった時のためにやはり数万円の現金と会社のカードを預かっている。
 
「はい。美空さんへのお土産ですか?」
「うーん。多分マリちゃんへのお土産になると思う」
「へー!」
 

実際に矢鳴さんが貴司の会社に行ったのが10時半頃で、鍵を受け取った彼女は千里が指定したお店(マリのお気に入りのお店)に行ってタコ焼きを4パック買った上で千里中央まで行き、マンションの鍵で中に入り、エレベータで地下2階の駐車場に行く。千里が伝えたナンバープレートのプラドを見つけて貴司から預かったキーでドアを開け乗車した。
 
千里から伝えられた場所に置いてあるリモコンで駐車場のシャッターを開けて外に出る。これがだいたい12時頃であった。
 
吹田ICから近畿道に乗り南下。いったん阪和道に入り、美原JCTで南阪奈道路に乗る。更に県道を走って五條市まで来た。
 
ふつうなら千里中央から五條市までは1時間半くらいで来るのだが、この日は雪が降っており、速度制限が掛かっていた。更に高速を降りた後、一般道に入ってから何カ所か工事のため片側通行になっている所があった。それでここまで3時間以上掛かってしまい、既に15時すぎである。長時間運転したので会社の規定に従い、スーパーの駐車場に駐めて車載の毛布をかぶって30分ほど仮眠した。そのあと軽食を取り、トイレも済ませてからT村に通じる国道に行こうとしたら道路が封鎖されている。
 
「どうかしました?」
と彼女は立っている警官に訊いた。
 
「どちらまで行かれます?」
「T村の八川という集落なんですが。大原の近くです」
 
「今この道は雪があまりにも積もりすぎて走行不能なんですよ。上田付近までなら何とかなるんですけどね。大原まで行くのなら明日にしてください」
 
「今日は無理ですか?」
「無理です。この状態で除雪作業すると事故が起きかねないので、明日朝からやりますから」
 
それで矢鳴さんは五條市内のコンビニにいったん車を駐め、千里にメールで状況を連絡した。
 

国道不通の連絡を受けて、千里は矢鳴さんに《取り敢えず五條市内のホテルで明日朝まで良く寝ておいてください。朝また指示します》と返事した。
 
その後、レッドインパルスの妙子主将にメールする。
《大変申し訳ありません。急用で入った奈良県の田舎町で道路が雪のため通行止めになって、今動けません。できるだけ早く脱出できるようにしますが、ひょっとしたら明日の試合に間に合わないかも知れません》
 
すると妙子からの返信。
《じゃ欠席したら罰金1日1000万円で》
 
きゃー。それ私の2年分の報酬じゃん!?万一2日とも出られなかったら、2000万円!??
 
千里は少し考えてから、東京のJソフトでお仕事をしている《きーちゃん》に呼びかけた。
 
『明日はせいちゃんに会社には出てもらって、きーちゃんはレッドインパルスのユニフォームや下着とかの荷物ともうひとつルイヴィトンの大きい方のバッグを持って、朝から新幹線で秋田に向かってくれない?』
 
『ルイヴィトンの?へー。了解〜。ここのところかなりしんどかったから私もちょっと息抜きがしたいと思っていた』
 
『場合によっては代わりに練習に出て』
『それは無茶。私は朱雀じゃないし』
 
ん?
 
『すーちゃんってスポーツ得意だったっけ?』
と千里は訊く。
 
『あの子はバレーもバスケもしたことある。バスケでインカレに出たこともある』
と《きーちゃん》
 
『知らなかった!』
 
などと言っていたら
 
『こらー!それ今まで内緒にしてたのに!!』
という声が別の方角から聞こえてきた(現在《すーちゃん》は用賀のアパートで待機している)。
 
へー!
 
『そうそう。きーちゃん、秋田に行ったら、お土産に金萬を買っといてよ』
『ああ、あれ私も食べたい。2個買っていい?』
『じゃ4箱』
『おっけー』
 
《きーちゃん》も千里のサブ財布を持っているのである。
 

20時頃青葉が心配して電話して来た。この日の夕方、ちょうど取材に訪れていたテレビ局がKARIONの4人が宿に入っていった所と遭遇し、その映像が放送に流れたのだが、突然のことだったので、千里もチラっと映ってしまった。青葉はそれに気づいたようである。
 
「私がいるんだから心配しないで。ちゃんとケイは福島に行くから」
と千里は青葉に伝えた。
 
やはり自分は誰かに仕組まれてここに来ている、というのを千里はあらためて認識した。神様たちも暇持てあましてるからなあ。
 
冬子と話したが、冬子も町添さんに電話連絡し、今日はもう国道が通れないようだが、明日朝一番から移動することにするので間違いなく明日中には福島に行きますと言っていた。
 
「冬、万一の時は私と一緒に雪原を歩いて踏破しようよ」
「千里と一緒なら、それ何とかなりそうな気がする」
と冬子も少し顔をほころばせて言った。
 

27日朝、事態は悪化していた。
 
旅館は電気・電話が携帯も含めて通じない状態となり、情報が取れない中、孤立してしまっていた。幸いにも衛星通信設備を持ったテレビ局のクルーが番組撮影のため偶然来合わせていて、テレビ局から情報をもらって何とか外の様子が少しは分かっている。
 
国道は除雪作業を開始したようであるが、雪はかなり酷く降っている。《こうちゃん》が様子を見てきてくれたが、大原と八川の間の村道が雪だけでなく倒木などもあって、復旧に数日かかりそうだと彼は言った。
 
『ここと八川との間の道路は?』
『こちらは今日中に復旧すると思うぞ』
 
今日中ね〜。
 
取り敢えず千里は矢鳴さんにできるだけ近くまで来てもらおうと考え、メールの文章を入力した上で、《きーちゃん》に頼んで送信してもらった。千里のいる場所では携帯が通じないものの、千里の携帯と《きーちゃん》の携帯は佳穂さんお手製の「完全クローン携帯」なので、千里が入力した文章はそのまま《きーちゃん》の携帯にも反映されており、そこから送受信ができるのである。千里はこれのお陰で矢鳴さんとこまめにやりとりして外側の情報を得ることができていた。
 
ただし桃香・青葉・貴司などが千里の携帯に掛けた時つながってしまうと話が面倒なので、30分に1度くらいメールチェックする他は《きーちゃん》側の携帯も電源を切っておいてもらった。
 
その《きーちゃん》にユニフォームを持って秋田に向かってもらっている。彼女と入れ替われば自分は秋田の試合に出席できる。しかし問題は冬子だと千里は思った。万が一にも明日のライブに間に合わないという事態になったら、まずい。と言って《きーちゃん》のワザを冬子に使う訳にはいかない。また《こうちゃん》の背中に乗って飛んで行くなんてのも、まずいだろう。昔アクアを《こうちゃん》の背中に乗せたのは小さい子供であったし、また翌日には死ぬ子だからといいだろうと思ったのもあった。
 
やはりここは物理的に脱出する必要があるなと千里は考える。
 
『ねぇ、何か普通の脱出の手は無いかな?』
と《こうちゃん》に訊く。
 
『旅館の裏にスノーモービルが3台置いてあったよ』
 
スノーモービル!
 
それで千里は部屋に来ていたこの旅館の主人でもある相沢孝郎さんに訊いた。
 
「スノーモービルが使えませんか?確か女将さん自らスノーモービル走らせていると聞いた気がしたのですが」
 
「うん。実は俺もそれを考えた所」
と孝郎さん。
 
それで結局、お昼を食べた後、千里が2人乗りのスノーモービルを運転し、後ろの席に冬子を乗せて、大原集落まで行くことにした。
 

今回KARIONの4人が奥八川温泉までやってきたのは、この旅館の主人をしていた相沢孝郎さんの弟さんが11月に亡くなり、当時はアルバム制作中で葬儀に出席できなかったことから、ちょうど百日祭が行われるのに合わせて訪問したものらしかった。
 
10時からその霊祭を執り行うが、千里は「あんた巫女やって」と神職さんから言われて、百日祭の巫女を務めることになった。
 
神葬祭は留萌のQ神社ではしたことが無かったが、旭川Q神社や千葉L神社では何度も経験しているので、だいたいの進行は分かる。そもそも細かい進行は神社ごとに違うので、千里は神職さんとの「呼吸」で進めていった。
 
最初に大幣を振って参列者のお清めをする。
 
神職が祭壇の前に進み「忍び手」(寸止めにして音を立てない拍手)を打ち神饌を捧げる。そして霊祭の祭詞を奏上する。千里は愛用の龍笛を持ってそれを吹き始めた。
 
例によって龍が寄ってくるが、天候が荒れているせいだろうか。妙に元気な感じの龍が2体やってきた。物凄く神格が高いのを感じる。龍というよりは龍神様だ。どちらも若いが、親子だろうか??
 
その子供の龍はまだ2〜3歳という感じである。お母さん?龍が優しくガードしている雰囲気だが、その子供の龍が幼いのに凄まじいパワーを持っているのを千里は感じた。母龍の力を軽く凌駕している。
 
千里はその母子の龍がまるで自分と京平のような感じがして、葬祭であることを忘れて笛を吹いた。そのお母さん龍はなぜか深い悲しみを心に抱えているようである。それが貴司とのことで悩んでいる自分のような気がして、千里はその母龍の心と自分の心をシンクロさせるかのように奏でて行く。
 
母龍の持つ悲しみと、自分の心の中に残っていて封印していた悲しみがひとつになって音が奏でられていく。それはとても物悲しい旋律となり、まさに葬祭にふさわしいような曲になった。
 
やがて神職さんの祭詞が終わりに近づくので千里の龍笛もまとめに入るが、この時千里はその母子の龍の名前が分かるような気がした。
 
『怨龍様、星龍様、もしよかったらこの天候少し良くして頂けないでしょうか?ここにいる女歌手は明日福島で震災復興ライブに出演しなければならないのに、この天候で旅館から出られずに困っているのです。彼女が福島に行けないと何万人もの人が悲しみますし、被災地に寄付する予定だった1億円の売上も寄付できなくなります』
 
すると母龍が千里に語りかけた。
 
『そなたの龍笛が私の心を癒やしてくれた。願いは聞き届けてやろう』
『ありがとうございます!』
『しかしそなた、なぜ私の真の名を知っている。これを知る人はもうみんな死んでしまったはずなのに』
 
『なぜか心に浮かびました』
『面白い奴だ。羽黒山大神にもよろしくな』
『ありがとうございます、N大神様』
『うむ』
 

千里が龍笛を口から離して上空を見上げると、子供の龍が物凄いパワーで雪を降らせている雲を動かし始めた。なんて力なんだと思いながら千里はそれを見ていた。
 
『君、男の娘だけど子供を産んだんだね?』
とその子供の龍が千里に語りかけてきた。
 
『はい、産みました』
『僕も男の子から産まれたんだよ』
『へー。やはり男でも子供が産めるんですね?』
『それ当然なんだけど、人間では知っている人少ないね』
 
そんな会話を交わしていたら母龍も言う。
『あ、ちなみに私も男の娘だけど子供産んだよ。この子じゃないけどね』
『え〜? 女の方にしか見えないのに』
『もう長いこと女体で生きて来たからね。私は男が嫌いだから女になったんだ』
 
『まあ男より女の方がいいですよ』
『うん。私も割と女である状態を気に入っている』
『怨龍様が産んだお子様はどうしておられるんですか?』
『あの息子はまだ人間なんだよ。バスケット選手してるぞ』
 
『すごーい。私もバスケット選手なんです。女子バスケット選手ですが。息子さんは男子バスケット選手ですか?』
 
『うん。面白くない。女子バスケット選手になりたかったら女に変えてやろうか?女になったらお股にボールがぶつかっても悶絶したりしなくて済むぞ、と言ったけど、女にはなりたくないと言うんだよ。ちんちん無くしたくないと言うんだ。それでこの春に大学を卒業して男子のBリーグのチームに入ることになっている』
 
『女子選手になって女子のWJBLに入ればいいのに。男の方がいいなんて珍しいですね』
 
『千里と言ったか?お前面白い奴だな』
『よく言われます』
 
『腹いせにその友だちの美少年をひとりうまく唆して女の子に改造しちゃったけどね』
『怨龍様、親切ですね』
『よく言われる』
 
しかし・・・・霊祭なのに、こんなふざけた会話してていいのか?と千里は若干反省(?)していた。
 

そして百日祭が終わった時、雪はもうやんでいた。
 
千里は母子(?)の龍が去って行った方角に静かにお辞儀をした。
 
葬祭用の鼠色の巫女服を脱ぎ、ふつうの服に着替えて冬子たちの居る部屋に戻ると冬子が
 
「今の霊祭で吹いた曲は何て曲? 良かったら後でいいから譜面もらえない?」
と言う。
 
「今自然に心の中に浮かんで吹いた曲だよ」
と千里は言う。
 
「すごーい。とっても悲しくてきれいな曲だった。譜面に起こしていい?」
「うん。じゃ私も譜面書くから、あとで冬が書いてくれたのと照合して調整しようよ」
「OK」
 
この曲には『悲しきドラゴン』というタイトルを付け、半年後に山森水絵が歌うことになる。
 
 
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