【春告】(1)

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「ヒロミがさ、実はもう女の子の身体になっているのかどうか調べる方法を見つけたよ」
 
と純美礼は言った。
 
「そんなの別に調べなくてもいいじゃん」
とヒロミ本人は言っている。
 
「でも、どうやって調べるの? MRIにでも掛ける?」
と美由紀が訊く。
 
「いや、そんなものに掛けなくても裸にすれば分かるような気がする」
と日香理は現実的なことを言う。
 
「でも中2の頃の青葉は裸にしても女にしか見えなかったからなあ」
と美由紀。
「まあ、それは確かにそうだけどね」
と日香理。
 
「これなのよ、これ」
と言って純美礼が取り出したのは、五十音が「あ」から「ん」まで書いてある紙である。他に数字の1〜9に0、「はい」「いいえ」「男」「女」そして鳥居のマークまで書いてある。
 
「なーんだ。コックリさんか」
「これやったことある?」
 
「小学生の頃一時期流行ったなあ」
「でも危ないからやめなさいって先生に没収された」
「いや、ほんとにそれ危ないらしいよ」
「うんうん。それやってて気が狂った子がいたって噂聞いた」
「コックリさんの霊に取り憑かれちゃうことあるんだって」
「そんな時は青葉がいるじゃん」
 
などという声が出るが、青葉は
「やめといたほうがいいよ。変なの来ても知らないよ」
と言っている。
 
「やっぱりこれって霊が来るの?」
と美由紀が訊く。
 
「霊感の強い子が混じってると来ることもある。でもだいたい下等霊だよ。まさに狸か狐。ろくなもんじゃない。人の心を不安にさせるだけ」
と青葉は答える。
 
「じゃ、霊感の無い子だけでやればいいよ」
と純美礼は言い出す。
 
「霊感の無い子って?」
「私でしょ、美由紀でしょ、ヒロミでしょ、あとは吉田だな」
 
「私もするの!?」とヒロミ。
「俺もかよ!?」と吉田君。
 
「このメンツなら危険はないと思わない?青葉」
「うーん。危険はないかも知れないけど、何も起きないんじゃないかと」
 

それで結局ヒロミ本人まで参加させられてテーブルの上に置かれたコックリさんを囲む。4人で手を合わせる。
 
「ちょっと女と手を合わせるのは変な気分だ」
と吉田君が言う。
 
「女の子とこんなに接触できるのはめったにないからありがたく思うといいよ」
などと純美礼は言っている。
 
「ヒロミはもう女の子の手の感触だね、これ」
と美由紀が言う。
 
「あ、それうちのお母ちゃんからも言われた」
と本人。
「やはりかなり体質が女性化してきてるね」
 
最初に「コックリさん、コックリさん、おいでください」
と唱えた。
 
「じゃウォーミングアップ。私は男ですか?女ですか?」
と純美礼が言うと、4人の合わせた手が動き出す。
 
「おお、動いてる、動いてる」
「なんでこれ動くの〜?」
と美由紀が言うが
 
「色々説があるよね。筋肉収縮説、集団催眠説、無意識説、霊魂説」
と日香理が言う。
 
「青葉、何か霊が来てる?」
「何にも来てないよ。でも美事に4人とも全然霊感がないね」
 
やがて4人の手は「男」と書かれた所で停まった。
 
「純美礼は男のようだ」
「えーーー!?」
「純美礼、ちんちん付いてるんじゃない?」
「知らなかった。今晩お風呂に入ったら確認してみよう」
と本人は言っている。
 
「もう少しウォーミングアップ。吉田にはちんちんが付いてますか?」
 
また手が動き出す。そして「いいえ」の所で停まる。
 
「吉田、ちんちん付いてないってよ」
「うそ。俺、さっきトイレで触ったけど」
「それ触った気になっているだけで実は付いてないんだよ」
「えーー!?」
「吉田、いつの間に性転換手術受けたのよ」
「そんなの受けねーよ」
 
「ねぇ、それ全部逆に出てるってことは?」
と近くで見ていた徳代が言う。
 
「よし。もう1問。ここは3階ですか?」
 
実際問題として青葉たちが使っている教室は3階にある。また手が動き出す。そして「2」という数字の所で停まった。
 
「ここは2階らしい」
「イギリス方式なのかも。Second Floor というのは日本では3階」
「ああ。ドイツなんかも同じだよね。3階は zweite Etage」
「ツヴァイって2のことだよね」
「そうそう」
「このコックリさん、イギリス人かドイツ人なのかも」
 
「ねぇ、それ全然当たってないという解釈をする気は?」
と日香理がとっても現実的な説を提示した。
 
「いや、取り敢えずヒロミについてやってみよう。ヒロミはおっぱいありますか?」
 
「それはあること確定済」
「いやこっくりさんに聞いてみる」
 
手が動き出すが、やがて「はい」の所で停まった。
 
「ヒロミおっぱいあるってよ」と美由紀。
「おっぱいあることは、私、認めてるけど」とヒロミ。
 
「次、ヒロミにはタマタマはありますか?」
 
「それは無いこと確定済」
「いやそれもこっくりさんに聞いてみる」
 
手が動き出すが、やがて「いいえ」の所で停まった。
 
「ヒロミタマタマ無いって」と純美礼。
「言いふらさないで欲しいけど、それが無いことはこのメンツには話してたと思うけど」
とヒロミ。
 
「じゃ核心。ヒロミにはヴァギナはありますか?」
「それはちょっと興味あるな」
 
手が動き出す。やがて「はい」の所で停まった。
 
「ヒロミ、やはりヴァギナあるんだ?」と美由紀。
「無いと思うけどなあ」とヒロミ。
 
「じゃ、ヒロミには生理はありますか?」
 
手が動き出す。やがて「はい」の所で停まった。
 
「ヒロミ、生理もあるんだ?」
「ごめん。それノーコメントで」とヒロミ。
 
「無いなら無いと言うはずだから、ノーコメントというのはあると解釈するしかない気がする」
「ごめんノーコメントで」
 
「まあいいや。じゃ、ラストの質問。ヒロミにはおちんちんありますか?」
 
手が動き出す。やがて「いいえ」の所で停まった。
 
「ヒロミ、コックリさんが言ってるよ。やはりおちんちん無いのね」
「あるよー」とヒロミ。
 
「だけど、前半あれだけ外しまくってたから、いまいち信用がおけん」
と彩矢が言っている。
 
「取り敢えず終わらせておこう」
「コックリさん、コックリさん、お帰りください」
 
すると手が動いて、鳥居の絵の所に移動した。
 
「終わった、終わった」
「これでヒロミが実はもう女の子の身体であることは確定したね」
「いや、全然状況は変わってない気がする」
 
「ねえ、青葉、この紙はどう処分すればいいんだっけ?」
「私が処分しておくよ。貸して」
「うん。よろしくー」
 

「コックリさんが帰ってくれなかったようなんです」
 
とその子の母親は言った。
 
青葉は高校に入ってから、霊的な相談はできるだけ断るようにしていたのだが、この日は知人から、どうしても特別に見てやってくれないかと頼まれてやってきた。患者は青葉と同じ高校1年生である。
 
「1ヶ月ほど前、学校で友人と一緒にコックリさんをしたらしいんです。でもその時、どうしてもコックリさんが帰ってくれなかったという話で。それをやったメンバーでお寺に行って祈祷をしてもらって、その時使ったコックリさんを書いた紙もお寺でお焚き上げしてもらったらしいのですが、みんなその晩悪夢を見たとかで。特にこの子はその後、高熱を出して何日も寝込んだんです。お医者さんに見せたらインフルエンザではないかと言われて、タミフルも処方してもらったのですが。結局熱が下がるのに1週間掛かって」
 
青葉は母親の説明を聞きながら、今睡眠中の少女を見詰めていた。
 
「その後なんです。おかしな行動を取るようになったのは。鏡を見て突然笑ったりとか。幻覚か幻聴があるみたいで、いきなり『うるさい!』と叫んだり、それまで暴力とかふるったこと無かったのに、父親をこぶしで殴って。父親が対抗してこの子を殴ったのですが、すると凄まじい力で反撃して、父親は意識を失ったんです。それ以来、腫れ物に触るようにこの子に接しているんです」
 
「ずっとその状態なんですか?」
 
「ごく普通にしている日もあります。もう1ヶ月学校を休んでいるのですが、勉強したいと言って、お友だちが学校から持って来てくれた宿題をしたりとかしてる時もありますし、お友だちと普通におしゃべりしている時もあるのですが、そのお友だちにいきなり頭突きをしたこともあって。向こうは病気だから気にしないよと言ってくれたのですが」
 
青葉は20分くらいにわたって、母親の説明を聞いていた。
 
そして言った。
 
「これは私の仕事ではありません」
 
「そんなに難しいのですか?」
 
「違います。これは病気です。大きな病院に連れて行ってください」
「病院って、精神科でしょうか?」
「違います。外科です」
「へ?」
 
「これは卵巣に腫瘍ができています。この症状は間違い無く、その腫瘍によるものです」
「えーーー!?」
 
「これ、抗NMDA受容体抗体脳炎と言って、ごく最近発見された新しい病気なんですよ。小さな病院の先生とかはご存じなかったのかも」
 
「卵巣の腫瘍でこんな症状が出るんですか?」
 
「その腫瘍から分泌される物質が脳のNMDA型グルタミン酸受容体というものを攻撃するんです。それでまるで悪魔にでも憑かれたかのような症状が出るんですよ。『エクソシスト』って映画が昔ありましたけど、あの患者の症状も間違い無くこの病気だと多くの人が指摘しています。この病気のことを知らないお医者さんなら、統合失調症、昔の用語なら精神分裂症と言っていたものですが、そういう病気、あるいは解離性同一性障害、いわゆる多重人格だと思ってしまうかも知れません。でもこれは精神の病気ではないです。その腫瘍さえ手術で除去すれば治る確率がとても高いです」
 
「すぐ大学病院に連れて行きます!!」
 

2013年12月上旬の月曜日。青葉が学校に出て行くと、空帆が
 
「Flying Soberで大会に出るよ」
と言った。
 
「今の時期に軽音の大会あったんだっけ?」
「今氷見は寒鰤が美味しいでしょう? それで寒鰤に関するイベントで、ぶりを歌い込んだ曲を演奏するコンテストがあるんだよ」
 
「ぶり?」
「それもしかして演歌とか歌う人が多いのでは?」
とこちらの教室に来ている須美が言う。
 
「かもね。でも主宰者に問い合わせてみたら、別にバンド演奏でもいいらしい」
「だけど、そもそも演歌でもそう都合良く鰤に関する歌ってある?」
 
「三輪一雄さんの『さざなみ漁港』」
「うん、それは私もすぐ連想した」
 
三輪一雄はご当地歌手で、石川県・富山県付近で活動している。『さざなみ漁港』はまさに鰤漁を歌った歌だ。但し氷見の隣の佐々波の讃歌というのは若干問題がある。ヤクルトのイベントでDeNAの応援歌を歌うようなものだ。
 
「笠置シヅ子の『買物ブギ』という歌に鰤が出てくる」
「古い!」
「いや、その曲、関ジャニ∞がカバーしてる」
「へー」
 
「秋岡秀治さんの『旅ごろも』という歌に『越中富山、酒と情けで鰤おこし』
なんて歌詞がある」
「ほほぉ」
 
「演歌じゃないけど、柴矢裕美の『おさかな天国』」
「おお!」
 
「AKB48の『上からマリコ』」
「鰤なんて歌詞入ってた?」
「『無茶ぶり』って」
「それ、魚の鰤とちゃう!」
 

「で、私たちは何を演奏するの?」
 
「書いた。これ」
と言って空帆は譜面を見せる。
 
「オリジナルか」
「『ぶりっこロックンロール』!?」
「それ、鰤とは違うのでは?」
 
「歌詞の中に、ここ。『君はぶりっ子、僕の視線をガンと無視して』というのがある」
 
「確かに『ガント』は鰤の少し小さいのではある」
「ただのダジャレか」
 
北陸では鰤は、コゾクラ→フクラギ→ガント→ブリ、と出世する(地域によって微妙な名前のバリエーションはある)。
 
「これ参加賞で鰤丼が食べられるんだよ」
「お、それはいい」
「じゃ、鰤丼食べに行ってくるか」
 
「で、それいつあるの?」
「15日の日曜日」
「2週間後!?」
「じゃ2週間で仕上げないといけないの?」
「いや、今週は期末テストだから、それが終わってから練習開始」
 

「コックリさんが帰ってくれなかったようなんです」
 
とその子の母親は言った。
 
青葉は内心ため息を付いていた。全くなんでこういう危険なことをするのかねぇ。やめて欲しいよ。こんなのやっても普通ほんとにそのあたりの下等霊しか来ない。たちの悪いのを呼んでしまうと、とんでもないことになる。コックリさんなんて、病院の排水で遊ぶくらいに危険だと青葉は思う。
 
「うちの次女なのですが、学校で6人でやったらしいのですが、学校からの帰りにオコジョみたいなのが目の前を通るのを見たというんです。ただ、その動物がどちらから来てどちらに行ったか記憶が曖昧だというんですよね」
 
「何かその後怪異がありましたか?」
 
「2階に誰も居ないのに階段を降りてくる足音がしたり、電話が鳴るので取っても発信音だけとか、玄関のベルが鳴ったので出てみても誰もいないとか。最初はイタズラされているのではとも思ったのですが」
 
「何か対処しましたか?」
 
「神社に行ってお札をもらってきて貼りました。家族5人でお祓いもしてもらいました。でも変わらないみたいで。特に次女は変な悪夢を何度も見ています。どこか寂しい村で次女は白い服を着ていて、村人にかつがれて炎の燃えさかる場所に連れて行かれたり、まだ生きてるのに棺桶に入れられて川のそばに掘られた穴に埋められそうになったり」
 
生け贄や人柱にされる夢だ。もしかしてその娘さん、ほんとに前世で人柱にされたのでは?という気もした。
 
「怪異を見たり聞いたりしているのは、主としてどなたですか?」
 
「やはりコックリさんをやった次女がいちばん多いです。でも階段の足音は私も聞きました」
 
「コックリさんをやった他のお友だちは何かありましたでしょうか?」
「次女だけのようです」
 
「ではその次女さんが帰って来られるのを待ちましょうか。でもその前に家の中をちょっと見せて頂けますか?」
 
「はい。ご案内します」
 
青葉は母親に案内されて、家の中の各部屋を見て回る。何だかあちこちにお札が貼ってある。
 
「このお札少し位置を変更してもいいですか?」
「はい! よろしくお願いします!」
 
それで青葉は台所の入口に貼ってあるお札を剥がしてコンロ近くの壁に、コンロの方向と垂直な向きに貼り直す。階段の途中に貼ってあったお札を剥がして階段の一番上に貼り直す。次女の部屋に3枚も貼ってあるお札を3枚とも剥がして、お不動さんの札だけを勉強机を後ろから見る位置に貼り、残りの2枚は回収して、神棚の左側にまとめて置いた。
 
「やはり霊現象なのでしょうか?」
とお母さんが訊く。
 
「コックリさんがきっかけかどうかは不明ですが、間違い無く霊現象ですね。ここは持ち家ですか?」
「いえ、借家です」
「でしたら、そうですね・・・5年以内くらいに引越なさった方がいいです。この土地固有の問題もあります」
 
「そうですか。少し主人と話してみます」
「長女さんの部屋は良いのですが、長男さんの部屋も少し問題があります。窓はあまり開けないようにした方がいいです。窓の所に金魚鉢とか置くのも良いのですが」
 
「それは買って来ます!」
 

やがて次女が帰宅する。本来部活をしているらしいのだが、ここしばらくの「コックリさん」騒ぎで、休んでいるのだそうである。
 
青葉はその次女が玄関のドアを開けたのと同時に《珠》を起動した。浄化の水が噴き出し次女を包み込む。
 
「あ・・・」
と次女は声を出して、学生鞄を落とした。
 
玄関の所で佇んでいる。
 
「どうしたの?**」
と母親が娘の名前を呼ぶ。
 
やがて浄化の水が引いていく。娘が我に返る。
 
「お母さん・・・・私」
「大丈夫?」
「うん。何だか凄く気持ち良くなった」
 
母親は青葉を振り返って訊く。
「今何かなさいました?」
「ちょっとしたクリーニングです」
と青葉は笑顔で言った。
 

ヒロミは暗い廊下を歩いていた。学校の廊下だと思うが、どこの学校なのかは自分でもよく分からなかった。転校する前の最初に入った中学の廊下のような気もした。
 
やがて向こうの方に明るい照明の点いた教室があった。ひとつの教室には男子生徒ばかりがいる。ひとつの教室には女子生徒ばかりがいる。ヒロミはどちらに入るべきか悩んだ。
 
最初男子の教室のドアを開ける。
 
「おお、大政、さっさと入って来いよ」
と友人から言われるが、ヒロミはドアを閉めてしまった。
 
おそるおそる女子の教室のドアを開ける。
 
「ヒロミ〜、何してんの? 早く入っておいでよ」
と空帆がこちらを見て笑顔で言った。
 
ヒロミは心をほころばせ、1歩教室の中に足を入れた。
 

「ヒロちゃん、ヒロちゃん、どうしたの?」
 
目が覚めると母が心配そうにヒロミを見ていた。
 
「私、変だった?」
「なんかうなされてたわよ」
 
「うーん。こないだコックリさんした後遺症かなあ」
「そんなのしたの? あれ危ないからしちゃダメよ」
 
自分もしたくなかったんだけどなあ、とヒロミは思いつつも今見た夢の内容を思い出していた。そして言った。
 
「お母ちゃん、私・・・・」
「うん?」
「私、女の子になっちゃったかも」
 
母はしばしヒロミを見詰めていた。
 
「ね、こないだから、もしかしてと思ってたんだけどさ、ヒロミ既に性転換手術しちゃってないよね?」
 
それにはヒロミは直接答えずこう言った。
 
「私ね。父親にはなれないと思う。でも母親になることあるみたいな気がする」
 
母親はその言葉をどう取っていいのか少し悩んでいたが、やがて微笑んで言った。
 
「うん。それでいいと思うよ」
 

早朝のジョギングから戻ってきた青葉は、自分の携帯に着信が入っていたことに気付いた。ヒロミからだ。どうしたんだろう?こんな早朝にと思って電話する。
 
「ごめんね、こんな朝早くから」とヒロミ。
「ううん。こちらも今ジョギングしてきてたんで取れなかった」と青葉。
 
「私ね。もう完全に女の子になっちゃった気がするの」
「私も空帆も美由紀も、たぶんそうじゃないかって思ってた。もうおちんちん無いでしょ?」
「確信は持てないけど、既に無い気もする」
 
「なんかそのあたりのヒロミの言い方がよく分からないなあ。婦人科で検診受けて内診台に乗ったんでしょ?」
「うん。恥ずかしかったけど」
「それで異常ないですよって言われたんだよね。クスコ入れられた?」
「入れられたー。びっくりした」
「ってことは、もしかして子宮もあるのでは?」
「そうなんだろうか?」
 
「ヒロミ、生理あるんでしょ?」
「ある」
「ちゃんとナプキン使ってるよね?」
「うん」
「それで問題無いんじゃない?」
「問題ないような気もする」
 
「でも生理があるってことは、卵巣も子宮も存在するってことだよ」
「そうなるのかなあ。私、だったら最初から女の子だったんだろうか」
「うーん。あまり深く考えることもないんじゃない。
 

「でもね」
とヒロミは言った。
 
「私、少なくとも4月頃まではあそこをタックで隠してたし、おしっこした後はおちんちんの先をペーパーで拭いてたんだよ。でもずっとタックしていたら5月頃から、何だかそれがタックじゃなくて、ほんとの女性器のような気がしてきたんだよね。それで5月に富山のレディースクリニックに行って検診を受けたら『異常は無いです』と言われて戸惑っちゃって」
 
「なるほどねー」
 
「その検診受けた後はどう見てもあそこが女性器なんだよね。でも時々あれが立っちゃう感覚は最近までずっとあったし、お布団の中で半分無意識におちんちんいじって大きくなってというのを結構経験してるんだよね。それやった後は液をティッシュで拭き取った上で、パンティライナー付けて精液が下着につかないようにしてた」
 
青葉はヒロミの性器はシュレディンガーの猫のように「曖昧な状態」にあったのが、婦人科で検診を受けたことで「女性側に確定」してしまったのではないかという気がした。だとすると、その婦人科に行った日にヒロミは本当の女の子になってしまったのだ。でも精液はまだ出るのか!?
 
「それは幻茎だと思う」
と青葉は言う。
 
「何それ?」
 
「手や足を切断する手術を受けた人が無いはずの手や足の先がかゆくなることあるんだよ。それを幻肢って言うんだけど、性転換手術で陰茎を取って女になった人も、陰茎の先がかゆくなったりすることあるらしいのよね。それを一部の人たちが幻茎って呼んでる」
 
「そんなのあるんだ!?」
「かゆみを感じているのも脳、勃起を感じるのも脳。だから脳が元々の感覚を覚えている限り、末端の端末が存在しなくても、関連する刺激の発生からシナプスのネットワークで、そういう信号が発生することはあるんだよ」
 
青葉としても取り敢えず精液が出るという話は無視しておく。
 
「うーん・・・」
「蚊を見ただけでかゆくなるのも、実際には刺されていないのに、蚊に刺されてかゆくなった時の信号が再生されちゃうからだよね」
「ああ、確かに」
 
「私みたいな霊能者は霊の姿を見るけど、それも目が見ているんじゃない。見ているのは脳なんだよね。脳が直接霊を知覚してそれを視覚として脳に処理させている」
 
「それは理解できる気がする。というかそれしか霊が見えるという現象は説明できない気がするよ」
 
「人間って実は脳で生きているような面があるからね」
「以前読んだ医学書で、そんなこと書いてる先生がいた気もする」
 
「だけどさっき『女の子になっちゃった』と言ったよね?」
「うん」
「だから、きっともうヒロミのおちんちんはヒロミの意識の中でも完全に無くなっちゃったんだよ」
「そっかー」
 
「おちんちん、必要だった? あれでオナニーしたい?」
「ううん。小さい頃から、あれがあるのが嫌だった。つい大きくしていじってしまう自分も嫌だった」
「だったら無くなって良かったんじゃない?」
 
「うん。でも本当に無くなったのかまだ自信がない」
「まあその内、慣れちゃうよ」
「そうだね」
 

「ところでね。私、実はこの春頃から恋愛問題でも悩んでるの」
「誰か好きな男の子か女の子かいるの?」
 
「具体的には居ないんだけど、その男の子か女の子かというのが大問題で」
「うん」
 
「私、これまで小学校や中学校で何度か女の子と恋愛一歩手前くらいまで行ったことあるんだよね」
 
「いいんじゃない。MTFのレスビアンって割と多いよ」
「そうなんだ? 実は去年くらいまではむしろ男の子との恋愛なんて考えたくないよなって思ってたんだよね。でも女性ホルモン飲み始めた頃から、男の子とも恋愛ができるような気がしてきて」
 
「それもいいと思うよ。ヒロミのこと女子として扱ってくれる男の子もきっと出るよ」
「そうかな」
 
「そもそもMTFの子ってさ、カムアウトせずに男の子の格好していると、女の子から見たら、一見優しそうな男の子に見えちゃうんだよ。それにこちらとしては女の子同士の感覚だから気軽に会話できるじゃん。だからうっかりこちらのこと好きになってしまう女の子もいる。ヒロミだいたい女の子との恋愛って、向こうから言い寄られたことが多くなかった」
 
「全部そのパターン!」
「やはりねー。だから女の子との恋愛もできるようになっちゃったんだろうね。小さい頃はむしろ男の子を好きになったりしてなかった?」
 
「幼稚園の頃、同じクラスの格好良い男の子にちょっと憧れていた」
「それがヒロミの本来の恋愛感覚だよ。でもヒロミ、カムアウトして女の子として暮らし始めたから、もう今後は女の子との恋愛は発生しないかもね。相手が元々レスビアンの場合を除いては」
 
「レスビアンの女の子となら恋愛できるかも。でも男の子とも恋愛できるかも知れない気もするけど自信無い」
 
「好きになるってしばしば性別を超越してるから。好きになったら、相手の性別はどちらでもいいかもよ。こちらとしては」
 
「そうだね」
「但しヒロミが元男の子だということを知ったら、気持ちが萎えちゃう男の子も多いから、それは少し覚悟しておいた方がいい」
「うん。それは大丈夫だと思う。振られた時はショックだろうけど」
 
「あまり深い関わりになる前にちゃんとカムアウトしないといけない」
「勇気が要りそう」
「でも自分がストッパー掛けられなくなるほど深入りした後で相手に拒絶されるよりはマシだよ」
「そうだよね」
「辛い気持ちになった時や、カムアウトする勇気が持てない時は私や空帆に相談するといいよ。美由紀や日香理もだけど、みんなヒロミの味方だよ」
「うん、ありがとう」
 

「コックリさんか・・・・」
と言って朝食の席でヒロミの父は遠くを見るような目をした。
 
「うちのじいさんの友だちが戦時中、コックリさんをしたらしい」
「それいつ頃の話?」
「1945年の春頃だというんだよね」
「終戦の直前?」
 
「当時じいさんは船橋の海軍無線電信所に居た。ニイタカヤマノボレの暗号電文を送信した所だよ」
「わぁ」
 
「じいさんは戌年生まれだからそのコックリさんには入れてもらえなかった。コックリさんは犬を嫌うから戌年生まれの人をそばに置いたらいけないというからね」
「へー」
 
「それでその時、コックリさんが『今年の8月で戦争は終わる』と言ったらしいんだ」
「凄い!」
 
「それで戦争は勝つのか負けるのか?とじいさんはその友だちに訊いたけど、そこまではコックリさんは言ってくれなかったというんだよな」
 
「それってドイツが降伏した後?」
「多分それより前」
「もしかしてヤルタ会談の後?」
「そうかも知れないという気はする」
 
1945年2月に行われたヤルタ会談で、ソ連は日本との中立条約を半年後に一方的に破棄して日本の支配地域に侵攻する密約を米英首脳としている。8月9日のソ連対日開戦はその約束に基づくものであった。
 
「でもそれ、海軍の主力無線電信所という超機密情報が飛び交ってそうな舞台が意味深だよね」
とヒロミは言う。
「まあそれは言うな」
と父は答えた。
 

「でもコックリさんって字はどう書くんだっけ?」
と母が訊いた。
 
「狐狗狸だよ。きつね・いぬ・たぬき」
「当て字っぽい」
 
「元々は告理だったらしい。ことわりをつげる」
「へー!」
「明治時代の遊郭で流行したんだよ。それが一般に広まった。多分元は西洋のウィジャ盤。その頃って西洋でも降霊ブームの頃だから」
 
「やはりあれを日本語に直したものがコックリさんなんだろうね」
 
「ところでヒロ、お前お父さんに何か告白することがないか?」
と父は言った。ヒロミはドキっとする。
 
「ごめん」
とヒロミは最初に謝る。
 
「言ってみなさい」
「私、もう睾丸が無いの」
 
「そんな気がした。お前の手に触った時、完璧に女の子の手だから。急速に女性化が進んでいるようだから、もしかしたらと思って」
 
「ごめんね」
「お前が選んだ道なんだから仕方無いと思う。でも、自分の性別については20歳頃までいろいろ考えてごらん。女になりたいというので突き進むのも道だし、気が変わって男に戻りたいと思ったら、それも選択肢だと思う」
 
「うん。ありがとう」
 

12月15日。空帆や青葉などFlying Soberのメンバーは氷見で行われたイベントで空帆の新曲『鰤ッ子ロックンロール』を演奏しに行った。
 
元々はGt.空帆 B.治美 Pf.真梨奈 Dr.須美 A.Sax.青葉 Fl.世梨奈 Cla.美津穂 という7ピースバンドであったが、この時期は更にヒロミのトランペットも加えて8ピースになっている。
 
元々「鰤を歌い込んだ曲」というのが参加条件だったので、やはり演歌系の参加者が結構多かった。若干歌詞を改造して鰤を読み込んでいる人もあった。『おさかな天国』『買物ブギ』も結構あったし、松田聖子のヒット曲を歌って「元祖鰤っ子」と主張する参加者もあった。
 
松田聖子が「ぶりっ子」と言われたのは、ザ・ベストテンで初めて1位になった時に母の手作りケーキが持ち込まれたのを見て泣いてしまったのを、アンチの人たちが「嘘泣きでは」と解釈したのと、彼女の本名が「蒲池(かまち)」
で九州では、鰤の小さいのをハマチというので(まさに鰤の子供)、それに掛けたものであった。
 
演奏が終わってから参加賞の鰤丼を8人でいただく。
 
「美味しい、美味しい」
「うん。今の時期の鰤はほんとに美味しいよね」
「今から2月くらいまでがいちぱん美味しい季節だもんね」
 
「あ、そうそう」
と空帆は思い出したように言った。
 
「秋口からやってた『細い糸』の方、本気で鮎川先生がレコード会社の人紹介してくれてさ。こちらで演奏した音源送ったら、ぜひCD出しましょうと言われてる。冬休みにみんなで演奏して録音できないかな」
 
「おっ凄い」
「どこのレコード会社?」
「横浜レコードという所なんだよ」
「インディーズとしては大手だよね、わりと」
「ああ、インディーズなんだ?」
「さすがにいきなりメジャーは有り得ない」
「でもClariSみたいなのもあるから、メジャーも夢ではないよね」
「うんうん。ClariSは中高生の希望の星だよ」
 
「しかし冬休みは既にみんな予定が入っているのでは?」
「そんな気もする」
「私、旅行に行く〜」
「私、塾の冬期講座が詰まってる」
「うち、お母ちゃんの実家に里帰り」
「うむむむ」
 
「むしろ冬休み終わった後、成人の日の連休にやらない」
「ああ、それでもいいかな」
 
「でも『細い糸』1曲だけ?」
「今日演奏した『鰤っ子ロックンロール』も入れようかと」
「これを入れるのか」
「まあいいけどね」
 
「ねぇ、青葉、1曲書いてくれたりしない?」
と空帆は青葉に訊いた。
 
「うーんと、リーフの名前も絵斗の名前も使わないなら書いてもいい。その2つの名前は★★レコードとの契約で使えないんだよ」
「なるほど」
「じゃ、★★レコードから音源出すなら使えるんだ?」
「まあでも何十万枚と売れたりしない限り、インディーズの方が実入りは良いはず」
「掛ける制作費も違うからね。今年出たローズ+リリーの『Flower Garden』は1億円制作費が掛かってるもん」
「ひぇー」
 
「さすがに1億円は出せんな」
「うちの高校の全生徒に1万円ずつ寄付してもらっても1000万円に届かない」
 
「だけど1億円掛けても100万枚売れたら採算が取れるわけでしょ?」
「うん。あれはCDで100万枚、ダウンロードで50万DL売れてるから売上は44億円になる」
「なんかもう数字が大きすぎて想像ができん」
 
「富山県の人口が100万人だから赤ちゃんからお年寄りまで全員CDを買ってくれたようなもの」
「そこまで普通売れないよなあ」
 
「もっとも売上が44億円でもメジャーって色々経費が掛かるから、制作側の取り分は10%らしい。だから1億円投資して4億円収入があったという感じ。粗利は3億円(*1)」
 
「宝くじを1万円買ったら4万円当たったんで、差し引き3万円の儲けという感じ?」
「それの1万倍だね」
「やはり感覚が分からん」
 
(*1)これは原盤権を持つローズ+リリー制作グループ(サマーガールズ出版と★★レコードの共同事業体)の粗利であり、冬子と政子はこれとは別に歌唱印税・作曲印税で各々1.5億円ほどもらっている。
 

今年は12月21,22日が土日で23日が祝日なので、その前の20日金曜日が青葉たちの高校の終業式であった。
 
その終業式の後の3連休、東京の国士館でXANFUS, KARION, ローズ+リリーの3日連続ライブが行われたが、青葉はこのライブのKARIONとローズ+リリーの分の招待券を冬子(ケイ・蘭子)の口利きで★★レコードからもらったので、母と一緒に上京した。今年の年末年始は千里がファミレスのバイトを休めないらしいので、千里と桃香が富山に一緒に帰省してくるのは1月4-5日の土日になる。それで今年のお正月は千葉で過ごそうということになり、それも兼ねての上京であった。
 
「え?桃姉たちもチケット取れたの?」
「2日目のKARIONだけね」
「すごーい。3公演とも1分で売り切れたらしいのに」
「千里が電話したら運良くつながって即2枚確保したらしい」
「場所はどこ?」
「アリーナの19列目」
「こちらはKARIONはアリーナの23列目」
 
「だったら23列目で青葉たちの隣に座った人と交渉してチケット交換してもらって一緒に見よう」
と桃香が言う。この手の座席交換はコンサートではよくみられる。
 
「しかしこの位置なら立たなくてもいいかな?」
「KARIONは立ち上がる曲はそう多くないみたいだよ。元々のファン層がファミリー層中心だし、静かな曲が多いし。今日のXANFUSとかはアリーナ席は全員立って踊りながらだろうけどね」
 
「さすがに私はもう立って踊りながらはパス」
 
朋子は若い頃、かなりジャニーズに熱をあげていたので(今でもSMAPや嵐のCDは毎回買っているようだが)、2時間立って踊り続けるライブにもかなり行っているのだろう。
 

青葉たちは21日に上京したのだが、母が「ローズ+リリーの方は彪志さんと一緒に見てきたら?」というのでチケットを手配してくれた★★レコードの氷川さんに連絡して名義を書き換えてもらうことにした。時間が無いので青葉は★★レコード本社まで新しいチケットを取りに行った。朝一番の列車で出て来ているので東京に着いたのが10時前で、母には先に千葉に行ってもらっていて、青葉1人で青山の★★レコードまで行った。
 
1階のレストランで待っていてと言われたのでそちらに入る。
 
クリスマス前の連休なので何だかお店は混んでる。そういう混んだ所に入るのは少し気が咎めるが待ち合わせなので仕方無い。
 
「お一人様ですか?」
とウェイトレスが寄って来て尋ねる。
 
「あとからもう1人来ます」
と青葉が答えると、「相席でもよろしいでしょうか?」と訊かれるので同意して案内してもらう。
 
22-23歳くらいという感じの女性2人が座っている丸テーブルの所まで行き、彼女たちに「お客様、相席をお願いしてよろしいでしょうか」とウェイトレスが尋ねた。
 
「いいですよ」
と長い髪の女性が笑顔で答えるので、青葉も
「お邪魔します」
と言って着席した。
 

取り敢えずコーヒーをオーダーする。
 
「女子大生?」
と髪の長い方の女の子に訊かれる。
 
「いえ、高校生です」
「あ、ごめんねー。ちょっとおとなびて見えたから」
「私、小学1−2年の頃から、君と接していると大人と接しているみたいだなんて言われてました」
 
「へー。早熟だったんだ」
「イントネーションが東北系かな?」
「北陸に引っ越してから2年経つんですけど、まだ微妙に東北っぽいイントネーションは抜けないみたいですね。生まれは大宮なんですが、岩手で11年過ごしたので、そちらのアクセントが染みついてる感じです」
 
「なんかあちこち引っ越してるね」
「そうですね」
「私も随分引っ越したよ。熊本で生まれて小学生の頃は東京に居て、中学高校は北海道というか、中学は札幌、高校は旭川なんだけどね。高校を出た後は横浜の大学に入って、卒業後は都内の企業勤め」
「それはまた全国縦断してますね」
 
「私は北海道から東京の大学に出て来ただけだな。そのまま東京に居座ってる」
とショートカットの方の女の子は言う。
 
「けっこう生まれてからずっと同じ県内に住んでるなんて人もいますしね」
「ああ、いるよねー」
 
「あれ、おふたりとも北海道出身なら高校の同級生か何かですか?」
「同級になったこともあったけど、まあ同じ学年だね」
「バンド仲間というか」
「ああ、バンドなさってるんですか?」
「まあ趣味の範囲でね」
 
「あれ?もしかしてここの★★レコードのアーティストさんですか?」
「ノンノン。私たちはインディーズだよ。横浜レコード」
「わぁ、実は私友人たちと一緒に横浜レコードからCDを出す予定なんですよ」
「お、凄い。そちらもバンド?」
「はい。8ピースなんですけど」
「人数多いね!」
「ふつう4人とか5人が多いですよね」
 
「何て名前?」
「Flying Soberです」
「なんか格好いいね」
「いえ。実は焼きそば」
「おぉ!」
「そちらは何てバンドですか?」
「ゴールデンシックスというんだけどね」
 
「そちらこそ格好良い名前ですね。じゃ6ピースですか?」
「うーん。最初は6人いたんだよね」
「あらら。人数減っちゃったんですか?」
「みんな勉強が忙しいとか仕事が忙しいとかで辞めちゃって今はこの2人だけ」
「それでもシックスなんですね」
「まあ、そういう名前で始めたからね」
 
「ただ音源製作の時は結構旧メンバーを呼び出している」
「ああ、そうやって出て来てくれるのもまたいいですね」
 

何だかバンドをやっている同士というので話が結構盛り上がった。
 
「あ、自己紹介してなかったね。私は南国花野子。花野子でいいよ」
「私は川上青葉です。青葉と呼び捨てでいいですので」
「私は矢嶋梨乃。私も梨乃でいいよ」
 
「そうだ。私たちのCD、1枚あげるよ」
と言って花野子が青葉にCDを1枚渡す。
 
「わ!ありがとうございます。だったら私もまだCD化してない音源ですが」
と言って青葉はパソコンを取り出すと、その中からデータをUSBメモリに吸上げて手渡す。
 
「このUSBメモリごと差し上げますので」
「おっ、さんきゅー」
「なんかお魚のUSBメモリ可愛いね」
「私の住んでる所の近くに氷見(ひみ)って、鰤(ぶり)の名産地があって、そこで買った鰤のUSBメモリです」
「なるほどー。これは鰤か」
 

そこからお魚、お寿司の話題なども出始めたところで、氷川さんがやってきた。
 
「お待たせー、青葉ちゃん」
と言って、花野子たちにも会釈して席に座る。
 
「いえ、それでなくてもお忙しい時に、つまらないことでお手を煩わせてすみません」
「これ名義書き換えたチケットね」
「ありがとうございます。名義書き換えなくてもそのまま入れないかなとチラっと思ったんですけど47歳女と書いてあるチケットでさすがに20歳男は入れないだろうと」
 
「ああ、性転換したんですと言うとか」
「それは実際時々あるみたいだよね。昔の知り合いで性別変更した人がいて、図書館とかでよくトラブってたよ」
と花野子が言う。
 
「それは大変ですね」
「でも年齢が難しいかな」
「47歳がどう若作りしても20歳には見えないよな」
 
「でも何のチケット?」
と梨乃が訊く。
 
青葉は一瞬氷川さんを見るが、頷いているので
「明後日の国士館のローズ+リリー・ライブのチケットなんです」
と答えた。
 
「すごーい!」
「あれ3日間とも電話したけど、ゲットできなかった」
「1分で売り切れましたから」
 
「私、母と一緒に見るつもりだったんですが、母が友だちと一緒に見るといいよというもので、お願いして名義を書き換えてもらったんです」
「身分証明書提示して、照合しながらの入場だからね」
 
「それやらないとヤフオクとかに出されるんですよ。本当に行くつもりで買って都合が悪くなったのならいいけど、最初から転売するつもりで買って差額を儲けようとする人がいますからね」
 
「こちらは青葉ちゃんのお友だち?」
と氷川さんが訊く。
 
「今お友だちになりましたー」
と花野子が明るく言う。
 
「ええ。彼女たちもバンドやるんですよ。私も友人たちとバンドやってて来月CDを作ろうとしているなんて話から結構盛り上がっちゃって」
 
「ああ。青葉ちゃんたちもバンドやるって言ってたね。そちらさんはCDとか作ってます?もしかして★★レコードのアーティストさんかしら?」
と氷川さんが訊く。
 
「インディーズです」
「彼女たちも横浜レコードらしいです。私が友人たちと一緒に作る予定のCDも横浜レコードなのですが」
 
「あのぉ、そちら様は?」
と花野子が尋ねる。
 
「あ。ごめんなさいね。私はこういう者」
と言って、氷川さんは花野子たちに1枚ずつ名刺を渡した。慌てて花野子たちも自分の名刺を渡す。
 
「わぁ!★★レコードの制作部の方ですか!」
「へー。ゴールデンシックス。6ピースバンド?」
「いえ。最初は6人いたのですが、今は2人だけになっちゃって」
と花野子が少し申し訳なさそうに言う。
 
「でも2人でも1人で3人分頑張ろうということで」
と梨乃。
「3人になった時も1人で2人分ずつ頑張ろうって言ったけどね」
と花野子。
 
「もし良かったらこれ聴いてください」
と言って、花野子は氷川さんにもCDを1枚渡した。
 
「ありがとう」
と言って氷川さんは受け取ってから、青葉がパソコンを持っているのを見て、
「青葉ちゃん、そのパソコンでこのCD聴けるかな?」
と言う。
 
「実は私も今1枚頂いた所なので。もしよかったら一緒に聴いてもいいですか?」
 
ということでパソコンにイヤホンを接続して、Lを氷川さん、Rを青葉が耳に付けて、ゴールデンシックスのCDを再生する。
 
 
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【春告】(1)