【春声】(1)

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2012年4月。青葉は中学3年生になった。始業式の日から女子制服を着て出席したのはこの年が初めてである。中学1年の時は制服を親に買ってもらえなかったので私服のポロシャツとスカート姿で出て行った。昨年はどこの中学に行けるのかも定まらない状態で、佐賀から千葉へ移動していた。そしてこの中学には4月の下旬から参加した。
 
クラス替えが行われて新しいクラスになるが、仲良しの美由紀・日香理・明日香とは同じクラスになったので、少しホッとした。美由紀曰く「青葉は自分で壁を作ってしまうから」友人はたくさん作るものの、あまり親しい友人はできにくい。担任も2年の時の小坂先生が持ち上がりだったので安心感があった。自分の生態について、やはり先生によって完全に受け入れてくれている先生と、必ずしもそうではない先生との、温度差があることを青葉は感じ取っていた。
 
この新しいクラスで仲良くなった子のひとりが世梨奈である。
「わあ、私、青葉ちゃんと同じクラスになりたいと思ってた。色々話したくて」
などと初日いきなり言ってきた。
「クラス違ってても話しかけてもらって良かったんだけど」
「いや、それがなかなか」
「青葉って、けっこう自分でも無意識のうちに周囲にバリア張ってるもんね」
などと美由紀が笑って言う。
 
世梨奈は少し生理不順と立ちくらみしやすい性質を抱えているということで、早速それを青葉にヒーリングしてもらい「調子よくなった」と喜んでいた。
 
「立ちくらみは凄く困ってたのよ。去年も朝礼の時に10回以上倒れたのよね。お医者さんに行って、鉄分補給の薬とかもらったらジンマシン出て中止したし。私それまで薬でトラブル起きたことなかったのに、その薬だけダメだった」
 
「思春期の女の子には立ちくらみ多いよ。鉄分はあまり関係無い。病院に行っても自律神経失調症とか言われて、なんか適当に処理されちゃう感じだしね。実際精神的なものが大きいんだけど、ちゃんと効く薬を処方できる先生は少ないんだ」
「これ薬でも治るの?」
「薬でも治るけど、私は気功で治しちゃう」
青葉が実際に効果のある薬の名前を言うので世梨奈は「何か難しい名前だ」と言う。
 
「青葉は薬剤師の国家試験受けたら通ると思う」などと美由紀が言うが「薬学部に6年通わないと、それ受けられないからね」と青葉は答える。
 
「でも青葉、医学とか薬の知識物凄いよね。医学部か薬学部行く?」と日香理。
「それ、小坂先生にも言われたんだけどさ。私の本職はあくまで祈祷師で、医学・薬学の知識は、祈祷じゃなくて医者の所に行かせるべきクライアントに遭遇した時のために持ってるのよ。でも、医者や薬剤師が裏家業で祈祷師をしているってのは、色々誤解を招くじゃん。だから、私は医師とか薬剤師にはなれないと思ってる」
 
「へー。でももったいないなあ。お医者さんになっても凄く腕のいいお医者さんになりそうなのに」
「でも、お医者さんとこに行って、そのお医者さんが『これは霊障です』と言って、印を結んで真言唱え始めたら、患者は引くよ」
「確かに!」
 

始業式のあった週の週末、青葉は夜の高速バスに乗ったが、行き先はいつもの仙台ではなく東京であった。彪志とのデートのためである。
 
青葉は彪志の合格祝いと家族の一周忌を兼ねた3月上旬の岩手行きの後、3月下旬にもまた岩手に行ったのだが、この時は向こうでの仕事が溜まっていたのと彪志の方も大学入学の準備で忙しかったので、会えなかった。それで4月に入ってから千葉で会おうと約束したのである。
 
池袋に土曜日の朝5時半に着き、山手線で東京駅まで行って京葉線に乗り換える。そして葛西臨海公園駅で降りた。この駅のすぐそば、高架下のマクドナルドに入る。ここで彪志と7時に待ち合わせだったのだが、彪志はまだ来ていないようだ。「寝てるかな?」と思いながら、朝マックのパンケーキを頼み、席でホットティーを飲みながらしばし待つ。時計を見たら7:05だ。私も少し休もう。青葉はそう思い、身体と頭の95%くらいを休眠させる。
 
青葉は子供の頃から、その時必要な器官以外を休眠させるすべを覚えていた。お掃除をしていても、掃除に必要な部分だけを動かし、それ以外の部分は休ませている。学校で授業を受けている時は、先生の話を聞き、ノートを取るのに必要な部分だけ動かして、それ以外の部分は休ませている。
 
修行を積んだ禅僧などはこの技術を身につけているが、青葉はこれが誰にも教えられる前からできていた(曾祖母と一緒に修行をするようになる前からしていた)。青葉がふだん少食なのはこの技術のおかげで身体の燃費がとても良いからである。
 
7:20になってから《ごめん。寝過ごした。直接入口前で会おう》というメールが入る。青葉は微笑んで、パンケーキをゆっくり食べてから、マックグリドルのセットをテイクアウトで頼み、それを持って電車で舞浜駅に移動。TDLの入場ゲートに行った。彪志の波動はすぐ見つかった。
 
「おはよう」
「おはよう。ごめんねー」
「ううん。私もお店の中で少し身体休ませてきたから。はい、これ朝ご飯」
と言って、マックグリドルの包みを渡す。
「助かる。もう何も食べずに飛び出してきた」
と言って、彪志はソーセージ&エッグチーズのマックグリドルを頬張る。
「美味しい美味しい。マック大好き。毎日は食べられないけど」
 
「ふふ。自炊できてる?」
「毎日はなかなかできない。学食のある日はもうそれ頼り」
「それでいいと思うよ。学食安いし」
「でも2人前くらい食べないとお腹空くからお金がかかる」
「じゃ、やはり自炊頑張らなきゃ」
 
「でも料理作る時ってさ、1人前で作ると全然足りないのね」
「料理の本に書いてある1人前って、私みたいな少食な女の子1人分って感じだよ。普通の女の子でも2人前、男の子なら3〜4人前でちょうどいいと思う」
「ああ、そうなんだ! 良かった。俺も4人前くらい作らないと足りないから、俺そんなに大食漢だっけ?と思ってた所だよ」
 
やがて開場時刻になる。青葉たちは事前にネットで取得してプリントしておいたeチケットで入場。すぐにアストロブラスターのファストパスを発行。入場可能な時刻を確認してから最初、プーさんのハニーハントに行く。朝一番なのでスムーズに入場することができた。青葉は1年前にも母につれられてTDLに来たのだが、その時はここはあまりにも列が長かったので諦めて入っていなかった。
 
可愛い童話の世界で青葉は思わず心がほころんだ。彪志の方はそれほどでもない感じだが、青葉が「きゃー」とか「可愛い!」とか声をあげるので微笑んでいる。時々突然ハニーポットが予測不能な動きをするので青葉も彪志も「わっ」という声も出してしまったが、酔うほどの動きでは無かった。
 
そこを出てからファストパスを持ってアストロブラスターに行った。こちらはシューティングなので彪志が張り切って、たくさん敵を撃って楽しんでいた。青葉は害の無いものを攻撃するのが嫌いなので、最初撃つのをためらっていたが、後半乗って来て結構当てて、彪志から「うまいじゃん」と褒められていた。
 
ここを出てからモンスターズインクのファストパスを取ったら既に17時の指定である。じゃ、それが最後だね、ということにして、スペースマウンテンに行く。まだ朝早い時間なので20分ほど並ぶだけで入場することができた。ここは昨年来た時も乗っているのだが、気持ち良かったのでぜひまた乗りたかったアトラクションであった。
 
暗闇の中を走るジェットコースター。普通のジェットコースターに比べると動きは小さいし、見えない分、恐怖感のようなものが希薄なのでふたりは身を寄せ合って、しばし純粋に「宇宙の旅」を楽しんだ。どさくさにまぎれてキスも2度した。
 
スペースマウンテンの次はホーンテッド・マンションに行く。ここも20分ほどで入ることができた。ここも昨年入って楽しんだところである。
 
「これハーフミラー使った映像だと思うけど、センス良いよね」
「TDLってのはハイテクの使い方がうまいよね。凄いことしてるのに、それを感じさせずにエンタテイメントに徹してる」
 
ふたりは「これはどういう仕組みかな」などというのを小声で話しながら、このアトラクションを楽しんだ。
 
青葉たちは午前中に人気アトラクションを攻めて、お昼はイーストサイドカフェでパスタのコースを食べた。プライオリティー・シーティングを取っておいたのだが、それでも少し待ってから席に案内された。
 
「小学生の時にTDLに親と一緒に来た時はさ、俺がここ入る!とか言ったんだけど『ここは高いから他の所にしようね』と言われてカレー屋さんに行ったよ」
と彪志が言う。
「確かにデートじゃなかったら、私ももう少し安い店に行くだろうね」
「いや、青葉はきっと何も食べない。お金がもったいないとか言って」
「う・・・・読まれてる」
「青葉って、霞食べて生きてるんじゃないかと思うことあるし」
「それはうちの師匠だよ!」
 
「青葉はきっと誰かと一緒でないと御飯食べないんだな。未雨ちゃんって存在が無かったら、きっと青葉何日も御飯食べずに過ごしたりしてたんじゃない?」
と彪志が言う。
 
「それはあるなあ。姉ちゃんに何か食べさせないといけないと思うと、毎日御飯を作ったり調達したりしていたから。自分ひとりなら5日くらい食べなくても平気だし」
「今はお母ちゃんと一緒に暮らしているから、ちゃんと食べてる」と彪志。
「うん。お料理とか習ってるしね」
 
「青葉ってだから絶対ひとり暮らしさせられない。でもずっとお母ちゃんと一緒って訳にはいかないだろ? だから俺が青葉とずっと一緒に暮らしてあげるから、ちゃんと御飯食べようね」
 
青葉は微笑んで素直に「ありがとう」と言った。
 
午後はあまり並ばずに行けるところを中心に回っていった。午前中最後にファストパスを取っておいたピッグサンダーマウンテンが15時の指定だったので、これが午後からのアトラクションのエポック的な存在になった。
 
ビッグサンダーマウンテンの後は特にアトラクションには乗らずにのんびりとパーク内を散歩して、おしゃべりをしながら過ごした。ああ、TDLでデートってのはこういう展開だよな、などと思う。
 
やがて時間になったのでモンスターズインクに行く。青葉はこの映画を知らなかったのだが、事前にガイドブックを見ていて青葉が「モンスターズインクって怪獣のインクという意味?」などと母の前で発言したので、母がツタヤでDVDを借りてきてくれた。おかげでちゃんと予習できていたので、このアトラクションをたっぷり楽しむことができた。サリーやマイクたちの仕草を見て「可愛い!」
などと青葉が叫ぶので彪志は少し当惑気味に一緒に笑っていた。
 
「だけど、俺、女の子の言う『可愛い』の基準がいまいち分からない」
とアトラクションを出てから彪志が言う。
 
「うーん。純粋な褒め言葉だよ」と青葉。
「プーさんやミッキーの『可愛い』は理解できるが、サリーやマイクを可愛いというのは男の感覚では理解不能」
「うん。まあ、女の子感覚はそういうものよ」と青葉は笑っている。
 
「女の子が可愛い子紹介してあげると言ったら、絶対可愛くない女の子が来る、という説もある」
「ああ、それも何となく状況が想像付く」と青葉はおかしくてたまらない風であった。
 
モンスターズインクの後は、少し散歩してからブルーバイユー・レストランで夕食にした。ここもプライオリティー・シーティングを取っておいた。今回は行くとすぐに席に案内された。
 
「俺たちが結婚して・・・・もし子供が出来たりして、その子を連れてまたTDLに来ても、このレストランには入らないよな」
「たぶん。カレー屋さんとかハンバーガー屋さんだよ」
「すると一生に一度かも知れないな。味わって食べよう」
「大げさな! でも全ての物事は一期一会(いちごいちえ)だよ」と青葉。
「確かにそうだよな」
「また今度にしよう、ってのは多分実現しない」
「物事はワンチャンスをモノにしないといけない」と彪志。
 
「このあたりの価値観、私たち一致してるね」
「うん。全てが一度限りの出来事だから、そのひとつひとつを大切に生きていける」
「人との出会い・別れ、そして全ての喜び・悲しみも」
 
「でも俺と青葉の愛はずっと続いていくものであって欲しいね」
「うん。ずっと仲良くしていきたいね」
 
ふたりはテーブルの下で手を握り合って微笑んだ。
 

食事の後は夜のパレードを見てからTDLを出る。舞浜駅でちょうど武蔵野線電車が来たので西船橋まで乗り、総武線に乗り換えて東千葉まで行って降りる。ここから10分ほど歩いて彪志の新居に到達した。途中のコンビニで食糧を少し調達していった。
 
「狭い所でごめんね」と彪志。
「ひとり暮らしだもん。100坪とかあっても仕方ないし」と青葉。
「そんなの掃除がたいへん!」
「掃除してる?」
「してない。昨夜は少し片付けたけど・・・・散らかっててごめん」
「あ、私そういうの全然気にしないから問題無い。姉ちゃんたちのアパートとか、床に本がピラミッドみたいに積まれてるし」
 
「桃香さんたちのアパートは2DK?」
「そうそう。2人暮らしだからね」
「2人暮らしなら1部屋では無理だもんね」
「あそこ、お友だちのたまり場にもなってるしね。布団4組あるもん」
「それは凄い」
 
「ここ、シャワーあるんだっけ?」
「うん。一応」
「お湯出る?」
「出る。一応都市ガスだから」
「あ、それは便利ね。じゃ、シャワーもらっちゃおう」
と言って青葉が開けたのは押し入れの戸だった。物が落ちてくる。
 
「ごめん。間違った」
「いや。こちらもごめん。そこに色々物を押し込んだ。お風呂はそっちね」
「じゃ、青葉がシャワー浴びてる間に片付けてお布団敷いとく」
「うん」
 
青葉は笑顔でバスルームの中に入り、服を脱いで熱いシャワーを身体に掛けた。一緒にシャワー浴びよう、なんて言われたらどうしよう?と思ったけど、彼もそこまでは考えないかな・・・・・でも、シャワー気持ちいい! 1日TDLの中を歩き回ったので、さすがに足の筋肉が硬くなっている。青葉はそれを手で揉みほぐした。身体全体にシャワーを掛けながら自己ヒーリングで疲れを癒やす。
 
あがろうとして「あっ」と思う。バスタオルが無い。
 
「彪志〜。ごめん。バスタオル貸して」
「あ、ごめん。置いてなかった」
と言ってバスタオルを持って来てくれる。バスルームの戸を開けて青葉に渡してくれたが、全裸の青葉を見て一瞬動きを止める。青葉はニコっとしてそれを受け取ると「ありがとう。また後でね〜」と言って手を振り自分で戸を閉めた。
 
身体を拭いてから着替えの新しい下着を身につけ、今夜のために持って来たPJの可愛いベビードールを着て外に出て行ったら、彪志が「うっ」と言って固まっている。
 
「どうしたの?」
「いや・・・その・・・・」
「お布団で待ってるね」と言って青葉はそのまま布団に潜り込む。
 
彪志はすぐにバスルームに飛び込み、5分くらいで出てきた。
 
「カラスの行水だね」と青葉が布団の中から言う。
「いや、待たせちゃ悪いし」と言う彪志は裸である。
 
「お洋服着ないの?」
「着てもすぐ脱ぐし」
「確かに」
 
「青葉」
「ん?」
「好きだよ」
「私も好き」
 
彪志はそのまま布団の中に潜り込んでベビードールごと青葉を抱きしめた。
 

翌日はお昼くらいまでのんびりと過ごした。昨夜はふつうの状態でHしたのだが、朝から例の「性転換パッド」のヴァギナ部分を青葉の身体の中には入れずに代わりにホールを装着して試してみた。青葉としてはあまり楽しくないのだが、彪志は気持ちよさそうにしていたので「それじゃ」と言ってテンガの4個セットを机の上に積み上げてあげた。
 
「これにハマっちゃったらどうしよう・・・・」
「高いからハマることは無いよ」
「確かに気軽に買える値段じゃないよね」
 
「これを入学祝いということにしようかな」
「それは勘弁」
「冗談よ。入学祝いはこちら」
と言って箱に入ったパイロット製ボールペンを渡す。
 
「立派そうなボールペン」
「そこに積み上げたテンガセットの4倍の値段のボールペンだから」
「わあ。凄い。大事に使うよ。ありがとう」
 

お昼は待ち合わせて、桃香・千里と一緒に4人で焼肉屋さんで食べた。
 
「男女で料金が違うの見て、一瞬男何人・女何人だっけ?と考えちゃった」
と料金を払った青葉が言う。
 
「性別で料金決めるのは不合理だよね。少食な男の子もいれば、ギャル曽根クラスの女の子もいる」と桃香。
「いや、めったにそんな人はいない」と千里。
 
「でも私が悩んでるうちに、お店の人が女性3名・男性1名ですね?と言ってくれたから、それでいいことにしたけど」と青葉。
「それでいいと思うけど」と彪志。
「今度は彪志君を女装させて来ようか」と桃香。
「それはさすがにバレます」と彪志。
 
「今ふと気づいたけど、これダブルデートだね」と青葉。
「そうそう。ひとり以外はその見解に合意と思うね」と桃香。
千里は例によって笑っている。
 
「昨日はディズニーランド楽しかった?」
「楽しかった! 去年お母ちゃんに連れられて行った時は、遊園地なんてものそのものが初めてだったから、全てが驚きの連続だったけど、今年は純粋に楽しめた」
「あそこは本当に楽しめるように作られているよね。しばしば儲かるようにとか、あまり金掛けずにある程度人が来るようにとか、不純な目的意識で作られた遊園地もあるけど、ディズニーランドは楽しめるものをという目的意識が明白なんだ。ひたすらマニアックなものを追求した感のある富士急ハイランドと、私は関東の2トップだと思うな」と桃香。
 
「私、富士急ハイランド苦手」と千里。
「昔、あそこ行って『ええじゃないか』に乗せられてトラウマになった」
 
「私はジェットコースター大好きだけど『ええじゃないか』だけは遠慮しとく」
と桃香。
「でもあれ以外はけっこう楽しめるよ」
 
「そんなに怖いんだ!?」と青葉。
「俺もあれだけは乗りたくない」と彪志まで言っている。
 
「男の子はタマが縮むらしいね」と桃香。
「ああ・・・・じゃ、私は平気かも」と青葉。
「そういう意味だと、千里ももう平気かもね」と桃香。
「きっとタマの回転とコースターの回転が交換相互作用を起こして恐怖心を生み出すんだな」
 
「タマが回転したら大変だよ」と千里は笑いながら言う。
「あれって回転しないの?」と桃香。
「しないしない。回転したら血管や精索が恐ろしいことになる」と千里。
 
昼食後、千里が4人で散歩でもする?と言ったのだが、桃香は「おやつでも食べながらのんびりする方がいい」と言ったので、みんなで桃香たちのアパートに行き、その日の午後は、のんびりとした時間を過ごした。
 
青葉が桃香のアパートに入る時「ただいま」と言ったので、彪志が
「へー。ここも『ただいま』なんだ」と訊く。
 
「そうだよ。高岡の家もただいま。桃姉・ちー姉の家もただいま。どちらも私の家だから」
「俺のアパートも『ただいま』にする?」
「結婚したら、そうする。籍関係無く、私たちが結婚したという意識になったら」
「了解」
 
その日は夕方の新幹線で高岡に帰還した。彪志が東京駅まで送ってくれた。
 

東京から戻った週の水曜日、青葉は美由紀と一緒に、昨年10月に交通事故に遭い青葉のヒーリングを受けて回復した容子さんのお見舞いに行った。
 
「こんにちは。その節は本当にお世話になりました」
とお母さんが嬉しそうに青葉たちを歓迎する。
 
美由紀が付いてきたのは、最近北陸の仕事では詩子が「受付窓口」、美由紀が「営業担当」という感じになってきているためである。事故当日こそ来ていなかったものの、その後の追加ヒーリングの際は、いつも美由紀が「担当兼秘書」
のような感じで付いてきていたので、容子さん親子ともすっかり顔なじみである。
 
「でも入試もうまく行って良かったですよね」
「ほんとに。特例ということで別室で車椅子に乗って看護婦さん付きでセンター試験を受けられたし、大学はそれでセンター試験の成績だけで推薦入試枠に入れてもらって面接だけで済んだし。もう、事故の直後は1年浪人だなと思ったんですけどね」
 
「左手の練習も頑張りましたよね」
「そうそう。右手は全然動かない状態だったもんね。でもマークできないとセンター試験はアウトだから、とにかく線だけでも引けるようにしようって練習して。でも後で聞いたら、そういう場合は代筆者付きでも受験できたらしいけどね」
「でも代筆での回答はそれがまた大変ですよ」
「うん。今ではふつうに左手で字が書けるみたいだし」
 
「まだまだ、かなり下手だけどね。まだほとんど動かない右よりはマシ」
と容子さん本人も笑っている。
「ノートもまともに取れないから友人のノートをコピーさせてもらってるんです。レポートは音声入力で書こうかなと思って、今システム調教中です」
 
「リハビリ進んでます?」
「右肩がうまく使えないので身体のバランスが何だか取りにくいのよね。でも少しずつ歩く練習しているところ。でももうしばらくは大学には車椅子で通う」
「ええ。無理してて道路で倒れてまた車に轢かれたりしたら大変です」
「それ、お医者さんからも言われました!」
 

美由紀がこの日、青葉と一緒に行動していたもうひとつの理由は、美由紀自身の要請で、青葉に「観てもらいたい」案件があったからである。
 
容子さんの家を出た後、青葉と美由紀は、一緒に市内のドーナツ店で美由紀の思い人・N君と会った。先に青葉たちが着いたようで、カフェオレとドーナツを注文し、席で待つ。少ししてN君が現れ、コーヒーを注文してそれを持ってこちらの席についた。
 
バレンタインに美由紀は勇気を出してN君に告白してチョコを渡した。N君はチョコは受け取ってくれたものの、交際はできないと言った。美由紀は落ち込んでいたが、青葉と日香理で励まして再度アタックさせた。するとN君は「石井さんのことは好きだけど付き合えない」と言った。それでまた美由紀は落ち込んで戻って来たのだが「好きだけど」と言ってるのなら、押せば落ちると言って、青葉と日香理で再度励ます。そこで美由紀も猛烈なアタックをした。その結果、N君は意外なことを言い出したのだ。
 
「俺の家系の男は、みな若死にする。その不幸に巻き込みたくないから俺は結婚しないことにしたし、女の子と付き合うこともしない」
と言うのであった。
 
すると美由紀は「そういう呪い的なものなら得意な子がいるから」と言って青葉を引っ張り出したのであった。
 
正直、青葉はその手の「呪い」には手を出したくなかった。過去に1度だけやむを得ず関わったことがあるが、命懸けの戦いになった。今回も美由紀から「呪い」と聞かされて、正直逃げ出したかったのだが、親友の美由紀の思い人であれば、見捨てる訳にもいかない。半ば渋々この場に出てきたのである。
 
この日青葉がN君から聞き出した主な内容は
 
・彼の本家筋の男子はだいたい20代までに死んでいる。
・本家の苗字は**と言って、その苗字の家系では、彼のひいおじいさんの妹さんがひとり生き残っているだけ。もう男子は残っていない。
 
・彼のおじいさんは20歳前にN家に養子に来たおかげか34歳まで生きた。・彼のお父さんは42歳まで生きた。
・他にも**家から成人前に他家に養子に行った男子の中には30代・40代まで生きた人もいるらしいが、だいたい全てその後の家系が途絶えている。
 
・彼は3人兄弟のいちばん下だが、もうこの不幸は自分たちの代で終わらせようと言って、ふたりの兄(大学生と高校生)も、女性と交際しないようにしている。自分もそのつもりでいる。
・この「呪い」は多分少なくとも4〜5代前から続いているのではないか。
 
といったことであった。
 
「男だったら死ぬのか・・・・性転換したらダメかな」
などと唐突に美由紀が言い出すが、さすがに青葉がたしなめた。しかしN君はまじめに答えた。
「俺たち3兄弟は全員小学校に上がるまで女の子の服を着せられていた。名前も全員女の子でも通る名前なんだよな」
「えー?現代でもそういうのあるのね」
 
「うちの親父も魔除けにって、子供の頃ずっと女の子の服着せられていたらしい」
「わあ」
「そのお陰じゃないかな。42まで生きられたのは。親父の兄さんたちはみんな30歳前後で死んでいる。うちの親父が生まれた時に病院で偶然遭遇した拝み屋さんに『この子は悪い宿命を背負っている。女の子の服を着せて育てなさい』と言われたらしいんだよ」
 
青葉はN君の家系を調べさせて欲しいと言い、美由紀とともにN君の家にお邪魔した。N君のお母さんは、彼が女の子をふたりも連れて来たのに驚いたようであったが、この家で男が若死にする原因を調べて、何か回避の方法があるなら回避を試みたいのだと青葉が説明すると、ぜひ調べて欲しいと言い、いろいろ協力してくれた。
 
まず過去帳を見せてくれた。その結果、彼の家系を6代前の天保年間まで辿ることができたが、見事に男性名の位牌は全て享年が30歳未満のものばかりであった。女性名の位牌はみなけっこう長生きだ。本当に男性だけに掛かる呪いのようである。
 
「その本家の**さんの家は商売か何かでもなさっていたのでしょうか?」
「私もよく分からないのですが、廻船問屋のようなものだったとも聞いています。私も結婚する時に夫から、自分は長生きできないからと随分渋られたのですが、私はそれでもいいと言って強引に結婚したんですよね。42歳の誕生日を一緒に迎えられた時は、もう呪いは終わってこの人はずっと生きていてくれないかな・・・と内心思ったのですが。急性白血病で。病院に掛かってから3ヶ月で逝ってしまいました」
とお母さんは涙を流しながら語った。
 
青葉は郷土史などを調べる必要性を感じた。お母さんから、本家筋の**家が代々住んでいた場所を教えてもらい、また住所を確認するため、取れる範囲の除籍簿を取ってもらえないかと頼んだ。また檀家になっているお寺さんなどにも聞いて作れる範囲の家系図を作って欲しいというのも頼んだ。お母さんは了承した。
 
「美由紀、図書館に付き合って」と青葉はN君の家を出てから言う。
「うん」
「手分けして、**という名前の人が郷土史の中に出てこないか調べよう」
「分かった」
 
青葉は慎重に調査を進めた。この呪いの発端に触れるようなことがもし分かった場合、その瞬間に、青葉自身がダイレクトにその呪い本体と対峙を余儀なくされる可能性もある。下手すると自分も美由紀も危ない。しかしもう関わってしまった以上、撤退しても何らかの影響は受ける。
 

調査にはけっこう時間が掛かった。途中に岩手行きも入ったので、青葉は現地での仕事を終えた後で、慶子の家に作っている祭壇の前で、美由紀の彼氏の問題についても少し探りを入れてみた。すると後ろの人からストップが掛かってしまった。今ならまだ逃げられるよ、と言われる。でも友だちを放置して逃げることはできない、と言うと、後ろのお姉さんは『そう言うと思ったよ』と言い、『師匠の所に行きなさい』と言った。青葉はすくっと立ち上がった。
 
長時間祭壇の前で瞑想していた青葉が突然立ち上がったので慶子もびっくりしたようであったが、甘いヨウカンとお茶を出してくれた。
 
「このヨウカン、美味しい」
「佐賀県の小城(おぎ)羊羹です。先日、博多の佐知子さんが来た時、おみやげに頂きました」
「小城か・・・・・・あれ?小城の近くに孔子の何かありましたね」
「孔子廟ですね。正式には『聖廟』と言います。小城の隣町の多久(たく)ですよ」
 
「孔子・・・・・論語に何かあったな」
 
青葉は「端末借りるね」と言って資料館のデータベースにアクセスし、論語のデータを開く。幾つか思いつく検索語で探している内に、この言葉に到達した。
 
『過則勿憚改。過而不改、是謂過矣』
(過ちてすなわち改むるにはばかることなかれ。過ちて改めざるは、これ過ちと言う)
 
「慶子さん、『改』って字の字源を知ってます?」
「いいえ」
「これね、蛇を打つ様を表してるんですよ」
「蛇を打つんですか?」
「蛇は邪なるものの象徴。鬼を打ってるんですね」
「鬼ですか?大豆でもぶつけます?」
「大豆か・・・・いいな」
 
「あ、こないだ久慈の友人が来て大豆羊羹も置いていきましたよ。食べます?」
「食べます」
 
早速慶子が出して来た。頂きながら、ふと思いついたように青葉は高岡の自宅に電話する。
 
「あ、お母ちゃん。私さ、今年のゴールデンウィークは奈良に行ってくるから」
「奈良?お友だちとかいたっけ?」
「ちょっと師匠の所に行く」
「ああ! 高野山の山奥に住んでるんだったわね」
「うん」
「気をつけて行ってらっしゃい」
「うん」
 
「あそこに行くんですか?数年ぶりですよね」
「小6の時以来だから、3年ぶりになります」
 

岩手から帰った週に、美由紀と一緒にN君の家に行き、お母さんに調べてもらった内容を教えてもらった。家系図をコピーさせてもらう。お母さんは、老人ホームに入っている**家の最後の生き残りの大叔母さんの所にも連れて行ってくれた。大叔母さんから青葉はいろいろ聞き、相手の形が少しずつ見えて来つつあるのを感じた。
 
でも。
 
ここから先にはまだ踏み込めない。
 

4月27日の夕方。青葉はサンダーバードに乗り大阪に出た。南海線に乗って奈良県に入る。目的地の最寄り駅で降りて、その日は近くのビジネスホテルに泊まった。(1年前の青葉なら公園のトイレで野宿だが、母の躾が身に染みて、こういう時、ちゃんとホテルに泊まるようになった)
 
翌朝、青葉は登山靴に履き替え、ペットボトル数本に水を入れて持ち、途中の食糧(+ヒダル神対策)でおにぎりも何個か持ち、山道を登っていった。
 
ここに来るのは3度目だ。最初は小学3年生の時だった。
 
その年の7月。富士山信仰の元祖ともいうべき長谷川角行という人の没後360年を記念する集会が、西日本在住のある老齢の拝み屋さんの主催で富士で行われた。
 
彼女が知り合いの知り合いのまた知り合いなどに呼びかけて、全国から80人ほどの拝み屋さんや霊能者が集まったのだが、青葉は慶子の父に連れられてその集会に出席した。
 
そこで青葉は以前別の集会でも会ったことのあった菊枝と再会。菊枝の紹介で直美とも知り合い、3人でお互いに「あなた凄い」などと話していた時、瞬嶽がその3人のそばを通りかかった。
 
そして、足を留めてこちらを見て「なんだ君たちは!」と叫んだのであった。
 
集会の後、瞬嶽は当時高校生だった菊枝と、小学生の青葉に「君たち、ちょっと一週間ほど付き合わないかい?」と言って高野山に連れて行き、回峰行に付き合わせた。2人とも師匠からはかなり遅れはしたものの毎日最後まで走りきった。そして師匠は「君たちは2人とも凄い才能を持っている」と言い、その後、2人に「トレーニングメニュー」を定期的に送ってくるようになったのである。
 
青葉は最初の頃、そのメニューがきついので、時々サボっていたが、サボると「○月○日にサボった分、これ追加」などと次回のメニューに書かれていたので、その後はしっかりサボらずに修行をするようになった。要するにこちらが実際にやっている内容が師匠には筒抜けになっているようであった。そういう訳で菊枝と青葉はいわば、瞬嶽の通信教育の弟子である。菊枝は、その後だいたい毎年1度は高野山に行き、師匠と会っていたようであるが、青葉は家庭の事情もあり次に行ったのは3年後の小学6年生の時であった。あれからまた3年経っている。
 

青葉は最初の2時間ほどはふつうの山道を歩いていたが、途中から道無き道に入って行った。この道無き道への「入る場所」が分かるのは、瞬嶽の弟子だけである。そしてその先を歩いて師匠の庵まで辿り着けるのは、相応の能力を持っている者だけである。道が無くて目印もないから一般人は迷うし、山歩きに長けている登山家でも、瞬嶽が張り巡らせている結界に阻まれて、その庵に行くことはできない。
 
青葉は途中休憩しておにぎりを食べたり水を飲んだりしながら、道無き道を3時間ほど歩き続けて、お昼前にようやく庵に辿り着いた。
 
「待ってたぞ」と師匠から声を掛けられる。
「ありがとうございます。私が来ることはお見通しと思っていましたので、敢えて事前連絡はしませんでした」
「うん」
 
ここは電話線も来ていないし携帯も圏外ではあるが、瞬嶽の所には一応郵便での連絡が可能である。郵便の宛先は瞬嶽が所属しているお寺の気付けにする。すると、そのお寺にいる、瞬嶽の弟子のひとり瞬醒がここまで届けてくれるのである。瞬嶽がどこかに郵便を出したい時も、瞬醒さんに念を送ると、彼がここまでそれを取りに来てポストに投函してくれるというシステムになっている。瞬醒さんはもう70歳過ぎだが元気で豪快な人である。それでも自分は師匠が死ぬまで生きていられるか自信が無いなどと言っていた。万一瞬醒が瞬嶽より先に死んだ場合、瞬嶽は世間との交流を完全に絶ってしまうかも知れない。
 
「疲れたか?」
「はい。少し」
「まあ、水でも飲め」
と言って、質素な陶器の器に入れた水を渡してくれる。
「ありがとうございます」
と言って、青葉は水を飲んだ。
 
「その器はお前にやる」
「はい!ありがとうございます。でもこの器は御愛用の品では?」
「衣鉢を伝えるというが、衣は山園に渡して鉢はお前に渡すつもりでいた」
 
「謹んで拝受します」
「うん」
 
「取りあえず回峰行に付き合え」
「はい」
「その靴のままでいいぞ」
「助かります。修行不足なので」
 
青葉が一休みしたのを見て、瞬嶽が庵を出て歩き出す。瞬嶽は草履だが、青葉はここまで来るのに履いていた登山靴である。ふだん富山でも山道を走る時に使っている靴だ。
 
瞬嶽の歩くスピードは速い。しかし青葉も普段山道の縦走をしているので負けずに付いて行く。20分ほど歩いた所にお堂がある。そこで何やら真言のようなものを唱える。青葉はそのことばが分からないので、そばで静かに聞いていた。
 
「今僕が言ったの、言える?」
「いいえ」
「分からなくてもいいから言ってごらん」
 
青葉は記憶をたどって、できるだけ似たような感じで唱えてみた。
 
「うん。7割くらいはコピーしてる。毎日ここではこれを唱えるから覚えなさい」
「はい」
 
その後、瞬嶽は20〜30分ごとにお堂や自然石を祭ったものなどの所で立ち止まると何やらそれぞれの場所固有の真言っぽいものを唱えて、全部青葉に復唱させた。回峰行は日没まで続き、ふたりは庵に帰還した。
 
「全く遅れずに付いて来れたな」と瞬嶽。
「今日はゆっくり歩いて頂いたので」と青葉。
「3年前はこれよりもっとゆっくり歩いたけど、お前は付いて来れなかった」
「まだまだ未熟でしたから。今でも未熟ですが」
 
「未熟であっても人は立たなければならない時がある」
「はい」
 
「ところで、師匠、晩御飯はどうしましょうか? 今の時間なら木の実とかでもまだ取って来れますが、何か適当に取って来ましょうか?」
 
「木の実?いらん。こちらに来い」
「はい」
青葉は師匠に付き従い、庵の近くの崖の所に来た。
 
「どうだ。空気が美味しいしだろ?」
「そうですね。ここは緩やかな風が心地いいですし」
「思いっきり、この空気に含まれている気を吸収しろ。けっこう腹が膨れるぞ」
 
「・・・・師匠、これが師匠の毎日の御飯ですか?」
「うん」
「師匠、ほんとに霞を食べて生きてたんですね!」
「霞じゃ無い。大気に含まれている気だよ。お前、気を使って自分が持っているエネルギーを病人とかに注入できるだろ? 同じ要領で自然の大気に含まれている気からエネルギーをもらえる」
 
「確かに。やってみます・・・・・・あ、ほんとだ。ここの気は美味しい」
「な、美味しいだろ? 朝晩で風向きが変わるから、朝と晩は違うメニューだ。雨が降った後などは最上級の御馳走になるぞ」
「ああ・・・こういう御飯、癖になったらどうしよう」
「彼氏にはまあ普通の御飯を食べさせてやれ」
「そうします!」
 
「お前、もう完全な女になるのか?」
「7月に手術を受ける予定です」
「お前、今は身体が男なのに体内の循環を女にして、気も女の流儀で操ってるから、本来の力の8割しか出てない。火の器で水を操っているようなものだ。お前の魂と身体が一致した時、本来のお前に戻れる」
「そんなこと、菊枝からも言われました」
「自分の能力が上がった時、それに振り回されないようにしろ。多分手術が終わったら半月もしない内に新しい状態になるぞ」
「気合い入れていきます」
 
「子供産みたいか?」
「産みたいです」
「根性で産め。お前ならできる」
「はい」
と言って青葉は微笑んだ。
 
回峰行は28日の午後から始めて6日の午前中まで9日間に及んだ。師匠は最後にこう言った。
 
「青葉。ジェット機を自分の身体で受け止めようとするな。大きな物は大きな物に処理させろ」
「ほんとですね! 肝に銘じます」
 
もう山を降りようとしていた時、瞬醒さんが庵にやって来た。
 
「どうも御無沙汰しておりました」と青葉。
「青葉ちゃん、美人になったね」と瞬醒。
「また、お世辞を」
「師匠にこれ頼まれたのでね」
と言って、青葉に小さな水晶の玉を3つ渡す。たくさん針が入っている。
 
「青葉ちゃんが使っている数珠に取り付けるといいよ。元々糸が通せるようになっているから」
「ありがとうございます。これは?」
 
「訳あって、うちの寺に納められた数珠の一部なんだけど、これを受け取った瞬間、青葉ちゃんの顔が浮かんでね。師匠に相談したら3粒だけ青葉ちゃんに渡せと言われたんだけど、玉置に持っていかなければいけない気がして。それで昨日持って行った。持って行く前は透明な水晶だったのに、玉置に持って行ったとたん、針が入った」
 
「あそこは凄いパワースポットですからね」
と青葉は頷いて言う。
 
「そういう訳で、君が持っていなさい」
「分かりました」
と青葉は言い、その場で自分の数珠にその3個の玉を取り付けた。
 
「青葉、その内の2個は君自身のお守り。もうひとつはお姉さんの形見」
と瞬嶽が言った。
「お姉ちゃんの・・・・・」
思わず青葉の目から涙がこぼれた。
 
瞬醒と一緒に師匠の庵を辞して山を下りた。
 
「青葉ちゃん、10日ほど何も食べてないでしょ?」
「山の空気をいっぱい食べました」
「その状態でいきなりふつうの御飯食べたら吐くから」
「あ、そうかも」
「今夜はうちのお寺のお粥でも食べていきなさい」
「いただきます!」
 
瞬醒さんのお寺にお邪魔して、お粥というより重湯のようなものを頂いた。
 
「あ・・・・胃腸が動いている」
「胃腸さんも、久しぶりの仕事で張り切っているようだね」
と言って瞬醒さんは笑っている。
 
「あ、これもあげるよ」と言って、白い袋を渡してくれる。
中を見たら、ここのお寺で一般向けに出しているお守りのようである。
 
「使い方は分かるかな?」
「はい。これは分かります」
と青葉はにこやかに言った。
 

5月6日夕方の電車で高岡に帰還した。翌7日、青葉は1日学校を休ませてもらって、この件に関する「整理整頓」をした。学校が終わったくらいのタイミングで美由紀の携帯にメールして呼び出した。
 
「青葉、いつ帰ったの?」
「昨夜帰ったけど、私これ片付けないと学校に出て行けないから、今日はもっぱら状況のとりまとめをしていた」
「わあ、ごめん」
 
「N君のお母さんに頼んで、明日N君のお兄さんふたりにも来てもらうことにした。全員まとめて処理しないとやばいんだ。もう関わってしまっている美由紀もね」
「わ、わかった。じゃ、私明日学校休む」
「悪いけど、そうして」
 
青葉は美由紀と一緒にN君の家に行き、N君と高校生のお兄さん、そしてお母さんに、青葉がここまで調べたことをまとめて報告した。大学生のお兄さんは明日大阪から戻ってくる予定だ。
 
「でも、そういう事情で呪われたとしたら、逆恨みもいいところじゃない?」
と美由紀。
「人の恨みって、たいていそういうもんなんだよ」と青葉は言う。
 
「それから大事なことですが、この手の呪いは7代先までと言って、掛けられてから7代先までが有効で、そこで終了します。N君たちがそのちょうど7代目です。ですから、N君たちの子供には、どっちみち、もう呪いは及びません」
「ほんと? それなら何か希望が出てくるよ」
 
「N君たちに掛かっているものの処理については明日説明します」
 

青葉は朋子にも車を出してもらい、翌日、N君の一家4人、美由紀とともに7人で一緒に、とある神社まで行った。そこの拝殿でふつうにお参りした後、あまり一般には知られていない、細い道を歩き、そこの奥の宮まで行った。何やら大きな鏡のような岩がある。
 
「そこに立って頂けますか?」
「はい」
「向こう側の山に、光る岩が見えますよね」
「あ、確かに」
「こことあそことは元々対で作られているんです。こちらの鏡岩と向こうの鏡岩とで合わせ鏡なんですよ」
「えー!?」
 
「合わせ鏡は魔界への出入口にもなります。みなさんに掛かった呪いを魔界の向こうに飛ばします。みなさん、長年この呪いに苦しんできましたよね」
「はい」
「もう、こんな呪いどこかに行ってしまえ」と念じてください。
 
N君一家4人が目を瞑って何かを念じている。その時、青葉が自分の数珠を握り何かを素早く唱えたのを美由紀は聞いた。
 
「あれ?何か心が軽くなった気がする」とお母さん。
「俺もそんな気がする」とN君のお兄さん。
「何か少しふわふわした気分。風船の糸が取れたみたいに」とN君。
大学生のお兄さんも何か不思議な感じの顔をしている。
 
「さあ、帰りましょう。もう大丈夫ですよ」
 
みんなでN君の家まで戻る。青葉は「失礼します」と言い、神棚にお参りすると、その左端に持参した高野山のお守りを置いた。
 
「それではみんなで最後の仕上げに豆まきをします」と青葉が言う。
「豆まき? 節分のみたいな」と美由紀。
「そうそう」
「よし。やろう」とN君が乗ってくる。
 
みんなで思いっきり声を出して「鬼は外」「福は内」と言いながら、青葉が持参した大豆を家中に撒いた。
 
「この大豆はどうしますか?」
「これは食べずに外に掃き出していただけますか? 外に掃き出した後はふつうにゴミに出していいです」
「了解です」
 
ということで、みんなで掃除をして大豆を掃き出す。そしてそれをゴミ袋に入れた。次のゴミの日に出す。
 
最後に青葉は神棚の端に置かせてもらった高野山のお守りを回収した。
 
「みなさん、これでこの呪いはこの一家からは取れました。でも気をしっかり持って生きてください。弱い気持ちになると、変な物に付け込まれます。通常の心理なら、生きている人間の方が死んでいる霊より強いんです。悪い霊は、弱い心や邪な心が大好きです」
と青葉は言った。
 

N君の家を辞した青葉・美由紀・朋子は近くの甘味処に入り、3人でお汁粉を食べた。
 
「そのお守りで最後は処理したの?」と美由紀。
「そうそう。これはジェット洗浄機のようなもの。神棚はコンセントみたいなものだから、そこを電源として借りた。呪い自体はあの神社に処理をお願いしたんだけど、家の中を掃除しないといけなかったから」
「へー。でも、それお寺のお守りでしょ?神棚で使えるの?」
「私は使っちゃうけどなあ」
「アバウトだね」
 
「うん。うちのひいおばあちゃんは、天照大神は大日如来の娘で、えびす様は虚空蔵菩薩の兄ちゃんで、とか話してたし。まあ、そうやって育った私だから」
「何か世界観が・・・よく分からん」
 
「そのお守りはまた掃除機として使えるの?」と母。
「ううん。あれでパワーを使い切ったから、実質もう空っぽ。後で総持寺さんに納めてくる」
 
総持寺は高岡市内の真言宗のお寺である。(輪島市にある同名の曹洞宗大本山とは無関係)
 
「でもこれで呪いは無くなったし、N君と堂々と付き合えるんじゃない?美由紀」
 
「すぐってのも何だし。少し時間を置いてからまたアタックしてみるよ」
「そうだね。向こうもその方がちゃんと考えやすいかもね」
 
「だけど今回の処理にゴールデンウィークにお師匠さんの所に行くのが必要だったのね」と母。
「そうそう。私自身が身を清めないとできなかったのと、お師匠さんのパワーを少し貸してもらったのと」
「あんた、こちらに戻って来てからも何も食べてなかったし」
「そうなのよ。食べる訳には行かなかったんだ。このお汁粉が実質11日ぶりの食事」
「ひぇー!? その間、断食だったの?」と美由紀が驚いて言う。
 
「霞(かすみ)を食べて修行してたよ。霞も慣れると美味しい。あと1回だけ重湯を食べた」
「なんとか天の修法とか授けられたの?」と美由紀。
「そんな漫画みたいなものは無いよ」と言って青葉は笑う。
「でも何の真言かよく分からない真言をたくさん覚えさせられたよ」
「それはきっと何とかの秘法なんだよ」と美由紀。
 
青葉も、恋の応援で関わってしまったけど、ほんとに大変だったなと思っていた。でも、きっとこれでふたりは良い恋人になれるかな・・・・・
 
と思ったのだが、世の中はそう甘くも行かず、美由紀の恋は結局叶わなかった。呪いからフリーになったN君は翌月、新しい彼女を作り、その子とラブラブになってしまったのである!
 
「悔しーい!あんなに苦労したのに。七代先まで恨んでやろうかな」と美由紀。
「そんな恨みとか不毛だよ。他の彼氏を見つけた方がいいよ」
と青葉と日香理は言った。
 

青葉が奈良に行って山中で修行をしていたゴールデンウィーク。千里は桃香に強く言われて実家に帰省し、両親にこの夏、性転換手術を受け、手術後は戸籍上の性別も女性に変更することを話した。
 
千里が女性の姿で実家を訪れた時点で父は仰天した。そもそも最初は自分の息子として識別できなかった。そしてそれが息子の「変わり果てた姿」ということが分かると、「心中してやる」と叫んで、床の間に飾ってあった日本刀を取り出し千里を斬ろうとした。千里もさすがに慌てて逃げる。
 
母が「父ちゃん落ち着いて」と言って必死で止め、妹が「姉貴、取り敢えず逃げて」と言って、荷物を持って一緒に家から飛び出して、偶然通りかかったタクシーを停め、千里をタクシーの中に荷物ごと押し込んでくれたおかげで、殺人事件になることだけは回避できた。靴は置いて来てしまったが。
 
父が落ち着いた頃合いを見計らって、千里は母の携帯に電話して少し話し合った。
 
「お父ちゃん、お前を勘当するって言ってるけど」
「うん。理解してもらえるとは思ってなかったから、それは構わない。それからああなっちゃったから言いそびれたけど、手術前に戸籍を分離するから」
「どうして?」
 
「性別を変更する時はどっちみち戸籍は強制的に独立になるのよ。でないと続柄が訳分からないでしょ。私が女になっちゃったら、妹は長女なのか次女なのか、って問題にもなるし」
「あっそうか」
「でも、性別変更での分離という形になる以前に分けといた方がスッキリする」
「確かにね。でも、手術代って高いんじゃないの?大丈夫?」
 
「うん。それは大丈夫。バイト代貯めてるから。私、バイト先と学校行く以外、遊んだりもしないし」
「偉いね。手術はいつ受けるの?」
「7月の中旬。今月中には正確な日付が確定すると思うんだけど」
「決まったら、私の携帯にメールででもいいから連絡して。私、神社に手術の無事をお祈りに行くよ」
「ありがとう」
 
「父ちゃん、あんな感じはたぶん変わらないと思うけど、私はあんたの事は自分の子供だと思ってるからね。男とか女とか関係無く」
「お母ちゃん、ありがとう」
千里は涙が出た。
 

5月22日は青葉の15歳の誕生日であった。平日ではあるが、彪志と桃香・千里は大学の授業を午前中で切り上げ、午後の新幹線を使って高岡まで一緒に来てくれた。
 
美由紀たちも昨年はサプライズ・パーティーにしたのだが、今年はちゃんと事前に告知して青葉の家に集まってきた。今日のパーティーの出席者は青葉・朋子・桃香・千里・彪志、美由紀・日香理・明日香・奈々美・世梨奈・美津穂という11人である。
 
青葉が15本のろうそくに点いた火を吹き消した後、桃香が
「ケーキを11等分できる人?」と言うと、「私できるよ」と千里が言った。
「青葉、コンパスと定規貸して」「うん」
 
ファックスから1枚PPC用紙を取り出すと、そこにまずコンパスで円を描く。
 
千里はそのコンパスの開きのまま円周上で円弧を切り取って行き、円を6等分にする。その6等分した円弧のうちのひとつの両端からまたコンパスで円弧を引いて半分に分割し、そこからまた最初のコンパスの開きで60度ずつ離れた点をプロットした。
 
「凄いな。あれ・・・これ12等分だよ?」と桃香が点を数えて言うと、千里はニコっと笑い、円をハサミで切り取り、12等分の線の所で折り目を入れていく。そして折り目のひとつをはさみで円周から中心に向けてハサミを入れた。
 
「これでできあがり」と言って、ハサミで切った隣同士の扇形を重ねてしまう。「ああ!」と青葉が声をあげた。
 
「12等分して、ひとつ重ねると11になるんですね。凄い」
と日香理と美津穂が感心している。
千里は重ねた所がずれないようセロテープで留めた。
 
明日香は「何か凄いことしたんだっけ?」と状況が分かっていない様子。
 
千里はそうやって作った11等分用の紙をケーキの上に置き、ナイフの先で印を付けていった。そして印をベースにきれいにケーキを11等分して、各自のお皿に置いていった。
 
「お、すごい。ちゃんと11個に別れてる」と、皿に盛られたケーキを見てから美由紀は感嘆の声をあげた。
 
「改めてハッピーバースデイ」と言い、去年と同様に千里が持ち込んだシャンメリーを開けて乾杯し、みんなで青葉の誕生日を祝った。
 
その日は美由紀たちが青葉と一緒に帰宅し、青葉は座らせておいて美由紀・日香理・明日香・世梨奈の4人で協力して今日のパーティーの料理を作った。明日香はふだんあまり料理をしないということで「へー、そうやって鶏の皮を剥くんだ?」などと感心したりしながらも、頑張っていた。
 
そうやって出来たのが、鶏の唐揚げ、フライドポテト、オニオンリング、照り焼きミートボール、ポテトサラダ、巻き寿司(スライス済み)、アスパラのベーコン巻き、などといったメニューだった。
 
「わあ、美味しそう」
と歓声があがり、みんなで食べる。飲み物はノンカロリーのものがいいという要望が多かったので、朋子が朝からウーロン茶を大量に湧かして冷ましておいた。
 
「青葉、性転換手術の日程は決まったの?」と明日香。
「うん。今日決まった。7月18日。20日の終業式まで欠席する」
「へー」
「最初終業式の終わった後で25日かなと思ってたんだけど、他の手術との兼ね合いで少し早くしてもいいかと言われて、期末試験が終わってればいいかな、ということにした」
 
美津穂が手帳をめくりながら確認して言う。
「コーラス部の県大会が15日、中部大会が29日」
「うん。県大会は歌えるけど、中部大会は葛葉に頑張ってもらわないといけないかも」
「そんな大手術の10日後じゃ、さすがの青葉も歌えないでしょ」と日香理。「葛葉を育ててて良かったなあ」と美津穂。
葛葉は最近 F6 まで安定して発声できるようになっていた。今年の自由曲のソロは E6 までしか使わないのだが、F6まで使う昨年の曲でも行ける。
 
「千里姉ちゃんの手術と同じ日なんだよね」と青葉。
「お姉さん、何か手術を受けるんですか?」と明日香。
「私も性転換手術なのよ。ちょうど同じ日に」と千里。
「え? お姉さん、男になっちゃうの?」
「違う違う。私、今男の身体だから手術して女の身体になる。青葉と一緒」と千里。「えー? お姉さんも男?」と明日香・世梨奈。
「全然そんな風には見えないのに!」
 
「このふたり去年も前後して去勢したしね。同じ日に性転換するとはさすがの私も思わなかった」と朋子。
「1日で兄弟から姉妹になっちゃうんだ」
「既に私はふたりとも娘としか思ってないけどね」と朋子は微笑んで言う。
 
「手術は同じ場所ですか?」
「私はタイ、青葉は射水市」と千里。
「そんなに遠距離で、付き添いはどうするんですか?」
「私がタイまで付いてく。青葉にはお母ちゃんも付いてるし・・・」と桃香。「俺もその日はこちらに来るよ」と彪志。
 
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【春声】(1)